自衛厨ばんざい

報告ですが、結構前に結婚しました。
なんとか20代のうちに結婚できてよかった。


それでさ、新婚当時一緒に住むときに「車をはどうする?買う?」
って話になったんですよ。

僕は「買わなくてもいいんじゃない?」
とも思ってたんです。正直。
しかし。
そこで嫁さんが言った一言。
「だって遅くなったとき、車で迎えにきてほしいし〜」

それを聞いた瞬間、
「よし、買おう」
って言いました。


当然です。
おそらく、嫁さんは、2×年間女として生きてきて、
夜道を歩くときに限らず、
怖い思いをした経験があるのでしょう。
その辺は男として生きてきた僕には
分からないものがあるんだと思います。


そんな僕に、
「遅くなったら迎えに来てほしい」
という女性の声を否定する権利はありません。


だから僕は嫁さんの自衛にささやかながら
協力することにしました。


確かに、
嫁さんが暗い道に一人で帰ってきても
襲われるとは限りません。
僕が迎えに行ったところで、
犯罪に巻き込まれる確率がゼロになるわけでもありません。


でも、僕が迎えに行くことで、
一人の女性が犯罪に遭う確率は下がるわけで。
僕が自衛厨になることで
一人の女性の快適に生きる権利が阻害される
確率が減るわけで。


それって女性の人権を守ってることじゃないんですか?


ところで、
「夜道に用心すること」
について話しているときに
「強姦は全くの他人からの件数より
顔見知り間の件数の方が多い!」

とか、全く関係の無い話を持ち出して、
わけの分からないポエム
をさんざんホザイテいた
すけべ男の皆さん、


あなた女性の人権のために何かしたんですか?


自分のナルシズムのために
訳の分からないポエムをほざくより、

一人の女性の帰り道を少しでも快適にするよう
努力する事の方がよっぽど

女性の人権を守っていると僕は思う。

国なんて信じるな

政治系のブログで人気の話題と言えば、やっぱり第二次世界大戦の話だろう。
太平洋戦争とか大東亜戦争とか言われるこの戦争は、戦後何十年と経ってから生まれた僕らにも、
大きく爪痕を残している。

しかし、第二次世界大戦は人気の話題であるにも関わらず、この戦争について正しく理解できている人間はあまりにも少ない。
たいていの人が、「理由とかよくわかんないけど、日独伊VS米英仏中ソで戦ったんだよ!」
レベルの知識か、

「日本の上層部が邪悪な企みで国民と世界の迷惑も顧みず侵略を決行した」

的なトンデモ(左のトンデモ)か、

「邪悪な連合国にはめられた日本が正義と植民地解放の戦いに打って出た」

的なトンデモ(右のトンデモ)か、

に毒されていることが多い。

一番上のノンポリの人(ある意味一番健全な状態の人)は置いといて、
した二つの人がどうしてこうトンデモにはまるのかって言うと、
原因は二つあると思う。


一つは、
「第二次大戦当時の日本の行動があまりにもバカ過ぎた」

ってこと、もう一つは、

「戦後の国民(左も右も)が国を信用し過ぎ」

ってことだ。



どういうことか今から説明する。
1930年代から、日本は必要もなく海外の主権国家の領土に侵入し、
満州、北支、中国全土、と果てもなく戦端を広げていき、
挙句の果てに国力が10倍も違う国に奇襲攻撃をする、という暴挙に出た。
どっから見たって、
「ただのバカ」
「端的に言えば愚行」
それ以上に形容しようがない。

しかし、左の人は、(ある意味では)国を信用しすぎなのだ。
左の人は、

「当時の日本の首脳が、バカの二文字で終わるようなことを考えるはずがない。
国のトップなんだから、有能であるはずである。
きっと、日本国民や世界には迷惑でも、首脳陣にメリットがあるからやったんだろう。
そのトップ共は有能でも、国民や世界の方々に迷惑がかかると分かって侵略を始めたんだから、
有能かも知らないが人格は腐っている」

まあ、大体↑こんなイメージを持っている。

しかし、こんなもん、僕に言わせれば、

国を信用しすぎ

の一言で終わってしまう。
だって、いないんだよ。
第二次大戦で利益を得たっていう当時の有力者って。
(大戦のおかげで結婚できたとか、そういう個人的な利益を得た人はいるかもしれないが)
戦争を主導した軍人は戦争犯罪人として処刑ないしは刑罰を受けている。
当時大きな影響力を持っていた財閥は解体され、影響力を失った。
天皇は現人神から象徴へ格下げ(?)され、財産も没収された。
メリットがあるから戦争始めた奴らなんて、どこにもいない。
そんな黒幕は、漫画だけの話だ。
左の人たちは、「国のトップなんだから、そんなバカなことをするはずがない」
と思い込んでいるが、現実は、本当にそんな「バカ」だったんだ。日本の首脳どもは。



右の人は右のひとで、

「当時の日本の首脳が、バカの二文字で終わるようなことを考えるはずがない。
国のトップなんだから、有能であるはずである。」

↑ここまでは左の人と同じ妄想に取りつかれている。
しかし、「国がバカをやった」という現実と、
「国がバカなことをやるはずがない」という己の思い込みとのずれを解決するために、

「当時の日本の首脳が、バカの二文字で終わるようなことを考えるはずがない。
国のトップなんだから、有能であるはずである。
あの一連の行動はバカなことではなく、実は合理的な行動だったのだ。
有能な人がやったはずだから間違いない。」

とゆー左の人とは違ったベクトルの方向へ(あさっての方向には違いないが)
トンデモを進化させている。

もうこっちの方は「国民が何百万人と死んで朝鮮と台湾も取られて何が合理的やねん」
で終わってしまうトンデモなので、多くはつっこまない。


そして、二つもトンデモが(60年以上)長生きしていることの理由は、トンデモが二種類あるせいである。


左のトンデモの人は、「有能で邪悪な存在が、あえてバカなことをした
と思い込んでいる。
その人にとって、「それはバカなことではない。合理的な行動だったのだ
という右のトンデモの人の存在は、
理解不能、身のよだつ思いだろう。
そりゃ、自国民が何百万、他の国の人を合わせれば何千万人も死んで何の得にもならなかった行動を「合理的」
なんて言われた日にゃ、思考停止に陥る。
普通は理解できない。
というか、左の人たちは、理解不能な理屈を吐く人たちを、
「そうか、こいつらが邪悪な存在の仲間なんだな、だから異常なことを言って我々をだまそうとしているのだ」
と勝手に自己解決(勘違い?)してしまったために、
左のトンデモにある程度の説得性がもたらされ、このトンデモは非常に長生きする結果となってしまった。


左のトンデモ(邪悪な存在の陰謀)が世に蔓延しているのは、右のトンデモ(日本は正義)を言う人のせいである。

右→左の関係もしかり。


しかし、どっちも間違いだ。
普通に資料を読めば、あの戦争を日本がしたのは、邪悪な企みでも合理的な判断でもなく、
ただバカだったからだということが分かる。
だから僕は言ってやる。



国なんて信じるな。

国のトップは、あなたたちが想像しているよりずっとバカである。

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少し勇気をもらいました。

自衛について、こちらにもコメント下さった苺畑カカシ様がいろいろ書いてくれました。


女性で、自分の受けたことも語っていて、とっても勇気ある行動だと思います。




机上の空論ではない自衛論、一人旅で気をつけたいこと


おばさんでもミニスカートは履くよ


自衛は無意味ではない!


被害者だからって自衛論を否定する権限があるのか?



※僕の自宅のパソコンからは見れないので、もしかしたら他にも見れない人がいるかもしれません


おっしゃること、全面的に正しいと思います。

根拠も述べずにひたすら馬鹿にして悪意をぶつけるような攻撃を散々受けるかと思いますが、

負けないで(気にしないで)ください。


あなたは、何も間違っていません。






こっちもよろしく

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「※ただしイケメンに限る」とは何か

だいぶ時期を外した感はあるけど、いっときたい。


「※ただしイケメンに限る

という言葉がある。



まあ、
「もてない僕にも、ひょんなことから彼女ができました〜
すっごく幸せです〜
チャンスは誰にでもあるんだね。
だから君たちも希望をもってがんばれ!」


とか、そんなような、いわゆる「いい話」
に「※ただしイケメンに限る」をくっつけて、
(イケメンでない俺たちには)そんなのウソだ〜
って話にしたがる人たちがいるって話。



けどさ。



そんなの嘘だと思う。



以下ちょっとした自分語り。




おそらく一般的な規格から言えば結構な「美人」にカテゴライズされる子と付き合ってた。
しょーじき、不思議に思ってたことを聞いてみた。
「そんなに綺麗なんだから男なんて選べるだろうになんで僕みたいなのがいいの?」
そしたら、
「男は顔じゃない、あなたには顔以外にいいところがいっぱいある」
ってゆーよーな、まあありきたりなこと言われたんだけど、
その「顔以外のいいところ」の内容なんだけど、
具体的には語らないけど、
自分でも気付かないような「他の男と違う部分」をいっぱい語られて、
「そんなん覚えてないよ〜」って言いたくなるような細かいエピソードの
(彼女の脳内での)「僕の素敵だった行動」をいっぱい列挙されて、
なんでそんなに僕のこと知ってるの〜〜
ってなった。
むしろ、僕のほうが彼女の美点をそんなにたくさん挙げられるか?
どれだけ彼女のこと知ってる?
って恥ずかしくなった。
(んでも誓って言うけど、顔がいいからとかそんな理由でつきあってたんじゃないよ)


そんなわけで、顔がいい人ってのは他人の顔以外のいろんなとこに興味持ってるんだな〜って思った。


んでさ。
例によって、美女ってのはお高いわけで、
あなたのここがダメ〜これを直せ〜みたいなこともいっぱい言われたわけさ。
んで、髪型とか服装とかはもちろん、気遣いのしかたとか、考え方とか、
いっぱいがんばってついていこうとしたわけさ。
髪型とかも結構苦労したんだけど、一番大変だったのは、「考え方を変えること」
だったと思うわけさ。


たとえばさ、デートの約束をする場合、
僕の場合、
「嫌でなければ、ご都合がよろしければ、この日に一緒に出かけてもらえないでしょうか?もし詰まんなかったらごめんね」
みたいなスタンスでメールするわけさ。(敬語は使ってないけど)
これではダメなんだって。
「責任から逃げてるだけ」なんだって。
「楽しめるものも楽しめないじゃん!」らしい。
「一緒に行こうよ、いっぱい楽しい思いさせてあげる」
みたいなスタンスが正解らしい。
んんん。
確かに分かるけどさ、逆の立場で考えれば、前者のスタイルより後者のスタイルで誘われたほうが「わ〜楽しそ〜」ってわくわくするけどさ、
頭では理解できるんだけどさ、
自分といるのが楽しいはずとかそんなゴーマニズムな考え方を習得するのには僕には大変なのです。


他にももっといろいろとあるんだけど、僕はおしゃれとか考え方とかいろいろと自分を変えるのにがんばったわけだ。
それは、それ相応に大変なことだったわけだ。
そして、ふと思い立ったわけだ。



もしかして、世の中のイケメンと呼ばれる連中は、毎日こういうことやってんのか?



苦労してるんだな、奴らも。






世の中見ても、「ぶさいく女ー美男子」より「ぶさいく男ー美女」のカップルのほうがずっと多い気がする。
一般化するのは危険だけど、でも傾向的には「顔で女を選ぶ男」の方が逆よりも多いんだよ。
つか、「※ただしイケメンに限る」を多用してる(女は顔で男を選んでると思ってる)男って、
自分は女の人のどこを見てるんだ?
自分が見てる要素を相手が見てないと思う理由はなんだ?
そういう人間ほど自分は相手の顔しかみてないんじゃないか?



というわけで。
「※ただしイケメンに限る」というのは、努力したくない男の逃げの言葉である。
もてるためには、確かに顔がいい方が有利だが、努力できる点はいっぱいある。
努力してもしきれないほど尽くせないほどある。
「自分は努力したくない、面倒だ」と思う人間にとって「顔が全て」ほど楽な言葉はない。
「顔(生まれもった才能)しか要素がない」なら努力してもしなくても関係ないし、
「自分がもてないのは顔のせいだ」ということにしておけば自分の努力のなさ、内面の醜さは全て正当化できる。


そんなものは甘ったれだ。


甘ったれたこと言う暇があるのなら努力しろ。
わざわざ2chで恋愛関係のスレ見つけて書き込むほど恋愛に興味と熱意があるのなら、その熱意を自分を磨くことに費やせ。


繰り返す。
イケメンに限るなんてことは嘘だ。
限らない。
断じてイケメンに限らない。


これはイケメンじゃない僕だから言えるセリフです

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民主主義の心とは

僕は民主主義者であり、民主主義を支持している。


といっても、結構政治についてガチで一通り考えた人でないと、
「民主主義?そんなもん正しいに決まってるじゃん!自分も支持するよ!」
とかテキトーな思いで、民主主義とは何か知らずに、何も考えずにただ
「何となく支持」って人が多いんじゃないだろうかって思う。


付け加えると、「民主主義は大切」って言ってる人でもかなり多くの人間が
民主主義を理解していないだけで、実は非民主主義者(全体主義者)だったりすると思うのだ。




ってわけで、民主主義者とは何ぞや?


てなことを考えてみたい。









僕の定義では、民主主義者ってのは、「民主主義の心を大切にする人間」
のことだと思う。
(いや、もちろんこれは俺様定義だよ。それは全く否定しない。


ある特定の非民主主義者の集団の好きな言葉で言うと、
「ぼくのかんがえたみんしゅしゅぎしゃ」でしかない。
それは本当。)






そもそも、民主主義とは何か。


民主主義とは「Democracy」を翻訳した単語であり、国民全員の投票(多数決)によって意思決定がなされる政体のことを言う。
国民全員の投票で直接意思決定をすることを「直接民主制」、国民全員の投票によって意思決定の投票者を選出することを「間接民主制」と言う。
どちらにせよ、国民全員が一人一票を持つ制度のことを民主主義という。
ここから、「民主主義の心」が見えてくると思う。



民主主義の心・その1
民主主義は、一人一人の間に優劣をつけることを認めない。


民主主義では、どんな人間も一人一票を持っている。
民主主義への愛とは、平等への愛である。
選挙権のある人間なら、人種、民族、性別、学歴、IQ、年齢、知識、経験、あらゆる人間が一人につき一票を持つ。
「優秀な民族は一人で1.5票、劣等な民族は一人で0.5票」なんてことは認めない。
あらゆる人間は民主主義において、全て平等、絶対的に平等である。



民主主義は、「賢者」「愚者」の区別を認めない。
「学問的素養のある人間は一人で2票」なんてことは認められない。
なぜなら、「賢者」「愚者」の区別ほど危険なものはないからだ。



かつて、オウム真理教は、オウム真理教のありがたい教義に従って、サリンを播いた。
要するにオウム真理教の価値観によれば賢者は愚者をポア(死刑)するのが正義だったわけだ。
オウム真理教のありがたい教えによれば。
オウム真理教の価値観によれば、「賢者」とは麻原彰晃の言うままにサリンを撒く人間のことである。
しかしオウム真理教じゃない価値観によれば、そんな奴らは賢者と呼ぶに値しない。
異なった価値観がぶつかり合ったとき、「賢者」か「賢者でないか」を決めるのは、結局のところ「国民の全員(多数)が賢者と認めるか否か」
民主主義的に決めるしか方法がない。
民主主義的にしか「賢者か否か」を決める方法がないのなら、民主主義で「賢者」を設定することは無意味である。



民主主義は、「善人」「悪人」の区別を認めない。

「自分はマイノリティである。マイノリティはマジョリティに対抗するためには、法を破ってもそれは正当」
とか言うことをのたまった人がいる。
おそらく、彼の中で(意識的にか無意識的にかは知らないが)
マイノリティ=弱い=善人、マジョリティ=強い=悪人 という思考回路ができていて、
「善人が悪人をやっつけるためには法を破ってもそれは正当」という意味なのだろう。

しかし、上のオウムの例を見ても分かる通り、マイノリティ=善人とは限らない。
オウム真理教信者は、マイノリティである。
しかし、オウム真理教がマイノリティなのは、別にオウムが清く正しく美しく慎ましいからマイノリティなわけではなく、
ただその教えがイカレテいるからマイノリティなだけである。



清く正しく美しく慎ましいからマイノリティになった集団と、行かれているから多数に引かれてマイノリティになった集団を見分ける方法はあるか?
そんなものあるわけがない。
あるとしたら、国民全員(あるいは多数)が認めた場合、ようするに民主主義的に決まったときだけだ。
よって、清く正しく美しく慎ましいマイノリティはかわいそうだから一人二票あげましょう、善人だから特権を与えましょうなんつーことはありえない。
あくまで、人は平等である。





民主主義の心・その2
絶対的な正義、本当に大切な事なんてものは存在しない
そもそも、民主主義というものは、もとはと言えば戦争代替手段である。
戦争は正義と正義がぶつかり合う。
「正義の反対は、もう一つの正義なんだ!」と誰かが言ったが、まさしくその通りで、絶対的な正義なんて存在せず、
あるのは各の持つ別々の正義である。
正義と正義がぶつかり合う時に、人の世では戦争が起き、戦争の勝利者が「本当の正義」を勝ち取る。
しかし、現代ではいちいち殺し合いをして互いに消耗してはかなわんということで、
「頭を割るのではなく、頭を数える」
要するに実際に人を殺すのではなく賛同者を多く得た方を「正義」として採用しよう、ということである。


つまり、あくまで、より多くの人数を得た正義が「よりマシな正義」に認定されるだけで、
国民の多数の意見が変われば、その「よりマシな正義」は正義の座から転がり落ちてしまう。
「絶対的な正義」は、その意味で存在しない。
どんなに偉い人が「これは絶対に正義だ!」と叫んだところで、
国民の大多数が正義と認めないようになれば、それは既に正義ではない。
あるのは、「よりマシな正義」だけである。



民主主義の心・その3
民主主義の尊重とは、お互いの尊重である
戦争が終われば、敗者は消滅する。
よって、敗者のその後を心配する必要はない。
しかし、民主主義の敗者(多数決で少数派になったもの)は、消滅せず、存続する。
また、一たび民主主義の勝者(多数派になったもの)も、次の意思決定で勝者になるとは限らない。
意思決定の数だけ、「賛成/反対」の数があり、その度にマジョリティとマイノリティはコロコロ入れ替わる。
マジョリティ(多数派)は、マイノリティ(少数派)に向けて傲慢に勝利宣言をしてはならない。
次は自分がマイノリティ(少数派)になるのかも知れないのだ。
だから、民主主義が存続する限り、お互いを尊重することが求められる。
相手を尊重しない人間は、相手からも尊重されない。
その意味で、「少数意見の尊重」というものが、非常に重要になる。
あるのは、よりマシな正義だけなのだ。
多数派がA案を支持していて、少数派がB案を支持しているとき、
戦争によって少数派が絶滅するという仮定においては、A案をゴリ押すのが正しいだろう。
しかし、少数派も存続する民主主義社会においては、
多数派も少数派も満足するC案を考え出すのが、A案より、「よりマシな正義」である。




ただし、「少数意見の尊重」というのは、あくまで「相互尊重」の延長線上にある。
どっかの自称マイノリティが、
「自分の意見は少数意見だから尊重しろ。しかし、自分はお前ら(多数派)の意見は尊重しない。」とか
「お前ら(多数派)と自分の意見が違うのは、お前らが馬鹿(無知)だからだ。」とか
ほざくのなら、そんな奴の意見はとっとと無視しちゃえばいいと思うよ。


今のを言いかえると、
「10人のうち1人が違う事を言ってたら、その1人の言うことを真剣に考えるというのが本当の民主主義」
という言葉は真実である。
真実であるが、この言葉が真実なのは、あくまで「違うことを言っている1人が残りの9人の言うことを真剣に聞いている」場合に限る。
「俺はお前らの言うことは聞かないが、お前らは俺の言うことは聞け」っていう態度では、誰も話を聞いてくれないよって話。







話は変わるけど。
どっかの馬鹿(「とうとう遵法精神さえなくしてしまいましたか」に対して)

とうとう現国レベルの読解力さえなくしてしまいましたか

どっかの馬鹿(僕のことをさして)

単に中学校の公民レベルの知識がない、ということだと思います。


こういう、


自分と意見の違う者がいる場合、そいつが無知である


っていうの、民主主義が嫌いな人がよくこういう発想しますけど、それってどうにかならないんでしょうか?

例えば、僕はどっかの馬鹿相手に東大模試の現国で勝負したり、センター試験政経で勝負したら
たぶん圧勝できる(たぶん、ですけど)と思うんですが、何を根拠に僕の事を現国レベルの読解力がないとか中学校の公民レベルの知識がないとか
ほざけるのしょうか?




「民主主義社会において、マイノリティがマジョリティに抗議するのに、法を犯してもよいか?」
という命題に、「道路交通法レベルで別件逮捕」ならまだしも傷害罪だったら、
民主主義で決めれば「No」が圧勝すると思う。


能力主義的な優劣の決め方(属人的な内容でなく共通のルールに則った試験でよい点数を取ったものが「優れた人間」とする)
でも、僕が圧勝すると思う。




彼は、彼の決める彼の中の正義において彼自身を「賢者」と見て僕を「愚者」だと見ている。
僕は、僕の決める僕の中の正義のおいて彼を「愚者」だと見ている。


その観点においてはイーブンだと思うし、
その上で意見に優劣をつけるのなら民主主義的に決めるか能力主義的に決めるかしか無いと思うのだが、
何を持って彼は僕を「愚か」だと決めつけているのでしょうか?



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