内そと
同年輩は「遠いところへ行ってしまったね…」なんていう。
中高年はもっと和しやすいと思いきや、こっちが熱心に中継を観ていると、
「相撲好きなの?」→「相撲もいいけど、今はモンゴルばかりで…」、あるいは、「バナナ食べる?」なんて話しかけてくる。(岩木山v琴ノ若戦で!!)
生返事して画面から眼をそらさなかったんだが、5度目に「日本人が弱くて面白くないから観ない」*1と来たときにはこっちの虫の居どころ悪く、まともに反駁したもんだから、狂ったと思われたにちがいない。
▽
ここんとこSとふたりで、起死回生の大相撲人気復活策をひねりだそうとしていたんだが、とんと頓知が浮かびません也。
「少年ジャンプ」で相撲マンガをヒットさせるってのは有効っぽい。でも一体どう仕掛けるよ? 井上雄彦級の描き手じゃないと難しそう…。
なんかほんとに人心が離れていってしまってるのねー。力士を格好よい!と思う心性が皆無で育つのがデフォルトでしょう…わからんけど…
小津の《お早よう》の時代なんかとはもう懸けはなれすぎているとしても、空条承太郎が千代の富士ファンっての、あれは80年代末ですか…。なんて時代がかって感じられるんだ…。千代の富士その人ではなく、そんなところに力士が登場することが。その自然さが今となっては羨ましい。
いまは人気開拓も世界規模だね…。旭鷲山のいうように"世界のスポーツ"となって、世界中から逸材が入門するようになってほしいよ。
*1:これぞ、贔屓の引き倒しってやつだ…その心の狭さに涙。
うち外
チェコ親父との会話。
チ「貴女はどのスポーツを好みますか」
私「私はgrand sumoを好む」
チ「オー、信じられない、あの相撲を好むとは──」
私「貴殿はヨーロッパにいながらにして日本の相撲をご存じか?」
チ「肥った男どもが裸でおこなうレスリングだと知っている。しかし女性が好むとは実に異色である」
私「いや、相撲は内外の老若男女つうじて非常な人気がある」(うそかも…)
チ「私はあんなグロテスクなものを女性も好むとは想像しなかった」
私「貴殿は相撲というスポーツを正しい遠近法で見なくてはならない*1。あれは美しく、かつノーブルなスポーツである。もし貴殿が来日する機会あらば国技館にお連れしよう…」
*1:see ... in their perspective
御免蒙りました
月初めから山にこもっていて、一週間ばかり前に帰京したのだけれど、どうも忙しくて… 相撲観るのに忙しくて………
一旦つけなくなると離れちゃうもんだな、こんな書き付けも。でもこのあたりで上げとかないと、際限なく沈んでいってしまいそうなので。いざなんか書きたくなったくなったとき不便だし。
最近はそれでSUMOです。
数週間前まで相撲に飢えて、相撲雑誌のバックナンバーをひっくりかえしたり、ヘルムート・ドイチュ氏はどうやら相撲ファンらしいなと睨んでみたり*1していたところで名古屋場所がはじまったもんで祭状態。
いやさ、やっぱり面白いよね、大相撲。
マスコミはあいかわらず否定的なことを書き立てるばかりだけど(なんかもっとましな取り上げ方ができないのか知らん)、無心で観ると、見ごたえのある取り組みがけっこうある。でもって、今場所の感じでは今後来場所、来々場所と面白さが増してきそうだ。若手もだんだんにキャラが立ってきたようだしね。まず普天王が大ブレイク中ですが、個人的には豊ノ島にも期待したいかな。やはり小兵はよかばい…。しかし琴奨菊の立合いは部屋の親方の元琴錦の手つきを思い出しますね…。
…とかいってたら役者が減ってきたよ!!!
露鵬も明日から休場かぁ。ま、すでに初日時点で打撃をうけてますんで*2、名古屋ってのはこう人が消えるもんなんだなと思って。みんな秋場所にはでてきてくれ。
「ダメだ、こう暑くては──」
↑、一日に10度はいっています。こう暑くては何なのかってーと、鼻血が出たり、植物に水をやったり*1。
脳を腐らせないためには指の運動が肝要です。
ときに先週末本番いっこ終了。(その前後落ちていました、失礼)
生憎の晴天のなか新宿へ足を運んでくださった方には感謝の念にたえません。自分なら、カーテンを閉めきって部屋にこもってたよ。外に出たら命とりだ…
終演後、US留学していたというギタリストが、
「この、どびゅっしー、って作曲家は有名なんですか? 俺、クラシックは全然くわしくないんですけど、ラフマニノフ以来の衝撃だったっす。どの曲もよかったなあ*2」
というのがうれしかったです。
こういう感想を聞くと、あーやっぱドゥビュスィ弾いてよかったと思うねえ。当初はメジャーどころ(Chopinバラ1)か、ブゾーニのカルメン駄目押しで? などと思っていたので。短期間でひっぱりだした甲斐があったというもの。
その後、出演者とヘア&メイクさん、同年代のお客さん総勢8人で打ち上げ。なぜか本気モードで音楽談義…というか音楽史講義(注・自分フィルター透過済)するはめに。
というか、ふだんクラシックを聴かない人の方が、「時を経ても色褪せないすばらしい芸術」なんていうんだから可笑しい。
「普遍的かつ不変の"クラシック音楽"ってのはフィクションですよ。やっぱし現代の一現象であってー。2,300年後には廃れていると思いまする」
と、最近『いかにして大相撲人気を復活させるか』なんて問題に頭をひねってくせに、自分の領域となると甚だ冷淡な俺。
突然、19世紀のナショナリズムが…とか、音楽における植民地主義が…とかいいだしては危ないので、1クッションおくつもりで、
「そもそも極東の人間が、17-20世紀のヨーロッパの音楽をやってるってこと自体、疑問に思わないのって…」
といいかけると、
「それは偏見じゃないの」
と即座にさえぎられる。うーん。アナクロな設問であることは認めるけど、日本国籍をもつ自分が勝手に考えることも"偏見"と感じるなんて…
大丈夫なのか??
ちょっとひっかかったので書いとく。でもこういう機会があるってのはいいことでした。そういえばギタリスト氏、「クラ畑の人間はクラシックにたいして壁をつくってる」なんてもいってたな。自覚はないのだけど、そう感じるってことは原因があるってことだしね。試行錯誤していきたい。
辰野豊選集
第4巻『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』(日本図書センター、2004.4。S.24の改造社版の復刻)。
著者及びタイトルの前半あたり*1で見当をつけて借りたのが当たりでした。
辰野豊の文章は、内田百輭についての短文しか読んだことがなかったけれど*2、ちょっと面白くて書き手の人柄のよさが見える、という印象はこの本を読んでも変わらず。
浜尾新、雪嶺、露伴、漱石、寅彦、如是閑といった人々について辰野が語るのをつらつら読んで、眠くなったらそのまま寝るというのがここ数週間の過ごし方。おかげでさっぱり記憶が定着しません。
しかし昨夜読んだ「書狼書豚」(S.7秋)はやたらとおもしろくて、かえって目が醒めてしまった。
「書狼(ビブリオ・ルウ)」*3=自分と、「書豚(ビブリオ・コッション)」*4=親友の山田珠樹、鈴木信太郎との温度差を面白おかしく書いた一篇。やっぱり古馴染みが登場すると鮮度が上がるのは、回想録の醐醍味ですね。
以下、一篇中の山場から抜粋。辰野教授が、九州大学の成瀬正一から稀覯書『シラノ猿猴格闘録Combat de Cyrano de Bergerac avec la singe de Briochet au bout du Pont-Neuf』を贈られたところから話が始まって…
数日後、山田、鈴木両君に会つて、此の奇書の話をすると、両君の目の色が見る見る変つて来た。僕は心の中で、奴さん達垂涎三千丈だな、とほくそ笑みながら、どうせ俺には保存欲はないのだから、欲しければ与つてもいいよ、と軽く言つて見た。二人は欲しいとも言はずに、唯うむと唸つただけであつた。その後更に数日を経てから改めて図書館に山田君を訪ねた、すると、虫が知らせたとでもいふのだらう。その席に偶然鈴木君も来てゐるのだ。僕は二人の顔を見比べてつとめて冷静を装ひながら、例の珍本を取り出して、先日話した本は実は是なんだがね、と独言のやうに言つて、この本を卓の上に抛り出した。すると、その瞬間に──全く打てば響くと言ふか、電光のやうな速さで鈴木君が、
──ありがたう! と呶鳴つた。
見ると、山田君はただ飽気に取られて、
──早えなあ! と言つたまま、眼を白黒させてゐる。いやどうも、早いの早くないの!
好きこそ物の速さなれで、あの時の鈴木君の先手の打ち方の素早さと言つたら。
「その後、同学の渡辺一夫、有永弘人両君の調べで該書が愈々稀覯書中の稀覯書であることが明かにされた」とのことですが、現在はどこに収まってるんでしょうね。
ときに、辰野の父は東大工科大学の教授って、あれ…辰野金吾??(それすら知らなかった)