阪急京都線 ななめ踏切

 京都市内の阪急京都線松原通踏切は、事故が多く魔の踏切と呼ばれる。北から南進する西小路通が松原通と交差し逆方向にふれる難所、100年前から直進させる計画があるものの改善されていない。先日「撮り鉄」でブラブラ遠征すると、警報装置のようなものが設置されていた。障害物が発生したら迅速に通報、警報するためのもの(未確認)だろうか。
 踏切手前から順光状態で「撮り鉄」するには、ちょうど画角中央となる、望遠レンズが必要ですな……

「さくら」のヘッドマークを付けた大阪梅田行き特急9300系(9301他)、今年は開花が遅れそうです、寒おすな、雨ばかりです。

嵐電 踏切遮断機 100年越し

嵐電西院駅隣接の軌道敷と四条通り交差部に「踏切遮断機」が新設される(1910年の開業いらい初)。工事は「車道用に屈折式4か所、歩道用4か所、押しボタン式踏切支障報知装置4か所、ATS装置2か所を設置、他に遮断機を設置する中央分離帯を設ける」工事は3月上旬から始まり3月末には併用開始予定。撮り鉄の皆さんを拝見します。
 地元民としては、危ない箇所だったので、喜ばしく思う。新聞では鉄道遺産の大きな鐘がどうなるかと、噂になっているそうである。カン、カン、カン──これは昭和初期から使われている電鐘式踏切と呼ぶ。

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下のパチリは3月8日

ロースト キャラメル マーケットby 販売・かみなり舎 +TK

知り合いが百貨店の期間限定ショップでやっと入手した「ロースト キャラメル マーケット」。ナッツ好き、キャラメル好きにはこたえられない「生キャラメルの濃厚なコク、甘さの際だつカラメルソース、そして香ばしいキャラメリゼ」。小生、門外漢で初体験ですが、パンチありますね。「キャラメリゼ」というのは「砂糖などの糖類に熱が加わり、酸化するときに起こる現象のことで、料理に焦げ色をつけたり香ばしく仕上げる役割がある」とか、京都では貴重なお品、拙宅でも個数制限されてます。かみなり舎は「ニューヨーク パーフェクト チーズ」というのも展開しておられる。こちらも、トライしてみたい。

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『生誕120年 瀧口修造展V』 at ときの忘れもの

10.4 × 14.8 cm
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 表題の展覧会が4月5日(金)から開催される。瀧口生誕120年、シュルレアリスム宣言発表100年を記念する催しとのこと。画廊のHPを拝見するとデカルコマニーや水彩などの未公開重要作が多数出品されている。カタログも発行される他、研究者の土渕信彦氏によるレクチャーも2回(4月6日、20日)予定されている。合わせて書籍雑誌100冊の特別頒布も、期待MAXですな。ときの忘れものHP→ http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53536222.html

おがたまの木 at 天道神社

この枝か天の岩戸のその昔アメノウズメの手に持ちゐしは
まちなかの名も天道のみやしろにオガタマの実は色づきおりぬ
ひそやかに実の集りて小毬なすオガタマノキここにありとは

健康散歩コースのお宮さんに小賀玉の木がある。解説文には「もくれん科の常緑喬木。高さ18メートル、直径70センチに達する。樹皮は黒緑色で滑らか。葉は長楕円形。光沢ある革質。春、葉腋にやや黄色を帯びた白色の、芳香のある花を咲かせる。花後、果実は集って毬果状をなす。招霊(オキタマ=神霊を招く)の訛ったもの、という説もある。神社によく植えられ、材は常緑褐色で、床柱または器具とし、葉は香料となる。古今伝授三木の一。和名オガタマノキ。黄心樹。」とある。

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[メモ] 
(1) 日本神話において天照大神が天岩戸に隠れてしまった際に、天鈿女命がおがたまの木の枝を手にして天岩戸の前で舞ったとされ、神楽で使われる神楽鈴は、果実が裂開して種子が見える状態のものを模したともいわれる。
(2) 古今伝授三木は、おがたまの木、めどに削り花、かはなぐさ。後のふたつについても、いずれ報告したい。

京都の観光ガイドによると「天道神社は長岡京に鎮座されていたものを794年三条坊門東洞院の地に勧進、その後、1574年同地に移る。主神は伊勢皇大神宮天照大神、左右に正八幡大神、春日大明神、の三柱の神々、境内社に洛陽二十五社天道天満宮、約束稲荷神社、祇園八坂神社、弁財天厳島神社を祀る」

天道神例大祭→ https://manrayist.hateblo.jp/entry/2022/11/07/060000

茅の輪くぐり→ https://manrayist.hateblo.jp/entry/20090628

『UBU』 NO.1 REDACTION・UBU・CLUB

昨日紹介したフランスでの北園克衛モノグラフ『KITASONO KATUÉ 1902-1978』は、林画伯も書かれたように「図版も多数収められた」貴重な一冊。小生が手にして驚いたのは、山本悍右が終戦直後の混乱期に雑誌『UBU』を編集発行されていた事実だった。表紙と裏表紙から内容を推測したいけど、無理ですな。裏表紙(?)の上段に「ユビユ 一号 造型」と配されたタイポグラフ(手書き?)がお洒落、椅子と帽子のモチーフは山本の写真で馴染み深いもの、御遺族の話では椅子は現役だそうです(すごい)。『UBU』の参加者は藤井伸八、伊藤紫英、伊藤正斉、北園克衛、野川友喜、大口登、山本悍右で、東京在の北園以外は名古屋地区の関係者と思われ、ネットなどで確認すると藤井伸八以外はヒットした。(ここでは山本、北園については記さない)

● 伊藤紫英(1907-1989)は映画評論家、映画史研究家。市内覚王山に居住。アマチア映画人として映画製作もおこない八重垣劇場の機関誌『シネ・アート』に寄稿。『名古屋映画史8mmから70mmまで』『シネマよるひる』などの著書がある。(エンペディア)

● 伊藤正斉(1913- ) 詩人、VOUに参加、詩集に『壺』コスモス社 1971年、『火の壁』コスモス社 1976年、『乾湿記』VAN書房 1978年、『伊藤正斉詩集』 砂子屋書房 1986年など (bookface’s diary)

● 野川友喜(本名・川野友喜)(1920-1999) 朝日新聞記者として福岡、名古屋、東京等で勤務。詩作の他、文筆も行い、名古屋時代には記者として「人間・言葉」なるコラムを受け持った。新東海新聞にも在職したと推測(徳田秋声文献年表ノート)

● 大口登(1901-1969) 画家、美術文化協会。『地殻』(1940年)などが知られる(日本のシュルレアリスム絵画データベース)

 書誌情報は、1948年4月5日印刷、4月10日発行、UBUクラブは山本悍右宅を連絡先とし、編集発行印刷人を同氏がつとめている。尚、印刷所は新東海印刷所(名古屋市中区茶町1丁目14番地)

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下掲の絵葉書は戦前の名古屋市

9.1 × 14 cm

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廣小路通り(山本の実家・山本五郎商店も近い)

 

9.1 × 14 cm

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 後方の公会堂(鶴舞公園市美術館)で『巴里新興美術展覧会』が催されたのは1933年6月24日〜29日。マン・レイの油彩『画家の室内』と『サン・ジャン・ド・リュッツの夜』が陳列された。どんな様子だったか知りたいところ……

 小生は1960年代前半に、この噴水塔の池にプラモデルの潜水艦(ゴム動力)を走らせ遊んだ。鶴舞公園には移動遊園地が置かれたり、桜の季節は花見で賑やか、家から歩いて行きました、懐かしい。

北園克衛モノグラフ

ブログ前回の「新聞巻き乙女」の話題は、絵葉書を求めたときに、北園克衛の写真構成作品「ポエム・プラスチック」(上掲)を連想したからで、直後にパリ在住の友人が送ってくれた『KITASONO KATUÉ 1902-1978』の頁で再会。それでアップしたいと思いネット検索したら同好の士が見つかった次第。


23 × 17.1 cm 320pp.

ジャン=フランソワ・ボリー、ジャック・ドンギー共著
北園克衛 1902-1978』(2023年)

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本書については林哲夫氏がNOTEで紹介されている。

→ https://note.com/daily_sumus/n/n84869b6eeaf4

新聞巻き乙女


13.8×18.6cm

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 先日、名古屋で求めた海辺で新聞巻き巻きしているお嬢さん(?)の絵葉書(RPPC)を楽しんでいると「THE CALL」ってどこの新聞、どんな記事かと好奇心ムラムラ。それでネット検索すると、驚きましたね、小生と同じ質問を投げかけた御仁がいらっしゃった。

→ https://www.facebook.com/BesideTheVintageSeaside/

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 盛り上がった各氏の書き込みによると、新聞は1913年に同じ書体を使用していたサンフランシスコ・コール・アンド・ポスト紙(1913年12月 The Call とPost合併)で、一部3セントからの年代特定は価格暴落があり混乱、船長拘束反乱制圧事件とベルギー王アルバート1世による遺体返還要請の記事から1909年〜1913年の可能性が強いと助言されている(詳細不明)。…… 面白いけど、深入りすると『シエスタ』の原稿に差し障りがあるから、これくらいで(笑)

 

早咲き桜「春めき」満開 

2024年 お花見パトロール-1 3月19日

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高辻通烏丸西入ルの旧成徳中学校、通りに面して早咲き桜満開。

以前にも紹介しました。→  https://manrayist.hateblo.jp/entry/2022/03/17/130000
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お彼岸で、お使いに仙太郎さん…… 甘い物はよろしおす。

パート・ド・フリュイ by フランソワ デュッセ

若い友人に頂戴しました、南仏プロヴァンスの人々に長く広く愛されているそうです。

ウィキによると「パート・ド・フリュイ」というのは、「一口サイズの砂糖菓子の一種で、ゼラチンや寒天を用いず果実のビュレを砂糖やグラニュー糖を加えて煮詰め固めたもの」とか