大事なラブレター〜トマパイ散開一周年に〜

一年前、出さなかった手紙

今、この手紙を書いているのは2012年12月30日、皆さんが「散開」した翌日になります。
本当は昨日、書こうと思っていた、この手紙ですが、何から書き始めたら良いか判らず今日になってしまいました。

そう、皆さんに出会った日のことから書き始めれば良いのでしょうね。iTunesの「キャプテンは君だ」の登録日を確認すれば、それが2010年10月5日だったことが判ります。それよりも前、7月ごろに「Tomato n' Pine」というグループ名はTBSラジオ「タマフル」で、「申し訳ないとフロム赤坂フェス」に早朝アイドルとしての出演が決まった時に知っていたのですが、その時の情報では「変わった名前だな」と思っただけでした。

その後、多分、まずは楽曲の評判からと、ももクロと一緒に「アイドルちん」に出演することが決まったことを知ってからだったと思うのですが、YOUTUBEで探して動画をチェックした時の興奮は久しぶりに味わったものでした。おそらくPerfume以来と言って良いでしょう。
既にシーズン2が開始されていたところで、シーズン1の動画も一緒に観たのですが、こちらはもう、何と言うか「存在が信じられない」ようなものでした。そう、多分、「存在してはいけなかった」もの、「奇跡」だったんだと思います。
YUIさんが、まだ小池唯名義のままで「奏木純」さんと一緒に活動したシーズン1は209年4月4日にインディーズで発売された素晴らしいデビューEP「Life is Beautiful」と、そのプロモーションのみで、奏木さんが脱退してしまい、あっけない終わりを迎えていました。
それだけでも、間違いなく「Tomato n' Pine」という名前は音楽史ガールポップの項目に「隠れた名盤」を残したグループとして刻まれたと思いますが、それだけでは終らなかったからこそ、今、これを書いていられるわけです。
でも翌年8月25日にリリースされた「キャプテンは君だ」はシーズン1の終わり=別れを織り込んだタイトル曲によって始まっていました。
思えば、翌年3月9日のメジャー第一弾「旅立ちトランスファー」も出発の陰に別れを含んだ歌詞世界でした。
そのため、多分、僕も、そして少なからず他のファンの人たちの多くも、いつか来る別れを感じながら、活動を見守っていたように、今からすると思うのです。でも、そのことが、ほとんどアイドル的なキャッチーさではなく、楽曲を中心とするグループの作品としてのクオリティ向上を第一にした「在りがたい」方向性を、現実として受け入れるためには必要だったのかもしれません。
シーズン2は、シーズン1のように「奇跡」でも「存在してはいけないもの」でもなかったけれど、「在りがたい」、「魔法がかかった」2年半でした。
思えばデビュー曲は震災の影響でプロモーションが出来ず、また3枚目にして最後のシングルになった「ジングルガール上位時代」でもWADAさんの病気で握手会のみ開催と不運が重なったデビュー年も、何か見えない力が、その魔法を消そうとしていたと妄想させるようなものでした。

それでも皆さんは今年の2月から西麻布elevenでの定期イベント「POP SONG 2 U」を始めることで、今度はライブを中心として魔法のかかったようなパーティを実現してくれたのです。クラブは正直苦手で2.5DによるUST中継で満足していた私も、とうとう後半は全部、通うことなりました。
2010年10月の新宿ロフトでのタワレコ主催のイベントなど素晴らしいパフォーマンスはあったものの基本的にライブは苦手としていた皆さんが、ようやくホームを作ったイベントでした。でも集客には苦労していたようで、十分に参加できなかったことを今になって悔やんでいます。

正直のところ、歌唱はリップシンクに近い「かぶせ」になっていましたが、「PS2U」での音響とMIXは本当に最高の技術に支えられていました。ある意味では、ほとんど「地下」アイドルのイベントとフォーマットは変わりないものなのに、箱の環境が違うと、ここまで違うのか。もちろん見えすぎないステージの低さも魔法の条件ではあったと思います。

そう、何よりも、とにかく、あの一番、「駄目だった」と言っていいステージングだった去年12月の新宿BLAZEのイベントでも完全に開眼していたWADAさんのライブを引っ張っていく力が十二分に覚醒したステージを繰り広げていたことを記録しておきたいのです。特に「ワナダンス!」は完全に「ワダダンス!」とも言えるパフォーマンスでした。というか、あの満員の箱の状況ではWADAさんの姿を追うので精一杯で、ステージ全体を見渡すことは無理でした。

そう僕はWADAさん、いや和田えりかさんが大好きでした。アラフォーにもなる男が恥ずかしげも無く書いてしまいますが、思わず2枚目のシングル「なないろ☆ナミダ」でのイベントでは、ほどんど握手会には参加しない私なのに2回も握ってしまいました。逆にその事で、もっと深入りすることが怖くなって、遠くから見守ることが多くなってしまった、と言えば言い訳になるでしょう。そして、最初から、いつかは終わる魔法の時間であることを感じていたと言うことも…。

でも散開が決まって最後になった「PS2U」を、ほとんどステージが視界に入らない状況で観ながら、終わることが判りながら、それを意識しないことで魔法が成立していたことが判ってしまったのです。
最初で最後のワンマンライブ「POP SONG 4EVER」でも、明らかに解散ライブでありながら、直情的な湿っぽい雰囲気を削ぎ落とすようなステージが、魔法を何とか消さずにいたように思うのです。唯一にして傑作アルバム『PS4U』でも青春の終わりを歌う「夢のカケラ…」の後の、構成的には殆ど蛇足に近いリミックスヴァージョンの「ワナダンス」が奇跡を起こそうする魔法の呪文のようです。

トマパイの御三方、そしてジェーン・スーさんを始めとするスタッフの皆さん、本当に魔法にかかった音楽の時間をありがとうございました。
そして、今は魔法が解けて、普通の女性に戻った和田さんが、また僕らの前に姿を現すことがあるのか、それは期待せずに待つことにします。
それまでは、バイバイ。

一年前、書かなかった追伸
ぶっちゃっけ、シーズン2について思ってたことは、まだありました。
何よりYUIさんを目立たせるためのヴィジュアルデザインが目立ったように感じます。痩せぎすのHINAさんと当初は結構、ぽっちゃりしてたWADAさんの間で、ちょうど良く見えるYUIさん、みたいな。だって、WADAさん明らかに、太って見えるジェケ写が多い。「キャプテンは君だ」が特にですが、アルバムもそう。シーズン1はYUIさんが丸顔担当だったのに!
このあたりジェーン・スーさんのヴィジュアルコンセプトを含めたプロデュースは「的確だった」のだけどWADAファンにとっては甚だ不本意なものでした。
最近、久々にトマパイをまとめて聴いて、やっぱ凄いな、と思った。最近は「これはトマパイぐらい良く出来てるかも」と思うようなアイドル楽曲もあるんだけど、やっぱりこのレベル近づくのは難しいです。
まずマスタリング音質がとっても良くて、なかなか他で同じぐらいのクオリティを出せてるところが無いという越えられない壁があるわけで。
ただ、トマパイは楽曲はトップレベルだったんだけど、正直、アイドルとしては一部から色々と過大評価されていたところがある。
手紙でも書いてますが、「PS2U」というクラブイベントは、はっきり書けば、ほとんど口パクのステージ(ちなみに初期はシーン2でも、もっと生歌の要素が強かった)。
踊りも練習は頑張っていたとは思うけど…あの照明が暗めでギッシリ客が入って見えにくい環境だったから駄目なところが目立たなかったという、まあ「魔法」があったことは客観的に書き残しておかないといけないと思います。
また実際CDのヴォーカルに関しても色々と「魔法」がかかってたと思うんです。
きっちりCDのクレジットでは"Additional Vocals"というかたちでコーラスだけじゃなくて他の女性が一緒に歌ってるのが明示されてます。
トマパイ楽曲のヴォーカル部分というのはオートチューン臭さがない音像なんだけど、このあたりに「秘密」があったんじゃないかな、と推測されたりします。

最後にトマパイメンバーのその後をまとめておきましょう。WADAこと和田えりかさんは直後に事務所を移籍して現在は風間亜紀さんと言う芸名でタレント、モデル、女優として活躍中。YUIさんこと小池唯さんも同じく事務所を退所。退所前に撮影していた映画のプロモーション活動を秋にしていたようですが、まだ今後の活動は不明。
HINAさんこと草野日菜子さんは昨日、トマパイと同じアゲハスプリングスが楽曲プロデュースするユニット「fait★star」をYURIAさんという方と結成したことが発表されました。ほぼトマパイの後継ユニットと言っても良いような感じなので、楽しみなところです。

気が付けば今年ブレイクした「アイドル」はE-girlsだった

本当は℃-uteに今年は期待かけてたんですが。
アルバムの好セールスに続いて「ごめんなさいのkissing you」のヒットで完全に今年ブレイクの「アイドル」の座を掴んでしましました。紅白出場も決まったので、9万枚以上売り上げてる本シングルも10万枚を越えてくる可能性はあるでしょう。
そうなると本当のブレイクと呼んで良いかと思います。


と言うと「E-girlsってアイドル?」って声も確実に出て来るでしょうね。これがポイントになりそう。
例えばK-POPのガールグループを「アイドル」とすれば十分にアイドルの範疇に彼女たちも「収まる」と思うんですね。でもコアな「アイドルファン」からすると違和感は、まあ、あるでしょう。K-POPと同じで。
つまりアイドルヲタクの層を掴まずにブレイクしたわけで、これは興味深いです。
おそらくはファンの中心は兄貴分のEXILEのファンだと思われます。ただ、そこから外に広がっている部分もあると思うんですね。
去年は彼女たち、TIFにも出演してましたが、今年はそっちの層は諦めた感じ。
「THE NEVER ENDING STORY」の川崎でのイベントに遭遇したことがあるんですが、完全に女性を中心とするファン。
そこから更に「ごめんなさいのkissing you」で、もっと一般的なリスナーを獲得したんじゃないでしょうか。このあたりは筆者が所属するクラスタと違うところなんで、完全に推測になってしまいますが。


ある意味、彼女たちのブレイクが「アイドル」とは違う大きなトレンドになっていく可能性もないではないかな。
ただ今の℃-uteだって、どれだけ「アイドル」っぽいかと言うと…。まあカワイイところですか(笑)。そもそも元々ハロプロはアイドルを自称しないが基本でしたし。
ともあれ特にライトな女性のファンにとってはE-girls℃-uteも、そんなに激しく違いがあるものではないと思うんですよね。
さて、問題は逆にE-girlsの場合、男性ファンをどれだけ引き付けられるか、ってところのような気がします。今は、この層が興味持ってきたためにブレイクして来てる状態だと思うので。
来年のアングルとして面白いのはE-girls(と所蔵グループ)と℃-uteの勝負かも。それからハロプロの中で路線の近いJuice=Juiceも。


ポイントは、こちらの記事を元にするとオリコンとiTSのチャートをあわせれば今年の一番のヒットの一つは「恋するフォーチュンクッキー」だったってことのような気がします。
E-girls℃-uteもエレクトロですが、大きな層を掴んだのは、ちょっとレトロなサウンドのBPM遅めのディスコ曲だったわけです。
このへんのサウンドの揺れ戻しはアメリカでもEDM離れ、ディスコ=ブギー流行として進んでいるところです。


面白いのはJuice=Juiceの新曲が「恋チュン」と同じぐらいのBPM120だってこと。

こっちの新曲をレコ大で歌えるのかな。そうしたら一般ピープルに訴求するか見もの。
EXILE方面ってEDMはやってますけど、まだ遅めのBPMのダンスものやってないように思うんですよね。

それから遅いと言えば、この曲もBPM120未満。


それから新生東京パフォーマンスドールも今はアイドルのように思われていますが、90年代と同じようにアイドルとは自称してないみたいですし。
来年はアイドルと名乗らないこと「流行る」かもしれないかな。

ジャニーズと女性アイドルグループとの関係を再考してみる

あまりこちらでは雑記的なことはやらないようにしようと最近は思っていたんですが、前の記事とリンクするので書いておきます。


「ジャニー喜多川が音楽ビジネスに与えた影響は? 突発的アイデアがやがて業界の「定番」に」


以前、「日本現代グループアイドルの起源」で取り上げた『AKB商法とは何だったのか』の著者さやわか氏による記事ですが、まあ、その時のジャニーズの話題とも繋がるところの内容です。

確かに、氏が指摘しているようにジャニーズと現代的な女性アイドルグループとの関係性は、はっきりとは見えません。
私が思うに、直接的な影響は少なくとも80年代に関しては無かったと考えてよいと思います。前にも書いたように逆に女性ソロアイドルのビジネスの方が本来はグループ中心のジャニーズに影響して、70年代から80年代初頭にソロ歌手をデビューさせたということは言えるかもしれませんが、その逆は、ほとんど無かったと思います。
(ネーミングで物議を醸したという噂もある「少女隊」に関しては多少あったかもしれませんが…)。


完全に推測の説ですが、一つには女性版ジャニーズをやるには当時は宝塚だけじゃなく、松竹歌劇団日劇ダンシングチームが、まだ存在していたので差別化が難しいという環境もあるかもしれません。
「帝都超少女歌劇団」というキャッチフレーズも使っていたという東京パフォーマンスドール南青山少女歌劇団、制服向上委員会など、劇場公演をメインにした女性グループが生まれるのは、古いタイプの大所帯女性グループであるSKD、NDTが解散していく時期でした。

スクールメイツは育成スタッフがジャニーズと一緒だったようですが、こちらはデビュー前のタレントが所属する機関です。
基本として女性アイドルはテレビを通じてソロで売り出すものだったわけですが、その時代が終わった後に徐々にグループでの活動が主流になって行ったわけです。
そこで漸くジャニーズのビジネスに目を向け始めたところはあったのではないでしょうか。


もう一つ、芸能活動における性差の問題を考えておきましょう。やはりかつては芸能以外の活動と同じように、女性は結婚後は家庭に入るというのが主流でした。つまり引退するので、女性の芸能活動は持続的でない部分が大きかったわけです。アイドルでいえば山口百恵が顕著な例になります。
残酷な言い方をすれば女性の青春時代を搾取しても、その後は引退してもらう道があったということです。
これが時代が変わり、雇用機会均等法の成立とも時期を同じくして、松田聖子が出産後も「アイドル」として活動を続け「ママドル」というような呼ばれ方も生まれます。
初めて大所帯の女性アイドルグループとして大成功したモーニング娘。の第一期メンバーの中澤裕子さんはデビュー当時、既に社会人の年齢でした(私は同い年です)。


更に重要なのは芸能タレントを応援する女性は、その娘にも影響を及ぼすということです。宝塚とジャニーズは、そのような女系のファンによって連綿と支えられている構造があります。男性アイドルファンとその息子にはそういう関係は、ほぼ無いでしょう。
まあ女性は母親に結婚を考えている男性のことを相談するでしょうが、男性も、父親ではなくて母親に相談するケースの方が多いのでは。

つまり、どうしても女性アイドルはジャニーズとは異なりファンの継承というものがファミリーツリーとして続きにくいところがあります。
これがジャニーズが「アイドル冬の時代」の低迷期以外は隆盛を誇っているのに対して、女性アイドルは定期的に下火になる原因かとも思われます(70年代後半も実は冬の時代に近いものがありました)。

ハロプロの場合は、その点、女性ファン層も比較的大きいので、母娘で継承されて継続している部分もあるでしょうが、やはりファンが世代交代してAKBが全盛になりました。
ただし、あまりにも宝塚的な女性を中心とするファン形成をしてしまうと男性にとっての「アイドル」から離れていってしまうというところはあります(これが宝塚は決してアイドルグループの先駆けとは言えない、ということの理由です)。
一方、ジャニーズはと言えば、コンサートはやはり女性ばかりでしょうが、男性にもファンがいますし、ファンとまでは行かなくても、楽曲をCDやカラオケで歌うなどで作品を享受することは多いので、こちらの方が女性グループも参考にできます。
おそらくはハロプロもジャニーズから取り入れられるところは探しながらやってきたでしょうし、AKBのソロ活動の露出の仕方にも影響しているかもしれません。AKBはミュージカルを継続してやっていないのがジャニーズ的ではありませんが。逆にハロプロはドラマでの展開が少なくなっているのがジャニーズ化できてないところでもあるのは、これも前述の北川昌弘氏の著書で指摘されているところです。
というような、ファミリーとしてのファンの形成まで含めてジャニーズの影響なのですが…まあ『AKB商法』の著者は、あまりそちらには興味ないようで。


最後に所謂「アイドル冬の時代」がジャニーズの低迷期と連動しているか、という件について考えておきましょう。これは実際のところ「影響関係はある」と考えるのが適当だと思います。
どうしても、今は一般の媒体では、ちゃんと触れる人がいないのですが、89年の中森明菜さんの自殺未遂事件の現場には近藤真彦さんがいたわけですし、記者会見にも同席しています。
更には、この事件には近藤さんと他の女性アイドルとの不倫が関係しているという噂も喧伝されたところです。
つまり、この事件は80年代を代表する男女のアイドルが3人関係していたとされていたので、社会的な影響は非常に大きいものでした。女性男性問わず、アイドル現象に対する社会の幻滅が広まることになった事件だったわけです。
ジャニーズについては、もう一つ、元フォーリーブス北公次さんによる暴露本『光GENJIへ』も対する世間のマイナス評価につながるものでした。

あれほど一世を風靡した光GENJIも徐々に人気が下がって行き、続いてデビューした忍者は売れずというジャニーズの低迷期に繋がったわけです。
ようやく復活したのはデビュー当初は、やはり上手く行かなかったSMAPが今までのジャニーズとは違うストリート的、本音重視のカラーを打ち出してブレイクして以降になります。これに続いて女性アイドルも沖縄アクターズスクール出身の安室奈美恵、MAX、SPEEDのような本格的なダンスを中心にしたスタイルが主流になる時代に突入します。
これは、つまりかつてとは逆にジャニーズの男性グループのスタイルが女性グループに影響を与えた流れかもしれません。
ただし、おそらくは直接的に意識したのはグループを複数抱えることになったハロプロが初めてなんじゃないかと思うのですが…。

ふたつの「17才」〜平成元年のロックンロール

1971年、いまだ「本土復帰」前の沖縄から上京した17才の少女が自分の年齢をタイトルにした曲でデビューヒットを飛ばし、アイドルと呼ばれる存在の先駆けとなったのだったが、それから17年以上を経過し、そろそろ所謂「アイドル冬の時代」の気配が漂い出す1989年、その数年前、17才でCMモデルのオーディションに合格し翌年デビューした熊本育ちの20才の歌手が、同曲のカバーによってブレイクを果たすこととなる。
言うまでも無く、前者は南沙織、後者は森高千里。曲名は「17才」。

80年代末の当時流行していたユーロビートによるアレンジで、既に「懐メロ」と言っても良い過去の曲をカバーした、と言われれば、当時を知らない若い人たちは「企画もの」と連想するだろう。いや、確かに既に自ら作詞を手がけるようになっていた森高(彼女の場合は苗字で呼びすてにするのが敬称だと思うのでそうする)にとっても、一種の「企画もの」だったのかもしれない。しかし、この種の企画としては異例なほどのヒットとなり、このシングルは年間オリコンチャートでも43位を記録した。ここから森高は大きく飛躍し、特異なポップスターへと成長していくのだが、とりあえず今は、1989年に踏みとどまって当時のPVをご覧いただこう。

ファッションは原曲が発表された70年代ではなく、それよりも前のアメリカンオールディーズの黄金時代の60年代初頭を感じさせ、楽曲、サウンドと相まって60年代から当時の「現代」までの要素をかき混ぜた不思議なテイストを持っている。全体として、アイドル的な様式を突き詰めたような世界観と言えるだろう。
これが「企画もの」に終わらなかったのは既に成人を迎えていた森高が、ある意味で本物のアイドルになってしまったからだ。
「17才」のカップリングとして収録された、そのものずばりの「20才」で「来年にはオバさん」と歌われる年頃になったのにも関わらず(その後のコギャルの年齢観を先駆けるような、この感覚は言うまでもなく後年「私がオバさんになっても」という代表曲を生み出す)。

当時、レコード店の中には「ニューミュージック」と「歌謡曲」という風にコーナーを分類していたところがあったが、森高のレコードはこの時期、前者から後者に移るという非常に珍しい「越境」を起こしていた。つまり「アイドル歌謡」として遇されるようになったのだ。
デビュー曲の和製シーラE的なPV。

しかし、18才のデビュー当時の方が、「ニューミュージック」として売られたにしても、実際のところは職業作家の曲をあてがわれた歌手であり、また女優やテレビのクイズ番組のアシスタントと言ったタレント活動もしていたのであって、実質的には「アイドル」と言っても良い存在だった。それが徐々に作詞をするようになり、仕事も歌手一本に絞って、脱皮を果たそうとしていたのが、このシングルが出た1989年ごろだった。それにも関わらず、「17才」の一つ前のシングル「ザ・ストレス」ではミニスカートのウェイトレスのコスプレをして、一気にイメージチェンジをしたのだ。


「17才」も収録したアルバムは『非実力派宣言』と題され、より「アイドル」的なイメージが強調されたとも捉えることは出来るのだが、カーネーションが参加し、彼らの代表曲「夜の煙突」をカバーしたり、その他は全て自作詞による楽曲を収録している点では「ロックアーティスト」的とも言って良い要素を展開した作品になっている。

果たして森高はアイドルだったのか、それともアーティストだったのか。いや、結局は彼女は、そういう二分法の意味を無くしてしまった存在だった。だから、その道は孤独だったし、現在でも多くのアイドル論では省かれたり、十分に語られなかったりしてしまう。
彼女は決してアイドルを演じていたのでもなく、ましてや否定していたのでもない。自分がアイドルと見られることを肯定したからこそのコスプレなどの表現だったはずだ。
しかし、確かに彼女が1989年、アイドルの歴史の始まりの曲を歌うことで、その歴史のサイクルは一回、閉じられてしまったのだった。

ただ、そこから新しい時代が始まった。たとえ、その後何人も登場した自作詞を歌う女性シンガーが今度は、「アーティスト」として遇されるようになってしまったとしても。森高は「17才」を歌った数年後には、ほぼ全ての曲で自分が叩くドラムのビートに乗せて歌うようになる。90年のシングル「臭いものにはフタをしろ!!」で彼女が宣言したように「腰をフリフリ歌って踊」ること、それこそが教条主義的な「ロック」ではなく本当の「ロックンロール」なのだから。

そしてロックンロールこそ大衆音楽の歴史の中でプロ=アーティストとアマチュア=非実力派の価値を転倒してしまった音楽である…というのも、まあ、「オジさん」ぽい理屈だろうね。

日本現代グループアイドルの起源

さやわか氏による『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)は、AKBのCDプロモーション戦略を中心として、現在のアイドルビジネスを論じた力作。非常に隙を見せないロジックで大変、緻密な論を展開しています。
ただし、細部では隙が無いのに全体として薄っすらと納得できない感触が残る不思議な本でもありました。
結論に近い部分について考えてみましょう。著者は所謂「アイドル戦国時代」といわれる競争状態が終わり、今後、安定した多様性が保持される理想的な状況へ転換するにあたって、複数のアイドルを応援する=推す「DD(誰でも大好き)」というスタイルに可能性を見出します。
しかし、単純に考えて、これはファン個人の志向性と全体のシーンを短絡しているとも言えます。
完全なDDというものは、抽象的な理念でしかありませんし、いわゆる「KSDD」と呼ばれるような剛の者たちは、本当に限られた人たちでしかありません。
DD的なアイドルの楽しみ方をしているファンの多くは、日々の生活の限られた時間(可処分時間)の中で、数多くのアイドルの中から選択を強いられて「行きたい現場が複数かぶって大変だよー」と悲鳴を上げたりしてるわけです。

そのようなDD的なファンよりも、今までアイドルに全く興味が無くても、ある特定のアイドルに強烈にはまってしまうようなファンの方が、シーンを拡大して、最終的に多様性を齎すと考える方が適切なのではないかと思われます。
本書でDDと関連付けて語られる「推し増し」というものも、本来AKB内の閉じられたパイの中でのファンの選択行動から生まれた言葉に過ぎません。

AKB商法とは何だったのか

AKB商法とは何だったのか

ももクロのファンである所謂「モノノフ」を自称する人たちの多くが「ももクロは他のアイドルとは違う」という風に語ることが多いのは、そういう強い忠誠心のあり方を示しているのでしょう。初期ももクロは「今、会えるアイドル」というキャッチフレーズで、チケットが取りにくくなったAKBファンたちにアピールして、DD的なファンの獲得から始めたグループですが、そこから競争的な「戦国時代」を演出する戦略を経て、最終的にはDD的なスタイルを維持するようなファンを重要視せずに、アイドルヲタク暦の浅いモノノフを自称する忠誠心をアイデンティティとするファン(これは若年層に限りません)を拡大することで、トップに昇りつめたと考えて良いではないでしょうか。
そこでは「ももクロはアイドルの枠を超えている」という極端な論調もあるわけですが、これにしても実際のところ、さほどアイドルに詳しいファンの発言ではありませんから、まずはアイドルの基準はAKBであって、「ももクロはAKBではない」と言っているのに等しいと理解した方が良いでしょう。
ですから、発言内容自体は、ほぼ間違っていますが、ももクロをアイドルとする観点からすれば、このような発言が多くなるのは、アイドルを多様化する結果を齎すものと考えられます。ただし、それは「アイドル」という呼称自体を無限に拡大解釈することにもなるわけで、所謂、「浸透と拡散」の問題に行き当たります。


その意味で大変、興味深いのは「AKB48はアイドルではない」と言う観点から語られる北川 昌弘とゆかいな仲間たち『山口百恵AKB48 ア・イ・ド・ル論 』(宝島社新書) です。こちらは細部では疑問を感じる部分は多少ありますが、全体的には、とても面白い論を展開しています。
北川氏の立場は明確です。銀幕のスターとは異なり、「アイドル」はテレビが生んだものだ。その意味で、近年のテレビよりもライブでの活動を重点とするAKBは「アイドル」とは別のものである、と。またグループという形態の問題からグループアイドル=「GI(仮)」という呼び方で、歴史的な切断を見出しています。
「GI(仮)」という呼び方は、ちょっと定着しにくそうなのが残念ですが、従来型のアイドル論では、基本的に連続性を見ていたところを、「アイドル」ではないという前提で、大きな切断を見出すのは、議論として結構、生産性があるのではないかと思われます。
また著者本人が認めているようにアイドル音楽については、ほぼ興味が無いということも、逆にアイドルの多角的な側面を語ることに役立っています。

本書でも違いを際立たせるために類書と同様にソロアイドルの歴史が語られますが、今後は違いを前提として、グループアイドルだけを独立させて歴史を語っても良い時代に入ったのかもしれません。
これは筆者の持論なのですが現行の大人数グループアイドルの形態で一番、最初に成功したのは男性アイドルグループの光GENJIだと思っています(それ以前は人数的にはフィンガー5の5人が限界でした)。ジャニーズは、さやわか氏が適切に指摘しているようにAKB商法に繋がる複数タイプのレコードの売り方した初期の例でもあります。
このへんソロを含めた女性アイドルの変遷を中心に考えてしまうと見えないところかと。

ひとつだけ北川氏の論への若干の異論を書いておけば、やはりAKBでも今のような人気を獲得するにはテレビの力は大きかったと思えるところです。
私が考えるにAKBは「HD大型ワイドテレビ時代」のグループです。確かにAKBの16人を1チームとする基本編成は劇場に適したもので、ちょっと前までのテレビ環境向きではありませんが、2011年の地デジ放送の開始にあわせたテレビの買い替えによって、十分に家庭でも鑑賞できるものになったと言えます。

山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論 (宝島社新書)

山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論 (宝島社新書)

ということでジャニーズについても考えてみないといけないな、と思い、大谷能生速水健朗、矢野利裕による鼎談本『ジャニ研!: ジャニーズ文化論』(原書房)を読んでみましたが…答えは全部書かれてました。
60年代に活躍した初代ジャニーズは元々、少年野球チームのコーチをしていたジャニー喜多川氏が映画『ウェストサイドストーリー』に感化されてミュージカルを上演するのを目標に始めたものなので、グループが基本ですし、テレビよりも舞台重視、つまり現在の女性グループアイドルと同じです。
著者たちは最初はジャニーズとの違いの方を語っていますが、最後には女性アイドル、特にハロプロに詳しいライターの南波一海氏が登場して、同一性をクリアにしています(上記の地デジ対応の問題も南波氏は指摘してます)。北川氏もハロプロとジャニーズに関係を語っていますが、ドラマや映画などで成功していない点を除けば、かなりハロプロはジャニーズに近い位置にいると言っても良いです。

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

振り返ってみればジャニーズでもソロが目立った時期は女性ソロアイドルの誕生と衰亡と重なります。まず最初にジャニーズで成功したソロではる郷ひろみは、実は女性アイドルの先駆けである南沙織よりも後のデビューです(レコード会社は同じCBSソニーで制作陣は重なっています)。ただ、郷さんにしても「新御三家」というかたちで、西城秀樹野口五郎とのライバル関係の中でシーンを作った面がありますし、トシちゃん、マッチも、ヨっちゃんと一緒に、元々は「たのきんトリオ」でした。その後にデビューするのは、またグループに戻って、シブがき隊、そしてジャニーズの一つの完成形である少年隊へと至るわけで、ソロの方が例外であったわけです。
と考えると女性を含めて「アイドル」の全盛であるソロ歌手をテレビを中心に発掘され、PRされた時期の方を、ある種の例外と考えることも出来るかもしれません。

また今の女性グループ全盛期を「女性アイドルのジャニーズ化」として考察する観点もあるでしょう。それを、より大きく考えると日本の芸能のアメリカ的エンターテインメント化でもあります。ジャニ研が指摘するようにジャニー喜多川氏は、ほぼ「日系アメリカ人」です。また南沙織アメリカ占領下の沖縄から登場しますが、もう一組、男女混合グループであるフィンガー5も同時期に大人気になりました。こちらの制作陣はピンクレディーに引き継がれます(追記:ちょっと表現が広義すぎて誤解を招くものでしたね。作家陣が共通していて作詞は両方とも阿久悠ピンク・レディーのメイン作曲家、都倉俊一も数曲フィンガー5に提供しています)。

次に沖縄を通してアメリカ的なアイドルグループが登場するのは安室奈美恵を擁するスーパーモンキーズを嚆矢とする沖縄アクターズスクール勢とライジングプロ。こちらは、よりR&B色の強いエンタメでした。ここで音楽プロデューサーとして活躍したのが、同じくR&B色の強いステージを行っていた東京パフォーマンスドールの楽曲制作にも関わっていた小室哲哉だったのは、自然の流れだったのでしょう。ジャニーズも光GENJI、忍者と和風の要素が加わったグループをデビューさせていた時代が終わり、SMAPが方向転換してR&B色を強めて大ブレイクします。

女性アイドルは宝塚と比較されることが多いですが、それは短絡的であるように思えて、ちょっと疑問点があります。おそらく、今後は女性アイドルグループがジャニーズをお手本にすることも、更に増えるでしょう。女性だからとか男性だからという違いを過剰に考えたり、スキルがあるとかないとかを何か重要なことと考えるよりも前に、そのグループが実際にやろうとしているかを考えることの方が、当然、大事なんじゃないでしょうか。


また、そもそも「アイドル」という言葉が最初に日本で使われだしたのはプレスリービートルズが最初だったことを、思い出すべきかもしれません。

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)

アイドルを再定義せよ〜武藤彩未ソロ第1弾プロジェクト『DNA1980』

7月19日、渋谷O-EASTで行われた、さくら学院卒業生、武藤彩未さんの初ソロライブへ行ってきた。

最近、「アイドル」の意味が問い直されるような動きが目立つような印象を受けていました。アイドルの歴史全体をドラマ化しようとするかのようなテレビ小説「あまちゃん」の放映開始。また小西康晴さんがNegiccoの持つ天然のユーモアに包みこみつつも、秋元康=AKBの作った現在のアイドル像に辛らつな皮肉を投げかける「アイドルばかり聴かないで」のリリース。

そして、今回の武藤さんのライブ開催が発表された時に、「アイドルを再定義せよ」という更に強い問いかけのようなものが感じられたのです。
武藤彩未ソロ第1弾プロジェクト『DNA1980』始動!!!」と題された今回のイベントの第一弾の発表では次のように書かれていました。

2013年4月29日、17歳の誕生日を迎えた武藤彩未のソロプロジェクトがいよいよ始動します。

武藤彩未の音楽のルーツをさかのぼると、2000年代から1980年代まで時代を逆行し、幼稚園では「モーニング娘。」、小学校に入ってからは「SPEED」、そして中学校に入学してからは、彩未が幼少期に両親が大好きだった1980年代の音楽を聴いて育ったこともあり、本来彼女にとって未知の領域であるはずの松田聖子さんをはじめとする80'sソロアイドルに強く憧れていったのです。
2012年初夏、武藤彩未ソロプロジェクトのスタートは1980年代の楽曲を厳選し、彼女自身の歌とともに現代に再生させることで彩未自身に音楽DNAを取り込む作業からはじめることとなりました。
それから約9ヶ月、1980年代を完全に再現するレコーディングのため、当時のレコーディングを知るエンジニアをはじめ、以降の日本の音楽業界を代表する各世代のミュージシャン、プロデューサー、アレンジャーを招き行いました。

続いて発表されたLIVE会場限定盤CDのミュージシャンクレジットも、その本気(マジ)具合をうかがわせるものでした。

そして、届けられたライブと実際のCDの内容も期待に違わぬものだった。
嘘偽りなく忠実な80年代そのままのサウンド。多くの80年代のアイドル歌謡ではビジネス上の諸条件から十分に時間をかけられなかっただろう部分を、最上のクオリティまで到達させていると言う点では今日性を感じさせますが、それは決して「新しいものを加えました」ということではありません。
録音的には当時アイドル歌謡では最も高品質であっただろう全盛時の松田聖子さんのものに匹敵する、あるいは、それ以上のものを作るろうとするかのような気概が強く感じられる音作りでした(今回、聖子さんの楽曲では最初期のものが選択されているのも、あえて真っ向勝負を避ける配慮からのような気がします)。


しかし、ライブが始まって、そのサウンドを初めて体感した時に、危惧を感じていたのは下手をすると「超高級カラオケ」のようなものにならないか…ということでした。
それを払拭したのは武藤さんその人の天性の存在と才能の可能性です。「本物のアイドルがそこにいる」という確信を観客に抱かせる説得力、それが時空を越えて、80年代のソロアイドルが持っていた輝きを2010年代の現在に再現=反復する力であるように感じます。
(ちょっと論旨から外れますがレポートとして記録しておきたいのは、武藤さんが演出台本を外れて、ファンとコミュニケーションをしたいがために若干、暴走し出すMCに垣間見れた天性の芸能IQの高さ!)。


そもそも多くのアイドルを産んだオーディション番組が「スター誕生」と題されていたように、アイドルとはスターの原石としての輝きを秘めているとプロによって判断されてデビューした人たちだったはずでした。「あまちゃん」でも描かれていたように、それを覆して、ほぼ素人でもアイドルになれる時代を作ったのが、80年代半ばのおニャン子クラブの登場だったのですが、だからこそ、おニャン子は革新的であったのです。
そこから再び「スターを目指すアイドル」を復権することは、トランプの大富豪での「革命返し」のようなものかもしれません。
既に、さくら学院からは卒業生の中元すず香さんのボーカルをメインでフィチャーしたBABYMETALが部活動(派生ユニット)から発展的にメジャーデビューして人気を拡大していますが、そこから進んで更に本格的なソロのスター歌手を生み出そうというプロジェクトが今回始まったのだと言えると思います。実際のところ、80年代、おニャン子クラブ工藤静香さんという一世を風靡する歌手を輩出しましたが、最近では、AKBも前田敦子さんが本業が女優であるため、未だ果たせていないことですし、モーニング娘。を始めとするハロプロも卒業生というかたちでは十分に成功させていないことです。
筆者としては武藤さんの現在のプロジェクトは18歳の誕生日まで続くと予想していますが、言うなれば、これは規定フォーマットではない、個別研修プロジェクトのように思えます(そして、これによって義務教育的な成長期限定のさくら学院のあり方も明確になる)。


さて、アイドルは再定義されるのでしょうか。実は答えは「元々アイドルとは定義不能だ」と言うのが正解である思います。
筆者も含めて今回のライブに集まったアイドルに対してマニアックな志向を持つ人たち(所謂ヲタク)は、「アイドルらしさ」という主観的なイメージを持って、それを追い求めていますが、アイドルの全盛期である80年代を反時代的とも言える水準で再現=反復するとき、それがいかに受け手ひとりひとりの個人史の中で形成された原理的には共有不可能なものであるかが明らかになったようにも、思えます。実際、80年代のアイドルを実体験したことのない観客も多かったはずです。
それでも、観客の側に何らかの「一体感のようなもの」が生まれたのだとしたら、それは成長変化する武藤さんという存在が、プロの手による優れた楽曲を歌い踊ることで生まれる熱が伝播し広がる現在進行形の時間の中にしかないような気がするのです。


彼女の持つ可能性から色々な予想が広がっていきます。例えば、もしかしたら男性視点ではなく、女性視点からアイドルを問い直そうとしているのではないか、とか。
でも、妄想には、きりが無いので止めて置きましょう。でも、一つだけ最後に書いておきたいのは私自身が最近、感じていたアイドルシーンの薄っすらとした停滞感が今回、一気に払拭されたことです。こんなにワクワクするのは久しぶりだ。

大阪を中心にローカルアイドルシーンを考えてみたりしちゃいますが雑記です

まあ過去の記事がYahoo!ニュースにリンクされてアクセルバブルが発生しまして、やっぱちょっとフォローしておきましょうか。それから「アイドルと大阪」と言うことでは、こちらの記事の方が、もうちょっと思弁的に深い論を展開してるかと(笑)。


元々、大阪が「アイドル不毛の地」みたいに言われたのは、過去、東京以外でメディアを通してアイドルを発信できるような大都市は大阪だけだったけど、でも上手く行かなかった、というのが大きいでしょうね。簡単に言うと吉本がアイドルで失敗したから。加えて人材的には福岡を始めとして九州がメジャーなアイドルを関東に負けないぐらい多く輩出したのに、大阪は、その面でも後手に回ったから、かと。


さてローカルアイドルがメジャーに進出した現在の状況的に言うとチャートに入るのが最大手の48G、NMBだけ。名古屋はSKEに続いて、しゃちほこが良い位置に来てる。九州はLinQが先行してHKTも。仙台は比較的純粋な地元発のドロシーが来てる…ということで、やっぱり後手に回ってる感は残っています。


まあ、そもそも大阪は最近、一度行ったきりなので大層なことは申せません。
でも、でもこちらの「大阪はアイドル不毛の地、と呼ばれる。」という地元の方の意見からしても、以前、キャラメル☆リボンの記事でも書いた「芸能スクール文化が強い」という私の印象と近いってことなのかな、と。
キャラ☆リボだけじゃなくて同じESSEアカデミー所属のNA-NAもT-Palette Records加入、またTIFにも出演ということで、ちょっとこのへんのスクール文化のシーンも変わってきそうですが。


さて、もうちょっと思弁的に考えてみて、首都圏からするとローカルアイドル現象というのは「観光」という部分が大きいと思うわけです。これはアイドル側が東京に来る時も同じで「観光でしか見れないものが来た」みたいな距離感。でも地元の人はどういう距離感なんだろうと。
これは「東京ローカルのアイドルは存在しうるか」、という問題とも繋がってて、おそらく、実際は大阪も同じだと思うんですね。まず一つは東名阪(それから最近は福岡)以外はメジャーアイドルがライブするのが稀なので、地元のアイドルが一番、身近になるだろう。でも現場は稀少なので「矛盾」がある。

東京からすると実際はローカルアイドル現象というのは「身近さ」の問題じゃなくて「簡単には会えない」という矛盾を作り出す現象だと思うわけです。このへんは「身近さ」をアイドルの条件とする論への反証でもあって、「身近だけど簡単には会えない」という「矛盾」が必要十分条件じゃないかと。

もちろん「身近さ」の方がアイドルにおいては強い条件だというは、まあ確かなんですけどね。ローカルアイドル現象も、そのへんも循環があって、わざわざ距離を作る濃いヲタ向けのものではあるんですが、現場だと人が少ないので極端に身近だという(笑)。

福岡のことを考えると、去年から既にアイドルファンの数に対してローカルアイドルが供給過多で飽和しはじめてるんじゃないか、という印象を受けてます。
名古屋は比較的上手いバランスが取れてる印象がありまして、メジャーもイベントは、そこそこ。ローカルも、そこそこなので、しゃちほこも上手くファンを増やせましたし、まだ、もう少しは他のメジャーアイドルも入り込めそうな印象。このへんは、ちょっと現場で調べたい気持ちもあります。それから、しゃちほこは上手く東京のイベントはセーブしてて、稀少感を保っているような印象があります。


さて大阪ですが…読めませんねえ(苦笑)。とにかく吉本としてはNMBを売って行きたいでしょう。端的に言うと紅白に出したいんじゃないか、どういう手を使っても…。色々と政治的に動いているかも(笑)。でも、しゃちほこが大阪で大きくイベント打たないのは気になるんですよね…。スタダも吉本と良い関係保ちたいだろうしなあ、とか。そうすると大きな動きは今年は起こらないと見て良いかな。ただ、それって最初で書いた「後手に回ってる感」を強めることになりそう。

それこそグループは多いし、それから、いずこねこみたいな魅力的なソロもいるってことで層は厚いんですけどね。このへんが競争になっちゃうようなことも…。
それを避けるには上手く協力して、来年に臨めるシーンを作ってもらえれば、東京や他地域の人間も楽しめるかも。
京都はフェスもありますし、大阪ではなく近隣でイベントを作っていくのも手段の一つかもしれません。最終的には京阪神のシーンにしないといけませんし。


ただ、個人的にはアイドルビジネスとは若干、離れたスクール文化も凄い興味深いんですよね。東京主導のアイドル文化とは違った方向性も、多様性の重要な要素かと。
そう言った意味の大阪のローカル性というのも考えてみたい気持ちがあります。
もうちょっとアイドルビジネス寄りにスクール文化展開するなら、やっぱり、さくら学院をお手本にするとか…Tパレの社長が学校アイドル作っちゃって校長になっちゃえば!とか(爆)。という妄想はさておきキャレスが始めたスクール生によるcute×beatも非常に興味深いです。


ちょっと「東京のアイドル基準」でシビアに書いてしまうと、

  • スクール生はビジネスとしてアイドルではないし、例えば高校球児的な熱狂的な人気も獲得できない。
  • ライブアイドルは、そもそも幾ら実力があるとか魅力があるとかファンには思えてもメジャーではない。
  • AKB以外の48Gは、基本的に支店と言われても完全には否定できない。
  • ローカルアイドルシーンで魅力的なのは大阪ではない。

という感じになってしまそう。でも、これが「正しい基準」かというと、そんなことはないんですが。

ともあれNMBがSKE並に本格的に売れると東京以西は完全に48Gの勢力下に入るな…という感じが。ただ東北というか仙台、それから札幌は色々と難しいと思うんですよね。でも、そこまで進出しないといけない状況に48G入ってるかなと。このへんのことは、また回を改めて考えるとしましょうか。