帰宅!!あとがき。

先程帰りました。徳島・横浜間は、大体10時間ぐらいかかりますね。約、3500キロ走りました。マシントラブルが無かった事が何よりです。ぶつけはしましたが・・(^_^;)ちょっと気になったので、昨日の弘法大師の件について、付け加えますが、民衆の為だけに、井戸を掘ったりしたと言うわけでは無さそうで、まぁ、マニア荒井君の意見だと彼もこれは詳しく調べてみないと分からないとの事ですが、、荘園制度って言うのがあって、国の支配を離れた田んぼや土地を特定の寺社に差し出して、中央の支配から開放されるというシステムなのですが

特に大師信仰の強い地域はこの制度の元で真言系の寺に寄進されていた地域だったのでは無いだろうか。寺としては領地な訳だから、その地域に住む人々の生活の安定のために公共施設としての水場や温泉その他の設備を他の地域に先駆けて整えていたとは考えられないかと?
まぁ、結果的に、民衆の為になったって事には違いませんね。まぁ、日記で書いて来た事は、私的推測考えもあるので、全てを信じないように(^_^;)
また、何か知ってる事があったら、教えてください。この世界にはまりそうです!

って言うか、はまってる!(^_^;)!
調べるのを趣味にしたいと思います。
では、最終最後までありがとうです!!
また!

結願・そして終幕

本日の天候は大雪から夕方には晴れ。86番「志度寺」から最終88番「大窪寺」そして、お礼参りの1番「霊山寺」今日はと言うか、今日も、と言った方が良いのか分かりませんが、予想外の事が二つありました。まずは、87番「長尾寺」に向かう途中、ヒッチハイクの男性発見。遍路の格好は特別してなかったが、見ると杖を持っていたので、遍路なんだなぁーとか思いつつ、何番札所に向かっているのか聞いた所、丁度同じ、87番に向かっているとの事なので、共に88番まで、いっしょに行きました。彼の名は「近藤」君。年は二十歳の専門学生で、試験

が終わった後の、休みを利用してとの事でした。彼は、私の様に作法とかには全くこだわっておらず、お賽銭と手を合わせる程度の方法で、参拝しているとの事でした。
基本は歩きで、あまりにも、お寺間がある場合にはバスやヒッチハイクで進んだとの事ですが、基本は歩きだった様です。寝袋で野宿もしたって話でした。車遍路では体験出来ない様な事等、色々と聞かせてもらいました。遍路道と言う山道を歩いたりする遍路用の道があったりするのだが、道の様で道じゃない様な所が多いようで、かなりの落石で相当、危ない思いをしたり、

夜も歩いてたりした時があったらしいのですが、ホントに暗すぎて、何も見えなくて、相当不安になったりとかもあったみたいです。点の様な灯りでも遠くに見えれば、そこに向かって進んだりしていたそうです。互いに苦労の度合いは当然違いますが、同じ場所を巡ったと言う事には間違いないわけで、印象に残ったお寺の話で相当盛り上がったの最高に嬉しかったです。10番札所から11番札所までは、歩いたら相当なもんなんですが、(過去の日記に書いてると思います)案の定最強に厳しかった様でした。あれは、思い出すだけでもゾっとします・・

そんな感じで、近藤君とは88番の札所に入って解散しました。最終札所では絶対にお経を暗記して、唱える事が、いつしか目標になっていたのですが、ゆっくりひっかかりながらも、目標を達成する事が出来て、良かったです。88番に着いた時の天候が凄かった事なんのって!、本気で吹雪いてました。ここらで、やっぱり弘法大師空海についても、語っておきたい。今までの日記を見てくれていた人はご存じかもしれないが、彼の伝説で特に多いのは、水が湧きだしたとか、お堂を立てたとかの話が多いのだが、それは、嘘では無いと言う事です。

ただ、杖で突いたら水が湧き出したとか、一日で建物を造ったとかは、まぁ有り得ない話なんですが、彼は、建築の知識やどこを掘れば水が出るのか等は学んで知っていて、それを人々の為に生かした一人の男だったのです。まぁ、1200年前の事ですから、当時の人々にはそれが神がかり的に感じたんでしょうね。それで、話が少し大きくなって、伝説になったのだと思います。人々が生きて行く為に必要不可欠な所に自分の知識をそそいだりしたのです。なので、人々から敬われ、語り継がれているのだと思います。一人の人間として惚れました。憧れの

人物は?と問われたならば、これからは間違い無く、空海もその一人に入ります。人々のヒーローですからね。話は変わりますが、お鍋をご馳走になった、湊さんが始めはキリスト教で後に仏教の世界に入ったと言ってましたが、理由を伺った所、キリスト教は、なんでも、イエス様のおかげと言う考え方で、例えば今日自分が元気に生きているのも、イエス様のおかげって言う考え方みたいで、仏教は、先祖を大事にするって所がかなり強くあって、そこに惹かれたからだとおっしゃってました。まぁ、それが確かなら、やっぱり自分も仏教派なのかなぁ

とか思いますけど。
先祖無しでは、今の自分は存在しないわけですし。子供の頃、ご飯を毎日いただけたのは、親のおかげなわけだし。そういえば、遠い遠い遠い何百年も前の、血縁の人の話とかって聞いた事ないなーって思うんだけど、調べられる所まで、調べてみたくなってきましたね。
あと、仏教が武器を持ったりして、戦争をしたって話はよく考えると無いですよね?平和・平等って考えには深く共感出来ます。話は相当飛びましたが、二つ目の予想外だった事ですが、お礼参りに、1番に戻った時です。丁度、私と同じ様に今日で全てを参拝

された方達なんでしょうねー。(集団だったので恐らくバスツアーの方達なんだと思います)お礼参りの際に本堂で、住職さんのお話が、丁度、始まったのです。後ろの方で、こっそりと聞いちゃいました。落語家の様に話のリズムとかが上手く、笑いもまぜながらでした。お話の内容としては、まずは、仏教の基本である、お釈迦様の話からで、知ってる人も多いかとは思いますが、釈迦は王族であったのだが、貧しい人が道で倒れていたりしたのを見て、何とかせねばと、何不自由無い暮らしから抜け出し、誰もが平等に生きて行けるにはどうしたら

よいのかと言う事を、考えるために、山にこもり、答えを出したと言われているとのお話でした。その答えを出した、誰もが平等に生きる方法と言うのが、「悟り」だとおっしゃっておりました。そして、その教えを説いてまわる内に、今で言う、追っかけなるものがお釈迦様にも出来、その人達が弟子となり、今に至ってるとの事です。
他は、やはり、先祖を大事にしましょうとお話されておりました。タイミングよく、居合わせる事が出来て、本当にラッキーでした。八十八ヶ所まわった後は、それぞれの人が感じることは違うと思いますが、私は

この旅で得たものは、やはり何と言っても、人の優しさでした。単純な事なのですが、私は普段失ってる事を気付かされました。横浜戻ったらまた忘れちゃうんだろうな
(^_^;)
そして気持ちを浄化させてもらいました。誰が行っても、その人なりに必ず何か見付かる旅だと思います。機会があれば、どうでしょうか??
長くなりましたが、この遍路日記も終わりです。ありがとう!

本日は79番から85番まででした。天候がめちゃくちゃで、雨が降ったり、雪が降ったり、晴れたりと。風が強く寒かったです。しかし、虹が見え、夕日が、癒してくれました。80番・國分寺(こくぶんじ)このお寺で有名なのは奈良時代の銅鐘。昔、渕に住んでいた人を食う大蛇を戸次八郎(べっしはちろう)という者が退治に出かけたが、大蛇が鐘をかぶって顔を出すので仕留められない。そこで千手観音に念じると退治でき、鐘を寺に納めた。と言われている。81番・白峯寺(しろみねじ)昔から相模坊というてんぐが住んでいるといわれている。ある

日の夕方、お坊さんが木綿豆腐を買いに出掛けた所、その途中で空を飛んでいるような感覚がした。その次の瞬間には元の場所に戻っていて上等な絹ごし豆腐を手にしていたという。これはお坊さんをかわいそうに思ったてんぐの優しいいたずらだと言い伝えられてるそうです。
82番・根香寺(ねごろじ)ここは「牛鬼伝説」で有名なのです。400年前の天正の頃、青峰山に住んでいた牛鬼という化け物が人々を苦しめていた。弓矢の名人である山田蔵人高清が退治しようと山中で待ち構えていたが、なかなか発見する事が出来ない。見つかるよう根香寺

の本尊に祈願した満願の日、牛鬼が出現。口の中に矢を射込むと悲鳴をあげて逃げ去っていった。後を追うと2キロほど離れた西の定ヶ渕で死んでいるのを発見。高清は牛鬼の角を切り取り、冥福を祈ったと言われている。今でも、その角と牛鬼の絵が残されている。
牛鬼の像はかなりの迫力でした。84番・屋島寺(やしまじ)空海が堂宇を建立したときの事。建築途中で太陽が沈んでしまいそうになった為、断崖に大きく突き出している巌(いわお)に上がって扇であおぐと、再び太陽が空高く舞い上がった。そのおかげでたった一日で堂宇を完成させ

る事が出来たと言われています。
明日でこの旅も終わりです。気を抜かず、最後まで行きます。

雪!雨!

いや〜今日はこっちに来て最強に寒かったです。午前中は雪でしたからね。今日はガンガン攻めましたよ。68番から78番までです。70番・本山寺(もとやまじ)ここは八十八ヶ所中唯一の「馬頭観音」を本尊としている所です。長宗我部軍が寺に乗り込んできた時の事。兵士を阻止しようとした住職が斬られてしまう。別の兵士が本堂の内陣に入った所、右手の肘から血を流している脇侍の阿弥陀如来像を発見。驚いた兵士達は一目散に退散したという。それ以来、阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれ、今でも右手にはその時の傷が残ってるといわれ

ている。71番・弥谷寺(いやだにじ)ここは空海が8歳から13歳まで勉強に励んだ場所で、境内には大師がこもった岩窟がありました。
本堂背後の岩壁には、阿弥陀三尊像を含むおびただしい数の磨崖仏(まがいぶつ)や納骨堂が彫られています。これらは空海が8万4000体を刻んだとされるもので、鎌倉時代に「一遍上人」が刻んだものも含まれています。73番・出釈迦寺(しゅっしゃかじ)お釈迦様が山にこもって苦行した後、山から出て痩せ衰えた姿を「出山(しゅっせん)の釈迦」といい、寺名はそこから来たと伝わる。空海が7歳の時、仏道に入

って多くの人々を救いたいと発心、山に入り「我が願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬのならこの身を諸仏に捧げる」と祈って断崖から身を投げた。すると釈迦如来と天女が現れ、大師(空海)は天女に抱きとめられた。その後、大師がこの山を再訪したとき、釈迦如来を刻んで本尊としたと言われている。大師が身を投げ出した場所が見れるとの事だったので、行きたかったが、雪で凍結の恐れがあるとの事で、断念してしまいました。歩いても行けるとの事でしたが往復で一時間半と聞いて、さすがに・・と断念。75番・善通寺

(ぜんつうじ)ここのお寺は、元々は大師の実家があった場所で、大師が唐から帰国後に先祖供養の為に建立したお寺であります。実際に大師は、今はお寺になってるこの場所で産まれたとの事です。大師堂の中に、生まれた場所があり、しばらく見入ってしまいました。さすがに規模が大きいお寺でしたね。78番・郷照寺(ごうしょうじ)ここは、大師が自ら尊像を刻み、厄除けを請願した事から「厄除けうたづ大師」として親しまれている。鎌倉時代に「時宗」の開祖、一遍上人により中興されたと言われている。ここは、珍しく真言宗一遍上人

ちなんで時宗の両宗派を奉持しており、八十八ヶ所中で唯一の宗派を越えた寺と、知られています。今日は写真、携帯では取らなかったので、無しです! 今日は香川の高松ユースです。結構栄えてます!とは言っても、旅館も兼ねてる様でユースとは違って設備が整ってて、最高にリラックス出来る感じです♪
明日もここで決定です!

第四部・涅槃の道場

masyanaoki2006-02-05


ついに、最終章の第四部に入りました。長かった様な短かった様な。ってまだ完走できてませんが。今日は、六十二番から六十七番まででした。
宿泊先は香川の海岸寺ユースです。まぁ、今日は何と行っても、八十八ヶ所中、最高の標高である、66番・雲辺寺(うんぺいじ)名前の通り、雲が近くに感じる様な場所です。ロープウェーから山頂に(雲辺寺)向かったのですが、小さなスキー場も兼ねている様で、まわりはほとんど、スキースノボー組でした。
お寺に向かうと、三人の子供とそれぞれの母親がいっしょにいて、お参りをしていたのですが

始め、子供にお参りさせた後、母親が三人ほぼ同時に、般若心経を唱え始めました。もちろん、何も見ずに。さすがだなぁって感じでした。根付いているのでしょうね。
さすがに、氷点下で寒かったのですが、
魅せられましたね。
石像の「五百羅漢」と、中心に「涅槃像」です。素晴らしいとしか言いようがありませんでした。ここも、荒井君には行ってもらわないといけませんね。
とにかく、大満足でした。
本日ラストの67番・大興寺(だいこうじ)では、若い男女から、お菓子のお接待をうけました。
毎日思いますが、ホントみんな優しい

のです。お遍路が相当密着しているんだなぁーって感じですね。若い人も年寄りもみんなです。
本日の写真は「涅槃像」です。 本日の天候も快晴でした!!
海岸寺ユースやば過ぎる!!
ドリフのセット並のお化け屋敷!!
私一人みたいだし、真っ暗真っ暗!! 歩くとみっしみしみしっ!

masyanaoki2006-02-04



本日の天候は晴れ。
しかし、やや冷えるって感じです。54番から61番まで参拝出来ました。
54番・延命寺(えんめいじ)こちらの伝説から。昔、長宗我部の兵士達が鐘の音色の美しさに魅せられて略奪しようとした。すると、鐘が「いぬる、いぬる(帰る、帰る)」と泣き始め、自分で海に沈んでいったと言われている。現在活躍の鐘は3代目で、2代目は除夜の鐘の時に披露されている様です。
55番・南光坊(なんこうぼう)昨日訪れた、大三島にある大山づみ神社の別宮として建立。八十八ヶ所の中で唯一「坊」の名が付く寺。大山づみには今は

橋でつながっているが、昔は海を渡って行かなければならなかったので、703年に南光坊を含む8つの坊がこの地に移された。後に弘法大師空海)が四国巡礼の際に霊場とする。境内には南光坊の中興の祖として知られる天野快道(あまのかいどう)大僧正の墓がありました。彼と、悪さをする狸との話で、今治地方の民話になっている「大楠と三匹の狸」にも登場しています。
58番・仙遊寺(せんゆうじ)本尊の千手観世音菩薩(千の手ですべての人の悩みを振り払い、千の目でしっかりと見ながら救済してくれると言われている)は海から竜登川を昇

ってきた女の竜が一刀刻むごとに三度拝んで造りあげた竜女一刀三礼の作という説もある。その後、「阿坊仙人」という行者が40年間ここで修行をしていたが、ある日、仙人の姿が雲とたわむれるがごとく消えてしまった所から「仙遊寺」と名付けられたと言う。
60番・横峰寺(よこみねじ)山岳信仰(山で修行する人達)の霊地として知られている。八十八ヶ所の中でも三本の指に入るぐらいの標高かと思われる。道と言うよりは、何て言ったら良いんだろうか・・崖と言うか。
「パリ・ダカール」の様な感じですね。(^_^;)
標高がある分、寒い

ですしね。しかし、苦労した分、景色は綺麗だし静けさが最高でした♪
最後に61番・香園寺(こうおんじ)ここには、びっくりした。お寺という感じが全くしないんだっ!
本堂が鉄筋っぽくて、形がー、お寺の屋根の様な形は一切無く、でっかい体育館の様な感じですね。見慣れない感じです。しかし、ご本尊の「大日如来」(永遠で不滅の光を持ち、あらゆる霊得を得られるとされている)を拝観出来たのは嬉しかったです。
本日、56番のお寺で、托鉢(たくはつ)をしている人がいて、お寺内にいる方に、その人はそれで、八十八ヶ所をまわって

いるのか聞いてみた所(そうならば、少なくても、お接待としていくらか渡そうと思ってました)ほぼ毎日来てるとの事で、お遍路さんでは無いことが判明。しかし、格好がそのものなんだよなーこれって、言い方変えたら、ホームレスだよね??(自転車に生活の全てが載ってたし)修行のいっかんで、しばらく休みを利用して修行していのか?、いやーよく分からない。托鉢詳しい人いたら、教えてください。ってなワケで、何も渡さずでした(^_^;)
渡した方が良かったのかな?

今日の写真は、横峰寺に向かう途中にあったダムを中心とした景色です!!

大三島!!

masyanaoki2006-02-03


本日は48番〜53番まででした。
50番・繁多寺(はんたじ)こちらのお寺は時宗の開祖、一遍上人が長く修行されたとして有名な様です。このお寺を出る時に、一人のおばぁさんが話しかけて来ました。
お遍路の話などをして、(ちなみに、その方は4回だか5回巡られているとの事です。)次に進もうとした所、お接待で、パンを頂きました。
ホントにみんな優しいんだよな♪ お接待の後の礼儀として、お寺を巡るごとに納札(おさめふだ)と言う、名前や住所等を書いた紙があって、それを渡すのが礼儀なのですが、初めて渡せました!!

納札」いただけますか? みたいな感じだったのですが、用意してなくて(^_^;)その場で書いてお渡ししました。
51番・石手寺(いしてじ)ここは、今日は半端なく混んでました。
節分のお祭りとの事で、混雑していた様です。
少し前の日記で、たしか11番の所で書いたと思うのだが、覚えてる人いるかなー?衛門三郎と刻まれた「石」見ました!!一人で大興奮でした!
写真載せときます。
53番まで、予想より早く参拝する事が出来たので、しまなみ街道=西瀬戸道路(小さな島と島を繋いでいる愛媛と広島間の道)の途中にある大三島と言う

所に来ました。何故かと言うと、お鍋をご馳走になった湊さんのお勧めだったからです。ここに、全国の総本山的、神社の大山ずみ神社と言うのがあって、勧められたのです。樹齢3000年の楠があったりして、かなりのもんでした。樹齢3000年と言われても、凄すぎて、全く想像も付きませんが・(^_^;)
この辺りは、やたらと、小さな島があるのですが、小さな小さな島にも人が暮らしている様ですね。海は綺麗だし、空は綺麗だしで、多少不便でも生活してみたいと思うのは私だけなのでしょうか? みんなも見たら、きっと同じ感覚になると思うよ♪