『滅相もない』

イントロダクションは紙芝居のような演出で、次の瞬間実写として「穴」を見せ、そして映像と演劇がシームレスに切り替わる本編と、この意欲的な画面作りに心底わくわくする。
時間の経過を持ち物(鞄の変化)で「見せる」演出とか、随所で個性というかセンスでぶん殴られるこの快感たるや。

そしてこの世界観この演出をものともせず「怒ることができない男、川端」として存在する中川大志よ。

穴に入る日が決まっている人と曖昧な人がいるし、予約制とかではなく入る日は自分で決めてよさそうだけど、だとしたら川端が穴に入る日を「6日」と決めたことになにか理由はあるのだろうか。
穴に入るために見知らぬ人たちを相手に「この人生」を語った川端が、見知らぬ人たちの人生を聞いたあと真っ先にひとり穴に向かって躊躇いなく歩いていくその姿、その表情。
穴のなかには救済があるという小澤の説法に感化されたから穴に入ろうと思ったのでしょうが、でもその姿であり表情から、川端がなにを求めて、なにを考えて穴に向かっているのか、わたしにはわからない。
両親は先に穴に入ってると川端に言わせた意味を考えながら1週間を過ごすことになるだろう。

それが毎週続くのかな。その先になにがあるのだろうか。今まさに穴のそばで穴を見てる心境です。