peno5月のライヴ予定

penoが5月にライヴをやるようなので告知です。

[会場]
daikanyama 晴れたら空に豆まいて
http://www.mameromantic.com

2010年5月4日(火)
黄金のなかび
[出演]
タラチネ
http://www.myspace.com/tarachine

peno
http://www.myspace.com/penoxxx

王舟
http://www.myspace.com/ohshu

大野まどか
http://www.myspace.com/oonomadoka

and more!!

[料金]前売り2000円 当日2500円(共にドリンク代別途)

[開場]18:00

[開演]18:30

前回はトクマルシューゴバンドをはじめ、もう数え切れないほど多くのバンドでドラムを叩く岸田佳也さんがサポートとして参加してくださいましたが
今回もまた別のサポートの方を迎えた4人編成でライヴします。
新曲もぽつぽつ出来始めている模様…!

そして例によって例のごとく対バンが非常に豪華!!!!!!!!!

ぼくも遊びに行く予定なので、みなさんふらっと来てみてください。
ギターがぎゃいいいいんのロック音楽や、キック/ベースがぶりぶりのダンスミュージックではないのですが
かと言ってゆるい癒し系、というわけではない、なんとも言えない(言語化はしてみたい)新しいポップ音楽の胎動が
きっと見え隠れしているはずです。

トクマルシューゴ『Port Entropy』

 「音楽は何のために/鳴りひびきゃいいの/こんなにも静かな世界では」とは、フィッシュマンズの大名盤『空中キャンプ』のラストナンバー「新しい人」における佐藤伸治の問いである。
 購入/レンタル/ダウンロードで月に2、30枚のアルバムを聴き、月に3〜4本のライヴに通うという生活を数年つづけている(決して多い方だとはおもわないけれど)と、それが完全な日常の一部になってしまい、音楽をあまり聴かない友人に「どうしてそんなにたくさん聴き続けるの?」と聞かれても理由を答えられない自分がいたりもする。有名な登山家の言葉をもじって答えるとすれば「そこに音楽があるから」なのだろうか。

 一日の仕事内容を確認するようにネットでリリース情報をチェックし、いつものCDショップでトクマルシューゴの『Port Entropy』を購入する。前作『Exit』から2年半ぶりのフルアルバム。いつものように封を開け、パソコンに取り込んで再生ボタンを押す。

 彼はどの作品においても、アルバムを通して数十種類もの楽器を使用している。ひとつひとつの楽器が違ったリズム、音色を生み出し、何重にもオーバーダビングされて完成した“ひとりオーケストラ”はフリーフォークやアシッドフォークといったジャンルに形容しがたいサウンドスケープを形成する。また、自身の夢日記をもとに綴られているという歌詞もあいまって、“想像できなくもないけどイメージが追いつかない”とでも言いたくなる世界が広がる。

 たとえばシングルとしてもリリースされた「RUM HEE」の冒頭の歌詞はこうだ。
「退屈なこの檻で曲がったフタ凍らせて/焦げた匂いが薄めたアルコールに溶けて狂うよ/ビンの中暴れだす さえぎられる声/陰の中 踏みつけていくうちに 追い越され暗闇に」
一小節ごとに全く違う世界で起こった出来事のようにもみえるし、全てが地続きで起こっているようにもみえる。難解ではないけれど、すぐに理解できるほど安直でもない。あるいは「意味」を「理解」しようとすること自体が間違っているのかもしれない(意味なんかないね。意味なんてない)。そんな捉えどころのなさが彼の魅力だとぼくは思う。

 今作は音楽性に大幅な変化はみられないものの、1曲目のインストナンバー「Platform」からずっと、これまでの作品には感じなかった高揚感があった。雲ひとつない青空の下で天気雨に遭遇したような、不思議な感覚。“いつもの”風景からほんの少し“ずれ”を感じただけで、世界が全く違う様相でみえるような、そんなおどろき。

 「今回はどんな楽器(あるいは非楽器)を使っているのだろう」とイントロクイズのような感覚で耳をすまして聴いていると、ほとんどの楽曲中でメロディと楽器がユニゾンしていることに気がつく。

 そこで鳴らされているのは、リコーダーや鈴、ピアニカや鉄琴といった、誰しもが一度は触れたことがある楽器たち。ピアノの白鍵に触れて初めて「チューリップ」や「かえるのうた」のメロディをなぞることができた時の感動を思い出した。
あれはどうして気持ち良かったんだろう。自分の指が、既に存在している“正しい”メロディを紡ぎ出し、それだけであたかも世界から祝福を受けたような…と書いていて「それはそれでどうなんだ」という気持ちになりつつも、そんな嬉しさを覚えたのは確かだったような気もする。そうした体験が今に至るまで音楽を聴き続ける原風景だったのかもしれない。

 映画音楽の世界では、明るいシーンに明るい曲、暗いシーンに暗い曲を充てるといったベタな作/選曲を揶揄する言葉として、キャラクターの動き一つに至るまであらゆる動作と音がシンクロ状態にあるディズニーアニメから名前を取った「ミッキーマウジング」というものがあるらしい。
北朝鮮マスゲームがそうであるように、あらゆる物事が正確な“正しさ”のみで構成される世界は奇妙である以上に不快感すら覚えることもある。けれど、いったんそうした疑問を取り払ってしまえばその“正しさ”は強烈な全能感と没入感を提供してくれることも事実だ。日本の盆踊りだって、ある意味マスゲームだともいえる。
 今作では5、60ものストック曲の中から「これまでのキャリアを総括するアルバム」として制作されたそうだが、その結果こうした魔法にも似た強烈なナンバーばかりが収録されているのはとても興味深い。もちろん、これまでの楽曲が決してキャッチーでないというわけではないけれど、声も含めた独特のサウンド面に耳が行きがちだった。

 こんなアルバムを作り上げてしまった先に、一体どんなサウンドスケープがあるのかと想像力の乏しいぼくには見当もつかないけれど、CMや映画といった映像にまつわる音楽も多く手がける彼は、前提となっているはずの映像をも有機的に飲み込んでしまうような、どえらい作品を作り上げてしまうのではないだろうか。
 次作が何年先になってもいいから、これをして音楽活動休止、ということにだけはならないでほしいとおもう。

ポート・エントロピー

ポート・エントロピー

THE NOVEMBERS『Misstopia』

■やっぱり「音楽について書くこと」について考えている
「音楽について書くこと」をひどく雑に二分するとすれば、一つは音楽そのもの、メロディやコードや制作方法やエフェクターや歌詞などについて書くもの、もう一つは音楽の外側に立脚し、ジャンルが属するシーンや一種の社会文化論、リスニング体験を通した自分語りなどについて書くもの、に分かれるのではないだろうか。

 どういった音楽がどちらのスタイルで書かれがちなのかはわからないし、わかったからなんだという話ではある。そもそも、もうあなたが「音楽について書かれたもの」を好んで読んでいるかどうなのかさえ不明だ。ぼくの周りの“音楽好き”のだいたい90%ぐらいはもう音楽雑誌なんて全く読んでいない。クチコミと(マス)メディアのどちらを信じるとかいうアレだ。
 テクノばっかり聴くやつ、ロキノン系ばっかり聴くやつ、メタルばっかり聴くやつといったジャンルスキーとまったく並列な位置に“音楽雑誌ばっかり読むやつ”は位置付けられてしまっている気がしてならない。それは今に始まった話かどうかは、知らない。知らないし、このブログがそうであるように音楽雑誌だけに「音楽について書かれたもの」が載っているわけではない。

 けれど、あなたが、今までに読んで気に入った「音楽について書かれたもの」を集計してみた場合、どちらの数が多くなるのだろうか。ぼくはあなたに好まれるものを書きたい。できれば否定して欲しくない。もし否定する時は、できればぼくを納得させて欲しい。ぼくはあなたと話がしたい。“わかりあった”つもりになりたい。むろん、「“わかりあった”つもり」になって満足するのはぼく自身であって、あなたが満足しているかどうかは最終的に知り得ることはできない。仮にあなたが「君とわかりあうことはできそうにない」と言い放ったとする。この発言があなたの本心からの言葉かどうかは、ぼくのちっぽけな知識・経験から判断する他なく、人づてに聞いてみたところで「その人」の発言が完全にあなたの本心を反映しているかどうかはわからない。

THE NOVEMBERSと「狭義のオルタナティブ・ロック」について

 今回はそんなことを考えながら、THE NOVEMBERSについての話をする。彼らは2005年に結成された4人組のオルタナティブ・ロックバンドである。ぼくは彼らの自主製作盤*1以来のファンであり、最新作の『Misstopia』も素晴らしいアルバムだと思ったからだ。
好きだから紹介したい。だから書く。最初の動機付けはそれだけである。論として破綻している箇所が多々あるかもしれないが、あなたが彼らを気に入ってくれさえすれば、ぼくの勝ちである。

 彼らはデビューアルバム『THE NOVEMBERS』から『Misstopia』まで一貫してThe CureSonic YouthMy Bloody Valentineといった80〜90年代に最も活躍したギターバンド、あるいはそれに影響を受けた狭義の「オルタナティブ・ロック*2」を追求するバンドである。

 この反対に位置する広義のオルタナティブ・ロックとは、声を含むあらゆる“音の出るもの”を駆使し、ジャンルをごちゃまぜにして「音楽による聴覚体験の更新」を図ろうとするスタンスのバンドを指す。それはRadioheadPrimal Screamのようにアルバム毎にサウンドを全く違ったかたちに変化させることであったり、最近ではAnimal CollectiveやVampire Weekendのような、ジャンル間の組み合わせの妙を楽しみながら“聴いたことのない音”を生み出すバンドであったりする。当たり前の話だが、「音楽による聴覚体験の更新」においてギターを使っていようがいまいが関係ない。

 話がややこしくなったので整理してみる。
 現在ぼくらが「オルタナ」という言葉を使って音楽を説明する際、ロックンロールやメタルなどと同様に、ある程度完成されてしまった音楽スタイルをあえて追求する「狭義のオルタナ」と、最新のサウンドを貪欲に取り入れ、特定のスタイルを保持することに重きを置かない「広義のオルタナ」の片方かあるいは両方を意味しているということだ。

 どちらの定義が使われているかは書き手の文脈によって判断するしかない。たとえば今年、「狭義のオルタナ」のサブジャンルであるシューゲイザーについて書かれた本として黒田隆憲+佐藤一道監修「シューゲイザー・ディスク・ガイド」が出版された。本書では各章の冒頭にはそのジャンルやサウンドについての定義が何度も何度も語られているように、抽象的な“音”に関して言葉を連ねる場合、その手数は必然的に多くなってしまう。らせん階段のようにさまざまな話題をぐるぐる回りながら、ゆっくりとその本質に近づいていくこと。それは遠まわりのようでいて、最も有効な手立てなのかもしれない。

■日本の「狭義のオルタナティブ・ロック」と「鬱ロック」について

 THE NOVEMBERSは「狭義のオルタナティブ・ロック」だと書いた。
 彼らの音楽でまず目を引くのは、何人ものインタビュアーが指摘している通り、アメリカとイギリスの「狭義のオルタナ」が並列に左右のチャンネルで鳴っている点だ。1stミニアルバム『THE NOVEMBERS』の1曲目「Exit」から既に、左ではThe Smith、右ではAt The Drive Inを同時に聴いているような気分になってくる。かと思えば幻想的なシューゲイザーをハードコアのような暴力性でもってカヴァーしたような楽曲(白痴)があり、Sonic Youth的なギターアンサンブルの絡み合いがあり(dnim)、Modest Mouseっぽいミニマルな単音ギターリフを採用しながらUKスタジアムロックばりの解放感がある楽曲(パラダイス)など、ついニヤリとしてしまうような組み合わせが実に多い。さまざまな音楽要素を上手くまたは失敗して咀嚼するのではなく、ほんとうにそのまま混ぜてしまっているのだ。一枚のアルバムの中でUK寄り、US寄りの楽曲を散りばめるバンドはいても、曲中で同時に鳴らすバンドをぼくはまだ知らない。
歌のメロディは、ソングライティングを手掛ける小林がイギリスの「狭義のオルタナ」に深い影響を受けていることもあり*3、ほぼ全曲に渡ってキャッチー「美メロ」で統一されており、散漫な印象を受けることはない。

しかし、小林が影響を公言するバンドの一つであるL'Arc〜en〜CielがUKオルタナ的な文脈で語られることがほとんどないように、どうも音楽雑誌やブログなどの反応を見ていると、「狭義のオルタナ」チルドレンとして評価されていることはあまりないように思える。
ロック音楽の評価軸においては、「どんな楽曲が作られているか」と同程度に「何が歌われているか」も重要な項目となっている。次は彼らの歌詞について考えてみよう。

 歌詞に関しては初期は特に「もう今年も夏が過ぎていく/あなたを汚した夏と罪」(最近あなたの暮らしはどう)、「きっと僕たちは/腐っていた/偽っていた/笑っていた/意味がないな」(ア_-オ)といった、“きみとぼくと自意識”にまつわる抽象的なエピソードを露悪的に描き出す表現が多い。大好きなあなたの隣に座る「僕」は「世界中のレイプ犯と同じ体の仕組み」(picnic)で構成されていることを気にせずにはいられないといったように。
歌詞だけでバンドのすべてを捉えようとする試みは避けるべきだが、一部のリスナーからは「それこそがリアリティのある表現であり、かつその内容を理解できることがステータスである」といった「鬱ロック」的だと看做され、評価/揶揄されている傾向が強い。
「鬱ロック」の代表格とされているsyrup16gART-SCHOOLと音楽性が近く(syrup16gはUKオルタナART-SCHOOLグランジに強い影響を受けている)、それらとの対バン経験を持つTHE NOVEMBERSもここにカテゴライズされることは多い。「狭義のオルタナサウンドと“きみとぼくと自意識”にまつわる歌詞。これがどうも「鬱ロック」の条件となっているようだ。

 また新しい定義を出してしまったのですこし話を脱線させると、この「鬱ロック」という用語はなかなか興味深い。この用語はぼくの知る限り特定のミュージシャンや音楽ライターによって定義されたものではなく*4、カテゴライズされているジャンルも多岐に渡っている。恐らくは2ちゃんねるmixi、ブログなどリスナー間で草の根的に根づいたバズワードだろう。現在mixiの同名コミュニティ*5(2007年に作成されている)には1万人以上が参加しており、一定の支持者が存在することがうかがえる。
 同コミュニティには「鬱ロックを聴く意味・意義」というトピックがある。同トピックの「何故私たちは鬱ロックを好んで聴いてしまうのか」という問いに対して、「ありきたりな応援歌や恋愛ソングには共感できない。負の感情も含めたありのままの姿を歌った歌詞を聴きたいからだ」と歌詞を重視する回答が多く、音楽性に関してはほとんど議論されていない。

それらが受け入れられてきた背景は、「音楽について書かれたもの」よりも、宮台真司『終わりなき日常を生きろ』『制服少女たちの選択 After Ten Years』といった社会評論や斎藤環によるひきこもり関連の著作、前島賢セカイ系とは何か』といったオタクカルチャー分析といった分野で90年代後半〜ゼロ年代にかけて多くの論者が興味深い論考を寄せているので、興味のある方は読んでみて欲しい。音楽ライターでいえば銀杏BOYZ神聖かまってちゃんといった最新型の自意識系バンドについても多くの論考を寄せている磯部涼は確実にこの辺りの文脈を踏まえている。

 それらをしっかりと説明するとただでさえ脱線の多いこの原稿で更に脱線を重ねてしまうため省略するが、「鬱ロック」が受け入れられてきた前提として

  1. 冷戦体制の崩壊や2001年の9.11テロ、長期化する不況や凶悪化した(と感じてしまう)犯罪など、“右肩上がりの経済”“一億総中流”といった日本社会を構成してきた前提=「大きな物語」がここ10年ほどで完全に崩壊してしまったこと
  2. 膨大な音楽的教養が聴き手にも求められた渋谷系レアグルーヴが下地となり電気グルーヴ石野卓球)やコーネリアスといった「世界と対等に戦える日本のミュージシャン」が生まれ、ロックにおいてもくるりナンバーガールスーパーカーなどの“98年組”が海外のオルタナサウンドと日本人でも歌えるメロディを完全にミックス・血肉化して受け入れられた。この結果若いリスナーの間で「洋楽もちゃんと押さえておかなければならない」といったコンプレックスがかなり薄まり、“98年組”のフォロワーが多数を占めるようになる中で、音楽における評価軸の中で「海外の音楽と照らし合わせても耐えうるような強度を持っているか」が絶対視されなくなってきたこと

という二つの条件(同時期に起こったとはいえ、これらは別々のレイヤーから発生している事象ではあるが)が複雑に絡み合った結果のように思う。1.では「不安」が生まれ、2.では「肯定」が生まれた。小泉改革に対する当時の熱狂がそうであったように、「不安」に包まれた社会ではストレートな「肯定」の言葉を人々は求めがちだ。サウンド面の是非についてあれこれ考えるような「余裕」はそこにはなかったのである。

よって当然、こうした向きに「どうせ大して音楽なんて聴いてないんだろ」「一生そのまま自分に酔ってれば?」と反発するリスナーも多い。ゼロ年代の「狭義のオルタナ」バンドの多くがそう分類されており、かつ音楽=サウンドとして面白いと感じられないバンドもぼくの実感ベースでは多かったように思う。

THE NOVEMBERSは「鬱ロック」なのか

 さて、THE NOVEMBERSの話に戻る。
 オールドスクールな「狭義のオルタナ」的ギターバンドスタイルと、「鬱ロック」的な歌詞、これだけ聴くと同時に両足で地雷を踏んでしまったような危うさしか感じられないが、むしろここに踏み込んでいることがTHE NOVEMBERSの魅力だとさえ思う。
ぼくがそうしたギターバンドを好んで聴いていることを抜きにしても、地雷原を突っ走りながら音楽を鳴らす彼らは、相対的でうつろいがちな“いま・ここ”だけを見つめるだけではわからない何かを見せてくれるのではないかと信じている。

 上でTHE NOVEMBERSの歌詞を「“きみとぼくと自意識”にまつわる抽象的なエピソードを露悪的に描き出す、鬱ロック的なもの」にカテゴライズされていると書いたが、ぼくは少し違うと思う。
 ソングライティングを手掛けるボーカルの小林は、インタビューやバンドのブログでこんな話をしている。

なんのためにうまれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!
今を生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ!
忘れないで夢を
こぼさないで涙
だから君はとぶんだどこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ

時ははやくすぎる
光る星は消える
だから君はいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ どんな敵が あいてでも

アンパンマンのマーチ/ドリーミング より抜粋
_______________________________

なんだ、僕達はうんと小さい頃からこの言葉を知っていたんじゃないか。知っていただけ。
子供の僕には何の意味もなかったのだ。信じることを知るまえの疑うことを知るまえの出来事。

「一周回って、有りだな、って思った。」

??
なめんな、アンパンマン観て勉強なさい。
1068 « THE NOVEMBERS

THE NOVEMBERSとして、バンド自体の共通した価値観や、心掛けている事はあるんですか?

K:やっぱり、自分自身にマンネリしないこと、自分が表現していることが自分以外に依存しないようにしたいと思っています。バンドに対しても思っていて、お客さんが待っているから音楽をやっているというのではなく、自分自信に理由も目的も結果もすべて返ってくると思っています。あと、美意識を持っていたいなと思っています。飾らずに、ありのままのステージを観てもらいたいというのはそこに彼ら自身の信念や美意識があった上で初めて成立すると思うんです。何も持たずに漫然と普段着のまま、人に見られるということを全く意識せずにステージに立つようなことは、僕は嫌です。お客さんにお金や時間を割かせるのなら、なおさらそう思います。音楽だけでなく、ルックスや発言を通して、信念や美意識があるアーティストや音楽が好きでしたし、自分もそうありたいと思っています。
http://blog.diskunion.net/user/kame/kame/12564.html

 こうした一連の発言から推測するに、彼は陰の部分よりも光の部分、何らかの「純粋さ」に強い拘りがあるのではないだろうか。露悪的な表現が頻出するのは、そうした「光=純粋さ」の強度を問い続けているようにも見える。今作『Misstopia』では人間にとって最も重要な器官である心臓をモチーフとしたジャケットが描かれ、

「どこへ行こう/どこへでも行ける/そこに心があるかぎり」(Misstopia)
「次から次に/心を吊るし/胸がこわれそう」(dysphoria)
「今日も僕らの街で/たくさんの心が犯されているのを/楽しんだ大人達を/永遠に外で逆さに吊るす」(パラダイス)
「ねぇ/それは心じゃないんだよ/ただの役割なんだよ」(ウユニの恋人)
「言葉は置いていこうかな/心を見せ合うために」(tu m’)

と歌詞中に「心」というワードが何度も連ねられている。むしろこれらは、「鬱ロック」リスナーの嫌う“きれいごと”ではないだろうか。
 人に嘘をつくな、強きをくじき弱きを助けろ、何事にも誠実であれ……といった、古典的すぎるあまりに思い出すことすら困難な人間のあるべき姿=純粋さ。それらを見せられた後に残る感情は、良質の童話を読み返した際に感じるそれに近い。

 しかし、彼らの楽曲において何が純粋=「心がある」状態であり、何がそうでないかという具体的な例は挙げられていない。ぼくとあなたが完全に、絶対的にわかりあうことができないように、自然科学や数学といった物理法則を除くあらゆる出来事は「完全=絶対」であることは不可能だ……という意地の悪い指摘をしてしまう程度には、ぼくも心が犯され、逆さに吊るされるべき程度の低い人間なのだろう。
 だからこそ、ぼくは彼らのギターノイズや露悪的な言葉の先に見える理想郷としての光=純粋さに強く惹かれるのかもしれない、と思う。

■二つのノイズ

 また、THE NOVEMBERSの楽曲が大音量で“ウォール・オブ・サウンド”を生み出し、音楽への没入を促すノイジーシューゲイザーサウンドが多用されているのも、そうした「純粋さの追求」と無関係ではないだろう。
 ノイズと一言でいってもその定義や意味合いは個々人の主観やテキストの文脈、そして当然音そのものによってかなり意味合いが違ってくるが、ギターノイズには二つの効用がある。全身を包み込み、バリアを張るようなノイズと、鳴った瞬間に違和感を覚える、雑音=外部としてのノイズ*6だ。

 仮に彼らのノイズが前者だとすれば、また一つ彼らの前に作品としての強度を問うような「危うさ」が登場してしまう。
 爆音でノイズを生み出し、強固な理想郷=純粋さを求めれば求めるほど、その過程において多くのものが失われてしまうからだ。

 まず、世界で起こっている戦争の大半は、互いの理想郷=純粋さを追求した結果起こる衝突の産物だ。なぜあなたとはわかりあえないのか、わかりあう方法はないのか、ならば排除してしまうしかない、というのが基本的なロジックだ。
 60年間戦争を体験していない日本においても、同様の光景は散見される。街に出れば至るところに監視カメラが設置されているし、公園では野宿者が締め出され、若者にしか聞こえないという高周波音が鳴り響く。技術の進歩はより人間を「完全」で「純粋」にあるべき社会を目指し、工学的管理下に置くことを可能にしつつある。どうもぼくらの社会では、雑音=外部としての、後者の「ノイズ」は排除される傾向にあるらしい。ぼくらがバリアで身を守っている間、そのバリアに弾かれてしまう人のことをしばしば考えられなくなってしまう。

 爆音ノイズがどうしても耐えられないという人を前にして、ぼくがこんなにも多くの言葉を連ねたところで何の意味もない。音楽を前にして耳を塞いでしまう人を前にすれば、彼らの存在も無意味になってしまう。

THE NOVEMBERSは「危うさ」を乗り越えられるか

 とはいえ、前作『paraphilia』以降、確実に彼らの音楽性は“解放”“光”という言葉を当ててみたくなるような、サウンド・歌詞ともに多様性のあるものに変化していっているのは事実だ。アルバムのラストを飾る「tu m’」がローファイな宅録風の音像なのも「ギターバンドという形態に拘る必要はない」という自信の表れだとぼくは解釈する。
極めて危うい立ち位置を維持し続ける彼らが目指す先は「あらかじめ失われた理想郷=Misstopia」なのかもしれない。けれど、だからこそぼくはそれを追い求める彼らを支持したいと思う。

“敵”の存在を暴露し、絶対安全な“正義”の側から攻撃を加えるのではなく、いつもどこかで「自分自身がそうした“敵”になり得るかもしれない」という懸念を念頭に置いておくこと。あらゆる価値観がフラットになったこの世の中において、そうした問いを残している小林の倫理性にぼくは強い共感を覚える。たとえば、『paraphilia』の最後に収録されている「mer」の最後のフレーズで「これからどこへ行こうか」と彼は歌っている。そこで志向しているのは、決して停滞ではないはずだ。

 彼らは今後、ぼくらをどんな場所に連れて行ってくれるのだろう。こんなに毎回新譜が楽しみなギターバンドはそうそういない。



Misstopia

Misstopia

シューゲイザー・ディスク・ガイド (P-Vine Books)

シューゲイザー・ディスク・ガイド (P-Vine Books)

東京大学「ノイズ文化論」講義

東京大学「ノイズ文化論」講義

*1:現在フリーダウンロードできる1stデモがぎりぎりライヴ会場で買えた頃、自主企画『首』の2回目か3回目ぐらいからだったと思う

*2:他にもギターポップ、ギターロック、シューゲイザーなど様々な呼称やサブジャンルが存在する。しかしここでは「ギターをサウンドの中心に置いたバンド」程度に留めておき、それぞれの定義について厳密には追及しない

*3:いまは、Echo & The Bunnymenの「Crocodiles」というアルバムを聴いている。このアルバムとは僕が19歳くらいのころに出会い、いまだに聴く一枚である。そのころの僕は洋楽ではThe SmithsThe CureJoy Division、Bauhaus、The PoliceXTC、、、、などの世に言うポストパンクやニューウェイブ(あまりカテゴライズの話をするのも野暮だけれど参考までに)を気に入って聴いていたので、初期の我々のデモ音源にはその影響が色濃く出ていると思います。スミスやキュアーに関してはあまりに思い入れが強いので、そのうち好きなアルバムのことなども書くかもしれません。http://the-novembers.com/weblog/763/

*4:語源を知っている人がいたらぜひ教えてほしい

*5:http://mixi.jp/view_community.pl?id=2156944

*6:これらに関する一連の議論は、たとえば宮沢章夫東京大学「ノイズ文化論」講義』がとてもおもしろい

「exPoP!!!!! 3周年記念祭」のおしらせ

大学時代からありえないほどお世話になっているCINRAが主催の無料ライヴイベント「exPoP!!!!!」が今回で3周年を迎えるということなので、かなり拡大版で行われるようです。

以下告知文

4月20・21日の2days、渋谷O-EASTにて入場無料の音楽イベントを開催致します。

毎月開催されているこの入場無料イベント『exPoP!!!!!』は、過去に相対性理論DE DE MOUSE神聖かまってちゃんMASS OF THE FERMENTING DREGS、のあのわ、□□□(クチロロ)、世界の終わり、avengers in sci-fiなどが出演。時代の半歩先を捉えるイベントとして定評があります!

今回のイベントも、数多くの注目株が出演してくれることになりました。かならず素敵なライブをご覧頂けると思います。どなたも無料でご入場頂けますので、是非遊びに来て下さい!


viBirth × CINRA presents 『exPoP!!!!! 3周年記念祭』

2010年4月20日・21日
会場:渋谷O-EAST ( http://shibuya-o.com/ )
OPEN 18:00 / START 18:30

料金:入場無料 (without 2Drinks)

出演:
20日:ソノダバンド、YOMOYA、MIRROR、Far France太平洋不知火楽団、大竹康範+河野岳人+矢澤孝益、ボナンザグラム

21日:suzumoku、24 -two four-、ねごと、Creepy pop、箱庭の室内楽Predawn

■チケットのご予約は以下のページで承っています
※ご予約の無い方は入場できない場合があります。ご了承下さい。

20日
PC:http://expop.jp/sp0401.php
Mobile:http://expop.jp/m/sp0401.php

21日:
PC:http://expop.jp/sp0402.php
Mobile:http://expop.jp/m/sp0402.php

各出演者の詳細・試聴はこちらから
http://expop.jp/news/2010032558.php

Vol.1からちょくちょく遊びに行かせてもらってますが、毎月コンスタントにnestに200人ぐらい集めるというのは、労力の大変さを抜きにしてもすげー、と素直に思うのです。nestはちゃんと逃げ場(座ったりして落ち着ける場所)もあってめちゃくちゃ居心地いいしね。大学時代は月に2〜3回行ってました。

「注目株〜」というコピーは若手バンドが登場するライヴにおける常套句だ、ということは誰もが知るところですが(そこには青田買いしたいマインドやがっかりマインドなど、さまざまな感情がうずまくわけですが)告知文の通りほんとうに「exPoP!!!!!」はそういうバンドを呼んでくるからすごい。というよりも、「exPoP!!!!!」に出演したちょうど数ヶ月後に「注目株」になっているケースがほんとうに多い。

上に書かれていない人だと
まつきあゆむシャムキャッツPANICSMILELuminous Orange・LOVES・nhhmbase環ROYLimited Express (has gone?)・・・と枚挙にいとまなさすぎる程度のメンツ。
まぁしかし、この辺りはインディーもちゃんとチェックしている人の間では「メジャー」でしょう。そして、今回の記念イベントでもそういう方々は呼べたのでしょう。

しかし、「exPoP!!!!!」は通常の数倍もの規模の公演でそれをやらない。「キャパ100〜200ぐらいのライヴハウス知名度を上げてきているバンド」をしっかり呼んでくるわけです。
CDやMySpaceでばっちり予習!!なんかしないで、ふらっと遊びに行ってみる。がっかりするかもしれないし、「うぉおこれはやばい!!!」になるかもしれない。Twitterなどで「いま・ここで・きかれるべき・“あたらしい”・おんがく」なんて情報は山ほど流れてくるわけですが、そこからでさえこぼれ落ちてしまっているものは山ほどあるのです。口コミで盛り上がるものではなく、自分だけが見つけてしまった何か。
「うぉおこれはやばい!!!」をリツイートするのも楽しいですが、自分がそれを発信する側になるのもプロデューサー気取り(笑)で面白いものです。

ブッキングを担当している柏井さんいわく「普段ライブハウスにこないような方にこそ参加して頂きたいイベント」だそうなので、無理に全部観よう!!!と意気込まなくても(観た方がいいメンツですが)、「1000円でお酒2杯飲めるんだー」ぐらいの気持ちで行ってみるべきだと思います。
開演前から意気込んでいくライヴも楽しいですが、ちょっと大きい音で音楽を聴きたい気分だな、ぐらいの気持ちでライヴハウスに行ったっていいんです。ほんとに。最前列で拳を上げるだけが音楽の楽しみじゃないんです。

水曜はちょっと予定があるんですが、火曜は顔を出すつもりです。
興味を持った方は、一緒に行きましょう。

明日これに行ってきます

「名古屋インディーがやばい!!!!」が口癖の彼女氏に連れられ、以下のイベントに行ってきます。人生初遠征です。

4月3日(土)15:00〜23:00

@新栄DAYTRIVE&TRIM (名古屋市中区東桜2丁目 22-14 キングビル3F) http://www.day-trip.info/main/?page_id=5  ※2ステージ制

料金:前売2800円(+1D)/当日3300円(+1D)※県外割引有り!

THISIS(NOT)MAGAZINE VOL.03 RELEASE PARTY !!!???

★出演者続々決定★

Gellers(東京)

SIKASIKA

のうしんとう

TALKINGDEADGOATS'45(大阪)

トゥラリカ

6eyes

ジョンのサン

EXEXDEXEX(大阪)...DODDODO/DISTEST/SxZ/栗原ペダル/N村(EGYPTRECORD)/ヨシカワショウゴ/森くん(neco眠る)参加のスペシャルなバンド

cavilll a.k.a.ヨシカワショウゴ(ex.BOGULTA,ZUINOSIN)(大阪)

dzzzooo with 村上ゴンゾ

yok

・・・AND MORE!!??

★イベント当日は、カフェ、雑貨、CD・本など出店ブースも並び、お祭り気分満点になるかと思います。 ライブイベントが好きな人はもちろん、そうでない人もぜひ遊びに来てください〜きっと楽しいと思います。主催:THISIS(NOT)MAGAZINE

★予約受付中!!→tkbcdef@gmail.com

http://www.myspace.com/thisisnotmagazine

たった一人で「THISIS(NOT)MAGAZINE」というミニコミを作っている方が主催のイベントです。
過去にはプロレスのリングを使ってイベントを主催したこともあるそうです。

これですな。

地方のインディーシーンがどうなってるのか、というのはここ数年かなり気になっていたので、楽しみにしています。
宿未定、高速バスが着いたあとの予定は未定、アバウト&ノープラン!!!!!!

そして「ジョンのサン」というバンドが非常に気になっている…!!

ゆらゆら帝国が解散した。

2010年3月31日。それは何の前触れもなく、唐突な形で公式サイトにて発表された。

http://www.yurayurateikoku.com

はっきりいって、昨年に頻発したどんな訃報よりも驚いた。誰が好き誰が嫌いの話ではない。ぼくは彼らを“誰かが死ぬまで続ける”タイプのロックバンドだと勝手に思い込んでいたからだ。地元にありながら疎遠だった場所に行ってみたら、商店街がなくなって知らないビルがどかーんと立ち並んでいたような感覚。永遠の愛を誓った恋人や、10年経っても同じルックスで営業を続ける駄菓子屋のおばあちゃんや…と例えを思い浮かべた瞬間に「そう簡単に変わらなさそうなもの」がほとんど連想できなかった自分にまた驚きつつ、物事の終わりはいつだって理解不能なタイミングで飛び出してくる。

ぼくの印象では、彼らは日本のアンダーグラウンド・ロックで最も「とりあえず名前を出しておけば『お、こいつわかってるじゃん』的なスノッブ感に浸れる」バンドだった。そういう人をリアルでもネットでも山ほど見かけてきた。
要するに「もはや同じままでいてくれる物事なんか、なにひとつない」とかなんとか言っておきながら、ゆらゆら帝国が活動し続けていてくれたことに甘えていたのだろう。

公式サイトに掲載された解散理由を要約すると「最高傑作だと思える作品を作ってしまい、ライヴ面も作曲面でもこのバンドでもはやこれ以上のものを創作しえないと判断した」ためだという。けっして特殊な理由ではない、どころかラストアルバムとなってしまった『空洞です』は、結成から20年以上経過しているバンドではほとんどあり得ないような大傑作=最高傑作で、各種メディアからも大絶賛、アメリカの有力レーベルであるDFAとも契約済みであり、次回作への期待値が最も高いバンドの一つだったのだからもう始末に負えない。

せっかくの機会だったので、結成から『空洞です』までを総括したロングインタビューが掲載されている、『ミュージックマガジン』2007年10月号(『空洞です』リリース前の発行)を部屋から引っ張り出して読んでみた。すると、この時点で上述の解散理由に近い話がざくざく出てきた(今手元にないので、あとで気になった部分を引用するです)。

バンド編成を解体し(『ゆらゆら帝国のしびれ』『ゆらゆら帝国のめまい』)、演奏の肉体性すら放棄し(『Sweet Spot』)、順説・逆説どちらかのベクトルから生まれるロック的カタルシスも禁じてしまえば(『空洞です』)、次はジョン・ケージが「4分33秒」でやってのけたような“音楽から音を抜くこと”に行き着くしかないのだとおもう。
そしてケージ自身が無響室でのエピソードを交えて後述している通り、それは不可能である。皮肉にもケージは、そのことによって「音楽の未来について心配する必要はない」と書いていたけれど。

ぼくはゆらゆら帝国の熱心なファンではなかったので(好きだったけど)、さしたる思い出もないのだけれど、『空洞です』の一曲目である「おはようまだやろう」は大好きだった。
リリース当時、付き合ってるんだか付き合ってないんだかよくわからなかった彼女と、なんとなくホテルに行ってそういうことになった翌日の朝、彼女がシャワーを浴びている時にぼんやり聴いていたのがこの曲だった。
上で書いたミューマガのインタビューで、ボーカルの坂本さんは「意味があるようでなかったり、何通りにも解釈できる歌詞を書きたい」といった趣旨の話をしていた。
歌詞を全文引用してみる。


ぼくらが起きる と彼らは眠る
ぼくらが眠りだすころ に彼らは起きる
地球の裏にはいる 友達 たくさん

夜空をかざる 星たちが消える
朝日がまたのぼること に彼らは眠る
地球の裏にはいる 友達 まだ見ぬ

夜をさがして ときめきを超えて
すべてをあきらめたあとで かすかに響く
ビートがノックをする 君の窓を

さあ
おはよう
まだやろう
おはよう
まだやろう

誰かが笑う 誰かが悲しむ
どこかで笑い合う声 どこかで悲しみ
地球の裏にはいる 友達

ああ もう 何も求めず 何も期待せず
全てをあきらめたあとで まだまだ続く
ビートがノックをする 君の窓を

さあ
おはよう
まだやろう
おはよう
まだやろう

抑揚のほとんどないボーカルと、意味の定まらない歌詞と、カタルシスのかけらもないギターと、ルートをなぞるだけかと思えば微妙にそうでもないベースと、中低音がほとんどカットされたドラムと、やたら甘ったるいサックス。
嬉しくも悲しくも切なくもならない、ぼんやりとしたうたものソウル。
たしかに、セックスの歌とも捉えられるし、生きることそのものについての歌とも捉えられる。寝不足と二日酔いと賢者タイム状態でぐちゃぐちゃになったぼくの頭では、とりあえず文字通りに「もう一回やっちゃうかなー」というしょうもない解釈をするのが精一杯だった。どうしようもなくぼんやりした歌を聴きたくなる瞬間というのは、たまにある。

ちなみに、ぼくが唯一行けた彼らのライヴ(今年2月のYO LA TENGOの来日公演だった)で運良くこの曲を聴くことができて、その時はなぜか涙が出た。その涙線をノックしたのは、ありがちな感傷からなのか、「すべてをあきらめて」しまう虚無感から来たものなのか、ぼくにはよくわからなかったが、その感覚は言語化をあえてしない、ぼんやりとした場所に置いておきたいと今でも思っている。

そして、もう一度、いつかどこかで、彼の歌う「おはようまだやろう」が聴けるであろう日を、ぼくは楽しみに待っている。
「できない」なんて、言わせない。

空洞です

空洞です

peno 3月のライヴ予定その他

「日記はどうした」という疑問が、他の誰でもない自分からふつふつと沸いてくる昨今ですがいかがお過ごしでしょうか。

ぼくはちょこちょこ書いてはいるんですが「そんなことをしている場合ではない」という脳指令と日々戦っています。

雑誌、順調につくってますよ。

日記もちょっとずつですが、書き溜めてます。

というかもう、24時間が紙っぺらのように素早く過ぎてしまうことに、焦りと恐れを感じています。もう春ダネ。

ということで今回は告知。

今月もpenoはライヴをやります。

以下詳細。

2010年3月28日(日)
開演 19:00
八丁堀・七針
http://www.ftftftf.com/

出演
chanson sigeru
http://www.myspace.com/chansonsigeru

Kate Sikora
http://www.myspace.com/katesikora

peno
http://www.myspace.com/penoxxx

and more
チケット:¥1,000

都内インディーシーンで静かに存在感を増し続けるイベントスペース七針にて(HP必見!!!!!!!!)、penoもついに出演することとなりました。

今回はミズタニ・フクシマ・アシダとサポートドラムの方を入れた4人編成でのライヴとなります。
penoはもともと、メンバーも流動的にしていろいろな可能性を追求していこうというかたちで始まったバンドなのです。

なので、女でモメただとか(モメてみたいものです)、音楽性の相違だとか(もとからです)、とにかくモメたからこうなったという訳ではありませんのであしからず。

という説明を当日出演しない人間が書くのもどうかと思うわけですが、七針HP以外に情報が無いのも寂しいので書いておいた次第です。

ぼくも行きます。

わたし、予約したいわ!!という方は
penoxxx@myspace.com
あるいはブログトップのぼくのアドレスまで。

ミズタニはchanson sigeru先生のサポートとしても出演いたします。

ていうかKATE SIKORAさんってフジロックに出た人じゃないか!!!!!

また、そんな多忙なミズタニくんが所属するARTLESS NOTEが企画ライヴを行うようなのでそれもついでに。

2010/3/20(土)

新宿MOTION
http://motion-web.jp/

ARTLESS NOTEハクビシン presents

『ハイオクな演奏会』

OPEN 17:30 / START 18:00

チケット:前売り/\2000 当日/\2500(+1Drink\500)

※追加ドリンク300円!!

演奏

ARTLESS NOTE

http://www.myspace.com/artlessnote

ハクビシン

http://www.myspace.com/hakubishin5555

・彼等

にせんねんもんだい+ふくろ+Hushband Is Funny Isn't it.+OL)

http://www.myspace.com/1004589961

シャムキャッツ

http://www.myspace.com/siamesecatstone

クウチュウ戦

http://www.myspace.com/kuchusen

イカレー

・けもの食堂(the mornings)

個人的に、ミズタニくんが絶賛していた彼等のライヴが非常に気になるところです。

こちらの予約はそれぞれの公式ページorマイスペースまでどうぞ。

ではまた作業にもどります。