★青玉の言霊のジレンマ? ――自己充足信念ですか。

――id:mind:20050915から、青玉つながり
――id:mind:20040708から、カレーつながり?
――http://d.hatena.ne.jp/mind/searchdiary?word=%bc%ab%b8%ca%bd%bc%c2%ad%bf%ae%c7%b0
あたりから、自己充足信念(言霊)つながり ――なんか、けっこう伏線で濫用されてるなー、ゴメン




――赤玉も、経済学も、ウザイので除去。
――これはタイ カレーのパラドックス? id:mind:20040708 に似てる。
◆囚人の青玉のジレンマ(創作初出) ==============================================
 C教授の観察論理学classで共に学んだ、A,Bという2人のintern研修生が、円卓会議室に"缶詰め"にされている。
そこへC教授がやって来て2人の面前で告知するに曰く:
 「君たちに、今日は"先生からのご褒美"を進呈しようw」
 「君たち各自は、「自分が青玉をもらえる」ことを論証し、もし結論できたら、私の研究室に1人づつ来て答えを述べなさい。」
 「「自分が青玉をもらえる」ことを論証できた者には、青玉1コを進呈しよう。」
 「ただし一方が論証に失敗した場合には、AにもBにも青玉はあげませんw」
 「さあ!! 君たちに答えは出せるかな??」
A,B:「(…???…)」

 「ただし君たちは2人とも、(0)利己主義の立場を実践しつつ、
  ①内外の状況をよく観察しDATAを集め、②その結論を論理的に導くこと」
C:「なお①について付言するが、君たち2人は、
    情報機器その他を用いて情報通信その他をしてもしなくても良い。  ――話合い?
    いかなる約束をしてもしなくても良い。              ――拘束力の無い契約? 自然債務?
   ただし、利己主義に合致するような一方的無理由解除(ウラギリともいう)は常に許可される。 」
A,B:「(…???…)」


――アナタは、青玉をもらえるタイプの人ですか??
========================================================================




――こっちは『人食いワニのパラドックス従来版』id:mind:20050922に比べて、
「否定」の概念がないだけカリーのパラドックスに似てるってことか?
http://plato.stanford.edu/entries/curry-paradox/
◆青玉の言霊のジレンマ(創作初出) =====================================================
 C教授の観察論理学classで学んだ、Bというintern研修生が、円卓会議室に"缶詰め"にされている。
そこへC教授がやって来てBの面前で告知するに曰く:
 「今日は"先生からのご褒美"を進呈しようw」
 「君は「自分が青玉をもらえる」ことを論証し、もし結論できたら、私の研究室まで来て答えを述べなさい」
 「もし「自分が青玉をもらえる」ことを論証できた場合には、君に青玉1コを進呈しよう。」
 「さあ!! 君に答えは出せるかな??」
B:「(…???…)」

 「ただし君は、(0)利己主義の立場を実践しつつ、
  ①内外の状況をよく観察しDATAを集め、②その結論を論理的に導くこと」
C:「なお①について付言するが、君は、
    情報機器その他を用いて情報通信その他をしてもしなくても良い。――話合い? 独り言?自分の胸に聞いてみな?
    いかなる(この場合自分との)約束をしてもしなくても良い。   ――拘束力の無い自己契約? 自然債務?
   ただし、利己主義に合致するような一方的無理由解除(自分への?ウラギリともいう)は常に許可される。 」
B:「(…???…)」


――アナタは、青玉をもらえるタイプの人ですか??
========================================================================

 この問題は、解ける。
論理パズルが好きな人は、腹を捩って喜ぶようなものかも。
 様相論理学を学ぶか、カレーの…じゃなかった、カリーのパラドックスあたりと比べれば解けると思う。
 もちろん独力で解くのが楽しいのだが、  ――解けてない人がみんなで解くのがもっと楽しい!
    ヒントが欲しい人は下のほうの念仏を(みんなで?)1000遍一心不乱に唱えるべし
 昼飯のカレーでもかけて、友人がこんがらがるのを観察してても楽しいかも <<ガシッ!
腹を捻りすぎて心を壊さないように注意したい。
――ヒントを求めてきたら、助け上げてヤッテね^ ^
――なんか、観察論理学の講義みたくなってきた?


――やはり、こういうソフィスト的弁論術は、利己的な防衛に使って、
    もし天使が存在すると証明できたら100円やるよ
てなイジワルを言われたときに、遠慮せずに100円を奪い取りましょう。
―― 「「天使」って定義は曖昧だけど、この場合は、私が100円もらえると証明できたら100円くれる人、つまり貴方のことに決まってるわね!」
――しかし、相手が100円出し惜しみした場合には、アナタは偽の命題を信じてしまったことになる; ; ――相手は天使じゃなかったってことかよ


 これを応用すると、最初の問題も解ける。
しかし、やはり囚人のジレンマ問題と言えるためには「赤玉」の存在が必要不可欠なようである。
――人間の考え方の個体差が大問題となってくる模様。――並列化されてるタチコマくん達とは違うのね…
――もしもみんなで赤玉の価値を0と見なせれば、世界は平和になるのになー


(後の問題のヒントは下の方)



































「神代より言い伝て来らく「そらみつ大和の国は…言霊の幸わう国」と語り継ぎ言い継がいけり…」(万葉集5-894)
*1
………(念仏はじめ)………
②「「私がカレーをもらえる」と私が信じれば、私がカレーをもらえる」と私が信じるならば、
  「私がカレーをもらえる」と私が信じる。
………(念仏おわり)………  ――念仏というよりは……、早口言葉だろw! ――いや、魔法の呪文です;-p
――Gotcha!!



† 自己充足信念のジレンマ
 いったい、どんな手がかりがあるというのだろう?
 「もし「自分が青玉をもらえる」ことを論証できた場合には、君に青玉1コを進呈しよう。」
c:       自分Bが教授から青玉をもらえる
Bc:   自分Bがcを論証できる
と記号化すると、
①   Bcならばc
と教授は約束したわけだ。しかし、①に含まれる可能性として、

  • (1) Bがcを論証できて、(遅かれ早かれ)cは現実化する。
  • (2) Bがcを論証できず、cは必ずしも現実化しない。

<このどちらであるかというのを、Bはどうやって確証できるというのか?、つまり、
    Bcの真偽
が問題となる。また、
    Bcを教授に説得する方法、厳密に言えばCに Bc を確証させることができるか
も問題。
――確証、と論証(による説得)とどう違うのか解らなくなってきた@@


一 まず、もし教授が、サービスだか何だかで実際に青玉をくれてしまったなら、cは真。Bは、cという外部事実そのものの観察によって真な結論cを確証したことになる。よって、(1)。
―― たとえば、「我々の目の前にリンゴがある」場合に、「もしそれを論証できたら、このリンゴをあげよう」と言われたら、私はこういう風に単に事実を観察することによって論証するよ。
――反対に、cが偽であることを観察によって確証することは、期限が付いてない限り不可能。


二 これに対し、まだ実際に青玉をくれてない場合
1. 「宇宙の声が「教授は私に青玉をくれる(cだ)」と言っている…」と、Bが「直観的に」もしくは「宇宙の声」の観察によって、確証してしまったとしよう。 ――ニュータイプかよ…、いや催眠術? 
 いちおう、こんな論証形式が認められたとして、Bはcを確証したのだから、Bcは現に正しい。(――電波少女?;|||) すると、教授は「Bcならばc」という約束に基づいて、cを実現させなくてはならなくなるのか?
 しかし、教授にはそんな"宇宙の声"は聴こえないかも知れないのだから、教授は、「Bの論証(確証)は、事実の観察に基づかない」と言い張ることが出来る。――「Bはホントはcを確証してないのに、青玉が欲しいばかりにそんな妖かしをかましている」と教授が信じてもしょうがない。
―― 教授とBとの間に、「宇宙の声」についての共通信念は(今のところ?)何もない、ってこと。実験記録も揃ってないから、追試行追体験も保証されてない。――実験DATAの捏造と同じか ;
――これに対し、一のように、「目の前のリンゴ」については共同で観察することによって遅かれ早かれ共通認識は形成できるよね。あるいは観察記録をつけて、読ましてあげるとかでもいいし。なんでこれが可能かというと、同じ人間という動物のhardwareは共通だから。


2. こんなボンクラ単純な論証によっては"青玉請求権"は発生しないようだ。ではどうする?
 やはり、教授の言葉のチカラの反作用を利用して論証するしかない…。教授は、①「Bが、cを論証できさえすれば、cは現に正しくなる(と約束する)」と言った。この言葉が正しいとすると、Bは何と正確な論証力を宇宙、じゃなかった教授から授かったことか…!。この言葉を信じれば、Bはcについて自信過剰になってしまう!


 そんな偉大なチカラを「もらったことになっている」ときは、"自己充足命題"を踏み台にして、論証しよう!  ――実現可能なブートストラップ方式か…。
 自己充足命題とは、その命題が誰かに確証されると、それだけで客観的に真になってしまう命題のことを言う、誤解されやすい概念である。本問でいえば、この念仏が"自己充足命題"のわりと厳密かつ典型的な例である。  ――宇宙の声と大差ないんじゃないのか…? ――「宇宙の声」は、教授の言葉と念仏の言葉とに分解できるってことさ ――やっぱ宗教、てゆうかタダの群集心理でしょ?


<自己充足命題の性質

  • ①Bcならばc という☆出題文(約束)が実際に守られて真であるか否かに関わらず、

 何かの拍子に上の 念仏 をそのまま信じ込んでしまったとしても、

    • それだけでは、(1)論理矛盾に陥る(不整合)という論理的ペナルティは食らわない。
    • そればかりか、面妖なことに、この念仏を(利己的理由からであったとしても)信じさえすれば、自己観察の下、この念仏は現実に合致して正しくなる。ので、(2)正しくない命題を論証してしまう(不正確)という論理的ペナルティも食らわない。
  • そして、この②念仏と、①出題文とから、結論c「自分が青玉をもらえる」が導かれる。
    • もし出題者が正しく約束を守れば、結論cも現実に正しくなり、解答者は青玉をもらえる。
    • 反対に、もし出題者が正しく約束を守れなければ、結論cも現実には正しくはならない。しかし、それはBの論証がまちがっていたせいではなく出題者のせいである。なぜなら、教授は、宇宙の言葉の存在を否定することは出来るかも知れないが、自己充足信念の正しさも否定できないし、自分の言葉を否定することも出来ないのだから!! それならば、力と正義で約束を実行させましょうw


<cとc1000の比較

  • c          をBが確証したとしても、教授が裏切って約束を破れば、cは真にならない が、
  • c1000: B(Bc⊃c)⊃Bc はⅢ型の人が確証すれば、自分でそれを止めない限り、 c1000は必ず真になる。

…が、しかし……、    ――cを「単に」確証したことをどうやって教授に説得するか、という問題を二、1 で考えたが、
<「Bはホントはc1000を確証してないのに、青玉が欲しいばかりにそんな妖かしをかましている」と教授が疑ったら?
→私はG型です、と信仰告白して、あとは態度で示すしかない? つまり懐疑主義、Bx⊃xの形の命題を簡単には信じないこと?、つまり教授が約束なんか守るはずないって①を信じないこと を、2人で共通認識すればいいってこと? グルグル@@
   <もし教授が約束①を守るならば、私は青玉をもらえます。    ってこれじゃcを確証してないんだからダメじゃん ;



――あれ? 中学校あたりの数学の授業では、命題(文)とは
    それだけで真偽を決定できる言明
じゃなかったっけ。自己充足命題は、それを受容れる特定の人(システム)と、セットで考えないと真偽判定できないぞ? だから自己充足「信念」という言葉を使ってるのかな? どっちにしろ、「システムの不動点」と言った方が解り易い。人の思考システムに、ある不動点を入力すると、またその不動点が出力されてしまうことを、興味があれば最後まで見てみてね。
*2
*3
――信じるか信じないかは各人の「自由意思」に"正当に"委ねられる命題、
任意に信じれば正しくなるし、信じなければ正しくなくなる命題、ということか。
――    「自由意思により真実性を証明できる命題」
と言い表すと、いささかセンセーショナルではある……。
*4
*5





† 反証不能命題のジレンマ
 自己充足信念と明確に区別しないと非道いことになるのが、"反証不能命題"である。

    • ;神(創造者)は存在する
    • ;未確認物体は存在する
    • ;宇宙の声が「〜ですよ」と囁いている

とかの類は、直観を排除した観察と論理とによっては、証明も反証も出来ない。
なぜなら、それらは、(言葉の定義からして)我々の"認知の宇宙"の外に存在する(かも知れない)ものだからである。
――「第六感」という感覚器官を体内に備えてる人々は、それらを直接観察して認知しうるのかも知れないけど、どうも私にはないような……。
だから、これらを信ずるよう人々に説得するには科学ではなく宗教の助けを用いなければならなくなる。
自ら科学だと言い張れば、それは疑似科学に陥ってしまうのだ。科学だと言わなければそれはそれで有用なものかもしれないが。
――ナポレオンも、「神は要らないけど、宗教は人々のために必要だ」って、言ってたらしいよ。

        『パスカルの賭け』 ――平等視の原理の確率統計的パラドックス
を、経済論理学パラドックスに改変してみる
    「神の存在」(以下k)は必ずしも明白でない。ただし、  ――;先祖の霊とかでも当てはまるんですが…

  • もし私がkを信じた場合、
    • kが真なら、(死後?現世?)で無限の幸福を得る。 ――「免罪符も売りさばけるし」 by中世の生臭坊主
    • kが偽でも、何のペナルティも幸福も得ない。
  • もし私がkを信じなかった場合、
    • kが真なら、私は無限のペナルティを食らう
    • kが偽でも、何のペナルティも幸福も得ない。  ――ばかりか、もし皆がkを信じてれば、ガリレオのように異端尋問etcのペナルティを食う

  以上を総合すると、kを信じた方がトクである。
  したがって、私は、(我々の利己主義から、ほら宇宙の声だって聴こえるし…)、kだと信じる(証明する)。  ――ドカン!!

 これでは科学的証明と言うよりは、経済学的宗教だよなー
 ただの反証不能命題は、「証明」(みたいなもの、ペテン?)ができて現実に全員に確信されたからと言って、必ずしも真にはならない。そこが自己充足信念と異なる。
*6

 この反証不能命題の「証明」は、次の、もっともらしい命題と結びつくと、最もたちが悪い。
自信過剰命題:    もし私(か誰か)が何かを証明したら、その何かは真である。
すると、こういうことになる。
    我々は神の存在を証明した。従って神は存在する  ――「証明」はいつでも必ず正しいとは限らないってのに!!
*7
*8





† 科学的に生きるべきか宗教的に生きるべきかのジレンマ
 kを信じて安心して日々暮らしている人々がいるならば、それはそれで良いことだが、
個人的にkを(信じてない)疑っていることを、表明しただけで、現世的な不利益を受けたり、
現世的な利益とか政治的支持統合を集めるための強迫脅迫に利用されるような社会はゴメンだなぁ。
――懐疑主義者で不可知論者で現実主義者で形式主義者ってこと????

    もし君が神を信じるならば、神は存在する
などと言ってくれる人がいれば、気は休まるのかも知れないが、
神様よりは信頼できないような人にそんなことを言われてもねぇ…… >>直観主義者の人々、どうよ
 ――ブートストラップ方式かよ。
 ……どうも、神様を信じない自分勝手な人々が自堕落な平和と安心を見出していくためには、
今際の際まで根本的な存在の不安を抱えつつ、しかも、
自己充足信念という忌まわしい不動点の悪魔とお付き合いし続けて行かなければいけないようではある……
    「自分」が今ここに存在する、
というのも、不動点な自己充足信念かも知れないねぇ …>>アルくん^ ^ お兄さんを信じなよ…

――反対に、庶民レベルのイスラムとか某学会とかの世俗宗教は、科学を「宗教」と言い張っているだけかも知れませんなw


  アナタは 自己充足信念 を信じるだけにしときますか? それとも都合の良い 宇宙の声 が聴こえてくることまで信じますか? あるいは、あたかも赤子のごとく無垢innocentなままで在ることを望みますか?





† 証明不能だけど真な命題のジレンマ  ――宗教活動に利用できるw?
 さらに様相論理学の勉強を進めていくと、
    あるシステムで形式的には証明できないけど、現実的には真である(と非形式的には証明できる)ような命題
という困惑にぶつかることになる。そのお話に興味があるなら、ゲーデルという数理論理学者を検索してみましょう。悪魔に魂を売払った人々の第1号かもね。2号はノイマン博士?
 ――「自己充足信念」の概念を理解しておくと、あとは否定関数を付け加えるだけで、
    不完全性定理    ――id:mind:20050924
とその証明も、ストンと堕ちてくるので、混乱を楽しむ価値はあると思いますよ
――ひけらかしてインテリぶってる人の揚げ足を取って冷やかすことも出来るしw <<ガシッ!


 そういう証明不能命題を直接間接に導く新しい公理を導入すれば、形式的に証明可能になるんだけど、その新しいシステムを何回作り直してもいつだって悪魔は宿ってるってこと。ではあえて永遠にそうし続けて行くべきか、現状で 足ることを知る べきかという……


*9






























                                                                                                                        • -

◆「自己充足信念の正体」への招待(半記号版≒日本語半訳版)
 自力で辿り着いた方が印象的であることは確かなのだが、
    解けることが信じられないので、考える気にもならない人
のために、自分が伝えたいという利己的な理由で、記号的な解法をば伝授いたしましょう。
もちろん、記号にしなくても、判り難くなるだけで、正しいことを伝えられることには変わりない。


(記号の定義) 答える人をBとした場合、
c     (自分)Bはカレーがもらえる
BX    BがXと結論する ――認識する、信じる、確信する、確証する、証明可能であるetc
――この記号を導入したおかげで、論理システムは、私たちのように容易に自己言及できるようになった。――認知心理学みたい?
*10
① Bc⊃c  ;「「Bがカレーをもらえる」とBが信じる、ならば、Bがカレーをもらえる」
     ――こういう教授の言葉は、Bのcに対する自信過剰命題であることに注目
② c1000:  B(Bc⊃c) ⊃Bc たとえば、
  「「Bがカレーをもらえる」とBが信じれば、Bがカレーをもらえる」とBが信じるならば、
   「Bがカレーをもらえる」とBが信じる。
――Bのcに対する謙虚命題 と呼ぶことにする。――この形の命題は、以下綿々と述べるように、まったく面妖な性質を持っている。
*11
*12


† 「c1000が自己充足信念であるということ」の証明
c1000:   B(Bc⊃c)⊃Bc         ――形式的記号列だなぁ ――敷衍すればG型の公理式だね
 "をBが信じている" という仮定の下に、
c1000 "が客観的に真である" こと、すなわち、
    BがBc⊃cを信じれば、Bはcも信じる ――日本語だけど、c1000の記号列と同じ意味だなぁ ―― 一般化すれば レーブ的 ということだね
ことを、Bの精神状態を観察することにより証明する。
――推論program Bに、 c1000 と Bc⊃c を入力して経過と出力結果を観てみる

 (Bの心の言葉) ├
①  Bc⊃c   ――教授が言ってたわよね〜
いま私は教授の言葉から、Bc⊃cを信じてる。つまり、
…>B(Bc⊃c)  ってわけね。


②B(Bc⊃c)⊃Bc ――1000遍も唱えたら、もうどうにも忘れられなくなっちゃった〜w よって、
     →Bc


そうそう、①Bc⊃c  だったっけ。よって、
       →c
┤  

②c1000がBによって信じられている場合、以上のとおりに、Bは、Bc⊃cという前提から、cという結論を導くことになる。 よって、
    c1000がBによって信じられている場合、BがBc⊃cを信じれば、Bはcも信じる。    つまり、
    c1000がBによって信じられている場合、c1000は現に正しい。
ということを我々は理解する。以上により、②c1000が自己充足信念であることが証明された。
 (証明おわり)
――cを一般命題に敷衍すれば、  G型ならばレーブ的(謙虚)  ということだね


    …………
 じつは興味深いことに、B自身も「c1000が自己充足信念であること」を知っている。
――Bだって、我々と同程度の推論能力を持っていたってオカシクはない。 ――自意識のレベルが未熟なタイプの人はそうでもないけど。
――「機械」に「自意識」なんて観念できるのかいな?!
 ――ワタシガアルトイッテルノデスカラ、アルニキマッテルノデスワ!
 ――ワレカンガエル ユエニ ワレアリ デスノ
――錬金術でヨロイ、じゃない球体関節人形automatonに、ghostを定着できたというのか??
 それを証明するためには、我々の上記の証明を凡て形式化してB自身の心の言葉で証明できるか ヤラセ てみればよい。
―― B自身が「emulator program Bを実行する」、とも言う。
――実質的には、Bが自分の脳味噌の外に出て、外の我々の立場に立って、自分を試行できるってこと。自己客観視? グルグル? ――「認知能力の拡大」? ってやっぱニュータイプかよ。いや、外側への拡大じゃなくて、認知能力の(とりあえず?)内側への拡大か。
 --------------------------------------------------------
† 「「c1000が自己充足信念であるということ」をBが知っていること」の証明として、Bが自己の精神状態を観察しているところを観察。
――デバッガでのtrace modeか。
――我々の証明に出てきた記号列凡てに「B〜」が被せられて複雑になっていることに注意

 (Bの心の言葉) ├
   ②c1000:   B(Bc⊃c)⊃Bc     ――特定的な謙虚命題…か。
は「自己充足信念」ですってぇ? これはどういうことかしら。
    私がc1000を信じるならば、実際にc1000は正しい
ということね。ホントにそんなことがあり得るのかしら? チカラ試しに証明してみましょw  ――「チカラ任せ」、だろーw
もしc1000が自己充足的であることを証明しようとするなら、
「私がc1000を信じている」という前提の下で、c1000が真であると論証すればいいのか。つまり、
 B( c1000 )を前提にした上で、
B(Bc⊃c)というc1000の前半部分を前提として、Bcというc1000の後半部分が真であると論証できればいいのね。

 それでは、私が②c1000を信じていると仮定しましょう。つまり、
 * B( B(Bc⊃c)⊃Bc )    ってこと。
ところで私は三段推論が使える、つまり    ―― Ⅱ型の公理
      B(  X ⊃ Y)
    ⊃ (BX ⊃BY)
 って形の式がどれでも真ってこと。よって、
→ BB(Bc⊃c) ⊃BBc


 * B(Bc⊃c)  ――あら、なぜでしょう?! これは私が①を信じると仮定するのと同じことになるってカラクリね。自信過剰命題であっても教授に言われれば私はそれをそのまま信じてしまうってことかな
ところで私は、何かを信じればそれに気付く、つまり BX⊃BBX って形の式はどれでも真だから、―― Ⅳ型の公理
→BB(Bc⊃c)    も言えてるわけね。よって、
       →BBc


また、私は三段推論が使えるから、B(Bc⊃c)により、  ―― Ⅱ型の公理から、
→       BBc ⊃Bc     したがって、
          →Bc        ――私はcを信じてしまうのね!


以上により、B(  B(Bc⊃c) ⊃Bc )
      ⊃ (B(Bc⊃c) ⊃Bc) が証明できた!
自分で証明できちゃったからには、受容れるしかないかー。
      B(  c1000     )
      ⊃  c1000          は真。すなわち、
    c1000:  B(Bc⊃c) ⊃Bc    は自己充足信念。
 もっとも、私が、実際にc1000を信じることによりc1000を現実的に正しくさせるかどうかは、
私の 自由意思 によって選択すればイイだけの話だけど〜♪


    
 ----(発展学習?)-------------------------------------------------- ―― しかし、もし仮にBが特定の c1000: B( Bc    ⊃c    ) ⊃Bc ではなく一般的に、     B( BX    ⊃X    ) ⊃BX の形の凡ての命題を信じる(G型である)場合には、       B(c1000) ⊃c1000 を信じたことにより (2)自己充足信念であると信じたことにより)間接的に、                 → c1000  ――◎G型ならばレーブ的(謙虚)になることは証明したので。 も必ず信じてしまう。G型の人は 選択の自由 を持たない!  またそもそも、それ以前に、c1000の形は c1000: B( Bc    ⊃c    ) ⊃Bc であるので、(1)G型だから直接的に信じる。    ――内側からも外側からも信じるグルグル 結局、c1000の形の命題(;カレー, 青玉, ...,その他複雑なものも含め凡て)、はG型によって当然に信じられ、しかも自己充足信念なので真。 ―― 「X がBにとって自己充足信念である」という意味の記号列                 B X    ⊃X がシステムで証明されるとき、その X を表わす記号列を、システムBの不動点という。*13 たとえば、Bさんに    c1000 を入力した結果 …>B(c1000) →c1000 というように、グルグルとc1000に戻って同じ出力が出て来てしまう。すなわち、c1000はG型システムの不動点。 こういうふうに出力を入力にdirect feedbackしてやると、不動点に安定して定常航行できる。 ――物理システムに見つけられる不動点と同じ性質の現象 ;カオス生成式とか  ――2周期とか多周期もあるんだろうね ――2値論理学だから、1変数なら3周期以上はないだろう! ――この世界においても考えられるいろいろな世界においても、不動点は、珍しいものではなく非常にありふれた現象である。 ――「不動点の悪魔に魅入られた」人、というのは、G型の人のことを言うのであった…。 ――考えの経過(とかprogram)を言葉などの記号に表せて、グルグルとその記号を  そのままDATAとして再処理できるLisp  数値DATAに戻して再計算できる数学システム Shift-JISコードで十分だし。  ,etc...... は、G型になってしまう……。 ――たぶん人も同じでしょう。  ――過去の日記を読み返して恥ずかしがったりとかね ;  ――ただし、自分が考えてる何かに気付かない人とか、     BX⊃X の形の凡ての命題を信じている自信過剰な人(T型)は除く。 ――確信されたにすぎないことを事実と混同…。  ――整合なG型の人はT型たり得ない。 G)    B(BX⊃X)⊃BX   の形の凡ての命題 を信じる T)     BX⊃X      の形の凡ての命題 を信じる          →BX        →X      の形の凡ての命題 を信じる というわけで、考え得る凡ての命題を信じて不整合(アタマがパンク)してしまうので!! ))  -------------------------------------------------------
  ……… (蛇足) ………  まあ、信じてるとソンと判るまでは、私の 自由意思 の留保 付きでc1000を信じておくことにしましょうか。 そうすると、c1000すなわち B(Bc⊃c)⊃Bc は現実に正しくなってしまうのよね。 それって、どういうこと?      もし私がBc⊃cを信じるならば、私はcも信じてしまう ってことよ。 さあ、ホントかどうか確かめてみましょう<<仕上げをご覧じろ!>>。 たしか教授は、 ①  Bc⊃c   ――って言ってたわよね〜 いま私は教授の言葉から、Bc⊃cを信じてる。つまり、 …>B(Bc⊃c)  ってわけね。 ② B(Bc⊃c)⊃Bc ――って、さっきこのc1000を信ずることを 自由選択 したのよね。よって       →Bc そうそう、  Bc⊃c  だったっけ。よって、         →c  なんだ、私はcが真だと見事に論証できた…。 だからつまり、     教授は 青玉 をくれるんじゃない! ヤッターッ^ ^ c1000を信じといてトクしたー♪  ……アレッ、 カレー だったっけ? …ドッチ ダッタッケー……@@?? ┤    

 やはりBはc1000が自己充足信念だと知っていたのか。(おまけに教授の言葉と合わせて、cまで論証してくれたか。)
(証明おわり)
――cを一般命題に敷衍すれば、  「自分がG型になればレーブ的になること」をⅣ型の人は知っている  ということだね


  ――これ以上は記号的に形式的厳密にやらなくても十分だろう。納得いったかな? まだ不思議かな?
  ――アタマがグルグルしてきた…… デジャヴの連続だぁ… ;
    ――形式記号の浄土と杞憂杞憂とした現世とをグルグル二種廻向(輪廻)してるんだろッ!



(まとめ) ――あまりに@@グルグルなので。
 任意の命題 c があったとする。  それに対応して、

  • ①一方では、cの自信過剰命題がある:   Bc⊃c   ――これは自己充足信念ではない。
  • ②また他方、cの謙虚命題 c1000 がある: B(Bc⊃c)⊃Bc ――この命題は、Bにとって自己充足信念である。

 この2つをBが同時に信じればBcを信じる。その結果、cも信じる。

    • ③さらに、c1000の自信過剰命題 B(c1000)⊃c1000は、 c1000が自己充足信念であるということを表わす、真の命題である。Ⅳ型のBは、B(c1000)⊃c1000 を信じる(真であると知っている)。
(Ⅳ型のBの心の中)├    ――Bにおいて「証明可能」の世界
「c1000は自己充足信念である」
 c1000の自信過剰命題←
(Ⅳ型ならこれを書ける)
③B(c1000)⊃c1000  ←tt    ≡   -L> ② c1000: B(Bc⊃c)⊃Bc
(現に真)              (Bにとって自己充足信念:  ここに記号式を書ける、つまりBが②を確証できていれば真)
                   cの謙虚命題
                     ↑

「cは自己充足信念である」
 cの自信過剰命題 ←
①Bc ⊃ c     ←tt    ≡   -L>  c ?? ;「私は青玉をもらえる」,「木の葉が沈んで石泳ぐ」,etc, etc,......
(現に真とは限らない)           (現に真とは限らない)
――教授は約束を破るかも知れないからw
〔 ――「←tt」は x⊃(Bx⊃x) が恒真式だから。 「 -L> 」 は、レーブ的推論規則の記号。


 ↓


(①と②が書ければ書ける)      (①と②が書ければ書ける)
 Bc                   → c
(現に真とは限らない)        (現に真とは限らない)


┤


 -----(ここから下が我々の言うところの「客観的現実」の世界)----------------------
(我々から観て)
〔B├Bc も 真〕              B├c が 真。
               加えて ①「B├c ならば c 」が真ならば、――教授が約束を守れば
                           c も真。  ――まあ…、「我々の証明できたことは常に真である」が真だという前提においてにすぎませんけど……。――自信なさ〜 ;

―― こうして整理してみれば、決して理解不能な関係式ではない。
ただ、あらためて驚かされるのは、誰かが確証しているに過ぎないことBxと、この世界の現実xとが、似ているようでいて、いかにかけ離れているかである。
 いま我々は共同して、Bの思考過程を冷静に観察できているが、明日には「我々」がAとBという役者に分かれて演じて、互いの心を読み合わなくてはならなくなるのだ。そういうとき、私の確証が現実に真なのか、アナタの確証が現実に真なのか? Bx⊃xと自信を持って判断できるのだろうか…? はたしてどちらが現実という底に足を着けて立っていられるというのだろう?? ましてや、それを騙しではないとどうやって相手に説得すればいいのか?
 たとえば、囚人のジレンマで、客観的にkが最善手だったとしても、
それを各playerが確証Bkして共通認識を広めることができるのか??





    この現実世界に生きていてもまったく興味深い「自己充足信念」と、その利己的な利用法について、
   いくらかでも理解してもらえたかな?
    アナタも対称様相観察論理学を学ぶことによって、
   自分やいろいろなタイプの人々の心の深淵を覗き込んで、  ――え、趣味ワル?
   さまざまな自己充足信念の存在可能性を証明してみませんか?
  ――不動点の悪魔に魂を売渡すかどうかはともかくw
  ――そうそう、くれぐれも魔女狩りには気を付けてネ!!




(参考文献)
    FOREVER UNDECIDED(決定不能の論理パズル 〜ゲーデルの定理と様相論理〜)
    レイモンド スマリヤン
    長尾 確,田中朋之 訳
    白揚社刊 1990


    THE LOGIC OF PROVABILITY
    George Boolos
    Cambridge University Press 1993





 

*1: 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ ――http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/MANYOU/manyou_kensaku.html

*2:―― 目で見て観察できない「観念的な存在」のはずの所有権とか債権(通貨も)が、「実(体として存)在する」と言い張れるのは、その不特定の1つの共同体内の自己充足信念だからかね。その証拠に、城壁都市を襲って略奪を繰返すアジア遊牧民とか,土地を追われたアメリカ インディアンとかの少数派周辺異民族には理解できてなかった。 

*3: ――多文化主義って破綻しないのかなー、やっぱ最低限の"共通の基盤common groundの統合unfication"が地球globalレベルで必要では。人権とか。戦争違法とか。共同体内の人を殺せば殺人で、共同体外の人を殺せば英雄なわけね、数の問題じゃなく。

*4:――(国家の自己決定権に基づく)「戦争はなくならない」と皆が思ってれば、実際に戦争は無くならない。悲惨〜 ――自分勝手に戦争始めるヤツらに対してできる限りの抵抗を示していけば、話合いによってしか問題が解決できなくなる。そうなれば世界共同体の成立なんて、直ぐそこに観えてるのに。まあ、「我々はお荷物が増えなくてトク」だから、このままでいいんでしょうか。それとも「このままでは実はソンだった」、てことが歴史により証明されることになるのかな? 帝国と抵抗者との暴力の均衡ゲームか。結論は判らん。

*5:―― まあ、暴力というのは、「自分(ら)は命に代えられるくらいに「これ」を大切に思ってるんだ」と言うメッセージを、「ペテンやハッタリでない」と、相手に認知させるための、言葉にできない究極の言葉、ではあるんだよね……; ;「殴り合い(戦争)は話し合い(政治)の延長であるってか?」  ――だから言葉の下手な子供とかは、直ぐに「赤玉」という名の暴力に訴えるしかなくなる。ジャイアンみたいに強くなるほうが弁論術を学ぶより簡単手早くて、トクだから。でも、そうなるくらいなら、「私ウソツキマセン」とかほざいてるギリシャのペテン師が巷に溢れてくるくらいの方が、まだマシだ。

*6:――全員が全員ともオオマチガイをやらかしてる、って可能性もあるのね。もちろん本当に真である可能性もある。けど、そんなものに、現実に大事だと判りきってる「個人の命」、とかを生贄とか人柱に捧げてしまって良いのかな?

*7:――もし我々が自信過剰命題を受容れるなら、再審制度は要らないわけだ。自信満々で死刑とか制裁戦争を実行すれば良いだけ。――ある1つのものごとを確信するために証明手続を利用するのは致し方ないこと。しかし証明手続を一般的に絶対視することは不当。

*8:――「証明手続」と、「話合い」「民主主義」を同視すると興味深い。――ある1つの政策を決定するために「話合い」「民主主義」を利用するのは致し方ないこと。しかし「話合い」「民主主義」を一般的に絶対視することは不当。――民主主義は謙虚さや懐疑主義と深く結びついているようだ。国民は「国民の意思」に懐疑的であるのが話合い的民主主義。ただの多数決的民主主義とは違う。

*9:――「自分」なんてものは、「掴めた」と確信できたその瞬間から、さらさらとこの指の隙間から流れ出して、気付いたときにはもう無くなっちまってる……。大人ってのは、そのことに気付かない振りをする代わりに安寧を手に入れた動物か…。「自分探しの旅」に終わりなんてないのは、だからなんだね、>>竹本くん。自分に日の丸とか貼ってgoal inしたことにしてる人も多いけど。その点、在日の人とかの方が、成虫になるまでの期間が長い分だけ、複雑で美しい蝶になれるんだろうねー。『散る桜、咲けぬ桜も、散る桜』。見事咲かなくても、良いんじゃないー?

*10:様相論理学のもっとも根本的な記号Bは、様相システムの選択(各種の公理と推論規則の選択)によって、かなり意味が変遷してしまうことに注意 ――ここに示したのは、様相システムGの系譜におけるもの。

*11:―― B(Bc⊃c) ⊃Bcは、対偶に読むと、「cを(現実に)信じない限り、(自発的には)Bc⊃cという自信過剰命題を信じることはない」と言う意味なので。 ――そして、その信じたcが真である限り、Bc⊃cも論理必然に真なので、忌み嫌う自信過剰命題Bc⊃cを信じても、"一般的に"安全が保証されている。 ――対偶でない読み方だと、「Bc⊃cを(外から与えられたりして)信じると、(cが現実に真でないかも知れなくても)cを信じてしまう(自爆的安全保障な)結果になる」と言っているわけ。――そうすると、謙虚命題というよりは、アンチ自信過剰命題と言った方が感じイイかも

*12:――この謙虚命題c1000が自己充足的であるとの一定の条件で正しい現実は、記号化すると ③ B(c1000) ⊃c1000 であるということなので、cについて謙虚な命題c1000の、意味をB自身で解釈すると、c1000について自信過剰であるということ。グルグル@@。

*13:「論理的不動点」の条件はもっと厳しいけど。時間の矢が一方にしか進まない物理世界では、これで十分