第3回 バブル乗り遅れIT狭間世代のアラサー78-79オフレポ

78-79のオフを開催しました。

【1/31土 19:00〜】第3回 バブル乗り遅れIT狭間世代のアラサー78-79オフ
http://twitter.g.hatena.ne.jp/mokana/20081209/1228803865

今回で3回目となりましたが、今回は女子率が0.000%、未婚率100%という状況。

まえから、この会のメンツがひどいという話
(当の本人たちはゴールデンメンバーといっているのですが)や
濃すぎてこれないという話を聞いていました。
別に年齢制限もうけている訳じゃないのですが、結局メンバー固定化されています。
ということで、会を開く前から成功は約束されていたし、事実大盛り上がりしたわけで。

自分がひつじやにいったときに@sisyaがいたので一緒に。
19時開催でしたが20分早く着いたのでとりあえずなんか飲んじゃおーぜということに。

お酒の値段を見てびっくり。
確かに期間未定20周年記念原価+100円という破格値で売っているのをみましたが。

たとえば。。。
サッポロビールが2.5リットル1455円。。。
ベルギーのサタンレッドが580円くらい
また多くのワインが1000円前後。
南アフリカのワインはおいしかったし、ブルガリアとかのワインが不思議でするする飲めました。また、羊にあうあう。
ここ普通に食事に使うといいと思います。

料理は本当においしいです。羊料理がメインでしたが、本当に食ったという気分になりました。
これで4000円のコースはやすすぎる。

店員さんは若干難があり、サービスはいろいろとあるかもしれませんが、
フレンドリーさは海外の人らしいかな。

ということで20分早く着いたので、とりあえずトルコビールを注文。(これも315円)
そしたら徐々に徐々に人が集まり始めます。
@yuKogetsがきて、また注文。乾杯する前に@ohmomoが来場。
7時の集合でしたが、もうながれ開催しちゃおうぜということになり、
ながれ開催開始。毎回人が来て乾杯という、すごいうるさい状態に。

自己紹介ではアルファな人たちが本当に多かった。
一番笑ったのがアルファ迷子でしたが。上は北ではありません。本当にドラクエ脳です。
30近くになると昔の歌とかで、これはなつかしいとか、このユニットはどう考えてもこれはおかしいとか、
あと、男ばっかりどうしようということで、デナイザーに俺はなるとか。そんな感じで盛り上がりました。

その後仁義なき戦いのために渋谷に遠征。
とりあえず@utaにあいにいってきて、他の方々とちょっと話して解散。

1Q分くらい、思いっきり笑うことができたと思います。
皆さん本当にお疲れ様でした。次回を楽しみにしております。

技術や知識の陳腐化と簡単に言うけれど

コミュニケーション系の話はまだまだ続くとして、ふと思った陳腐化について書きたいと思います。
技術や知識の陳腐化って簡単に言うけれど、何か違和感をすごく感じることがあります。陳腐化という言葉を辞書で引くと次の通り

(1)新しさがなくなってしまうこと。
(2)ある商品や技術が新製品の発表や技術革新などで時代遅れになったり、季節商品で売れ残ったりしたため、販売価値がなくなってしまうこと。
「―資産」「新開発の商品も今は短期間で―してしまう」
ちんぷ-か ―くわ 0 【陳腐化】 - goo 辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C4%C4%C9%E5&kind=jn&mode=0&base=1&row=1

技術の要素として、それこそオープンにすることによって、目新しさが無くなってしまうことがあるのは確か。その点は陳腐化なんだけれども、さて、陳腐化することによってその技術はもういらないという話とはまた違います。陳腐化という言葉がイノベーションと異なり、ネガティブな言葉(計画的陳腐化という言葉もありますが)であることも要因としてあるかとは思います。

破壊的イノベーションが起きればそれこそ急激に陳腐化は起こっていきますが、そんなに簡単に破壊的なイノベーションは存在しないわけです。

そこで陳腐化という言葉は、誤解を生みやすい言葉でもあるかなと思ったので、もっとわかりやすく理解するためには、陳腐化を価値の低下、そして、内部・外部の価値の相対化という言葉に置き換えて考えてみます。

外部との相対化というのは、外部からの力により、価値が相対化してしまい、競争優位性が落ちてしまうってこと。これは大きいことですよね。参入障壁がフラットになっていたり、情報収集が容易になっているなど、様々あると思います。

もう一方の視点として、昨日医療系の人と話していた際に、毎日毎日新しい技術について覚えていかなければいけないという話をいっていました。これは陳腐化というよりも知識量の肥大化であり、一つ一つの知識・技術に関して内部相対的な価値が小さくなっていくと言うこともあるかとおもいます。

学生と話していて、陳腐化ということがその技術が必要と無くなっていく、いらない物になっていくという考えを持っていたりするんだけれど、よくよく考えてみると、そういうことではないんですよね。基本は持続的に、積み重ねの延長で新しい物が積み重なっている。だからこそ、基本が非常に大事になってくる。

その意味では、泥のように〜という話は、単に目先のことではなく、根底の本質的なことを学んでいかないとだめだよと言うところなんだろうと自分は考えますし、一定の理解はしています。暗黙的な物、知恵を得ていかなくてはならないし、情報検索が容易になっていく中で、地頭的な物がこれからはますます必要になってくるわけでしょうから。

いずれにせよ、陳腐化がおきたとしても、鮮度が落ちるのが早くなったとしても、食べ物のように捨てるのではなく、そのなかの旨みの部分をしっかり理解していかないといけないと言うことだと思います。陳腐化という言葉が濫用されている中、ちょっとまてよと考えてみる必要があるのではないでしょうか。

羨望についてちょっとみてみる

引き続き小此木啓吾氏の「困った人間関係の精神分析」からひもときます。

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

前回にでていた破壊的感情の大きな要素である、羨望についてここでは詳しくかかれています。
精神分析では嫉妬つまりや気持ちは、三角関係で起こることになります。なのでうらやみやねたみのような物は羨望になります。簡単に言えば、きゃっきゃうふふしているのはうらやましいというやつですね。これは嫉妬になりません。

「羨望は人間のあらゆる破壊性の根源だ」といったのは、英国の精神分析学者メラニー・クラインである。そして彼女は、人間の心が平和になるためには、自分の心の中にある攻撃性、ひいては破壊性を直視し、木の葉改正にきちんと自分の心の中で対処できるようになることだと、生涯主張、した。

この点は前回と共通ですよね。

そして本著ではねたみ深いひとは自己愛性が強い傾向にあるといっています。以前精神科医の方と話したことがあるのですが、最近の傾向として自己愛性障害の人が急激に増えてきているのではといっていました。何が関係して自己愛性障害の人数が増えてきたかは、まだまだこれから観ていかなければならないことだろうでしょうが、生涯まではいかない物の、自己愛性傾向は強くなっている一方だそうです。
そういえば、モンスターペアレンツがでてきているのもその傾向の一端ですよね。

少なくとも現実としては、ねたみ深い人々が増えてきている、そして情報が見えることによってますますねたみ深くなりやすいということが想定されるようです。

■なにが問題なのか

掲示板などで観ていくと、うざいということばがでています。それはそれで感情表現としては正しくあります。

しかし、なぜうざいのか。そのほかの破壊的な感情がでてくるのか。
それを知ることが実は大事だったりします。案外ここら辺を認識するということを怠ることが多く、うざいという言葉だけで思考停止になっている人も多いような気がしています。それこそWhy five timesを使い、考えてみるといいかもしれません。

羨望なのか、暗黙的ルールを無視しているのか。羨望だとして、自分が関われないことなのか。といった形でロジックで落とし込んでいくことが本来としては大事なことではないかなと考えたりします。これらがわかることによって初めて批判から抜け出れるような気がしています。

この点当初の予定した流れから脱線して、違う図書からコミュニケーションにおける大事なポイントを次回考えていきたいと思います。

困った人とはどういうひとなのか?

その人の何に対して非難を行っていくのか。それこそtwitterのスレッドのケースやアンケート調査をおこなっても良いでしょうが、まずは、既存の本からみていき、どのようなときに、困った人と思ったりするのか。

この点について、小此木啓吾氏の「困った人間関係」の精神分析から観ていきたいと思います。

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

これが全部を網羅しているわけではないでしょうし、それ以前に特定のケースに偏っていることから、これが解決策になるとはおもいません。それこそ仏教で言う84000の煩悩や、それを集約した前回のブログ記事の6つの破壊的性格の方がよほど網羅的になっているでしょう。

ただ、実際の人間社会に起きている困った人の例を投影させることによって、表現していくことができるのではと考え、あえてこの本をピックアップしました。

内容についてみると、批判している側も、もう一方の批判されている側にも当てはまることでもあると思います。とはいえ、個人的には、認識はする必要はあるけれども、だからといって過度に抑制していく必要性はないということを強く言っておきたいと思います。
困った人のタイトルを観るだけであるあると感じることは多いのではないでしょうか。

第1章 評判のいい困った人たち

親切すぎて煩わしい人 −相手との一体感を求める口愛性格
人のことばかり気にする人 −いつもニコニコ従順な受け身的性格
けちで頑固な人 −出すのは嫌い、ためておきたい肛門性格
誘惑的な人 −愛されたいのに愛がこわいヒステリー性格
傲慢で気取り屋の人 −自意識過剰で貴族的
正義を振りかざすこわい人 −攻撃的な男根性格

第2章 愛と憎しみの困った人たち −相手を傷つけ、自分も傷つく−
恋に狂う人−相手を困らせ、周囲を心配させる−
ねたみ深い人・やきもちやきの人−羨望と嫉妬はどうちがうのか−

第3章 組み合わせがつくる困った人たち −困った人はあなたがつくる?
意地悪な人・平気で人を傷つける人 −いじめ・いじめられる関係に
グズな人とせっかちな人 −漫才のボケとつっこみの関係
だらしない人 −いつも世話をしてくれる人が必要

第4章 自分の中の困った人たち −心が傷つき、痛み、自分らしくない自分に悩む
すぐ憂鬱になる人 −いつも人と一体感を抱いていたい
劣等感に悩む人 −親からの心の傷を受けている
いつも心配で不安な人 −体を気にし、くよくよ悩む
本当の自分らしくないと感じている人 −誰もが自分らしくいきたいと思っている

(第5章は省略)

小此木啓吾氏の「困った人間関係」の精神分析より


はい。自分も困った人に当てはまりそうなのをいろいろ感じています。どうでしょうか。
困ったことというものは一方でしっかり使えば、よい使い方にも成ります。
それは前回の執着であったりと同様です。

著書にも出ていますし、自分の分野から観てもそうなのですが、性格や能力などを出し過ぎることによって困ってしまうということが発生していることが多いです。良い人だねといわれても状況によって良くない人になる。実際には本書を読んでいただければと思いますが、例えば親切すぎることが干渉してくることにつながっていく。余計に干渉されていやだと言うこともたくさんあるでしょう。その人の特性が逆に悪化につなげると言うことはしばしばです。

破壊的な感情とは?

それでは初回のなぜ人は破壊的な感情を持つのかという心の原点からみていきたいと思います。

なぜ人は破壊的な感情を持つのか

なぜ人は破壊的な感情を持つのか

「うざい」という言葉などは自分からみると、破壊的感情に近いのかなと思ってみていますが、まずはその定義からみていきたいと思います。ダライラマ、ダニエルコールマンの著書「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」からその答えのような物を探っていきたいと思います。

破壊的感情については、「自分や他者にとって有害な感情であるということ」という定義されています。しかし有害とは何か。その点の追求が本書で話されていました。

西洋哲学で言えば人間の心の奥底には次のような物があるそうです

1 分別のある利己主義者
2 自分本位であわれみ深い
3 あわれみ深く自分本位

ここにダライラマはもう一つの答えとして「人間は本質的にあわれみ深い」という物があります。利己的な遺伝子という本があったように西洋的な考え方として利己的というものは人間の根本にあると考えているそうです。その中で破壊的精神状態と建設的精神状態が存在しているとしています。
一方仏教の中では、曖昧さが破壊的感情を引き起こすとしています。
建設的なことと破壊的なことのバランスがとれない、すなわち、度の過ぎた愛着があるからこそ、欲望・嫌悪感を発生させ、拒絶するか破壊する。
また、利己的なものから解放していくことが仏教にはあるようです。

この中で破壊的精神状態を次のように表しています。

憎悪、執着、無知、慢心、嫉妬

しかしこれらの破壊的感情も、日常生活において幸福を得るためには必要なこともあります。強い執着などは、よく言われることです。また、それぞれに対応すること、仏教で言えば煩悩の解毒によって、輝きを増させるということもあります。しかし、多くの場合は、有害な行動につながっていくことになるでしょう。

ではどういうデメリットがあるのでしょうか。

肯定的であること、楽観的であることは周囲に対していい影響を及ぼし、否定的であること、破壊的であることは、周囲を悪い方向にするというのはわかるでしょう。

西洋には、自分を愛することができて初めて他者を愛することができるという考え方があります。つまり、自己評価が低く自己嫌悪にかられている場合や、自尊心が欠如している場合は、他者を愛することができないという考え方

これに関して文化的にも違うので異論もあると思いますが、東洋的にはあわれみというキーワードが入ってきます。

あわれみとは、他者に対する単純な感情−同情−以上の物であり、心からの気遣いと思いやり、その人の苦痛を軽減するために何かしたいという気持ちになります。破壊的感情を取り除くこと発議のようなことが示されています。

物事をありのままに観て、正しく機能することを妨げるのが、破壊的感情なのですから。心を曇らす感情は、物事や自分自身の本質をきちんと見抜くことを妨げます。物事をありのままに見ることができれば、否定的感情を脱却し、道理にかなった肯定的感情−自発的で自然なあわれみを含めて育てることが容易になるのです。

そして、心をクリアーにすること。これにより心の安定、明瞭さ、幸福といわれる満足感を得られるといわれています。

では、次にこのような破壊的な感情が引き起こされる人、起こす人双方の視点を含めて、困った人をみることで、考えていきたいと思います。

なぜネットでは攻撃な感情が増幅するのか

twitterにしろ、他にしろ、なぜ「うざい」とかそういう感情を持つかということをとりわけ最近考えていました。日常でも当たり前のようにこの言葉は使われていますが、一般的にはネット上ではその言葉が増幅していく気がしています。一方で浄化作用もあったりしています。個人的にネット・バーチャルは社会の縮図ではあるとは思いますが、いくつかの要因によって、引き起こされやすい環境にはあると思います。少なくとも、表現することは確実に増幅することが多い。これは東芝クレーマー事件などでも理解されることだと思います。
言葉は人に影響を与える。一方でいい情報よりも悪い情報の方が表現されやすいのも事実です。実際にマーケティングの一般的な見方として、いい情報よりも悪い情報のほうが9倍噂として回りやすいという話もあります。

自分がtwitter上で挨拶を交わす人間なため、なぜそれが怒られることになるのか。人によっては頭がおかしいとまで書いている人がいます。

科学的な立証についてはまだできていないとは思うのですが、とりわけ関係のありそうなものを本からひもときながら考えてみました。分野としては哲学・仏教の分野、心理学の分野、経営学の分野です。いずれも専門でない物ばかりですし、弱い部分も多いと思います。偏りがあるとはおもうので、ここら辺についてコメントをいただければと思います

非常に長くなっていくので少しずつあげていきたいと思います。
全体構成としては次のものをあげていく予定です。

攻撃的であったりすることを否定する物でもありませんし、これからまだまだ進められる研究だと思いますが、様々な分野から

■破壊的な感情とは?
これはダライラマとダニエルゴールマンの著書「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」からひも説いてみたいと思います。

■困った人とは
何を持って人はその人のことを「困った人」とみるのでしょうか。その点を小此木啓吾氏の著書からひもといてみたいと思います。

人間力とEQ
EQについてはこころの知能指数といわれたりしています。
感情をうまく使うことによって、前向きに生きていく。これは人間力につながっていくことになります。漠然としすぎている人間力ですが、ここについても考えていきます。

■空気を読むこと
空気を読むと言うことについて、山本七平の研究をベースにひもといていこうと思います。空気を読むこととはどのような分析がされているのでしょうか。

■ネットの行動心理
インターネットでは表現が制限されていきます。その点既存研究ではどのようなことがみられているのでしょうか。いくつかひもときながらみていきます。

ダイバーシティーを考える
経営課題としてあげられているダイバシティー。女性や外国人、民族などについて問題があげられていますが、本質はそこではないと思われます。松村氏のアキバ批判もありましたが、それらを含めて価値観の多様化をどのように考えていくか、捕らえていくかを考えていきたいと思います。

(以上加えたり減らしたり、改変することがあります)

軸がぶれちゃいけないかをキャリアで考える

ちょっとブログをみていて気になったので、コメントついでに。

軸がぶれないって危険なことかもね - ひがやすを blog
http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20080625/1214369234

私は、XPのYAGNI(You Aren't Going to Need It)の考え方が好きです。「今必要のあることだけをやれ」っていう考えが。

「人は未来のことはわからないんだから、できる限りの予想をして未来に備えよう」ってのと真逆な考えで、「人は未来のことはわからないんだから、予想するのはやめちゃって、今必要最小限のことだけをしよう」ってことです。

そして、「現実にあわせて素早く舵を切る」のです。

私は、XPにふれて以来、ずっとこの考えに従っています。

* 先のことは予想しない。
* 現実にあわせて素早く舵を切る。

こう考えると、リラックスして行動できるよ。そして、現実に適合しているから失敗しにくい。

一般的に軸というと意志(will)に当たると思います。これはマッキンゼーの中興の祖、マービンバウワーの著書などでも最も大事な物は意志であるとでているように最も大事なことでしょう。何を変化させて、何を強く持たなければいけないかについて今回は書いてみたいと思います。これをキャリアにフォーカスを当ててみていきたいと思います。

まずは、予測できない将来なのだからどうしたらよいかという視点で見ていきます。
強者の論理的なことで、できる限りの予測をして備えようという言葉「備えよ常に」がありますが、
ここら辺で世界的に一番影響を与えている人としてジャックウェルチからみてみたいと思います。

ジャック・ウェルチのかたわらで働いていた私のオフィスの人生の半分は、残りのオフィス人生の準備に当てられていた。私のビジネス活動の大半は「準備」で締められていた。海面下の氷山のように、表面で起こる日々の出来事の裏側で準備が行われていたのだ。


ジャック・ウェルチに学んだ仕事の流儀」ロザンヌ・バドゥスキー+ロジャー・ギティンズ

この本の中で、成功の6割は準備にありと言うことがでています。しかし、ここら辺に関して言うならば、あくまで短期のことであって、長期的なことはでていません。軸という意味とはこれはかけ離れているような気がします。

次のようにウェルチは著書で書いています。

どんなにちゃんと筋書きがあるように見えても、キャリアは何らかの純粋な運で決まる


「ウイニング 勝利の経営」ジャック・ウエルチ

ことキャリアに関して、そのほかの中長期的な物に関して言えば、運に寄ってしまうところが大きい。
ではそのような運という物はどうやって捕らえることができるだろうか。という話になります。

キャリア論には二つの主流があり、一つは節目がくるまでドリフトして計画していこうとする、つまり日々着実にやっていこうというトランジション論と、運を引き寄せていく努力をしていこうというプランドハップンスタンス理論があります。双方を融合しながら行くべきという流れになってきている中、プランドハップンスタンスのようにラッキーをつかむにはどうしたらいいかという話が出ています。
ある意味の常に備えていくという意味でもあり、かつ予測不可能な状態にすべきことのもう一つの道だろうなと思っています。

ラッキーは、ことわざでも「幸福の女神は後ろ髪がない」といわれているようにいつの間にかラッキーが過ぎ去っている。それに気づいていない。(計測もできないが)ともいわれているが、見えない分訳がわからないものです。

とはいえ、これはつかむことができる。すくなくとも、その可能性を高めることができるとしています。これに関しては、著書もいくつか出ていますが、次のような能力が必要であるとクランボルツスタンフォード大学教授はいいます。

一つ目は、好奇心。自分の好奇心に従い、広げていく。それを押しとどめてはいけない。
二つ目は、持続。すぐにあきらめず、結果がでるまでやり尽くしてみる。
三つ目は、楽観。大半の悲観的なコメントよりも、たった一人の前向きなコメントを心に置いてみる。その一人がたとえ自分だけだったとしても、です。
四つめは、リスクテイキング。失敗はするもの。今持っている何かを失うよりも、新しく得られる何かにかけてみる。
そして五つ目は柔軟。一度意思決定したことでも、環境や状況の変化に伴い、いくらでも変化すればいい。そのようにあなたの行動を変えなさいということです。


「ラッキーをつかみ取る技術」小杉俊哉

こうみると、今あることだけをやれという話はあるかもしれませんが、能力として十分かもしれませんが、それだけだと不十分だったりするわけです。行動として、それこそあたらしい人脈を作り込むこと−特に自分と違った価値観の人々−や、暗くしていないなど、行動の面ではいろいろやって行かなくてはいけないことがあります。(この点は著書などをごらんいただければと)

一方で、ただ単に動いていても、青い鳥症候群になるだけになります。
そのためにも、軸を作り込むこと、つまり、ミッションを設定するか、意志をもつか。
これが無くては、ただ単にやみくもに動いて疲弊するだけです。そのために軸はもってしっかり持っておかなくてはいけない。
その認識はどれくらいできているか。そうでなければ、好奇心も持続も、そのほかも続いていかないまま終わってしまう。
ある意味何でも手を出そうというのと逆に捕らえるかもしれないけれども、軸をもてば好奇心もよりくっきりと鮮やかに見えるのではないでしょうか。

最終的に私が何が言いたいかというと、軸はちゃんと持っていて、ぶれちゃいけない−つまりは意志・認識を持って、意志決定をおここなうこと−。そして、軸は柔軟に変化していかなければいけない−意志と意思の変化−というのが自分の意見です。