今、面白いドラマは「MAD MEN」か「中学生日記」

松本人志の放送室」がない今、笑いを軸に青臭くてもなんでも「論」にして語ろうとする「東京ポッド許可局」の存在が大きくなっていると思う。ただ、「第101回“しんぼる”論」では「教育テレビのドラマ」が少し揶揄されていた。今、面白いドラマは「MAD MEN」か「中学生日記」なのに。先日放送された「仮面親友やってます!」は個性の尊重と趣味(共同体)を超える連帯を描いた秀作。
ワルキャラ、アニメオタク、イケキャラ、フツーキャラ……とどこかのグループに属し、キャラを演じることが求められる学校の窮屈な日常で、それに違和感を覚える別のグループの生徒同士が引かれ合い──という話。最後、ドラマのテーマになっている曲をライヴハウスで演奏するという難しいこともやっている。それにしても「あの子、アニメオタクと本の貸し借りをしていた。本当はオタクだったんだ」と「フツーキャラ」グループから仲間はずれにされるとか……。http://www.nhk.or.jp/nikki/ura/index_re_main.html


ところで「東京ポッド許可局」が「放送室」の代わりになるかというと微妙な話。「放送室」を初めて聴いたときは、ほとんど雑談なのにきっちりと会話が噛み合っていることに驚いた。さすがに何十年もの付き合いがあると違うのかもしれないし、何年も続くと新鮮味が薄れてきたが、それにしてもこんなにも無駄がなく、それでいて窮屈でもなく、しかも笑いになっている雑談が何十分も続くものなのか、と。この二人に比べると阿吽の呼吸が欠けているせいか、「東京ポッド許可局」は意見が一致しないことが少なくない。いや一致しないこと自体は別に問題ではないのだけど、どのように一致していないかがきっちり詰められていないことがあり、それがちょっと居心地が悪いんですよね。青臭いとはそんな意味でもあり、裏を返せばリアルということで……。

夏休みのある日

私が小学校6年のころの話。
当時は携帯電話なんていう便利なものはなく、
友人と連絡をとるためには固定電話、
いわゆる家電(いえでん)を使うしかありませんでした。

夏休みのある日、私は友達の家に電話をかけました。
電話に出たのは母親でもなく父親でもない子供の声。
私は彼に「もし暇だったら一緒に遊ばないか」と誘いました。

落ち合う時間と場所を決め、電話を切り、いざそこで待っていたらびっくり。
現れたのは友達ではなく友達のひとつ年下の弟だったのです。

彼も「おかしいなあとは思ったけど、俺も暇だったから、べつにいいか」と思って来たとのこと。
もともと間違えたのはこっちだし、どうしても兄貴でなければ困るということもなかったので、その日は弟と一緒に遊びました。

  *  *  *

TBSラジオ小島慶子キラ☆キラの8月の放送で読まれた46歳男性のメール。テーマは「間違えた!間違えられた!ひと違い劇場!」。いい話だー・゚・(ノ∀`)・゚・なんだけど、伝わるかな? どちらかというと宇多丸に引っぱられて聴くようになった水曜日のキラ☆キラだけど、小島慶子みたいな漢(おとこ)がTBSにいることに驚いてます。宇多丸の意外に繊細なおばさん的感性とも合っている。ストリームをiPodで聴くようになったことから始まり、今やけっこうAMラジオリスナー。ケンドーコバヤシのテメオコも好きです。

『大日本人』と『しんぼる』

大日本人』は疑似ドキュメンタリー風に撮られたヒーロー特撮もののパロディであり風刺、つまり既存の文化や歴史をふまえているという意味で、意外にもまともな映画だった。一方、『しんぼる』は宗教的なヴィジョンを衒いもなく見せた、私生活を映さないプライベートフィルムのようなものだから、通常なら大規模に公開されるような作品ではないでしょう。それでも松本人志作品である以上、そういうわけにはいかないのだとしたら、皮肉な話。主演が松本以外で、さらに監督名も伏せられていたら、もっと作品自体が注目されるんだろう。口コミで広まったら面白い。
でも、雑誌やWebのインタビューでは、たしかに自分が出なければ楽だが、そもそも(名のある)役者を立てることにも違和感を覚えるし、なにかと面倒な気がする、というようなことを言っているので、今後もそういうことはないのかもしれない。とはいえ、他人に演技をつけるのは苦手ということは、たんに自分が出ないで作品が成立すること自体に馴染んでないだけということにも思えるんですが……。
ちなみに今日はシネマハスラーのお題が『しんぼる』なので、その前に指摘したいのが、これ。「ウルトラマン的な造型のヒーローをアメリカの象徴に見立てるのって(えっ、あれってそういうことだよね?)、どう考えてもズレてる」。いや、沖縄出身の金城哲夫の企画・脚本による「ウルトラマン」シリーズにおいて、ウルトラマン在日米軍地球防衛軍自衛隊だから、『大日本人』の松本の狙いは正しいんですよ。成田亨によるウルトラマンのデザインは仏像をモチーフにしていますが。シネマハスラー自体は生放送では珍しいガチンコ批評としていつも楽しみにしてます。
[追記]
シネマハスラーを聴いた。「30分以上の長尺に向いてないのではないか」「無声映画というわりに言葉のニュアンスに頼っている」「メキシコのシークエンスに見応えがない」など、概ね同意。ただ、尺の問題については、たしかに『しんぼる』はそもそも90分にすべき企画なのか疑問だが、かといって松本人志が90分の作品に不向きなのかどうかは分からない。それから「壁から出てくるものが、日本的なものばかりで全然外国向きではない」という指摘は少しズレている。たとえば普遍的な食という意味で、鮨ではなくハンバーガーかなんかにすれば問題解決かといえば、それはそれでまた別の文脈を背負うことになるからだ。というか文脈を背負わないものなど存在しないのだから、適度に日本的なもので正解だろう。それに鮨と醤油の組み合わせなんて、だれにでも理解できるはず。あと、例の「6巻」は、たしかにどこかで使えそうなのだけど、「あのとき欲しかったのに今ごろかよ」というパターンの笑いは醤油のときにすでに使われているので、あえて控えたんじゃないだろうか?
ともかく、松ちゃんと映画が出会ったとき、どんな化学反応が生まれるのだろうか、と期待する人間は多いはず。だが、両者は水と油のように混じらないまま、あるいは少なくとも未だ適当な距離が見つかってないように見える。実際、本人やスタッフが「新しい」とか「無声映画」とか言っても、あいにく映画を知り尽くした人の発言というより、余計な一言のようになってしまっているのだ。とはいえ、もちろん、そんなギクシャクを含め、あの松っちゃんが映画に挑戦すること自体がエンターテインメントであることは間違いなく、次回作にも期待しちゃうんですよね……。

記者会見開放しないのかよ、民主党!

(1)
J-CASTニュース:首相記者会見「オープンにする」 鳩山政権「公約」破り、ネット「締め出し」
http://www.j-cast.com/2009/09/16049793.html

(2)
J-CASTニュース:ネットメディアは引き続き「締め出し」
http://www.j-cast.com/2009/09/15049680.html

(3)
山口一臣の「ダメだめ編集長日記」
新聞が書かない民主党の「公約破り」
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/09/post_90.html

(4)
ビデオジャーナリスト神保哲生オフィシャルブログ
なぜ記者会見がオープンでなければならないのか
http://www.jimbo.tv/commentary/000573.php

(5)
朝日ニュースター上杉隆神保哲生
民主党記者クラブ開放公約を反故に?!(ダイジェスト)
http://www.youtube.com/watch?v=3giK2W7Ivbo#watch-vid-title

(6)
記者クラブ維持キタ━(゚∀゚)━!!】マスコミが鳩山首相の会見からネットメディアなどを締め出すのに成功
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1253090952/l50

(7)
J-CASTニュース:記者クラブという「鎖国」制度 世界の笑いものだ
連載「新聞崩壊」第1回/フリージャーナリストの上杉隆さんに聞く
http://www.j-cast.com/2008/12/30032953.html

(8)
民主党の「記者クラブ解放」方針、早くも暗雲垂れ込める
http://unkar.jp/read/tsushima.2ch.net/news/1253015505

(9)
民主党記者クラブ開放公約を反故に?!(ダイジェスト)
http://www.youtube.com/watch?v=3giK2W7Ivbo#watch-vid-title


以上、民主党の重大な「公約破り」はじまる 許すまじ! - MIYADAI.com Blogより

その時は その時 他に考える事がいっぱいある
その時は その時 他に考える事がいっぱいある
楽しい事を いっぱい考える
嫌いな事を 楽しい事が食べる
楽しい事も 嫌いな事が食べる
そしたら どんどん大人になる*

人生はただ理不尽。合掌。

『肉の唄』と『喧嘩商売』

このマンガ、もっと売れてもいいと思う。発行部数は知らないが、『ヤンマガ』の連載はあいにく打ち切られ、『別冊ヤンマガ』に移ることになった(らしい)からだ。プロレスは総合格闘技のような強さを追求する競技ではなく、それを飲み込むような虚実皮膜の発想を必要とする高度な芸術である──という理屈はだれでも分かるはず。でも、この時代、そのことを十分納得できるような成果を目の当たりにしている人は少ないんじゃないか。

肉の唄(1) (ヤンマガKCスペシャル)

肉の唄(1) (ヤンマガKCスペシャル)

肉の唄(2) (ヤンマガKCスペシャル)

肉の唄(2) (ヤンマガKCスペシャル)

自分はぺつにプロレスファンというわけでもないんだけど、総合格闘技こそ純粋で、プロレスは嘘という図式が定着しそうな風潮には抵抗を覚える。『喧嘩商売』は『肉の唄』とは別の角度で、その図式的な考え方自体の嘘くささを明らかにしていると言える。この作品は「最強の格闘技は決まってない」という命題を何度も繰り返すように、ルールなきガチンコを描きつつ、つねにそれを相対化し、しかもギャグも切り捨てない。マンガ好きの人はあまり話題にしないようだけど、週刊誌において、マンガ特有の嘘くささ、というか、いかがわしさを、これだけ濃厚に漂わせている作品は他にないと思う。それにしてもギャグマンガ家として有名な作者が、なぜ突然、喧嘩を題材にしたのだろうか。
喧嘩商売(16) (ヤンマガKCスペシャル)

喧嘩商売(16) (ヤンマガKCスペシャル)

『サマーウォーズ』

2時間近い上映時間をまったく長く感じなかった。恐ろしくテンポよく、スルスルと話が進む。逆に、この抵抗感のなさに不安を覚える人もいるのではないかと心配するくらいだった。
実際、話はいたってシンプル。春のアニメフェアでは「勝つ」ということが強調されていた*。これはポロッとこぼれたような発言ではなく、用意されたものだろう。そんなふうにオチを明かすのは最近の映画業界では珍しいことだと思う。軌道修正したのかどうか、その後のプロモーションでは、そんなアピールはしていないようだけど、ともかく堂々と単純明快さを強調できる作品であることはたしかだった。
単純であれば、それだけディテールが問われるものだけど、この作品には繰り返し見たくなるようなきめ細かさと躍動感があふれている。「時かけ」のような叙情性を期待すると失望するかもしれない。でも、王道であると同時に、設定的に、よほどの自信がなければ取り組めない野心的な企画だと思う。中盤、転調を告げるように挿まれる逆光・横移動のショットは川島雄三ばりに美しく前衛的ではないかとも思った。