おじさんの誕生日

 12月4日は大学の友人の誕生日だったので、それの関係で秋葉原メイド喫茶に招集されて午前5時まで延々とどんちゃん騒ぎ。 騒ぐのはいいけど、大分店側と他のお客さんに迷惑をかけていたようで何とも言えないけれど、あれはあれでいいのかな。
 家の付近まで帰ってきて午前7時過ぎ、台風がどうのこうの騒がれていただけに風だけは大分強かったようで、途中の家の屋根の一部が損壊して道端に落下し消防隊が出動していた。 仮にそのとき下に居たらこの世とさよならできてたかもしれないなと思うとなんとも複雑な気分。 それだけではなく、いろんなものが倒れてたのでいちいち起こしていきながら家に帰り着き、そのまま体を洗って寝る。
 起きたら午後4時過ぎで、そのままダラダラと夜になり、特に何をするでもなく終わってしまいそうである。

 明日は新日鉄ソリューションズのセミナーがあるので、大学に久しぶりにスーツを着て行かねばならないけど、セミナーっていったい何をやらされるやら、特に用意するでもない自分は就職活動する人間としては失格なのだろうか。

随分と時は流れて

 最後にここに書き込みを行ってから1ヶ月半ほど何も書かなかったからといって忘れていたわけにあらず。 気乗りしないとなかなか文章を書く気はわかないもの。
 今日は夜更けに酒をあおっていたら、歩きたくなったので散歩。 目的地がないのもなんなので、目的地は大学に設定。 といっても家から大学まで普通に移動して30kmぐらいあるんですが…

 とりあえず午前6時横浜中心街を過ぎ、国道1号に入るも、ナイトラリーを懐かしく思い、東神奈川で左折。 その後、六角橋付近でどこをまがったらいいものか忘れてる自分に気がつき、勘だけで移動して無駄な距離を稼ぐ。 その過程で菊名3丁目8番地、斉藤農園付近の景色は妙に開けていて綺麗でした。 のんびり眺められる街並みといったところでしょうか、わざわざ行くようなことはしないでしょうが。
 午前7時ごろ日吉に着。 通勤通学の人ごみに出くわし、午前4時の誰も居ない道路を悠々と歩いていた自分としては辟易としながらも、皆背後に気は回らないのはいいとして、前を見ていないで結構歩いていることに気がつく。 特に学生風の人たちは歩きながらもずーっと携帯電話をいじっている。 確かに自動車に乗っかってるときの携帯電話が危ないということで規制対象になったけど、携帯電話いじって前を見てない歩行者っていうのも結構危ないなぁと個人的には思う。
 午前8時武蔵小杉を通過、さすがに普段運動しているとはいえなかった自分としては眠かったのも手伝って少しだけ嫌になってます。 だって、日吉から遠いんだもん。
で、丸子橋を渡ってとりあえず多摩川を越えて東京へ侵入することになりわけですが、丸子橋を渡りながら考えてたことといえば、なぜかこの柱登ったら高そうだよなぁ、降りるの面倒だよなぁとかそんな変なこと考えてました。
 午前8時40分大学着、大体5時間で30km移動したことになるので時速6kmとそこそこのペースでは歩いているようです自分。
そのまま1,2時間目は取り立てて何もなく無難に休んでましたが、3時間目とっぴな思い付きから「コンピュータネットワーク」の授業を聴講することに。
 内容としてはルーティングテーブルの話してましたが、複数のホストから要求が来た場合の競合処理アルゴリズムなんてなことなんかは全部省いて、とりあえずネクストホップするんだよぅという、なんとも工学部の授業としては泣けてくるような内容でしたが、スライディングウィンドウについて少し言及するなど、中途半端な深さの授業に乾杯。 本当はここで多分プロトコルのウィンドウが確認通知をピギーバックするなりして返したとして、その確認通知が到達できなかった場合に送信者側のウィンドウが更新されてしまって、受け取れなかったパケットと、新しいパケット郡との判別をいかようにしてつけるかについて熱く語るべきだったかと思いますが、多分それで喜々として聴くのは自分だけだろうなぁ。 それにしても他の大学は分からないけど、うちの大学の授業は質問を受けるよと言っている割には割り込んで議論するのが憚られるような雰囲気があって、なんともつまらない。 これだから自学自習に完敗するんだと一人愚考していた。
ついでに言えば、聴講生がまっとうに受けてる横で寝るのはいいが、寝相を直すだかでいちいち後ろの友人Mに蹴っ飛ばされ、かといって起きたと思えばガムを何度もあさっては噛みを繰り返し、疲弊気味なのも手伝って鬱陶しいことこの上ない。 自分も配慮することが苦手なのでなんともいえないけれど、なんとも不快な気分になったが、こういうことはしないように普段から気をつけなきゃなと肝に銘じる。

 その後、図書館に立ち寄って電気通信工学の欄をずーっと見てみる。 面白そうで興味が湧くが、今までこうやって中途半端なかじり方を繰り返してきたことを思い返し、手を出すことは思いとどまる。 とりあえずネットワークとコンピュータの基礎部分について理解を深めてから他をやるとしたほうが、下地も出来て無難。
図書館を出た後は、研究室の本棚にあった生産管理の本を洋書だったので、辞書と一緒に引っ張り出して読む。 やっぱり文法も去ることながら、語彙が極端に少ない自分に嫌気が差すが、そこで辞めたとなると、いつまで経っても出来るようにならないから我慢して辞書引きます。 日々の積み重ねが大事です、多分。

 全体を通して見ればいつもの休日の過ごし方と大して変わらない。 バリエーションとしては休日は、専門書を読むか、プログラムをいじりまわすか、図書館へ出かけてこれまた専門書を借り入れるかぐらいしかない。
 他の大学の人たちがどのような休日、日常を送っているのかはさして知らないが、改めて考えると聊か気になるものである。
 あなたの休日の過ごし方はどのようなものだろうか?

1日目: 友人から頼まれたチケット取りということで、午前9時過ぎ雨の中ローソンのLoppiにて10時まで待機、チケットを取得。
その足で綱島にあるタバコ屋までいつもの葉巻を買出しに行く。
 帰り道の途中で更に雨が激しくなってきたので無理せずそのまま家に直行。
しばらく仮眠の後、大学の子と延々とMSNにて他愛のないやりとりを繰り返すこと4時間。 よくこんなのに付き合ってくれたものだと感謝の念に尽きない。
自分は人とのやりとりが最近輪をかけて苦手になってきているのでまともに相手をしてもらうと、嬉しいらしく調子に乗ってちょっかいを出しすぎるような気がする。
 そのまま台風も激しくなってきたのでおとなしく寝る。

2日目:起きた時点で15時を回る。 友人に頼まれた番組アドマチック天国を録画設定して、21時から偶然テレビで放映したHEROを観る。 悪くはないが、構成が立体的過ぎる。 ユーザーインターフェースの観点からみて、衣装の色でどこに位置するのか明確にしたという点は評価できるが、話の内容が結局は同じ系列の話の焼き直しのように見えて、ちとクドイ。 内容自体は最近の映画には珍しく、先が読めるようで読めない点は素直に評価できる。 史実があって始皇帝が死なないことが分かっているだけに、最後のまとめ方は綺麗であった。

3日目:起きた時点で同様に15時近い。 おとなしく少し散歩と共に明日外書購読の授業で使う英文の訳に取り組む。 どうも普段洋書を読むとき日本語に直して禄に考えないのと、大体の大枠で意味を取ることが多いので、厳密訳をしようとすると苦しいものがある。 結局自分の英語の語彙の少なさや、読解力のなさを露呈する結果となる。 未だ持ってこの外書訳には終わりが見えないが、どこまでやればよいのか分からないので、ひたすら朝まで続くのではなかろうか・・・

StreamFactory改装計画?

 仕事が相変わらず終わりを迎えないまま、徹夜に近い状態で学校入り。
もともと、現場改善のワークデザインに関するビデオをみて自習の予定になっていたので、授業自体は事なきを得る。
結局システム自体は完成を迎えず、現状のシステムを無理やり流用してもらう形でどうにかやり過ごすことに。 自分の力量のなさが目に見えて分かる瞬間でけに厳しいが、力がないのは事実なので致し方ない。
システムを発注した先生側に迷惑をかけてしまったので、謝罪の念しかない。

 さて、その当のシステムを使う授業内の担当の某助教授がプログラミングに関する授業になった途端に、おとなしかったはずがずいぶんと吼えるようになる。
 その教室入りの勢いと様から空中戦を得意とするイメージが湧き、獣神サンダーライガー命名されることとなった。
 いくら気を吐かれても周りの人間はなかなかあなたのペースにはついていけないと思うのだが…

 とりあえず明日は休みなのでしっかり寝ようと思って教室横の待機室に引き下がったところ、ストリーミング用の管理インターフェースの改装を新しく依頼される。
依頼されるのはいいが、まだ結局仕事は片付いていないので増えるばかり…
 その前に製品のコードをいじるのはライセンス違犯なのでは…

 帰りにビールをいつもの様に飲みながら歩いていると、弘明寺付近で野良猫を発見。
 別に気にしなければそれまでだが、なんだか気になったので撫でてやると、喜んだ様子だった。 そこでその猫をよくよくみると、妙に痩せているように思えたので、普段はしないが何故かそのときは酔っていた性もあってか近くの店でコンビーフを買い、その猫に与える。 コンビーフであった理由はその猫が店から出た後でいなかったら自分で食べて処分できるものがよかったのと、キャットフードはその店で扱っていなかったからである。 別にキャットフードでもよかったが、あれは食べたことがあるが、ちょっと遠慮したい味だったのは言うまでも無い。

 ここでふと気になるのは、果たして野良猫に餌を与えることは善なのか悪なのかという倫理命題である。

 自分自身はそんなこと大して考えずにあげていたように思うが、命は大切にしなければならないという命題は誰しもが真であるとこたえるように思う。
しかし、野良猫の排泄物は得てして野良猫の発生地域においては問題になっていることが多い。 その人々からすれば野良猫には餌を与えて欲しくない。
すると野良猫に餌を与えた自分の今回の行いは悪に分類されるのだが、その野良猫のことを疎ましく思う人たちでさえ、命は粗末に扱ってよいものですか?とたずねればNoという答えが返ってくるのではなかろうか…
 論理命題として人間はいささか矛盾を抱えすぎているように思えるのは今に始まったことではないが、このような機会に改めて頭をよぎった。