ブログの存在を忘れていました。

1年も書いてないですね。
ツイッターフェイスブック、ミクシー、はてなと、つぶやくツールがたくさんあり、
ちょこちょこ雑感をつぶやいているので、日記というかしこまった感じで記事を書く機会が減ってしまいました。
以前もそんなに書いていたわけじゃないですが!

OUR BRIEF ETERNITY



ついに、『OUR BRIEF ETERNITY』一般公開決定です!
正式なタイムテーブルはまだ決まってないのですが、
新宿ケイズシネマ(K's CINEMA)にて今秋公開されることになりました。

OUR BRIEF ETERNITY公式サイト
http://www.p-kraft.com/obe/

東京に、未知のウイルスが蔓延する。
終末的な世界観をベースに記憶をめぐるドラマが繰り広げられる、サイコ・ファンタジー
これは、「東京」という都市の物語だ。


色褪せていくような空気の中に鮮烈な、というか
なんかそんな感じのステキな映画ですー。

と、なんのこっちゃって感じですが、この映画にメインスタッフとして参加しております。
アートディレクター(美術監督のようなもの)としてクレジットです。
web上に素性は映画関連でがっつりのっかってるので気にしない事にしました。

この映画内では、登場人物の部屋をつくったり、小道具をつくったり
そんなことをやっています。

映画が公開されるまでの道のりは長い。

スタッフとしては脚本はすり切れるくらい読んだり
撮影現場に立ち会ったり
試写だったり
ワールドプレミアだったり

何回も観たりしているけれども、
やっぱり劇場公開と言うのは感動もひとしおです。

お時間ありましたら、ぜひ新宿まで足を運んで下さいね!
うごメモ以外にもこんな事もやってますよ、ってわけで・・・。

実家に帰る

千葉の田舎。埋め立ての海が近くて、光化学スモッグもくもくのまち。
東京からは電車で1時間。
家を出てすぐには国道が走り、コンビニまでは徒歩1分。

そんなところなのに、一歩はいるとソコは秘境。
少し歩くと、田んぼと山に囲まれていて、山羊も飼えちゃいます。

モフりたくなくなるくらい泥だらけのわんことお散歩。
父の趣味が狩猟なので、実家には犬が絶えず最低2匹はいます。
彼らはペットで愛玩というよりも、仕事のわんこ。
鳥の匂いを追って、とっても優秀です。

この日は、雉を2羽も見ました。
雉は鳴き声に特徴があって、長いしっぽをしているのですぐにわかります。

諸事情あって実家的なものが3件あるので、
1件目では、このように山羊と犬とたわむれて、ゲコゲコ蛙の声を聞いたり、ウグイスの声を聞いたり。
2件目では、猫が5匹いて、最長老の16歳のオバーチャン猫とひなたぼっこしたり
3件目では、兄ちゃんと晩酌したり、じーちゃんのお見舞いに鴨川まで行ったり

千葉を満喫したツアーでした。
長期滞在だったので、飼いモモンガを一緒に連れて行きましたが、
3回くらい脱走を企てて、食器棚の中から発見されるというハプニングを乗り越え、帰ってきました。

やっぱ自分ちが一番落ち着くの。

えいがのはなし

夏に自主映画一本撮ることになりましたー。

撮る事は去年の暮れから決まっていたけど、ちょうど前の会社を辞める事が決まりかけてた時だったので、生活がままならないので、なかなかいい返事ができないでいました。

でも。就職も決まったし、監督のムンムンした熱気が凄かったので、参加する事にしました。

しかも彼は、美術のチーフという重要ポジションを私に残していて下さいました。
人生初の助手さん付き!
偉くなったもんだなぁ・・・私。不安でたまらない。

絵を描いたり、音楽やったり、ダンスしたりそういう感覚と似たような感じす。
たまたま映画て媒体が自分に合ってる気がします。
最初は憧れの俳優さんに会いたい!
と思って始めた事ですが、いつのまにか自分の大きな糧みたいなもんに。

自主と言えども、私の所属している映像チームは撮っただけで終わらせずに、配給宣伝上映ソフト化までキッチリやります。
いわゆるインディペンデントてやつです。

なので、できた際には多くの人に観てもらえたらいいなーと思います。

2年くらい前に撮った映画は今、海外の映画祭を旅していて、帰ってきたら日本で興行される予定ー。

というわけで新しく仕事の方もゴールデンウィーク明けから始まるので、ちと忙しくなる予感です。

おんがくのはなし

中学生:ビジュアル系?と呼ばれる感じが盛り上がり、カッコよかった先輩がLUNASEAを口ずさんでいたので、一気にLUNA SEAを好きになる。この頃りゅういちがソロになったり。

高校生:ハイスタとかを知るようになって、超カッコいいとおもいはじめる。
と、同時に友人とふたりでゆずにはまる。まだ伊勢崎町で歌ってた頃。

大学生:ハイスタからの流れで、BRAHMANやらマッドカプセルマーケッツ、ハスキングビー、モガザファイブエン、ゴーイングステディ、フルーティ、世の中にメロコアっていう言葉があることを知る。

そっから、スケートと音楽とチョコレートキャンディを愛してやまない素敵な人たちと出会うことによって、どんどん聴く音楽の幅が広がりはじめる。

クラッシュから、80'sハードコアやらさんぴんキャンプ周りの日本人のヒップホップの方々、トミーゲレロはもちろんアンチコンにオーディオドレッグス、ダブとかいう感じ、かと思えば爽やかにナンバーガールTBHイースタンユース。デタミネーション、フィッシュマンズにこだまさん、なんかよくわかんないけどたくさん聞きました。
もちろん夏にはリップスライムスチャダラパーも、ね!
冬にはオザケン

専門学校に入ると、ムービー学科のPV,CMコースに進んだこともあって、みんな音楽好き!
ウィーザーで意気投合した仲良し君は、いまや立派なディレクター。

出世頭!

私は、今はもうなき とある代官山のオシャレカフェでバイトをはじめ、ソコの店長が無類のトリップホップ(死語?)好きでねー。
好きな音楽をかけてよかったので、毎日わいわいと、というよりも、ボーズオブカナダとかフォーテットとか、レイハラカミとかおしゃれでなんか淀んでいる毎日でした。
ワールドエンズガールフレンドでワルツ踊ったりと。
だいぶ自由なバイトで、大好きでした。

それからだいぶ時を経て、今聞いてるのはなぜかスペシャアザーズ

やっぱりヒゲとロン毛を愛してやまないものなのか。


ライブとかくらぶとか、たまにはいきたいーなぁ

うんきのこのはなし

うごメモで描いているうんきのこ。
奴は、キノコ型の精霊。
関わった人の運気を上げる、不思議な奴。


生まれたのは19歳の大学生の頃
あまりにも講義に興味がわかなくて、それでも眠気防止にノートをとっていた
ホワイトボードにあった「王」と言う字が、うんきのこの「かさ」の部分に見えてきた

それから、うんきのこと脳内会話をするようになった
奴は意外と素早くて、普段はぽーっとしてるけど、ちょっとつつこうとするとビュンと逃げる

イマジナリーフレンドは大人になったら会えなくなるという。

それ以前のもっと小さい頃にもイマジナリーフレンドはいたけれども、本当に実態が何もないもので、姿は見えなかったし、会話をしていた、ということくらいしか覚えていない。

自分にとって19歳という年齢の時は、研ぎ澄まされていたのだと思う。
体だけは大人に近しいものに完成しつつあり、ある程度の自由が手に入りはするものの、保護者の管理下に置かれ、安全な中に制限された非常に贅沢な環境を苦しい思いで生きていた。

仕事を始めるようになってから、うんきのこにあんまり会えなくなっていた。
だから、今は何十冊とある雑感や落書きがとりとめなく綴ってある「レペゼンノート」を見返しながら
19歳の頃のうんきのことのやりとりをちょっとずつ辿っているだけなのである。





うんきのこの実家はブティックで、母子家庭で母ちゃんが1人でうんきのこを育てた
ブティックはあんまり売上が芳しくなくて、母ちゃんは週3くらいでスナックでも働いている

うんきのこはすぐ増える
でもその増え方は胞子の影分身、孫悟空の体毛のようなもの
子孫を残すには、きちんと木に身を据えなければならない

普段は奴は奴の町に住んでいて、奴なりの穏やかな日常を送っている
仲間とバンドを組んだり、スケートしたり、バイトしたり、学校行ったり、チョコレート・キャンディ食べたり
奴の世界での話なので、私たちが目にするようなものとは違うのだろうけれども

うんきのこは涙流すものの見方だ
涙は、目から流れても、脳から、心から、流れても

行き場のない涙をかぎつけてやってくる
そうすると、うんきのこはのなみだマンを呼んで、なみだマンは涙を採取する
なみだマンは頬を赤らめながら貯涙庫に向かい、涙は種類別に涙タンクに貯められていく

かみさまがたくさんの種類の中の涙タンクの1つの
バルブをひねると、地上に雨が降る

怒りの雨は激しく哀しみの雨は冷たくよろこびの雨は優しく

そうして行き場のない感情の涙は誰かの元に降り注ぎ、地に還る




っていう話は当時の友達にはあまりしていないのだけど(気持ち悪がられると思ったから)、落書きでうんきのこをよく描いていたので、
「カワイイ!」と言われたので調子に乗ってフェルトのマスコットやら粘土細工のストラップやらを作ってプレゼントしたりしていました。

そしたらプレゼントした友人に彼氏ができたりなんかして
運気が上がるうんきのこだ!

ってちょっとした人気ものになったり。
ほんと、不思議な奴なんだよ、奴は。

フリーキャラだお!としろう君。

モデルはいれど、想像のキャラw(だって似なかったんだもん)

動かしたいけど敷居たけぇなー
歌う時に指を数えるのがポイント。


青春のBRAHMAN
トシローが大好きだった。

それから
物凄いアンテナでいろいろな影響を受けた、10代後半からの20代前半。
ガムシャラにもがいて苦しんだのもこの時期。

最近はめっきり聞かなくなっちゃってたけど、いいもんはいいなぁ、
忘れたくても忘れられないものはあるし、
いろいろな考えを知っても好きなもんは好きでいいんじゃないかと

今になって気づきます