WOSK presents vol.12 六本木 Super Deluxe

飴屋さんが「〜覗いています」やら「〜それが僕です」等もそもそつぶやくと、本当に小さくなってトイレにこびりついたり、通気孔から見てたり、木彫りのくまに化けてしまったように想像してしまって面白くて、姿は見えなくともなんとなく気配あるのが嬉しいというか落ち着くような感じで、「バ  ング  ント展」や「わたしのすがた」のようにもみえるのかもしれないけれど、その時の感触とまた違ってもっと距離を近くに感じました。


※写真 牛嶋神社

大友良英+テニスコーツ 浅草 牛嶋神社

この組み合わせで見る度に大友さんがテニスコーツに染まってきてるような感じが面白くて、植野さんはギター同士で混ざり合うのを楽しそうにやってる風で自然な感じでした。
さやさんは前日の延長かのようにいつのまにか観客を半分以上は引率してました。
すっかり日が暮れてしまった夜の境内で、祭りでもないのに大勢がぐるぐるうねうね大きな蛇が動き回ってるような光景は、たまたま通りがかった人が見るととてもライブには見えなくて相当異様だったのではと思うのですが、そこから放たれてた(?)熱いオーラのようなものがとても穏やかで気持ちよかったです。
アフタートークは、お茶しながら大友さんとテニスコーツが話してるのを偶然聞いてしまいました的な雰囲気。
大友さんのテニスコーツに対する気持ちは、自分が思っていたのと少し似ているような気もしました。

はたさちお写真展「雷光」クロージングイベント 渋谷 UPLINK

見汐さんのギターと声によってノスタルジックな風景が浮かんできたり、トンチさんのスティールパンはやさしくはっきりとリアルでした。
さやアンドトマトは、他の出演者が共演者に変化し、観客も出演者になってしまい、さやさん以外全員が"さやアンドトマト"の"トマト"になってしまったという、想像を超えすぎた未知の世界を体験。

円盤夏祭り(14日)渋谷 O-Nest

テニスコーツ+うんどらのコーラスで参加させていただきました。
その場に居るとどんなケースもありうるみたいな流れをごく自然に取り入れるというのか受け入れる感じがあって、それが間違ってるでも正解でもない、苦しいわけでもない、ただそのまんまという・・・そんな気持ち+自分にとってほどよい刺激のようなものを感じたりもしました。
ぎりぎりになって風邪を引いてしまったのがとにかく申し訳なくて、声だけは出るようにと鼻声を生かせるようにするのが精一杯でしたが、皆さんにはどう聴こえたのかなあと思っています。
さやさんは全体が不自然にならないように微調整をやんわりかけていきます、ずっと。
そんな作業をしながらも、空間自体がどんどん変化してゆくような作り方を最後までやめないので、私の方も決まった動き(や歌う事)だけに捉われない奔放かもしれない気持ちよさ、というものを体感させてもらいました。
失敗はたくさんあったけど、終わった後も(反省だらけの)沈んだ気分にならずに済んだのは、その辺りの気持ちが強く残っているからかもしれません。
遅い時間帯にも関わらず観てくださった皆様、本当にありがとうございました。

ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景 淵野辺 PRUNUS HALL

目の前のマームとジプシーの演劇を観ながら想像されるものと、自分が実際に通過した風景から想像してしまうものが混ざりながら、何度も記憶を辿って、これでよかったのかなとかこれからはこうしようとか、ずーっと時間を行ったり戻ったりするのを体感しながら観てました。
実際それが気持ちいいのかといえば、そういうわけでもない気がするけれど、こういう作業というか行為(=思い、考える)は普段から無意識にしてるのと大切なことでもあるから、ごく自然と自分の中に沁み込んできたのかも、と思いました。
突然アフタートークは、つながりときっかけをほんの少し覗かせてもらえた感じで、楽しかったです。

マームと誰かさん・ふたりめ 飴屋法水さん(演出家)とジプシー 清澄白河 SNAC

青柳さんは目の前で立っていても幽霊のように遠くて、飴屋さんは近くに感じました。
本当は青柳さんが進行形で、飴屋さんが止まってしまった現実から過去へ戻ってたのに。
語りによって生じる空気と醸し出す存在が一気に距離を変えてしまう、そんな凄みが静かにゆっくりと強く伝わってきました。
青柳さんはふわりふわりと動きながら偶然見てしまった事故の様子を繰り返す、飴屋さんは自分自身に起きた不幸を全身投げ出して繰り返す。
ここで最初に感じた、遠いと近いの存在が入れ替って見えてきました。
青柳さんの心の中は冷静ではないはずだけれども距離を保つような口調が、飴屋さんはフロントガラスや地面に叩き付けられる度に魂が抜けてくのが見えそうな気がするくらい、遠かったです。