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僕は彼の話を書こう。7月になくなった彼の話を。
連絡が来たのは7月も終わりに近い日曜の午前中で、僕はそれから終日のバイトに行く予定だったので、お店の人に話してランチだけ出勤して通夜に行った。たった一行で済んだが、2年分ぐらいの心労だった。近くに住んでる彼女の実家から、彼女のお父さんのスーツを借りて、彼女の運転する車で斎場まで連れて行ってもらった。もう何も出来なかった。
彼は僕と大学一年からの付き合いで、大学で最初に出来た友達だったし、結局最後まで一番仲の良い友達だった。つまり彼がいなくなったことで、僕は生涯で一番の友達を失ったことになる。信じられないことだが、あれからもう5ヶ月が経とうとしている。
一番の友達とは言っても、彼は僕の2歳年下だったので、実質僕の方が少し彼に対して威張っていた。少しではなく、随分だったかもしれない。僕は彼より多くの種類の音楽を知っていたので(或いはそう思い込んでいたので)、彼にあれやこれやと音楽を聴かせた。彼はそのいちいちに反応しては、CDを次々増やしていった。
僕らは美大に通っていたので、卒業する時には作品をガッツリ出さなくてはならない。僕は大きめのポップでコンセプチュアルなインスタレーションを作り、彼は大きめの油絵を2点出した。僕の作品は賞候補に上がったが(その賞は「優秀賞」と言って、130名強の生徒から4人だけ選ばれる)最終段階で洩れ、研究室賞という次点を受けた。一方の彼はといえば、正にその「優秀賞」を受賞した。今から思い出そうとすると、その時の僕は不思議なくらい嫉妬を感じなかったような気がするのだが、でも実際にはわからない。何せ僕は初めて本気で総てのアイディアと力を注ぎ込み、その結果自分がどれだけ貧困な存在であるかを思い知ったほどに頑張ったのだから。でもとにかく、彼は優秀賞で僕は研究室賞だった。そして二人とも大学院は受けずに、それぞれ適当な方向へ流れた。
僕らは卒業してからも結構近くに住んでいた。だから、事あるごとに互いの家へ出向いて酒を飲んだ。僕らは学生の頃からそうして飲んだが、そのペースが少し落ちる以外はしばらく変わらない感じだった。
でもいつからか、付き合い方は薄くなってくる。それぞれが、それぞれの共有されない困難を抱え始めるからだ。普通だ。あまりにも普通すぎる。僕らはそれぞれの困難をそれぞれに処理しながら、ビールを飲むのも年に数回程度になるほど変わっていった。
僕も彼も小説の中の人物ではないから、日々何かしらの事件があるわけではなかった。たまに会って酒を飲んで近況を報告したところで、芳しい話題が提供できるわけでもなかった。出てくるのは、昔聞いた音楽家が今はどうしているか、昔読んだ小説家の本を今は読んでいるか、最近買ったCDは何か(「あまり良くなかった」「そう」)、仕事はどんな調子か(「つまらない」「そう」)、冴えない人たちの冴えない時間。
1年が経ち、2年が降る。24だった僕は29になった。22だった彼は26になった。僕が2,3キロ程新宿寄りに引っ越して、まだ自転車で行き来できる距離ではあったが、それでも付き合いが随分なくなった。時々近況を電話で話したが、会うには至らなかった。お互い忙しかったのだ。彼はラーメン屋に通う趣味を極め、やがて飽きた。僕はペンキ屋の仕事がなくなり、近くのレストランでバイトを始めた。年に3回でも会えればいい方だった。
年が明けて春が過ぎ、僕は30になった。彼は27だった。僕らの年の差は、2歳になったり3歳になったりした。連絡を取って、久しぶりに飲むことにした。僕らはそれぞれの冴えない人生の中で、自分たちにしかわからない大きな苦難を乗り越えたり敗れたりしていた。小さくて目立たないけれど、明らかに残った傷もあった。いつものようにビールを飲みながら、それをあまりうまいとも思えないまま、ダラダラと話した。お腹がいっぱいだった。以前なら、もっと飲めたのにと思った。まだ30だったけど、まだ27だったけど、僕らは十分疲れていた。疲れながら、あまり良いと思えない音楽を、すでに飽きているのに惰性で聴いていた。時間だけがビュンビュンと耳元を過ぎていた。僕らは酒を飲むと、4時過ぎまで飲んで別れた。
ところで僕にはもう一人だけ、友達と呼べる人がいた。それは予備校の頃からの知り合いで、最初は彼が現役で大学に入るまでの本当に短い時間しか付き合いがなかったのだけど、その後僕がペンキ屋のアルバイトをしてる時にたまたま「現場」で遭遇して、それから付き合いが再開した人だった。その人は大学に入った当初からうまの合う女友達がいて、見たところ彼女と付き合いたいと思っているようだったが、再会した時にはもう(まだ)付き合っていた。僕はその人とその彼女と時々酒を飲んだ。僕はその人を数少ない友達の一人だと思った。
でも正直に言って、それは彼との間にあったほどの強い繋がりではなかった。そのことを、僕は彼が死んでから初めて知った。それは勿論、人間性の優劣とかそういった話ではない。でも少なくとも僕は、彼を失ったことによって、どうやら一番の友達を亡くしてしまったようだった。
村上春樹の『ノルウェイの森』で、主人公が愛する女性を亡くして感傷の旅に出る場面があるが、僕はこの場面を何度も読み返した。そこで描かれている場面は、猛烈な憐憫に満ちている。石川忠司による『現代小説のレッスン』でも似たような指摘があるが(P110)、おそらくこんなことは実際にはほとんどない。ないが、このような心情は間違いなくあるし、ある種の人々にはこの手の場面が必要なのだ。当時の僕はたったの3日ぐらいだけ、深い穴に叩き落されたようだった。顔を上げれば彼の顔を思い出した。音楽を聴くことは彼に直結したのでまったく聴けなかった。ふとした弾みで胸を何かが突き上げて、具体的に痛くなった。それが続いた。わからないことについていつまでも考えた。痛みには耐えるしかなかった。頭を低く下げて、大風が過ぎるのをただ待つように。
CDを作ろうと思うのだけど、と彼の彼女から聞いたのはそれからしばらくしてからで、彼が生前作っては溜めていた音楽を集めてCDの形で友人に配りたいのだと言った。僕はそれを今手伝っている。ライナーも書く予定だ。でも、一体何を書けば?それがわからないから僕はこれを書いている。ライナーに書かれることは、僕が考えていることのほんの一部になるだろう。だから、裾野である「僕が考えていること」をなるべく広げておかなくてはならない。僕はいくつもの過去を確認する。彼と何を話し、何を飲み(ビールだ)、何を食べたのか。何を聴いて、何を聞いて、何を訊いて、何を見て、何をしたのか。これは、何かの残務処理なのだろうか。或いはそれとは別の、何か。

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mog1032005-11-21

 ふと思ったのだが、ソクラテスの言ったことなり考えた事が今この時代にまで残っているというのはどういうことかと言うと、ソクラテスという強靭な槍投げの選手の投げた槍が、この時代という名の地面に突き刺さっているということなのではないだろうか。構造として。
 ソクラテスについて言えば彼の生きたのは紀元前4世紀頃というから、長々2400年もの間、彼が飛ばした槍は飛び続けている。しかもおそらくそれは、まだまだこれからも飛行し続けるのだろうから恐ろしい。
 どうしてこんな事を考え始めるのかというと、つい数年前まで真理のように扱われ、実際自分もそうだとして扱っていた風潮というものがあったとして、今となってそれを信じていたり良いとしている人を見ると馬鹿だなーと思う私が、一方では「馬鹿に出来るのだろうかその人たちを、馬鹿に出来るのだろうかかつての私を」と思ったことがきっかけである。説明を進めると、その上でさらに僕は「いいじゃん、馬鹿にしたって」と思った。先人たちの知恵や遺産を、後世に生きる僕らは好きなだけ馬鹿にしてよいのだ。なぜなら、人間の歴史などというのはたったの300万年ぐらいのもので(アウストラロピテクスさん達から数えてだけど、というか「地球の歴史が1週間なら、人類の歴史はわずか1秒あまり」だそうだ→http://spaceinfo.jaxa.jp/note/shikumi/j/shi04_j.html宇宙航空研究開発機構JAXA)提供)、そんなのは地球がこれまでに過ごした悠久に比べればわずかに過ぎず、その地球の年にしたって宇宙が過ごした百数十億年に比べればケシ粒にも満たない。そして必然の帰結として、そのようにして遡った果てにある「時間の始まり」を実際には全く説明の出来ない僕を含めた総ての人間が、馬鹿にされ得ない真理を言い当てられるはずはなく、何かその瞬間には「凄い!」と思われたファッションなり思想なり芸術があったとしても、後世に残らないことを悪いことだとする理由などどこにもないと思うに至ったということが大きい。
 言い換えれば、恥かしくって良いのだ。数年前に良しとされた髪型と服装が今見て恥かしいものだとして、それは人間ごときのやることなのだから仕方がなく、ということはそれら髪型や服装を断罪したところで断罪者は全く後ろめたい思いをする理由はない。勿論、被断罪者にあっては言わずもがなである。
 などと言うとそれはまるでルサンチマン(恨み)の塊であるところの僕が開き直る理由を声高に自分にのみオルグっているようだがそういうのでもなくて、ただ僕はその話の流れとして、そんなに人間の歴史がちっぽけなものであるのだとしたら、日本から見たブエノスアイレスのごとき真反対にあるようにさえ感じられるほど昔の人間、たとえばソクラテスなどといった人も、宇宙の歴史規模の時間軸を用いて考えることで、つい3分前に道の向こうで会って別れたばかりの知り合いのごとく身近な人間として考え想像することが出来るのではないかと思い、またその自分の思いつきに非常に安心を感じたのである。
 ソクラテスに僕は生きてるあいだに実際にお会いすることは出来ないが、しかし同時に友達や家族のように彼を想像する余地はある、ということを僕はこれまで一度だって考えたことはなく、彼がいつ生まれていつ死んだのかということさえ知らなかったのだが(当たり前だ)、そのくせ自分は彼と間違いなく異なる存在だと、端から決め付けていたのが面白い。それは普通だが、面白いのだ。
 そしてまた、そんな身近な存在であるのだとしたら(たった2400年前に生きていただけならば)、彼の言ったことを僕が知っているという現実は決しておかしな状況ではないのと同時に、もっとたったの(もっとたったの)2,3年前に起こったある種のことが、蔑みの対象にしかならないということが面白い。それは、つまり「耐性」の問題だ。
 ソクラテスの言ったことは遥か2400年の時を経て未だに錆び付くことなく耐性を保っているが、数年前の流行が今となってどれだけ馬鹿らしく見えることか。おい、カリスマ美容師って何だ?戦争って何だ?
 思うのだが、ソクラテス君に出来たことなら僕らの内の誰かにも(と言う時の「僕ら」は「僕が生きている内に出会える誰か」という意味だが)、今後2000年を経て幾星霜、どこまでも飛び続ける耐度の高い思考のアーチを描く槍投げが出来るのではないだろうか、普通に。
 と、ここでようやく登場するのが先日『大谷能生フランス革命』第4回のゲストとして登場した岸野雄一氏で、僕はこのイベントをより豊かに聴講するために少ない時間を縫って岸野さんのサイト内bbs総ての書き込みを読んだけど、この方の投げている槍はかなり遠くまで飛ぶだろうと思う。それは件イベント主宰の大谷さんにも勿論言えようことだが、そうして考えていくと未だに僕の日々やっていることなんて足りない足りない。という、このような「日々の営みを充実させることを常に考えましょう」的な話は、より薬理としての純度を高めたスティーブ・ジョブスさんのこのスピーチ→http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.htmlでも読んでラリって頂くのが(本気で)一番良いと思うのでそっちはジョブスに任せてこっちの論を進める。
 このエントリーを通して僕が言いたいのはしかし、「特別な人間になろうよ!」といったことではまるでない。そうではなくて、人間の考えたり言ったりやったりしたことというのは、これまでちょっと想像したことなかったけど、「2400年以上の時を超えて後世に伝わる」可能性を常に孕んでいる、という事実である。
 ここは個人的に言ってかなり面白いところなのでもう少し細かく進めるが、例えば「特別な人間になろうよ!」という煽りを、上からの流れを補足して言うと「君も、岸野さんやソクラテスのように特別な人間になろうよ!」となるのだが、ずばりそんな事を言うのは間違っている。と言うのは、岸野さんやソクラテスのようになりたくないというのではなくて(なりたい)、また、特別な人間になりたくないというのでもなくて(なりたい)、特別な人間というのは、そうしたすでに名のある人たちばかりではないという意味で、間違っている。
 初めて火をおこした人の名を、ウニが食べられるものだと教えた人を、フリース製品を日夜改良する人の名を、僕は知らない。知らないが、それらは多くの人間に永く継がれる遺産を与えた特別な人たちであり、彼らの投げた槍は見えない先まで飛行する。
 さて、そもそも僕がこのようなことをふと考えたのは、実は昨日観に行ったsimのライブ中にもずっと頭にあった、このところずーっと僕のメイン命題としてある問題の流れにあるのだが(simの音楽性はその問題とリンクしないではないが、ここでは単に「そのぐらいずーっと」という意味で挙げました)、その問題は何かというと、

1)時間をどこまでも遡って行くと、果たして宇宙に始まりはあるのか?あるのだとすれば「その前」が必然的に召喚されるが、ないのだとしたら(実感としては、「今」が永遠に続くように思えるので「ない」気もするがしかし)、それは証明が出来ない。証明が出来ない上に立つ現実なんてあるのか?
2)また、人間は必ず死ぬが(経験的、常識的に)、にも拘らず、どうせ死ぬのに、誰かが(主に僕の好きな誰かが)何かを一生懸命やるのはなぜか?

 といったことであり、しかもとりあえずの結論がライブ後にしばらくしてついに出たのだが、このエントリーは随分長くなったので、続きはまた別のエントリーに書きます。というか、本当はそちらの方が僕的にはメインの問題なのだが。で、ここで書いたことはもしかするとあらためてもう一個のブログの方に転載っぽく書くかもなのでその際はリンク張ります。
 関係ないけど東大菊地ゼミ講義録最新版も毎日更新してるのでよろしくです(本当に関係ない)。→http://note103.jugem.cc/

第2回革命のレポート註釈を進めるためのはてなだったけど、あまり詳細には立ち入らないままエントリーが進んでいて、でもこれが大事なんだとわかっていながら大事なことは常に忘れられていくので秒単位で大江健三郎とか思い出しながら頑張りたい。頑張った結果の第1回レポートはこれなんでよかったら見てやってください。
http://www.geocities.jp/television2nd/index-home2.htm

石川實という人がいて、エフエム富士J-WAVEでDJやってた人なんですけど、僕は何年か前に火曜深夜にたまたま入ったエフエム富士での番組を聴いて「わーー、この人すげー面白い!」と思ったのだけど、そしたら数日後にJ-WAVETR2って番組にレギュラー持っちゃってて「ああ、やっぱり知ってる人は知ってるんだなあ。っていうかJ-WAVEはアンテナ感度高いなやっぱ」と畏れながらエアチェックしてたりしてたんだけど、なかなか石川さんのアクが強いせいか(主観としてはむしろメチャメチャPOPな人なのだが)番組は今はもうなくて、でも今朝ふいに思い出して「ミクシィでコミュないかなーそういえば」と思ったらなかったのでコミュニティ作りました。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=424412
プロフィールはインターFMの番組案内からお借りして、画像もそうだけどこの写真は以前から使ってるよなあ。とにかくカッコいい方です。ラジオDJやイベント司会なんかをしてるほかに雑誌コラムの連載もあるというが、それってどんな雑誌なのか教えて欲しい。そんな石川さんのインターでの番組サイトはこれ。→http://www.interfm.co.jp/n03_pro/omic.cgi
インターFMエライ!あのラジオ・ショッピングだけはどうにかならないか、と思わないでもないけど大事な広告収入なのだろうからいいよ、大目に見るよ!やだけど!
関係ないけどこの石川さんの写真を見ていたら自分と全く縁がなかった世界、バイクや自動車のマンガや雑誌の世界というのがあることをふと思い出してしまって、それをまた覗いてみたくなった。まじ関係ないけど。
あとちょっと関係あるけど、この石川さんのほかに僕はジョージ・ウィリアムスっていう人が凄い好きなんだけど、ジョージさんもラジオDJやあとその前はMTVJapanのVJなんてやってて(その後はヴュージックなんかの非地上波音楽チャンネルのVJとかやっぱりイベント司会とか)、そういうラジオDJ型のエネルギーが良いのかもしれない。良いっていうか、好きっていうか。

mog1032005-11-17

朝に講義録ブログを更新。→http://note103.jugem.cc/
一応毎日更新風で来てるので、この調子で行けたらいいなあ。ちなみに講義録ブログはデザイン変えてみました。ジュゲムがまた元気のいい人たちと提携したので乗っかりました。面白れーー。ライフストライプ面白いよ。君も貴方もやったらいいよ。→http://www.lifestripe.com/

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一週間ぶりになってしまった。
毎日更新は難しい・・・な。ともあれ、ここは諸活動の下書き的位置付けなので多分今後も何かしら更新されてくと思います。で、再開の手始めに過去数日分の日記を編集して削除して整理しようかと思ったのだけど、面倒なのでそれはやめて、でももう少しこちらをきちんと生かせるようにしたいなあとか考えてます。あと本読んでます。
菊地さんと大谷さんによる、今年4月から7月の東大講義録はこちらで再開してます。現在第3回を少しずつ連載中で、まだ4月の授業風景です。
http://note103.jugem.cc/
ちなみにこの講義録連載サイトのスタイルで今考えてるのは、基本がそれこそ毎日更新で、大体一回の更新につき授業が3分ぐらい進んでるんですよ(笑)。で、それを3回(3日ですね)講義録を連続掲載するたびに一日休憩ってことで雑談エントリを挟んで、それを10タームぐらい繰り返すと講義一回分終るかなと。あーでもそれだと講義一回につき丸ひと月かかるのか。それだとあと10回分だから順調に行っても終わるの8月?いやそれじゃ遅いや。休憩を減らすか、一回更新にあてる内容を増やすかだけど、まあ内容増やさざるを得ない?最低3分ってことにするか、じゃあ。で、出来る時はもっと多くっていう。いや、でも毎日だと3分限界なんだよな・・・。それ起こすのに最低30分はかかるのだ。
いずれにせよ、今やってるの含めてあと9回分、9×90分を春ぐらいまでには終えたいなあ。毎日やるとして、あ、でも無理でもないか。ちょっと無理ぐらいか。