さよならフィリピン

2年間お世話になったフィリピンとも今日でお別れ。お世話になりました。

運転手さんとも今日でお別れ。ペニンシュラホテルの駐車場で他に大勢運転手が待機している中で号泣されて困った。危うくもらい泣きするところだった。

これからは京都生活。そんなわけでこのブログも閉めて引っ越すことにしよう。
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イデオロギーへの先入観

あたかも自由主義、民主主義でなければ発展できないかのような錯覚をしていたが、はて、米国を溺愛する自由経済、民主主義国家のフィリピンよりもベトナムのほうが治安は良いし、貧困格差は少ないし、経済的にも勢いがある。さらに言えば国民も健康的生活を送っているように見受ける。

拝金的な風潮を隠すことすら少なくなった最近の中国を見て、何が共産主義かとも思うが、冷戦はなんだったのか。朝鮮戦争、アフガン戦争、ベトナム戦争の死者は何のために死ななければならなかったのかと重ねて思う。名目上はあるべき社会体制を問うていたのかもしれんが、あれだけの犠牲が必要だったとは思えんのだよ。




ベトナム戦証博物館はアウシュビッツ絶滅強制収容所よりも気が滅入る。写真の展示になんら手加減が無い。敵兵の頭を持ち上げる米兵。その頭の下にはボロ布のようにつながった体躯の一部しかない。ああ、ベトナム社会主義であったと再認識する。

思うのだが、アメリカほど非人道的な兵器を計画的、かつ広範に使用した国は無いのではないだろうか。歴史上の強国は少なからずどこも虐殺している。殺された身からしたら殺され方に良い悪いも無いのかも知れぬが、アメリカは抜きん出ている。

−見境無く一般市民を巻き込む
−単に殺すに留まらず、子孫まで影響が及ぶような汚染的な方法をとる


第二次世界大戦の二発の原爆しかり。
ベトナム戦争時の枯葉剤しかり。
そして湾岸戦争劣化ウラン弾しかり。

確かにナチスは600万人ものポーランド人、ロマ、ユダヤ人、ロシア人らを虐殺し、ガスで殺すなどもしたが畸形で生まれたり土壌を汚染したり、遺伝的影響の残るような陰惨な方法ではなかった。人種そのものを根絶やしにしようとしてはいたのだけれども。

ナチスも旧日本軍も体制の中枢にいた者は皆、戦争犯罪者として裁かれ、処刑され、その思想や体系は途絶えているが、アメリカという国はあれだけのことをしていながら脈々と受け継いだ組織を今も維持しているわけだ。

湾岸戦争に至っては、これだけ科学技術も進歩した中で、よもや自国兵士も放射線汚染されるような兵器を使用するなど思ってもみなかっただろう。「正義」という言葉が好きなくせに、最も倫理のタガの緩い国。そう思えなくも無い。

けして過去の人間のほうが科学技術も未発達であったがゆえに過ちが多かったわけでもなく、今の人間も変わらず科学技術がより発達した過ちを犯しているというだけか。今の常識も各国の正当な主張も信用できんということか。



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嗚呼、こんな店があるなんて。


コンセプトとしては、美味しくて安い屋台をひとつの場所に集め、清潔で趣のある佇まいの中で食事できるというもの。外国人観光客も、初々しいカップルも、現地の家族も食べに来る。




ありとあらゆる屋台が集まっているからメニューも3桁に届く豊富さ。しかしそれぞれの屋台が春巻きなら春巻きを一意専心作っているから非常に美味しい。土鍋に入った蒸ご飯の旨かったこと。炭火焼の蝦も捨てがたい。とくにこれは写真では代わり映えのしない蝦にしか映らんだろう。食べる度に、次に来た時もこれを頼もうなどと嫁さんと話しながら、それでも違うものも試したくて別の注文をし、また同じ台詞を繰り返す。どれもこれもはずれがないのだ。

海老鍋を頼んだ際にはほかに副菜を頼もうとしたが、店員さんにたぶん食べきれないからとやんわりと拒否された。海老鍋しか頼んでいないというのに。

腹がはちきれんほど食べても600-700円程度にしかならない。

雰囲気も良いものだから、この店を知ってからはあえてさらに高級な店にさらに旨い料理を探しに行く気も起きなかった。ほかの店を試さずして、これ以上旨いところはそうはないだろうと思わせてくれる旨さ。

結局、朝夕あわせて3回いっただろうか。

ベトナムヘルシー

ベトナムではたまたまヘルシーな料理が根付いたわけではない。
昔から総じて健康志向なのだ。

腹が出ているのはベトナム人としては恥ずべき醜態らしい。人口第一のホーチミンの中心地にも公園があり、周辺では多くの人が汗を流す。


バトミントンの羽のようなものを蹴り合う競技。
皆、器用に目の見えない背中で蹴り返す。公園には運動器具もあって腹筋したり、腰を捻ったり。ただジョギングする人もおるし、セパタクローに興じる一群も。

会社勤めの人は朝の5-6時に運動し、その後は学生なんかがやってくるという。そして午後にはまたご覧の通り。




社交ダンス

ベト佛


日本の仏教の読経は荘厳で重みがある。


対してベトナムの仏教における読経はうねる様な旋律を伴ったものだった。しかも気のせいか、皆が同じものを同時詠唱しているのではなく、多少異なるものを重唱しているように聞こえる。高い声、低い声、皆一様ではなく立体感があり声楽のようですらある。マイクを使っており音量もあるからか、聞き入っているとトロリとまどろむような夢見心地になる。




乳首だけが写実主義