インド編(その4 聖地ハルドワール2日目)

その1はこちら→ id:makiflat:20100922
その2はこちら→ id:makiflat:20100923
その3はこちら→ id:makiflat:20101004

  • 9月10日

この日は早起きしてガートの沐浴を見に行こうと、5時に目覚ましをセット。しかし2人とも起きられず、結局7時過ぎに宿を出た。途中、路上の屋台で朝ごはん。
このお兄さんが作る朝ごはんは絶品だった↓

そして、ガートに到着すると、やはり昨日の午後よりも沐浴している人が多く、賑わっていた。

写真を撮っていると、私たちの周りに人だかりが。最初は、「写真とって〜!」という子供たちだったのが、次第に大人も集まり始め、「僕のカメラで君の写真を撮らせてくれ」だの「僕と一緒に写ってくれ」だの、何故か撮影順番待ちの大騒ぎ。聖地ハルドワールで何故日本人と写真を撮りたがる??本当に謎だ!
ようやく撮影から解放されたと思うと、日本人の男の子が話しかけてきた。「いやー、たかられているのかと思ったら・・・。何でこんなに人気者なんですか?有名人じゃないですよね?僕たちなんてガンジス河で泳いだのに誰も話しかけて来ないですよ!」と。いやあ、何でこんなに大人気なのか、私たちにもさっぱり分かりません。
男の子2人組は大学3年生で、マナーリからバスで着いたばかりだそう。一緒にご飯を食べに行ったら、「日本で女性におごるよりもかなり安上がりですから」とか言いながらおごってくれた。バラナシで沐浴するつもりでインドに来たが、バラナシは観光客ばかりとの話をデリーで聞き、マナーリとハルドワールに行くことにしたそうだ。確かにハルドワールには観光客が少なく、「家族旅行で来たんだな」というインド人ファミリーばかりで、とてもほっこりとした雰囲気だった。1日で歩きまわれてしまう小さな町だけれども、私はすっかり気に入ったのだった。
以下、ガートの人々↓
 
 

電車が出発するまでの間、駅の近くの食堂で時間をつぶすことにした私たち。飲み物だけで2時間ねばろうと、トランプまでし始める私たちを、最初はチラッチラッっと興味深々に見ていた店員さんたちも、私たちがカメラを持っていることが分かると話しかけてきて、「ちょっと僕たちを1枚撮ってよ」と。

「ほらー、めっちゃハンサムに撮れたよ」と画面を見せてあげると、他の店員さんたちも集まってきて、「俺も俺も」と次々リクエスト。(この店には一体何人店員がいるんだ!)
 
終いには、「このサモサも一緒に写してよ」というリクエストまで↓

撮った写真を見せると皆、照れながらも嬉しそうに笑う。インドの人のこういう所が大好きだ。


さて、店員さんたちにサヨナラを言って、ハルドワールにもサヨナラを言って、また7時間の電車の旅の始まりだ。行きみたいにぎゅうぎゅう詰めだったら嫌だねえと言っていたが、今回は大丈夫だった。
スリーパークラスの席に着いたとたん、隣のボックスのおじさんが話しかけてきて、日本人だと言うととても喜んで、「まあアイスでも食べなよ」とアイスを買ってくれた。そのボックス席には仲の良い夫婦も乗ってきて、彼らも始終笑顔でとても親しく接してくれた。そのうち、隣の車両からおばちゃん2人がやってきて、私の両頬を手で包んで顔をじっと見ながら「あらまあ、あなたどこから来たの〜!」とか言いながら、そのおばちゃん達もボックス席に居座って、段々と私たちの座席の周りが盛り上がってきた。
右手前がアイスのおじさん、ピンクと緑のサリーの2人が隣車両から来たおばさん、左手前から2番目が夫婦の旦那さん↓

アイスのおじさんの翻訳のお陰で話も盛り上がり、隣車両のおばさんたちは「私はあなた達のインドの母よ、あなたは娘よ」と言って、「膝に座りなさい」と、膝をポンと叩くので、何故か膝の上に座って写真撮影(笑)↓
 
インド人夫婦のお母さんが手に書いていたヘナタトゥーをnaokoがいいねと言うと、「あら、あなたもやる?」と言って、何とヘナを持ってきた。「手のひらに書くのは仕事があるから無理だから腕がいいな」と言うと、「私は手のひらのデザインしか出来ないのよ」。そして「ちょっとあなた腕に書ける?」と、隣に座っていた若い女の子に頼んでいる!その子は腕にも書けるということで、何と車内でヘナタイムが始まったのだった。

隣車両のおばさんたちが隣車両からお菓子を持ってきてくれたり、夕食時には夫婦のお母さんが食事を分けてくれたり、「ありがとう」の連続だった。出会ったばかりの外国人にこんなに優しくしてくれるとは、インドの方々はなんと暖かいんだろう。
そうこうするうちにあっという間にニューデリー駅に到着、電車で出会った皆さんと抱き合ってお別れした。
ハルドワールへの旅は、優しいインドの人たちに大勢出会えて、笑顔の絶えない素敵な2日間だった。

さて次回は何と、超ゴージャスな旅inジャイプールです!

インド編(その3 聖地ハルドワール)

makiflat2010-10-04

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  • 9月8日

早朝アムリトサルを出発した列車は、ほぼ定刻通りにニューデリー駅に到着。メインバザールのSam's Cafeで、日本から来たnaokoと待ち合わせる予定だったので、駅から急いで向かう。そして、まるで東京のカフェで待ち合わせていたみたいに無事あっさり合流!「明日から何処へ行こうか?」という話合いの結果、ヒンズー教の聖地ハルドワール(ハリドワールとも呼ぶ)に決定し、さっそくニューデリー駅のチケットオフィスに行った。
行きは豪華にファーストクラス車両(と言っても1,000円くらいなものだが)にして、帰りはスリーパークラス(庶民席)にしようと決めて予約を進めていたところ、担当のおじさんが横のおじさんとお喋りを始める。10分位経った所で再び画面に向かうと、「オー、座席無くなったよ」と…。結局ファーストクラスは売り切れてしまったのだが、安い席ならまだ有るとの事で、往復ともスリーパークラスとなった。ま、結果的に楽しい列車の旅となったから良いのだが。

  • 9月9日

早朝、オールドデリー駅までオートリキシャで向かい、無事ハルドワール行きの列車にたどり着いた。しかし、チケットに座席番号が記載されておらずあたふたする私たち…。それを見た、家族を連れたお父さんが、私たちのチケットを手に列車の外に出て色々と聞きまわってくれ、「君たちの席は○号車の△△番だよ」と、座席まで連れて行ってくれた。インドの方々は本当に優しい。お父さんありがとう!
そして無事○号車の△△番にたどり着いたものの、何故か既に先客が。「ここ私たちの席なんですけどー」と言うも、ちょっと詰めて「ここに座れよ」と指さすだけでどこうとしない。同じボックス席で英語が喋れるお兄さん曰く、「彼らは無賃乗車だけど座席を占領してるんだよ。仕方ない、これがインドだよ(This is India)」と。
スリーパークラスの車内はカオスで、6人用のボックス席に何故か10人も座っていたし、チケットチェックは適当だった。でも、それもインドっぽくて楽しくて、お喋りなお兄さんと話しているうちにあっという間に8時間が経ち、ハルドワールに着いたのだった。
車内の様子↓

ハルドワールではまず宿探し。何軒か部屋を見せてもらい、結局、ホットシャワー無しだけれども小奇麗な感じの宿に決定(2人でRs350≒700円)。荷物を置いて早速町へ出た。
この町には、丘の上にヒンズー教寺院があり、ロープウェイで行くことが出来る。お供え物セットを入手して早速ロープウェイで丘の上へ登ると、眼下に見えたのはガンジス河!天気も良くて、最高の眺めだった。

ヒンズー寺院をお参りして、町へ下りて、次に向かうはハリキ・パイ・リーというガート(沐浴場)だ。このガートは、有名な聖地バラナシに比べるとこじんまりしていて綺麗で、そして観光客が殆ど居なかった。足だけガンガに浸してみようと降りて行ったら、「私たちと一緒に入りなさいよー!」と女性陣(下の2枚目の写真)に腕を引っ張られ川に入れられそうになるも、着替えもなかったので「無理ですー!」とお断り(笑)。でも気持ち良さそうだし楽しそうだったなあ。
 
ガートの階段に座ってぼうっと人々を眺めたり、話しかけてくるインド人と喋ったりしているうちに時間は過ぎ、日暮れ時には空に綺麗な虹がかかったのだった。この町のインド人たちは皆優しく、ガンガにかかる虹は神秘的で、すっかり幸せな気分に浸っていると、ガートに人がどんどん増えてきて、やがてプージャ(祈りの儀式)が始まった。祈りの音楽が流れ、火が焚かれ、人々はロウソクを灯した小さな船を川に流していく。それは、ヒンズー教徒ではない私にとっても、とても神聖な気持ちになる時間だ。プージャの後、人々の流れに沿ってバザールを抜け、宿まで歩いて帰った。
ガンガにかかる虹↓

プージャの様子↓

バザールを歩いていたらついて来た子供たち↓ 手を出してきたので「お金はあげないよ、無理なのよ〜、ごめんね」と言っても着いてきて、「Muri nano〜!?」と私たちの口調を真似しながら楽しそうにはしゃいでいる。明るい子供たちだったのでこっちも明るく「そう、Muri nano〜!」とか言いながらわいわいバザールを歩いていたのだけど、スイーツ屋さんの前で子どもたちが立ち止まって、物欲しそうな顔。「カナ、カナ(後でインドの友達に聞いたところ、Khanaはヒンディー語で「食べる」の意味だそう)」と言っている。食べ物なら、ということでヨーグルトみたいなスイーツ買ってあげると、うれしそうにありがとうと言って、去って行った。親が居るのか、家があるのか、物乞いで暮らしているのか、分からないけれども、今日もハルドワールでたくましく明るく生きていることを願う。

インド編(その2 アムリトサル)

その1はこちら→ id:makiflat:20100922

  • 9月7日

朝起きて街に出て、まずは宿探し。前日は駅近くの安宿に泊まっていたが、黄金寺院から徒歩3分の小綺麗な部屋に移動した。荷物を置いて向かったのは黄金寺院!スィク教の総本山だ。私がアムリトサルに来たのは、この寺院を訪ねたかったからである。
黄金寺院は無料だし他宗教の人も中に入れるけれども、2つのルールがある。まずは履物を持ち込まないこと、2つ目は頭を必ず覆い隠すこと。ということで履物を預けて、足を水で洗って、頭にスカーフを巻いて、いざ中へ。
中は、想像よりもずっと広く、綺麗で、思わず息をのんだ。巨大なプールの中に金色に輝く寺院が浮かび、祈りの音楽が絶えず流れている。人々はプールで沐浴したり床で佇んだり。私も人々の流れに合わせてゆっくり、プールの周りを歩き、寺院も参った。床の白大理石が素足に気持ち良く、水が張り巡らされているせいか涼しい風が吹き、町の喧騒から離れてとても癒された。


黄金寺院の次に向かったのが、ジャリヤーンワーラー庭園。アムリトサルの大虐殺の現場となった所だ。インド独立運動中に虐殺の現場となったこの場所は、現在は大きな慰霊碑が立つ公園となっている。

庭園を出た所で、「今夜ワガボーダーに行かないか?」と話しかけられる。ワガという印パの国境では毎日国旗を降ろす儀式に合わせてイベントが行われており、乗合バンの客引きをしていたのだ。Rs80(160円)とのことで、安いので即決。
夕方、待ち合わせ場所に行ってみると、同じ車のメンバーはインド人家族4人+私の、計5人だった。この家族が、英語は殆ど喋れないけれどもとても良い人たちで、車内で果物やサモサを分けてくれたり何とか英語で話そうとしてくれたり、途中で寄ったヒンズー寺院では一緒に連れて行ってくれてお祈りの仕方を教えてくれたり。お陰で道中もとても楽しかった。
そしてワガボーダーに到着。外国人は本当はVIP席に行けるらしいのだが、せっかくなのでインド人家族と一緒にインド人席へ(男女のシートが分かれているので、女性専用席へ)。このイベントは予想を上回る盛り上がりで驚いた…。儀式開始前は大音量で音楽が流れる中、踊る女の子たち。儀式が始まると皆で声を合わせて叫んだりして、女性専用席でも凄い熱気だった。

インドとパキスタンの国旗が同時に降ろされる(ご覧の通り、向こう側(パキスタン側)の観覧席はガラ空き。)↓
 

ワガからの帰り道、同じ車の一家がお買い物をしたいというので、私も一緒に布地屋さんに行く事に。ローカルなお店で値段も安心なので、私も便乗してストールを1枚買った。写真は、熱心にパンジャビドレスの布を選ぶ娘さん↓

アムリトサルに戻った後、夜の黄金寺院を見に行った。目の前に現れたのは、思わず声が出てしまった程美しい姿。

座ってぼうっと眺めていると、若者4人組(女の子3人、男の子1人)が流暢な英語で話しかけてきた。巡礼の為にアムリトサルに来ている大学生だそうで、外国人が珍しいのか私に質問攻め!
男の子は所謂"本物の"スィク教徒だそうで、スィク教について色々と教えてくれた。本物の証は5つ。1.生まれた時から髪を伸ばしていてターバンを巻いていること 2.短刀を携帯していること 3.長いパンツ(下着)を穿いていること 4.バングルをはめていること 5.櫛を携帯していること。「本当は人前で抜いてはいけないんだ」と言いつつ、刀も見せてくれた。
「そういえば無料で食事が提供されるの知ってる?」と聞かれ、知らないというと、「行くべきよ!それじゃあ今から行こう」ということになり、寺院の脇にある食事提供所へ。ダルとチャパティを無料で頂けて、しかも美味しかった!

彼らと過ごすうちにあっという間に23時をまわってしまい、翌日早いため宿に戻った。

以下はアムリトサルで出会った人々↓
昼間に黄金寺院で話しかけてくれた、お父さんと娘たち

ガボーダーで同じ乗合バンだった家族の女性陣(3世代)

夜に黄金寺院で出会った大学生たち

他にも大勢の人から声を掛けられたし、写真を1枚撮らせてくれと頼まれたり一緒に撮って欲しいと頼まれたり、アムリトサルの皆さんは本当にフレンドリーだった。
アムリトサルで楽しい時間はあっという間に過ぎ、翌日早朝、デリーへ向かった。

インド編(その1 デリーからアムリトサルへ)

久々に暇な生活を送っているので、旅行記でも書いてみることにした。今回のインド・ネパールでは1人だったり2人だったり5人だったり、合流したり離れたり、なかなか面白かった。現地に住む友達やその家族はもちろん、列車や街の中で出会った人々も本当に暖かくて楽しくて、幸せな旅が出来た。特にネパールは今回短かったのでまた行きたい!

インド編その1はデリーからアムリトサル到着まで。実は出発前日(9月4日)に修士論文を印刷してFedExでイギリスに送る予定だったのに、ちょっとしたトラブルでプルーフリーディング(プロによる誤字・文法のチェックサービス)が4日に返って来ず大ピンチ。結局プルーフリーダーと連絡が取れて、そして私の代わりに印刷と発送をしてくれたsamのお陰で何とかなったものの、本当に危なかった。。ありがとう。
ということで、色々あったものの予定通り9月5日にデリーに出発!

  • 9月5日

夕方デリーに到着し、半日前に着いていたN君(イギリス大学院同級生の日本人、イギリスから参加)とNちゃん(N君の彼女、日本から参加)にメインバザールで無事合流。カレーを食べながら今後の旅程について話し合う。彼らはインド初なのでバラナシやアグラに行きたいというのと、私は8日になおこ(私の友達、日本から参加)と合流する為デリーに戻る予定なので、前半は別行動の計画。11日にジャイプールで再会する事と、ネパールの旅程を決め、別れた。ちなみに彼らはデリー到着早々、オートリキシャで変な旅行会社に連れていかれて高いツアーを組まされて支払ってしまったそうだ。やはりインド、色々起こります。。(翌日、交渉して半額を取り戻したそうです。)

  • 9月6日

アムリトサルに行きたいと思っていたので、朝イチでニューデリー駅のチケットオフィスへ向かった。噂通り相当怪しい所にあり、一瞬本当に事務所かどうか疑ったが、どうやら大丈夫だったらしい。「11時半の列車に乗りたい」と言った所、「予約は4時間前で終了だよ」と言われ、仕方なく午後の列車を予約。
時間が空いたので仕方なくメインバザールをうろうろしていたら、「日本人ですか?」と話しかけられた。声を掛けてきたのは昨日着いたばかり、インド初という日本人の若い男の子。あまりに心細そうだったのと、私も暇だったので、ぶらぶらして一緒に朝ごはんを食べることにした。彼は半年間インドに居る予定で来たらしいのだけれども、1日で嫌になってしまい(笑)、すっかり落ち込んでいたけれども、私なりのアドバイスで「お陰でインドが少し楽しくなってきました」と、何とか元気になった模様。私は彼の宿探しを手伝い、彼は私を列車のホームまで送ってくれた(が、見送りだけなのにびびりまくっていた…)。今後半年間、元気に過ごせますように。
アムリトサル行きはお高めの(といってもRs400程度の)AC付きチェアカー!快適で良かったけれども、AC効きすぎて極寒。そして遅延により、8時間の所が10時間かかり、アムリトサルに着いたのは23時過ぎになってしまった。遅かったので、サイクルリキシャのおじさんの勧めるゲストハウスにそのまま連れて行ってもらった。ここはお湯ももちろん出ないし少し小汚かったけれども、まあ雰囲気悪くないし安いし寝るだけだからいいやと思って、そのまま就寝。
写真は朝のメインバザール(ニューデリー駅前)。例の若者に撮ってもらった↓

モロッコ

修士課程の全授業が終わって、ひいひい言いながらレポートを2本出し終わった後、修士論文を始める前にリフレッシュの為にモロッコに行ってきた。
ヨーロッパは格安チケットが多く、どこへ行くにも安い。モロッコにもEasyjetという格安飛行機が飛んでいるので、往復でたったの1万5千円程度だった。
しかしこんなに簡単に行けて近いのに、全くの別世界!以前から行きたい国ではあったけれども、行ってみて大好きになった。今回は8日間だけだったけれども、またいつかゆっくり行ってみるのもいいなと思った。
この旅一番の思い出は、サハラ砂漠のキャンプで満天の星を見ながら外で寝たこと。天の川や、たくさんの流れ星が見れた。今回は友達と行ったけれど(それも楽しかったけれど)、是非カップルで行くべし!




残りの写真はこちらから⇒
マラケシュ編:http://picasaweb.google.co.jp/nk.maki/201007MoroccoMarrakech
サハラ砂漠編:http://picasaweb.google.co.jp/nk.maki/201007MoroccoExcursionToTheSaharaDesert

3月に突入

なんと、2月に1度もブログ書いていなかった!1月〜2月は勉学に勤しもうと思って、あまり外に出ずに殆ど家と学校の往復生活。でも実際にはさほど勉強もはかどらず…。気づけば今学期も残すところあと2週間だ。
今学期は選択した授業がとても難しく(計量経済分析とか…)、悶々としているうちにどんどん時間が過ぎて行った。次の休暇中に日本語の本を入手して、しっかり復習せねば。
でも、1つ嬉しい事があって、先学期の課題レポートの評価が2本とも"Excellent"だった。かなり苦労した割に自信はあまり無かったけれど、最後まで粘って何度も読んで直して…を繰り返したのが良かったのかな。とりあえず、普段の授業中のディスカッションではあまり発言できなくて落ち込む事ばかりなのだが、レポートの評価で少し自信を取り戻した。
ゼミ形式の授業では、皆とにかく発言するので、「ネイティブのディスカッションのスピードに付いて行く英語力」と「人が喋っていてもInterruptして自分の意見のアピールをする力」の両方が無いと議論に入れない。どちらも足りていない私は、いつも発言が少ない。「この意見は言っておこう!」と思ってタイミングを見計らっていると誰かが先を越されたり、いつの間にか違う議論になっていたり。まあ、よく言われる典型的な「アピールが足りない日本人」である。あと半年で何とか改善したいのだが…。

2月末以降は天気が良い日も増えて、日も長くなって、出かける機会が増えてきた。ポーツマスに遊びに行ったり、ロンドンで社会起業家&BOPに関する交流会に行ったり、ロイヤル・フェスティバル・ホールにマウリツィオ・ポリーニショパンリサイタルを聴きに行ったり、エコハウスの見学に行ったり、意外と充実。

ポーツマスの「スピネーカータワー」からの眺め。黒い軍艦は1860年に造られたHMSウォーリアー号。

トラファルガーの戦いでネルソン提督が乗っていた船、ヴィクトリー号の内部。


以下の写真は、昨日見に行ったエコハウス。アメリカのマイケル・レイノルズ氏が手掛けるこの"Earthship"は、古タイヤを使った壁づくりや、電気・水の完全自給を実現するシステムが特徴的な、サステイナブルな家。とても住みやすそうだし、お洒落!何と、うちから徒歩30分だった。


建物内部。明るいし、暖房なしでも暖かい仕組み↓

この浄水システムで、屋根で集めた雨水が飲み水に!↓

春学期開始!

makiflat2010-01-22

月曜日に、2つの論文を出し終わった。12月の頭から本格的に着手し始め、ほぼ毎日取り組んでいたので、解放感もひとしお。まあ、結果的には時間が足りず、内容に妥協はあるけれど…、終わったから考えないようにする。
2つの論文のうち1つはフェアトレードを取り扱ったのだけれども、最新の論文やケーススタディーをたくさん読むことが出来てとても勉強になった。
イギリスでのフェアトレードの盛り上がりは凄まじく、殆どの人がフェアトレードマークを認識し、スタバのエスプレッソは100%フェアトレードだし、大手スーパーも積極的にフェアトレード商品を取り扱っている。私がいつも行くスーパー「Sainsbury's」では、コーヒーカテゴリの全商品が全てフェアトレードだったりする。ついでに、私が住むブライトンはフェアトレードタウンだし、私が通うSussex大学はフェアトレードユニバーシティーだ。(大学内のコーヒー等は殆どフェアトレード、生協に売っているチョコや砂糖や果物も、フェアトレードが多い)
てことで、フェアトレード商品に囲まれた生活を送っているなか、「果たしてフェアトレードは途上国の貧困削減に本当に繋がっているのか?」という疑問が沸いたのが去年の秋(それまでは、素直にフェアトレード擁護派だった)。そこで、うちの研究所にもフェアトレードの研究をしている人が居るということで、論文を紹介してもらったりして、それが面白くて益々興味が沸いたので、この度論文のテーマに選んだ。
内容は…、また機会があったら紹介しようかな。ちなみに、日本は先進国の中ではぶっちぎりのダントツで、フェアトレードの消費量が少ない国だ。

話は変わって、最近日本でもついに話題になってきたらしいtwitter週刊ダイヤモンドtwitter特集号は品切れだそうで。
私は、始めてからまだ4カ月くらいだけれども、確実に嵌ってしまっている…(うっかりするとずっと見ているのでまずい)。色々な用途で使っている人が居るけれども、私は主に、勉強関連の情報収集に使っている。海外の主要な研究機関や援助機関は大体ツイートしているし、日本人の研究者や知識人の方々も、積極的に、役立つ情報をツイートしているので、本当に役に立つ。
「何かについての情報を知りたい」と、目的がはっきりしている人には、是非お勧め。但しツイッターアディクトにならないよう要注意!

春学期は、先学期に引き続き「グローバリゼーション」を専攻し、さらに「貧困と格差」について勉強する予定。早速忙しいけれども、論文を書いていた時よりはマシ。今学期の目標は、規則正しい生活を送ることと、リーディングを頑張ること。そして、早めに次の論文に着手すること。