Kim Gordon / The Collective

海外のレビューの中にはトラップという単語を用いたものもあり、それにしてはハイハットがシンプル過ぎる気はするものの、ヘヴィなサブベースの音圧を聴くと確かにその気持ちも解る。
何れにせよヒップホップ由来のビートを基盤にした作品であるのは間違い無い。
Sonic YouthにはChuck Dをフィーチャーした「Kool Thing」があったし、Kim Gordon自身としてもJulia CafritzとのFree KittenでDJ Spookyとのコラボレーションがあった事を思い返せば、その組合せ自体に吃驚する程の意外性があるという訳ではないが、流石に丸々アルバム1枚となるとそれなりのインパクトがある。

そのビートの上に乗るのは勿論ジャズやソウルのサンプルではなく、エレクトリック・ギターの獰猛なディストーションや暴風雨の如く暴力的なシンバル、そしてKim Gordon印のアトーナルなヴォーカル/スポークン・ワードで、その結果立ち現れるサウンドはRun-DMCThrobbing Gristleの出会いと言うか、Death Gripsを更にローファイにしたようと言うか。
Moor MotherをフィーチャーしたThe Bug「Vexed」や90年代のAlec Empireに通じる感じもある。

勿論当たり前のように冗長だが、そもそもKim Gordonにポップネス等誰も期待していないし、70歳という年齢を差し引いたとしてもお釣りが来る程強度は充分。
実に単純で短絡的なアイデアではあるし、如何にも90‘s的でともすればダサくなってしまいそうなところだが、不思議な程スタイリッシュに聴こえるのはKim Gordonマジックだとしか言いようがない。

そのセンスは音楽的なものと言うよりファッションやデザインに近く、やはりKim Gordonという人は本質的にはミュージシャンと言うよりもアーティストであり、Chrissie HyndeやPatti Smithよりもオノ・ヨーコやLaurie Andersonの系譜に位置する人なのだろうと思う。
Kim Gordonと別れた後のThurston Mooreが(作品を聴いた訳でもなく、あくまでジャケット等から受ける印象だけど)心無しかダサくなったような気がするのも致し方がないという事だろう。

Killer Mike / Michael

M1からしてトラップとOutkastの出会いという感じで、André 3000やCeeLo GreenからYoung ThugやFuture、JIDまで、地元アトランタの同胞と後輩を総動員してAタウンのサウンドを総括・統合するような内容に仕上がっている。
出身ではないものの、かの地に大いに借りがある筈のJanelle Monáeが不在なのが少し寂しい位に感じられるが、その不在をFousheéとEryn Allen Kaneが見事に埋めている。

ビートは決してトラップ一辺倒という訳ではないものの、シンボリックなオルガンや力強いゴスペルのコーラスにブラス・バンドといった、宛ら映画「アイドルワイルド」の世界を地で行くような音色とトラップを混ぜた例が他にあまり思い付かないだけに鮮烈な印象を残す。
アーシーなムードとトラップのビートを混交させた例としては、Janelle Monáe「The Age Of Pleasure」やThe Carters「Everything Is Love」に通じる感覚があるかも知れない。

ファンクにゴスペルにジャズにサイケデリック・ソウル等の要素と、今にも土埃の臭いが漂ってきそうなアーシーなメロウネスは如何にもダーティ・サウスという感じで、ラップ・アルバムの体裁を保ってはいるが、その黒光りするような艶やかで濃厚なブラックネスはやはりアトランタ出身のLil Yachty「Let’s Start Here.」と並べてみたくなる。

音色的な統一感がある上に1時間越えという長さもあって、中弛みする感じが無くもないが、多彩なゲストのラップを聴き比べるのも単純に楽しい。
中でも昨年のソロ・アルバムでは一切ラップが無かっただけに、ダーティ・サウスのアイコンとも言えるAndré 3000のラップが聴けるのは嬉しい限りだし、James Blakeがプロダクションに関わった作中随一のエレクトロニックなトラックも良い。

また本作のゲスト・ラッパーの面子の中では最も浮いていると言えるEl-Pは、プロデューサーとして珍しくオーソドックスなソウル・サンプル使いでアルバムのコンセプトに歩調を合わせている。
(サザン・ヒップホップには不釣り合いなスクラッチの多用はせめてもの抵抗か?)
ラップではアドリブ的に発される「Run The Jewels」のフレーズが、二人の結束の強さを感じさせ何とも微笑ましい。

Idles / Tangk

ブレクジット以降のUKのポスト・パンク、所謂クランク・ウェイヴと呼ばれるバンドの中では、例えばBlack Country, New RoadやSquidに較べると、中にはピアノ主体のバラードもあったりはするものの、相対的にギターとベースの存在感が強く、歌自体もメロディックで、言葉を選ばずに言えばかなり普通のロックに聴こえる。

同時に何処か面妖なフリークネスと仄かにロマンティシズムを漂わせている点で、初期のLiarsに非常に近いものを感じるし、心無しかヴォーカルの声も似ているような気もする。
(因みにロマンティシズムという事で言えば、M5はSmashing Pumpkinsの「Adore」や「Mellon Collie And Infinite Sadness」のDisk2後半を彷彿とさせたりもする。)

Black Country, New RoadやSquidに感じられるポスト・ロック、或いはBlack Midiの場合のマス・ロック臭は希薄で、M6ではバッキング・ヴォーカルでJames Murphyが参加しているようだし、日本版ボーナス・トラックとして収録されたM7のインダストリアル・テクノ風のリミックスにしてもCabaret VoltaireというよりFactory Floorみたいで、総じて2000年代のUSポスト・パンク・リヴァイヴァルとの近親性を感じる。

要するに新鮮味には乏しいが、アルバム後半のM8(「Hall & Oates」なんていうタイトルを付ける当たりに諧謔性を窺わせる)〜M10で怒涛のように続くリニアなポスト・パンク・チューンにはパンク魂が擽られる。
特にブーストの効いたベースが牽引するドライヴ感には堪らないものがあり、決して嫌いになれない類の音楽ではある。

Oneohtrix Point Never / Again

Daniel Lopatin曰く「思弁的自伝」的な作品であるとの事で、テーマ的に「Garden Of Delete」との類似性が指摘されているようだが、自伝的要素というのが過去の自らの音楽的影響と対峙する事を意味しているとすれば、「Garden Of Delete」に於けるグランジと同じような位置付けである種シンボリックに用いられているのがJUNO-60のコズミックな音色だと言う事は出来るだろう。

但しそれは単純な原点回帰を意味している訳ではない。
「Age Of」以来のチェンバーな器楽音の導入は、本作ではオーケストラルと呼んで差し支えない程の重厚なサウンドへと発展を遂げている。
M13のストリングスが奏でる旋律は、我ながら安易だとは思うものの、Aphex Twin「Girl/Boy」を連想させる。
と同時に「Garden Of Delete」を思わせる派手派手しいアルペジエイターも登場し、総じて集大成的な作品だと言えそうではあるが、その印象が「Age Of」以来変わらないという事が微かな停滞感の源泉になっているのかも知れない。

とは言え勿論Daniel Lopatinの事なので、焼き直しだけという訳ではまるでなく、新しい試みもふんだんに盛り込まれている。
解り易いところで言えば先ずディストピックなムードを醸し出す生成AIによる不気味な歌の存在が挙げられるだろう。
ムードこそ全く違えど、これには歌に感情が入るのを嫌った竹村延和が合成音声ソフトウェアを用いた事を思い出す。
次に挙げられるのがLee RanaldoやJim O'Rourkeといった些か意外なゲストの参加で、それはつまりDaniel Lopatinの青春時代に当たる2000年代初頭のSonic Youthのラインナップという事になるが、これ程シンセ・ギターではないギターの音色が前面に出るのはOPNのディスコグラフィー上初めての事に思える。
またJim O'Rourkeに関して言えば、最初期のOPNを見初めたMegoから電子音響作品のリリースがあったり、レーベル・オーナーであるPeter Rehbergとの共作がある事を想起すると、意外に思えた組み合わせも案外腑に落ちる感じがする。
そう言えば件のPeter Rehberg、そしてFenneszとのFenn O'BergでJim O'Rourkeが聴かせた諧謔性に溢れたサンプルやカット・アップの数々は後のOPNの作風、特に「Replica」に通じるところもあり、多少なりとも影響があったりもするのだろうか?

心無しか所謂グリッチに類する音が多いようにも感じられるし、これまでで最もエレクトロニカ、引いてはゼロ年代初頭の音楽からの影響を公開した作品であると言えるのかも知れない。
そう考えると「Garden Of Delete」が少年期のDaniel Lopatinの自伝だとすれば、本作はその続編に当たる青年期を描いた作品という事なのかも知れない。
真偽の程はまるで定かではないが、こういう妄想を活性化するのも確実にOPN作品の楽しみの一つではある。

Kali Uchis / Orquídeas

Kali Uchisの新作にJam Cityが参加しているらしいという事前情報から、早速M1のハウス/UKガラージ風がそれなのかと思ったが、何とこちらはSounwaveが手掛けたもので、全くこの男の引き出しは何処まで多いのか。
本当に全てが同一人物の仕事なのだろうかと訝しく思える程だが、それはさて置きこのオープニングが象徴するように、本作はアップリフティングなダンス・トラックが中心になっている。

どのトラックも上音はあくまでリヴァービーで微睡むようなアンビエンスを湛えているし、M13等のKali Uchisらしいドリーミーでレトロなソウル・チューンもあるものの、只管夢見心地で睡魔を誘った「Red Moon In Venus」とは対照的で、同時期に制作された両作が対を成す作品である事は先ず間違いないように思われる。

特に基調になっているのはレゲトンで、全曲スパニッシュで歌われている(これが空耳の嵐で単純に楽しい)のも手伝って、自らの出自である中南米カリブ海をレペゼンするかのような作品に仕上がっている。
M10等は嘗てなくナスティで猥雑且つエキセントリックで、宛らオルタナティヴなラテン・ポップの覇権を巡るRosalíaへの宣戦布告のよう。
M14の陽気なサンバ/サルサはその気怠いイメージを刷新するようで、最後の投げキッスも笑えるし、方やM6のアルゼンチン・タンゴはKali Uchisのレトロ志向に良くフィットしている。

Rosalíaを手掛けるEl GuinchoとJam CityのプロデュースによるM12は、レゲトンとUKベースを混ぜ合わせたらクワイトみたいになったといった感じで、アフロ・ビーツ/アフロ・スウィングに端を発したアフロ・ポップの隆盛に触発されて、ラテン・ポップの魅力を誇示しようとした側面はあるかも知れない。 
もしそうだとしたらその企ては大いに成功を収めていると言って良いだろうし、本作で些か混沌としていたKali Uchisの作家性が確立された感がある。

MGMT / Loss Of Life

ディスコやシンセ・ポップ色の濃かった前作「Little Dark Age」に較べて全体的にアコースティック・ギターの音色に存在感があり、「Oracular Spectacular」の頃のサウンドへの揺り戻しを感じさせる。
特にM7は久々に例えばThe Byrdsの子孫のようなMGMTサイケデリック・ロック・サイドが惜しげもなく披露されている。

Christine And The Queensをゲストに迎えたM3も非常にMGMTらしいシンセ・ポップであるが、同時にChristine And The Queensの楽曲としてもまた同様で、加えてアシスタントとしてプロダクションに関わったDaniel Lopatinの要素もしっかりと聴き取れる。
そしてそれが2024年現在の音として余りに違和感が無さ過ぎると言うか、つまりMGMT的なものが全く古びないという事に驚かされると共に、逆に若干の居心地の悪さも感じる。

2000年代の中頃にあって「Kids」や「Time To Pretend」のチープネスは確かに新鮮に響いたが、それはその先史に当たる2000年代前半、つまりはエレクトロニカポスト・ロックの時代との対比によってこそ鮮烈さが増した筈だった。
それなのにそこから20年を経た現在でも尚、MGMT的なものがある程度有効に聴こえるという事実は、まるで時間が止まってしまったかのような感覚を惹起する。
実際にはゼロ年代で止まったと言うよりは、凡ゆる時代の要素が等価且つ無秩序に漂流するスーパー・フラットが現実化したという事なのだろうとは思うが。

ともあれそのチープネスが故にメディア・ハイプとの謗りを受けたMGMTであるが、「Electric Feel」のような楽曲に象徴されるソング・ライティングの巧みさやメロディ・メイカーとしての才能を以って、見事に20年間をサヴァイヴしてみせた。
そしてそのストロング・ポイントは本作でも遺憾無く発揮されている。

Future Islands / People Who Aren't There Anymore

単にツイン・ギターの代わりにシンセを使ったエモ、と言えばそれまでといった感じのサウンドではあるが、ゴスのようともニュー・ロマンティクスのようとも言えそうなヴォーカルに違和感があり過ぎて、ひょっとしてある種のジョークなのだろうかと訝しんでしまう。
アーティスト写真に写る地味な中年男性4人の佇まいは宛らGuided By Voicesのようだが、見方を変えてNew Orderだと思えば腑に落ちるような気もしなくはない。

センチメンタルなメロディも手伝って感触としてはThe Postal Serviceなんかに近いが、ベースとドラムが徹底して生音なのが却って奇妙な感じで、シンセ・ポップではなくニュー・ウェイヴという言葉を使いたくなる感覚も解る。
M3やM11等のスロウなバラードに至っては最早10ccみたいな80’sAORのようでもある。

Ian CurtisかPeter Murphyのような、或いは時折ちょっとIggy Popを彷彿とさせる声で、MorrisseyDavid Sylvianみたいにシアトリカルに、且つ力一杯歌われるM5のA-Haのような80’s風のシンセ・ウェイヴは特に冗談じみている。
これが例えばWeezerCloud Nothingsみたいな如何にもエモといった感じの青臭い声だったとしたらさぞかし詰まらなかった事だろう。

ヴォーカルのSamuel T. Herringにはラッパーとしてのキャリアもあり、最近では何とBilly WoodsとKenny Segalの「Maps」にも客演があったするから益々訳が解らない。
Madlibとのプロジェクトの経験もあり、ラッパーとしてはオルタナティヴ志向が強いのは間違い無いと考えると、益々このバンドを正気でやっているとは思えない。