『CROSS ROAD~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~』@シアタークリエ

初演を観ているのですが、はっきり言っていい印象はないんですよね。
その理由は複数あるんだけど、その最たるものは制作サイドの姿勢でして、ちょっと調べれば初演でなにがあったかは分かるのでここではあえて書かないけど、その騒動において演出を筆頭に「観客」に対する意識が皆無だったことなんですよ。
だから同じ体制での再演であるならばたとえ好きな役者が出演しようが「観ない」という選択があったけど、演出家が変わるということで、それならばストーリーはありがちだし曲も冗長だけど好きな役者は観たいので、とまあそんな感じでチケットを取りました。


え?ちょっと待って?ぜんぜん別ものやん・・・・・・・・・(呆然)
ストーリーは変わらないものの演出が変わるだけでこんなに作品の印象が変わるものなの!???
初演時に感じた違和感というかしっくりこない感じ、それが今回は一切なかった。

初演の感想として最も多かったのは「中川晃教の歌」に対する不満だと思うんですよ。『音楽の悪魔・アムドゥスキアス』という中川晃教にドンズバな役だというのに、そのアムドゥスキアスの歌が少ない、アッキーが歌い上げるビックナンバーがないって不満は誰もが抱いたと思うの。
再演ではそこを改変し、アムドゥスキアスの曲を増やした。
これによりアムドゥスキアスの存在感がぐっと増した。

この作品は自分が天才ではないことを理解している青年が「十字路の悪魔」と出会い、ヴァイオリンの天才となる代わりに100万曲を悪魔に捧げるという契約を交わし、100万曲を弾き終え命が尽きるまでの生涯を描くものなので、物語を構成するのは「パガニーニと登場人物たちとの関係」です。
初演のアムドゥスキアスはその「登場人物たちとの関係」の一つでしかなかったところが、再演では「アムドゥスキアスと登場人物との関係」ができた。
具体的に言うと「アムドゥスキアスとエリザ・ボナパルトの関係」と「アムドゥスキアスとテレーザ・パガニーニ」との関係。

ストーリー上はどちらも初演と変わっていない(と思う)けど、エリザに対してはより明確な「煽ってる感」、テレーザに対してはより強い「挑発と怒り」を感じたのはアムドゥスキアスの存在が「濃くなったから」だと思う。
初演ではアムドゥスキアスの興味の対象はパガニーニに対して「のみ」だったけど、再演ではエリザに対してもテレーザに対しても興味ではないにせよ意思を感じたんですよね。
もちろんその意思は「パガニーニを最高の作品とする」ためのものだけど、そのためにエリザとテレーザという二人の女が必要であると認めてる、的な。

対してジプシーの娘・アーシャに対してはなにもない。なにもしない。パガニーニとの契約の終わりがいよいよ近づくとなり、自分が「見える」ジプシーの娘に契約を持ちかけはするし、結果としてそれがパガニーニが最後の最後でギャンブルを仕掛けることに繋がるんだけど、アムドゥスキアスにとってアーシャという少女は「最高の作品」にとって無意味であり無価値な存在でしかないのだろう。

だからパガニーニはアーシャがそばにいることを許したんじゃないかな。
変な言い方だけどアムドゥスキアスの息の掛かっていない人間だから(それを無意識に感じていたから)こそ、アーシャと過ごす時間を(無意識に)必要としていたんじゃないかな。
そしてそれはアルマンドも同じで、だからアーシャとアルマンドパガニーニの思い出語りをするという構成なのだろうというのがわたしの解釈。

初演でこのアーシャという娘の存在意義がまったくわからなかったんだけど、アムドゥスキアスが存在感を増すことで闇に対する光であり死に対する生としてのアーシャの存在(理由)が見えてくるという、この対称関係は初演にはなかった(わたしはそれを見てとれなかった)もので、これが初演と再演を別ものじゃないか!と感じた一番大きな理由。
今回のアーシャはちゃんと「音楽」が「自由」と結びついていた。だからパガニーニの周りをウロチョロしててもイライラしない。初演を観た人はきっと全員頷いてくれると思うけど、これはものすごく大きな「違い」でした。


相葉っちのパガニーニはなんか強くなってたw(あと足も長くなってるw見るたび足長くなってるんだけどどういうことw)。
初演は才能に溺れつつも常に死への恐怖があったというか、自分の「選択」は正しかったのだろうかと苦悩していたけど(わたしの脳内記憶ではそんな感じ)、再演の相葉パガニーニは才能を手にすることができるならばッ死をも恐れぬッ!俺の曲を聞けッ!そしてひれ伏せッ!!的なw、行きつく先が「死」であろうとも自ら望んでその道を突き進む強さがあった。
最後の1曲で仕掛けたパガニーニのギャンブルはまさにバトルのごとき演出になってるんだけど、相葉パガニーニがキレッキレすぎるから「最終決戦感」ありまくりでついつい笑ってしまったほどw(その反動でそのあとのアルマンドとのやりとりでべしょべしょ泣いてしまうのよー)。

だからこそその強さの奥にある恐怖から目をそらすために傍若無人になるしかなかった・・・のかなと、初演では全く思うことはなかった観方が出来て、これもアッキー曰く「熟成」の産物だろう。

なにより大好きな相葉っちがアッキーとともにW主演を務める作品を好きだと思えるようになったことがとてもうれしい。
どうかこのままなにごともなく大千穐楽を迎えられますように。