たくさんのコメント、ありがとうございます。
まず、これまでの経過ですが、
ブログがとまったあたりから、手足の痙攣が始まり、
日中もほぼ眠りについている状態になりました。
ブログでは明るく振舞っていたこともあったと思いますが、
本人の目に対するショックは相当なもの。
段々と、病状も思わしくない方向へ向かっていってしまいました。
検査の結果、もっちゅの目を侵していたものがもっちゅの脳をも侵し始めたとのこと。
先生が言うには、腫瘍ではなく、菌からの感染で膿が溜まってしまっており、
免疫を低下させているので、カビが頭の中で悪さをし始めているとのことでした。
ずっと前向きだったもっちゅも、容態が悪くなり、
熱でうなされるようになると、「家へ帰ろう」が口癖になりました。
体調的には、とても家に帰れる状況ではなかったと思いますが、
このままでは精神的にも良くない、
本人と先生の強い希望より、4月下旬、数時間という限定で家に帰ってきました。
数ヶ月ぶりの帰宅。
家に着き、じいちゃん、ばあちゃんにも会い、こどもの日のお祝いをもらい、
「ありがとう」
と力を振り絞って言った言葉、じいちゃん、ばあちゃんもずっと忘れないでしょう。
飼ったばかり、数日しか生で見たことの無いテトラとも会えました。
大きくなったでしょ?と聞いたら、もっちゅはゆっくりとうなずきました。
シーマンも来てくれたね。
シーマンは当日の夜から出張との事、
もっちゅが一言、
「おみやげよろしく」
力をふりしぼって言った言葉、いかにも、もっちゅらしかった。
病院へ戻り、そこから半月は、父、母、兄、親戚の皆で泊まりこみの看病が続きました。
ここからは、もっちゅにとって、とても、辛く、苦しい毎日が続きました。
そして5月14日。
いつも、時間ごとの看病の交代で、父、母、兄、もっちゅの4人が揃うのは久しぶり。
皆が揃うのを待っててくれたのか、間もなく容態が急変しました。
「呼吸が弱くなっており、今夜中に確実に心臓が止まります―――。」
との先生の言葉。
それは、ずっと、ドラマの世界だと思っていた光景でした。
家族が手を握り、名前を叫び、呼吸も、心電図も止まって。
間もなく、先生が瞳孔を確認し、時刻を告げました。
いつも前向きに、頑張っていたもっちゅ。
告別式には本当にびっくりするくらい大勢の友人の方も参列していただきました。
よくいきものがかりのCDを聞いてたので、退院したらプレゼントしようと思って買っておいた新曲「帰りたくなったよ」。
告別式のBGMで流してもらおうと思ったのですが、式場の方の配慮で最後の旅立ちの曲として、
メッセージを添えて、大きくかけてくれました。
歌詞の内容が、あまりにもっちゅの気持ちを表していて、病院では聞かせられなかった曲。
今思えば、もっちゅが最後にブログを更新した次の日に発売されたようです。
言葉を話すことも出来なくなってしまったもっちゅからの言葉のような歌詞。
「帰りたくなったよ、きみが待つ家に かけがえのないその手に もう一度伝えたいから
帰りたくなったよ、君が待つまちに 聞いて欲しい話があるよ、笑ってくれたら嬉しいな」
亡くなってから聞いた話、17年連れ添った愛犬のコロが亡くなって、すぐに飼いだしたテトラも、
もっちゅが入院して、家族が皆さびしくないようにって、飼ったということ。
いつも強気だけど、そんな細かな気遣いが出来るもっちゅだからこんなにもたくさんの友達が出来たんだね。
本当に沢山のもっちゅの友人の方々、ありがとうございました。
「帰りたくなったよ」を耳にしたときは、少しでももっちゅを思い出していただけたら嬉しいです。
また、このブログは、生前の本人の希望により、
少しの期間をおいたのち、消去しようと思います。
どうか、一生懸命に生きたもっちゅを忘れないでいてやってください。
本人を息子のように想っていただき、親身になって心配していただいた皆様、
また、本人の励みになって支えていただいた友人の皆様、
また、もっちゅ魂をご覧になられ、ずっと応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。
皆様の温かなお言葉に、改めてもっちゅが皆様に愛されていたことを非常に嬉しく思います。
私共家族も皆様のお言葉は忘れません。
皆様がもっちゅの分まで幸せになっていただくことを切に願います。
本当に、ありがとうございました。
また、もっちゅ、お疲れ様。
体調の心配することなく、やっと、ゆっくり、のんびり過ごせるね。
見守っててね。
今までありがとう。そして、おかえり、もっちゅ。