引越し

 今回の遠征でデンマークの隊員から影響を受け、帰ってきてから動き始めた引越しプロジェクト。家探しで時間がかかったけれど、やっと、目途がつきそうです。

 ということで、11月に予定している引越しが終わるまでは、いままで以上にゆっくりペースの更新となりますが、ひきつづき遊びにきていただければ幸いです。過去の日記を見ながら、行動記録を埋めていくことが中心になると思います。

フランツの贈り物

 フランツはオーストリアから参加した42歳。黄色に近いブロンドの髪をして、色白だが、お酒のせいか日焼のせいか、いつも赤い顔をしている。
 オーストリアでは森の中の一軒家に住み、家からほど近い会社で技術者として働いているのだという。平日は、いやな仕事も引き受け、一生懸命働いて、休みは長期に山へ入るという。自然環境が豊かなので、トレーニングは専ら森の中…。なんともうらやましい環境に暮らしている。
 彼は、カシュガルを出るときから、いつもビールを片手に水代わりに飲んでいて(これは、ロシア人と同じだ)、アルコール臭い。おまけに、原色の黄色ズボンに、青色シャツ、日焼しないようにタオルを頭から巻いている…というなんともちぐはぐないでたち。初対面で人を判断するのは申し訳ないと思いつつ、私のリストには、真っ先に「要注意」人物のチェックが入ってしまっていた。
 一人で参加したフランツは、ベースキャンプでのテントメートを探しているようで、私に「一緒のテントをシェアしよう」としきりに誘ってきたが、直感的に私は断りつづけていた。自分に理解できないと思った人物には、なるべく近づかない。山だけではなく、一人旅にでるときなどでも、そんな直感を信じることが結構大事だと思っているからだ。実は、一緒に行動することになったスペインチーム3人組も、かなり私と近い価値観を持っていたので、彼には「要注意」マークをつけていたらしい…。彼らもまた、一緒にテントをシェアしようとフランツから誘われたが、やんわりと断ったうえに、うそも方便で「マサミと既に約束してるんだ」とまで言ってしまっていた。
 結果的に、私はスペインチームと、フランツはデンマークのクラウスと一緒のテントをシェアすることになった。
 フランツは、英語があまり得意ではなく、みんなで会話中「ヤーヤーヤー(yes,yes,yes)」とドイツ語でうなづいてはいるが、結構通じていなかったということが後から分かったりした。だから、大事なことは、ゆっくり確認しあわなければ危険だ…、と、とこれまた「要注意」マークを私は彼につけてしまっていた。私も、会話中にわからないことはあるけれど、わからないときは、頷かないでいる。軽い話しならそのままでもいいし、内容が大事なときにはこちらから再び質問するように気をつけている。あたりまえのことではあるのだけど、今まで外国の隊で何度か活動してきて、なんとなくわかったように相槌を打ってしまうのは、危険なことだと考えるようになったからだ。
 しかし、山登りは不思議なものだ。実際の登山がはじまり、人の行動や歩き方を見ていると、その人がどういう人か、また違った角度から見えてくる。しかし、今回ほど第一印象と実際の山での印象が違ったことも、あまりないのでは…、と思えるほど、一緒に行動してみたらフランツの印象が変わってしまっていた。なによりも、すごい体力がある。これもはじめは、『がんばりすぎると高所じゃつらいいのになあ』と私の中で「要注意」マークだったのだが、観察していると、彼は自分を結構知っていて行動しているのがわかってきた。むちゃくちゃ高所に強いのだ。ベースキャンプでは初日からSPO2(血中酸素濃度…高所では酸素が薄くなるので、血液中の酸素の濃度も低くなってしまうのだ)が90%を越え、1週間後にはなんと100%という値になっていた。高所に強いとか弱いというのは体質によるところも大きい。彼は明らかに強いタイプだった。だから、高所でガンガンスピードを上げて歩いても、ダメージを受けないのだった。
 そういうわけで、山に入ってからは、徐々にまわりも彼に一目おくようになっていった。登山の後半では、強いチームとそうでもないチームに二分されていったのだが、強いチームはフランツを筆頭に、デンマークのクラウス、スペインチーム、そして、そこにかろうじて私が入るといったことになった。登頂はならなかったが、アタックの日にはフランツが得意のスキーを駆使して先頭を切ってルートを切り開き、みんなの牽引役となったどころか、なるべく荷物を軽くしたいみんながいやがった赤旗を誰よりも多く持って無言で出発したのも彼だった。私はそれを見て、この人は、本当に心も強く自立した人なんだな、ということがわかった。私も、彼の次に多く赤旗を背負ったが、「みんなも、赤旗持ってね!(…ずるいのは許さないよ!)」と大きな声で言ってしまうところが彼との大きな差なのだろう…。いずれにしても、フランツは立派な山屋であったわけなのだが、見た目の不思議さから、みんなは尊敬を込めて彼を「野獣(ビースト)」と呼ぶようになっていた。
 カシュガルからそれぞれの国へと帰る日の朝、かれは、私のところに最後に挨拶に来てくれた。そして、お互いに感謝を込めたハグをしてから「これをぜひ、マサミに上げたかったんだ」と言って、ポケットから金色に青や緑のビーズを散りばめた、中国的にキッチュだけどすばらしく美しい蝶のブローチを私につけてくれた。動くと、まるで飛んでいるように羽ばたいてきらきらと光を反射する。
 「蝶の意味がわかるかな…マサミが自由に向けて飛んでいくように!という願いを込めているんだ」
 私は、それを聞いて、うーん、とうなってしまった。なんて、ステキなプレゼントなんだろう。しかも、なんだか、ずいぶんと私の本質的なところを言い当てられてしまったような気がして、やっぱり彼は、動物のような直観力を持っているのかもなあ、と思った。そして、その言葉は、深く私の心の中に響いたのだった。 

南アフリカ

今回の隊には、南アフリカからの隊員が6人参加していたのだが、私は出発前から彼らに会うのが楽しみだった。いままで、南アフリカに国籍をもつ人と出会う機会がなかったし、まして彼らがどのような嗜好で、普段どんな山登りをしているのか、ということに興味があったからだ。
 南アフリカからの隊員の平均年齢は、40代くらい。年齢的なものもあるだろうが、仕事も楽しみ、山も楽しむといった姿勢が感じられた。私から見ると、ちょっとだけマッチョで、ヘミングウェーのような、アウトドアを愛する大人の趣味人といった雰囲気がある。
 中で、南アフリカから参加した隊員のとりまとめ役のような人物であるマーティンと、とても仲良しになった。彼は終始明るく、みなを盛り上げるムードメーカーであり、同時に、年相応の経験からくる冷静さを持ち合わせているので、信頼がおけるメンバーでもある。彼は、何度か隊長のアンドレーとともに山を登っている。中でもお気に入りなのは、クンルン山脈の誰もいない草原にキャンプを張り、5千メートル前後の未踏の山々を、自分の好きなときに、日帰りまたはキャンプを一つ出して登るという登山だったと話してくれた。無名な山々ではあったけれど、とても自由で楽しい登山だったし、自分はそういうスタイルが好きだと言っていた。
 マーティンは合流した初日から、私に心を開いてくれた。私の今までの経歴に興味を持ち、中でも「タイでの単独の自転車行」を気に入ってくれて、いろいろと質問をしてくる。一方、彼の普段の山登りについて質問すると、彼は家からほど近い岩場で、クラックを登るのが大好きなのだそうだが、話題はそれだけに尽きない。山の話も、海の話も、サファリの話しもアウトドアに関する話題にはことかかないし、スポーツや(ラグビーが中でもお気に入りだ)、色々な国の情勢についても、次から次へと、どれも詳細な数字やらデータとともに、なかなか含蓄のある話しをしてくれる。
 彼が私に興味を持っていた理由は、もうひとつ、80年代のバブル絶頂の日本で1年間暮らした経験があったからでもある。今年40歳になる彼は、20代の頃、奥さんとともに世界中を旅していた途中に、日本に立ち寄ったのだという。奥さんが英語学校の先生として働くことのできるビザが取得できたために、1年間日本で滞在していた。彼自身はワーキングビザがなかったが、町工場や、銀座のドイツレストランで働いていたらしい。町工場と銀座。当時の表と裏を知っている彼は、外国の人とは思えない鋭さで、日本のバブルがなんであったか、そのころの日本人がどうだったかを良く理解していた。町工場は忙しいなんてもんじゃないくらいめちゃくちゃに働かされたし、銀座のドイツレストランは毎日盛況だったという。自分は白人系の南アフリカ人だから、日本人からしてみればドイツ人と同じように見えるから雇ってもらったのだと笑っていた。人当たりの良い彼は、そこで出会ったドイツ語の教授に気に入られ、仕事の後でよく銀座のバーへ連れて行ってもらったりしたという。たった1年の滞在だとは思えないほど、実に深く日本の文化に入り込み、日本人を良く理解しているのには驚くばかりだった。日本人は面白いという。自分と日本人の差異を認めつつ、日本人のメンタリティを理解しそれを好きだという彼。私は、まるで日本人と話しているみたい、と錯覚するときもあった。
 しかしある日、みなで酒を飲みながら人種に関する話題になったとき、彼がまぎれもなく南アフリカという国から来た人なんだと感じることがあった。隊長が、黒人と白人に関する難しい質問を彼にしたときだ。酒の席ではあったが、真面目に彼はこう答えていた。「みんなには理解しがたい部分もあるかもしれないが、南アフリカに住む僕たちにとっては、人種に関する話題はとてもセンシティブなものなんだ。答えられないこともある、ということを理解してほしい。」そんな話題を振った隊長を責めるわけではなく、酒の席だからと笑って話題をそらしたり否定したりするわけでもなく、誠実にそう答えた彼に私は、厳しい歴史の中で一市民として生活してきた彼の歴史を感じずにはいられなかった。また、こういう話しもしてくれた。スウェーデンのバーで飲んでいるときに、英語に特徴があるということで「どこからきたのか」と質問されたことがあった。「南アフリカだ」と答えると、コップを投げつけられ、出ていけ、と言われたことがあったという。昔は、国によっては、南アフリカの白人ということで、他の国では逆に厳しく扱われることがあった、と教えてくれた。
 今彼は、友達二人と会社を立ち上げて、就職の斡旋やコンサルティング、教育事業を行っているという。南アフリカには現在、黒人に優先的な就業の機会を与えなければならないという法律もあるが、まだまだ教育の格差があることが多いという。他の文化や、立場の違いを良く観察して理解し、共感することのできる彼の能力は、きっと、そのような仕事の場で生かされているのだろう。 

隊長の目

 今回の隊長であるアンドレーは、透き通って突き抜けてしまいそうなブルーグレーの目が印象的なロシア人だ。いわゆる、米国などで見る青い目とは違う色をしている。どこかでみたことのある目だなあ…と思い出したのは、ハスキー犬の目だった。同じ極北の犬でも決して愛嬌のあるエスキモー犬ではなく、ハスキー犬それもマラミュートと混合のハスキー犬の目だ。切れ味がいいというか、人間に媚びずにじっと観察しているような、ちょっと冷たい感じのする目の色である。
 今回の参加はたまたまネットサーフィンしているときに見つけたアンドレーのホームページがきっかけだった。問い合わせから申し込みまで、すべてホームページを介してイーメールで行った。だから、隊長の人柄や隊の運営については、実際に現場へ行ってみないと分からない部分も大いにあった。参加の決め手になったのは、ひとつにはホームページで公開していた情報が詳しく丁寧だったこと、そして、アンドレーのレスポンスの速さと金銭的な内訳の透明さ(人数が予定より増えたことによって一人あたりの負担額を低くするなど)、誠実さ、だった。
 イーメールをやりとりしているかぎりでは、とても人当たりの良い営業マン的な(サービスに徹しているといったような)人かと想像していたのだが、実際に現場で会って見ると、抱いていた印象と少し違っていた。エージェントを背負うマネージャーとしての対応はするが、決して人当たりが良いというわけではなかった。常に、ブルーグレーの目は冷たく静かで、人を観察し、状況を把握し、判断する、といった彼らしいリズムが貫かれていた。自分の目で見たものについて考え、じっくりと判断する。しかし、一度判断したとなると、かなり頑固に信念を曲げないようなところがある。ときに、かなり偏った見方とも思える発言もあったが、山に関して言えば、彼の考えは私の考えに近く、安心していることができた。
 ベースキャンプに入った初日、南アフリカのマーティンと、オーストリアのフランツが、ロシア人ガイドで今は亡きブクレーエフとその著書についてアンドレ−に質問をしていたのを、たまたまとおりかかって聞いた。アンドレーは「かれは、まず、お金儲けをしたかったし、自分の名前を挙げたいという野心があった」と話していた。「それにしても、ヒマラヤの高所で『ガイド』をするなどということは、僕には考えられないことだよ。高所に行けば、誰もが自分の体の責任を持つことで精一杯になってしまうことがあるのに、他人を責任を持ってガイドすることは不可能なはずではないか。だから、それを職業としてやること自体に無理がある。」という。
 私は以前から、高所登山に対して同じように思っていた。高所の登山では、中でも高所順応を考えた場合、体質が大きく影響すると思っている。だから、ひとりひとりが自立して自分を管理できなくてはならないし、他人が管理することなどできない、というのが自分の考えで、その考えは年々強くなっている。だから、登山の現場でいわゆる上意下達的なシステムにおける隊長は不要だとさえ思っているのだ。もちろん、隊長にもいろいろなタイプやスタイルがあるので、そうではない場合も多くあると思うのだが。
 今回の隊では、彼はオーガナイザーである。それを、募集要項には明記している。彼の役割は、登山をオーガナイズすることと、登攀に関しては知っている限りの情報を提供することである。しかし、判断するのは各隊員に任されている。
 彼は、自分ができることとできないことを認識し、それを明確に提示している。そのルールは、私にとっては合理的で、共感するところが大いにあるものだった。それでも、彼のブルーグレーの目は常に冷たく静かに状況をじっくり観察しているようで、みな、一目置かざるをえなかったような気がするのだ。 

テントメート

 高所登山をする際、通常、私はベースキャンプに一人用テントを持参してゆっくり過すようにしているのだが(ベースキャンプの一人用テントで、大好きな音楽を聴きながらゆっくり本を読む…これぞヒマラヤアソビの醍醐味とも言える楽しさの一つであります…私はこれだけのためにでも、ヒマラヤに行きたいくらい)、今回はいきがかり上、スペインチームの3人目、フランス人(だがスペインで仕事をしている)美青年のジェロームと初日からずっと同じテントで一緒に暮らすことになった。
 正直、ジェロームは31歳でかなりのイケメン。背も高いし、上品で、おしゃれと3拍子揃っている…。どうしましょう、と思うほどとてもステキな男の子である。初日のテントでは「荷物は真ん中に置こう」といって、ジェローム自ら壁を作ってしまったくらいだから、はじめは彼もかなり戸惑っていたのだろうと思うのだけれど…。しかし、結論から先に言ってしまうと、結果的に彼は最高のテントメートだった。なんといったらいいか、空気のような、というか、同性のような、というか、とにかく、不思議なくらいに居心地のいいテントメートだったのだ。

 私がベースキャンプでの一人用テントが好きなのは、人といるとどうしても緊張してしまう自分の性格もあると思うのだけど、気兼ねなく、じっくり準備したり考え事をしたりできるから。緊張せざるおえない高所での山登りの合間にベースキャンプで取るレストの時間には、できるだけ良い時間を過すべきなのは当然のことだ。けれど、ゆっくり過す…といっても、まわりのことで気が散っていると、自分のコンディションや考えを感じにくくなる気がする。周囲にまどわされずに自分に集中できる時間と空間がどうしても必要なのだ。その時間は、最初にも書いたけれどヒマラヤ登山の大きな楽しみ(快感)の一つであり、かつ、より安全に向かう方法でもあると思っているのだ。だから今回、最初は、人と一緒のテントで大丈夫かなと心配だったが、結果的には私自身びっくりするくらい息が合うというか、お互い全く気兼ねない仲になった。

 それは、もしかすると、彼がフランス人(スペインに住むけど)だからかなと思ったりする。私は、自分のことを自分でやって完結したいと強く嗜好するタイプだと思うけれど(いい意味では自立していたいと思っているといえるし、悪い意味では自分勝手といえる)、彼の中に私と似た嗜好性を感じた。お互い、多少は気を使うけれど、基本的には自分でやりたいことをやりたいし、相手がやっていることは気にならないから自由にさせてあげられる。これがもしもスペイン人だったら状況は違っていただろう。彼らはもっと、まわりの空気を読んでそれに柔軟に自分を合わせていく術に長けているからね…。そう、実は、わたしたちのテントの中は「空気読めよ!」と突っ込みたくなる状況だったかもしれない。

 カシュガルに下りてから、他の隊員に「男と一緒のテントだと汚いし臭いし(それはお互い様だよね)大変だったろ?」と何度か聞かれたけど、私はちょっと失礼な表現かなとも思いつつ「いや、こう言っちゃ悪いけど、ジェロームは最高のテントメートだったよ。まるで女の子と一緒にいるみたいに、なんにも気兼ねなかった」と答えた。そうしたら、傍らで聞いていたジェロームも「…いや、実は僕もそう思ってた。まるで、同性と一緒のテントみたいだなあって!」嬉しそうに口を挟んできたから、お互い、やっぱり同じように思っていたんだ、ということを確認することができた。

 このやりとりにすかさずアルハンドロは「ううん、そうか、そうかもしれないよ、彼はフランス人だからね、うんうん」とイエルマとめくばせしている…。後で聞いた話では、今フランスでは(それもパリなどおしゃれな都会で)『ゲイはかっこいい』ということになっていて、むちゃくちゃゲイが多いらしい。女の子と一緒のテントで気兼ねないなんて、やっぱり、フランス人だからゲイかもしれない、怪しいね…、とそういうことだったらしいのだ。真実のほどはわからないが、そういう見方もあったのか、とみんなで爆笑でした。

Suspicious…スペインの癒し事情

 どこにいっても、すばらしく魅力的なキャラクターの人というのはいるけれど、今回の隊で甲乙つけがたい中、私の中で一番をつけるとしたら、やっぱりスペイン3人組の一人、30才のアルハンドロだ。軒並み身長が180とか190センチくらいある隊員の中で、彼は恐らく170センチ弱くらい、私の次に小さくて、だけれども、すばしっこくて頭の回転が速い。小学校とか中学校のクラスにこんな子がいたよな、と懐かしくなるようなかわいさを未だに持ちつづけているようなヤツである。心はいつも繊細でオープンで優しいけれど、同時に、真っ当な懐疑心があるところが、なんとも魅力的なのだ。

 彼はベースキャンプでのレストの日になると「まさみ〜、何か、エネルギーもの(Energy Thing)教えてよ〜」と言って遊びに来る。「んじゃ、今日は、太極拳のエネルギー循環運動を教えてあげるよ」とか言いつつ、あやしいポーズをしたりして遊んでいたのだが、これは、私たちにとってはかなり笑いのツボにはまるアソビだった。
 「最近はスペインでもヨガや太極拳が流行ったりしてて、あやしい」と彼はアクションもオーバーに、スナフキンばりの疑いの目で言う。「僕の友達(スペイン人)も、急に東洋系のモノにはまったヤツがいてさ。昨日まで大麻を吸ったりしてヒッピー系だったのに、ある日突然、シアツ(指圧)やらタイチー(太極拳)やらやりだして、マスターになっちゃったんだよ。そのうち、教室を持ったから来いと言われて一度だけ行ったことがあるんだけど…」私は、いわゆる東洋系の怪しいモノが大好きなので、こういう話題は大歓迎。「でも、おかしくって、ついていけないんだよね〜。まあ、インド人や東洋人がやる分には、なんとなく不思議な感じでいいと思うんだけど、同じスペイン人じゃ、ホントに効果があるの?って、信じられなくって笑っちゃうんだよ…」なるほど、そうかもね、と、私は逆に目からウロコだった。日本では今、ヨガ教室で白人系の外国人が教えているところは結構ある。逆に、日本人より、外国の先生に習った方が有り難いイメージすらあると思うのだ。中でもヨガは世界的なブームだというし、そんな流れの中で、アルハンドロみたいな疑いの目を向けている人っていうのは、案外少ないかもナ、と思うのだ。これだけではなく、彼は、何に対しても、怪しさを見破るようなところがあって(他にも逸話はあるけれど、ここに書けないのが残念…)、私には、それらがなんだかとっても真っ当な疑いの心といったように思えて新鮮だった。

 そうはいっても、彼も内心はエネルギーモノには興味があるようで、下山後カシュガルに着いて真っ先に「指圧を受けに行きたい!」と言い出したのは彼だったのだけど。

フランスの休日事情

 今回の遠征で、私は専らスペインの3人組と一緒にずっと行動を共にしていた。詳細は日記に書くとして、30台前半の、エネルギー溢れる彼らと共に行動するのは、私にとっては久しぶりの「合宿気分」だった。「高所では決して無理をしません」と常日頃主張している私だけれど、今回は、ちょっと冒険をした気分だった。彼らはもともとの体力がある上、観察した限り、おそらく高所にも体質的に強いと思われた。通常のセオリーには反するのだが、今回は日本の山の合宿のように、一緒に行動を共にする者として、なるべくペースを乱さないように彼らの行動についていくように努力してみた。結果、なんとか順応もそれなりにうまくいき、おまけに近頃守りに入っている私の限界を押し上げてもらったような気がしている。
 「ここで負けたら一生負け犬よ!」母校大学山岳部の尊敬する女性の大先輩が、あるとき新人の1年生に浴びせた(勇気付けた?)名言である。私は、今回、この言葉を何度か思い出していたほどだったから、私としては、かなり高所において無理して頑張ったという感じだと思う。
 
 スペイン人3人のうちの一人、32歳のイエルマは、スペイン人だが、フランスの銀行に勤めて7年目。「パリにアパートを所有しているし、彼女もフランス人、フランスの生活を謳歌しているよ」という彼は、MBAを持つビジネスマンでもある。EUでは、比較的相互の国の間で転職するのは容易らしいのだが、山をやろうと思ったらフランスは特別だ、という。彼は普段から、金曜日の仕事が終わってから夜行の列車に飛び乗り、ピレネーの山に登りに行って、月曜日の早朝にパリに戻って仕事に行くなどということをやっているほどの山好き(新宿発の夜行に乗って山へと出かけていく日本の状況に似ていて笑ってしまった)。おまけに、フランスの中でも銀行は労働組合が力を持っているらしい。なんと、年間50日の有給休暇があり、それを消化することが義務とされていらしいのだ。山好きな彼をしても「年間50日の有給を消化するのは、正直大変」というほどだから、恵まれすぎているというべき環境である。私は「うらやましいけど、年間50日も有給を取る人がいて、社会システムがどう成り立っているか興味があるわよ」と思わず言ってしまった。「そう、それは僕にも謎だよ。そんな環境だからフランス経済は下り坂なのさ」と笑っていたが、実際どう機能しているのか、知りたいところではある。いまどきのフランスの若者は働きたがらない、就職先で人気があるのは公務員、理由はほどほどに働けばいいから、というのが相場だと言っていた。
 彼は、今回の遠征のあと、続けてカナリー島の海辺で彼女としばらく過すのだという。それでも年間の有給がまだ余っているので、秋には彼女と日本に遊びに行く計画だと話していた。