タイマー


たまたまデスクにあったタイマーを、10分にセットしてスタート。
この間、外からの刺激に対してとにかく無反応になり、
10分というリミットある時間内で何が頭によぎり、
何を文章化するかという絞り込みを行い(あるいは行わず)、
文章化したものをどう推敲するかトライしてみたら面白いかも
しれないとちょっと思ったので、2分前にスタートボタンを押した。
ここまで、2分。


ひとつ息を吐くだけでふと見ると15秒は軽く過ぎている。
追われているというのはすごいもので、
たった今この瞬間のことを自分で客観的に(というかただの素の実感として)捕らえようとすると、「何を書こうか」と考えるというよりも、脊髄反射的にキーボー尾をたたいているのみ。

果たして脳みそのすみっこで気になっていることをほじくり返してみると、浮かんでくるのはあと50分ほどでやり終えたいこまごまとしたしごとの残り切れ端たちだったり、天気がいいから(あれ?昨日は「大きな傘」が必要だと天気予報のお姉さんが言っていて、大きな傘とはどれ位以上のものを指すのかと笑いながら話していた記憶があるのに)銀座までちょっと歩いていってお買い物したいなあ、とか、ちょっと行き過ぎた大人気なさでプレゼントしてもらった32型TVで映画を見たいが何がいいかな、とか、今晩のごはんは何にしようかなー買い物もいかないとヨーグルトがないなー、などどなんだかそういうようなことが雑然と脳みその後ろの方でうごめいていて、トータルとしてもそっとした焦燥感のようなものになっている。


ここまで書いて残り2分半である。


一切読み返しはしていない。
本当はこないだからちょっとした偏りのある本を読んでいて、それについて書きたい。書きたいが、今は手元にないのでかけない。帰ったら書こうか。素敵なタイトルのあの本について書こうか。実はかけないのは手元にないからではなくて、内容を十分に咀嚼しきれていないから自信がないことからきているのは自分の心の奥ではわかっているんだけど、なんだかとても大事な本な気がするのでちゃんと書きたいな、と思う。

ふと、会社の後輩(男)に彼女ができたという話を思い出す。よかったなあ。

そして、10分。ちーーん。

はだかにする。


「あなたを、日本を、いまを、ヌードする」という一文が書かれた紙がある。
ジェイヌードという。タリーズとかツタヤにおいてあるフリーペーパー。
これが実際に私と日本と今をはだかにしているかというと甚だ疑問だが、それはともかく紙面はなかなかあっさり読めるがコンテンツもちゃんとしていて、活字中毒者からするとなんとなく手頃で時々もらって帰る。今回のにも目を通していると、おもわず心を見透かされたようなものが。
映画紹介のコラム。作品は、ニコラスケイジ主演の「バンコック・デンジャラス」。以下冒頭からの引用。
モト冬樹に似ているせいか、日本では微妙な扱いのニコラス・ケイジだが、オスカー俳優の彼は、アメリカ本国ではだれがなんと言おうと二枚目スターである。(以下略)」

・・・その通りだ。
ついこの間、同居人と「ニコラス・ケイジはなにがいいのか?そもそも二枚目なのか?!」という話をしていたところ。
そうか、ワレワレがそう思うのはニコラス・ケイジモト冬樹に似てることを無意識に感じ、それすなわちカッコイイとはほど遠いと潜在的に結論づけているからだった!
そうか、ワレワレがなんと言おうとニコラス・ケイジは本国ではモト冬樹と似ていることなどだれも問題にしないのでカッコイイのだ!
わかっていたけどスパン、と冒頭言い切っているのが至極スッキリ!だった。


それにしても棒弱無人な映画評(?)である。
行間に伝わってくるのは「(本国では二枚目の)プレイボーイ・ニコラスは、新作で結構まじで相手役に惚れてしまったのでは?→だから演技もオスカー級(だって本気)」、というメッセージ。こういう映画評の方がやたらと内容が気になるのがフシギだ。
広告をする人たちは、もっとこういうことに寛容になった方がいい、ほんとに。
お仕着せのおべんちゃらではもはや興味は持ちにくい。



やっぱりこの紙面はどう見ても私と日本と今をはだかにしていないのだけど、先週末と今週末にこころがはだかになる(実際足ははだしにもなってたかも)気持ちのいい、時間があった。
友人たちのウェディングパーティー。新郎新婦ともに、仲のいい友人。
先週の0次会は、前代未聞の代々木公園でフリーダム運動会。
昨日の披露宴は、伯爵という名前がつくから(だけ?)で決めたという文化財の建物にて。

本当に楽しい、嬉しい体験というのは、ことばにはならない。
はだかになった心が、あたたかに満ちあふれ、いつまでもうれしさにふるえているのだ。

みんな、きっと二人にありがとう!!って思ってる。
そんな会だった。

遅咲きの・・・


火曜日に地元の駅からの帰路についてすぐ、家路を急ぐ会社の先輩に会った。
最初の曲がり角も、次の細い道も、Y字路も、どこまでも一緒。
結局数百メートル位の距離かもしれない、位のご近所さんだった。
駅から家までの間、小学生のようにわいわいと話しながら帰宅する20代が
どれだけいるだろう、と思ったらおかしかった。


翌日。
帰宅途中の乗換駅で、隣の駅に住むO君(ほろ?酔い)に出くわす。
電車を待つ間、乗ってから、とわいわいと話す。


思えば半年前にルームシェアを始めてから、朝の出勤前に
人と会話するようになった。
「おはよう」
「今日燃えるゴミだっけ?」
「洗い物やっとくよー」
「りんごむいたけど食べる?」
そして、極稀に、家を出る時間が一致すると駅までの道を話しながら歩く。
まるで、小学生の登校みたいだ。


遅咲きの、小学生気分。


年末年始の帰省中、Nintendo DSでFF4をせっせとやっていたら、
兄がたっぷりの皮肉を込めて私のことを遅咲きのゲーマーと嗤った。
昔はマリオの最初のくりボーであっさり死んでいたから、笑うのもわかる。

この年齢で「それはどうかと・・・」という気分なんだろうけど、
少なくとも家の周りの「地元」に、小学生の時のように
一緒に歩ける人がいるのは、いい「遅咲き」だと思う。

汐留ミュージアム:「村野藤吾展」


〜10/26(日)
10:00より18:00まで(入館は17:30まで)
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/08/080802/


日生劇場
世界平和記念聖堂
千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎)
グランドプリンスホテル新高輪
谷村美術館
・・・

スタイルが規定できないほど、柔軟でいつも「somthing new」。
施工主99%、そして「1%の村野」。その1%が燦然と輝く、戦後から今も新しくあり続ける上質。
常に斬新、なのに正当で襟を正した印象。
それでいて堅苦しくなく、暖かく、しっとりとして、色気がある。艶っぽい。


なんだ、このすごい日本人。


と思う圧倒的な彼の、模型やスケッチ、実際の図面を目前に見ることができる。
93歳まで矍鑠と仕事を続け、幸せな建築を作り続けたこのしなやかさ。

「5分間ミステリー」★★★☆☆

5分間ミステリー (扶桑社ミステリー)

5分間ミステリー (扶桑社ミステリー)


本屋で見かける。


わーーーーー と叫びそうになった。
いや、実際叫んだかと思う。


懐かしい!!!
小学生の時に愛読した、ミステリー本である。


そういえばこんな面白い本があったなあ。と。


37つの事件、
探偵気分で解くことができる。
そんな専門知識、知らないよ・・・とぼやきたくなるものもあるのも、
また一興。

「GOTH」★★★☆☆

GOTH 僕の章 (角川文庫)

GOTH 僕の章 (角川文庫)


同居人の蔵書。


2008年10月にもなって、漸く乙一の本を初めて読んだ。

この人は、賢い。
なんというか、からくりがぴちっと効いていて、ちょうどよい。


それでいて、なんか薄ら寒いようにな怖さも兼ね揃えている。
ライトに読めて、ぞわっとなれて、ミステリーとしても
ふーむ、なるほどねえー と思えるので、面白かった。


どうでもいいことだが、ようやく という漢字のもつ感じが好きだ。