奈良古代紀行 1

長らく放置、スミマセン……
どうしても先生の話の続きに詰まっている(流れではなくて)ので、自分的気分転換込みで、紀行です。前回の記事は、一遍削除致しました……


ってわけで、奈良。大人の修学旅行的な。
宜しければ、続きをどうぞ〜。

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北辺の星辰 73 (完結)

 ――さて、最後の大舞台だ。
 歳三は、躍る胸を抱えながら、軍装を整えた。
 時刻は午前四時を過ぎたところ、東の空は徐々に明るくなってきている。
 稜堡に囲まれた五稜郭庁舎からでは、市街や湾内の戦いの様子を見ることはできなかったが、耳を聾する砲撃の轟きが、その攻撃の凄まじさをはっきりと伝えてきている。
 孤立した弁天台場を救うために出陣したい、と云えば、榎本は一も二もなく頷いて、出撃の許可を与えてきた。
「土方君に任せれば安心だ。是非とも弁天台場を救ってくれたまえ!」
 手を握ってそう云われ、苦笑をこぼさないで頷くのに苦労した。
 榎本は、本当に信じているのだろうか――歳三が率いて出るのは額兵隊の四十人ばかり、その人数で、箱館市街を奪還し得るのだと?
 そんなはずはない、二股口の場合には、地の利があった。南軍は、山間の狭い道を隊列を細長くして進まねばならず、迎え撃つこちらとしては、蛇の頭のようなその先頭を、ただ狙い撃てばよかったのだ。
 だが、箱館は、同じように細長くとも、両側にあるのは海ばかり。航行可能な軍艦が蟠龍一隻である以上、制海権は南軍にこそあり、挟撃されるのはこちらとなる。はじめから、勝利など見こめぬ戦いだった。
 仮にも幕府陸軍奉行を務めたことのある松平太郎は、そのことに気づいたのだろう。苦々しい表情で、無邪気に喜ぶ榎本を見つめていた。
 一軍の大将としてはやや楽観的に過ぎるとは思ったが、その能天気さが、今の歳三にはありがたかった。出陣せず、五稜郭で籠城せよと云われる方が、現実的ではあるかも知れなかったが、よほどありがたくない。幕軍をきれいに敗北させるには、まず自分が死んで先鞭をつけることが必要だったからだ。
 黒の軍服の上にはおる陣羽織は、迷うことなく赤にした。黄と赤の楓葉を小さく一面に散らしたもので、夏至を迎えるこの時期では、まったく季節外れとしか云いようがなかったが――しかし、他は紫紺や臙脂で鮮やかさに欠け、戦場で存在を際立たせるためには足りなかったからだ。
「それをお召しになるのですか」
 安富才助は、歳三の軍装を見るなり、顔をしかめてそう云ってきた。
「何てェ面しやがる、俺がこれから死にに行くとでも云うみてェに」
 そう云ってやると、安富はますます渋面になる。
 歳三は思わず笑いをこぼした。
「――そんな面ァすんじゃねェよ。おめェだって知ってるだろう、俺ァ赤が好きなんだ。ただのげん担ぎってェやつさ」
「ですが……」
 なおも食い下がってくる。まるで、歳三の胸の裡を見透かしているかのように。
「やはり、他のものをお召しになった方が宜しいのではございませぬか」
「俺が赤を好んでいるのァ、皆知ってることだろう」
 何食わぬ顔で、歳三は応えた。
「この陣羽織を見りゃあ、俺が戦場にいるってェのァ瞭然だ。そうとなりゃあ、兵卒の士気も上がるってェもんじゃねェか」
 何しろ、退けば斬る、の新撰組副長だ、斬られたくなければ、無理矢理にでも士気を上げ、ひたすら前進するよりない。
「それは確かにそのとおりでございましょうが……」
 そう云う声は、まだ不満げだ。
 また苦笑がこぼれ落ちた。
「おめェも、だんだん島田に似てきやがったなァ。まったく、心配が過ぎるぜ」
「……わかりました」
 ようやく、安富が折れた。
「その代わり、あまり突出なさらないで下さいよ。敵方にそのお姿で突っこんでいかれるおつもりなら、私が鞍から引きずり下ろしてさし上げますから」
 じろりと睨んでくるのに、
「おお、剣呑剣呑」
 と肩をすくめ。
 そうして五稜郭を発ったのは午前五時ごろ、それから千代ヶ岱を経て、一本木関門へと向かう。
 ここは千代ヶ岱と箱館市街の間に立てられた柵に設けられている関門で、もともとは通行料と称して木戸銭を徴収するためのものだった。そのため、市街から五稜郭へ抜けるには、この門を通るより他ないようにされている。ここを閉ざせば南軍を防ぐこともできる――実際には、銃砲があるためにその限りではない――だろうが、逆に云えば、ここを取られれば、市中にいる箱館府のものたちは、五稜郭に逃げこむこともできなくなる。弁天台場が孤立している今、ふどうしても押さえておきたい要所だった。
 途中で拾った大野右仲――弁天台場から救援を求めてきた――とともに一本木関門にさしかかると、向こうから、顔一面を血で染めた男がくるのに行きあった。軍装は味方のもの――伝習士官隊の滝川だった。
「滝川君!」
「奉行」
 滝川は、目ばかりをぎらぎらと光らせて、馬を寄せてきた。
「戦局はどうだ」
「駄目です。七面山あたりで戦っていたのですが、保ちこたえることができず……」
 そう云う間にも、血がその顔を流れ落ちる。
「君の怪我は」
「頭と、肩をやられました――私はとても戦えませんので、士官隊は奉行にお預けしても宜しゅうございますか」
 そう云う滝川の顔は、血に染まっているにも拘らず青白く、よほどの怪我であることを窺わせた。
 歳三は頷いた。
「わかった。君はともかくも千代ヶ岱まで退け。……大野君」
「は」
 大野右仲が進み出る。
「君に士官隊を任せる。改めて隊を組み直し、額兵隊とともに攻勢に転じるぞ!」
「はっ!!」
「……それでは、私はこれにて」
 滝川が云って、馬の脇腹に一蹴りいれた。その姿は、馬上でかすかにふらつきながら、徐々に小さくなってゆく。
「奉行はいかがなされますか」
「俺は、一本木関門を守りつつ、君らが逃げようとしたら斬るために、ここに留まるさ」
「それは……」
「云っておくが、本当にやるぞ。実際俺は、宇都宮線の時には、逃亡兵を斬ったこともあるからな」
 そう云うと、大野、そして星の表情が引き締まった。
「さァて、行け! 退くものは、俺の刀の錆にしてくれるぞ!!」
 歳三が叫ぶと、額兵隊、そして伝習士官隊の兵たちは、やや緊張した声で、
「「「「「応!!」」」」」
 と叫び返してきた。
「行け!!」
 その声とともに、ぞろりと隊列が動き出す。
 歳三は、安富や、同じく陸軍奉行添役の大島寅雄などとともに、一本木関門のところに留まった。立川主税など、数名の新撰組隊士――元、とつけるべきかもしれぬ――も同様に残留した。
 と、背後を見れば、沖合の回天から小船が下ろされ、海軍士官と思しき人影が。次々とそれに乗りこむのが見えた。
 大砲の音は絶え間なく続いているが、そのうちの一発が命中した、と云うわけでもないことは、回天が大破しているわけでも、あるいは船体を傾けているわけでもないことからわかる。何が起こったのかと思っていると、甲板の一角から火の手が上がった。砲弾が尽きたのかどうか、何らかの理由で戦闘続行不能になった回天を、荒井が放棄すると決定し、せめて敵の手には渡すまいと火を放ったものと見えた。
 小船は幾艘か、波に揺られながら浜を目指して進んでくる。
 が、その向こう、七里浜方面から、南軍の兵が侵攻してくるのが目に入った。
「いかん!!」
 叫ぶなり、馬首を返して上陸地点へ向かう。
「荒井さん!」
「おお、土方さん!」
 船首に立って喜色を見せた荒井郁之助は、しかし、迫りくる南軍兵卒の姿を見ると、狼狽をあらわにした。
「早く! 上陸して下さい!!」
 歳三の声に、海軍士官は慌てて船を浜に寄せた。
「来るぞ!!」
 誰かが叫ぶ、その声とほぼ同時に、銃声が響きわたった。南軍からの銃撃だ。
 すかさず、背後からも銃声。歳三の馬まわりのものたちが、南軍に向かって発砲したのだ。そして、こちらの様子に気づいた伝習士官隊の幾たりかからも。
 南軍兵は一瞬怯んだかに見えた。が、多寡の差は明らかだ。とにかく荒井たちを無事に逃れさせ、自分たちの戦いに専念できるようにしなくては。
 と、いきなり轟音が響き、沖の方で敵艦・朝陽が粉々に弾け飛んだのが見えた。
「蟠龍だ!!」
 どうやら蟠龍が、朝陽に砲撃を加えて撃沈せしめたものらしい。高く上がった波が、傾いた朝陽を揺らしながら、ゆっくりと呑みこんでいこうとする。
 ――好機だ。
 南軍は、沖合を呆然と見やり、自軍の軍艦が波間に沈んでいく様を眺めている。他の艦船も、よもや僚艦が沈むとは思いもしなかったのだろう、砲撃が止んでいた。
 かれらが我に返る前にこちらが攻勢に転じ、荒井たち海軍組を、何とか五稜郭まで逃れさせなくては。
「この機を逃すな!」
 歳三は声を張り上げ、関門の向こうで攻めあぐねている伝習士官隊、額兵隊の両隊に向かって叫んだ。
「逃げようとするものは俺が斬る! 前を向け、進め、進め!!」
「「「応!!」」」
 敗北を経験したばかりの兵は御し難かろうが、しかし、勢いがつけば動けるようになるだろう。朝陽を蟠龍が撃沈した今ならば、伝習士官隊もうまく動ける可能性はある。
「進め、進め!!」
 大野右仲が馬上で叫び、伝習士官隊はゆっくりとだが、着実に歩を進めていった。
「土方さん!!」
 荒井が叫ぶ。南軍の銃口が、海軍士官たちを捕えようとしているのだ。
「いかん、撃て!!」
 銃声が響く。あたりはしなかったようだが、敵の足許に着弾し、かれらが一瞬怯む様子を見せた。
 それだけでも充分だった。
「今のうちに!!」
「かたじけないっ!」
 次の銃口が向けられる前に、荒井たちは千代ヶ岱へ続く道を走り去っていった。
「おめェらの敵はこっちだぜ!!」
 白刃を抜き放って叫ぶ。幾たびも死線をともにした和泉守兼定が、朝の光を眩しくはじく。
 背後で、安富たちが同じように刀を抜くのがわかった。
「斬りこめ!!」
 応える怒号。まるで京にあったころのよう、鉄砲に狙われぬように、南軍の懐深くまでもぐりこむ。
 案の定、味方に当たることをおそれてか、敵の銃撃の手が止まる。
「やれ、やれ!!」
 馬上で白刃を振りかざしながら、声を上げる。
 安定しない鞍の上で刀を振るい、幾たりかを斬り伏せる。
 安富や立川も、そこここで斬り結んでいる。新撰組だとは名乗らないが、それでも太刀筋でおぼえることがあるのだろう、南軍の兵士たちは、銃を撃ちかけてきた時ほどの気迫はない。接近戦で、新撰組に勝るものなどないのだ。
 そうしながら、
 ――まだか。
 まだ、己を殺すものは現れないか――この絶好の機会と云うのに。
 落馬して無様を晒す前に、誰か、早く、早く――!
 と。
 乾いた音とともに、みぞおちの横を衝撃が貫いた。一瞬身体が硬直し、次いでどっと地面に投げ出される。撃たれた、と思ったのは、頬にあたる砂利の感触をおぼえてからだった。
「奉行!!」
 安富の声がする。
 馬鹿、敵軍の真ん中で、俺のことなど構うなよ――そう云おうとするが、身体が痺れたように動かない。
「奉行――土方先生!!」
 抱き起こされたか、上体が浮き上がるような感覚。だが、それもひどく遠い。
「――……すまねェ、な……」
 使命のためとは云え、こんなところまで連れ回し、挙句にすべてを投げ出して。
 だが終わる、すべて終わる。
 この自分の死をもって、歳三は戦いを終わらせる。その先には敗北と、苦いが確かな生があるはずだ。その礎にこの生命がなるのであれば、何を惜しむことがあるだろう。
 ――果たしだぜ。
 誇らしい思いが胸を満たすが、それとともに、すべての感覚が遠くなってゆく。
 やがて戦場の喧騒がすっかり遠ざかり、あたりがまったき闇に閉ざされた、その時。
 ――土方さん。
 懐かしい声が云った。
 ――遅いですぜ、俺ァすっかり待ちくたびれちまいましたよ。
 からかうような、飄々とした声。
 青黒い大きな手が、闇の中から伸ばされる。病み窶れたあとなどない、筋張った手――新撰組一、二を争う剣の遣い手の。
 ――うるせェや。
 かつてのようにそう応え。
 歳三はその手を掴み、闇から一足で抜け出した。


† † † † †


はい、鬼の話、最後。
not司馬遼テイストをお愉しみ戴ければこれ幸い。



正直、この章の最初の一文書きたさにこの話書いてた、と云っても過言ではございません。
つか、書こうと思った時には、ここのこの一文が思い浮かんだので、そこへ至るためのアレコレを、史実から抜粋してソレコレした、ってカンジですかね。
鬼のこの辺の話って、基本的に皆さん司馬遼に縛られてる感がアレしてまして、そんならせっかくだから、司馬遼ではない鬼のラストを書きたかったのです。
そりゃあさぁ、アレ確かにカッコいいですよ、「新撰組副長、土方歳三参る!」的な感じはね。でもみんなそればっかじゃ、途中どんな話書いてたって司馬遼の亜種に堕しちゃうカンジで、しかも全体の出来は圧倒的に司馬遼の方がいいわけだから、つまり、"この話読む意味あんの?"になっちゃう――って思うのは私だけですかね。
まぁとにかく、司馬遼ではない土方歳三を目指しました。とりあえず、司馬遼ではありえないですね、はは。
企てが成功したかどうかは、まぁ皆様そっと心の中で採点してやって下さいませ……



ちなみに、今回も概ね史実に沿っての進行でございます。
陣羽織云々は、南軍側の兵士の証言か何かがあったはず。首のない死体の陣羽織の裏に"土方"ってあったと云う話だった(はず)ので、そう云うカンジで。まぁ、首云々は今回まったく書いてませんが。薄い本の時に、安富目線でちょろっと書いたなー。
陣羽織は、何かそんなことを、箱館市街戦のカミサマが云ってた+↑の南軍の兵士の証言にもそれ風のがあったので。赤とか楓の柄とかは、お告げ(笑)ですお告げ(笑)。



全然関係ありませんが、いきなりカズオ・イシグロを集中的に読み始めました。
っても、昨今話題の『忘れられた巨人』ではなく、『夜想曲集』とか『充たされざる者』とかのepi文庫の方ですが。
もともと中公の『日の名残り』を読んでた、って云うか映画見たので、アレなんですが、うん、やっぱり自分、英国文学の方が米国文学より親和性があるのだな、と思いましたわ。
『浮世の〜』と『遠い〜』は、まだちょっとそそらないので、とりあえず手に入れた分から――しかし、『充たされざる者』がハヤカワサイズ&京極並の厚み、で、市販のブックカバーでフォローできない……覆っとかないと背表紙から割れそう&カバーがすっぽ抜けそう、なので、ちょっといろいろ考えるか……くそう、ハヤカワサイズめ!!



ってわけで、この話はこれでオシマイ。
次はいよいよ先生の話――になるといいなァ……
あ、こないだやっと、『空海入唐』(日経新聞社)を読み終わったので、それもあって杲隣(この字だっけ)の"修善寺温泉物語"とかいいなぁ、と思っちゃいました。まぁ、やったって短いんですけどね。
あと、ちゃんと書けるか橘逸勢物語、とか。
いずれちゃんと書きたい。阿闍梨の話や観阿弥の話もね。



さてさて、こんどこそ、先生の話、になる、はず……

北辺の星辰 72

 案内されたのは、四畳半の小間だった。
 大広間からはそれなりに離れているので、喧騒もほとんど気にならない。
 妓楼の小間であるからには、そういうことに用いられる部屋なのだろうが、箱館府の首脳の酒宴が開かれるとなって、皆ここを使うのを避けたのだろう、それらしい音どころか、人の気配すら感じられぬ。
 妓女を入れるかとの問いかけに首を振り、中島はどっかと腰を下ろすや、歳三を指し招いた。
「まぁ坐れ。こちらの方がゆっくり呑めるだろう」
「は、それでは」
 歳三が坐ると、それぞれの膳がその前に据えられた。
 新しい銚子が置かれ、仲居が出てゆくと、小間はすっと静かになった。
「……それでは一献」
 銚子を取ってそう云えば、中島はにっと笑って盃を差し出してきた。
「……向こうにいる連中とは、もう良いのか」
「ざっとは済ませましたので」
 幹部とは云え、箱館府の中枢からはやや外れた立ち位置の歳三だ、そう懇ろにしておきたい相手もない――強いて云えば、目の前の中島こそがそれであって。
「淋しい奴め」
「次席のものなど、そんなものでございましょうよ」
「はは、違いない」
 と云うからには、中島も似たような気分であるのだろう。
 それも当然か、中島は、歳三から見ても一回り以上年嵩の四十九歳、留学生であった榎本とは異なり、勝や永井などとも親交があり、またペリー艦隊と応接したりと様々な経験も積んでいる。箱館まで流れてきたのは薩長に対する憤り故で、榎本のような、蝦夷地に徳川の領国をなどと云う甘い夢を見てはいなかったはずだ。
 となれば、自然、榎本ら中枢部とは距離もできようというもので。
「――しかしお前、悔しくはないのか」
 突然そう云われ、一瞬その意味を掴みかねる。
 ややあって、どうやら二股口撤退のことであるらしいとわかったのは、“あの大鳥のせいで”とつけ加えられたからだった。
 思わず肩をすくめて応えを返す。
「敵方は勢いが違いますからねェ」
 どのみち、あれ以上留まり続けたところで、いずれ退かざるを得なかっただろう。何しろ敵は勢いがあり、数も多い。とてもとても、歳三の率いたような小人数で、長期間にわたって食いとめることができるようなものではない。矢不来の大敗で退くことにはなったが、そうでなくとも、いずれあの場所を放棄せざるを得ないことになるのは明白だった。大鳥の敗退は、ただその時期を少しばかり早めただけのことだったのだ。
「だが、あの大鳥が将として無能であるのことは、皆よくわかっていることだろう」
 悔しくないのか、と再度問われ、また肩をすくめる。
「仕方ありませんや。私みたいな野良犬上がりじゃあ、士官連中に示しがつかないとでも思ってるんでしょうよ」
 そう、松平太郎あたりは、特に。
「私は“成り上がり”でございますから――身分を気にされる方なんぞにァ、目障りなんでございましょう」
 それに、そう、伊庭たちのような生粋の旗本にとっても。
 だから、宮古湾海戦の前、歳三の下につくと決まった後の伊庭は、あんなにも噛みついてきたのだろう――将軍の身辺警護を担っていた旗本が、成り上がりの野良犬風情に頭を垂れねばならぬと云うことに、どうしても我慢がならなかったのだろう。
 中島は、微妙な表情になった。
「……しかしお前、本当に、このままここで死ぬつもりか?」
 その問いに、思わず笑いがこぼれた。
「他に、私なんぞがどうすると?」
「だがお前、勝安房に口添えを頼めば、生命くらいは助かるのではないか」
「そんなことなんぞ、できやしませんよ」
「だが、お前……」
 今さらではないか、決戦前夜のこの時に。
 それに、
「私なんぞが頼っていけば、勝さんのお邪魔になるだけでしょうから……」
 それよりも、と云いながら、中島に銚子を差し出す。
「私のようなもんは、ここでぱっと潔く散って、あとの連中をこそ助けて戴かなけりゃあなりません。そのためにも、私のようなもんは、とっととあの世へ逝かなきゃあならないんですよ」
 盃を差し出しながら、中島は首をひねる風だった。
「……そんなものか」
「そんなものですよ。……中島さんこそ、本当にここで死ぬおつもりなのですか?」
 京でさんざんっぱら薩長土肥の浪士どもとやり合ってきた歳三はともかく、中島はそれまであからさまにかれらと敵対してきた事実はないはずだ。そればかりか、一時は長州の桂小五郎を、自宅に居候させていたことがあるとも聞いていた。そのつてを頼っていけば、中島こそ生命は助かるであろうし、海軍の諸事に通じたこの人を、向こうでも手に入れたがっているのではないかと思う。
 だが、中島はにやりと唇を歪めただけだった。
「奸賊ばらに下げる頭は持たんな」
 歳三は唖然とした。
 そして次の瞬間、抑え切れない笑いが肚の底からわき上がる。
「は、ははははは! 中島さんらしいですなァ!!」
「だろう?」
 澄ました顔で云う、それもまたこの人らしい。
 そうとも、この人は、母親と幼い弟のために江戸に残ると云った長男・恒太郎を、抜き身を持って追い回した揚句、遂にこの蝦夷地まで引きずってきたような人物なのだ。激しい、散る火花のような気性であればこそ、薩長の輩と妥協することを考えるのさえ厭わしいのに違いない。
 その中島が、どうしてこの戦いに生き残ることなど考えよう。
「――まァ、そのあたりは、私も似たようなもんですがね」
 中島ほどの苛烈さではないが、歳三も、己の主は己で選びたい人間だ。徳川将軍家が至高とも思いはしないが、薩長土肥がそれに勝るとも思われぬ。それならば、自分はもう“勝の狗”のままで構わぬと、歳三はそう思うのだ。
「――生き延びたとて仕方ない、と云うことか」
「そう云うことなのでございましょうよ」
 まして、生き延びて誰かの助けになれるのならばともかく、ただ斬首されるためだけの生となるとあってはなおのこと。
「……まァ、私なんぞは戦しかできねェ碌でなしです、生き残ったとて、徳川のお役に立つようなことなんざ、何もできやしねェんですよ」
 肩をすくめて云ってやると、
「はは、それは俺も同じことだな」
 中島も静かに笑って、酒を乾した。
 明日からのことを話したのは、それで終わりだった。
 この一戦で散る覚悟であるのは、中島も歳三も同じであり、それがわかっているのなら、もう他に語ることなどありはしなかったからだ。
 それからはぽつぽつと、撤退した仏軍士官たちや、退去していった三藩主たちの話、初めて中島と出逢った江差でのこと、蝦夷全島制覇の宴のことなど、思い出話ばかりを語り合い。
 大広間の宴が果てた子の刻――午前〇時ごろになって、二人は武蔵野楼を出て、それぞれの持ち場へと帰っていった。



 戦端が開かれたのは、夜明け前のことだった。
 まだ明けやらぬ午前三時ごろ、南軍は箱館山の南西、すなわち市街から見ればちょうど裏側、に艦をつけ、寒川、山背泊、尻沢辺あたりから一斉に上陸してきたのだ。
 これまでもっぱら箱館湾内での海戦が多かったため、そちら方面からの上陸は誰の念頭にもなく、山上の見張りのものも十五名と小人数で。早々に持ち場を放棄し、ほうほうの体で弁天台場に逃げこむことになったのだった。
 時を同じくして、箱館湾内には朝陽、春日、甲鉄などの軍艦が入りこみ、蟠龍や浮き砲台である回天、あるいは弁天台場との間で、壮絶な砲撃船がはじまった。
 あわせて敵は、陸兵を七里浜、大森浜から上陸させると云う、文字どおりの総攻撃をしかけてきた。
 その時歳三は五稜郭にいたのだが、夜闇を貫く砲撃の轟きで目を醒まし、敵襲であることを察すると、慌てて跳ね起きた。
 箱館山から敵侵攻、の報がもたらされたのは、その後、夜明け近くになってからのことだった。
 手薄な背後を突かれ、なすすべもなく弁天台場に逃げこんだところで、箱館奉行所の永井玄蕃が、配下のものをともなって、やはり難を避けてやってきたのだと云う。五稜郭よりは弁天台場が奉行所に近かったためであろうが――市中の拠点が弁天台場のみになったと云うことで、そこは完全に孤立してしまったのだ。
 箱館市街戦は、初日にして最大の山場を迎えることになった――つまりは、歳三の望む“大舞台”が、早くも出来上がりつつあると云うことだったのだ。


† † † † †


はいはーい、鬼の北海行、続き。
あと一章!



この辺も、以前にコピーで出した薄い本で書きましたね、こっちは中島さん視点だった!
永井さんで始まり永井さんで終わる(でもっておまけに伊庭と勝さん)薄暗い短編集だったのですが、中島さんだけはっちゃけてて、スゲー愉しかった憶えがありますです。まぁ、壊れた大砲の胴に釘とか鉄片とかと火薬を詰めて、敵が来たらそれに跨ったままで点火させるつもりだった(←死にます)人だからなー。はっちゃけてないわけがない。
中島さんを思い出すと、どうしても佐々木道誉(婆娑羅大名の)を思い出すのですが、まぁつまりそんな感じの人です。
って云うか、何か、屋敷を放棄しなくちゃならない時に、宴席の用意かなんかさせて、そのままの状態で屋敷を明け渡して立ち去った的な逸話があったと思うのですが(←道誉)、中島さんもそう云うとこあるよね、って云うカンジがとてもしております。
まぁ、道誉って云うと、陣/内/孝/則なんですけどね、私的にはね(←大河『太平記』)。確かに大枠で云えば、中島さんもああ云う雰囲気かなー。



ところで全然関係ないのですが、先日二年ぶりくらいに元母方の伯父と会いまして。
割と偏屈な人なのですが(しかし伯父たちの中では一番好きかな、前回会ったのなんか十数年ぶりだったのですが)、しかし割と饒舌だったりするわけですよ。
で、ふと、先生の叔父さんのフランチェスコってこんなカンジだったのかなー、とか思ったり致しました。いや、伯父は結婚したことありますけどね(フランチェスコは結婚しなかったし働いたこともなかった)。まぁ変わり者だったのは確か(一生働かないでも、先生に相続させるほど財産があったわけだから)なんじゃないかと思います。
とりあえず、フランチェスコのことを書く機会があったら、モデルはあの伯父だな、と思いました――作文か。



さてさて、次でラスト! 次回も鬼の話で!

北辺の星辰 71

 五月三日、四日、五日の三日間、陸軍方で、南軍との小競り合いが幾度かあり、七日には箱館湾内で海戦があった。
 敵方の戦艦は春日、朝陽、それに加えて宮古湾海戦で奪取し損ねた甲鉄艦であり、それを聞いた歳三は、あの戦いで目的を達しえなかったことを後悔したが――しかし、敗北を早めるには良かったのかも知れなかった。
 幕軍方は回天、蟠龍の二艦と、それに加えて弁天、亀田川尻、築島の各台場からも砲撃をしかける大規模な戦いになった。
 幸いと云うべきか、敗れたわけではなかったが、この戦いの最中に回天が機関損傷で航行不能となり、湾内で浮き砲台と化したのは痛手だった。
 海軍で軍艦と云えるのは、この回天と蟠龍のみ、その一方が航行不能となったとあっては、もはや海軍は“海軍”としての体をなさぬ。
 陸軍はまだしも体裁を保ってはいるが、中島の言によれば、歳三が死ねば瓦解すると云うことであったから、いよいよ終わりが近づいてきているのは明らかだった。
 決戦の時は、実際刻一刻と近づいていた。
 八日には、榎本と大鳥が諸隊を率い、七里浜などへ夜襲をかけた。水盃を酌み交わしての、覚悟の出陣であったようだが、幸いにもと云うべきか、大敗したものの両人ともに怪我もなく無事に帰還してきた。
 但し、この大敗が兵卒に与えた衝撃は大きかったようで、この日から前後して、主に陸軍の中から脱走者が現れるようになっていった。
 ――大将が出陣して大敗では、確かにいよいよ危いな。
 海軍は死に体、陸軍は大敗では、いよいよ話にもならぬ事態になったと云うことだ。
 榎本は、まだ戦えると嘯いているようだったが、副総裁である松平太郎は現状をよく把握しているのだろう、悲壮な面持ちで指示を飛ばしている。目端の利くあの男のことだ、裏では着々と、降伏後の準備を進めているに違いない。
 そして九日になって、伊庭が五稜郭内に移ってきた。箱館病院にいるままでは、最後まで生き残ってしまうだろうと、それを案じてのことであるようだったのだが――死に瀕しながらも闘志の失せぬ、その様には感嘆をおぼえずにはいられなかった。
 歳三の考えているのは、もはや、いつ、どの場面で死んだなら、最も自然なかたちで、最も効果的に幕軍の士気を下げることができるか、と云う一点に尽きた。
 幕軍の命運はとうに尽きている、その中で、どうやって決定的な敗北に士卒の思いを致させるか、それが、ことここに至っての歳三の使命であったのだ。
 九日は戦闘もなく、静かな一日であった。嵐の前の静けさと云うものだな、と思っていると、放っていた斥候――細作と云っても良い――が、重大な情報を持ってきた。
 それによれば、南軍は二日後の十一日に、大規模な攻撃を計画し、今はそれに備えて隊を整えている最中だと云う。
 兵卒に具体的な作戦は知らされていないようだが、出撃までに英気を養っておくようにと云う通達が出ているようなので、日程だけは間違いないと云うことだった。
 それを聞いた榎本は、それならばと前日十日の夜に、大規模な宴を催そうと云い出した。敗北は目前に迫っているのだから、別盃をかわしておきたいと云うことのようだったが、それが南軍に伝わって逆につけこまれることにはならぬかと、歳三はそちらの方が心配になった。
 とは云え、いずれにしても敗北が避けられぬのであれば、それが早ければ早いほど損害が少なくて済む道理だ。それならばそれで良いかと思い、歳三は十日の夕刻、宴の催される新築島・武蔵野楼へと出向いていった。
 武蔵野楼は箱館きっての妓楼で、三層の館はあたりの町並みから頭ひとつ飛び出た恰好でよく目立つ。歳三も、その姿はよく目にしていたが、京より下ってこの方は、女遊びも縁を切っていたので、中に足を踏み入れるのは、実はこれが初めてだったのだが。
 大広間は、既に箱館府の幹部でいっぱいだった。
 上座には榎本を中心に、松平太郎と永井玄蕃、大鳥に荒井郁之助、中島三郎助の姿もある。歳三の席は、その端の方にあるようだった。
 それから、諸隊の隊長や隊長並、軍艦や輸送艦の館長とその副官など、すべてが揃っているわけではあるまい――警護の当番や何かで外れられないものもある――が、それにしても四十名近いものたちが集っている。
 歳三はそっと着座し、隣りの大鳥に、薄く笑んで目礼した。
 主要なものが揃ったと見るや、榎本は盃を掲げ、口を開いた。
「諸君、今や南軍はこの箱館に迫り、明日にも攻め寄せてくるとのことである――諸君らの奮闘も虚しく、こうして決戦の時を迎えることとなったのは、すべて私の不徳の致すところだが……」
 海軍畑からは否定の声が上がり、陸軍のものたちは沈黙している。くっきりとした、この温度の差。榎本の最大の敗因は、陸海二つの軍勢を、遂にひとつにまとめ得なかった、そのことであったのかも知れぬ。
「――明日以降、敵は大挙して攻め寄せてくること必至。我ら徳川に恩顧あるものども、せめて旗本・御家人の意地を見せるべく、この一戦に散る覚悟にて臨もうぞ!」
「「「応!!」」」
 こたえる声がひとつになる。
「乾杯!」
 榎本の声に、一同それぞれ酒で満たした盃を乾す。土器であったなら、皆、盃を床に叩きつけて割り、還らぬ決意を示したのであろうが、漆の朱盃であってはそうもゆかぬ。皆、盃を前の横に置き、最後の晩餐に箸をつけた。
 膳のものを食べながら、歳三はゆっくりと、宴席に居並ぶものたちの顔を見た。
 末座の方には、大野右仲、相馬主計などの姿が見える。相馬は弁天台場の守将として、大野は陸軍奉行添役としての出席なのだろう。まなざしを転じれば、額兵隊の星の姿もある。まさしく、最後の宴と云うに相応しい顔ぶれであった。
 だが、当然ながら、伍長である島田魁や、新撰組隊長である森彌一左衛門――森常吉も加わってはいない。
 ――明日にでも、顔を見てくるか。
 もちろん、五稜郭に帰参したその日のうちに、弁天台場を訪れて、皆の顔を見てはいる。
 だが、いよいよ最後となってくると、やはりもう一度――言葉にすることはないにせよ――、挨拶をしておきたいと思うのは、当然の心持ちだっただろう。
 まぁもっとも、その暇があればの話ではあるのだが――そう思いながら、盃を傾けていると、
「――奉行」
 銚子を持った相馬主計が、膳の向こうに坐りこんできた。
「おう、相馬」
「宜しければ、一献差し上げても?」
「おお」
 盃を差し出すと、そこに酒が注がれる。それを呑み乾し、口をつけた後を拭って差し出せば、相馬は神妙な顔で受け取った、注いでやると、一礼してぐいと呑み乾す。
「……いよいよでございますな」
 決戦の時は。
「ああ。早いと云うべきか、よく保ったと云うべきか、悩むところだな」
「保ちましたでしょう。これも偏に、奉行のお働きあればこそです」
 生真面目に相馬が云う。が、今はその生真面目さが拙かった。“常敗将軍”大鳥や、何だかんだで負け続きの榎本が聞けば、気を悪くすること請け合いだったからだ。
「……弁天台場の様子はどうだ。島田なんぞは変わりねェか」
「島田さんはいつもどおり、若い連中を叱咤して、きりきり追い使っておりますよ」
「そうか」
 会話がふっと途切れた。
 無言で銚子が差し出され、盃で受ける。
「――おめェは……」
 この戦の後どうする、と問いさしたところで、
「奉行」
 相馬の横に、やはり銚子を手にした大野右仲が坐りこんできた。
「一献差し上げても?」
「ああ」
 頷くと、相馬が一礼してその場を立ち、大野に譲って去っていった。
 そこからは、入れかわり立ちかわり、額兵隊の星や伝習歩兵隊の大川、伝習士官隊の滝川などがやってきて、酒をすすめてくるものだから、歳三はほど良く酔っ払ってきた。
 ふと見れば、既に座は崩れきっており、榎本は向こうの隅で海軍のものたちと、大鳥は反対側で陸軍のものたちと、それぞれ車座になって話しこんでいるようだ。日頃渋面ばかりの松平太郎の前にも、二人ほどが陣取って、穏やかに酒を酌み交わしている。箱館奉行の永井は中座したものか姿が見えず、黙々と膳のものを食っているのは、歳三と、中島三郎助くらいのものであるようだった。
 と、中島の目許が、かすかな笑みに歪んだ。外を指す仕種、別室に移るかと云う誘いのようだ。
 歳三が頷くと、中島はにやりと笑って仲居を呼びとめ、別室を用意して、自分と歳三の膳を運ぶように云いつけたようだった。
 相手が頷くと、中島はまたこちらに向かってにやりと笑い、近くの襖を開けて、するりと外へ抜け出てしまった。
「……お運びして宜しゅうございますか」
 ふと見れば、別の仲居が目の前にいる。
 歳三は慌てて頷くと、中島の後を追うべく立ち上がった。


† † † † †


鬼の話、続き。
きたぞ武蔵野楼!



ってわけで、箱館府最後の宴でございます。
以前このあたりのことは、某箱館アンソロで永井玄蕃さん視点で書いたのですが、今回鬼視点で書くと、またちょっと違ってきてこれはこれで。
次の章の中島さんとの呑みが、私的にはこの宴のメインなので、そこらへんで楽しく書けましたですよ。
つか、この辺書いてる時に初めて、なるほど、島田とかの顔見に行くつもりだったのかもなぁと思いました。いや、もうちょっと距離置くのかなぁとか思ってた(だって島田はry)ので、意外な感じがしたと云うか。まぁこう云うとこは、細かい設定してないからこそのアレだなぁと思いましたです。



あ、そうそう、前回書きそびれたの、思い出しました! YJ連載中の『ゴールデンカムイ』、最新3巻の表紙のカッコいいジジイが実は鬼らしいんだぜ! と云うアレコレ。
チラ見したら、ぱっつぁんとかも出てきてましたよ。あれ、あの話って、明治何年設定だ……?
髭でややヒネ気味の爺さんカッコいい! けど、鬼かと思うとな……顔は好みなんだけどな……まぁ、今、本置く場所的に余裕がないので、YJチェックしつつ、買うかどうかは悩みますわ……青年誌のああ云うのは、絶対長くなるからな……
そう云や、『風光る』を久々にチラ見したら、こっちは鳥羽伏見、っつーかかっちゃん狙撃後でした。とりあえず、うっすらチェックはするが、何となく、沖田病死まで江戸に残るセイ→沖田の遺命で箱館へ、って云う、やや『薄桜鬼』的な展開が予想され。当たったら笑うけどな。
とりあえず新撰組ものは、『アサギロ』一本で充分だなー。続刊はよ!



さてさて、次は武蔵野楼後半、中島さんと呑み! 呑み!
そしたらその次が、このお話ラストですよ。八月中には確実に終われるな……

北辺の星辰 70

 二日、ブリュネやカズヌーヴら仏軍士官らが、自国の船に乗って、箱館を落ちていった。
「まぁ、仕方なかろうな」
 訊ねていった千代ヶ岱陣屋で対面した中島三郎助は、そのように云って茶を啜った。
「もはや戦局はいかんともし難いことになった――南軍が英米の後押しを受けていれば、のちのち仏蘭西との紛争の種にもなりかねん、そうなる前に、早々に撤退させるが、母国のためには正しいことであろうからな」
 かつて浦賀奉行与力としてペリー艦隊と応接したこともあり、また勝や永井玄蕃などとも親交のあるらしい中島は、歳三よりもよほど異国の事情に通じているようだった。
「異国から見ても、もう戦局は決していると思われましょうか」
 歳三の問いに、中島は片眉を上げた。
「どこからどう見ても、我らに勝ち目などあるまいよ」
「それは……まぁ、然様でございましょうが」
 公平な目で見れば、幕軍の不利など明白だ。味方もない、資金もない、兵力もない。これでどうやって、今や蝦夷地以外すべてを制圧したらしき南軍を相手にできようか。
 そして、矢不来や二股口を放棄した今となっては、箱館府はいつ降伏するか、秒読みに入ったようなものだった。
「夜襲は、まだ続けておるのか」
「はい、今宵も夜討ちをかけると聞き及んでおります」
 歳三が帰参してすぐの一日夜から二日払暁にかけて、新撰組を含めた幕軍の諸部隊は、迫りくる南軍相手に夜襲をしかけていた。
 むろん、数で勝る南軍を、それでどうこうできようはずはないが、ともかく相手に少しでも痛手を与えられればと、そのような一念からの出撃であるようだった。
「ふむ、まぁ、戦う期間を多少長引かせられる程度のことだろうな」
「さようでございましょうな」
 歳三とても、夜襲などで戦局が変わると夢を見るほどには、南軍の戦力を楽観視しているわけではない。
 この夜襲はあくまでも、幕軍兵卒の士気を保つためのものであって、そもそも勝算云々は二の次なのだ。
「……実のところ、中島さんは、この戦の終わりをいつごろとお考えですか」
「南軍が進軍をはじめて五日、と云うところではないのか」
「――五日」
 それを、長いと思うか短いと思うか。
「榎本が降伏を受け入れるまでの話だぞ」
 なるほど、それならば短いか。
「榎本さんは、どれくらい負ければ降伏だと云い出されますかねェ」
「お前が死んで、俺が死ねば、まぁ降伏するだろうな」
「あぁ……」
 要するに、複数の幹部が戦死しなければ、降伏することを認めはしないだろう、と云うことか。
「少なくとも二人、と云うことでございますか」
「隊長格では、中々降伏とまではゆくまいよ」
 伊庭のことを云っているのだと、すぐにわかった。
「ゆきませぬか」
「ゆかぬだろうよ、あ奴は、上野戦争の折、命ぜられたからとは云え、彰義隊を見殺しにした男だぞ」
「それは……」
 知らなかった。
 だがそう云えば、彰義隊の生き残りだと云う陸軍の兵士たちは、榎本ら海軍のものどもを、激しく憎んでいたように思う。
 それを、歳三は、てっきり仙台からこれまでの海軍の数々の失態によるものだと思っていたのだが――上野戦争からと云うことになると、随分根が深いことになるのではないか。
「……榎本さんに、陸軍が従わぬと云うことにはなりますまいか」
「だから榎本は、お前を己の側につけようと必死なのだろうよ」
 中島は嗤うがしかし、
「陸軍は大鳥さんがあるではありませんか」
 陸軍奉行の大鳥圭介は、作戦にはいささか難はあるものの、人物としては中々に器も大きく、あれだけ大敗を喫しながらも部下の心が離れてはいない。正直、軍人として部下に持ちたくはない大鳥ではあるが、あれはあれで、ひとかどの人物、つまりは将の器であるのだろうとは思う。
 が、中島は首を振った。
「大鳥は“常敗将軍”ではないか。あ奴がおっても、士官は何とか取りこめようが、兵卒の心までは掴めまいよ」
 兵は、強い、己を生き延びさせてくれる将を求めるものだからな、と云う。
「そのようなものでございますか……」
 京のころから、副長、参謀、奉行並と、第二位の地位にばかりあった歳三には、その感覚はよくわからないものだった。
 もちろん、榎本ら海軍組の幹部にいいように使われていると云う意識は、歳三の中にもなくはなかった。が、それも“箱館府”と云うひとつの組織を動かす上で、仕方のない部分であると考えていたのだ。
 組織と云うのは、結局のところそう云うものだ。他人よりも余計に働くものがあれば、逆にまったく働かないものもある。歳三としては、個々人の力量に差があることは仕方がないことだと考えていたし、できる人間ができるだけやれば良いことだと思ってもいた――均等な割り振りなど、力量差がある以上は不可能だ。それならば割り切って、やれる人間がやれるだけやればいいだけのことだ。上に立つものは、その差を評価によって埋めてやる。そうすることによって、心情的な不平等感は軽減され、上役に対する信頼も生まれ得るのだ。
 また、上に立つものが戦下手であろうとも、下についている戦上手が作戦を立て、それを上役が指揮するのであれば、何とかなる場合が多いと云うことでもある。
 ――戦国の世の軍師と同じことか。
 上に立って人間を差配する“将”あっての戦と云うことは。
「そのようなものだ」
 中島は頷いた。
「大鳥は、例の適塾の出身故、確かに智恵はあるのだろうさ。だが、ともかく戦を知らん。その故の“常敗将軍”だ。士官どもは、それでもあ奴の智恵を尊重するだろうが、兵卒はどうであろうな」
 “例の”と云われる適塾を、歳三は知らぬ。が、いずれ雨後の筍のごとくにあらわれた私塾のひとつであろうとは察し、中島の言葉に頷いた。
「よほど添役が有能でなくてはなりませぬな」
「有能なれば、大鳥についたままではおらぬだろうさ。つまりはそう云うことだ、あ奴では、幕軍は満足に働かぬだろうよ」
「となれば……」
「だから云うのだ、俺とお前が死ねば、この戦いは終わるとな」
「――ならば、早い方が宜しゅうございますな」
 生き延びれば生き延びただけ、被害が増えると云うのであれば、早々にけりをつけた方が良いだろう。
 いずれ、南軍は箱館に総攻撃を仕掛けてくるに違いない。戦争には金がかかる、まして、この最果ての地での戦いだ、南軍とても無尽蔵に金や人をつぎこめるとは思われぬ。一気に叩き潰してやりたいと考えているだろうことは明らかだ。ならば早晩、総攻撃はある。
 そしてそうなれば、金にも人にも乏しい箱館府は、あっと云う間に潰されてしまうに違いない。
 それでも、多少なりとも抵抗しようと試みるならば、それだけ受ける被害は大きくなる。早々に“将”が消えれば士気は下がり、幸福への道が近くなる、それならば、そのように計らってやるべきではないか。
「南軍も、今すぐ一気呵成にと云うわけにはゆくまいよ、何しろ江刺や松前などから上陸してくる故にな」
 と云いながら茶を飲む中島の脳裏には、蝦夷地の地図が浮かんでいるのだろう。元々海軍畑の中島だ、その中でどこが上陸地に適しているのかは、すべて頭に入っているはずだ。
「ならば、南軍が結集して総攻撃となるは、いかほど後になると思われますか」
「さて――あと十日ほどではあるまいか」
「十日……」
 それで開戦、となると、どれほど力を尽くしたとしても、敗戦は五月のうちだろう。
 中島の予想は、さらに短かった。
「月の半ばまで保てば御の字ではないか」
「開戦から、五日も保たぬと云うことですか」
「だから、俺とお前が死ねばの話だぞ」
 とは云え、その予想は中々に衝撃ではあった。
 しかし逆に云えば、それだけ短期で終わるのだ、損害も少なくて済むと云うことである。
 ――良いじゃねェか。
 呆然とすると同時に、そのような思いもわき上がってくる。
 勝は、そもそも幕府脱走軍を江戸まわりから排除することを、江戸を戦場にしないためだと云っていた。
 江戸は八百八町と云われる大きな町だ、そこに住まうものも百万は下るまいとも云われていた。そんなところであるから、そこで戦が勃発しようものなら、焼け出される人や巻き添えになるものも、膨大な人数になるだろう。そのことを憂いての指示であろうと了承していたのだが――その勝が見たならば、箱館もまたひとつの大きな町であり、そこでの長々とした戦をこのむまいと思ったのだ。
 それ故に、
 ――良いじゃねェか。
 派手に戦ってぱっと散り、戦を短くて終わらせる、それはまさしく、勝の意に沿うことだろうと思われた。
「――悪い顔をしておるな」
 中島に云われ、思わず顔を撫でる。
「それほど悪うございますか」
「ああ、悪い、狐の顔だ」
 にやりと笑う。
「まぁ、良いではないか、狐でも。狐でなくば、この戦で、兵卒を生かして帰してはやれまいよ」
「……さようでございますな」
 そうとも、間違えてはならぬ、歳三のなすべきは、善人になることならで、悪人と名指しされようとも実を取ること、それのみなのだ。
 ――さて、最後の大仕事だ。
 自らは死に、幕軍を敗北させて、兵卒は生かす。それこそが歳三のなすべきことなのだ。
 面白そうに見返してくる中島に、にっと悪く笑んでみせ。
 歳三は、茶碗に残った冷めた茶を、ぐいと一息に飲み干した。


† † † † †


はい、鬼の話の続き。中島さん!!!



この辺になると、もうやることもなかったと思う(嵐の前の静けさ的なアレで)ので、中島さんとまったりお茶。
中島さんは、武蔵野楼のアレコレでも出てきますよー。ふふ。



前回何か書こうと思って忘れたーと思っていたのですが、いざ更新しようとしたら、また何書こうかすっぱり忘れていると云う罠。最近、短期記憶の減退甚だしいですな。あきまへん。
そう云や、職場の新しい男子(でも、他所で働いた後での転職組だから、結構そこそこお歳なのでは……)が、変わった苗字+スキンヘッドで、同じ苗字のお坊さんいたなーと……お坊さんの方はかなり年配なので、親子とか……? いやいや。まぁちょっとときめき。坊主頭なら何でもいいのか。そんなこともないはずだが……
そう云や、最近坊主バーにも行ってないね……たいばにに貢ぎ過ぎ(汗)。はは。



とりあえず、あとちょっとでオシマイ!
次はやっぱり、先生の話書かないとねー……
でもまぁまだ鬼の話なんで! 次も割とさくっと上げたいなー……