[無機質]

 

いろいろな記憶があって、どれもどれも、振り返ったときには「あれは嘘だったんだなな」と思う、そういう悪いループがある。嘘じゃなかった記憶がなければ、今何かにとりくむとか、そういうことも、「ほねとかわのように」なっていく。

一年と3カ月、禁煙を試みましたが、駄目でした。

今日コンビニに買いに行って、帰りに、毎日コンビニと家との間しか移動していなかった時期が、すごく幸せな時期だったんだな、と、ほろりとした。

そこには、安心があった。煙草やめられなくても、あの空間の記憶があるから、生きていけるように思った。

たばこやめられなかったら、死んでしまう、とか、なんだか笑えてくる。

メンタルが弱いときに、強くなりたいと思ったときに、弱いことを愛さなくてはだめだ、と教えてもらったが、ちょっとだけそのことが分かったように思う。

今日は一日吸います。

明日挿絵の締切だけれども、向上心とか、克己心とかじゃなくて、リラックスして、絵がもう一枚かけるといいです。

 

 

 

念珠の話

[日々]

悪が自分の中にあって、夢に現れる。

ヒトラーになっている夢を見た。ヘイトスピーチをしている団体に、自分がいつ入っていてもおかしくないような気がする。このことを、信頼する友人に言ったら、幸せになるためにあがけない奴が幸せになれるはずがない、と言われた。

普遍の生命について、絵の先生が語っている。私は、そのことについてよく考えもしないで、僧侶になってしまった。苦しくて、何かひとのためにも、自分のためにもできないと気付いて、そうしたら、苦しいを自分のやり方としてやりなさいと言われた。言われたのは心療内科の主治医に。

どんなに苦しくても、それが私なのだ。

そうしたら、誰も、私を支配しようとしてこないことに気づいた。

支配されなかったら、だれのことも、攻撃しない。

偏見を持って、見なくていい。

それは明るい心のチカチカだった。

そうしてしばらくして、私が書いた文章に、レゲエが、普遍の生命を生きるあきらかな方策であり、道であるというような、表現をとって、意識されたことがある。私は、無自覚なままそれを絵の先生に見せたが、普遍の生命というものは、命がけのものだ、君は自分のこともわかっていない、と叱責された。

生きていけないくらい、罪が深いような気がした。絵の先生のことを、自分と同一視したことの罪、自分の問いが、形をなしてはいない、未分化な罪。

諦めて、煙草を吸って、レゲエのライブに行ったあと、また夢を見た。

私の妹が、彼女の同級生の死に、救えたのに救わなかった、見殺しにした、という設定になっていて、殺された彼女は、私をレゲエにつながらせてくれた、尊敬する友人のかつての妻であったという夢だった。彼女の生命に従うその人は、復讐のために、私が不幸になって、孤独の中で責任をとるために、牢屋につながれるために、私とつながっている。

私は、性的に支配されている。そうしてそれは、私の、自己愛を、罰するため。

何が悪なのか。

私が、機会を生かさなかったこと、救える命を救わなかったこと、人を死なせたこと。

私は、殺すのである。

僧侶になると決めたとき、たくさんの切り立った山があって、その一つ一つに、人が上っている。ある山に、禅宗の僧侶がいて、わたしのために、数珠を切って、玉を一つ抜き、祈っている。

私の信仰とは、切れた念珠なのだ。

煙草を吸うことで、人が一人、死ぬのである。私の息は、死んだ息なのだ。

やりたくなくて、やっていることなどない。

時間はない。

おまえは存在が悪である、そうして、だから、小善を積んではならない、とまた夢に言われる。

[日々]

ライブ会場で似顔絵を描いている。

プレシャスなもの、を、色々な事柄の中に見る。

ある人が「あんた何にもいいところないなあ」と、言って、「生きたいやろ」と言って、2000円でスケッチを買ってくれた。

「美しい」は「鬱」「苦しい」だと思う。と言った人がいた。

恩恵は、誰に返せばいいのかわからない。

美術館でのデッサンと近代絵画の実技が3年半になろうとしている。先生の権威に、ついていくのかと、レールに乗るのかと、悩んだのが半年前で、描きたいという気持ちには、陰りがあった。

今いる環境を、作為で、変えることはしないで、自分の力で、どこまでできるか考えた方がいいような気がして、ここにいる。

人に頼ることに、怯えがあったのかもしれない。

人から学ぶことに、怯えがあったのかもしれない。

自力で何かすることが、意味があると、思いこんでいたように思う。

でも、頼ったり、学んだりすることは、非常にテクニックのいることであって、赤ちゃんのように無力でいては、できないものだと最近わかった。

今日は美術館にヨガの先生が来ていた。バウハウスのウォーミングアップの運動の名前を教えてもらった。邪念をなくす、美術館は日常を持ち込まないことである、と教わる。

多分、文化というのは、相互依存的に併存するので、単体で文化なのではないと思う。

私が、苦しいを自分のやり方としてやりなさいと言われた話をしたら、その助言は、苦しいに対してジャッジしないことだ、と言われた。

苦しいを自分のやり方でやる、ということについて、それが価値とか、力であるように思っていたので、受け流された気がして拍子抜けしはしたが、自分が無力なのが嫌なだけで、腹を立てる筋ではないと、帰宅した今は思っている。

ジャッジしないことについて、楽に生きられるようになる、とか、自分の身体が変わると自分に起こる現実が変わるとか、それは、想定される法則ではあるので、楽になってはならない、とか、あまり考えないで、ヨガの先生のことも、いいところを見て、苦手がらないように、したいと思う。自分の周りに起こることを、いいことにするのは、自分の責任、みたいなことを、面白く聞いた。

瞑想には、新月瞑想会でしたことがあったけど、それが無駄だったかと、辛かったけど、文化は単体では存在しないのなら、美術館というグループの中で、個として有為なことができるように、しようと思う。

環境に、感謝しようと思う。

僧侶であるとは、奪う人であってはならないということだと思う。

色々な共同体から、いたたまれなくなって離脱したが、奪う人であったことが、その理由であったように思う。与える人でいつづけるために、努力する義務がある。

 

立憲民主党に取り入れていただきたいと希望する政策があるので、是非次の文章をお読みください。

人は価値というものから人は自由になることはない。そしてそれは、比較と競争を原理とする教育によって、堅牢なものとなっている。

人は、価値のあるものを知って、どのようにするか。手に入れたいと思う、学びたいと思う、リスペクトしたり、自分がその助けになったり、したいと思う。さまざまである。恐ろしいのは、価値を目の前にして、自分の無価値を感じることである。無価値であってもかまわないと意思できる人がいるだろうか。

教育において、あなたは価値がある、ということと、外側の社会に、価値のあるものが存在する、ということは、同時に教えられているだろうか。個人的な経験だが、あなたに価値があるということは、学ぶ機会をもたなかった。

無価値であると感じた人間が、比較と競争にさらされている間に身につけることは、結果を出すこと、ひとにとって有意味であることを、証明することである。このため、自分の価値を高めることにすべての労力は費やされる。

すぐに結果をださなければならない、その最も強力な手段は、記号的消費によるものである。金銭を払って、有意味な記号を自己に身につけることにより、人にとっての自己の価値は上昇する。これがお金によって支配されるということ、価値によって支配されることである。

できないことがあったときに、もう一度やってみよう、と思えないのは、プロセスが価値のないものとみなされるためである。

このことは、権威主義となって、日本の多くの組織の中に病のようにはびこっていると思われる。自己の価値を高めることが至上命令となったとき、価値のあるもの、力のあるものに、その価値を保証してもらうことは、リスクの少ない方法だからである。公文書改竄などは、そうして生じているのではないだろうか。

消費者であることは、常に自分の価値を他者依存的に作り続けることでもあり、そこにはハートとマインドの分離がある。ハートがマインドの優位にあることは、容易になされない。生産者であることは、作るためにマインドを使うことであり、それは、脅迫的に自己の価値を高めようとするためにマインドを使うことからは、離れている。

現代社会において、生産者であること、つまり労働者であること、これは賃労働として多くのひとが行っている。生産することは、ところが、消費に依存しており、売れるものを生み出すことによってしか、生産者とはなれない。

生産者であること、労働をすることは、何に依存するものだろうか。労働の尊厳である。

一番の生産は、コミュニケーションという形をとる。エノ・シュミット氏は、ベーシックインカムの提唱者だが、対人的労働は、本質的に対価によってなされるのではないと言っている。

人口減少社会にあって、需要の規模は縮小し、売れるものを作ることによる、経済の好循環は成り立たない。したがって、需要の規模を拡大することを企図する、立憲民主党の分厚い中間層の復元という政策は、別の方向に舵を切るべきではないかと私は考える。

大阪選挙区より立候補した亀石倫子氏の自由についての考えを、政策として実現することを希望する。

彼女が述べたのは、社会への信頼を回復することだと、私は思っている。自己の価値を高めるための、労働ではなくて、労働の尊厳のための労働が、保証される社会であることを、強く願う。

お金という価値が、労働を支配することを停止し、労働が、それ自体として機能する社会の実現のために、ベーシックインカム導入を政策として検討していただきたい。

貧困対策として提唱されることの多いベーシックインカムだが、世代間の対話や、相互理解をむことが、提唱者エノ・シュミット氏によって提言されている。分断された社会から、有機的連関のある社会への信頼の回復として、実現を望むものである。

そしてそれは、ハートのマインドに対する優位性を確保された社会への実現でもある。

 

できないこととできること

 

お寺のことについて、画塾の先生にうまく言えなかった。

何かすることがあって、できたふりをしたら、自分を苦しめる。自分を苦しめたら周りを苦しめる。これは人から聞いたことばだが、ほんとうに、できていない状態が続いている。

問題なのは、仏の道、というものがあるとして、それが、行っては戻りつつする自分の行為の連続を、断続的にちらちらと照らすなにかではなくて、ほんとうに、私がそこをゆくのだと思うのかどうか、なのだ。

画塾の先生に言えたことは、前回は、仏教上の真実は、想定だけどあると思う、ただそこに至るのに、仏教者になることでアプローチすることではなくて、生きることで、アプローチできるのではないか、ということ。これに先生はそうだと言った。

そうして、お寺を継いだら経営上のことが解決する道を示され、私のことを子どもなんですね、と言われた。

今回言えたのは、お寺を継ぐことに、重荷に感じることがあること、だった。関心がなかったらやっても仕方ない、と言われたので、ここは全く強制のない世界なんだな、と海に入っているときのような気分になった。

学校に入ることが、恐怖で仕方がない。ので、何を恐れているのかといえば、集団というものの秩序が、もたらす理に適わない力というものについて、だ。個人でいられることが、私にとっては、仏の道を行こうが、そうでなかろうが、意味を持つ。

ギリシア思想が、私にとって意味があるのではないか。

ひとの内的な働きを、想定して、そしてこれは想定なので洞察ではない、ばらばらにして、裁定して、断片で、自分の身を建てようとすることに、意味はない。

ひとは、常にそこにいるものだ。

私の中に、人間の、すぐれた状態はすぐに滅びゆくと感じる感覚があって、私がすべてをそのようなもの、そのような程度のもの、と判断するのはこの感覚によるのだろうと思う。

だから、頑張らない。

真剣にならない。

碌なことはない。

画塾から帰るとき、喫茶店に寄ったら店員さんがすげなくしてくれた。

私の精神状態をよく分かっていると思う。

帰ってきてもう一度電話して、似顔絵を描いているので、それが形になってから、お寺のことは考えたいと思います。と伝えた。是非考えられるのがいいですよ、と先生は言われた。

恵まれた環境にあるのかもしれない。

書いてしまったら、実現できていないことが、実現できなかったことになりはしないかと、恐れていたけれど、
去年の8月23日に、師匠として仰いでいる知人が会いに来てくれたことを書きます。
画塾の遠藤先生が、父の郷里の富山に来られて、お寺の跡継ぎのことで、私はもみくちゃになりながらも、アテンドしたのだけれど、自分にとっての普通ができていないのに、仏門に入るとか考えられないというと、仏弟子として、君は煙草をぎりぎりまで我慢することだ、と言われて、私は、そうした。異国の地で、伯母に言われた寺に訪ねていくという翌日も、そうだった。私にもこんなことができるんだと、嬉しくて、行く途中の城端線で自分の写真を撮ったりした。
師匠としている知人は、その写真をいいと思ってくれたのか、それは誰にもわからないけれど、富山から帰省した私に、大阪に来る予定があるので、タイミング合えばコーヒーでも飲みましょうと言ってくれた。
バスの到着時刻になっても、バスから降りてこないのを見て、なかばパニックになりながらも、バス停と行く予定だったカフェとを行ったり来たりしているうちに、別のバス停についていると電話があった。
カフェで、ほらここを行く人のうち、何人が絵本描いたりできると思う、と聞かれて、やっとのことで外見からは分からないといった。
本当に、私を信頼してくれたのか、なんなのか、不明ではあるけれど、置き去りにしてさきに行ってしまうようなことは、一切されずに、お寺の跡継ぎのことも、経営者になればいい、と言って、それにプロデューサーとクリエーターと両方しなくてはいけない、と言ったら、それを世間では経営者という、と言われた。
最近、知人の講演を主催しなければいけなかったので、お寺のことは、後回しにしようとしていた。
再開、ということが可能なのかどうなのかは、わからないけれど、本を読むことが、再開であるなんて、消えては生まれる人の縁を考えたら、甘いことだとしか言いようがないのだけれど、再開できたらいいと思います。
悔いが残るとすれば、朝食のあと、用事をして、昼食が一緒にできたのに、奢れなかったことだ。
なんの業なのか、考えてしばらく過ごしたが、解決に向かう節はない。
彼の、さちあさん騙されないよね、と言った目の透明さが忘れられない。一度、木版画にした、あの目と同じ、と、私は思えたのだった。
それだけで、パトロンになってしまうには、勿体なすぎる体験だった。
思った通りの人だった、と言ってくれた。
握手をして別れた。

1515491361*新しいこと

もうずっと、長いこと、両親にとって私は謎だった。謎として生まれたからには、答えを出さなければならないと生きてきた。でも、謎だとして見たいなら、そうすればいいし、そうし続ければいい。自分の理屈や、知性を総動員して、この謎の答えとはこれです、と見せるのはもう止める。
私はあなたのかけた謎ではありません。感覚し、認知し、行為する一人の人間です。
お正月だから、そんな気分になっているのかも知れません。