野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

荒井良二がケンハモを描いている/世界のしょうない11年目/バルトーク

4月20日から刈谷市美術館で始まる荒井良二展のチラシが届く。絵が新しい。ちらしもニューボーン。ギターを弾いている人の横に、鍵盤ハーモニカを吹いている人がいて、小さなエレキギターを弾いている人がいる《生まれたばかりのぼくのギターの音はどこか遠くの家族のにおいがする》という絵。

arairyoji-nb.exhibit.jp

 

豊中市大阪音大、日本センチュリー交響楽団による「世界のしょうない音楽祭」の打ち合わせ。過去10年を踏まえた上での11年目の方向性を確認。

 

Amanda Bayley編『The Cambridge Companion to Bartok』(Cambridge University Press)読了。おそらく2001年にイギリスで購入した本で、昔は本は買っても、たまに開いたところを読み、何か触発されればいいと考えていたので、読了などあり得なかった。近年、1ページ目から最後のページまで全部読んでみることで、違ったものが見えるかなと思うようになり、全部読むことにしている。

 

www.cambridge.org

 

この本は15人の音楽学者による15の論考が載っていて、バルトークを様々な切り口で味わえるのが勉強になる。アメリカ時代、弦楽四重奏、12音的調性、などなど、色々あってどれも面白いが、最後に読んだバルトークの演奏の話が印象に残っている。《アレグロ・バルバロ》の自作自演で繰り返しの小節数が違っていたり、楽譜通りじゃない演奏が多々あるみたい。また、自作以外の演奏も残っていて、バルトーク夫妻によるテンポの伸縮するモーツァルトを、ストラヴィンスキー親子によるテンポ一定のモーツァルトと対比していたので聞いてみたら、本当にそうだった。

 

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「計画しない」を計画するー即興力とコミュニケーション

高松市美術館の開館・閉館の音楽の編集作業。閉館時刻が違うバージョンのものをつくる。要するに、「午後5時になりましたので閉館いたします。」を「午後7時になりましたので閉館いたします。」に差し替えるのだが、「午後7時」だけして言ってもらっていなくて、「午後7時」、「になりましたので閉館いたします。」とつなぐのだが、「時」と「になりましたので」がつながっていて、なかなか微妙につながらないので、結構手間取る。「午後7時になりましたので閉館いたします。」と言ってもらえば楽だったが、後悔先立たず。一応、全バージョンの初稿が完成。

 

今日は熊本の震災があった日で、熊本市現代美術館が災害とアートをテーマにしたトークを行いオンライン配信もあるので、オンラインで視聴する。日比野克彦さんが美術館の館長なので、司会というかモデレーターみたいな感じで、10人近い登壇者(金沢や東北からのリモート登壇者3名を含む)に話をふっていくと同時に、ご自身が能登に視察に行かれた時の現地報告などもされる。震災から3ヶ月ほど経っての現状を少しだけでも感じることができ、情報を橋渡しする存在の必要性を改めて感じる。

 

ライフラインとしてのアート」という副題もついていた。アートはライフラインのために存在しているわけではないが、ライフラインになり得るアートがあることは確かだ。ぼくは登壇者ではなかったので、ここに書いておくけど、マニュアルでは対応できない非常事態に対応できる即興力+互いに協力し合う人間関係がライフラインになり得る。要するに、

 

プラン通りに進まない柔軟な即興をすること

いろいろな人とコラボすること、

 

この二つをしておくことは、ライフラインになり得る。ライフラインだけを目的にアートをするわけではないが、プランされること、計画されたことを遂行することが多い日本の社会で、いかに計画から逸脱できる力を育む場を確保するか。その必要性が現代のアートに最も求められていることと思った。

 

このシンポジウムは、「熊本市第8次総合計画展」は、「計画」を感じる展覧会らしいので、強調しておきたい。災害は計画できない。紛争や事故も計画なく起こる。そういう予測不能な世界に対応していく柔軟さを獲得するために、我々は「計画しない」を「計画」する必要がある。「計画できないこと」を「計画」する必要がある。「計画」という概念を刷新する必要がある。

 

そこでキーになるのは、やはり「即興力」と「コミュニケーション力」で、それは人と関わるコラボレーションをすること、自分でルールを更新していく「遊び」とでも言うべきプランされ過ぎていない「ワークショップ」などに価値を見出せるとは、改めて思った。

 

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レインボー岡山のワークショップ/千住の1010人を考える日々

宇城市不知火美術館で本日より『マナブマベ・ツナグ』展が始まり、レインボー岡山さんのワークショップが開催されたので、ワークショップを見学に行ったが、参加できそうだったので参加した。

 

岡山さんは、派手な衣装を着ているが、ワークショップの進行も非常に控えめで、自分を全面に出してくるタイプではない。これだけ奥ゆかしいから、こういう衣装を着てレインボーマンに変身する必要があるのかもしれない。岡山さんが控えめなので、参加者の個性が目立つ。同じ変身するにしても、きむらとしろうじんじんとは違うなぁ、と思った。本日、創作した作品も、展示の一部になるらしい。楽しみだ。

 

2025年に開催する予定の《千住の1010人》について、今年度一年かけて作品をブラッシュアップしていきたいと考えていて、日々、漠然と考えている。忘れそうなので、日々、何かメモしておこう。

 

1)ウクレレなどの音量の弱い楽器に対して、手作りのポータブルアンプをつくるワークショップを開催するなど、音量の問題にクリエイティブに取り組みたい。

2)1010人の中に、五線のスコアなどで記譜されたパートと、甚だフリーに近いパートなどを共存させてみたい(先日、メメットの曲をだじゃ研でやってみて思った)

3)上演作品という形態をとりながら、それ自体が公開収録みたいになったり、リハーサルやワークショップみたいになったり、ゲームのようになったり、参加者同士の交流の場になったり、考えられる限りの自由で柔軟性のある形にしたい。

 

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レインボー岡山/香港の高校生

高松市美術館の閉館の音楽の調整をして後、不知火美術館で設営中のレインボー岡山(岡山直之)さんを訪ねる。明日から始まる展覧会『マナベマブ・ツナグ』展の準備をされている。岡山さんは、2001年に東京オペラシティアートギャラリーでの『出会い』展で、島袋道浩くんと《タコとタヌキ 島袋野村芸術研究基金》を開催した際に、基金の企画としてお招きして、トークなどしていただいた。泥団子を転がして子どもたちと描く抽象絵画、子どもたちと田植えをする、商店街の店舗にインタビューしてその内容を各店舗の前に展示する、など岡山さんの美術には、コミュニケーションが根底にある。久しぶりに岡山さんと話し込み、展示も見せてもらう。明日のワークショップに向けて準備中。

 

夜は、香港のCCCDの企画での高校生とのオンラインワークショップの3回目。宿題で作ってきてくれた曲を聞かせてもらったり、以前作った曲を聞かせてもらったり。メロディーは作れても、それに伴奏を作ってアレンジするのが難しいと言う。だったら、伴奏を先に作って、それにのせてメロディーを作ってごらんよ、と色々例示しながら説明した。

 

高松市美術館閉館の音楽

高松市美術館の開館・閉館の音楽を作っていて、「開館の音楽」、「閉館30分前の音楽」ができたので、本日は「閉館の音楽」に取り組む。

 

閉館の音楽は、合唱曲の《ライオンの大ぞん》を流したいと思い、最終的に、《おむすび山の磬の祈り》の冒頭で行なったサヌカイトの即興と《ライオンの大ぞん》とサヌカイトのワークショップの音源と野村が自宅で弾いたピアノの4者が交差する音楽になり、高松市美術館35周年のために行なった別々の作品やワークショップをコラージュして新たな作品をリメイクするのは、大変楽しい作業。

 

時々、気分転換に本を読んだり、将棋名人戦中継を見たり、楽器を弾いたりしては、音源の編集をする。一応、完成。一晩寝かせて、明日の朝に再チェックしよう。

閉館30分前の音楽/肥後琵琶と相撲

高松市美術館の開館・閉館の音楽をつくっている。この音楽の作り方としては、3月3日に開催したサヌカイト体験ワークショップの録音音源と、3月3日のコンサート本番の録音音源をベースにし(そこに少しだけピアノを重ねて)、現在編集中。

 

本日は、16:30に流す放送で、展示室への入室は16:30までで17時には閉館する、というアナウンスの音楽で、ワークショップでのサヌカイトの素朴な演奏と、コンサートでのサヌカイトの演奏が、バーチャルに共演している響きの中で、アナウンスが告げられる感じ。なんとか完成。

 

熊本大学名誉教授の安田宗生先生の『肥後の琵琶師』を読み始めていて、少しずつ肥後琵琶についての理解をし始めている。九州地方に、天台宗の宗教儀礼に琵琶を用いる盲僧が多くいた。今から350年前に、盲僧琵琶と座頭琵琶の争いがあり、幕府が盲僧に宗教行為でない琵琶語りを禁じてしまう。そこで、熊本藩主細川家が京都より岩船(船橋)検校を招き、古浄瑠璃を盲僧たちに伝授してもらい、盲僧たちは座頭琵琶の流れを組むものとなり、宗教行為でない琵琶語りができるようになった、という話。

 

ここで面白いのが、当道座以外に琵琶語りを禁じているのが1674年で、ついつい相撲の歴史と比較して読んでしまう。辻相撲の禁令も1648年に出ていて、その後も1665年、1687年、1690年などに禁令が出ている。江戸において勧進相撲が許可されたのが1684年。

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ディディエ・ガラスの一人芝居/閉館30分前の音楽

秋に一緒に日本国内でツアーを予定しているDidier Galasとオンラインで話す。フランスのモンペリエに住んでいる演出家/俳優。10年ほど前に、彼の《ことばのはじまり》を鳥取、京都、三重、東京などで上演し、パリやマルセイユで彼と公演をしたりワークショップもした。久しぶりにディディエとのコラボレーションは楽しみ。

 

《ことばのはじまり》は、哲学を題材にした子ども向けのノンバーバルな演劇だった。今回は、フランスの哲学者アラン・バディウの戯曲による一人芝居。テーマは、植民地主義レイシズムで、今こういうことにディディエと一緒に取り組めることを本当に嬉しく思うし、大切なテーマだと思う。

 

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でも小難しいわけではなく、ユーモアも多く、仮面をつけて演じる。一人の俳優(ディディエ)と一人の音楽家(野村)だけでなるシンプルな舞台作品らしい。ディディエはコンセプトを説明するだけでなく、その場で実演しながらやってくれて、既に面白い。

 

本日は、高松市美術館の開館・閉館の音楽のうち、閉館30分前に放送する音源の編集をしていた。開館のアナウンスは、ワークショップ参加者全員で「おはようございます」、「ごゆっくり」などを言ってもらっていたが、閉館30分前には、こうした言葉がないので、違った特色を出すべく、3月3日のコンサートで《おむすび山の磬の祈り》を演奏した際、導入として加藤綾子さん、臼杵美智代さんと行なったサヌカイトの即興演奏の音源を少しトッピングすることに。違った味わいが膨らむ。