The Girlfriend Experience/Bubble

ティーヴン・ソダ―バーグ監督『ガールフレンド・エクスペリエンス/バブル』

 2本立てになっているだけで作品同士は全く別。だけどあえて仕様どおりに2つで1つとして記録しておく。て書いてから気づいたけど、『バブル』はちょっと異質だった気がする。私はソダ―バーグ監督の作品は少ししか見ていないけど、ドキュメンタリー風の描写が特徴で、『ガールフレンド〜』の方はだからその主流であると思う。でも『バブル』は・・・主人公のキャラクターのせいか、人形の製造過程のグロテスクさのせいか、いや映像のつくりもやはり、際立って抒情的であったように思う。

 登場人物も舞台も対照的と言っていいほど全く違う作品2つ。だけどどちらも「人はなぜ、とりかえしのつかないことをしてしまうんだろう?」てことなのではないか。しかもやはりスティーヴン・ソダ―バーグなので、え?ここで終わるの?というとこで終わられてしまう。戒めるでもなく、救うでもない。でも私たちの人生だってそうなのだ。死んでみなけりゃ結論なんて出ない。ああ、だから彼の映画はドキュメンタリーに見えるのか。

 スッキリハッキリした結末が好みの方にはおすすめできないが、観て嫌な気分になるものではないと思うし、映画としては言うまでもなく良く出来ています。

 もういい加減キレようかなーどうしようかな、と思った。こういうとき頭で考えると悪い方向にしか行かないのは経験的にまあ、間違いない。数年ぶりに煙草を一箱買って、吸ってみた。懐かしい味だ。学生の頃を思い出して、悔しいけれど少し、心が安らいだ。毒をもって毒を制す。って使い方間違ってる?でもそんな感じ。

 だけど毒はやはり毒で、一本吸いきるころには体がみるみる冷えてきた。血が汚れていくのを感じる。薄黒くなった粘度のある血液が、心臓に、脳に流れてゆく様を想像すると吐き気がして、私は慌てて歯磨きをして、オレンジを食べた。

 相変わらず悲しいままだが、泣けてはこなかった。私は何をそんなに恐れてるんだろう。

「憧れ続けていた筈の 孤独と自由が 首を絞める」
 そう歌う彼女の姿を思い出して、髪を切ろうと思った。

Moon

ダンカン・ジョーンズ監督『月に囚われた男


 文句のつけようがない映画。そういうのは新しい作品の中では稀だ。
 デヴィッド・ボウイの息子のデビュー作だからとりあえず観とくか、なんてつもりで観始めたのにあっという間に引き込まれ、日々のルーティーンワークによって甘やかされた怠惰な私の脳は、久方ぶりにフル稼働して嬉しい悲鳴を上げた。集中しすぎて観終わったあとは少しお腹がすくほどだった。

 予告編を見て本編を観たつもりになってはいけない。どうせこの人工知能イカレて殺されかけたりするんだろう?という発想は20世紀に置いてくるべきだ。この映画は古いSF作品たちへのオマージュでありながら、全く新しく、中身は予想以上に複雑だから。それでいてテーマは最も普遍的で本質的なことなのだけど。そこのバランス感覚がいい。
 20世紀といえば、こういう映画に出てくるのって今までは日本の会社や製品だったわけだけど、本作では韓国で、そこで妙に時代の変遷を感じたりした。

 登場人物はほとんどサム・ロックウェル一人で、それが演劇の一人芝居のような独特の緊張感を感じさせる。舞台が月というのも、ますますロクスソルスな雰囲気を濃くして、観る者は主人公の孤独の追体験を強いられる。それが苦しいけど面白いのだ。
 
 サム・ロックウェルはもちろん、ケビン・スペイシーもとびきり巧い。閉ざされた空間での静謐な反復が物語を運ぶ。すごい下品で陳腐なコピーをつけるなら「キューブリックmeetsサミュエル・ベケット」って感じか、なんて下手な批評は寄せつけないほど、いい映画。

Billy Elliot

リトル・ダンサー BILLY ELLIOT [DVD]

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スティーヴン・ダルドリー監督『リトル・ダンサー


 5月にロンドンに行ったとき、地下鉄の駅にはたくさんのミュージカルのポスターがあって、その中にこの“Billy Elliot”のポスターも見つけた。私はこの映画をまだ観ていないことを思い出し、まあハズレではないらしいしな。ぐらいの気持ちで、たとえばパンク愛聴者が渋々ストラングラーズのLPを買うのよりは、少し、高いモチベーションで、観た。


 結果、珍しく泣き、清々しく感動した。


 映画においてミニマリスムという言葉を使うのは、たとえば全編白黒であったり、一人芝居や密室劇であったりという場合だと思う。この映画はそのどれにも当てはまらないが、イギリス映画特有のミニマリスムともいうべき、独特の雰囲気がある。ストを起こす労働者階級、母の死を乗り越えられない息子とその父親、文無しで迎えるクリスマス、炭鉱しかない田舎町には未来などない、80年代の英国。こういった映画の舞台は繰り返し語られるイギリス映画の定番であり、何も目新しくない。私がミニマリスムと呼ぶのはそのためである。つまりこの映画には、必要最低限の設定しかないのだ。最後のアダム・クーパーはちょっとズルイけどね。


 男がバレエをやるというのも、現実的には今だって珍しいことだけど、映画の主題としてはさほどでもないはず。それでもやはりこの作品が高く評価され、ミュージカルとしてロングランされているのは、演出の巧さと芝居の良さという、これまたド定番でミニマルな要素に起因しているとしか思えない。

 最近知人が、監督の仕事って何なの?脚本が良ければ監督なんか誰だっていいんじゃないの?というようなことを言っていたのだけど、やっぱりそれは全然違うわけで、こういう作品は下手な監督だとダサくて誰も見向きしないような映画になってしまうんじゃなかろうか。この少し演劇チックな、大袈裟な演出が実はちょうどいいっていうセンスは、スティーヴン・ダルドリーの手腕だと私は思う。主演のジェイミー・ベルが、すごく味のある表情で惹きつけられた。今はちょっとイーサン・ホークみたいな感じがするかな。自信なさげに見えて、色気のある笑顔をするところとか。他の作品ではあまり見かけなくて、私が観たのはグリーン・デイのPVだけだけど。あと父親役のゲアリー・ルイスも良かった。無骨で不器用だけど、観客に嫌われないお父さんを見事に見せてくれました。


 イギリス映画は暗かったり内容なかったりっていうのがよくあるけど、同じような舞台でもこういう泣けて笑える映画ってつくれるんだなあと思った。予算も少なそうだし。日々勉強していかないと、って爽やかに背筋が伸びる一本です。

2010/05/28

 欧州旅行と友人の結婚式という、私の単調な人生においてはかなり大きなイベントがふたつ、終わって、気が抜けたのか疲れが出たのか、頭の隅っこにかすかに興奮が残っているせいなのか、変な時間に泥のように眠っては、夜しかるべき時に眠れないという日々が続いている。今更時差ボケでもあるまい。

 眠れないので、『ロスト・ハイウェイ』をもう一度観た。若かりしマリリン・マンソンが出ていることに気づいた。ポルノ俳優の役。似て非なる人と思ってたら本人だった。あのメイクでも、若いから、やはり今と少し顔が違う。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのカバーは誰だろう。マニアックな選曲だ。

 『リミッツ・オブ・コントロール』のDVDがどこを検索しても出てこない。4月にレンタルが始まって早いなあと思っていたのは私の夢だったのだろうか。あ、予約開始だったのかな、それとも。キングズロードのHMVではDVDチャートの1位になってた。ニヤリ。このとき、HOLEが未だにアルバムを出していると知って驚いたんだった。コートニーは女優をやってるときのが好きだ。カート・コバーンのセクシーさに気づいたのは去年だ。最も色気を感じる人種は「左利き」だ。ん、前言撤回。「両利き」なら尚いい。つまりはピアニストってことかもしれない。私はコントラバスをやりたい。

 火曜の夜は一歩も動けなくて、水曜は目の前がぐるぐるした。昨日の記憶はあまりない。もうつまらないものは捨てたいと思った。けれどそれがなんだったか憶えていないのだ。

2010/06/01[film]Backtrack

日曜の朝、
デニス・ホッパーの死を知った。

 Pはランド・オブ・ザ・デッドだと言い、私はトゥルー・ロマンスブルー・ベルベットだと言い、意見が分かれたのでデニス・ホッパー祭の開催は無期延期、その日の午後はイングロリアス・バスターズを観た(私は二度目だった。)

 家に帰ると、ツタヤディスカスからDVDが届いていて、その中の1枚はデニス・ホッパーの監督・主演作品だった。『バックトラック』だ。
 私はこの映画をどこで知ったのかも、いつ予約リストに入れたのかも覚えていなかった。でも必要なものは必要なときに現れる。そのことは知っていたので、別に不思議じゃなかった。

 その映画は、「男の」ロマンティシズムが満載で、仮にも「大人の」女性である私からすると、いささか呆れて笑いたくもなったが、人の内面というか思想を描こうとする作意が、ここまで顕わになっている映画は近年少ないので(作意といえばCGを見せたいものばかりだからだ。)、面白かった。

 ジョディ・フォスターがとんでもなく可愛く、
 ヴィンセント・プライスは生身の人間と思えなかった。
 ボブ・ディランが出ていて驚いた。
 ていうかデニス・ホッパーが死んでボブ・ディランが生きてるっていうこの現状に驚くけど。ロック=早死にじゃないの?

 デニス・ホッパーは、めちゃくちゃ才能があったわけでも、めちゃくちゃ美男だったわけでもなかったと思う。もちろん、悪人や狂人を演じることにかけて卓越していたということは言うまでもない事実であるが。しかし、彼の最大の魅力は、「男の子としてカワイイ」ってことだったのではないだろうか?私はそう思ってるので、これからどんな素敵なおじいちゃんになってゆくものか楽しみにしていただけに、彼の死は残念でならない。