東京に帰るということ

先日、診察で主治医に
「東京に帰んなさい。ここにいたら悪化するばかりで、病気治らんよ。
環境が苛酷すぎる。娘も病気じゃが、あんさんも病気なんじゃから。
東京に帰ったら病気治るんじゃよ」と言われた。


私だって、東京に帰りたい。
元気だった私に戻りたい。


でも・・・病気の娘を見捨てては行けない。


それに、今は彼の方にも事情があって、私を受け入れられない。


このまま、眠れない日が続くのか。
眠れても、夜中に発作を起こすのか。
時々、自分じゃない私になって、記憶を失うのか。
いつも体中に力が入って歯を食いしばっていないといけないのか。
そわそわ落ち着かなくて、じっとしてられなくて、でも何も手に付かないのか。
幻聴や幻覚の恐怖に耐えないといけないのか。
まだ、頑張らなくちゃ足りないのか。


正直言って、逃げ出したいよ。
娘の病気が治るまで・・・と思って帰ったけど、主治医は
「娘さんの病気は治らん。学校も就職も結婚も出産も無理」と言う。
前夫も
「進行性の病気らしいから。社会性も失われていくからね」と言う。


母親の責任として、そんな娘を残しては東京に帰れない。
病気の原因が私にあるかもしれないという気持ちもある。


でも、自分勝手だが、今の私の病気の症状には、もう限界だ。
逃げ出したい。
東京に帰りたい。

後悔

年が明けて、娘の方から話しかけてきた。
今は、仲良くやっている。


娘が倒れたと聞かされたのは、彼と暮らし初めて2年目で、彼から
「ずっとここに一緒にいていいよ」
と言われた直後だった。それはプロポーズだったと思う。


私は迷った。
本音は、病気を治して彼と一緒に新しい人生を生き直したい・・・だった。
でも、相談した友達が、皆、反対した。私を責めた。
「親としての責任もあるから・・・」という私の発言に、猛烈に怒った先輩が
「そういう気持ちじゃなくて、子どもの傍にいてやりたいという気持ちはないの!?
私は子ども達の為だけに生きてるよ!!軽蔑するわ!!!」
と言ってきた。
10年間不倫して、家族よりも愛人第一だったことのある人に言われたくない。
だいたい、相談もしてない人に限って、こういうことを言ってくる。


彼とは話し合いをする度、ケンカになった。


彼の提案どおりにしておけばよかったと、後悔している。
私は荷物も住民票も部屋も東京に残しておいて、
娘は24時間体制で看ないといけないから、
一ヶ月のうちの一週間だけ、通院も兼ねて東京に帰ってくる。


私は、頭が混乱していた。友達に責められたこともあって。
それに、それまでの2年間にも3ヶ月に1回は神戸に帰っていたのだが、
娘は私を拒否していた。受け入れなかった。
「捨てられたと思ってた」と最近話してくれた。
そんな娘が、東京を拠点にしていて、受け入れてくれるだろうか?


私には、先のことが何も見えなかった。どうしたらいいのかわからなかった。


今、娘とお互いなんでも話せるようになって、彼のことも打ち明けた。
彼も彼のご両親も、娘に優しくして下さる。
東京に娘と遊びに行ったら、招待して下さる。
彼は、娘を遊びに連れて行ってくれる。
彼と娘は仲良しだ。
私より頻繁にメールをしてるし、楽しそうに長電話している。


私が東京の住民であっても、こうなったかはわからない。


でも、私は後悔している。彼の提案どおりにするべきだったと。
私の病気が悪化していることと、将来の不安とで。
彼と結婚すればよかった。そうすれば、私には私の『居場所』があったのに・・・。

神戸に引っ越した

娘の病名は『統合失調症』だった。
前夫が、私にショックを与えないようにと教えなかったそうだ。


7月6日に、娘が意識不明で救急車で運ばれたと電話があった。
意識を取り戻した後も、幻覚や幻聴があるらしく、奇行が続いている。
大変危険なので、24時間体制での監視が必要だと、主治医が行った。
入院を勧められたが、娘が激しく抵抗した。
前夫の母親を、娘は嫌っている。世話は頼めない。


迷って悩んだあげく、8月末に神戸に引っ越した。
愛する彼との、心臓をえぐられるような胸の痛みを感じた別れ。
彼のご両親は、私にとって『ほんとうのお父さんとお母さん』と思える人たちだ。
彼とご両親は、名医と名高い主治医でも薬でも治せなかった私の病気を、
ほぼ完治の状態にまで元気にして下さった。
誰にもできなかったことだ・・・私自身にも。
並大抵の大変さじゃなかったと思う。
一緒に暮らして面倒をみてくれた彼は、何度も心を壊しかけた。
それでも、私を見捨てなかった。
病気になって初めて
「生きていたい」「シアワセになりたい」と望んだ。
自殺未遂は完全に無くなった。


彼とは、永遠の別れではない。
引っ越すことが決まるまで、何度も話し合ってケンカしたけど・・・。
新幹線の扉が閉まる寸前に、彼は
「待っててあげるから」と言ってくれた。
私は、とても自分勝手だけど、
「娘の病気が治るまで頑張ってくるから、待ってて」と言い続けてた。
彼は、応えてはくれなかった。当然だろう。
娘の病気は『完治はしない』と言われているし、先のことなんか何もわかんないんだから、約束できない。
彼はそういう人だ。口先だけの約束などしない、誠実で正直な人だ。
だからこそ、私は、その一言で今を生きていられる。


正直言って、かなり辛い。疲れる。私の病気は悪化した。
ほとんど無くなっていた薬は、また大量に増えた。
以前にはなかった症状が現れた。
夜中に発作を起こして、叫ぶ、硬直する。
二重人格になって怒鳴り散らす・・・私とは別人の声や言葉遣いらしい。
記憶喪失に陥る・・・新幹線に飛び込もうとして警察に連れて行かれたが、名前も住所もわからなかったらしい。
これらの症状が出た時の記憶はない。
主治医に
「次にこんな事があれば、入院してもらうから」
と言われているが、私が入院するわけにはいかない。
だから、もう何も話していない。
最近は、また幻覚や幻聴もある。


娘の方は、私が帰ってしばらくすると、べたべた甘えてくるようになった。
抱きついてきたり、手を繋いだり、常にくっついてまわったり。
小さな子どもに戻ってしまったようだ。
甘えたくても我慢してた分を取り返そうとしてるようにも見える。
でも、病気のせいで精神状態が不安定なために、些細なことで急にキレる。
私は、娘のご機嫌を伺って、気を遣って、腫れ物に触れるように接してきたが、
ついに、昨日ケンカした。娘に
「一生話しかけんな!!死ね!!ボケ!!」
と言われて、ずっと無視されている。


東京での穏やかでシアワセな生活に戻りたい。
私は、とても元気だった。

娘も、うつ病!?

「私、やっぱり病院に行ったほうがいいのかな?」
という娘からのメールを、前夫は仕事中に受け取った。
そして、すぐに家に帰り、娘を病院に連れて行った。




抗鬱剤精神安定剤が処方された。
病名は、聞かなかったらしい。
「病名なんて、つけてほしくない」前夫は言った。




次の日、娘から久しぶりに電話があった。
とても元気な声だった。
9月に入って初めて、食事が摂れたらしい。
「この前は、蹴飛ばして、ごめんね」謝ってきた。
仲良しだった頃のように話すことができた。
最後に
「ママ、帰ってきて」と言われた。




母親の責任として帰るべきだろう。
娘もチビちゃんも、それを望んでいる。
前夫も「子ども達がそう言うなら・・・」と言っている。
だが、私は心を決められない。
東京に来て一年で、ここまで病気がよくなった。
毎日の生活に、幸せを感じている。
神戸に帰ると、きっと病気は悪化する。
東京に住みながら、時々、子ども達に会いに帰る、では、ダメなのだろうか。

どうすればいいのか・・・

7月は前半に10日間と後半に10日間、離婚して出た家に戻っていた。
途中、通院のために東京に帰っていた。




前半は、娘は自室のベッドの上で頭から布団を被って、何も話さなかった。無反応だった。
そっと、頭や体に手を置いて話しかけると、激しく暴れて抵抗した。
娘の口から聞けた言葉は、ただ一つだけ
「あんたなんか、ジャマ!東京へ帰れ!」
そう言うと、娘は思いっきり私の腰を蹴り飛ばした。
涙が出た。
その後、娘は前夫に
「あの女、早く東京に帰して!」
と、電話したそうだ。



娘は、度々、家出をした。
二階から、屋根を伝って、庭の物置小屋に飛び移って出ているらしい。
夜になっても帰ってこず、いろんな所へ電話したりした。




後半には、私が戻る前日から、前夫の実家に泊まっていた。
私がいる間は、一度も家に帰ってくることなく、前夫の実家や私の実家、義妹の家、友達の家などを泊まり歩いていた。
私は、本人の代理として、精神科を受診したり、カウンセリングに通ったりした。



どちらの先生の話でも、娘の言動は本心ではないということだった。
大好きな母に、離婚で置き去りにされた、心の傷がそうさせ、そう言わせるのだと。



私が、離婚を考えていた頃、娘は泣きながら私に言った
「ママ死なないで。ここにいたら、ママはいつか自殺しちゃうんでしょ。ママがどこにいても、生きてくれてたら、それでいいから。この家、出ていってもいいよ」
娘は、生まれた時から、いつも私が一番好きなのだ。
そんな娘に、こんなこと言わせてはいけなかったのだ。
娘に、自己犠牲になるようなこと、させてはいけなかったのだ。
離婚して家を出る時の、娘の顔が忘れられない。
目の光を失った放心状態だった。
あんな顔をさせてはいけなかったのだ。



東京に帰る前、前夫と話し合った。
「神戸に戻ってこないか?」ということだった。



今、迷っている。
東京に来て一年で、私の病気は、とても良くなっている。
神戸の主治医が驚くほどだ。
このままだと、治るんじゃないかと、希望も見えてきている。
神戸に戻ると、病気はきっと悪化するだろう。
それに、娘も避けているし、今、戻っても、私は役に立たないような気がする。



でも、母親としての責任もあるし。
私が、根気強く時間をかけて接すれば、娘も変わるかもしれない。



どうすればいいのか、わからない。

不登校

娘が不登校になった。
少し前から、度々早朝に電話をかけてきて
「学校休むと、パパが怒るから、ママが学校に欠席届の電話してくれない?」
と、申し訳なさそうに頼まれていた。
初めの頃は、娘の役に立ってるような気分がしていたが、だんだん罪悪感に苛まれるようになった。
学校に提出している書類の、家族の欄には私の名前は無い。
娘は『母のいない子』なのだ。
それなのに、堂々と
「母でございます」と電話をしている。
「登校途中で気分が悪くなり、帰ってきました。寝ております」と嘘をつく。
前夫にも、いつまでも隠しておけない。バレた時に大騒ぎになるだろう。
第一、娘の様子がわからないのが心配だ。
娘は嫌がって怒ってしまったが、前夫に正直に話した。
意外なことに、前夫が叱らなかったので、娘はコソコソと家に後戻りしたりすることなく、ベッドから出ようともせず、学校を休み続けている。




突然、夫から電話があった。
普段なら、子ども達のことで電話しても、話を最後まで聞こうともせずに切る夫が
「明日、帰ってきてくれ。君には降参するよ。娘の様子を見てやってほしい。娘が落ち着きを取り戻すまで、居てやってほしい。荷造りなんかしなくていいから。体一つで帰ってくれれば、必要なものは、全部買うから」
と言う。
離婚してから
「口もききたくない」という態度を貫いていたのに。
それほど娘の状態が悪いということだろう。私だって心配だ。そばにいてやりたい。
ただ、そっとそばに寄り添って、安心させてあげたいと思う。
何も問い詰めずに、言いたい事を静かに聞いてあげようと思う。
さあ、明日からは、久しぶりに『ママ業』に専念するぞ〜。

娘からの電話

突然、夜中に娘から電話がかかってきた。
離れてから、メールも電話もよこさないし、
メールしても返事なし、電話にも出なかったのに。




娘は泣いていた。
あの気丈な娘が。
別れの時にも泣かなかった子が。




「三人で暮らすのは、イヤ」
「チビちゃんは可愛いけど、パパが嫌い」
「この家には、私の居場所が無い」
「私のモノなんて、一つも無い」
「おじいちゃんとおばあちゃん(夫の両親)悪人だから、早く死ねばいい」
「誰か一人殺してもいいのなら、自分を殺す」


「ママと二人で暮らしたい」




何て答えたらいいのか、わからなかった。




入学式のために、神戸に帰った。
チビちゃんは小学生に。娘は高校生に。
二人で行こうねと電話で約束したのに、娘は一人で入学式に行ってしまった。
実家に遊びにきた時も、私と話そうとしなかった。
一度も私の目を見なかった。




娘たちと別れたことを、初めて後悔した。
私は、どうすればよかったんだろう。
どうすればいいんだろう。