継承

 昼間の日曜下北沢。茄子おやじは長蛇の列。信じられない光景。かつてはふらっといつでも入れたのに。
前店主から引き継いだのが2017年、ブラッシュアップしたタイミングと下北の変化がマッチしたなあと思う。下北の変化といえば小田急線が地下になり、線路跡に出来たボーナストラック開業が2020年。コロナ禍を経てメディアで取り上げられることが多く、街を歩く若者がほんとうに増えた。古着やレコードが流行ったことも大きい。
下北沢の再開発は本当に正しかったのか? 新しい街が完成して1年半、今こそ「ノスタルジー」「思い出補正」を超えた議論が必要だ | Merkmal(メルクマール)


下北はカレーの街なんていわれるようになったのはイベントの力もあるのかな。キッカケのひとつである「カレーの惑星」が出来たのは2016年で、カレー屋の形態が変化した時期とも重なっている。独創的なメニュー、古い店舗を使い、間借り営業や曜日ごとに違う店主という形態は今でこそよく見られるようになった。


1990年に開業した「茄子おやじ」の味は前店主が働いていた吉祥寺の「まめ蔵」経由。1978年に絵本作家の方が開いた店。そんな歴史を知ると、茄子おやじの店内やカレーに納得感。
下北沢のカレー店「茄子おやじ」が20周年-「あっという間だった」 - 下北沢経済新聞

若い頃からよく行っていたけど、いつの頃か胃に重く感じるようになり頻度が落ちたなか、店主交代直後にも行って、店内の変化が感慨深かったな。変わらないけど変わっていく、素敵だなと思う。
下北沢カレーの名店『茄子おやじ』。レコードの音に満ちた空間で奥深いスパイスに溺れる|さんたつ by 散歩の達人



 最近とある街にオープンしたカフェは、閉店したカフェのレシピや椅子を引き継いでいる。「全く関係ない仕事してたんですけど、閉店するとしって居ても立っても居られなくなって」と語る店主はいつもにこやか、静かな店内にやってくる客もみな落ち着いた方ばかりで常に良い雰囲気なのが嬉しい。それは引き継いだ元のカフェもそうだった。有名店を「コピペ」したりネットの写真を見て殺到するカフェも多いけれど、店主が店をつくりその空気に惹かれた客が来るのだ、とあらためて思う。



 先ほど、テレビで100年続く和菓子屋の3代目がつくるショートケーキが人気、と紹介していた。3代目が使う業務用ミキサーと2代目が白餡を炊く餡練り機は、ああ実家にもあるなあって胸の奥が痛かった。餡を捏ねる80代後半の2代目の後ろ姿は父と似ていた。まだ20代の4代目が頑張っていた。次世代に継承されていくのだな。
その後その番組では高齢女性が1人で切り盛りする食堂を紹介した。しんじられないほど大盛りの品々を提供しながら「儲けなんてないの!バカみたいでしょ?でもみんなが喜んでくれるから」と高らかに笑う店主は、第一に健康で、困らない程度の生活費を持ち、日々やってくる常連との交流がモチベーションなのだろう。



 店は店主そのものだ、だから店の数だけいろいろな「生き方」がある。だから店にも寿命がある。時代はますます変化し、昔のままではいられない。その寿命を継承することで違う姿で生き続けることも出来るのだ。いろいろ考えてしまうよ、ねえ。

「すべての夜を思いだす」



多摩ニュータウンが舞台の散歩映画とはなんて私向き!と思ったものの、歩車分離の起伏ある街並みをもっと感じたかったし、そこから立ち上がる人々の暮らしをもっと見たかった。私が見ている風景、私が見てきた記憶、その層が違うのだろうか。

そこにあった思い出も何もかも消えてしまったかのように感じるけれど「記憶」として残り続けていると思うんです。つまり、「不在の存在」のようなことを意識して撮っていました
映画『すべての夜を思いだす』清原惟監督インタビュー - TOKION

意識された「不在の存在」には喚起されなかったんだろうなとぼんやり考えている。


清原惟監督は92年生まれで現在32歳、今の時代ゆえ真面目で社会への強い使命感を持っているのではないかと思う。
「こんな問題意識を持っている」「こんな記事を読んだ」が貼られたスクラップブックを見ているようで、1本の映画作品としての強い芯と吸引力に欠けていると思えた2時間だった。心が動くショットやシーンが無く、ストーリーテリングに唸ることもない。ストーリーではなく「ナラティブ」を紡いだ(流行りなのでわざと使ってみた)ということなのかな・・・。
ユートピアのテーブル A table of utopia:2022年|美術館・アート情報 artscape
この映画のプロトタイプが上映されたこの展示全体もそんな雰囲気があり、自分が語りたいことありきの印象を受けた。



中年以降の描き方が容赦無くツラい。遊ぶ子供への行動、ダンスする若者を見た時の行動、ハローワーク職員や元勤務先同僚に、はたまたガス検針職員への会話など、言動・行動に「こういうオバチャンいるよね」視点があると穿って思えるのは、私が我が身を振り返ってしまうオバさんだからだろうか。監督が持つ「いつか私もそうなるかも」という怖れゆえの描写なのだろうか。大学生の写真屋での会話に愛想皆無なのは今はそういうものなのだろうか。徘徊が記憶のノスタルジーとして語られるのも情緒的すぎる。彼らがふと見せる表情は世代関わらず誰もが持つものでそこに共感は出来ない。



誕生日のお祝いケーキが映るホームビデオに「ワス世代にはこんなものはなかったよ」と思いつつ、後で見返すと写真でもアワアワするのに映像なんてと恐ろしくて震える。1枚の写真から立ち上がる記憶の前後は改竄できそうだけど、ホームビデオに刻まれた記憶は動く証拠として残るのだな。



そんなことをつらつら思いながら、この映画を構成するのは世代の違いなのか断絶なのか。
この映画に取り入れられた「死」は大学生の若い命だけど、多摩ニュータウンの団地では毎日たくさんの高齢者が孤独死している。土地の歴史として「縄文土器」が登場したけれど、第二次世界大戦中には「戦車道路」と呼ばれた緑道は上がらない。

「映画をつくるために視点を選ぶというより、私たち自身がここにいることから映画の視点を見つけていく」
『すべての夜を思いだす』インタビュー(前半) 清原惟監督・インタビュアー月永理絵さんーー映画をつくるために視点を選ぶというより、私たち自身がここにいることから映画の視点を見つけていく。|映画『すべての夜を思いだす』清原惟監督|2024年3月2日ユーロスペースほか

今いる場所で映画の視点が変わるということ。私は多摩NTの各方面を何度も歩いているし、仕事であらゆる世代の「他人の歴史」や「誰かの記憶」に携わり、最近母や義父が亡くなったこともあって、この映画は視点が狭く小さな箱庭に感じてしまう。意志ではなく、ムードが醸し出されるに過ぎない。


そうそう、テラスハウスや一軒家も出てきたのは良かった。多摩ニュータウンはいわゆる団地、だけではない。そもそも団地といっても「URか公社か、分譲か賃貸かはたまた都営か」で描かれる層は変わるのに、フィクションでは作り手が描きたい物語を誘導できる画一的な「ハコ」でしかなく、大抵「5階建階段室タイプELV無」なのはこのタイプしか頭にないのだろうか。実際は廊下型のほうが多いように思うし、「童夢」や「家族ゲーム」が描いた「高層団地の光景」は引き継がれていないのだろうか。

多摩NTでも多摩市と八王子市では行政の扱いは諸々違うことで暮らしも異なる部分があるだろうなとか、ハローワークも管轄違うなーとか、多摩市は若い世代が再生事業をしてるけど八王子市は……などと余計なことを考えてしまい、映画自体に没頭できなかったことも大きい。

でも、こうやって長文を書かずにいられないし、感じ取りたいものがあって、今日現在書いたことが今後更新されるかもしれないなとも思っている。



※以下、過去記録を参考に。


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