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で最近つぶやき始めました。
割りとつぶやくということの意味性を見出せずにこれまではrom専門でしたが文章や映画や人々が紡ぎ出す気になった言葉を羅列するには確かに丁度良いかと思ってリハビリに。コンテクストからは切り離されて浮かび上がる言葉たちは本来の言葉とはまた違ったものととして認識されたりします。それをどう捉えるかは人それぞれ。

なんて格好がいいことを言ってただの備忘録なんですけれども。

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@mafumin

神々の生きる島

ちょうどテレビジョンを観ていると「浅見光彦シリーズ」がやっており、今回のそれは、沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)での殺人事件を題材にしている。知念村のユタ(霊媒師)役を知念里奈がやっていることは興味深い。別段それ自体はどうでもよいのだが、しかし斎場御嶽から観る久高島は美しい。

斎場御嶽沖縄県旧知念村に現存する御嶽である。御嶽(うたき、うがん)は祈りの場であり、森や岩場に囲まれた場所に香炉だけが置かれ、奥はイビとして神が降りるサンクチュアリになっている。本来は男子禁制で、そこにあるものは神の所有物として何人も神の許可がなければ動かすことが許されない。そして斎場は「最高の」を意味する言葉で、つまり、斎場御嶽は、数ある御嶽の中でも、最高の御嶽であるということを意味する。

琉球王国の宗教的なファンクションの中で、何故その御嶽だけが斎場御嶽として確立されてきたのか。それには強く琉球王国に人々が信仰する太陽が関わってくる。ぎらぎらとした太陽が毎日のように照りつける琉球の地では、太陽に対して特別の思い入れがある。例えば、王家の人間以外は太陽のシンボリックな表象である黄色の服を着ることは許されなかったし、太陽の昇り沈みを「アガリ」「イリ」と捉え、太陽を世界の中心として考えていた。

ここで考えなければならないのが、斎場御嶽から拝することが出来る久高島、という小さく、平らな、島である。斎場御嶽からはしっかりとした形で、久高島が見てとれる。これは斎場御嶽がむしろ久高島を遥拝するために存在していること印象づけている。つまり、この久高島こそが聖地として扱われており、その聖地を間接的に遥拝するための御嶽なのである。そして、この久高島は琉球王国では最も東に位置する、太陽が何処よりも早く昇る場所である。他にも創世神話の中で、島建ての神アマミキヨが初めて来臨し、五穀の種を持ち込んだ場所としても知られる。

そこで行われていたのが、「イザイホー」、という祭りである。

イザイホーは十二年に一度の午年に行われる祭りだ。その年に30歳から41歳になる女性が祖先の霊の集合体である祖母霊(ウプティシジ)を継承して霊験を得、神人(カミンチュ)になる儀式である。子育ての最も忙しい時期を終えた女性が、その後、神の所有物として生きていくことを象徴する。そして、久高島の神人は、宗教上の、大きな役割を果たすことになる。

その一つが、神人の最高位である聞得大君(きこえのおおきみ)の就任式の立ち会いである。琉球王国では、国王(男)は政治的機能しか与えられていなかった。姉妹(うなり)信仰から来るもので、逆に、聞得大君は象徴的な宗教的機能を持っていた。事実、聞得大君の就任式は大々的に行われるのに対して、国王の就任式は(少なくとも表面上は)存在していなかったのである。イザイホーは、その女性たちが、いかにして神になるのか、そのプロセスを表象している祭り事なのである。(詳しいイザイホーの構造については、比嘉康雄谷川健一『神々の島 沖縄久高島のまつり』 平凡社(1979)などに)

崖の下の井戸、イガイガーで沐浴をを行ったのち、祖母の香炉を自らの炉に移し、霊力を継承する映像を目の当たりにしたとき、永く険しい儀式の間に顕れる、イザイホーが作り上げる人智を超えた「何か」に出会う瞬間に出会った気がした。世界は人間には計り知れないもので構成されており、人々はそれを崇める。近代化された日本はそれらを、遥か後方へと置いてきぼりにしてきてしまった。

そのイザイホーも1978年を最後に行われていない。信仰の欠如や、人材がいないことが上げられているが、多くの場所でも祭り事を行うことが困難な状況となっている。

祭り事(信仰)、政(まつりごと)、は本来、表裏一体となっていた。しかしながら、近代の政治構造は信仰と政治は分離され、そしてその中で信仰は抑圧され、現在に至っている。その近代の歪みは、祭り事を行う島の社会でも、また現実の国会でも表れている、そう言っても構わないだろう。

ちなみに、

私が住んでいる新御徒町という駅の真横にある以前は見世物小屋などで賑わい東京でも屈指の有名商店街であった「佐竹商店街」の喫煙所で煙草を吸っていると若いカップルが「なにこの寂れた商店街(笑)うけるー♪(笑)」と笑い合っていた。これは地域振興を目指す商店街にとっては酷なことかもしれないけれども、やっぱり地元の商店街ってこうでなくちゃね、と思ったりする。だからこそ、昔ながらの反骨精神が生きるのだ。

商店街

今日、たまたま渋谷区の調査をしていて域内の商店街をチェックしていた。渋谷区には大小数十もの商店街が存在している。商店街とは不思議なものだ、寂れてゆく運命にも関わらず、区の発行するガイドではかなりクローズアップされており、大きく扱われていた。すると、何やらそわそわする感覚に襲われよくよく観てみると、見慣れない名前だったり、また見慣れ過ぎている名前を発見した。そのいくつかを紹介しよう。


まず、「スペイン通り商店街」。

そう、その名の通り、かの有名な渋谷スペイン坂のことである。



(スペイン坂参考画像)

パルコやその下のレディオスタディオ、そしてシネマライズなど、最先端、それでいて少しサブカルな印象を与えるオシャレ過ぎて私なんて近寄れないあのスペイン坂である。それが実は「商店街」であったという衝撃。近頃「商店街復興計画!」なるプログラムなどをテレビジョンで見かけるが、この商店街はまず寂れてすらおらず、毎日のように賑わっている。各地の寂れた商店街も、スペイン坂を見習えばよい、ということだ。


また、同じ様な理由で「マークシティ商店街」も異質だろう。



マークシティ参考画像)

これもかなり謎である。

マークシティといえば渋谷駅、特に井の頭線と接続する駅ビルであり、百軒店付近の入り口前では通るたびにランク王国の取材が行われているし、ウィキペディアによれば「二十代女子OLをターゲットにしている」とのことなので、ちょっとハイソで夢と希望が詰まったレストランとショップが溢れている素敵な空間だ。さらに、上の階はオフィスになっており、多くの会社が犇めき、爆発するOLたちの、O(オフィス)L(ラブ)!

そんなマークシティが商店街なんて信じられない。


極めつけは

「笹塚ショッピングモール21(トウェンティワン)商店街」

である。

これに至っては、ショッピングモールが先に出ているにも関わらず、最後に「商店街」を取ってつけたような感慨すら抱かせる横暴さである。まるで「頭痛が痛い」のレベルであり、普通であればまず「トウェンティワン」というネーミングセンスのなさに目が向くところであるが、もうそんなことを忘れさせてくれる「笹塚ショッピングモール(トウェンティワン)商店街」。私は、そんな、行政の補助金目当てに商店街として登録する彼らを応援したいと思う。

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http://www.ustream.tv/channel/dommune#utm_campaign=japan.failedrobot.com&utm_source=3166181&utm_medium=social

久しぶりに大友良英とレイハラカミのライブを観たのでなんとなく。このメンバーでこのライブは、想像も出来なかったような。とりあえず、DOMMUNE FUKUSHIMA、開局おめでとうございます。相変わらず七尾旅人はライブではなく、CDでもいいと思ってしまう。

花火

今日は天気が良くて気温も25度まで上がる夏日だという。冬も終わって、はや夏が近づいている。今年は昨年ほどは猛暑にならないだろう、というニュースが連日テレビジョンでは流されているのだけれども、五月に夏を意識させれると、また厳しい暑さをどうしても想像してしまう。

ところで、夏の代名詞ともいえる花火が今年はいくつも中止を迫られている。もちろん、先日の地震に対する自粛だ。江戸川花火や湾岸花火は既に中止が決定し、都内の大きな花火も、あとは隅田川くらいだろうか。今年は夜空に散る、光の群れを追うことも少なくなる。哀しいものだ。

いったい誰がこの決定を下したのか、それは私には定かではない。イシハラ都知事が花見を自粛するような圧力をかけたことは有名であるが、それが花火の運営にまで力を及ぼしたのかもしれないし、或いは本当に単なる悲哀の表現としてのこの決定だったのかもしれない。どちらにせよ、花火を運営する人間が、いかに花火というものを知らないかを露呈する結果となってしまった。

元々、花火が夏の代名詞になったのには理由がある。それは海開き、そして川開きの日に合わせているからである。海や、川を、人々が泳げるように開放する季節、それに合わせて花火は上げられる。だからこそ、隅田川や江戸川、荒川など、河川敷で花火を打ち上げる。花火は、その日までの一年間に亡くなった水没者を弔い、これからの一年間、泳ぐ人々が彼岸に持っていかれないように捧げられる、祈りの光であり、音であり、表現なのである。この世に残ろうとする、水没者たちの魂を、導き、照らす、唯一の道標なのだ。

それを考えれば、いかに今回の決定が阿呆らしいかが判るというものだ。震災によって多くの人々が亡くなり、その亡骸の埋葬すらもままならない中、我々がしなくてはならないのは、その弔いだ。江戸の先人たちが行ってきた、その偉大なる信仰と文化の結晶を、深く考えもせずに取りやめるという浅はかさ。あまりの馬鹿さ加減に呆れてものもいえない。

我々が本当にしなければならないのは、東北まで届くようなドデカイ花火を打ち上げて、彼らを気持ちよくあの世へと送り出すことではないだろうか。

2

上野の寿司ざんまいにはキャッチがいて「おいしぃよーおいしぃよー!おいしぃお寿司だよぉー!」って毎晩毎晩叫んでいるのだけれども、最近このキャッチに変化が訪れていて、頭だけパンダの着ぐるみを着ている。勿論、上野動物園のパンダを意識しているのは間違いないのであるが、更に不可思議なことに、彼らはカゴを各々持っていて、その中には十匹程のパンダのぬいぐるみが入っているのである。値札には「500円」。

何か、間違いが、起きている気がする。