鬼門除け・小稲荷町

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。


京都市立芸大が移転してきて周辺も区画整理されたのか、新しい住宅が建っている一角がある。
そこに鬼門除けが施されているのを発見すると嬉しくなってくる。

某神社にて

この神社は崩れた壁も長い間修復できないほどのありさまだったが、
今の神主になってから見違えったとの評判である。
それだけ経営意欲や手腕もあるのだろうが、少々やりすぎの感が、、、。

お賽銭はあくまで「お志」であり、それに注文を付けるのは如何なものだろうか?

神護寺・虫払い行事


神護寺は、僕の最も好きなお寺の一つである。
高雄のバス停から急な石段を上ること20分で、風格ある山門に到着する。


毎年、5月1日から5日まで国宝6点を含む多くの寺宝が公開され、虫払いと呼ばれている。
教科書で習った源頼朝像や平重盛像の本物をガラス越しではなく、文字通り指呼の間から見ることのできる貴重な機会である。

有名な弘法大師の灌頂暦名はさすがにガラスケースに収められている。
弘法大師の直筆を見ることのできる貴重なもので、ところどころ文字が修正されている。
これを、「弘法も筆の誤り」というのだと、僧侶がまことしやかに語っていた。
同じく国宝の両界曼荼羅(高雄曼荼羅)は奈良国立博物館にお出まし中で、見ることはできなかった。

一緒に行った社会科の先生は、教科書に載っている「紀伊国桛田庄図」の本物を見ることができたと大興奮していたのが印象的であった。

金堂に向かう階段は屈指の紅葉の名所であるが、青紅葉もとても鮮やかである。

緑の向こうには、唐櫃越えの山並みを見渡すことができる。


お寺を開いた和気清麻呂のお墓。
山寺ゆえか、広大な山内はとても落ち着ける場所である。

長岡京朝堂院跡


平城京から平安京に遷都される間、10年間だけ都があったのが長岡京であることは、だいぶん知られるようになってきた。

古文書等でその存在は知られていたものの、発掘調査により位置が特定されたのは、昭和30年(1955年)というから最近の出来事である。


大極殿など長岡京の中心街は長岡京市ではなくお隣の向日市にある。
交差点の名前も大極殿となっていて、一帯は静かな住宅地である。