それはあまりにも孤独な音なので、誰も聞きそらすはずはない。

「人はそれを霧笛と呼び、それを耳にする者は皆、永遠というものの悲しみと、生きることの儚さを知るだろう。」
野田秀樹の戯曲「半神」に引用されている、レイ・ブラッドベリ「霧笛」*1のことばの凄さ。
稽古風景そのままみたいな冒頭と、シュラとマリアのシャム双生児が離れ離れになるクライマックスに演者全員で唱和されるその言葉は、文章を読むだけで、いやさ頭の中でそらんじて見るたびに、なんだか名状しがたい迫力と切なさを感じて鳥肌が立ってしまいます。
というわけで、いい加減原詩を読むことにしたのです。届くのが楽しみ。

*1:訳:たぶん大西 尹明

シャムの後ろにゃペルシャのマダムだ

きゃっ。廃盤だった「そのろく」が地球レコードから再発売ですって。
カニバルやだるまだまるなや二つの天気や月食仮面ですよ。猫をならべてよ〜、ですよ。
こいつぁ嬉しい。

花嫁はよそに売られたよ 金襴緞子で首絞めて

私がもんのすごく大好きな「満月小唄」の、「さるぼぼ」収録バージョンや、「ふたたび」バージョンを聞いたのです。
あの曲のいわくいいがたい魔力はなんなんでしょうか。歌詞やアレンジがいくら変わっても、その言葉ひとつひとつ、メロディラインそれぞれが実に、夢のように魅力的なんです。ですってば。
「忘れられない七月の月の夜」とか!
「あの娘の筋肉すてきだぜ 今日のセリでは高値を呼んだ 明日のことは知らないけれど」とか!*1
うーむ。すてきだぜ。竹中労さんが「たまの本」で、「活字は歌わず、ぼくはもどかしい。」と書かれていましたが本当にそんな感じ。ステキさを伝えきれないもどかしさでいっぱい。

最近は、「そのろく」を聞けたり、やなさんの「ONE TAKE OK!」が超かっこよかったり、滝本晃司さんのソロ一枚目「空の下」なんかもぎりぎり手に入ったりしてとてもうれしいです。必要なのはお金じゃなくて、やっぱり探してみることと色々なつながりなのだなあと。
わたしはしあわせものです。ありがたいのです。
しかし、全部同期してウキウキ気分でiPodを聞こうとしたらイヤホンジャックがぶっこわれていました。片っぽからしかおとがでないの。
ぎいー。「ワルツ覚えて」のやなさんのモジャモジャした似非フランス語が聞けないじゃない。ひるね版「かなしいずぼん」のGさんのコーラスがきけないわ。
iPodの操作性や機能や外観やもろもろはシンプルでわたくしとっても好きなのですが、どっかがちょっとでも壊れたら新しいの買わなきゃいけないレベルのもったいなさはどーにかなんないのだろうか。まあ、ポータブルプレイヤーなんてもともとそんなもんなのかなー。
元来あまり音楽を聴くタイプの人間ではなかったのでよくわかりません。
というわけで二年とちょっとの間ありがとうさようなら第五世代30GB、こんにちはクラシック新世代。となりそうです。やはり80GBにしておくかね。重いし。

……二年かー。どうなんだろうかー。

*1:さるぼぼ

いつかひとりでいっしょに水の上をあるこう

どうにも知久寿焼氏のうたは、ブラックわらべ唄というか、夕ぐれの色が恐ろしくきれいに見えた幼き頃の不安や楽しさをちくちく刺激するのですが、こと「たま bestselection」に収録されてる「あるぴの」はすんごいと思うのです。あんなにやさしくて、さびしい歌もなかなかないですよ。
どこまでいっても空と地面のあいだでぼくらはおなじところにいるよ。
「いっしょ」ってほんとうは距離も時間も、もしかしたら生死すらも関係ないことなのかもしれないねえ。
それって、すごくやさしいじゃないか。そして、すごくさびしいことでもあるじゃないか。