今さらだけど

ネギま!メインに書いてきたからもう更新意欲が失せてきてるんだけど、この作品の終わり方に関してちょっとモヤモヤしてることがあるので、これが最後になるかもしれないんで一応書いておく。

個人的には始まりの魔法使いとは何だったのかとか、そういう伏線とかは別にどうでもよかったんだけど、明日菜の救済の仕方だけはちょっと納得できないというか受け入れられない部分がある。

いや、もうホントに極めて個人的なことなんだけど、俺、一昨年の10月に母と死別したんだよ。父はその10年前ぐらいに逝ってる。それで、親戚や友人はいるとはいえ、家では一人になっちゃってしばらくは色々と思うことがあったわけですよ。
それで、このネギま!の終わり方。
明日菜が目覚めたら百年もの時が過ぎてネギやクラスメイトたちは(エヴァンジェリンなどの例外を除いて)皆死んでいた。
俺ってば、この時の明日菜に無茶苦茶感情移入してボロボロ泣いちゃったんだけど、その次の回で俺の涙はなんだったんだ……って感じになってしまった。

タイムマシンで過去の時代に戻りそのまま仲間たちと過ごすってのは、彼女のこれまでを考えればこのくらいはご褒美として与えてもいいんじゃないかと思ってる一方で、大切なもの(明日菜)を失っても前に進み続けた他の時代のネギたちのことを思うとさぁ。夕映だって大好きな祖父の死があって今の自分がいるみたいなこと言ってたし。
少なくとも、ジョジョ六部みたいな感じで、似てるけど自分の知ってるネギたちと違ってたらまだ受け入れられてたと思う。
なんかものすごーく、人が一番立ち向かわないといけない喪失感から逃げてるような気がしてさーーー。

同じタイムマシンを使ったアニメ一期はどんなに文句言われようとも好きなんだけど、あれは都合の悪いことをなかったことにしたからではなく、あくまで絶望に立ち向かう強さを与えたからなんだよ。

8×6=6×8か問題

結構話題になってるこの問題だけど、個人的にはどっちに掛ける数・掛けられる数を持ってこようが交換法則がある以上自由だろ!な立場である。何倍するかを重要視して掛ける数を先に書きたいって子供もいそうだし。でも、掛けられる数を先に書かないと間違いとする小学生二年生ルールを適用したとしても、8×6=48をバツにしちゃうのはマズいだろう。


8人に6本のペンを渡すとして6×8=48の「6が8つある」という考えの正しさは言うまでもないけど、この教師(と教科書)は授業でこの考え方しか教えてないのだろうか?

もしそうなら、かなりマズいと思う。


この問題を例に挙げて授業をするとしたら、生徒を8人選んでペンを1本ずつ渡す。
教師「8人にペンを1本ずつ渡したから全部で8本だよね。じゃあ、2本ずつ渡したら全部で何本になるかな?」
生徒「2倍の16本!」

(中略)

教師「じゃあ、6本ずつ渡したら?」
生徒「6倍の48本!」


といった感じの授業をやらなかったのだろうか?


とあるブログでは「おはじきを使ってるレベルの子供に8×6の方の考え方を教えるのは難しいし、それが理解できるほどの賢い子供は教師の意向を汲み取って6×8の式を書く」みたいなこと書いてたけど、本当にそうかぁ?

むしろ、おはじきを使えば両方の考え方を直感的にわかりやすく学べると思うんだがなぁ。


8×6の方を教えてなかったとしたらテストでバツをつけられても、小学二年生ルールを適用されたとして、まぁわからんでもないケド、文章題を解かせる段階で8×6の考え方を教えてないような算数の授業っていったい……
俺が小学二年生の時は2つの考え方を教えられた記憶があるけどなぁ。当時、一番前の席の子たちが手鞠を順番に渡されて勉強したのを覚えてる。


「掛け算の交換法則を学ぶのはまだまだ先!」という意見もたくさんあったけど、掛け算の交換法則を体感するのって、掛け算を習い始めてすぐじゃなかったか?

光と光の邂逅

フェイトがのどかをひっぱたいた時の後ろから射す光と、のどかの表情!
そして、ネギとフェイトが揃った際の二つの光!
くう〜っ!
今週はこれだけでも十分に満足やで。

軽音部は夢なんかじゃないよ。起きろ!

木を見て森を見ずというか何というか…
Togetterで話題になってブログにも書かれてあるけいおん!という病。”全員女子大進学問題”を考える。について。

要するに「卒業するのに離別による成長を描いてないからけしからん!」ってことなんだけども、卒業=誰かと別れるなんて誰でも想像できますよね。当然、京アニのスタッフだってそれぐらいのことを考える頭を持ってないわけがないでしょう。

もし『けいおん!!』というアニメが平凡な作品ならば、彼女達が別々の進路を行っても「け・い・お・ん・ぶ」ストラップで繋がりを示して終わり…という流れにもなっていたでしょうよ。
でも、そうはならなかった。だったら個人的な好き嫌いはともかくとして「○○がないから駄作」じゃなく「○○がないなら何を描きたかったのか」を考えてみましょうよ。


僕は『けいおん!!』の最終回を観た後に絶対に『ビューティフル・ドリーマー』等の作品と比べて、いろいろと文句を言う人が出てくるだろうなと思っていました。
そういう人たちは唯たちの成長が見えなかったのだろうか。さわ子先生の友人の結婚式に呼ばれたときや、「U&I」の歌詞を作った際の心境が読めなかったのか。文化祭の演劇に関する話などをどう解釈していたのだろうか。

彼女達は理解しているんですよ。軽音部や今の、そしてこれからの生活は「何もしなくてもいつまでも続く心地良い夢」ではなく、結果はどうあれ「自分達が頑張って作っていかなきゃならない現実」だって。*1

キミがそばにいることを当たり前に思ってた
こんな日々がずっとずっと 続くんだと思ってたよ
ゴメン今は気づいたよ 当たり前じゃないことに

だからこの「U&I」の歌詞があるんですよ。


確かに、僕も四人が同じ大学に行くのはちょっと奇妙だと思いました。でも澪がなんの迷いもなく志望校を変更したと思いますか?第8話の進路の話を観ても、唯はなんとなく今の大学に決めたと思いますか?*2


彼女達の選択が正しかったかどうかは僕にはわかりません。離別によって得られる成長もあるでしょう。しかし、同じ道を行くからこそ得られるものもあるのではないでしょうか。
僕は彼女達がなんとなくではなく、自分の意志で今の進路を選択したこと自体が成長であると解釈していますし、それこそが『けいおん!!』という作品が描きたかったことだと思っています。


一応補足しておきますが、唯たちにとって和の存在は軽音部のメンバーより大切じゃないってことではないですからね。

*1:劇中で唯が亀で、年齢的に1年早く現実を理解する梓が兎で喩えられてる

*2:こういう物語として盛り上がりそうなところを軽く流したり省略するのが、この作品の長所であり短所でもあるとは思うけども

のどかはクレイグの嫁

30巻を読み直して気がついたんだけど。
269時間目でナギのプロポーズに対するアリカの返事と、276時間目でクレイグに助けられた際ののどかの返事と表情が…!