2022年12月日記

12月18号(일요일)

話せず...



12月に入って10日ほどアメリカに出張に行ってきました。



かなりの強行スケジュールでしたが収穫の多い出張となりました。



帰国して、今度は韓国から取引しているディストリビューターとショップのスタッフが来日。



3日間付きっきりでアテンド。


コロナの影響で長らく直接会ってコミュニケーションを取る機会がなかったのでお互いにとても有意義な時間を過ごすことができました。




というわけでこの2週間、英語と韓国語にどっぷり浸かって話し放題、聴き放題のこの上ない環境にいたのですが結果は...


惨敗!


ほとんど話せませんでした。。。


ま、英語はしばらく勉強していなかったのでやむを得ずですが、話すのは無理でももう少し聴き取れると思っていたのに、う〜ん、ダメでした。


そして肝心の韓国語なのですが、ちょうど3年前、コロナが流行する前にも今回と同じように韓国からスタッフが来日してアテンドする機会があり、そのときはほとんど話せませんでした。当時は韓国に興味を持って韓国語を勉強し始めてすぐだったのであきらめていたのですが、3年勉強した今回こそは


「韓国語を話すぞ!」


と意気込んでいました。が、う〜ん、やっぱりダメでした。




初めのスピーチで挨拶はうまくいったのですが、そのあとの説明でちょっと難しい単語があって、そこで詰まってしまって、もう頭が真っ白になってしまいました。


また夜には韓国のスタッフとご飯を一緒に食べて、話すチャンスがたくさんあったのですが、簡単な単語がなかなか出てこないので自動翻訳機を見せながらのギクシャクした会話になってしまいました。。。




この結果だけをみると


「3年間、何を勉強していたんだ!」


と猛省モードまっしぐらという感じですが、自分としては手応えがありました。


ゴルフに例えるならば、


ゴルフのスコアで100を切るのはけっこう大変でそれなりに練習せねばならないのですが、100を切ったあとも110とかちょいちょい叩くんですよ。


でも、120~130でラウンドしていたときに出した110と、100を切ってから叩いてしまった110というのは全然違うんですよ。


100切っても仕事が忙しかったりで練習をずっとやらずに久々にラウンドしたら平気で110くらい叩いてしまうし、100を切ってずっと練習を続けていても、ラウンドしたら110を叩いてしまうこともあるんです。ただ、その時はじぶんの弱点が分かるんです。「あー、このシチュエーションの持ち球まだないよなー」とか「けっきょくショートホールってまだ確率悪いよな」とか。


語学もゴルフとホントによく似ている。




ブログをずっと更新していなかったのですが、最近どうしていたかと言うと、仕事がだんだん忙しくなってきたので以前ほどの勉強時間は確保できていません。ただ韓国語と中国語の勉強は続けています。


しかしながら、11月の検定試験は韓国語も中国語もキャンセルしました。リスニングのレベルが受験する級のレベルに達していないと感じたのと、テスト一直線の勉強だと、言葉を話す環境になかなか馴染まないので、もっと生きてる言葉に触れたいと思ったので検定試験の勉強は一旦打ち切りました。


その替わりに何をやっていたかと言うとドラマや映画をひたすら観ていました。あとは韓国や中国の歴史を調べたり、時事的な本を読んだりしていました。




ドラマをかなり観ていたので、じぶんのまわりで韓国語がずっと話されていることに違和感はなかったのですが、いざじぶんが話そうと思うと、


「あれ?」


初歩の初歩の単語が出てこない....


“키가 커요”(背が高い)


"오늘은 추워요"(今日は寒い)


テスト勉強では級が上がってもっともっと難しい単語もやっているのに、こんな初歩の単語が出てこない。



案外すっと出てこないものですね。。。




でも3年前とは違いました。


例えば車に乗る時に、


「4名ずつに別れて!」


と言おうと思って、


“사명 사명” (4名 、4名)


と言ったら相手に通じて、向こうのスタッフ同士で、


“네명 네명” (4名 、4名)


と正しく言い直して伝え合っていました。


「そうか、人数の場合は漢数字ではなく固有数字だったか!」


と聞きながら自分の知識を修正できました。




今回は惨敗だった訳ですが、この失敗の経験が大きいわけですよ。


なぜなら


対策を立てられるので


対策としては、いちばん最初に勉強したテキストをやり直して、反射的に答えられるようにすること。またなかなか定着しない発音のルールの復習をすること。あと韓国語にも活用があるのですが、それを毎回確認すること。日本語の単語から引ける便利な活用辞典を教えてもらったので積極的に活用しようと思います。


열심히 공부할게요.


파이팅!










 2022年9月日記

 阪根Jr.タイガース

 阪根タイガース

2022年9月日記

9月25号(일요일)

家が遠い / 韓国ドラマ『私の解放日誌』



先日、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』について話していたのだけど、その人はこの映画の“暴力性”“残忍さ” について、あのように易々と描いてしまうことに抵抗があると話していた。



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確かにそういう一面もあるかもしれないけれど、僕は例のあのシーンを観たときに、古典の悲劇や神話を想起した。神話に出てくる “神々” というのは想像を絶するくらい滅茶苦茶であり残忍でもある。ふつう “神” という言葉でイメージする “神聖さ” とはかけ離れているというか、なんとも理解し難い。『パラサイト』のあのシーンも同様なものとして受容した。


映画『パラサイト』には、「本物の貧困」は描かれていない。

だから「娯楽」として楽しめるし、そこに登場するチャパグリが食べたくなったり、モデルとなった街に行きたくもなる。さらに貧困とは対極にあるサムスン系財閥一族のプロデューサーが、ポン・ジュノ監督や俳優ソン・ガンホとともにレッドカーペットを歩くのも、「韓国映画の成功」として喜ぶことができた。きらびやかなアカデミー賞の授賞式が、あの血に塗られた誕生パーティの続編となることも、違和感なく受け入れられたのである。映画の中の貧者は本当の貧者ではなかったから。

とはいえ『パラサイト』がテーマにした「家」が、韓国の格差のシンボルであることは紛れもない事実である。先に紹介したように学歴や社会的地位とは別に、韓国には独特の「不動産カースト」が存在する。重要なのは、その上位にある者たちが豊かさを享受するだけでなく、その下位にある者たちを支配していること。つまり、それは単なる序列はなく支配構造だという点だ。

(伊東順子『韓国カルチャー』集英社新書 p238.)


僕はこの伊東さんの記述に2つの点で同意する。1つは『パラサイト』が現代韓国における貧困や差別を “リアル” に描いたものではないということ(伊東さんはこの点を皮肉で言っているけれども、僕は単にそう思う)。もう1つは『パラサイト』で描かれているのは “構造” であるということ。



『パラサイト』誕生パーティのシーン


件の誕生パーティのシーン、上の写真のあとの展開だけれども、あのシーンを観て想起したのは プッサンの絵画” であり、 『パラサイト』がどのように描かれているかといえば、それは “構造” に忠実に描かれているのである。



ニコラ・プッサンサビニの女たちの掠奪』




話はちょっとそれるけど、ここ数年内の映画でプッサンというか、歴史画というか、古典的な描き方をしていると思ったのはラ・ラ・ランドで、この映画のオープンニングシーンは有名で「このシーン好き!」という人がたくさんいて、とても “美しい” 描き方だと僕も思うのだけど、このシーンもメトロポリタン美術館で絵画鑑賞をしているような、 “プッサンの絵画” を観ているような気がした。



ニコラ・プッサン『黄金の子牛の礼拝』



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ラ・ラ・ランド』の監督であるデイミアン・チャゼルハーバード大学出身で、映画監督はUSC(南カルフォルニア大学)やスタンフォード大学といった西海岸の名門校出身の人が多いというイメージがあったのだけど、「へぇー、東海岸の名門校からも映画監督って出るんだ」と関心を持った。


ただ『ラ・ラ・ランド』の描き方はすごく古典的というか、ストーリーもジャズだったかな?芸術を志向する彼と大衆的な有名女優になろうとする彼女とのすれ違い、価値観の違いを問うていたと思うのだけど、二項対立というか、やはりすごく“構造” に忠実に描く映画監督だと思った。その後の作品はまだフォローできていないのだけど.....




インテリな映画監督と言えば、例えば先日亡くなったジャン=リュック・ゴダールのように謎めいているというか、「なんかよくわかんねーな」というような描き方だったり、



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ジャン=リュック・ゴダール気狂いピエロ


あるいはデイヴィッド・リンチのような不条理ものというか、「えっ、何これ!?」というような描き方をしばしばする。



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デイヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ


このような、構造を読み解けない描き方を志向する映画監督や作家が多いと思っていたのだけど、「トレンドが変わったのかな?」とデイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』を観たころから感じている。




とは言え、『パラサイト』を描いたポン・ジュノ監督がこういうトレンドに乗ったというふうには捉えていない。韓国の作家の演劇や映画を数本観たことがあるのだけど、韓国の作家はもともと真面目で、すごくよく勉強していて、突き詰めて作品を創るという印象。全般的に重いというか、観ていてしんどくなる作品が多いので、「もうちょっと肩の力を抜いて、テキトーに描けばいいのに」としばしば思う。


ま、『パラサイト』は力を抜くところはうまいこと抜いているので、観ていてもさほど疲れない。そして “構造” は変質的というか、多くの人が謎解きもやっているようだけど、緻密に描かれている。


まず「高台の高級住宅」と「半地下の家、あるいは地下室」。要するに “上部構造”“下部構造” の対比が明確に描かれている。そして、この対比から連想される属性が並んでいく訳だけど、ざっと書き上げてみると、


上部構造:金持ち / ブルジョワ/ 支配者階級

下部構造:貧乏 / プロレタリア / 被支配者(労働者階級)


ここまではありきたりの区別なのだけど、ただ1点ねじれがあって、あのお金持ちで美人の奥様が象徴的だけど、彼女らはおそらく学歴社会においても勝ち組であり、手厚い教育も受けているはずなのだけど、「どうやら、何にもわかっていないらしい」。パーティも豪勢にやっているけれど、見せかけだけで中身が何にもない。ひとことで言えば “白痴“ である。


対して、半地下の家に住んでいる家族は、ペテンなのだけど、何かとよく知っているし、機転が利く。


一般的な理解では、支配者階級が世界を動かしている、経済を回しているという認識だけど、『パラサイト』で描かれている支配者階級は祭りあげられているだけの “裸の王様“ であって、世界を動かしている、経済を回しているのは半地下の家族のほうである。


上部構造:金持ち / ブルジョワ/ 支配者階級 / 白痴(からっぽ)

下部構造:貧乏 / プロレタリア / 被支配者階級 / 世界を動かす主体


この映画の韓国でのタイトルが寄生虫になっているのだけど、見かけ上の寄生虫は、高級住宅に住みついた半地下の家族なのだけど、"家" の歴史で考えると寄生していたのは お金持ちの夫婦のほうだとも言える。




さてさて、今日話したいのは、 『パラサイト』ではなくタイトルにある韓国ドラマ『私の解放日誌』なのだけど、これがとにかく美しくて、『ラ・ラ・ランド』のように誰もがパッと見てすぐにわかる美しさではなく、情緒的というのか、アンビバレントというのか、絶妙なタッチとバランスで "美" を表現している。



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このテイストを、2時間の尺の映画やあるいは小説で描くならまだ分かるけど、全16回もあるテレビドラマでやるというのはすごいことだと思う。後半でハードボイルドの要素を入れていたけれど、ま、あれはどうでもいいっちゃどうでもよくて、それを差し引いてもやっぱりすごい。


韓国ドラマはクリエイターの層が厚いよね。


このドラマは “家が遠い“ ということがモチーフになっていて、“家が遠い“ ということが、この物語を動かす、世界を動かす “動力“ になっている。たかだか “家が遠い“ ってことだけで、「これだけ物語が動いて、これだけ世界が動くのか!」という驚きが率直な感想。


主人公の家族はサンポ市というソウルの郊外の田舎町に住んでいる。サンポ市というのとその最寄駅のタンミ駅というのは架空のようだけど、ロケ地が水原市(スウォン市)のちょっと南くらい。水原市KTX(韓国の新幹線)でソウルから30分。ドラマのなかの話でもソウルまで地下鉄/郊外電車を利用して通勤時間が片道1時間半くらいのところのようだ。


「通勤時間が片道1時間半なら全然遠くないじゃん!」


って日本人の感覚では思ってしまうのだけど、日本で言えばどこくらいの設定だろうか?


僕が東京にいた頃の知り合いで家が遠いと思ったのは....


当時、栃木県の小山から通学している子がいて、それは「とおっ!」って思った。あと小田原から通っている人もいて、やはり「とおっ!」って思った。中央線なら八王子はいくらでもいるから、山梨県までいって大月くらいなら「とおっ!」って思うかな。常磐線なら柏はいくらでもいるから、茨城県取手や土浦くらいまでいけば「とおっ!」って思うかな。


日本で言えばそのあたりかな....




主人公の家族は「父・母・姉・兄・妹」の五人家族。姉が40歳近くで、妹はまだ20代かな? でももう30歳に近いと思われ、みんなまだ独身。退屈な田舎町に辟易としていて、「結婚したい!」「車が欲しい!」「こんな田舎町にはもう希望がない!」という感じで、わざわざ長い時間をかけて毎日毎日ソウルまで通勤している。やっぱり気持ちはソウルに向いている。


でもいざソウルに行ったらどうかといえば、一番下の妹が顕著で、彼女はソウルの綺麗なビルにオフィスを構える広告デザインの会社に勤めていて、いわゆる “勝ち組“ の職場なのだけど、そこでは “家が遠い“ ということで "下" に見られている。


演じている女優さんが沢尻エリカ似の美人だからイマイチ説得力がないのだけど、服も地味で 田舎臭いというか、流行に乗り遅れている、あるいは流行を知らないとレッテルを貼られているようで仲間に入れてもらえないという様子。


姉は姉でソウルで働いているからといって結婚相手が都合よくみつかる訳ではなく鬱屈とした毎日を過ごしている。兄は上昇志向が強く、思いやりもありいい仕事をするのだけど、職場に恵まれずパッとしない毎日を過ごしている。


“家が遠い“


という現状から、彼彼女らはどうすれば "解放" されるのか?"幸せ" になれるのか?


“家が近い“


ふつうに考えれば、そうなれば幸せになれるはずである。


つまり「ソウルに住むこと」 、ソウルの一員になってしまえば幸せになれると思うのだけど、どうもそう簡単ではないようだ。


妹がやはり一番わかりやすいのだけど、彼女はソウルのコミュニティーに入っていこうとしない。例えば、彼女の会社では福利厚生というか、社員同士でサークル活動をすることを支援していて、「みんなでボーリングに行ったり、カラオケに行って楽しもう!」ということを推奨するのだけど、彼女はそういう雰囲気に馴染めない。あるいは同じ部署の女性スタッフが「みんなでグアムに遊びに行こう!」って盛り上がっているのに、誘われないし、誘われたいとも思っていない。


大企業に勤めたり、都会に住めば誰もが感じていることかもしれないけれど、「みんなが海外旅行に行っているなら、自分も1回や2回は行ってないとダメ」「みんながこれくらいの所に住んでいるなら、自分も相応のエリアに住まないとダメ」「みんなが子供をこれくらいの学校に通わせているなら、自分の子供もそのレベルの学校に通わせないとダメ」。


「くだんねーな」


と思うけれども、この種の"同調圧力"は根強くある。




このドラマには、もう一人キーになる人物が出てきて、主人公の家族が住む田舎町に住んでいるのだけど、出自が分からないし、過去に何をしていた人なのかもわからない。


なんというか、すごくニヒルな男性で、人生に意味はない、生き甲斐がないという空気をぷんぷん醸し出している。例えるならば、奥田民生陰キャ バージョンといったところか。



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僕らは自由を ♪

僕らの青春を ♪

大げさに言うのならば ♪

きっとそういう事なんだろう ♪


しかし彼はニヒルだけど、仕事はできる。しかも奥田民生ではなく、浅野忠信ふうのイケメン俳優が演じていて、これがハマり役でニクい!


沢尻エリカ似の美女と浅野忠信ふうのイケメンが恋に落ちるというのだから、これはこれで 悔しいけれど、やっぱり “美しい“ のである。




まぁ、こんな感じで、なんとも “美しく“ なんとも “ミステリアス“ なドラマなのだけど、知り合いの韓国人留学生に聞いたら、このドラマは


ソウル中心主義に対するカウンター(抵抗)


を描いているとのことだった。


なるほど!


日本でも東京の一極集中は顕著で、大阪や名古屋であっても仕事の規模が小さい、仕事のチャンスが少ないということで、活動の拠点を東京に移す、東京に本社機能を移すという企業が多かった。ただコロナの影響で東京の優位性はやや落ちたという気がする。僕じしん東京を離れて3年ほどになるけれども、東京に戻って仕事をしたいという気持ちはいまのところない。


しかし韓国においてはソウルの一人勝ち状態で、ソウルだけがどんどん豊かになっていくという感じらしい。ドラマの舞台の京畿道は日本でいえば関東エリアという感じで、東京に電車で行こうと思ったら行けるところ。他の地域よりは便利だし、都会だという優越感も持てそうな地域だけど、日本でいう関東エリアにあたる京畿道でさえ寂れている。よって、みんなソウルで働きたい、ソウルに住みたいと、ソウルを志向する。


そうやってソウルにますます人が集まり、ソウルの人々は経済的にますます裕福になっていくのだろうけど、


「それで本当に幸せになれるのだろうか?」


ソウルにいながらソウルに居場所がない人。ソウルのコミュニティーに入りたくない人もいるだろう。『私の解放日誌』にはそういう人がよく出てくる。





『私の解放日誌』は、圧倒的なパワーを持つソウルに対する "アンチ" ではない。また逆に、「田舎へ帰ろう。田舎っていいよね!」という "ノスタルジー" でもない。また日本で少し前に流行った田舎で優雅に暮らそうという "ロハス" でもない。


第一次世界大戦  「すべての戦争を終わらせるため戦争」  の直接の余波の中では、科学、医学、そして産業の勝利が、近代というプロジェクトのもつ解放の約束を果たしてくれるようにみえたのである。だが1930年代になると、新たに都市化された大衆、戦争が引き起こした社会変動、革命や経済不況によって、世界規模の政治的ならびに経済危機に直面することになり、どうしても心理的 社会的な安定性がすぐにでも求められるようになる。こうして歴史上初めて、独占企業と国家資本主義の両方にとっての利益が、文化的近代化の解放的方向性からそれていったのである。(ハル・フォスター編『反美学』所収、ケネス・フランプトン「批判的地域主義に向けて」pp.43-44.)


『私の解放日誌』を観ていて想起したのが、この『反美学』という本で、これはポストモダン芸術の宣言集で、当時建築や美術を学ぶ学生が「これを読んでなかったらもぐりだ!」と言われるから僕も読んだという程度で、有名な論文も所収されているけれども、小難しい感じがしてあまり熱心には読まなかった。


ただ何十年ぶりかに読んでみると、ケネス・フランプトンの「批判的地域主義に向けて」という文章などは、宣言集だから論の展開が粗いのだけど、言っていることはよく理解できた。確かに "テクトニック""自律性"といった難しいキーワードがちょこちょこっと出てきていて、「この後の理論展開はとても難しくなるよ」という暗示があるのだけど、それはひとまず無視して、彼の論文を参照しながら、『私の解放日誌』の考察に入る。


批判的地域主義


『私の解放日誌』のスタンスを言い当てるならば、まさに "批判的地域主義" になるのではないかと思う。


韓国ドラマのタイトルは時々「ギョッ」とする。例えば『キム秘書は一体なぜ』というドラマはタイトルを聞いても、「はっ? 何のドラマかさっぱりわからない」と言いたくなるし、このドラマの "解放" というワードはちょっと重いというか、これが中国だったら放送の許可が出ないだろうと思うし、言葉の持つイメージが強すぎて、「ドラマだったらふつう避けるよな」という言葉がストレートに使用されている。


ただ、こうやって考察すると、『私の解放日誌』の "解放" というワードには実際にかなり政治的な意図が含まれている訳で、このタイトルがふさわしいという気持ちになってくる。


そう言えば、ケネス・フランプトンの「批判的地域主義に向けて」という論文は建築について書かれた論文なのだけど、90年代当時は、オランダやスイス、スペイン、あるいは北欧といったヨーロッパ "周縁" の国々の建築家がメディアで積極的に紹介されていた。実際に彼らの活動が活発だったのかもしれないけれど、このムーブメントは明らかに政治的な企てであった。"ロンドン・パリ中心主義" に対するカウンターだったのだと今になって気がついた。この文脈に沿って安藤忠雄伊東豊雄妹島和世西沢立衛といった日本の建築家も好意的に世界の建築シーンで紹介されていた。


ヨーロッパで言えば、ロンドンやパリが近代化の中心であり、近代が古典的な過去の社会と決別し、これまでの重苦しい暮らしから "解放" してくれると思ったらそうではなかった。近代化で生み出された都市や大衆によって、また新たな問題が巻き起こされたし、戦争も終わらなかった。その近代をさらに乗り超えようというのが "ポストモダン" になるのだけど、


「そりゃ、一筋縄にはいかないよね。難しいよね」


そして、中心主義でもなく、周縁主義、地域主義でもない "クリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)"というイズムが掲げ上げられた訳なのだけど、この対立の図式とその克服方法については、ソウル中心主義に対抗し、あるいは田舎、地域主義を克服しようという『私の解放日誌』の問題設定と合致する。


「構造学」とは単に物質的に必要な建造物を作り出す活動のことを言うのではない。それはむしろ、この建造物を芸術的な形態に引き上げる活動を指しているのである。機能的に適切な形態は、その機能に表現を与えるために採用されなければならない。ギリシアの円柱はエンタシスが与える、支え持つという意味は、こうした「構造学」の概念の基準となる。

今日でもあいかわらず、構造的なものとはわれわれにとって、材料、技術的作業、そして重力を相互に純化させあい、そのことによって、事実上全体的構造の凝縮的表現であるような構成要素を生み出すことのできる方法なのである。われわれはここで、ファサードによる再 現前(表象)ではなく、詩的なものの構造における現前(プレゼンテーション)について語ってもいいだろう。(同上 p.60.)


フランプトンは近代を超えるものとして、目に見える物質的なものではなく、触覚的というか目に見えない知覚的なものにその可能性を見い出そうとしている。ややこしくなるので前後を割愛するけれども、彼は最後にこのようなパワーワードを記している。


単なる見せかけを越え出ること




 見せかけじゃいけない


 見せかけなんてどうでもいい


 目に見えない大切なもの


『私の解放日誌』で言うのならば


 きっとそういう事なんだろう



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9月19号(월요일)

海底撈




久々のブログ更新。
中国語と韓国語の勉強は続けていて11月にテストも受けるのですが、ちょっと勉強方針を変更しようと思います。


6月に中国語検定2級とハングル検定準2級に落ちて、11月にリベンジするための計画を立てて、文法と単語の総復習、覚え直しをしようと暗記カードもちゃんと作ったのですが、いざ覚える段階になると作業が単調すぎてなかなかドライブがかからない、要するに時間をかける割に身につかないんですね。


また、世界情勢もかなり変わってきたので、中国や韓国といった東アジアに対する関心だけではなく、安全保障、米中関係、バイデンの政治、民主主義、資本主義など勉強したいテーマが出てきました。語学の勉強だけではなく、本を読む必要があります。


なので、検定試験対策という縛りをいったん解除して、実践というか、ニュース、ドラマ、映画、雑誌、書籍で中国や韓国の情報を接種するなかで中国語や韓国語に触れるという勉強スタイルにしようと思います。


語学の検定試験は今後も受験しますが、検定試験合格に向かって一直線に勉強するのではなく、中国語や韓国語に触れる時間を極力確保して、その経験値を積み重ねつつ、あるとき検定試験の問題をみたら、「あっ、けっこうできそう!」となるのが理想。


ま、そう理想どおりになるかはわからんけど、この勉強方法をしばらくやってみようと思います。




それで連休中に前々から読みたかった山下純さんの『海底撈 -知られざる中国巨大外食企業の素顔』を読みました。



この著者の山下さんは、僕の高校の1年後輩らしく、1学年200人くらいの高校なので1年下の人も大抵覚えているのですが、残念ながら山下さんは記憶にないです。ただなんとなく親近感を持って読むことができました。


まず感心したのは、この本がよく書けているということ。経営学の大学の先生やコンサルタントならわかりますが、現役のビジネスパーソンが、共同プロジェクトを行った相手方の企業について、ここまできっちりとレポートが書けるかといえば、なかなか難しいと思います。


しかも、自分が関わったプロジェクトのみならず、先方の企業の全体像を分析して的確に把握しているというのはすごいことだと、僕も見習いたいと思いました。




さて「海底撈」(ハイディラオ)という火鍋屋さんですが、日本にもけっこうお店があって、僕も何度か行ったことがあります。


kaiteirouhinabe.owst.jp


ただ日本で火鍋というのは食文化としてはまだ定着しておらず、どちらかと言えば、日本在住の中国人に好まれてお店が賑わっているという印象です。


飲食店という観点で言えば、マクドナルドやスターバックスは僕もふつうに行きたいと思って行きますし、韓国の焼肉、たとえばサムギョプサルなどは、「実際、牛肉より豚肉のほうが美味しんじゃね」とまで思って好んで行くのですが、火鍋に関しては食としてそこまで好むという感覚はまだないです。


ただ、この本にも書かれていましたが、中華料理というのは定番はあるものの標準化が難しい。料理人の熟練度による差別化がポイントで、チェーン展開や機械化と相性が悪い。対して火鍋というのは、スープは企業秘密というか、独自のノウハウがあるのでしょうが、スープは工場でまとめてつくれるし、あと具材はパターン化していて、それこそマクドナルドのハンバーガーがパンとハンバーグの組み合わせで何種類ものメニューが作れるのと同様に、チェーン展開との相性がいい中華料理だというのは、なるほどと思いました。


中国では人口10万人あたりで火鍋店が40店以上存在していることになる。
ところで、日本の国民食と言っても過言ではないのがラーメンだ。2021年の統計によると、日本でラーメン店の店舗数は約24,000店となっている。ファミリーレストランならば日本全国で7,000店だ。日本ではラーメン店の数は人口10万人あたり20店弱となっている。つまり中国では、日本で見かけるラーメン店の倍以上の火鍋店を街中で見かけるイメージだ。ちなみに日本のコンビニが人口10万人あたり約45店となっているので、中国の火鍋店は、ほぼ日本のコンビニと同じくらいの多さで全国にひしめき合っていると言える。(pp.21-22.)


中国で火鍋がなぜここまで受け入れられているのか? 日本人の味覚感覚ではわからないのですが、海底撈が取り組んでいる多店舗化や機械化というのは、日本でいえば、スシローやはま寿司といった回転寿司業界の競争や取り組みに近いと思われます。


この本には書かれていませんが、海底撈の接客サービスや店の雰囲気は僕も好きですが、スライスされて出てくる肉がすごく人工的なのはいい感じがしません。端的に言えば、回転寿司でお寿司を食べているような気分なのですが、海底撈の火鍋は回転寿司ほどリーズナブルではありません。一度東京駅でものすごく高い回転寿司屋に入ってしまったことがありますが、「えっ!回転寿司でこの値段?二度と来るか!」って思いました。そこそこのお金を取っておきながら、機械化前面推しの食材の提供ってどうなのだろう?という点は疑問に思います。


もしかしたら、中国は食の衛生環境があまりよくないので、人が実際に手を動かして作っているから良いという訳ではなく、むしろ機械によって食材の提供がなされているほうが衛生管理が行き届いていて安心であり、高級感があるという認識が中国人にはあるのかもしれません。



ただ、中国人に「火鍋を食べたい」とリクエストしたときに海底撈を勧めない人もいます。僕も中国人の知り合いと火鍋を何度か食べに行ったことがありますが、勧められたなかでは小肥羊というお店の方が好きです。海底撈と同様にチェーン店だから機械化もかなりされているとは思いますが、海底撈ほどマシンっぽい感じはしませんでした。


hinabe.net


おそらく、日本人が外国人に「お寿司を食べたい」とリクエストされたときに快く回転寿司を勧めるか否かと同様の感覚を、中国人も外国人に「火鍋が食べたい」とリクエストされたときに持っているのだと思います。




このようにいくつかの疑問があるものの海底撈は中国国内では圧倒的な優位性を誇っており、学べる点がとても多いです。もっとも興味深いのは、そのマーケティングというか、ターゲット層の設定とその取り込み方です。


お客は中国の新世代「九〇后」

「九〇后」(ジウリンホウ)

これは中国の世代を端的に表現する言葉であると同時に、その世代を象徴するニュアンスを多分に含んでいる。

中国では六〇后、七〇后、八〇后、と生まれた年が10年きざみでグルーピングされている。それぞれの世代は、育った時代背景、価値観、嗜好、消費行動などが大きく異なっており、八〇后と九〇后を比べても、その差の大きさに驚かされる。

九〇后の特徴は、デジタルネイティブであり、物心がついたころから周りにはスマホタブレット型端末があり、スマホにアプリをダウンロードして自由に使いこなす。中国のソーシャルメディアの代表格である微信(中国版LINE)などSNSを使いこなすセンスも抜群で、メールなどはほとんど使わず、基本的にコミュニケーションはSNSを主流としている。また、中国は世界でも有数のキャッシュレス社会になってきているが、その消費行動やキャッシュレス機能をスマホで使いこなしている牽引役の世代が、この九〇后といっても過言ではない。いわゆる日本でZ世代と呼ばれる世代に近い。

九〇后は、典型的な一人っ子世代である。両親と、祖父母、あわせて6人から、たっぷり愛情を注がれて、ちやほやされることが当たり前として育ってきた世代である。両親は六〇后から七〇后で、それより上の世代よりも経済力をつけているので、子供の教育や衣食住にかけるお金も少なくない。その結果、九〇后の若者たちは、モノの消費に大きな魅力を感じないケースが多い。モノよりも友達とつながっていることや経験型のコト消費に大きな価値を見出すといわれる。腹を満たすために食事に行くというよりは、友人たちや気の合う仲間たちとの人間関係のメンテナンスや拡充に、その主な目的を置いているといえるだろう。

九〇后は、食にもうるさい。小さい頃から、頻繁に外食に連れて行ってもらっているので、さまざまな外食形態をよく知っている。物怖じもしない。九〇后によく響くのは、「あなただけへのカスタマイズされたサービス」というメッセージである。他の人と同じはイヤ。「あなたが最初ですよ」とか、「これはあなたの好みにあわせた仕様になっています」といった提案に反応する。海底撈に来る客の9割が九〇后、またはそれより若い世代と言われている。海底撈の商売はコアターゲットである九〇后を抜きには語れない。当然、海底撈も、九〇后をしっかりつかんで離さず、あの手この手で若者たちを惹きつけるためのサービスを提供している。

九〇后は価値観についても他の世代と異なる。九〇后は空気を読んで消費するのではなく、個性を大事にして、自分のフィーリングにあった消費をする傾向があると言われている。流れに従わず自分流を大事にする九〇后のスタイルは「非主流(フェイジュウリュウ)」という言葉で表現されることもある。(pp.46-48.)


なるほど!


我々も商品開発のミーティングでZ世代を意識することがあります。ただZ世代の特徴はなんといってもデジタルネイティブということですが、我々のイメージとはかなり違います。


僕が学生だったのは90年代後半で建築の学生だったのでよく覚えていますが、当時ちょうどマックが普及しだして、学生が個人でコンピュータを持てるようになりました。僕より10年くらい上の世代(60年代生まれ)までは設計製図の課題はすべて手描きだったのに対して、僕ら(70年代生まれ)くらいからはCADやイラストレータを使って課題を提出するのが主流になりました。


だから僕らが想像するデジタルネイティブというのは、小さい頃からCADやイラストレータをおもちゃやゲームのような感覚で使いこなし、またパイソンのようなプログラミング言語も小さい頃に覚えて使いこなせるようになっていて、大学生になった頃にすでにクリエイティブ感覚が完成しているような人材がどんどん出てくると思っていました。しかし、実際はそうでもないんですよね。


むしろ退化している面もあって、スマホタブレットが進化したことにより、パソコンを使えない、キーボードを操作できないという人が逆に増えてしまったり、何か新しいものを作ろうというクリエイティブ感覚を研ぎ澄ましたり、行ったことがないところに行ってみたいという冒険心をあまり強く感じません。


ただ彼彼女らが情報発信力やコミュニケーション力が優れているというのは確かだと思います。TikTokYouTubeで自らの日常や体験を積極的に発信しています。しかしながら、SNSでバズるような大きな注目を集めることがある反面、炎上など、メンタルをやられる人もしばしば見かけます。


九〇后(Z世代)は「友人たちや気の合う仲間たちとの人間関係のメンテナンスや拡充に、その主な目的を置いている」という山下さんの指摘は、僕も強く感じます。


また中国においては、日本のZ世代にあたる九〇后が消費活動の牽引役ということですが、日本においてZ世代の消費活動がそこまで強いかといえばなんとも言えません。いまだにバブル世代(80年代後半から90年代前半に学生時代を過ごした世代)が一番消費活動が活発だと感じます。


日本と中国のこういった違いも面白いですね。


また中国における世代間の違いというのも興味深いです。


前に『都挺好』という中国の現代ドラマを観たことがあり、苏大强(スー・ダーチャン)という年金暮らしをしている主人公のお父さんにあたる人物が出てくるのですが、この人がわがままだし、デリカシーがなくて、観ていて腹が立つんですよね。



苏大强



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日本でいう老人というのは仕事や子育てをやり終えて、老後を謳歌しようという人もいますが、どちらかと言えば、落ち着いていて、あまり欲深くないし、むしろ孫に何かを買ってあげることに喜びを感じたり、じぶんじぶんという厚かましさはなく、節度があるという感じなのですが、苏大强にはまったく品性を感じないんですよね。


でも、中国人の知り合いに聞いたら「彼は面白い!」という言うんです。中国人にとって苏大强は愛されキャラなんですよね。よくよく聞いてみたら、「彼らはかわいそうという思いがある。なぜなら彼らの時代は貧しかったから」と。


言われてみればそうかと。日本でも戦前と戦後では大きく異なり、戦争経験者や戦後復興に携わった人たちは経済的にも厳しかったし、大変だったであろうと思います。ただ、いま現在は特定の世代に対する思いやりはそこまでないですね。むしろ就職氷河期の我々の世代を思いやってほしいという気持ちがあるくらいです。


中国が経済的に急成長したのは2000年代になってからで、特に北京オリンピック(2008)、上海万博(2010)あたりから勢いがついたという印象があります。中国で働いたことのある日本人に聞いたら、「2010年以前は中国でものすごくいい生活ができたけれど、今はもう物価も上がってきたし、中国人の所得水準も上がっているから日本から行ってもあまりおいしい思いはできないよ」と言われました。裏返せば、中国で80年代、90年代に働いていた人というのはやっぱり大変だったんだろうなと思います。


日本と中国の世代感覚、時代感覚は異なりますし、あと韓国も異なります。同じ10年、20年でも捉え方や感じ方が全然違います。また50年、100年の捉え方、感じ方も異なります。


今、中国で起こっていることを日本人の感覚ではなかなか理解できませんが、中国の歴史、時代感覚に沿って考えれば、分からなくもないです。


中国では六〇后、七〇后、八〇后、と生まれた年が10年きざみでグルーピングされている。それぞれの世代は、育った時代背景、価値観、嗜好、消費行動などが大きく異なっており、八〇后と九〇后を比べても、その差の大きさに驚かされる。


習近平国家主席は、この類別だと五〇后にあたります。五〇后の世代はちょうど文化大革命のころに学生時代を送った人たちです。毛沢東文化大革命で、中学、高校、大学の教育を撤廃したので、この世代の人たちはいわゆる教育を受けていません。坐学より実学をすすめるという福沢諭吉程度ならばまだわかりますが、毛沢東はもっと極端ですよね。中学生から学校に行かさず農村の労働に従事させたのですから。


2022年現在、毛沢東の政治をリバイバルするというのは、我々日本人の感覚からはなかなか理解できないことですが、中国の歴史を遡っていけば、あり得なくはないですし、戦後日本で暮らしていると民主主義が世界中に定着しているように思ってしまいますが、実際に世界を見渡せば、全然そうではないということに気付かされます。






 2022年6月日記

 阪根Jr.タイガース

 阪根タイガース

2022年6月日記

6月26号(일요일)

中国語検定2級



夏の中国語検定終了。



中国語検定2級を関西大学で受けてきました。今回もダメでしたが受けてよかったです。春に2級を初めて受けて今回が2回目。春に受けた感触から2級は手強い、特に听力(リスニング)がまだレベルに達してないことが分かったので長期戦を覚悟しています。


「こりゃ、一筋縄にはいかんなー」


今回は6/5に韓国語のテストを受けた後、3週間しかなかったので合格レベルまで仕上げることはできないと分かっていての受験でした。合格するしないという観点でいえば回避してもよかったのですが、結果的に受けてよかったと実感できました。


まず、この3週間を合格するための勉強ではなく、3週間でできることをやろうと計画しました。やろうとしたのは、


(1) 2級レベルの単語
(2) よくでる慣用句
(3) 問題集の作文パート
(4) リスニングの問題演習(3級、2級)


計画自体は可もなく不可もなくという感じでしたが、う〜ん、モチベーションが微妙でした。テストから逃げたらダメだという思いと、早々に秋に向けた長期スパンの勉強に切り替えたいという思いが行ったり来たりして勉強に集中できず。


また仕事でトラブルが発生したため、その対処法を考えることに頭を持って行かれて勉強が手につかず。ま、仕事をしながらのスキルアップ学習は、あくまでも仕事が優先なので仕事のボリュームが膨らんだり、何か起これば躊躇せず計画を変更。スキルアップ学習までスケジュールに乗せようとするとパンクする恐れがあるので無理は禁物。スキルアップ学習は長期スパンでの人生設計の一貫だし、半分趣味でやっていることであり、仕事との優先順位を間違えると本末転倒になってしまう。できる範囲で努力して進めるべし。


そんな感じで決して満足できる3週間ではなかったのですが、それでも受けてよかったというのは、まずは心理面での効果です。例えばスポーツでもそうですが、部活を引退してしまうと選手にはもう戻れません。試合に出ることを前提にした練習とそうでない練習はもう全然違うから。これはちょっと大袈裟ですが、語学も同様にテストを受けることをやめてしまったらもうダメだなという気はします。


あと良かったというのは、実際にテストを受けてみたら思っていたほどひどくなかったのです。テストもゴルフと同じで万全の練習をして臨みたいのは山々ですが、そんなに十分な時間はないですし、自制心もないので思うような勉強や練習ができず、「これで大丈夫か!?」という状態で臨ことが多々あります。それでも実際やってみたら、案外できたという経験がしばしばあります。


ま、逆もしかりで「全然ダメだった」ということも当然あります。いずれにせよ、自分の実力を測れたので次回へ向けての計画を立てやすくなりました。


今回テストを受けて、リスニングの問題点と対処法が分かったように思うので、そのトレーニングをまずやってみようと思います。あと筆記は勉強すべきことは分かったのですが、「勉強してもできるかどうか分からない問題が一定数あるなー」という認識。ま、これは仕方がないので、やろうと決めたことをしっかり勉強しようと思います。




あと、ここ最近のマイブームを紹介します。



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東大医学部出身の人が、なぜだか知りませんが公認会計士の資格を取ろうとしているらしく、その勉強をしている様子をYouTubeでほぼ毎日10時間ライブ中継しているのです。


これ画期的だと思うんですよね。


子どもに「勉強しなさい!」という親はたくさんいますけど、子どもに勉強させる一番効果的な方法は親が勉強している姿を子どもに見せることです。


僕も進学校に通っていたので東大や京大に進学した優秀な友だちもいますし、あと親が学者の子どもも友だちに数名います。そんな彼らはみんなちゃんと国立大学に進学していきました。おそらく彼らは家で親が机に向かって本を読んだり、数冊の文献や資料を紐解きながら何かを解明しようとしている姿を見ていたのだと思うのです。


僕の場合は両親が推薦で大学に進学していたこともあり、家に受験勉強するという雰囲気がなかったです。今から思えば、高校生のときは勉強するというのがどういうことか分かっていなかったです。


勉強するというのがどういうことか分かったのは大学に入ってからで、それは東大の知り合いに誘ってもらって勉強会に参加してからのことです。


東大や京大に通っている学生はやっぱり優秀で、何が優秀かというと、彼らは勉強しようと思っていないのに、ごく自然に勉強しているということです。誰かが面白い本を見つけたら(マンガじゃないですよ)、友だち数人に声をかけて勉強会を開く。そこで各自が読んだ感想や考えを話して議論する。そうやって難解な文献を攻略してゆく。外国語の本だったら翻訳するパートをメンバーで分担して翻訳し、翻訳してきた文章を読み合わせる。そうやって外国語の文献も攻略してゆくのです。


東大や京大が羨ましいのはこういう営みがごく普通に日々行われているということで、日本の大学で唯一勉強する雰囲気があるということ。早稲田や慶応にも優秀な学生がたくさんいて、一部でこういう営みも行われていますが、学生数が多過ぎて学内が勉強するという雰囲気にはなっていません。僕が通っていた東京理科大も厳しくて真面目な大学でしたが、学校全体が勉強するという雰囲気にはなっていなかったです。


僕は東京理科大出身で、理科大は私立なので、大学受験のときにセンターは一応受けましたが、国立の二次試験は受けていません。科目数の多い国立型受験に対応しきれなかったのです。つまり僕はマルチタスク能力に弱点があります。それで今、マルチタスク能力を自分でテストしていると言いますか、仕事と並行して中国語と韓国語を同時に習得しようとしたり、趣の異なるゴルフのスキルアップもテストしています。ま、物は言いようで好きでやってるだけですけど。。。


それで、この河野玄斗さんというYouTuberは東大理Ⅲに合格した人であり、僕の直接の知り合いで理Ⅲに合格した人というのがいないので、とても興味深く観察しています。彼を観ていて意外だったのは、理Ⅲに受かる人は地頭もいいし、どちらかと言えば天才なのでしょうが、実際によく勉強するということです。


僕は高校時代、気持ちだけは「勉強するぞ!」と気張ってましたが、高3の夏休みでも実質1日3時間も勉強できていなかったと思います。さすがに大学に入った後は、ある程度がんばったので、今だったら10時間勉強したり、本を読むこともできるようになったとは思いますが、彼のようにコンスタントに毎日10時間勉強する習慣は持ち得ていません。はい (汗) 。


勉強には2つあって、こういうスキルアップ型の学習と、プロの学者のように多くの文献を読み漁りながら物事の核心に迫っていく探求型の学習があると思うのですが、いずれにせよ、長時間テクストに挑み続けるというのは、なかなか身につけられない重要な能力です。


僕も彼を見習ってレベルアップを図りたいと思います。


次回のテストは、


11月13日 ハングル検定準2級

11月27日 中国語検定2級


파이팅!加油





6月5号(일요일)

ハングル検定準2級


ハングル検定準2級を受けてきました。



結果はまたもや撃沈!


問題自体はオーソドックスな出題だったので、指定範囲の単語と文法がちゃんと頭に入っていれば解けたと思うのですがダメでした。要するに単語と文法が頭に入りきっていなかったということです 涙。。。


今回の勉強は2月頃からスタートしました。まず単語の勉強を行い、3月末の中国語検定のテストが終わってからは韓国語の勉強に専念しました。週一のレッスンでは100語くらいに分けて毎回単語の小テストを行い、4月末には指定範囲の単語を一通り終えました。5月からは問題演習も行って、5月末から過去問をやって仕上げようという計画だったのですが、ここでちょっと問題が発生しまして....


予定通り、GW明けから問題演習に取りかかったのですが、まず듣기(リスニング)が全然できませんでした。これはある程度予想していたことで、じゃ、필기(筆記)をやろうと問題をやり始めたのですが、問題文はなんとなく読めたものの、4つの選択肢の4つの単語の意味がすべて分からないという感じでした。出題範囲の単語は一通り勉強したので分かっていいはずなのですが、全然わからない。「あれ?おかしいな〜」それで勉強したはずの単語集をもう一度見てみたら、ほとんど意味が答えられませんでした。覚えたはずの単語を100%と言っていいくらい忘れていたのです。


もちろん単語集は何周も周回しないと覚えられないものなので、2周目、3周目もやるつもりだったし、実際5月のレッスンでも1回の範囲を300単語に増やして毎回小テストもしたのですが、とにかく単語が覚えられない。というか、とにかく尋常ではないスピードで忘れていったのです。


これはいかに?


何周か周回するうちに一応の原因が分かったのですが、これは韓国語単語の落とし穴ですね。


韓国語では日本語と語源が同じというか、漢字語と呼ばれる日本と同じ漢字の単語がそのまま使用されています。ただ韓国ではハングルのみで漢字を使わない(国のアイデンティティを守るためにわざと使わない)ので、ぱっと見たら気づかないのですが、単語集には漢字も書いてくれており、発音だけが変わっているということがわかるので、この類の単語は比較的すぐに覚えられます。


しかし漢字語以外に固有語という韓国独自の単語もあって、これがとにかく覚えられないし、たとえ覚えたとしてもすぐに忘れてしまう。この固有語は、動詞・形容詞・副詞にたくさんあって、レッスンの時の小テストでは100語と単語数を絞るのでなんとか覚えられるですが、小テストが終わるときれいさっぱり忘れてしまいます。


それでとにかく、無茶苦茶でもいいから語呂合わせで覚えることにしました。例えば、これは今回の範囲ではない初級単語ですけど、「아직(アジク)=まだ」という単語があるのですが、これを「アジうにはまだ早い」というふうに覚えています。


今回の範囲で言えば、「따르다(タルダ)=つぐ」は「でワインをつぐ」、「비롯되다(ピロッテダ)=由来する」は「ピロティコルビュジエ由来する」というようにとにかく何かしらに関連づけて覚えるようにしました。


当然、こんなことをやってると覚えるのにものすごく時間がかかりますし、なかなかうまい語呂合わせができない単語もたくさんあって、本当に手こずりました 汗。。。


なので5月に入ってからもなかなか問題演習に取りかかれず、リスニングも結局単語勝負なので、ようやく語呂合わせで覚えたような単語を音で聴いてわかるか? 「わかんねーよ!」ということで 終了!という感じでした。




こんな感じで、今回は試験までに仕上げることができなかったのですが、他にも問題が浮上しました。というのは前回ハングル検定3級を受けて合格したのですが、その時仕事が忙しくてほとんど勉強できない状態であるにもかかわらず、ギリギリの点数で合格してしまったのです。そのため準2級以前に覚えておかねばならない単語や文法もけっこう抜けてました。だからリスニングは壊滅的。けっこう重症かもしれません。例えば、


접다 / 좁다 / 줍다 / 짖다 / 젖다 / 젓다


こういう簡単な単語も曲者。ハングルはシステマティックにできているのはいいのだけど、文字の組み合わせが似ている単語がたくさんあって、「どれがどれだったっけ?」というように 分からなくなるのです。だから初級レベルの簡単な単語も馬鹿にできないし、これらの似通った単語の意味がすぐに出てくるようにしておかないとリスニングでは致命的ですね。




以上、言い訳をたらたらと述べましたが、勉強は順調だと思います。今回受験した韓国語のハングル検定は、中国語の中国語検定とよく似ていて、5級〜4級〜3級までが初級で、ここまでは合格点が60点だし、少々できてなくても合格させてあげようという心意気が感じられます。


対して、今回受けたハングル検定準2級、3月に受けた中国語検定2級中級と位置付けられていて、ここからは合格点も70点に引き上げられるし、試験範囲が一気に増えるので、これまでの級をクリアするために必要だった勉強量に比べて、2〜3倍の勉強量が必要だという気がします。


実際に今回ダメだったし、今回の試験範囲の勉強をこれからも続けることは自分にとってもまだまだ吸収できることがたくさんあるし、韓国語が使えるようになるためには必要だと思える内容なので、次は秋のテストを目標にして勉強を続けようと思います。


一通り勉強した範囲のテストをもう一度受けるというのは、なんだか大学受験浪人をした時のような心境です。浪人が決まったときは、あともう1年勉強できるのだから時間はまだまだあると思って、あれもやろうこれもやろうってスケジュールをパンパンに詰め込んだんですね。ところが夏休みをむかえると1学期に手を出したものがほとんど身についておらず、夏の暑さは何処へやら、このまま国立を目指すと総崩れすると全身が凍りついて、2学期からは私立受験に科目を絞って勉強したものの結局仕上げられず、最後は片っ端から受験して、引っ掛かった大学に進学するという、二度と思い出したくない苦い想い出ですね。。。


浪人時代の反省を活かして、今回は勉強する範囲を広げずに秋まで同じ範囲の勉強を続けようと思います。




語学習得のプロセスで検定試験を活用すべきか否かという議論がSNSでもちらほら出ていますが、僕は活用すべき派ですね。そもそも僕自身はあまりコミュ力が高くないですし、外国語以前に日本語ですらあまり話したくないタイプですから、会話中心の勉強なんてムリです。 外国語を学習する目的も、まぁ、話せるに越したことはないですけど、それよりも外国語の本を読めるようになったり、ドラマを字幕なしで観られるようになったり、外国のニュースをそのまま聴けるようになったりということなので。


あと将棋の羽生善治さんがよく言ってることなのですが、彼は小学校二年生だったかな? 将棋教室に通い始めたとき、将棋の一番下の級が10級だったかな?それくらいだったらしいのです。でも小学校二年生では10級でもレベルが高過ぎたんですね。それで将棋教室の先生が、羽生少年が将棋を学べるように14級までつくってくれたそうです。そしたら14級からスタートした羽生少年は級が上がっていくのが楽しくて将棋にのめり込み、どんどんどんどん級が上がって行って、挙げ句の果てに前人未到の7冠を達成してしまったんですね。羽生さんは当時を振り返って、「あれが10級からのスタートだったらすぐにやめていたけど、14級をつくってくれたので、楽しくて続けられた」と再三言っています。


羽生さんは天才的な能力を兼ね備えた方なので参考にならない面も多分にあるでしょうが、羽生さんの将棋と同様に語学の学習もいきなり外国人と同じように話せることをめざすというのは無理があると思うのです。今だと外国のドラマやニュースをいくらでも観られるので、それは観たらいいと思うのですが、それで勉強しようと思ったら範囲が広過ぎて何から勉強していいか分からないですし、勉強が進んでいるのか?進んでいないのか?もよく分からなくて迷走してしまうと思うんです。だから自分を見失わないためにも、自分のレベルに合った検定試験の級の勉強をして、受かったら次の級の勉強へ進むというのが、やはり分かりやすくていいと思います。


ただ検定試験はキツイです。空き時間をほぼ試験勉強につぎ込まないと受からないですから。でも逆に言えば試験がなかったら、やっぱり勉強しないんですよ。ダラダラやるんだったら、検定試験をマイルストーンにして勉強した方がいいかなって思います。



たまたま『韓国語ジャーナル』という雑誌を読んでいて、そこに載っていた마미さんという方の勉強スタイルが、僕が理想とする姿だったので紹介しますね。韓国のドラマを観たりラジオを聴きつつ、検定試験の勉強も並行して進めるという学習スタイルです。



この方は推しの韓国歌手のライブ配信やインスタを翻訳してファンにシェアするということをやっているそうなのですが、こういう方が語学学習者では最強ですね。いい意味で公私混同しているというか、趣味と勉強の境界がないんですよね。


韓国語の検定試験の受験者の95%くらいは女性なのですが、おそらく推しのアイドルがいるか、ダンスか美容関係に興味を持っている人が大半だと思うんですよね。それでテストの平均点が異常に高いんですよ。とくにリスニングテストの点数が高い。


学ぶとはいかなることか?


大学時代、講義にほとんど出ず、ろくに勉強もしていなかったにもかかわらず、大学改革、教育改革とか言ってる政治家なんかより、彼女たちから学べることはずっとずっと多いです。




 2022年3月日記

 阪根Jr.タイガース

 阪根タイガース

2022年3月日記

3月27号(일요일)

中国語検定2級


中国語検定を受けるために関西大学に行ってきました。


関西大学に行ったのは初めてだったのですが、キャンパスが広くて大学らしい大学という感じで、また一般の人も自由に入れるみたいで今日は天気がよかったので小さな子ども連れのファミリーもたくさんいて、とてもいい雰囲気でした。






関大の話はさておき、


肝心の中国語検定2級の結果はいかに!








撃沈!





まずは現実を受けとめねばならない。






テストに落ちるときはいくつかのパターンがある。


(1)勉強が間に合わなかった


(2)勉強する内容がズレていた


(3)実力がなかった



今回はズバリ(3)



まず(1)だけど、昨年の後半は仕事が忙しくずっと工場に出張していて、宿舎の部屋には机がないし寒かったので部屋に戻ったらすぐにふとんに入っていたのだけど、ベッドでは単語くらいしか勉強できなくて、しかもすぐに眠たくなって寝てしまったのでほとんど勉強にならなかった。ちょうど11月のハングル検定3級と12月のHSK5級を受けた頃で、あの時はやろうと思っていた問題集も全然できず、落ちても仕方ないと思っていた。けれども週1回のオンラインレッスンで単語と作文の小テストだけは毎週やっていたので、それだけで運良く受かった。でも合格点ギリギリだったし、10回受けたら7〜8回は落ちていただろうという感じだった。


対して今回は比較的勉強時間を確保できた。1月下旬からテスト勉強モードに入ったし、やろうと思っていた問題集も一通りできた。にもかかわらず落ちた。


つぎに(2)だけど、これはよくやるミス。とくに中国語にしろ、韓国語にしろ、いま現在できないことを勉強しようとしている訳だから、何をやるべきかという判断は得てして間違える。人にアドバイスをもらっても、その人と自分とでは能力や勉強環境が一致するわけではないので間違える可能性は大いにある。


ただ今回はYouTuberのアドバイスを参考に、自分の能力にアレンジして問題集と単語集をセレクトして、その判断は間違っていなかったのではないかと思っている。



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このYouTuberのアドバイスはわかりやすかったので彼が勧めていた問題集と単語集をまずかった。



ただこの問題集はテキストに近い構成で、授業を受けるならいいけど、自習する場合は問題形式の方がいいと思い本屋に行ったら、同じ著者が問題形式の本も出していたので、そちらをセレクトした。また単語集も良さそうだったけど、もう一つ上の級の単語も収録されているようで量が多すぎて間に合わないと思ったので、2級にターゲットを絞った別の単語集をセレクトした。そして実際にやったのはこの3冊。



テストを受けたあとで改めて感じたけれども、このセレクトは間違いなかったと思う。まずレーニングブックという本がとてもよくできていて、ちょうど大学受験予備校の直前講習のテキストのような本で、テストに出ることがほぼ網羅されていた。当然、試験官も試験対策ではカバーできないような問題もいくつか出題してくるけれども、それはもう勉強のしようがないので諦めるしかなく、勉強すべきことはすべて押さえられていた。


またキクタという単語集もけっこうよかった。これまでHSKを軸に勉強をしていたので、中国語検定に沿った編成になっているキクタンは利用していなかったのだけど今回初めて利用した。キクタンの特徴はCDが単語だけをとにかくどんどん言っていくというスタイルになっていて、まあ、完璧をめざすなら例文も一緒に聴いて憶えたほうがいいのだけど、中国語は単語の音を聴いて反射神経的に漢字をイメージすることが重要なので、そのトレーニングには単語だけをひたすら言うキクタンはすごくよかった。


だからセレクトした問題集や単語集には満足しているし、試験を受けたあとも勉強した内容は的を得ていたと実感している。


よって、落ちた理由は(3)なのだけど、中国語検定2級は今まで受けたなかで一番きつかった。これまでHSK4級もきつかったし、そのあとすぐに受けた中国語検定3級もきつかった。しかし、それは別の理由もあって、HSK4級を受けた時は、それまで話せるようになることを最優先に考えた勉強法を採っていたのだけど伸び悩んだので、検定試験を受けながらステップアップ式にレベルをあげていく勉強スタイルに変更したばかりで、テスト勉強に頭がついていかなかったという問題があった。また中国語検定3級を受けたときは、勉強期間が短かったという問題があった。しかし今回はそれなりに勉強できた。にもかかわらず落ちた。


振り返ると端的にリスニング力がまだ合格レベルに到達できていなかった。これは前々からわかっていたことで、これまで飛び級することなく、下の級からちゃんと順番に受けて、テストに受かったらもう一つ上の級を受けるという手順を踏んできたのだけど、中検3級、HSK5級はギリギリの合格点で、HSK5級に至ってはリスニングパートだけを採点したら不合格だった。だから、それを思えばリスニング能力を必要レベルまで持ってこれなかったのは努力不足でもあるけれど、間に合わないのは当然であり、納得できる結果だ。またリスニングができなかった理由を分析するとけっこう厳しい点が明らかになった。例えば、


我昨天跟老板拌了几句嘴,今天工作就丢了。


このようなフレーズが読まれるのだけど、これは文字を読めば、知らない単語もないのでわかる。しかし、"拌"という単語は使いなれていないし、"嘴"が"口"という意味なのはわかるけど、"几句嘴"という言い回しはまだ身につけていないし、"丢"という単語も"失う"という意味なのはわかるのだけど、"ディウ"という発音を聴いてこの漢字がすっとは出てこない。分からないことは聴いているときにノイズとして捨てられてしまうので、いくら聴いても聴き取れない。だから聴き取るためにはあらかじめ知っておく必要があるのだけど、単語力もそうだし、文法というか、様々な言い回しにもっと慣れる必要がある。


要するに


リスニング力を高めるトレーニングをもっと積まねばならないということ。


けっこう時間かかるな、これは....


ただ今回受けた中国語検定2級は、勉強内容自体はすごく手応えがあったというか、もう少しこの内容の勉強を続けてもいいと思わせるものだった。試験内容は、文法知識の総点検という感じであり、リスニングにしてもこれぐらい聴き取れないと、実際のニュースやドラマがわかるわけないよなと思わせるものだったので、これは必ず超えねばならない壁だと実感している。


感覚的には、英語で言えばセンター試験のような感じだ。日本の英語教育は間違っているとよく言われ、確かに研究者や官僚を目指さない人が東大や京大の試験問題をすらすら解ける必要はないかもしれないけど、仕事で英語を使ったり、海外で生活しようと思ってる人ならば、センター試験くらいできないとかなり不自由することだろう。中国語で言えば、中検2級がまさにそんな感じ。


僕の思ってるイメージと同じようなことを話しているYouTuberがいたので最後に貼っておく。この方は現在上海で生活しているということもあって、話している内容がとてもナチュラルな印象を受ける。



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さて、テストが終わったので我慢していた読書を少ししようと思う。



本当はこの3冊を読みたいのだけど、時間がないので、大木毅『独ソ戦だけ読んで、次は6/5ハングル検定準2級のテスト勉強をメインに進めつつ、6/26中国語検定2級のリベンジの勉強も進めたいと思う。韓国語のハングル検定準2級は、中国語で言えば今回の中検2級と同じようなイメージ。とても難しいけれども、ぜひ超えたい関門だ。


열심히 공부할게요!

파이팅!!

 

 


 

 

 

 

 2022年1月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

2022年1月日記Z

1月15号(토요일)

ゴルフのフォームを変えようと思っていて、今まで体の回転で打つ意識は持っていたのだけど、いわゆるライン出しというのができなくて、うまい人複数人に聞いてみたら、インパクトのあと左手の手のひらを返して、右手で狙った方向に押し出してライン出しをすると同じことを言われたから、そのフォームを身に付けようとアイアンの練習ばっかりやっていたら、今度はドライバーが打てなくなってきた。ドライバーの練習もせなあかん。

中国語のテストを3月に受けるのだけど、リスニングが全然ダメなので、こりゃ相当やらんと受からんぞということで家にいるときはずっと中国語のニュースを聴いているのだけど、すると今度は韓国語がちんぷんかんぷんになってきた。韓国語も聴かないとあかん。




ここ2週間くらいは中国語ばかり聴いているのだけど、歴史を遡っていまから2週間ほど前の年末年始は韓国語ばかり聴いていたのであった。今まで韓国の歴史ドラマは全く観ていなかったのだけど、知人に勧められて観たら面白かったので全51話を一気見してしまいました。

オクニョ(옥중화)

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韓国も中国もそうだけど、歴史ドラマはとにかく長くて、1話あたり1時間くらいのが50話とか70話とかあるので観るのを避けていたのだけど、いざ観てみたら、ちゃんと次が観たくなるような構成になっていて最後まで観てしまいました。

ドラマなのでフィクションではあるのですが、ある程度史実に基づいて描かれていて、その歴史上の背景を調べるとなかなか興味深いです。

“オクニョ“には、まず鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)という悪の限りを尽くす権力欲の強い女性が出てくるのですが、この人は韓国三大悪女の1人として実在する人物のようです。最後の最後まで憎たらしいと感じさせる悪女を演じきったパク・チュミさんという女優さんは本当にすごいですね。

あー、こわい、こわい。


それから、どうやら王様のお母さんが権力を掌握して政務を司っているというなんとも不思議な状況が描かれているのですが、これも朝鮮王朝時代に実際にあった文定王后の垂簾聴政という歴史上の事実のようです。


また主人公のオンニョ(ハングルの表記では옥녀(オクニョ)だけど発音のルールで鼻音化するので発音はオンニョ)や明宗(王様)が手を組む“大尹派”と文定王后やその弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)ら権力を握っている“小尹派”が対立するのだけど、これも史実のようです。

“大尹派”と“小尹派”の対立で面白いのがその思想の違い。“小尹派”を手なずけている文定王后がややオカルト的なところがあり、例えば自分の息子である王が自分の意向に背く行動をとった際、その行動に自分はショックを受けて精神的ダメージを受けたのでご飯を食べられないという姿を見せることで王に反省を促したり、あるいは弟である尹元衡の失態を断食することで償おうとしたり。

対して、ドラマのなかでは好意的に描かれている“大尹派”は世の中の実情を考慮して合理的な策を立てるといういかにも儒教思想らしい振る舞いをみせます。

“大尹派”と“小尹派”の対立というのは、儒教思想儒教)と老荘思想道教)の対立かと思ったのだけど、史実的にはどちらも儒家の一派であり、ただ文定王后は仏教を篤く信じていたことから仏教に対する保護政策をとっていたらしい。


このあたりが韓国のドラマを観ていて面白いところです。韓国ドラマのプロデューサーは社会的な評価が高く、日本で言えば宮崎駿さんのようなアニメ作家や小澤征爾さんのようなオーケストラの指揮者、あるいは建築家のようなトータルに物事をつくりあげてゆく力のある人、すなわち技術だけではなく教養もかなりあるように思います。だから単なるエンターテインメントというように観るのではなく、細部も気にして観る価値が十分にあるでしょう。

韓国を学ぶときにやはり儒教思想というのはすごく気になります。儒教の影響が社会や文化にどのように出ているのか。大雑把に言えば、「韓国=儒教国」「日本=仏教国」と言えますが、そもそも仏教が日本に入ってきたのは百済からですし、日本でも近世にもなると儒家がけっこう出てきて、新井白石荻生徂徠などは徳川の政治体制にかなり影響を与えています。

中国・韓国・日本を考える上で儒教の広がり、あるいは仏教や道教との関連性というのは探りたいポイントです。




1月5号(수요일)

HSK 5级


12月に受けた中国語試験HSK5級の結果がわかりました。

199点。胸を張って喜べる点数ではないのですが180点以上が合格なので一応合格です。できれば听力,阅读,书写のすべて70点以上の合計210点以上で合格したかったのですが、ま、良しとしましょう。

やはり听力が弱いですね。これはHSK1級を受けたときからずっと感じています。中国語の文字は簡体字ではありますが日本語と同じ漢字なので読むのはそれほど苦ではないです。しかし発音は日本語の音と異なるので、音を聴いて漢字を思い浮かべるというのがなかなかスムーズにいかないんですね。

たとえば中国語を全然勉強していない人が“ベイジン”と聴いて”北京”をすぐに連想できるか?ってこと。さすがにHSK5級くらいまで勉強していれば、ベイジンはすぐに連想しますけど、未だに”ナイリャン”と言われてすぐに”奈良”をイメージできるかと言えば、「はっ?どこそれ?」感がまだまだ抜けません。

とにかく中国語をもっと聴き続けるしかないのですが、なんか中国人ってイメージほどハキハキとは話さないんですよね。みんな中川家を見習って、広東語訛りのわかりやすい発音で話してくれたらいいのですが...

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中国語のドラマといったら“都挺好”をよく勧められます。

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中国では時代劇が多いのですが、このドラマは現代の中国の家族を描いたドラマとして評価が高く、「中国の家族ってあんな感じだよ」とよく言われるし、現代的なアレンジがうまくされているドラマのようですが、なんかずっと喧嘩ばかりしていて観ていて全然楽しくないんですよね...

あと中国で有名な女優さんの姚晨が出てくるのですが、姚晨の発音ってすごく聴きづらいんですよね。これを中国語の先生に質問したら、中国人的には聴きにくいという感じはまったくないようです。

イメージ的に中国語=中川家=広東語。これってジャッキー・チェンの映画の影響かなって思うのですが、吹替版も含めて中国人って抑揚の強い話し方をするというイメージがついてしまっているのですが実際はそうでもないなと。

それよりも日本語にない、zh(i)、ch(i)、sh(i)、r(i)というそり舌音があって、これがこもったような音がするのですごく聴きづらいし、自分でも少し話すようになってわかったのですが、いつでもこの音を出せるように口が準備していると、全般的に音がこもったような感じになっちゃうんですよね。姚晨の話し方がまさにそんな感じです。



対して于莎莎という女優さんの発音はイメージどおりですごくわかりやすい。

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この”世界青年説”という番組もよく勧められるのですが、これは面白いです。いろんな国の人が出てきて中国語で議論するのですが中国語がみんなとてもうまい!

それにそれぞれの国の特徴も感じられます。たとえばタイ人はやっぱり中国語がうまいんですよ。タイ語も声調があるのでタイ人は中国語を無理して覚えた感がないです。

あと欧米以外でイラン人がよく出てくるのですが、これは中国の特徴ですね。中国のニュースを観ていたらイランやアフリカのニュースがけっこう頻繁に出てくるんですよね。中国はアフリカにすごい投資しているし、中東やアフリカが常に視野に入っているという世界観が強く感じられます。

対して、戦後の日本は世界といえばほぼほぼ=アメリカなので、日本人のいう世界はすごく狭いし、逆に日本人には世界が見えていないということに気付かされます。

はい、いろいろ思ったことをテキトーに話しましたが、もっともっと中国語の番組を観ないとあかんなと思った次第です。

 

 


 

 

 

 

 2021年12月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

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12月5号(일요일)

HSK 5级 / TOPIK Ⅰ


中国語試験HSK5級を受けてきました。手応えは悪くはなかったのですが听力(リスニング)がやっぱりダメでした。听力はHSKのどの級を受けるときもそうなのですが、言っている内容は全然聞き取れないのだけど、単語に山を張ったら回答はできるということで、過去問を繰り返し解いていれば、なんとなく合格点が取れるようになるのですが、先月のハングル検定3級の試験前くらいから仕事が忙しくなってきて、過去問を解く時間が確保できなくなってきたんですね。それで昨日久しぶりに過去問を解いたら前回よりも点数が下がって、「これはヤバい!」と思って、今朝听力のパートだけ2回分やったら最低限取りたい点数が取れて、それで本番に臨んだのですが、なんだか裏をかかれたのか?単語を聞き逃したのか?「あれ、わかんねーや」って感じになってパニックとまでは行きませんでしたが嫌な汗をかきました。

ま、これは悔しいというか、ダメな時は仕方がないので、ダメだったらまた受けたらいいというだけです。その他、阅读(読解)书写(作文)は前回よりはできました。これは9月に落ちてから、単語と短文作文の練習だけを続けてきたのですが、その成果が出たのだと思います。結果はなんとも言えないですが、ひとまずHSK5級の勉強は終えてよいかと思います。

さて、次の目標ですが、HSK6級を目指すか、中国語検定2級を目指すかですが、僕は後者を選ぼうと思います。HSK6級は現状では最高レベル(英語でいえばセンター試験程度と思われる)で、単語をさらに2,500語覚えねばならないのと书写が要約作文になるので書く練習をかなりやらねばならないのですが、HSK5級の勉強と変わらず、単語を入れて、作文の練習をして、あとは過去問をひたすら解くという感じになると思います。

対して、中国語検定は1級がとびきり難しくて、準1級もそこそこ難しくて、2級がHSK6級よりも少し簡単くらいみたいなのですが、HSKとは問題の傾向が全然違うんですね。リスニングは言ってることをちゃんと聞き取れないと回答できないのでHSKより難しいし、読解も文法や単語の細かい知識を問われるので、ちゃんと勉強していないとなかなか点数が取れません。

それで今、ちょっと文法の知識が怪しくなってきている感もあるので、ここは中国語検定2級を経由してからHSK6級に挑もうと思います。

今年を振り返ると目標だったHSK3級、4級、(5級は結果待ち)、中国語検定4級、3級をクリアできたので順調に来れたと思います。

という訳で、次回のテストは来年3月27日(日)中国語検定2級となります。




10月に受けた韓国語試験TOPIK Ⅰの結果がわかりました。


2級に合格しました!


やや時間がかかっていますが、今年の目標だったTOPIK Ⅰ、ハングル検定4級、3級をクリアできたので順調に来れたと思います。もちろん「韓国語を話せますか?聞き取れますか?」と問われたら、「できません」と答えざるを得ないので0か100かで言えば、0ですが、その間のレベルを着実に登っていると思います。

いや〜、まぁ、語学というのはそう簡単にはいかないですよ。

むかしアメリカのニュースやドラマをもっと気軽に観れたら英語もすぐに話せるようになると思っていましたが、そんなことないですよね。韓国ドラマなんか観まくっていて「海街チャチャチャ」イカゲーム」も全部観てますど、ドラマの聞き取りと実際の韓国語の聞き取りってなんか違うような気もします。

それにつけてもイカゲーム」はけっこうショッキングな内容ですね。資本主義の原理をパロディーにしたような内容ですが、人間の醜い面が随所にでてきて、「パラサイト」と同様に、構造的に、原理的にいろいろと考えさせられました。

さてさて、なんの話や? そうそう韓国語の次の目標ですが、こちらも中国語と同様にTOPIKⅡではなく、ハングル検定準2級を目指そうと思います。問題の傾向が韓国語試験も中国語試験と同様で、韓国の団体が主催しているTOPIKは実用的な内容で、日本の団体が主催しているハングル検定は単語や文法の細かい知識をチェックされます。

しかもTOPIKⅡは中級と上級の試験が一体になっているので、初級を終えたばかりだと難しすぎて消化不良を起こしそうなのです。なので4月のTOPIKⅡは回避します。

という訳で、次回の韓国語試験は、来年6月5日(日)ハングル検定準2級となります。

 

 


 

 

 

 

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11月14号(일요일) today:0h // 今月 中国語:0h / 韓国語:0h / ゴルフ: 0h / 読書:0h

ハングル検定3級


ハングル検定3級を受けてきました。ハン検は問題冊子の持ち帰りがOKで解答も即日発表されるので早速自己採点しました。


듣기(聞き取り) 22/40点
쓰기(筆記)   40/60点
合計       62/100点


60点以上が合格なのでギリギリ合格でした(汗)。

ただ80点くらい取れていれば、もうこのレベルは大丈夫と言えるのですが、60点前後は要復習です。ハン検3級は4級と問題の難易度はさほど変わらない。ただ単語が800語くらい増えるので、単語さえ勉強すれば受かるだろうと。スケジュール的にもTOPIK1を10月に受けたあと1ヶ月くらい時間があったので十分だと思っていたのですが勉強の予定を全然消化できませんでした。兎にも角にも単語がなかなか頭に入らなくて、過去問をやる時間がなくなってしまいました。

語学を勉強する上で単語の暗記は必ずぶち当たる壁ですが、韓国語はそれが顕著です。韓国語の単語には漢字語と固有語という2種類があって、漢字語は日本語の単語がそのまま韓国語の読み方に変わるだけだから覚えられます。

たとえば「結婚」を韓国語では「결혼」「キョル・ホン」発音は連なって「キョロン」になりますけど、日本語で「ケツ」と読むのが韓国語では「キョル」、「コン」と読むのが「ホン」に変わるだけなので発音もなんとく似ているし、法則もはっきりしているのですぐに覚えられます。

対して、動詞、形容詞、副詞に多い固有語は本当に覚えられない。言葉のイメージも全然違うので語呂合わせもできず、何回覚えてもすぐに忘れてしまいます。例えば色の単語。赤色は「빨간색」(パルガンセク)。색は漢字語で色なので「セク」は覚えられますが、そこ以外は覚えられない。「パルガン?はっ?なんで赤がパルガンやねん?」って感じで全然ダメです。ちなみに黄色は「노란색」(ノランセク)、青色は「파란색」(パランセク)、白色は「흰색」(フィンセク)、黒色は까만색(カマンセク)。イメージがわかなくて覚えられません。

がんばるしかないですね 涙。。。


あと、一応初級レベルを終えたので、これまで勉強してよかった本を紹介します。

(1) 「あっという間に読めちゃうハングル」

YouTubeとか見てたら「ハングルは2日くらいで読めるようになりました」と言ってる人がけっこういるのだけど、確かに最近電車の駅名表示などでちょいちょいハングルも出てくるのだけど、ハングルを読もうと思ったことがない人がすぐにわかるかと言ったらなかなかわからないですよ。それに初級のテキストには必ずハングルについての説明がありますが、説明があっさりしすぎててわかりません。

そんななか、この本はハングルの読み方をとても親切に教えてくれます。語呂合わせなんかも紹介してくれて、日本語の感覚から韓国語に入っていけるように導いてくれます。また韓国にあるハングルの看板なんかを紹介してくれていたので韓国語の世界をイメージしやすくしてくれました。


(2) 「韓国語初歩の初歩」

語学に限らず数学でもそうですが「初めは極力うすいテキスト(問題集)をやること」という学習の鉄則があるので、それに従って本屋でなるべく薄い本で読みやすそうなのを探しました。似たような初級テキストがいくつかあって、僕はこれを選びましたが、おそらくどれでもいいのだと思います。肝心なのは薄い本であるということ。

この本は韓国語のさわりだけで、単語、あいさつフレーズ、簡単な文法フレーズが載ってるだけですが韓国語の全貌をうっすらと見せてくれます。特に発音の法則なんかはなんども忘れるので、そのたびにこのテキストに戻って勉強しています。ま、この1冊を覚えるだけでも大変です。


(3)「できる韓国語初級Ⅰ,Ⅱ」

この本はYouTubeでも勧めている人が多くて、韓国語を勉強する人の鉄板的存在ですが、実際によかったです。ただ、あとで説明しますけど、僕はこの本の存在を知らなかったので、ほかのテキストを経由して「できる韓国語初級」はⅡだけしかやってません。しかし、今から思えば「韓国語初歩の初歩」が終わったらすぐに「できる韓国語初級Ⅰ」をやればよかったと思っています。

この本は語学を勉強するときに一般的によく体験するスタイルで編集されています。要するに各章「簡単な文章」がまず出てきて、そのなかで「新しい単語」が出てきて、「新しい文法」が少し出てきて、それを全20〜25回のレッスンで学んでいくというスタイルです。

このスタイルは教える側の都合もあると思いますが、学ぶ側としても一番バランスがよくて効果的に学習できます。僕の経験上、いったん検定試験をターゲットにした勉強を始めると単語と文法フレーズを覚えて、あとは過去問題をひたすら解くという勉強スタイルになります。これはインプットとアウトプットを繰り返すので知識の定着にはいいのですが、文章を読解するのと音読することが決定的に不足します。そのため僕は韓国語の文章をまだすらすら読めません。だからテスト勉強にシフトする前は、文章でしっかり勉強するのがいいなって思います。

ただ検定試験は目的が明確であり、過去問題を解く時にアウトプットの能力を試されるのですが、「できる韓国語初級」を勉強しているときはインプットが中心となりアウトプットが不足していたので、このテキストだけではやはり知識が定着しませんでした。また1回のレッスンで単語と文法がちょろちょろ出てくるのでテキストを終えるまでまとまった知識が得られないという問題もありました。しかしながら、この本を最後まで終えさえすれば、韓国語の基礎レベルを網羅できるので、あとは復習を徹底して全体像を掴んでいけばいいのです。しかし途中で挫折してしまうと身につけた知識も体系的に整備できていないので、まったく使い物になりません。とにかく最後までやりきる忍耐力は必要です。


(番外編1)「韓国語 文法トレーニング」

「韓国語初歩の初歩」を終えたあと、僕が実際に勉強したのはこのテキストでした。なぜかと言うと「韓国語初歩の初歩」は単語やフレーズをちょこちょこと寄せ集めたお子様ランチみたいなテキストなので、ある程度のまとまり、体系を勉強したいと思ったからです。それで文法のテキストを1冊と単語集を1冊買って勉強しました。

この時、僕が期待した文法のテキストというのは英語で言えば「英文法標準問題精講」、今なら「Next Stage」ですかね? 要するにこれ1冊やっておけば大丈夫という文法テキスト(問題集)の韓国語版を求めていたのですが、韓国語にはそもそもそれに相当する本がないんです。

というのは、韓国語は語尾変化が日本語以上に多く、とてもじゃないけど網羅しきれない。だから文法の全貌というのが把握できないので、文法本にまとめる際には割り切りが必要なんです。それでこの「韓国語 文法トレーニング」は割り切りすぎて基礎文法が網羅できていなかったので、このあと「できる韓国語初級Ⅱ」をやる必要がありました。また文章がなくフレーズだけだったので非常に覚えるのにも苦労しました。

YouTubeでもこの本をすごく推してる人もいるし、内容的には悪くないので、この本がフィットする人もたくさんいると思いますが、僕はこれをやるならば「できる韓国語初級Ⅰ,Ⅱ」をしっかりやればよかったと思っています。


(番外編2)「韓単語 BASIC1400」

「韓国語初歩の初歩」を終えたあと、基礎レベルの単語集として僕はこの「韓単語 BASIC1400」を選びました。この本も内容的にはすごくいい本なのですが、何がきつかったかといえば1400単語というのが多すぎたんです。実際、あと少しで終わるというところで打ち切って、検定試験の勉強に切り替えて、検定試験で必要な単語だけをまずは覚えるようにしました。

頭のいい人は単語集は使用せず、授業やレッスンで扱った文章で出てきた単語をその都度覚えればいいというのですが、僕にはこの勉強方法はできません。少しずつ勉強していくとはいえ、全体的なボリュームが把握できないと僕は作業を続けられません。だから僕にとって単語集は必須のアイテムですが、単語集を勉強して効果が出てくるのは2周目、3周目と周回するようになってきてからです。その段階で初めて定着率が上がってきます。だからいくつの単語が収録されているかというのはすごく重要で、基礎レベルなら800語前後が適正だと思います。

だから単語集についても「できる韓国語初級単語集」をやればよかったと思っています。これは「できる韓国語初級」のテキストで出てくる単語を「単語集」にまとめたものなので単語の勉強が二度手間にならない。そういった意味でも繰り返す回数を増やせるので、こっちをやればよかったと思っています。

ただハングル検定3級を終え、基礎レベルを終了した時点から見れば「韓単語 BASIC1400」に出てくる単語で戸惑うものもないですし、分量的にもきつくないので、僕はこれを基礎レベルの単語の復習に今後も使用していきます。


(ハングル検定対応)「ハングル能力検定試験完全対策」

ハングル検定の勉強ではHANAという出版社から出ているこの問題集と単語集がよかったです。あとは値段が高かったですけど、過去問題をやるのが良かったです。過去問題はテスト勉強ということもありますけど、リスニングの能力チェックとレベルアップには有効だと思います。

TOPIK1については「できる韓国語」のシリーズの「新・合格できる韓国語能力試験 TOPIK1」がよかったです。他にもやりましたが、あるテキストは模擬試験の問題が実際の試験より難しすぎて、逆にやらない方がよかったというものもありました。あと、TOPIKも過去問題集が一応売ってるのですが、解答だけで解説が付いていませんでした。すごく勉強しづらかったです。

だから自分の韓国語のレベルアップを図るためのマイルストーンにするならばハングル検定の方がTOPIKよりもいいのですが、ハングル検定は年2回しかないのでスケジュールが合わせにくいという問題があります。対してTOPIKは春夏秋と年3回あるのでスケジュールが合わせやすくリベンジもしやすいです。一長一短です。

 

 


 

 

 

 

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