「何を待っているのですか?」
「象だよ」
「ここは何階ですか?」
「3階」
「身分証明書をお持ちですか?」
「免許書ならある」
「これに記入し、内容を読んでください。説明は裏面にあります」
「全てはその時の気分で」
「あなたは監視されています。気を付けてください」
「未来のことか?」
「残りの人生についてはどうお考えで?」
「しかし、年月はいつか過ぎ去るものだ。考えるも何もない」
「妻や子供はいるのですか?」
「中学生になる娘と妻がいる」
「娘さんに支えてもらうことを期待しているのですか?」
「金ならある。そんなことは期待していない」
「お金のことじゃありませんよ。精神的なことです」
「我々は法律の味方です。あなたのようにね。だから法律を犯すようなことだけはしないでください」
「法律を知っているそして、これまでそれを破っていない」
「何が真実なのか。もしそれが「そう見える」だけなら?」
「法律とか決まりとか細かいルールをを尊重してきた。幼少期から」
「ではどうしてこうなったのでしょう?」
「人生を悲劇と呼ぶな」
「ひたすらに謙虚なだけで、悲劇はないですよ」
「もちろんだ」
「これは悲劇ではありません。極悪非道です」
「以前のような健全な家庭に戻りたい」
「秩序を保つことは、一見あなたの責任であるように見えます。しかしあなたの秩序と自由は情熱で繋がっています。我々は両方を信じなければいけません。我々は両方に苦しんでいるわけですから」
「人間の生活には意味があります。豊かで、美しく、そして不潔です」
「しかし、自由を乱用する。まるでガラクタのように浪費している。娘に浪費されてる木偶人形のようにも感じられる。娘に弄ばれている」
「それは不思議なことで、何もないのです。自由を恐れることはありません。しかし、あなたの注意を引く必要があります。ある点について」
「言わなくてもわかっている」
「事実として」
「ああ」
「だから我々に協力してください。我々はあなたをとても尊敬しているのですよ。でも例えば今、あなたは無法者ですね。そして、その理由はよく分かっているはずだ」
「分かっている。読み上げるまでもない」
「もう言いません」
「警察を呼ぶべきでしょうか?」
「その必要はない。まるで娘のような脅しだ。そんなものすべて吹き飛ばしてやる」
「なぜ物事を複雑にするのですか?あなたは台所に座っていますね」
時々、窓の外を見る。他の人が何をしているか見るために。彼らのことを知り尽くしている。なぜそう言い切れるのか?誰もいないあそこの家屋は空っぽで、屋根瓦が盗まれている。せいぜい1匹か2匹のネズミがいる程度。骨と皮だけの。彼らはただ同じ汚いスツール。玄関に放置されたままの買い物袋。何が起きたかわからない。
お互いを怪訝な目で見る静寂の中で息をひそめるように。というのも騙されたと思っているから。生き方しか知らないそのようなものの影でレミングのように崖っぷちからその影に従う。しかしファンタジーがないと生きていけない。娘に近づきすぎたと思った時、でもそれはどうにもならない。寒さを凌げるシェルターの下で娘と暮らせる夜があるだけで幸せだ。娘はいいおっぱいをしてる。成長とは早いものだ。
父親がいるはずの空虚な空間。その空洞を埋めるために何をするか。でも時間は止まっている。パパはどこ?いない。どうして?。
「本当はあたし、家に帰らないといけないんだけど。遅くなってきているし。お母さんに叱られるわ」
ふたりはたがいに指を軽くつないで歩いていたが、先を歩いていた娘はこの言葉と同時に自分に丸く握られている相手の指が自由になろうとしている気配を感じた。だが彼女にはこうした反応が予測できていたので、しっかりと握りしめながら、徐々に自分の指を上にずらしていき、相手の手をほとんどすっぽり包んでしまった。
しばらくどちらも口をきかなかった。それからくぐもった低い声で質問がなされた。
「ゆうべもお母さんに叱られたの?」
小柄な娘の返答は思いがけなく激しいものだった。
「叱らなかったことくらいわかっているくせに」
それから口調を和らげて失望したように言った。
「でもあなたは絶対ににわかってくれないのよね」
それから腰をおろすとこの娘はちょっと押しのけるようにしてまで強く握られていた手を振りほどいた。手はそこに手のひら上にして置かれ、指が相手に握られていたままに間借り、それ自体の独立した、ただし衰えかけた声明をおびているように見えた。
ふたりの娘はこの人気のない場所に、恋人たちにも該当にも町にもすっかり背を向けて座り、暗い海を無言のままじっと眺めていた。3か月ぐらい前に一緒にショッピングモールで買ったお揃いのジョーダンのスニーカーをプラプラさせて遊んでいる。同じモデルだが色違いだ。このお揃いのスニーカーを履いて一緒に街を歩いているときが一番楽しい。
だがしばらくするとショートカットの娘が相手をそっと盗み見ながら、髪を揺らしながら、彼女は意味ありげに強い口調で言った。
「パパが好きなの」
返ってきたのは軽蔑するようにかすかに肩をすくめるしぐさだけだった。
「あたしパパのことが好きだって言ってるのよ!実の父よ!なんで何も言わないのよ!」
「パパ?バッカみたい!」
「千恵ってさ、自分のこと凄く頭が良いって思ってるでしょ?いつも人を見下してる」
「そういう素振りがあることも、それが間違っていることも自分で知っているわ」
「またそうやって!そういうポーズなんでしょ?でもどうだっていいよ。千恵が何を言ったって同じことだもんね。あたしはパパのことが好きだし、いつまでも好きなままだわ」
「勝手にそうやって自分で盛り上がってればいいんじゃない?軽蔑するわ。そういうの」
だが少ししてからひどく激しい口調で言った。
「あなたにそんなふうに考えるように教え込んだのは、そもそも誰なんだろうね?そんなことを仄めかしたりして、あなたに信じ込ませてしまったのは誰かしら?そうやって信じているフリをしているのよね。そうやっていつも振り回そうとする。その靴だってパパからもらったお金で買ったんでしょ?お小遣いを貯めて買ったのよ」
「お金の出どころなんてどうでもいいでしょ!それでもパパが好きなの!」
「そんなことをあえて言う?わざわざ言葉を使う必要なんかある?パパが好きだからなんだっていうのよ」
「パパといつまでも一緒に暮らすし、でもね・・・千恵。あたしを助けて。あなたは頭が良いんだから・・・分かってるんでしょう?あなたがその気になってくれたら、あたしを助けることができるのよ・・・。その気になってくれさえしたら!」
そして娘は両腕で千恵の体にしっかりとしがみつき、その暖かな暗がりに深々と自分の顔をうずめて、あたかも狂おしく抱擁することで、自分が必要としている助けと強さを引き出そうとするかのようだった。
千恵はそれまで何も言わず、身体を固くして座ったままで、ただちょっと自分の腕を身体のわきから話してひじを外側に突き出し、自分の体にまわされた相手の両腕に触れないようにしていただけだった。だがこの最後の訴えに千恵は一気に和み、ショートカットの娘を自分の胸に抱きよせると、強くしっかりと抱いた。そしてそのままの姿勢で彼女は長いこと座り続け、あごを相手の髪にかるくもたせかけ、光沢のあるふわふわした赤ん坊のような紙を感じながら、ひっそりとうねる海を陰鬱な目でじっと眺めていた。