椿近代画廊の天野裕夫展を見る

 東京日本橋の椿近代画廊で天野裕夫展「UTOX」が開かれている(5月25日まで)。天野裕夫は1954年岐阜県生まれ、1978年に多摩美術大学大学院彫刻科を修了する。椿近代画廊では2000年以来もう10回目の個展となる。そのほか各地の高島屋で個展を続けている。

「兎塔」


 タイトルの「UTOX」は兎塔を表わす。天野は4年前に120トンの倒れている巨木に出会い、兎塔の制作を決意する。昨年ウサギ頭部を作るための作業場を作った。

 今回展示されている兎塔は高さ133cmの大きさがある。

 その他、都内では特段に広い画廊に数多くの奇抜な作品が展示されている。

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天野裕夫展「UTOX」

2024年5月13日(土)―5月25日(日)

11:00-18:00(日曜休廊)

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椿近代画廊

東京都中央区日本橋室町1-12-15 テラサキ第2ビルB1F

電話03−3275−0864

http://www.tsubaki-kindaig.co.jp/

※中央通りを挟んで日本橋三越の反対側、本館と新館の間のむろまち小路を三越に背を向けて2区画進んだ左手。

 

 

Stepsギャラリーの槙野匠展を見る

 東京銀座のStepsギャラリーで槙野匠展「壁の向き」が開かれている(5月18日まで)。槙野は茨城大学大学院教育学研究科美術教育専修を修了している。1994年にときわ画廊などで個展をし、つくば美術館などのグループ展に参加している。


 ギャラリーの奥に木製の大きな作品が設置されている、中央で「へ」の字形に折れた壁のような立体が4段積み重ねられている。それを横から見ると中は空洞で箱状になっている。箱のような造形といえばジャッドを連想する。しかし、槙野とジャッドの共通点はそれ以外にはない。ジャッドが無機質であるのに対し、槙野は木目のはっきいりした木を使い、組み立てもわざとずらしていて、例えば静かな語りを思わせる。

 ほかに同じような造形を縦にした作品や、天井近くに設置したガラス(アクリル?)を挟んだ作品が展示されている。また事務所内の壁には小品が展示されている。

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槙野匠展「壁の向き」

2024年5月13日(月)―5月18日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)

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Stepsギャラリー

東京都中央区銀座4-4-13琉映ビル5F

電話03-6228-6195

http://www.stepsgallery.org

 

 

 

吉本隆明『わたしの本はすぐに終る』を読む

 吉本隆明『わたしの本はすぐに終る』(講談社文芸文庫)を読む。吉本隆明の詩集。本書は『転位のための十篇』より後、1950年代前半から80年代半ばまで書かれてきた作品から著者が自ら選んだ65篇、単行本として刊行された詩集『記号の森の伝説歌』『言葉からの触手』の全篇、90年代、雑誌発表された2篇「十七歳」「わたしの本はすぐに終る」を収録。(裏表紙の惹句から)。

 文庫本としては大著の500ページ強。難解な詩句が並ぶ。中に「葉の声」という詩があり、入江比呂への献辞が付されている。

 

   葉の声

    入江比呂さんに

 

 

葉は街のうえに撒かれる するとどこでもない

どこでもいい街路で 佇ちとまった人たちの

対話になる

 

対話になりつくしたものは みな

しだいに木みたいな影として

夕べの空につき刺さる

 

燃える声は ゆっくりと空を流れて

妖怪みたいな露地うらで 老女が起した

ちいさな火災になる

 

おさえながら騒ぐ葉の声

むらがる鳥みたいに渦巻いて

墓地を端から端まで

歩行する黄色い紳士たち

 

木にまといつき 木の高さで

きこえる葉になった 世界の芯で

幹の非在がうたううた

枝にうたれたあえかな

鳥たちの鋲 川は

錆色の葉脈として流れ その奥に

薄命の鹿が走りこんでいった

 

さあ 鉄と石の葉

少女たちはその下で

透明な精緻を囲んで焚く

 

 

 入江比呂は戦後、前衛美術会に属したプロレタリア美術家で彫刻家だった。入江比呂について紹介した門田秀雄のテキストと入江の作品を、次のページに掲載した。でも、吉本隆明と入江比呂の関係はどうだったのだろう。

 

・門田秀雄さんが紹介する入江比呂

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20091130/1259529759

 

 

 

 

ゴールズワージー『林檎の木』を読む

 ゴールズワージー著、法村里絵訳『林檎の木』(新潮文庫)を読む。私の古くからの友人が、感動した小説として4冊を挙げた。ドストエフスキー罪と罰』、スタンダール赤と黒』、ツルゲーネフ『初恋』、ゴールズワージー『林檎の木』だった。私はこの内『罪と罰』しか読んでいなかった。それで初めてのゴールズワージーを読んだ。

 そのストーリーは、友人と旅行の途中、裕福な学生アシャーストは怪我をして近くの農場に泊めてもらった。友人は彼を置いて旅を続けていった。アシャーストは農場主の姪で農場で働く少女ミーガンを見初め、彼女も彼を気に入って、深夜リンゴの木の下でデートをする。抱き合ってキスをして(キスしただけ!)アシャーストはプロポーズする。ミーガンはそれに対して、「まあ、とんでもない! 結婚なんてできません。おそばにいられるだけで充分です!」と答える。

 翌日アシャーストは彼女と駆け落ちをするための資金を銀行から下ろそうと街に行くが、そこで別の友人とその妹たちに会ってしまう。彼等と過ごしていて銀行の営業時間が過ぎてしまい、その日にはお金が下せなくなってしまう。翌日も友人たちと遊んでいて牧場に帰る機会を失ってしまう。

 そんな話が続くのだけれど、なぜミーガンが結婚なんてとんでもない、傍にいられるだけで充分なのか説明がない。巻末の解説にもそれはなかった。いや、訳者あとがきで、「ミーガンは彼に一目惚れしながらも、身分違いの恋に苦しんでいます」とある。

 イギリスの読者にはよく分かっているだろう。イギリスは階級社会だ。アシャーストは裕福な上流階級でミーガンは労働者階級だ。ふたつの階級は言葉も違っているだろう。翻訳ではそれが訳し分けられていないが、原著では二人の会話はそれを表しているのではないか? オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』はヒギンズ教授が花売り娘イライザを見初め、イライザの下町訛りを矯正してレディに仕立て上げる話だ。階級の違うアシャーストとミーガンが簡単には結婚できないことがよく分かっているので、ミーガンは傍にいられるだけでいいと答え、アシャーストは駆け落ちすることを考えたのだろう。

 『林檎の木』の翻訳は各種あるようだけど、ほかの訳者はミーガンとアシャーストの言葉を訳し分けているのだろうか?

 

 

 

宮本常一『イザベラ・バードの旅』を読む

 宮本常一イザベラ・バードの旅』(講談社学術文庫)を読む。副題が「『日本奥地紀行』を読む」とあり、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』をテキストに、宮本常一日本観光文化研究所で行った講義をもとに、宮本没後に未来社から刊行されたものを文庫化している。

 日本を代表する民俗学者である宮本が、明治初期にたった一人で(通訳兼従者の青年一人を連れて)東北から北海道まで3か月旅行したイギリス人女性イザベラ・バードの優れた旅行記『日本奥地紀行』について、民俗学の視点から解説してくれている。

 日本の旅行で大変だったのは、どこへ行ってもノミの大群に悩まされたことと、馬が貧弱だったことだと言う。日本の馬は非常に小さく、乗馬としても運搬に使うにも甚だ不十分だった。だから西日本では田圃で犂を引くときは牛を使っていた。

 味噌汁については「ぞっとするほどいやなもののスープ」と言っている。それは匂いの問題だろうと宮本は推測する。

 宿の女主人が未亡人で、家族を養っている、とバードが書いているのに解説して、宮本は言う。

 この時期女の地位というのはそんなに低いものではなかった。少なくとも明治の初め頃まではある高さを持っていたのではなかったか。それを裏付けるのが明治以前の宗門人別帳で、その順序は、まず戸主、次に必ず女房、そして子どもの名前がきて、たいていは隠居した老人夫婦が最後だった。それが明治になって民法ができ、それに従って戸籍ができると、戸主、次に戸主の父母、そして伯父伯母そして女房、子どもとなる。つまり女房より年上の者が、女房との間に割り込んでくるようになった。

 アイヌが帯に短刀のような形をしたナイフをつけている、とバードが書いていることに触れて、日本でも700年くらい前までは坊さんまでが腰に小さな刀を差していたと宮本は言う。これはもともとは物を料理するためのものだったろう。これが様式化して残ったのが武士の脇差しだろうと。

 

イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/04/22/140253