さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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このブログについて

このさわやかトラウマ日記は、個人にて非営利で運営をしているブログです!

2004年から、惰性感性が赴くままに続けてきてしまいました。。

自分は、普通の会社員です。特技趣味は音楽!を演奏することが本当なのですが、リスナーとして惰性感性のまま色々聴いていた結果が、このブログなんだと思います。

 

ブログの記事が多すぎて、カオスになってしまった気がしたので、初めてきた人、もっとまえむきさんのクソバカカオスを知りたいなという、け稀有な人にリンク集を設置しました!! 

 

それではよろしくお願いいたします。さわやかでまえむきなmaemukiより

 

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マウリツィオ・ポリーニ氏逝去 生涯最高の音楽体験となった彼のリサイタル記を残します

news.yahoo.co.jp

ピアニストとして現存では最後の大物に一人だと言えたポリーニがなくなった。

彼のリサイタルを観た時には、すでに老齢が感じられたので、覚悟はしていたけれども。しかしその時は2010年。まだ逆算してもそれほどの老齢でもなかったとも気付かされた。観た席がサントリーホールの最後列だったから、その姿を正しく見ることはできなかったのかもしれない。

しかし、このリサイタルは生涯の音楽体験の中でも最高ものだったと断言できる。かなり前の事ではあるけど、今でも体感は身体に染み込んでいると感じるほどだ。

 

ポリーニのコンサートのチケットを買ったのは、売っているのをネットのチケットサイトで見つけたから、という他には無い。それが最後の1席くらいだったというのは記憶している。値段も記憶している。A席で2万円だった。

当時は豊かというわけではなく、2万円というものは大きな出費であったのであろう。価格を覚えているのだから、覚悟がいったことは確かだ。

 

僕はピアニストに対して特に好みというものは無く、みんな凄くて素晴らしい。自分のような人間がCDを買って聴くような人は概してみんな素晴らしいという、単純な思考の持ち主である。

よってポリーニを特別視していたわけでもない。が、当然知っていた。

このショパンのプレリュードのCDを若い頃に買って聴いていた。他にあったような気はしたけど、この日もこの曲が演奏曲としてクレジットされていたのは、偶然だった。

 

ステージに登場したポリーニは小さく見えて、前述のように老いてみえてしまった。音はやはり素晴らしく、これが本物なんだという感慨はあったけど、それがつまらない感想だなと自分の中では正直あったのは覚えている。そして演奏にいくつか傷もあったけど自分はそれはあまり気にならないタイプだ。自分がそうだったからかも。。続くのはドビュッシーの練習曲第2集から。

これは後にポリーニが演奏するCDを買ってよく聴いたけど、この時のものをもう一度という気で買ったわけではなかった。

ドビュッシーの練習曲集はドビュッシーの作品の中でも最高傑作であり、最高難度の曲としてよく知られている。相当な達者で無いと弾けない曲であり、解釈も難しい。表題音楽(月の光とか)ではないので、聴き手には自由さはある。ポリーニは容易にこの難曲を弾きこなしており、かえってその精緻さがドビュッシーの求めるものなのであったのだろうと自分は推測した。

 

そして、この日のメインプログラムはピエール・ブーレーズ ピアノソナタ「第2番」だった。

この曲はポリーニが弾くテイクがストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」がメインであるCDに収められていて、事前に聴いたような、聴いていないような。

しかし、そんな事がどうでもよくなるくらいの演奏だった。

www.youtube.com

まず、この曲は所謂現代音楽であり、作曲家であり指揮者でもあるブーレーズの作品である。聴いたことがなくてもなんとなく想像がつくと思う。もし↑の動画を観ても、それ以外には感想ないと思う。よくわからない音楽だと。

実際、弾きはじめた時には、これが4楽章も続くのかと思ってしまった。

www.youtube.com

しかし、次第にこの散りばめられた点と線のような音列が、無為な物ではなく、流れとして存在をしているようなものだと感じ始めた。これらには必然があり、意味を成すものなのだと。

この音楽には一般的な和声や旋律が無く、そして形式はあっても、すぐに感じとれない。そして表題もない。タイトルは「ピアノソナタ第2番」という絶対音楽のものだけ。章が進むとダイナミクス、音の大小が大きくなるが、緊張感は続いたまま。次第に終盤に差し掛かると、自分の身体が浮くような感じもしたのをよく覚えている。

ポリーニはそれらを司る審判のようなピアニズムをそこにぶつけていた。理知的に。

 

4楽章になったあたりで、自分は確信をしていた。これが音楽そのものなのだと。前述のようなが音楽の三大要素のようなものは、ここには存在しないように聞こえた。だからこその表現なのだと。まだよくわからないけど、今までにしたことのない音楽体験を自分はしているのだと。それが良いものなのか悪いものなのかがわからずに、ただ畏れと厳かさを感じていた。次第に、その感情が尊いものでもあるとも気が付き始めていた。

曲はおおよそ30分弱、ひっそりと終わった。

会場はしばらく静寂に包まれていたと思う。仕方ないと思う。事前に準備されたような感動がここにはなかったからだ。

やがて、弱き拍手が聞こえたと思ったら、その波は次第に大きくなっていた。そして歓声も。やがて会場全員が立ち上がった。スタンディング・オベーション。皆がこの演奏を理解していて、素直に素晴らしいものだったと認めていたんだと気がついた。

そして自分も立ち上がって、拍手をした。普段はあまりしなかったけれども、この時にはそうしたかった。

そこに至るまでの特殊な時間の長さも含めて、素晴らしい体験になったと思う。

 

この日の演奏にポリーニが手応えがあったのか、アンコールが計4回もあった。

その中にはドビュッシー前奏曲集から「西風の見たもの」があって感激した。感激した理由は、自分がこの曲を過去に試験で弾いたことがあったからだ。

 

さらに4回め、最後のアンコールに登場をして、何を弾くんだろうと思ったら

弾きだしが「C」の低音のオクターブの長音符だった。その途端、会場から少し声が上がったのを覚えている。それだけで何の曲かわかった人が他にもいるんだと。

その曲はショパンのバラード第1番。この曲はおおよそ7分半くらいある曲であり、アンコールの曲として演奏される事は少ない曲だろう。ましてやベテランのポリーニが4回目のアンコールに弾くだなんて。観客のことも考えていてくれたのだと感じた。

 

後日、ポリーニの弾くブーレーズピアノソナタ第2番のCDを聴いてみたが、あの日の感動が蘇ることはなかった。やはりコンサートで彼の演奏で聴いたこと、それが大きいのだろう。音というものは空気の振動である、よって、その場でしか得られないものがあるのだと気付かされた。特にクラシック音楽は生音、アンプを使わないものが基本である。出した音をそのまま聴くことになるという事もある。

 

音源というものは音源というもので良いとは思うけれども、生演奏でしか得られないものもある、そしてそれは限られたもの。以降もお金がなくてもクラシックのコンサートに行くようになったのは、この日の影響も大きいと思う。

 

しかし、ポリーニはもう亡くなってしまった。あの日の感動を彼から得られることは無いのだろう、それはもし生きていてもそうだったのかもしれない。音楽というものは儚く素晴らしいもの、それは人間の命と等しいものだということにも、気付かされました。

さようならマウリツィオ・ポリーニさん。ありがとうございました。

三社連続!

あまりプライベートバシーのことは書かないようにしたいけど

よく考えたら自分は無名無資産飼い猫なしの価値の無い転職の多いおじさん人間でした。

なので気にせず書く!

 

自分は転職が多いけど、それを象徴するようなエピソードがあった。

 

実は去年に転職をした会社が入社後にオフィス移転して、

その移転先が前と前の会社とあるところと同じエリアになった。

前と前はほとんど隣のビル。

 

今度は向かい合わせにはなるけど、同じエリア。

前前前社!

すみません。

 

でもすごい偶然だと思う。

前会社は途中で移転して、別のところに。

前前会社の時から、ここはいいところだな、また働きたいなと思っていたら、偶然にもそうなりました。

そして前の会社の移転が決まったときに、悲しいなと。

移転先が良くない感じのところで、、前の方がよかったなと思う日々だった。

 

そしたら、現会社がまた。

実は面接の時に移転しますよと言っていたけど。入社後だんだん情報が入ってきて。

そしたらまた、、

早速ネタにしてみたり。自分3社連続でこのエリアなんですよと。

 

うーんしかし、今は在宅勤務のため、あまり行けていません。呼び出しがあれば行くけど、あまり無く。。

あと、前の会社のときから時間が経ち、いろいろ変わっているところ、コロナ禍を経て、無くなってしまった店もあった。

正直、前ほど良くないと感じてしまった。

それでもやはり懐かしさはあるし、特別な思いはある。

 

前前の会社と前の会社の間に、僕は山魔奥に都落ちをしていた。

漆黒の山魔の中で、ああ、あんな都会で働いていたのに、、こんなくそ山魔に。ちくしょーと思っていたのです。

それが、、またそんな都会で働けた。感動するでしょう??

 

まあ、転職が多いとこんな事もありますよという、

都会のOLっぽい日常を綴ってみました!!!!終わり!!

 

花粉症ハラスメント

花粉症はとてもつらい

ものらしい。

ということで、自分は花粉症ではないのです。

毎年覚悟はしている。

今年こそ、花粉症になるのだろうと。

そうに違いない。

みんななっているのだから自分もって。

協調性

大事だなって。

そうなればいいのに。

 

まったくなりません。

いや、鼻水は出たりします。

寒暖差アレルギーだからです。

でも

花粉症の人みたいなのとは違うのではないのかなと。

 

花粉症じゃないからわからないのです。

 

春の空気は素晴らしい。

思いっきり空気を吸い込む。

口から。

もちろん

鼻からも。

わかっています。

これは花粉症ハラスメントなんだと。

しかし

花粉症つらいアピール

 

これも花粉症ハラスメントなのだと

言わせてください

 

ごめんなさい。

弱り目に祟り目

これになってしまいますよね

しかし

言論の自由

認められているはずです。

主張の自由もあるはず。

 

なのでアピールしたいのです。

自分は花粉症ではありません!

悪いか!!

ごめんなさい。

 

生放送のバラエティが少なくなった理由

オレはテレビの生放送番組が好き。朝昼は生放送ばかりだけど、

内容はどれも同じでつまらない。ヒルナンデスは川越特集ばかりでちょっと。。

それ以外のニュースはまあまあ見るけど

バラエティの生放送の選択肢は、今やMXテレビ5時に夢中!バラいろダンディだけになってしまった。

 

昔はもっとあったのに。金曜深夜のテレ朝「虎ノ門」が好きだった。

井筒和幸監督の「こちトラ自腹じゃ!」というコーナーが特に面白かった。

監督が自分で金を払って映画を見て、番組で感想を言うというコーナー。

生放送だし井筒監督のあのキャラクターなのでハラハラしたり。

今だったら毎週炎上するのだろう。炎上観察は面白いので、またやってほしいな。

 

監督がどの映画をどう言ったのかは覚えていないけど。

覚えているのはデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」のときに、尊敬する漫画家である蛭子能収さんが言っていた、この映画の感想は

「監督は撮ってるうちにワケわかんなくなっちゃったんじゃないかな〜」というものだった。これは正しい批評だと思う。蛭子さんは

「オレさ〜デヴィット・リンチのイレイザーヘッドが公開した時に映画館で観たんだよね〜」なんて誇らしげに話していた真のサブカル人間。

なので、この批評も正しい信頼できるものだと思う。実際その通りの映画なのだから。

 

ああ、サブカル

今のテレビでサブカルが感じるものなんて、少なくなってしまったチクショウ

 

バラいろダンディの金曜日はサブカル色が強く、週替り交代で玉袋筋太郎とライムスター宇多丸が出ている時はサブカル度が濃くて楽しい。

この前は真のサブカルミュージシャン、ピエール瀧がゲストだった。

ピエール瀧小室哲哉とKEIKOの披露宴に面識が無いのに呼ばれて、同じテーブルに何故かマーク・パンサー小錦がいて、後になってYOSHIKIが来たという話しが面白かった。

ちなみにYOSHIKIは瀧を見て「あっ瀧さん!」なんて反応したらしい。さすが静岡出身!

バラいろダンディの先月と今月のマンスリーMC山田邦子もさすがだと思う。

あまりにもメジャーすぎる、だった人はサブカルに値するというのが自分の考え。

なにもない人にはなにもない。なにもなかった人にはなにもない。

色々な体験、知識と経験がある人こそがおもしろい、単に空気が読めるだけではダメだ。

バラいろダンディのMCのふかわりょうも素晴らしい。メタバースが話題になっていた時にセカンドライフの失敗を懸念点として話していた。さすが慶應義塾大学経済学部を卒業した人だなって。やはり学びが深みになったのだなと。

 

やはり生放送のバラエティが少なくなったのは、いろいろな知識を話題に添えて話せるような人が少なくなった、それを回せるような人もいなくなったからでしょう。

でも、自分もそろそろテレビ卒業しなくてはいけない。。そう思います><

ホテルでテレビ観てダラダラしてえな