息切れしてます。いや、一息入れてます。
毎週のようにラフ原画の演出チェックupの区切りが来るという理不尽な世界で戦っている。
何人もの制作に「今何本持ってるんです?」と訊かれる。何本かは忘れた。考えない。この前は、ある作品の監督から、カッティング時の映像を観て「何本も持ってるようなのに、いろいろ手が入っているけど、作品ごとの切り替えってどうしてるんですか?」と尋ねられた。
答えようがない。切り替えるとかあまり考えていない、というかそんないろいろできないので、毎回考えてできることをやってやっとのことで出してるだけだからだ。リソースが自分の中にそうそう豊かにあるわけでもない。
「手間のかかることは後に回す」「毎日全力疾走はしない」という逃げで、何とか毎日を渡っておりますよ。
ペンネームの意味と理由。
この前放送された作品で絵コンテをしばらくぶりにやってクレジットされたので、ちょっとだけ気にしている人がいるようだ(と気にする自意識過剰)。
絵コンテに使っているペンネームは、名字と名前をひっくり返して、似た響きの名前を持ってきたもの。あと、学生時代に私淑していた、池田浩士さんという京都大学の教員だった学者の名前もヒントになっている。
なぜ絵コンテをわざわざペンネームで描くようにしたのかというと、ひとつは一話で2回クレジットに名前が出てお得だな、と思ったから。富野喜幸さんが「斧谷稔」で絵コンテ描いてたりするのを何かカッコイイな、とか思ってたからでもあるかも。
真面目な理由もあって、前にもブログに書いたことがあるが、30歳を過ぎて演出志望の制作だったころ、プロデューサーに「お前は演出になっても処理屋ぐらいにしかなれないだろう」と言われたことがきっかけにはなっている。
絵コンテこそが演出の真髄なのだ、という主張を否定はしないが、実際の演出作業である「処理」を一段低く見るということに、しかも制作の頭領であるプロデューサーの言葉であることに反感を覚えた。絵コンテと処理を分けて発注するのは発注する側、つまり制作の都合であり、そういう仕事を欲しているのは制作なのだ。「処理屋」とはまたバカにした言い草ではないか。
そういうわけで、演出、絵コンテをそれぞれ独立した工程、仕事であり、評価されるべきものと考えて、あえて別々の名前にしてありますよ。
スピーディ。
今日はカッティング(編集)。いい加減新しい仕事を入れるのが限界、と思いつつも、演出打ち合わせは後回し、2日でコンテ撮素材を作り、編集。その場で監督と初顔合わせ。ややこしい手法の作品ではなかったので早く終わるだろうとは思ったが、1時間半で終了。監督によればこの作品では今までで最速だそうな。
まあ、同じ編集スタジオの社長の仕事でコンテ撮編集30分で終了というのを過去に経験しているので、驚くほどのことはない。このときは棒繋ぎ段階でもう調整しておいて流し見した後、監督が数か所伸ばす指示を出して終わり、という演出としては「いいんかいそれで」と思わなくもないスピードだった(よかったけど)。もう15年以上前だな。
前にも言っていると思うが、カッティングがアニメ制作の工程の中で一番好きだ。それも早く終わるなら、なおいい。計画が上手くいったってことだからね。