フォルム画廊が移転し、そのオープニングの瀧徹彫刻展を見る

 フォルム画廊は長く銀座5丁目のニューメルサビルにあったが、この度銀座6丁目の交詢ビルに移転した。そのオープニングに瀧徹彫刻展が選ばれて現在開催されている(4月27日まで)。

 瀧徹は1964年東京藝術大学彫刻科を卒業し、1966年同大学大学院美術研究科を修了している。その後新制作協会展に出品し、新制作展委員長も務めている。


 瀧徹は大理石をまるで金属のように薄く彫り削り作品を作っている。それは見事な技術で、本当に1個の石から彫り出したのかと何度も見てしまう。

 他に黒御影石と木を組み合わせた作品や、大理石で如来像を作ったものもあった。

 それにしてもフォルム画廊の新しいスペースは旧スペースの倍はあろうかという広さで、交詢ビルという伝統を誇るビルの3階という素晴らしい空間だった。隣接するカフェのコーヒー代が1,100円もするけれど。

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瀧徹彫刻展

2024年4月11日(木)―4月27日(土)

11:00-18:30(日曜休廊)

 

フォルム画廊

東京都中央区銀座6-8-7 交詢ビル3F

電話03-3571-5061

 

うしお画廊の井上敬一展を見る

 東京銀座のうしお画廊で井上敬一展が開かれている(4月20日まで)。井上敬一は1947年、福岡県田川市生まれ。1980年に福岡教育大学美術研究科を修了している。井上は銀座のみゆき画廊で個展をしていたが、みゆき画廊が閉じてからはうしお画廊で個展を開いている。


 今回すべて人物像だが、これがとても良い。中に2点階段が描かれている作品があるが、これは同じような階段を描いていた井上と同郷で昨年亡くなった野見山暁治へのオマージュだろうか。そういえば、野見山暁治が2000年頃にみゆき画廊で発表した水彩画がやはり変な顔の女性像だった。

 変な顔ばかり描いているが、いつも気持ちの良い優れた展覧会だ。

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井上敬一展

2024年4月15日(月)―4月20日(土)

11:30-19:30(最終日17:00まで)

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うしお画廊

東京都中央区銀座7-11-6 GINZAISONOビル3F

電話03-3571-1771

http://www.ushiogaro.com/

 

ギャラリーなつかの瀧田亜子展を見る

 東京京橋のギャラリーなつかで瀧田亜子展が開かれている(4月20日まで)。瀧田亜子は東京生まれ、青山学院女子短期大学芸術学科を中退した後、中国ウルムチの新彊大学や杭州市の中国美術学院で書を学んでいる。帰国後早見芸術学院で日本画を学んだ。2003年ギャラリーオカベで初個展、その後主としてなびす画廊で個展を続け、なびす画廊閉廊後はギャラリーなつかや藍画廊、ギャラリー古今などで個展を開いている。

上の作品の部分

上の作品の部分


 ここ2、3年、瀧田の作品が面白くなってきた。三角形など単純な形の繰返しを主要な造形としていたのが、激しく流れるような動きが画面を占めている。それでいながら瀧田の作品で大きな違和感はない。興味深い傾向を示していると思われる。

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2024年4月15日(月)―4月20日(土)

11:00-18:30(土曜日は17:00まで)

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ギャラリーなつか

東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F

電話03-6265-1889

http://gnatsuka.com/

 

『出久根達郎の古本屋小説集』を読む

 『出久根達郎の古本屋小説集』(ちくま文庫)を読む。古本屋店主にして直木賞作家になった出久根の古本屋に関する小説を集めたもの。出久根は中学卒業後集団就職で東京月島の古本屋に就職し、29歳のとき独立して高円寺で古本屋を開業する。

 昔(9年前)出久根達郎『万骨伝』(ちくま文庫)を読んで面白かった、とこのブログに書いている。(こんなことがすぐ分かるのもブログのお蔭だ)。

 出久根は長く古本屋の店主をしていて古書肆業界には詳しい。古本に関する様々なエピソードがそれだけで面白かったし、出久根の語るちょっと変な人たちの生活が興味深かった。

 「セドリ」という短篇がある。わずか3ページばかりだが、セドリで稼いだ話が載っている。セドリとはある古本屋に安値で並んでいた本を背だけを見て買い、それを別の古本屋に売って利ザヤを稼ぐ商売のこと。これで思い出した。東京都現代美術館へ行く途中に小さな古本屋がある。美術館の帰りについ立ち寄ると必ず何冊か買ってしまう。店の規模の割りに魅力的な本が多いのだ。何故でしょうと別の古本屋に訊いたことがあった。あそこは組合に入っていなくて、セドリで本を集めているからとのことだった。普通の古本屋は組合の市場で梱包された古本の包みを一山いくらで買って来るからと。

 出久根の小説は人情の機微を描いて美しい。つい涙ぐんでしまったものもあった。ただ、長いものになるといささか構成に難がある印象が否めなかった。短篇に優れたものがあるように思う。

 

 

 

 

阿部朋美・伊藤和行『ギフテッドの光と影』を読む

 阿部朋美・伊藤和行『ギフテッドの光と影』(朝日新聞出版)を読む。副題が「知能が高すぎて生きづらい人たち」というもの。著者たちは朝日新聞の記者で、本書は朝日新聞デジタルに連載したもの。

 ギフテッドについては以前、角谷詩織『ギフテッドの子どもたち』(集英社新書)を読んでいる。私の友人にもIQ140の優秀な技術者や、親戚の女性でIQ170の天才がいるからギフテッドについても多少のことは知っているつもりだ。

 本書は新聞に連載しただけあって、ギフテッドについて幅広く取材している。小学生でとびぬけた知能を示す者、戦時中に行われていた日本のエリート教育、各国の事情。そしてギフテッドとされた者たちの苦労が紹介される。

 しかし、読み終わって不満が大きかった。内容が通り一遍で、事例を紹介してそれ以上の踏み込みが足りない印象だ。この辺りは新聞記者という特性なのかもしれない。新聞連載ということで、短期間で取材しまとめて記事にしなければならなかったのだろう。

 ギフテッドの人たちが大人になって苦しんでいることとか、才能を生かす道が与えられなくて逆に半端な仕事にしか就けないでいる事例とか、英才教育が成功した事例とか、取材すべきことはまだまだあるはずだ。

 こういった事例はアメリカのサイエンスライターが取り上げてくれたら面白いものになるのじゃないだろうか。