詞辞の律動、その韻き ―― 言語芸術の「別に一体」を求めて


寄稿:「詞辞の律動、その韻き ― 言語芸術の「別に一体」を求めて」[研究手帖]、『現代思想』2018年3月号(青土社、2018年)
青土社 HP [*url]
Article: “Shi-Ji Rhythm, Its Rhyming Echo: In Search of ‘Another Style’ in Literary Arts”, Revue de la pensée d'aujourd'hui [Gendai shisō] (Seidosha, March 2018)


「詩がほろんだことを知らぬ人が多い」と、谷川雁は1965年に記している。短歌の「必滅」を説く折口信夫の論考「歌の円寂する時」は、彼が最初の歌集『海やまのあひだ』を上梓した翌年に発表されている。俳句を創出した正岡子規は、当の俳句を「明治に盡〔つ〕くべき」有限の様式であると観ていた。

萩原朔太郎は、文語も散文も無意味も等しく収容しうる近現代の「自由詩」を「未来詩型への建設的捨石」であると捉えていた。「来るべき未来の詩壇は、当然過去の歌を破壊し、別の新しい韻文形式を造るだらう。」

「詩歌」の限界と終焉をめぐる問いの数々。

〈詞/辞〉(時枝誠記)の文法‐存在論的な律動を、極小の〈韻〉律と見定め、そこから言語芸術の「別に一体」(子規)が開かれる場を探究する。― 予備考察、あるいは研究のための覚書。








llllllllll





















アラン・バディウ「形而上学なき形而上学」[翻訳]





寄稿[翻訳]:アラン・バディウ形而上学なき形而上学」、『現代思想』2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー青土社、2018年)
CiNii [*url]   青土社HP [*url]
Article [Translation]: Alain Badiou, "Metaphysics without Metaphysics / La métaphysique sans métaphysique", Revue de la pensée d'aujourd'hui [Gendai shisō], Special Issue (Seidosha, 2018).




形而上学」の歴史的規定を経て、物自体の純粋思考、無限の実在を捉える絶対者の概念へ[220-221]。


形而上学は、その存在(existence)の合理性を、自らの〔概念的〕装置内の未規定的な地点に帰するとき、古典的であり、または教義的(dogmatique)である。プラトン以来の古典的形而上学が数学から借り受けてきたものは、単一の概念から始めることによる存在の証明である。形而上学とはその根底において、純粋な ― つまり、経験的に検証可能ではなく、その存在(être)または内容がわれわれの知識の射程を超過するが、にもかかわらず合理的に論証可能である、という意味において純粋な ― 存在(existence)を承認することである。」


「存在(être)は、ある名のもとで哲学的に接近しうるとき ― そして、この存在を定義しうる諸述語のあいだに置かれたとしても、われわれのような人間の理解が接近しうるあらゆる述語的規定を、当の存在がまさにその本質において超過することが、明示的に見出されるとき ― 本質的に未規定的である。」[215]


「未規定なものの歴史的な自己規定〔…〕その弁証法プラトン的な、したがって形而上学的な様式で ― ただし、誇張法によって高められた善のあらゆる超越が形而上学から追放されていることと併せて ― 何であれ思考可能なものの理念が存在することを肯定し、そしてそこに思考を結びつけるためには、適切な諸公理を選択すれば十分であることを肯定するだろう。」[222]


「有限から無限へのこの移行」 ― 「存在(existence)の数学化された体制」 ― 「この体制は、検証可能なものの領域にとって単純かつ可能な外部の実在をつくりだし、数えられるものによってのみ思考を編成する。それは、思考が思考するところの存在(être)とともにある思考の絶対的同一性である。」[217]


未規定なものが自らを歴史的に規定する。「弁証法形而上学」の諸テーゼ[221f]。規定性の内在的な変容過程を叙述する「論理学」[220]。非単項超フィルターの無限個の族、マラルメの暗号、他。


第二の主著『世界の論理 ― 存在と出来事 II』(2006)以後に著された、弁証法的推論を介して〈存在と思考の絶対的同一性〉を記述する出来事の哲学。








llllllllll




















―― 閾: 声、生 … 零度の詩文、あるいは非‐詩学



【要 約】
近代国語学の周辺で定式化された〈詞/辞〉の対概念や、実験音楽におけるsilenceの位相、現代美術におけるready-madeの手法などを参照しながら、言葉の閾で不断に生成しつつある「詩」のありようを捉え、その「作品」を提示する。


【付 記】
偶然的進化の所産としての芸術システム(人間学‐生政治機械*1の作動圏)のうち、所与の「詩」形式を起点にとり、「文学」へと現働化されていない言語の非有機的生へと逆行する操作を経て、〈詞/辞〉の律動からなる前個体的な「声」にいたる。ことばの閾で「別に一体」(子規)の徴候を探索する。


公開研究会 「野外をゆく詩学 17」 2018年1月19日
多摩美術大学 芸術人類学研究所








llllllllll
































*1:または「人類学‐生政治機械」。一方の「人間学〔人類学〕機械 anthropological machine」は、生の諸形式のあいだの、とりわけ人間と人間ならざる生とのあいだの区別を不断に限定しなおす。他方の「生政治機械 biopolitical machine」は、人間の言葉の場合、「単なる声 φωνὴ ἁπλῶς」(アンモニオス・ヘルメイウ)を言葉の内に包摂することで、その自然的な生を排除する。

高橋悠治 × 三松幸雄「自然について ―― ΠΕΡΙ ΦΥΣΕΩΣ」


高橋悠治 [*url] × 三松幸雄「自然について ― ΠΕΡΙ ΦΥΣΕΩΣ」
講義:三松幸雄「閾・境界・カタストロフ ― 原子の逸れから(非‐)芸術へ」



エピクロスの空き地」展 連続講義 最終回 [*url] ― 講義・対話・問答など ―
日時: 2017年7月1日(土) 14:00~
東京都美術館 [*url]


自然のうちに孕まれた 偶然のわずかな偏り 落下する原子が宿す極小の逸れ そのような動きなくして 宇宙は何も生み出さなかっただろう とエピクロスルクレティウスに帰せられることばは語る それらを手がかりにして いま何ができるのだろう


古代原子論にひとつの端緒をもつ偶然性の哲学・存在論を経由しつつ 今日の「芸術」をめぐるいくつかのトポスに向けて 問いと対話をひらく


偶然の発生は 規則からの逸脱という意味での不自然さを帯びている そこから 自然を超えた稀なもの 予期せぬ新しさが出現することもあるだろう


芸術の閾へ 非詩 プロセスと実在 真理と贋金 「隠れて生きる」ための庭 公界のへり 移動する敷居










llllllllll










































三松幸雄 × 高橋悠治「道という ―― 音楽、そして」




「道という ― 音楽、そして」
三松幸雄 × 高橋悠治 [*url]
水牛 サイト [*url]   銀座哲学レクチャー サイト [*url]
日時: 2016年12月17日(土) 18:30~20:30 [~21:00 まで延長]


-


なぜ。どこへ。どこから。どのように。
いくつもの問い。くりかえされる試み。
切れぎれの道。先は見えない。
それでも、再び、始まりから始めるために。
二つの断片、出典のない引用:


起源はいまここにある。
起源は、
「いま」や「ここ」が顕われる前のいまここにあるもの。
生まれたばかりのこどものように、
まだ目をかたく閉じたままで、
「ここにあるものはなんだろう」


かたるのはわたしではない。
かたられるのはきみではない。
かたられていることはなにか、だれもしらない。




+




問答、ディアレクティケーの庭 連句のように転じ、音源を挿みながら 聴こえない音を聴く 誰も知らない道を探して




+




馬王堆帛書『老子』に関連する研究書を高橋悠治さんが当日もってきてくれたので、本を掲げて参加者に見せるなどしたが、書誌情報を言っていなかった。
Robert G. Henricks (tr. & commentary), Lao Tzu: Te-Tao Ching, Penguin Random House, 1989.
http://www.randomhousebooks.com/books/78629/




同じ著者による、郭店楚簡『老子』に関する研究書(史的考察・翻訳・註釈):
Idem (tr. & commentary), Lao Tzu's Tao Te Ching, Columbia University Press, 2005.
https://cup.columbia.edu/book/lao-tzus-itao-te-chingi/9780231118163


郭店楚簡のものは現時点で最も古い『老子』の写本。正確には、馬王堆帛書と同様、『老子』という書名もない。




+




llllllllll




























































... hands moving, silence, distant echo... Takahashi Yuji, from words to music


※ 2016年に行った講演、覚書


講演:
2016年3月14日(月)
「亞洲共同體與語言、文化、消費」國際講座の一環として
於 文藻外語大學(台湾・高雄市




Art and Its Afterlives, I/II
I. Beyond Extinction, Even: Arakawa Shusaku and the Architecture of Life
II. ... hands moving, silence, distant echo... Takahashi Yuji, from words to music


邦題:
「芸術、その死後の生 I/II」
I. 絶滅の彼方へ、さえも ― 荒川修作と生命の建築
II. … 手のうごき 静寂 遠い響き … 高橋悠治、ことばから音楽へ


日 時: 2016年3月14日(月) 下午3:05~
会 場: 文藻外語大學 [*url] 至善樓13樓國璽會議廳

































llllllllll