ラーメンとミシュラン?

先にお断りしておきたいが、
僕の中でのミシュラン像というのはものすごく古く、
現在のそれとはまったく別物と思われる。
それでも僕にとって憧れだったミシュランというのがあり、
そこへの懐古的な憧憬から空想したことを書き留めたい。


蔦は2012年に巣鴨でオープンしたラーメン屋で、
支那そば屋に端を発すると思われる清湯・淡麗系ブームの中で
比較的早くからあっさりとしたラーメンを提供することで人気を得た。
2014年にミシュラン東京のビブグルマンに掲載され、
2016年始にミシュラン東京本編の一つ星を獲得することで
全国で(あるいは世界で)最も注目されるラーメン屋となっている。

僕個人で言うと、東京ラーメンオブザイヤー(TRY)2012-2013で醤油部門新人賞を受賞した後に1度、
次の年に名店部門で受賞したときに一度行っており、どちらも午前の部約45分の行列でありつくことができた。
客層は幅広く若者から高齢者まであり、巣鴨と言う立地特性もあるものの
蔦のラーメンの持つ普遍性や波及性を感じさせるものであった。

ラーメンについて少し詳しくいうと、
鶏と魚介を効かせたあっさりとしただしと醤油の香りをストレートに効かせたたれは
淡麗系の王道を行く物であるが、きのこの香りが懐かしさを感じさせる物だった。
これが1度目に食べたときの感想であり、鳴龍と似た「そうめん系」と呼んでいたが、
その1年後にはまた違ったラーメンに進化している。
大きくは黒トリュフペーストとライ麦だったかのラーメンでは特殊な麦を使った麺の採用であり、
洋のテイストを大胆に取り入れた無二の味を獲得している。

2014年には2号店の蔦の葉を近隣にオープンさせているが、
こちらはまた違った鴨ベースのおしとやかな味である。
店舗ごとにコンセプトを変えるのは最近の元気なラーメン職人の間では普通のことだが、
特に蔦においては2店の味は別物に近い。

そんなわけで僕の中では「けっこううまい店」の一つだった。
しかし2015年にTRYで再度名店部門で受賞するのを受けまた行こうかと思っていた矢先、
ミシュランの星獲得のニュースが飛んだ。


そこでの僕個人の感想は、「ついにラーメンもここまで来たか」ではなく
「ついにミシュランもここまで落としたか」である。
蔦をディスるわけではない。蔦は上記の通りけっこう美味い。
味を大胆に変える姿勢や味そのものは一ラーメン好きとして賞賛するものである。
しかしミシュランか、と言われると僕の理解を超えるのである。


たしかにこの数年でミシュランは大幅に敷居を下げており、
東京版発行から札幌版発行、ビブグルマンで安価なグルメを紹介するなど
僕の少年時代からは考えられないほどカジュアルな物になってきている。
僕が元々ミシュランについて持っていたイメージは次のようなものである。


・星はフランスの高級料理店または由緒ある伝統的な料理店に限り与えられる
・一つ星の店で予約は1ヶ月先、三ツ星なら1年以上先もざら
・女性がシェフを務める店は二つ星まで、外国人がシェフを務める店は一つ星までしか取れない
・三つ星から二つ星に降格された店のシェフが自殺した


以上は15年も前にテレビの特集で見た情報に半分僕の記憶違いも入ってるので嘘が入ってるだろうが、
ミシュランの格式の高さと言うのは今日と全然違うものだった。
星を取った店で食べるなど夢のまた夢だし、
老後にもし余裕があれば行けるかも知れないくらいに思っていたが、
年々ハードルが下がりついにラーメン屋が星を取ることでこの夢はあっけなく(しかも後付で)
この夢は実現してしまった。


ところで僕だって稀にではあるが1食1万円近いたっかいフランス料理を食べることもある。
それらの料理は僕レベルの舌から言えば趣向を凝らした・見たことも無い・絶品料理であり、
そこでの食事は値段以上の贅沢を感じらる素晴らしい体験である。
高級店はサービスも素晴らしく、(予約するから当然だが)客を待たせることもないし、
水が飲みたくなれば手を挙げるだけで持ってきてくれるし、
ワインの知識が無くてもこちらの好みに合う(合うだろうではなく、合う)ワインをすぐに選んで出してくれるなど
兎角至れり尽くせりである。


当然これらのサービスはラーメン屋には不可能。
味についても原価の制約がある限りどう逆立ちしても超えることはできないのだ。
僕も暇なときにいろんなラーメンを食べているが、
1万円のフランス料理を超える味のラーメンなど無いことは断言できる。


僕にとって驚きなのはそうした店ですら星を持っていないこと、
つまりミシュランの星というのは僕の知る限り最高の店を超える料理とサービスを提供する店に
与えられる、と思っていたのだ。
だから蔦が星を取ったときは、店主はじめお店の方には申し訳ないが、がっかりした。
僕の好きなラーメンが国際的な評価のテーブルに乗ったこと自体は喜ばしく、
ビブグルマンの店はじめ他のラーメン屋は益々レベルを上げてくれることを期待しているが、
果たしてそれがミシュランなのか。


じゃあどうなれば良かったのかと言うと、一つ僕の意見としては、
世界最高権威の料理評価軸であるミシュランの星はもっともっと高い目標であって欲しい。
どんな料理でも最初はサブカルチャーだったはずだ。
すきやばし次郎の寿司だって江戸の庶民文化に長年磨きをかけて生まれたものだろう。(行ったこと無いけど)
格式高いフランス料理だってイタリア料理だって最初から格式高かったわけではないし
大昔の物は今ほど美味しかったわけじゃ絶対にない。
そう言った意味でラーメンはまだまだ発展途上の食文化だと思うのだ。

長野戸隠のそば店・うずら家に行ったことがある。
そこで食べた磨きぬかれた蕎麦は僕の知るあらゆるラーメンよりはるか上を行く味だった。
そば粉の一粒一粒まで吟味されたかに思える緻密なそばは完璧に温度管理され、
肌で感じる長野の気温と湿度に対し絶妙な芯の冷たさを持つかに思えた。
つゆの甘さと辛さ、香り、大根おろしの粗さ、辛さ、
さらには少し古びた店のつくりまで完璧に思えた。
ラーメンはまだ蕎麦に敵わない。数百年の歴史はこれほどまでに厚いと感嘆したものだった。
ある種、高級な(1万円程度の)フランス料理に比肩できる魅力をもった物だった。


そば切りの初見は1574年、信濃の古文書での記載である。
市井に普及したのはその後の江戸時代、
現代も続く老舗の「砂場」が1757年には大阪で営業していたとされるが、
そこからとすれば蕎麦には約250年の歴史がある。
一方近代的なラーメンを出した専門店は1910年にオープンした浅草の来来軒とされるので、
そこからとすると約100年。
一方でラーメンの単語を国民一般が知るようになったのは
1958年の日清チキンラーメンの発売が契機になるので、
普及後で言えばラーメン史は50年ほどと見ることもできる。


そんなわけで超単純に言えば(実際は職人の数も店舗数も全然違うのだろうが、)
蕎麦をおいしく工夫できた時間と言うのはラーメンより200年長いことになるのだ。
こんなのは暴論なのだが、僕はその200年の壁を戸隠で見た気がした。
(ただしこれは不味いという店は蕎麦屋の方が多い。。)

話戻るが、蔦はラーメン屋の中では「けっこう美味い」。
誰にでもお勧めできる、極端な行列の無い信頼の置ける店だった。
しかしミシュランの一件以降5時間待ちが常態化し、
普通の気持ちでは行けない店になってしまった。
何時間も待ってから食べ終わったおばちゃんがテレビの取材を受けて、
「とてもあっさりしてておいしかったわーん」とか言ってるのを見ると、
あんた絶対普段ラーメンなんか食べねーだろ、あんたらの一時のミーハーのせいで
俺はもうその店で食べれないんだ。
という邪念が噴出してくるのを抑えようがなく恥ずかしい限り。
その通り、俺はあんたらみたく5時間並んでまでそこで食べようと思わない。だから負けだ。
(行列をわざと作ると言う狼藉をやってのける松戸のT田を思い出すとまだ落ち着いてられるんですが)
まあ、ラーメン食べてると栄養が偏って思考も醜くなるのだ。


そんなわけでまとめるとこうである。
?僕は格式高い昔のミシュランに憧れていた。
?ラーメンはまだまだ食文化としての完成度が低い。どんなに美味しい店でも例外無く。
?そんなラーメンに星をあげるミシュランが残念というか複雑な気持ちである。
?ラーメン文化にはもっと発展してもらい1万円のフランス料理コースを超える物を作って欲しい。
?松戸のT田だけは許せん

ブランキー・ジェット・シティ

いまさらなんだなあ、そして別に俺が語る必要も無い。
しかししょうがなく、いまさら誰にも語れないブランキー愛を語りたくなる。
中学のとき友人だったやつ…板橋っていう、そいつのことはあとで嫌いになったけど、
ブランキーを教えてくれたのだけは感謝している。


かずたかはロメオがすきって言ってた。
あと大学で仲良くなったマッチョな東海林も好きって言ってたし、
吉川くんも僕のブランキー好きに賛同してくれた。
杉山さんはブランキー元メンバーのバンド含め全部すきって言ってた。


板橋はスパゲッティーヘアーとかバングが好きだった。言わば尖ってた。
東海林はドンとキスマイテイルすきでおしゃれな奴だと思った。
吉川君はガソリンの揺れ方の歌詞について喋るときじーっと遠くを見てた。
当時僕は子供で自分の命揺らしてるだけとかよくわかんなかったけど、今はけっこう分かる。


物事にそんなにはまらないほうなので、ブランキーのアルバムを全部持ってるわけでもない。
でも中学のときから15年かけて、しだいに好きになって今ならすげー好きだぜって自信有る。
好きな曲何曲か紹介しよう。


①悪いひとたち


バラード曲はブランキーの真骨頂であるって感じではないんだけど、僕はこの曲が一番好きなのだ。
曲というより詩が、なんというかぶっちぎっている。
世に社会はソングは多かれ、意表をついた構造と、
浅井健一のまじめで優しい精神がストレートにあらわれているのだ。
詩の頭から思うところを書いていきたい。


・悪いひとたちがやってきてみんなを殺した(割愛)悪い人たちの子孫は増え続けて(割愛)山は削られ川は死にビルが立ち並び

浅井健一の歌詞は全体的にアメリカめいたアトモスフィアを持っているので、このくだりも白人とインディアンとの侵略戦争だ!って思いそうだけど、
本人たちはインタビューで「こういうことはどこにでもあったはず」といっている。
つまり学校で学ぶ人類史は戦争と侵略の歴史、そのへんを生々しく表現してるんじゃないかな。アレキサンダーカエサル、チンギスハン、コルテス、ヒットラー、今日の紛争の首班やテロリストたちも同じことをしているかもしれない。


「世界地図は血の跡」なのだ。
拡大解釈するとこれは現代人を含む人間一般の抱えるカルマでありさがのようにも思える。アウストラロピテクスだって近縁種を滅ぼしたかもしれないし僕らの祖先に滅ぼされたかもしれない。
なんで敢えてこんな拡大解釈するのかって、それはあとで。


・すさんだ心を持ったハニーヨーロッパ調の家具をねだる、セックスに明け暮れて麻薬もやりたい放題(割愛)そんなに長生きなんかしたくないんだってさ、それを聞いたインタビュアーがカッコいいって言いやがった


放蕩をつくす現代人の描写。流れからして悪いひとたちの子孫なんだろう。
だとしたら長生きしたくないだとか、弱い人たちをぶっ殺して繁栄した人間たちが言うなんてとんでもない。
つまりこの放蕩人間は自分の肩に乗っかった先祖の業を知らないのか、無視している。
一方セックスドラッグバイオレンスな不良少年やロックンローラーのイメージも重なる。
ブランキーは(元)不良少年っていう立場でよく歌を書くし、ロックンローラーなのでひょっとして自分ら自身も重ねているのかもね。
そのへんを踏まえて、次。


・お願いだ僕の両手にその鋼鉄の手錠をかけてくれよ(割愛)さもなきゃお前の大事な一人娘をさらっちまうぜ


この「僕」は犯罪質だし、流れ的に先の放蕩人間と同じ主体かと。
そうすると最初からここまでのつながりが分かる。つまり、
「僕」は悪いひとたちの子孫で、放蕩をつくす現代人で、自分らの業なんか顧みないとんでもない奴だから手錠をかけて罰してくれよ、
とそういってるのかな。

"新しい"ご当地ラーメンその2

四つ葉

jacと並べて「新しいご当地系」と呼びたいのが埼玉県比企郡の四つ葉です。
おそろしくアクセスの悪い所にある店で、
あるラーメン情報サイトで最寄駅の項を見ると「無し」って書いてあったりするほど
すごい田舎の田んぼとガソリンスタンドしかない中に立地している。
でもけっこう行列してたから人気なのです。TRY2013で新人大賞2位だったかな?かなり宣伝効果のある。
というかこんな店を発見して評価したラーメンマニアの先生たちはすごいと思うが…


で、この立地にどんな必然性があるのか。目的があるのか。と言うと、
ここがポイントなんですが、要は店主の実家がここにあるからなんです。
店はでかい農家って感じの家屋の一角を使ってるんだけど、これがどうやら実家だそう。
さらにこの実家さんでは寿司屋を運営してます。


四つ葉は魚介清湯っていういまどきなラーメンを出すんだけど、いろんなレビューなどを見るに
この魚介は実家の寿司屋で仕入れている魚を使っているとのこと。
この時点でなんかすごいというか、寿司屋の実家で開店するメリットってこういうことなのかというか、
よくわからん。メニューにも普通に寿司が載ってるし。


さらにさらに、いまどきな四つ葉は醤油をよく立たせた味なのだが、
この醤油も近所の醤油蔵から仕入れた物らしい。
つまり四つ葉のラーメンは実家とご近所の味を活かしたものなのだ。
はい。これが私の言いたい「新しいご当地ラーメンその2」の所以です。


この地域でご当地ラーメンを作ろうと思ったら、よく知らないけど「下仁田ネギラーメン」とか思いつくよね。
そうじゃない。そういう村おこし的な発想ではないのだ。
若き店主にとっての「ご当地」とは比企郡ではなく彼のご近所さんまでのことなのだ。
札幌ラーメンだからカニ使うんじゃねえんだ。そんなものは古いんだ。
じつに挑戦的な発想だと思いました。


実際問題、いまどきの一般人の地元に対する愛着ってどれほどのものだろう?
正直僕は実家のある某市に対しては大した愛着を持っておらず、たぶん出身地の違う両親もそうで、
友人たちも生れはそこながら全国各地に散らばっている。
従兄弟だけは少しちがくて日ハムや地元の味覚をあちこち大いに宣伝してるが、
彼はけっこう人情に厚く物事の筋にこだわる男で珍しいタイプだと思う。


思うに市町村単位っていうのは直接市町村自体に愛着を持つには広すぎて、
たいがいは田舎で住む人にとってはつまらない土地だし、
まちおこし村おこし運動っていうのも市民一人一人の愛着をもたらすような作用は薄いものが多いのだろう。
下仁田ネギラーメンなんて別に食べたくねーし。(下仁田ネギを否定するわけではありません)
地域によってはご近所さんとの連帯意識すらほぼ無いに等しいので、それを飛び越えたまちに対する愛着など
湧きようもない。はっきり言って。


というわけで、広い意味での地元にきっぱりさよならして、
本当に自分が愛着を持てる範囲、つまり実家とおとなりさんの持ついいものを活かそうとした四つ葉の店主は、
すごく正直、というより真摯だと思うのである。
例えば北海道の人が「北海道のカニサイコー」と言うような薄っぺらい地元愛より遥かにリアルだと。
(実際道民はカニサイコーとか言いませんが)


仕事では基本嘘も方便なんですが、学生時代にいろーんな先生からわかってもないこと偉そうに言うなと怒られたの思い出すにつけ、
この田舎で頑張ってるラーメン屋の店主さんはよく分かってるんだなと感心する物です。

【どくしょかんそうぶん】ライ麦畑でつかまえて

"師匠"植地くんと最後に会話したのが約3年前。
うーん。すげー昔だ。
彼はかなりの読書家のようで、このときはたくさんのおすすめ本のタイトルを教えてもらった。


その最後の会話の際に出た一冊が『ライ麦畑』で、なんの脈絡だったか覚えてないけど
そういえば読んでないなと頭に残ったのだった。


高校以降たいして本を読んでなくて読書無精になっている。
本を読む際はネットで評判を見てから読むか判断する癖がついていた。
ライムギ畑についてネットで調べると、「アメリカ青春文学の最高傑作」「いまだ読み続けられる不朽の名作」
と結構な評判。さっそく読んでみることにした。


この本。中学・高校・大学時代に1回づつは読んでおくべきだったと思った。
いずれ子供が出来て男の子だったらウザがられても激推しするだろう。
この本は子供から大人になる時期物凄く読むべき本である。


筋としては10代の少年が学校の寮を抜け出して夜の大人の世界を冒険するというもの。
少年は自分はもう大人だと思っていて、何事もうまくいかない現状を否定し夜の街=大人の世界こそが自分の居場所だと考える。
けど夜の街は彼を受け入れない。なぜなら彼は自分で思ってるのと違って外見的にも内面的にもまだ子供だからなのだ。


こういう勘違い。誰にでも、中学時代と高校時代と大学時代、そして大人になってからも、
それぞれ内容は違う物の、ある。誰しも自身の身の丈を完全には理解できない。
もっともこのギャップが持つ位置エネルギーは向上心を生み出す物だが、
身の丈の合わなさをカバーしてうまく世の中と付き合うことも大事な物で。


それはそれでこの小説の大事な所だと思うんだけど、僕がこの本をもっと気に入っているのはもう一つのポイント。
主人公の少年はこのギャップを否定する為か、あるいは本心から、
大人の世界には今一つそぐわない"純粋な物"を愛する。
それはまだ純粋無垢な彼の妹の言葉だったり、
ライ麦畑で遊ぶ子供が崖から落ちそうになったらそっとつかまえてやることの美しさだったり。


著者はこの美しさ・正義を主人公の間違ってるところと並べてみて読者に問いかけてるんじゃないだろうか。
「まあそのへんも含めてうまくやるってことだよ」と誰かに言われそうだがうーん。本当にそうか?
ピーター・ライス自伝なんか読むと、ライスはすげー純粋で目からうろこが落ちます。
まあエンジニアっていう職能に自己陶酔してんじゃって話はそれはそれであるとして、
純粋ゆえに説得力を勝ち取れることってあるんじゃないかな。
そしてそれはライスみたいなすごい人じゃなくても可能性は…
そんな希望的観測も込めて、僕はこの本を推します。

総括

まだフェイスブックが盛んでなかった6年ほど前、ブログが流行った。
世界的な潮流からは遅れて、仲間内で流行ったやつだ。
先輩でkusamaoさんやキリさん、同輩でchihiro、脇さん、たろー、竹やん。後輩では浅葱色くんが気合い入れてた。
みんなそれぞれ始めた動機があったはずで、chihiroなんかは「俺もそろそろ発信しなきゃな」と笑いながら言ってたけど、
だいたいみんな100を超す記事を書いたのにある時期すっとやめてしまった。


この現象は2011〜12年ころのことで、僕らが就職した時期およびfacebookが日本で普及しだした時期とほぼ重なる。
その昔侍魂とかのテキストサイトが流行って、高校の頃なんかは家にパソコンが置かれるとともに
無料サーバーを借りて自分サイトとか仲間内のwebサイトを作る子がクラスにも何人かいた。
これらは何を求めてやってたのかと言うと、侍魂みたいな本当に面白い個人サイトは別として
何等か自分が作った物や考えたことを発信してレスポンスを受ける事で
誰かとコミュニケーションを取ることだったと思う。


やがてテキストサイトはブログにとってかわられるけど、
ブログの方が作るの簡単だし記事毎にレスポンスを受けられるメリットが光っていたからだろう。
そしてそのメリットを追求すればフェイスブックはより簡単かつコミュニケーションがとり易いツールってことで
ブログにとってかわられたのだと。


こんなことを西暦2015年のある日気づいて、なんだか懐かしくなった。
自分のブログを覗くとまだ残ってて更新は5年前にストップしたまま。
友人たちのブログもだいたい同じ。


さて、地元を離れて寂しかった頃何冊か社会学の本を読んで自分をなぐさめようとしたんだけど
ある本にあった承認ってワードがこの現象を総括してくれると思う。


友達の皆さん、私のこと好きすか?そこの上司さん、私は役に立ってますか?
私はこの社会に存在していいんでしょうか。いる意味ありますか?


この問いに対するYESが承認だそうな。
友達と会話するでも、本当に腹を割って話すのはむずかしい。
考えてることをまとめて口にするのすら難しい。
ゆえにブログに吐き出して、自分の思いを見てもらいながらみてレスポンスも求める。YESと言ってもらう。
こうして承認を求めるのがこのブログだったんだね。


フェイスブックも勿論同じで、今日も寂しい大人たちの承認合戦が繰り広げられてます。
有益なニュースをシェアする人も、うがった見方をすればやっぱりどこか役立つ自分を認めて欲しいんじゃないでしょうか。
もちろん俺だってみんなに認めて欲しい!面白いって言って欲しい!
しかしま、フェイスブックが有益なのはたしかなのでこれだけで括れないんだけど。


一方でみんな分かってることは、本当の承認を得るためには
仕事とか家事とか人付き合いとかしっかりやるのが一番ってこと。
みんながブログから旅立った背景にはこのへんの自意識確立を促す意味もあったんじゃないだろうか。


さて、続けて私が総括したいのは当ブログについてである。
第1記事に「忘れっぽいので」とかかっこつけてるが、
読み返せばまさに上に書いた通り「私の声を聞けーっ!」的なむなしさあふれる内容である。
しかもいちいち偉そうでムカつくしお前のポートフォリオなんか誰も見たくねーよ。
ソッコー削除してやるぜ!


と言いたいんだけど、まだ残す。
社会人になると学生時代と違う頭の使い方をしなきゃいけないし5年間そうしてきたつもりだ。
でもたまには昔みたいな考え事をしてないと気合がもたなくなるのだ。
このブログは作成者ですら5年間見てなかったのでもう誰も見ていないのは明白なのだが、
これを逆手に取って本当に自分用のメモ書きに使うのも手だ。
ラーメン食ったり本読んだりしたらまた何か書こうっと。

"新しい"ご当地ラーメンその1

ご当地ラーメンの盛んな地域の人なら大体そうかと思うんだけど、
他の地域に行くとその地域のラーメンにけっこうな違和感を覚える物だ。


僕も札幌で6年間過ごして東京に来たわけだが、東京で人気と言われる店に何件か行ったところで
札幌の人気店の味とあまりに違うことで衝撃を受けた物だった。
まだ学生時代だったけど、東京で最初に行ったのは麺屋武蔵の新宿本店。
今食べても鮮烈な味でとっても好きな店の一つなんだけど、最初に食べた時の感想は「なんだこれ、うどん?」でした。


札幌にもいろんなラーメンがあるけど、やっぱどれも…味噌ラーメンも醤油ラーメンも塩も、似たような傾向があるんだと思います。
そしてそれは東京のラーメン一般と根本的な所で違っている。


武蔵をうどんっぽいと思ったのは魚介ダシ(さんまの干物だそうで)をふんだんに使ってるから。
それから麺が卵を使わない白っぽい麺だったから。
札幌ラーメンは基本的にダシよりタレを押すし麺はコシというよりサクッとした歯ごたえ重視の黄色い卵麺です。


こっちに来てしばらく食べ歩きしたのでもうこちらの味に慣れていて、
特に武蔵なんか月1で通うくらい好きなんだけど、
いまだに"これはそうめんか?"って思う店もあったりします。
一方で札幌に戻ってラーメンを口に運ぶとあれ?って思うこともしばしば。
地元への憧憬の念は消えずとも人の舌は薄情な物で少しづつ忘れてるんだろうなあ。。


旅行してそこの物を食べるとへえうまいなあって思うけどそれを味わってる舌はよその舌なんだね。
地元の人がおいしいと思ってるのとは違うおいしいである。


そんな中、面白いと思ってるのは高円寺の中華そばjacと埼玉県比企郡の四つ葉であります。


jac。変わった名前だなあと思った所そこで出してるラーメンは意外や意外、徳島ラーメンである。
甘い味付けのスープにもっと甘い薄切り豚が載ってて、さらに真ん中に生卵を落としてある。
すき焼きラーメンとも呼ばれるこれが四国を代表するご当地ラーメン・徳島ラーメンである。


店主の経歴が面白くて、徳島から上京して独立する前は東京で大人気の味噌ラーメン店・くるりで修業したそう。
くるりと言えばドロドロの濃厚スープが特徴で、タレの味には札幌の村中系の影響も見て取れる。
jacで面白かったのは基本は徳島ラーメンなのにくるりのテイストが這入りこんでることだ。
言っちゃうと、この醤油味は札幌のてつやとも似てる。
誰もそう言わないだろうし思い込みもあるだろうけど俺は似てると思う。(迫真)


地方と地方のハイブリッドはこうした特殊な道筋をたどり特殊な決断を取った一人の店主によってもたらされる。
そしてjacのラーメンはうまい!!


"ご当地グルメ"は思いつきのB級グルメじゃなくてそれを確立し得る積み立てを行って
技術も持った職人が生み出す物なんじゃないかな。
そんな説得力があるぞ。

福島

祖母は昔苫小牧で銀龍っていうラーメン屋をやってた。
母親曰く普通の味で、年寄りの道楽でやってたようなものなんだと。
そこそこで店は畳んだんだけど、祖母は親戚の集まりでは毎度ラーメンを振る舞ってくれた。
レシピを聞いたけど、スーパーで売ってる各種の調味料と各種の化学調味料の混ぜ合わせみたいなもの。
家庭で店みたいに鶏ガラとかつかってつくるのは無理なんだと。
だけどそれがちょーーうまかった。

母方の親戚はみんなラーメン大好き。もちろん俺も大好きである。
ばあちゃんのコメントを無視して、これまで何度かスーパーや肉屋で鶏ガラを買っては何時間か炊いてスープを作った。最近もまた作った。
けどこれがクッソまずい。
北大の近くのある飯店のおやじはうたた寝しながら麺をゆでてたけど、それ…よりはましである。
でもばあちゃんのラーメンを10点としたら俺の味は1点。
(北大の近くのある飯店のラーメンは0点である。)

いつか5点ぐらいのラーメンができたら天国のばあちゃんに…おっとばあちゃんはまだ死んでない。食わせてやりたい。
(北大の近くのある飯店のおやじはそろそろ死んだかな?あのラーメンは2度と食べたくない。というか見たくない。)