まずは走れたことが嬉しかった

古傷の左膝をやってしまってから約2週間ぶりのジョグ。その間、整体したり電気療法したり鍼を打ったりしたけど、いまだに膝はボワンと重く、時々刺すような痛みが。こりゃあ、また手術しないとダメなのか、でももう手術はしたくないなあ、ともやもやの日々を過ごしていた。
でもこうして走らずにいる間に、どんどん筋力も心肺機能も衰えていく。こうなりゃだめもとで、少しずつでも走り始めてみるかと決心。
まず今日は、とにかく痛みが出ない程度の速さで、痛みが出ないくらいの距離を、ということで、サイクリングロードを汐見台まで往復約5キロ。スピードも早足で歩いたほうが速いんじゃないかというくらいで、オジサンオバサンはもちろん、お爺さんお婆さんにまでどんどん抜かれる。でもいいんだ。
タイムも計らず、自分の体(つまりは膝)の声に耳を傾けることに集中。おかげで、往路と復路で1回ずつくらい膝がピキッとしたけれど、とにもかくにもなんとか大事に至らず走りおおせた。まずはそのことを素直に喜ぼう。
ゼロどころかマイナスからの再スタートだけど、無理せずゆっくりやっていけばいいよね。

二度目の夢舞い東京マラソンの結果やいかに

交通ルールを守って、東京の街(歩道)を走るフルマラソン大会、「東京夢舞いマラソン」に、去年に引き続き参加した。今年はスタート&ゴール地点が新宿都庁(都民広場)だったので、ちょっと余裕をかまして出発したら、会場に着いたときにはすでに準備体操が始まっていた。番号も1300番台で、約
30分遅れのスタート。ちゃんと帰ってこられるか、かなり不安だった。
太陽は雲に隠れていて、思ったほど暑くなかったのがせめてもの救いか。でも途中から日が差してきて、帽子を持ってこなかったので頭タオル巻き姿に。
去年はちょっと調子に乗ってみんなのペースについていこうとしたため、20キロ過ぎであっけなく撃沈、その後は歩いたりちょっと走ったりの繰り返しでなんとかゴールしたんだけど、今日は最初から、とにかくマイペース、それも最大限に遅いペースを守ろうと心がけた。一緒にスタートした人たちに置いていかれても、あとからスタートした人たちに追い抜かされても気にせず、とにかく一歩一歩ゆっくり走ろうと思った。青信号が点滅し始めたら、ムリせず次の青まで待てと自分に言いきかせた。
そんな走りだったので、去年より見所たくさんのコースだったにもかかわらず、景色を楽しむ余裕などなく、写真もほとんど撮れなかった。国会議事堂も、根津神社も、入谷祭りも、浅草雷門も、神楽坂も、ほとんどチラ見するのがやっと。唯一、写真を何枚か撮ったのが完成したスカイツリーだけ。

でもそのおかげ(?)で、本当にゆっくりしたペースだったし、途中2か所のエイドステーションで栄養補給を兼ねた長めの休憩を取ったりしたけど、人が多くて歩かなければいけないところを除けば、スタートからゴールまで、初めて走り続けることができた。だから、これまでの3回のフルマラソン大会の中で、ゴールしたときの充実感はいちばんだったような気がする。オイラはマラソンを走ったんだという実感があった。
もっとも、こんなペースじゃ、11月の湘南国際マラソンなら完全にタイムオーバーだ。あと1か月でどれだけスピードを上げられるかがカギになるかな。

近所の居酒屋オープンに驚きの事実が

散骨の儀の裏で、今日はもう一つの驚きの事実に出会った。
商店街にあった自然食弁当屋さんが移転して、ちょっと寂しい思いをしていたんだけど、最近になって工事が始まり、どうやら今度は居酒屋がオープンするようだった。どんな店ができるのかなと、前を通る度にちょっと気になって工事の進み具合などをチェックしていた。
そして今日、散骨に行くために駅に向かう途中、店の中で仕込みをしている人を発見した。その姿を見たオイラとオクチャンは、ちょっとびっくり。新宿の居酒屋で知っていた人に、そっくりだったからだ。でもそのときは、下を向いて仕込みをしている横顔を見ただけだし、我々も先を急いでいたうえ、まさかそんな? という思いもあって、そのまま通り過ぎた。
しかし、散骨からの帰り、もう一度、店の前を通ったとき、またしても同じ人が仕込みをしていた。しかし、世の中には本当に瓜二つの人がいるもんだな、と思って少し立ち止まって見ていたら、その人がふと顔を上げた。やはり、どう考えてもそうだ。その顔は、新宿の行きつけの、というかオイラのラグビーチームのオーナーが経営している居酒屋にいた、シンチャンそのものなのだ。
オイラは思わず店の中に顔を覗かせた。オイラの視線に気づいたシンチャン(らしき人物)は、オイラに目をやり、しばし不思議そうな顔をしたのち、あっと驚きの表情を見せた。まさにその顔には「あっ」という吹き出しがのっていた。
その人はシンチャンそっくりな人ではなく、シンチャンだったんだ。独立してここに店を開くことにしたのだという。しかも今日は、偶然にもそのプレオープンイベントの日だった。
夕方、ネーチャンを駅まで送ったその足で、オイラたち3人はシンチャンの店に向かった。まだイベントオープン予定の10分ほど前だったが、シンチャンと一緒に店をやる奥さんは快く我々を迎えい入れてくれた。そのときに昼間聞けなかったことをもう少しくわしく聞いたけど、2人ともこの地に土地勘があってのことではなくホントにここに店を出したのは偶然のことらしい。そして、オイラがこのあたり(つまり藤沢周辺)に住んでいることは小耳にはさんでいたけど、まさか駅どんぴしゃだったとは思ってもいなかったようで、少し落ち着いたら連絡でもしてみるか、という感じだったという。
そんな話をしているうちに、工事関係者や商店街の人たちなどが続々とプレオープンにやって来て、忙しくなってきたので、ウチボウズもいることから、オイラたちは早めに失礼した。
本当にそこは、駅への行き帰りで常に前を通る場所。そのうえ店は1階のガラス張りで、厨房も客席もよく見える。店をやっていてシンチャンと目が合ったら、素通りはできなそうだ。これからちょくちょくお邪魔することになるんだろうな。もしかしたら、忙しいときにオクチャンが手伝ったりしたりすることもあるかもな。それもなんだか嬉しいなと思ったのだった。

さらば、トーチャン、カーチャン、そしてロンよ

トーチャンとカーチャン、そして愛犬ロンの散骨の日がやって来た。この春トーチャンが死んだときに、3人一緒に海に撒こうというのは決まっていたけど、どうせならとカーチャンの三回忌を家でできて、季候もいいこの時期にしたんだ。
先週くらいから急に寒くなり、また前日の夕方から深夜にかけても雨がざっときたりしていたので少し心配だったが、朝起きると明るく穏やかな日が差していて、風もほとんどないみたいでひと安心。暖かいというよりむしろ暑いくらいだった。
本当はウチボウズも連れていきたかったんだけど、小さなボートなので、小学生以下の子どもは乗せられないとのこと。万が一の時には自分で責任を負うからなどと何度か交渉してみたが、天竜川の事故があったこともあり、どうしてもダメだった。で、ウチボウズは市のセンターを通じてお願いした有償ボランティアの方に預かってもらうことに。家から歩いて数分のところにちょうど良い方がいらして本当に助かった。先日、顔見せを兼ねた打ち合わせの時にもウチボウズはまったく人見知りや場所見知りをせず、すぐに遊びだしたとのことなので、大丈夫だろうとお願いすることにしたんだ。
ボートは、江ノ島境川の河口付近から出るので、片瀬江ノ島駅でオイラたち2人と、一緒に散骨するネーチャンと待ち合わせた。ネーチャンとはここしばらく、このことでFAXや電話でのやり取りはしていたが、実際に顔を合わせるのはカーチャンの葬式以来。相変わらず痩せてはいたが、元気そうだったし、仕事もちゃんと見つかったみたいで、なにより。
出航予定は11時だったが、10時半前にはボート乗り場に着いてしまった。葬儀会社の人もちょうど来たし、準備もできているということで早めに出航することに。ライフベストを着て、乗り込んだのは、屋根も何にもついていない本当のモーターボート。我々3人と、葬儀会社の人、運転する人5人でいっぱいいっぱいの感じ。河口を出るまではゆっくり走っていたし波もなかったので全然平気。途中、ボラがいっぱい飛んでいるのが見えた。
しかし、海に出ると、やはり小さいとはいえ波はまったくないわけではなく、小さいボートはそれなりに揺れる。散骨する江ノ島烏帽子岩の中間地点くらいまで20分もかからなかったけど、乗り物に弱いオイラは、それだけでちょっと気持ち悪く。あとで聞くと、ネーチャンも酔ったらしい。乗り物酔いするのは家系かも。
散骨場所に到着すると、葬儀会社の人が、砕かれて小袋に入いれられた3人の骨を取り出す。トーチャンはさすがに量が多く、1人で一つのカゴに、カーチャンとロンがもう一つのカゴに入れられた状態。ネーチャンはトーチャンの骨は撒きたくないということで、オイラとオクチャンでとーちゃんの骨を撒く。
散骨のためには粉骨処理をするということだったので、さらさらの粉状になっているのかと思ったら、袋に入っている骨はもっと大きく、少し大きめの砂ぐらい。これでは海に漂うというよりとりあえずはこの場所の海の底に沈むだろうなという感じ。「じゃあなトーチャン」とか言いながら撒き終わって、カーチャントロンのも少し撒かせてもらおうかなと思ったら、すでにボートの反対側にネーチャンが全部撒いてしまっていた。これはなんか心残り。せめて形だけでもカーチャンとロンの骨に別れを言いたかったな。
その後、オイラが米沢から買ってきた酒(東光)やネーチャンが持ってきたお菓子、ロンのためのかっぱえびせん、そして葬儀会社の人が用意した花などを撒く。そして、撒いた場所の周りをボートで3〜4周回った。オイラは、また何度か「じゃあな」とトーチャン、カーチャン、そしてロンに別れを告げた。

そして「それではよろしいですか。ではこれから帰港します」とのことで、また20分ほどかけてボート会社に戻り、それで散骨の儀は終了となった。
実際に散骨にかかった時間は20分もないのではないか。それでいいといえばいいんだけど、あっけないと言えばあまりにあっけない感じではあった。オクチャンは、葬儀会社の担当者がもうちょっと気がつく人だったら少しは違っていたんじゃないかと言っていた。まあ、言われてみればそうかもしれない。けど、オイラ自身がこういうあっけなさを求めた部分もあったようにも思う。ネーチャンも何も言わなかったところをみると、同じような思いだったのかもしれない。
とにもかくにも、まずはこれでひと段落。あとは、生きているオイラたちがしっかり生きていくことがなにより大切だ。
その後、ネーチャンを家に連れてきて、ウチボウズと初対面。最初は少しビビっていたウチボウズも、やがてすぐに平気に。バイトでベビーシッターなどをやっていたネーチャンも大人の男は嫌いだけど、赤ん坊は大丈夫のようだった。ミニカーや絵本などもいっぱい持ってきてくれた。ウチボウズが昼寝から覚めたあと、少し一緒に遊んでたけど、ネーチャンが遊んであげるというより、ウチボウズがネーチャンに、家にあるおもちゃの遊び方を教えてあげているような感じだった。その2人の後ろ姿を見たときが、今日いちばん、一緒に散骨できて良かったなと思えたときだった。

夕方、そろそろ帰るというネーチャンを、3人で見送りがてら、一度海に出て、あの辺に撒いたんだと場所を教えてあげた。「だったらここまで流れてくるかもな」とネーチャンはつぶやいた。ネーチャンは、オイラが用意したタタミイワシやジャコなどのお土産を嫌がるでもなく、オクチャンに向かってだけど「かえって、ありがとう」と礼を言って帰って行った。いつになるかわからないけど、またウチボウズとあってもらえる日があるだろうな、と思えて、オイラも少しほって家路についた。

最後の20キロ走で超ヘロヘロに

日曜日の夢舞いマラソンのための最後の練習として20キロ走に。
本当は昨日の水曜日にやって、あとは3日間休息にあてたかったんだけど、あの雨の中走ったら体調を崩してしまうかもしれないと、1日延期に。
今日は、本番でも背負う予定のバックパックを身につけ、中に水とカメラ、ケータイ、ゼリーなどを入れて、少し負荷をかけてみた。バックパックで走るのは本当に久しぶりなので、最初はかなりの違和感が。しかもほんの数キロとはいえ重みが加わっているので、脚の運びも数日前の感じとはまったく違う。
往路は追い風だったこともあり、ゆっくりではあったがなんとか平塚までノンストップで。途中、暗くなったのでヘッドライトをつけ、復路へ。だが、12キロ過ぎくらいから一気に脚裏の筋肉にきて、15キロで完全に脚が上がらなくなり、ついに歩くことに。少し歩いたら若干回復したので、最後の3キロほどはまた走れたけど、20キロでこれなら、フルなんて全然走れるわけないじゃん。しかも中2日で、なんて。……さて、どうなることやら。

オイラって子ども好きだったの?

市の11か月赤ちゃん教室にウチボウズ、オクチャンについて参加。平日なのでオトーサンの参加者がオイラ以外にいるかちょっと不安。南保健センターに着いたときは案の定、男の人の姿はなし。でもその後、2組のオトーサン参加者がありほっとする。
生活の話、歯磨きの話、離乳食の話などを聞き、その合間に親子での遊び体験をするという感じ。子どもたちは基本的に自由なので、あっちこっちに行ったり来たりで、オカーサンたちは気になって話半分になってしまってたかな。
ウチボウズも、持ち前?の外面の良さを発揮して、初めて会った他のガキンチョにちょっかいを出したり、全然知らないオカーサンに抱きついてみたり。そこまでは笑ってみてられたけど、知らないオトーサンに抱きつきに行ったときには、複雑な心境に。これって嫉妬か?
でもオイラだって負けてなかった。知らないガキンチョと目が合った微笑みあったり、ちょっかい出してきたヤツを抱き上げたり、けっこうまなコミュニケーションやスキンシップを。
同じ11か月と言っても、本当に成長具合はさまざまだと実感。体の大きさはウチボウズが一、二を争うくらいだったけど、小さい女の子がもう歩いる子もいれば、歯も上下4本ずつくらい生えている子も。
それにしても、オイラは自分の中では子どもはあまり好きじゃないと思っていたんだけど、ガキンチョたちに囲まれても、全然嫌じゃなかった。たぶんまだ生意気を言ったりしない赤ん坊だったってのもあるだろうけど、やっぱりウチボウズがやって来て変わったのかな。自分に対してちょっと不思議な感じがしたよ。

何年ぶりかでの自治体の成人検診に

去年の春、地元大学のアカデミックパス取得のために検診を受けたり、献血をした際に数値を確認したりはしていたけれど、国保がやっている自治体の検診はここ数年、受けていなかった。だって、東京(練馬)にいたころは無料だったけど、こっち(藤沢)は2,000円かかるんだもん。
でも今年は、数年ぶりに受けることにした。きっと、去年ウチボウズが産まれたことも大きいんだろうな。それと、今年トーチャンが死んだことも。
そして、どうせやるならと、一般成人検診(いわゆるメタボ検診)だけでなく、肺がん、大腸がん、前立腺がん、肝炎ウイルスの検査も一緒に行うことにした。と言っても、血と尿を取り、肺のレントゲンを撮り、あとは身長体重、胴囲を測るだけだったけど。
時期の問題か、オイラは初めて行ったけどそのクリニックはいつもなのか、けっこうの混雑。でも、スタッフの対応もきびきびしていたし、回転が速かったので、「待たされた感」はなかった。
名前を呼ばれまずは採血。が、担当の看護師がなんだか不安げな顔をしている。あとでわかったんだけど、オイラの見た目が年齢とそぐわず人違いかと思ったとのこと。「10歳は若く見えちゃいましたよ」なんて言われてしまう。まあ、「人生八掛け」を標榜するオイラとしてはちょうどいいくらいなんだけど、そりゃあ悪い気はしなかった。
だけど、最後のドクターの問診で血圧を測ったときに、「117の68か。やたら控えめな血圧だね。まるで高校生みたいだよ」と言われたときには、喜んでいいやら、情けながったほうがいいやら、ちょっとわからなくなってしまった。朝食を抜いたこともあってか、たしかに自分にしても低めだったんだけどね。