これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

さらに引っ越しました

はてなブログもなんかあんまり機能が好き勝手作れない感じだったので、自前でHaskell+Yesod製ブログエンジン書いてそっちに引っ越しました。

こちら: これは圏です
裏側の説明など詳細記事は「初めてのブログ」を参照してください。

現時点では、

などの特色があります。特に、

  • 記事のタグ付け
  • 貼った脚注がちゃんと表示される機能

この二つは、ローンチ時のはてなブログにはなかった素敵機能です!やりましたね!

そんな感じで。ではでは。

コントの中に観るミステリ精神 〜Monty Python とラーメンズから〜

(この資料は3/10のサークル内読書会(鑑賞会)の資料です。)

概要

今回の読書会は、趣向を変えて小説ではなく映像作品を採り上げる。と云ってもミステリ映画やドラマではなく、モンティ・パイソン*1ラーメンズ*2のコントが今回の題材である。担当者が独断と偏見で「これミステリっぽい!」と思った作品を選び、幾つかに分類したDVDを観ながら適宜雑談を挟む形で進んでいく予定だ。あれもこれもと入れていった結果、全編あわせると約150分超の超大作になってしまったので、時間と相談しながら適宜省略しつつ観ていきたい。いちおうこれでも削ったんですけどね。
その割に、ミステリとするには苦しいネタや、単にミステリっぽいタイトルだからと云う理由で採られたコントも幾つかあるが、そこはそれ、「ぽい」ものを如何にミステリにコジツケて語れるかと云う実験と思って頂きたい。ひと頻り笑った後ミステリとの関連に思いを馳せるもよし、全然ミステリじゃないじゃんと不平を垂れるもよし、あるいは笑いだけに専念してミステリ談義は寝ててもよし。そんな感じで。

※以下にはコントの根幹に係わる重大なネタバレが含まれているため、楽しみを取っておきたい人はコントを観てから読んでください※

可愛い顔してアンチテーゼ

笑いの中にミステリに対する批判精神を孕んだ、或る種の「アンチ・ミステリ」達。

★時刻表ミステリの墓標: Railway Tables(04:53)

社会派ミステリが台頭した後も、時刻表の複雑な穴を突いたアリバイ・トリックの中に本格ミステリは生き残っていた。社会派的リアリズムと鉄道は相性が良かったのかもしれないし、或いは、複雑化した交通網に依拠する時刻表トリックが複雑化する社会構造をよく反映していたのかもしれない。とにもかくにも、『時刻表トリック』と云う言葉が定着する程には、鉄道や飛行機の時刻表を使ったアリバイ・トリックは一般的なものだった。今でもトラベル・ミステリとかで使われているのかな?よく知らない。しかし、そんな時刻表トリックも、本格の世界ではもう新奇性がないせいか、近ごろ余り見掛けない。最近(といってももう12年も前だが)では麻耶雄嵩『木製の王子』の複雑なパズルのような「アリバイ崩し」によって完全に止めを刺された感がある。
しかし翻って、海の向こう、本格ミステリの故郷・イギリスでは、実に40年以上も前に既に死亡が宣告されていたのである──そう、このスケッチによって。如何に複雑巧緻な時刻表トリックが弄されていたとしても、登場人物が揃いも揃って鉄道オタクばかりであれば何の用もなさない。時刻表トリック、追悼(-人-)。

鉄道オタクであれば崩壊する、ということは裏を返すと、崩壊するには専門知識が必要であるということだ。単に一般人の知らないような時刻表の穴を突いたトリックをのうのうと説明されても、よほど明快なものでないかぎりピンと来づらいし、「だからどうしたの?」と云う感じがする。余りに専門的すぎる時刻表トリックは最早専門知識の範囲内であり、それまでの手掛かりでロジカルに解けるものを越えうる。

未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない

Wikipedia より)

と云う、ノックスの十戒にちょっと該当してしまいそうだ。まあ、ノックスの十戒を引くまでもなく、専門知識で解くようなミステリは余程上手くやらないと退屈になってしまうのはよくあることで、時刻表トリックもその類い、と云うことだろう。

☆アンチ怪盗: Dennis Moore(3:33、5:05、2:35、1:27)

不可解な殺人事件の解明を主眼とするミステリにあって、怪盗ものと云うのは或る種転倒した形式であると云える。無論、倒叙ミステリも犯人側の視点からの作品だが、大抵の場合最後には犯罪が発覚し勧善懲悪が果たされる。怪盗ものの場合、怪盗視点でないものも多くあるし、捕まってもそこからの脱出が描かれ、結局勧善懲悪は果されない。
ここに、怪盗ものの抱える危うさを見ることも出来る。怪盗を怪盗たらしめているのは、「怪盗紳士」「犯罪美学」と云う言葉もあるように人を殺さず、いわば芸術としての犯罪を追求していると云う点であると云える。そうした怪盗の中には、富めるものから奪い貧しいものに与えると云った、「義賊」的な活動をすることで寧ろ正義的な役割を付加されているものもいれば、意味のあるものは盗まないと云う規律を課す怪盗もいる。
そして、その危うさを指摘しているのがこのスケッチである。富めるものから奪い、貧しいものに与える──それは福祉国家の方法論である。そして、この「富の再分配」は非常に難しい問題であることは社会学を学ばずとも現在の社会状況を見ればよくわかる。そうした「危うさ」の観点から怪盗の在り様を批判したのがこの作品であると云えるだろう。素朴な義賊から、気付かない内に富の格差を拡大させていた、というこのデニス・ムーアの姿を見て、ブラウン神父の次の言葉を思い出さずにはいられない。

「おまえさんは、まだ若さと名誉心とユーモアがある──が、こんな商売(注:怪盗)では、せっかくのそれも永続きせん。人間というものは、善良な生活なら一定の水準を保つことができるかもしれぬが、悪事の一定水準を保つなんてことはむりな相談なんだよ。(中略)おまえさんはよく、卑劣なまねはいっさいしないと大見得を切っていたものだが、今夜は卑劣なことをやっている。(中略)しかし、このままでいけば、もっと卑劣なことをするようになる」3

(『ブラウン神父の童心』pp.129-131)

ミステリっぽい

ミステリのような物語展開を取っている、ないしミステリっぽい部分のある作品群。

★採集(26:01)

笑いの中に仕込まれた伏線の妙。視点人物の不安感が段々に増してゆき、その落差で笑いを産むことに成功している。余りに非現実的でばからしい理由で殺されようとしている視点人物の突拍子もない行動が逆に笑いを産んでいる。

☆小説家らしき存在(13:50)

この作品でも、不安感と笑いを交互に挟むことで面白みを増幅させている作品である。作家「常居次人」の正体を巡る真相はなかなかヒネクレたミステリのようで、書こうと思えばこれで長編も書けそうだ。「小説家らしき存在」と云うタイトルも真相を知ってみると実に示唆的だし、紙飛行機の「二億一機目」は、百一番目の「常居次人」を暗示する伏線のようにも取れる。

☆不透明な会話(15:18)

ラーメンズお得意の「屁理屈」じみた会話が産む笑いの妙。特に謎があるわけでもないが、信号の常識や、透明人間の存在を屁理屈で覆してみせる精神は、チェスタトンや泡坂の逆説趣味に通じるものがあると云える。ミステリで探偵が仕掛ける「逆トリック」も良くみるとこのレベルの屁理屈だったりしてしまうこともありそうだ。

エアメールの嘘(16:31)

小林がエアメールの「嘘」を鮮かに暴いていくシーンがちょっとミステリっぽいと思った。専門知識を使ってしまっているようにもみえるが、裏を返せば「科学的知識」をどこまで仮定していいのか?と云う問題に通じて、中々難しい問題だ。

お約束

見ようによってはミステリのお約束を茶化しているように観えなくもない作品群?

探偵は遅い: The Bishop(05:03)

えっとー、探偵が事件を解決するまで時間掛かりすぎだと思うんですよねー。早く事件解決してればこんなに人死ななくて済んだんじゃね?みたいな?笠井潔は「事件に探偵が影響しないように」とかって言い訳してますけどー。あるいは麻耶は銘探偵が自身の楽しみの為だけに解決を延期しちゃったりしてますけどー。ビショップはー、なんかー、観ててそういうの思い出しません?ませんかー。

☆探偵は迂遠: Inspector Tiger(06:12)

いっつも思うんですけどお、探偵って勿体振りすぎだとおもうんですよぉー。「単純過ぎる」とかってぇ、単純でいいじゃないっすかー。言い回しとかも遠回しすぎませーん?

★みんな鈍い: Court Scene with Cardinal Richelieu(8:34)

いや、そこはもう気付くっしょ、みたいなところで登場人物驚いてたりするし(笑)。
あー、この文体もう疲れた。
探偵は迂遠と云うか、ややこしく考え勝ち、みたいなさっきのお約束は、ここの弁護士の「駐車違反?それが何です!この難事件は僕が解いてみせます!」と云う台詞でもバッチリ揶揄されている。刑事ディムの「君たちはかなり頭が悪いようだな」は頭よすぎる探偵の決まり文句みたいなところがありますが、今回に関してはみんなミエミエの嘘に騙されてると云うところが転倒しており、良い感じに皮肉が効いていて素敵。 探偵役によるどんでん返しや(余りにもショーモナイ)「逆トリック」もあるし、もうこれ立派なミステリでいいんじゃないですかね(適当)。
この「何でお前らそれでマゴついてたんだ」と云う状況、叙述トリックものだとよくある事態だ。読者にはわからなくても登場人物視点では明らかに過ぎるような真相でも見逃がされていたりする。類似の例としては、麻耶雄嵩が『本ミス』の「ミステリ映画マニアックス」に挙げていた『遠山の金さん』第11回がある。

鬘を被っただけでオランダ人と云い切るのは無理があるだろと、お約束のツッコミを入れながら観ていると、お白州で片肌を脱いだ杉良が「お前は偉人の返送をして詐欺を働く有名なお尋ね者だな!」だなんだと云って、天本の正体が日本人のヤクザ者であることを喝破してしまう。(中略)視聴者には最初からあからさまなのに、ドラマだからという先入観のため、杉良が指摘するまで真相に気付かない。見事な叙述?トリック。

(『2009 本格ミステリベスト10』P.96)


似たようなものでいくと、ばいきんまんの変装が剥れたときにみんな驚く、みたいな。

ソレ系のアレ

お察しください。一気に観ましょう。

本人不在(11:56)

散々公共放送の集金練習風景を観せておいて、中盤あたりで実際には偽物であることを明かす、と云う完全なる叙述トリック。今まで築き上げてきた世界観を突き崩すことで、大きな笑いを産んでいる。こうした手法は、「study」を初め他のラーメンズの作品でも見出すことが出来る。
演劇と云う表現空間は、素舞台に身振り手振りだけで、あとは観客の想像力で全てを創造する。そこに叙述トリックの付け入る隙があるのではないか、と云うことを(この作品とは関係なく)思ったりする。

★Kilimanjaro Expedition(4:52)

オチのところまで何でこれを選んだのか解らなかったと思う。映像ならではの「視点の問題」を示唆している。ミステリ小説には「地の文」の概念がある訳だが、舞台や映像では「地の文」がきちんと定義出来るのか?と云うのは自明ではないだろう。最後で急に切り替わった卿の視点と、最初からのアーサー・ウィルソンの視点の、どちらが「本当の視点」なのか、と云うことはこの映像だけからは決定出来ない。ミステリのいわゆる「信頼出来ない語り手」問題との関連をこの作品に見出すのは無理のあることではないだろう。

銀河鉄道の夜のような夜(22:17)

これだけ上の二つと区別してトップに用意したのは、偏にこの作品の持つ魅力を損いたくなかった為である。ミステリとしては或る種反則と云える真相でも、舞台で周到に伏線を張り、演技を磨き上げることで完全に正当な叙述トリックとして成立し得ると云う好例である。なおかつ、そのトリックを外して実際の風景を再度描写してみせることで、その隙間を効果的に意識させ、何とも云えない情感を生み出すことに大成功している。叙述トリックとその解明の両方をこれほどまでに鮮烈に描き出し、物語を立ち上げることに成功している例を私は他に知らない。

結論

こうしてレジュメを書いてみて思ったのは、コジツケでも何かしらミステリを語ると云うことは案外可能である、と云うことだ。日頃からミステリな眼で他の作品を観てみると、普段とは違った発見があるものだ。
こうしたのはラーメンズの脚本を手掛ける小林賢太郎の「何でも面白がる」視点と共通するものがあるだろう。ラーメンズのコントが驚きや落差による笑いを追求しているものが多いのも、この逆向きの視点の一致によるものかもしれない。余りに驚天動地のトリックすぎて笑ってしまうような、いわゆる「バカミス」の存在も、こうした共通性を暗示しているように思える。

出典・参考文献

  • ラーメンズ第16回公演『TEXT』DVD……「不透明な会話」「銀河鉄道の夜のような夜」
  • ラーメンズ DVD-BOX(上記以外)
    • 『ATOM』……「採集」
    • 『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』……「本人不在」「エアメールの嘘」「小説家らしき存在」
  • 空飛ぶモンティ・パイソン40thアニバーサリーBOX《フィギュア付・完全限定生産》 [DVD]
    • 英題のパイソンズのスケッチはすべてこちらから。
    • 第一シリーズ第03話……”Court Scene with Cardinal Richelieu”
    • 第一シリーズ第09話……”Kilimanjaro Expedition”
    • 第一シリーズ第11話……”Inspector Tiger”
    • 第二シリーズ第04話……”The Bishop”
    • 第二シリーズ第11話……“Railway Tables”
    • 第三シリーズ第11話……”Dennis Moore (Part 1〜4)”
  • 麻耶雄嵩『木製の王子』、講談社ノベルス、2000年。
  • G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』、創元推理文庫、1982年。
  • 笠井潔『バイバイ、エンジェル』、創元推理文庫、1995年。
  • 探偵小説研究会・編著『2009 本格ミステリベスト10』、原書房、2008年。


*1:40年程前コント界に革命を起こしたイギリスの六人組のコメディ・グループ。メンバーは現在もなお欧米の文化に影響を残しており、例えばスパム・メールの語源になっている。

*2:現在劇場を中心に活躍する片桐仁小林賢太郎のコント・ユニット。言葉遊びや屁理屈、あるいは物事を他の視点から捉えることによって独特の笑いを追求している。

Gitolist、開発中。

どうもどうも。

Gitolite を使ってさくら VPS 上と手許のマシンとで色々TeXやらプログラムやらを管理してるんですが、なんかウェブ経由で色々見れたほうが便利だし、構ってちゃん精神的にも嬉しいですよね。
まあそのために GitHub があると云えばそうなんですが、重いし Hub に上げるまでもないようなものもあったり。

あとは最近 Category Theory の和訳をしていて、それを本を持っている限られた人だけに公開したい、と云うニーズもあったり。GitHub だとこの辺りのことは pay しないと private なのは作れないですし。

と云う訳で、Gitolite で設定したアクセス権に応じて見せたり見せなかったり、と云う Web Frontend を Yesod で作っています。まだ全然機能的には足りていないですが、動いている模様は http://gitweb.konn-san.com/ で見ることが出来ます(時々落としたりしますが)。

取り敢えずレポジトリGitHub開発中のGitolistで見ることが出来ます。

機能紹介

現時点では、 Gitolite で guest が読み書きできるレポジトリの内容だけアクセスすることが出来ます。
例えば gitolist や TeX の内容は読めると思いますが、"Category Theory" を選んでも現時点では Forbidden が返るはずです。
ゆくゆくはログイン機能を実装して、ちゃんとアクセス制御が動いてるのがわかるような感じにする予定です。内部的にはまああとはログインさえ普通に実装しちゃえば恐らく動くはずで。登録機能を付けるかどうかはちょっとむずかしいですが、clone とか出来るようになったらよいかもしれない。

現状では以下の機能があります。

  • ディレクトリ内容の一覧機能
    • README.* があったらその内容を整形して表示
  • ファイルのプレビュー
    • ソースコードはカラーリングして表示。一部画像ファイルは埋め込んだ形で見れます。
    • 一応日本語文字コードの範囲内であれば判定して、自動的にUTF-8に変換して表示。
    • 表示に対応していないものは Link を表示。
  • ファイルの個別ダウンロード
  • Commit / Branch を tarball で落とせる(ディレクトリ表示のさいに Get Tarball をクリック!)

デザインの才能がないので質素な動作画面です。

f:id:mr_konn:20120222015639p:plainf:id:mr_konn:20120222015634p:plain

設定方法

  1. Gitolite をインストールします。
  2. git clone git://github.com/konn/gitolist.git *1
  3. Settings.hs を書き換える。repositoriesPath を Gitolite の repositories への絶対パス、guestName をウェブからログインなどせずにアクセスした場合のデフォルトでのユーザ名。
  4. config/settings.yml を環境に合わせて書き換える。
  5. cabal install または cabal-dev install
    • charsetdetect package を使ったより正確な文字コード判定をしたい場合は -fcharsetdetect オプションを付けることをお勧めします。と云うか最初はこのオプションを付けてインストールしてみて、失敗するようだったら外してください。
  6. gitolist Production --port 3000

TODO

レポジトリ閲覧サービスとしては致命的なことに以下の機能がありません。これから実装します。

  • ログイン機能
    • Gitolite と連動した柔軟なアクセス制御を謳っていながら、肝心のログイン機能を付けてないので意味がないです。近い内に付けます。その場合登録機能をどうするかっていうのが難しいのでその部分だけ遅れて実装される可能性大。
  • Commit / Tag / Branch の一覧機能
    • レポジトリの commit / tag / branch を一括して取得する方法がよくわかんないのでこれから調べて実装します。ref がわかってる場合は適当に /tree/abcdefewefwfee とかすればその commit / tag / branch が見えますし、Get Tarball でその版の tarball も持ってこれます。
  • ファイルやディレクトリのヒストリを見る
    • commit / tag / branch 一覧機能が実装できればこいつもなんとかなるはず。
  • Clone 用 URL の提供
    • 面倒なので今度やります。
  • 綺麗で直感的な GUI
    • 才能〜〜〜
  • Big Conf の対応
    • やる気ないです。誰か実装したら教えてください。

裏話

まあ最初は gitweb 使おうと思ったんですよね。でもなんか Gitolite との連携を設定しようと思ったんですが ssh gitolite htpasswd が上手く動かなくて挫折。まあ自分で更新すりゃあよかったんですが。
あとは実際には Mighttpd2 のリバースプロクシ経由で動かしていて、何故か gitweb cgi がその環境だと上手いこと動いてくれなかったのでじゃあ自分で書いちゃおう、と。

でまあ Gitolite の conf の parser を書いたぞ!と云うところで d:id:maoe さん経由でgitlabの存在を知る。ほげーーー。まさにこれ欲しかったやつじゃんGitoliteとの連携もするしなんかUIもリッチだしこれでいいんじゃね????私の努力なんだったの……!と云う気分になるも Rails のセットアップに挫折。Ruby Must Go! オワコン

と云う訳で、しっかりした Yesod App 書いたことなかったなぁ、と思ったので勉強も兼ねて一から実装している次第。Git repo を読むのは d:id:kazu-yamamoto さんのgit-object を使ってます。

まあそんな訳で、ぼちぼち開発していきます。ぼちぼちと云いましたがここ四日間は殆んどこれに費していて(その割に進度が遅いですね!)、まあ明日以降は少しずつ控え目に実装していくことになるかと。
なんかアドバイスとかあったらください。

ではでは。

本格ミステリにおける「真相」の問題について 〜三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』〜

※おことわり:この記事は 2012/01/14 (土) にサークルで行われた三津田信三『作者不詳』読書会のレジュメを一部加筆修正したものです。作品の全体にわたるネタバレが含まれていますので、未読の方はご注意下さい。※

趣旨

『作者不詳 ミステリ作家の読む本』は三津田信三の第二長編にして「作家」シリーズ第二作目であり、今回の課題本はそれに大幅な加筆修正を加えた文庫版である。作者の著作としては他に最近の「刀城言耶」シリーズが有名であり、こちらもホラーとミステリの融合が特色であるが、本書では初期の「作家」シリーズの特徴であるメタフィクション的趣向を用いてそれを実現している点がそれと異なる。
今回の読書会では、『作者不詳』および「刀城言耶」シリーズに共通して見られるホラーとミステリの融和と推理の取り扱いを通して、ミステリにおける『真相』の問題とホラーや他分野とミステリの関係性を掘り下げてみたい。

課題本について(注:この節は盛大なネタバレを含みます

前述の通り、本書はメタフィクション的手法を用いてホラーとミステリの融合を図った作品である。「作家」シリーズ第一作の『忌館 ホラー作家の棲む家』の前日譚を起こした手記と云う形式を取っているが、内容には直接の関連性はない。
物語は、三津田の親友・信一郎信一郎が杏羅町の〈古本堂〉で『迷宮草子』なる同人誌を入手するところから始まる。『迷宮草子』に収録された怪異譚を読んだ二人を怪異が襲いはじめ、その物語に合理的な解決を付けることで二人はその怪異から逃れようとする。

七つの怪異譚

『迷宮草子』に収録された七つの短編と、それぞれに二人が付けた解決を纏めたのが次に掲げる表である。

短編名 現象 解決
霧の館 白い服の幼児。ドッペルゲンガー。沙霧は何を見て恐怖したのか?沙霧(?)が声に反応しなかったのは何故?珈琲の湯気から近くにいる筈の殺人犯はどこに? 沙霧は耳が聴こえなかった。幼児は狸を見間違えた。
子喰鬼縁起 乳母車からの嬰児消失、誘拐。ひとまず前日に誘拐事件を起こした男が疑われる。
  • 「黒井」が赤ちゃんを藪畳に隠し、攫った
    • 泣かなかったのが不自然
  • 父親が不義の子と知り始末
    • 時間・隠し場所がない?
    • 二重底の乳母車で解決?
      • 怪異が続くので違う
    • タイミングの問題
  • 丁江夫人が攫った
    • 想像妊娠。腹に隠し嬰児は死亡。
      • 尚も怪異が止まない→我が子として育てた。
娯楽としての殺人 真戸崎が毒を飲んで変死。自殺と結論されるが、「私」は「親友を殺す」ことについての原稿を見付け、殺人として捜査を始める。
  • 情景描写から消去法→三人の下宿生は犯人ではない
  • 大家の息子も違う
  • 『娯楽としての殺人』は実は真戸崎が書いた。毒殺しようとして誤って自分で飲んだ。
    • 〈彼〉は特定出来ないが、福利っぽい。
陰画の中の毒殺者 「民子」を取り巻く男たちの会で殺人が起きる。ワインに毒が盛られたと思われるが、誰にも機会がない。
  • 中杉が犯人。笠木は左利きだった。
    • ワインは予想不可、性格の問題
  • 矢尾が窓の外から毒を入れられる
    • グラスを渡す方法がない
  • 民子が犯人。ワイン全てに毒を盛り、珈琲に解毒剤を混ぜた。
    • ワインは予想出来ない
  • 井間谷が犯人。遅溶性カプセルを使用
※いずれも解釈。決定打なし※
朱雀の化物 「朱雀の化物」により、学生のグループが次々と毒殺・バラバラ殺人の被害者となる。
  • 事件ノートは犯人が書いたもの
  • Yと仲の良かったシゲキの犯行
    • 死んでいるシーンに『朱雀の化物』が登場している
  • 犯人=視点人物は「Y」
    • 「自殺した」ことにされているイジメだった
    • ミヨが一人で荷物を持てる筈がないことなどもそれを補強
時計塔の謎 空中の密室。千砂は本当に事故死?なぜ太陽が刺しそうなのに何故千砂はサングラスを取りに戻らなかったのか?何故テラスから身を乗り出したのか?
  • 時間の問題。千砂は太陽に背を向けていたので塔から降りなかった。
  • 幼児「ルリちゃん」がミラーで光を当て、立ち眩みを起こした千砂は落下死
首の館 孤島の連続殺人。小説への見立て首斬り殺人。全員の首が斬られているので犯人が存在し得ない。
  • 神童末寺が犯人の可能性は?
    • 存在しない人間が現れたら不審
    • 神童が犯人なら語り手だけでなく全員に対して最初に死亡を確認させる
    • しかし全員の首が斬られている以上神童が犯人では?
      • 記述を信用する限り死んでいる
  • 舞々が犯人。首は自殺した双子の妹。
    • 身分証を持っていない舞々の身許を知る方法がない(=最初から知っていた)
    • 「舞々の首」でなく「彼女の首」と書いている


こうして並べてみると、『作者不詳』には実に色々な種類のミステリの事件や推理形式が含まれていることがわかる。また、後半に進むに従って、一定の解釈を下すまでの過程で様々な可能性が取り沙汰されては棄却されていく、という或る種「推理合戦」的な様相をも呈してくる。
こうして一見「合理的」な解決を与えられた後もしかし、三津田たちは更なる怪異に見舞われる。信一郎は読めない作者名の意図、名前の符合などから全ての原因は三津田にあったと結論づけ、終いには自分の存在をも否定する。
ここで開陳される推理、推論などは部分部分を取り出してみたときにはかなりの説得力を有しているが、全体として見ると一貫性に欠け矛盾している。その事に気付いた三津田の指摘により、文庫版では彼らはすんでの所で引き戻される訳だが、それでも結局彼らは読者をたばかり変化を続ける『迷宮草子』の中に取り込まれることとなってしまう。『草子』の中に自分達の物語を発見した信一郎は云う。

「僕たちが助かる道はひとつ」(中略)
「今、この台詞を読んでいるあなたが、『迷宮草子』の謎を解くことです。ただし、失敗した場合は、もちろん

([1] 下巻 P.428 より)

これは、暗に『迷宮草子』の物語に他の解釈を見出せ、と云っているようではないだろうか?実際、『霧の館』には矛盾点が指摘されている。他の解決は可能なのだろうか?

本格ミステリと『真相』──あるいはミステリの出自

ここで、ミステリの出自と云うものを考えてみる。『21世紀本格宣言』において島田荘司は次のように書いている。

「モルグ街の殺人」が持っていた時代的な意味は、当時最も神秘的であった幽霊現象と、当時最新鋭であった科学の成果とを、果敢にも出遭わせた精神にあったと私は考えている。ポーは、多くの犯罪に続いて伝統的な幽霊現象をも、近代警察の科学知識と、陪審制の法廷の中央に引き出したのである。

([4] P.17 より)


ミステリは幻想文学の流れを汲みつつ、そこに近代科学的思考法が組み合わさり、謎を「解体」していく文学であると云う訳だ。ホラーは幻想文学の系譜であるとすれば、三津田の試みているホラーとミステリの融合と云うのは、一見ミステリの祖先へと回帰してゆく試みとも取れる。しかし、ミステリの本質が謎=恐怖の解体にある以上、両者を両立するのは容易なことではない。怪奇に傾けばミステリの合理性が霞み、解決が目立ちすぎては怪奇の方が霞んでしまう。

三津田のそうした危うい試みを支えている方法の核は、「推理合戦」的な趣向であると云える。それは上で言及したような『作者不詳』における複数解釈の提示や別解の示唆であったり、「刀城言耶」シリーズにおける二転三転する解決編のあり方であったりする。 一応の「真相」らしきものを提出しつつも、 複数の可能性を取り沙汰することで絶対性を否定し、モヤモヤ感を残すことに成功しているのだ。また本書では、要所要所で取り上げられる『迷宮草子』の記述の信頼性と云う根幹に関わる問題や、そもそも怪異の中心である『迷宮草子』自体に確たる法則性を見出そうとする行為そのものの危うさも、この試みを成功させるための重要な要素となっている。

これは、ミステリとしてはあやふやな形式に思えるが、様々な解釈を並べて相対化してみせたり、記述の信頼性や法則を仮定することのあやうさを提示することで、実際にはミステリがこうした問題を孕んでいることを浮き彫りにしているとも云える。『作者不詳』終盤の更なる怪異の中での、信一郎の台詞は実に示唆的だ。

「謎の対象が何であれ、推理する者の視点の置き方によって、取り上げる事項の選択によって、解釈など千差万別に変わるものなんだ。よって僕が解き明かした真相は、ある現象を説明できる、あくまでもひとつの解釈にしか過ぎない。何の証明にもならないんだよ」

([1] 下巻 P.410 より)


ミステリにおける「真相」と云うのは、数ある解釈の中で最も説得力のあるものがそう呼ばれるに過ぎない、と云う訳だ。怪異に憑かれた信一郎は自身を「想定読者」、三津田を「作者」と表現するが、役割的には信一郎が「探偵」、三津田が「読者」と考えることも出来る。ここで「三津田が納得したから怪異が消えた」と云うのは、そのまま「読者が納得したから」と読み替えることも出来る。

これは『モルグ街』以降、透徹した論理と科学的思考によって神秘を解体してきたミステリの一つの限界を指し示してもいる。こうした問題は、後期クィーン的問題とか、「操り」などと呼ばれてきた問題*1と同根である。
後期クィーン的問題については筆者が後期クィーンの作品を全く読んでいないため概説するに留めるが、探偵が開陳した「真相」が本当に真相であることをどうやって保証するのか、と云う問題と思っておけばよい。
麻耶雄嵩などはこの問題を逆手に取り、無謬性を保証されている「銘探偵メルカトル鮎と云う探偵を創出している。つまり、「探偵がいったことが何がなんでも真実」と云う訳である。他にも色々と考えている人がいるらしいので、その辺りに詳しい方の記事を読むと色々わかる。
翻って、この事実を認めて仕舞う行き方と云うのも存在する。城平京の近作『虚構推理 鋼人七瀬』では、凶暴な物の怪による怪異を無効化する為に、その存在を否定する偽りの真相を「でっちあげ」ると云う離れ業が行われる*2。この作品において行われることは旧来のミステリの形式からは逸脱して見えるが、実際にはこれこそがミステリの「真相」の在り方の本質であるとすら云える。

こうした事が可能であるのは、ミステリの「論理」の在り方に理由がある。ミステリにおける「論理的解決」と云うのは、数々の証拠や矛盾点を取り上げて、それらを包括的に説明出来る「解釈」の事を指すことが殆んどである。勿論、証拠やその様態から演繹的に事実を導く推論もあるが、そういった作品はそこまで多くはない。一つ一つの証拠から事実を導くさまを、 通常論理学で扱われる「演繹的(deductive)」な推論と対置して、「帰納的(inductive)」と表現する人も多いが、どちらかというと「蓋然的*3(abductive)」な推論(アブダクション)であると云える*4帰納的推論とアブダクションの違いは一見曖昧だが、帰納的推論は、

カラスAは黒い
カラスBは黒い
カラスCは黒い
∴ 全てのカラスは黒いのだろう

と云うような、個々の現象・個体の性質を全体に一般化して普遍的な法則を推測しようとする推論方法であるのに対し、アブダクションは、

現場には黒い羽が落ちていた
現場に落ちていた生ゴミ袋が荒らされていた
現場にある筈のビー玉がない
現場で「カーカー」と云う鳴き声を聴いた人間がいる
∴ 現場に居たのはカラスだったのだろう

と云った具合に、個々の現象から、それらを全て説明しうる仮説を導くのがアブダクションである。どちらも演繹的な推論と異なり絶対的な推論ではなく、新たな証拠や事実によって崩れうる。前者の推論はアルビノのカラスを連れてくれば崩れるし、後者も実はカラスがいたように見せ掛ける工作が行われた可能性を排除出来ない*5
このアブダクションと云うのは、科学者が新たな科学理論を見出す方法論でもある。 ミステリの出自が「幻想文学」と「近代科学」の遭遇によるものである以上、ミステリがアブダクションによるのは自然な帰結であると云える。

結論

本格ミステリにおける「真相」と云うのは、その真実性を担保出来ない以上、実にあやうい問題を孕んでいることがわかった。しかし、翻って考えてみてミステリをミステリたらしめているのは、この「真相」の存在であるとも云える。あやうさの根本であるアブダクションの原理は科学的思考によるものであり、また真相を与えずに怪奇現象や不可能犯罪が描かれるのみでは、本流の幻想小説やホラーと変わらない。

逆に、こうした「あやうやさ」があるからこそ、「推理合戦」形式や「どんでん返し」といったものが成立と云える。また、チェスタトンや泡坂の「逆説」が本格ミステリとして扱われるのも、本格の方法論がアブダクションに大きくよっている為だろう。関連する「後期クィーン的問題」や「操り」問題に関してもそれらを克服する過程で多くの優れた作品を産みだしてもいる。

「真相」の孕む「あやうさ」は一見大きな瑕疵とも見えるが、実はこれこそがミステリの本質・原動力であり、 その存在によってこそミステリはここまで豊穣な分野として発展することが出来たのである、と云う主張をもって本稿の結論としたい。

参考文献

落下考

気づいたら落下していると云うことがあり、中々厄介である。

大抵の場合、落下は一分と掛からずに終了するので、そうした場合は目をつぶっていればそれで済むのだが、時たま超高層から落下すると云うこともあり、この場合落下時間の推定と云うのは容易ではない。

どんな場合に落下するのかと云ったことがわかっていればこちらとしても幾分心の準備が出来ようものだが、生憎とそれは落下する瞬間までわからないときている。スヤスヤと寝ていたはずがいつの間にか落下していたり、書店を冷やかしていたら足許が消失したり、ゆきずりの女性と一夜を共にせんと布団に潜った筈がいつのまにか落ちていたりと、その直前の状況にもまるで一貫性がない。
無論、落ちるシチュエーションが千差万別なら落ちる先と云うのも変化に富んでいて、オーソドックスなアスファルトから洋々たる海面、月の表面、場合によっては蚤の背中などまるで節操と云うものがない。

落下すれば当然痛い。それはそうだ。高所から地面に叩き付けられて痛くない筈がない。血だって出る。肉だって剥れる。最悪死ぬ。最悪死ぬので出来れば落下したくないと思うのが人情だが、落下の方はこちらを中々こちらを忘れてくれないようで、忘れた頃に思い出したように落ちる。

それでもひところよりは落下の頻度と云うものは減ってはいる。噂によれば最近では他にも落下する人がちらほら出て来てもいるらしく、落下の方が別の人間に興味を持ちだしたと云うことらしい。とは云っても依然としてお決まりのコースではあるらしいと云うのが現状である。あちらを落としこちらを落としとコロコロと対象を変えるのは落下の方としても面倒だろうと思うので、新しい候補が見付かったのならそちらに集中して欲しいと云うものだが、相手が落下に適する人間であるかどうかと云うのを見極めたいと云う魂胆なのだろう。


とまれ、私以外の人間が落下させられる頻度と云うものが増えてはいるのだから、これは私が段々飽きられつつあると云うことで良い兆候だ。落下の始まりも突然なら、終わりも突然やってくるに違いないと呑気に構えている。私が落下する以前には誰が落下させられていたのか、それとも私が落下のし始めなのか、その辺りは私の感知するところではないし、興味もない。取り敢えず、落下は痛い。


しかし──と思う。私も大概この落下と云う現象に慣れてきており、突然落下しなくなったなあ、と云うことに気付いたらそれはそれで寂しく思うのではないだろうか。確かに痛いし、時折死ぬし、落下と云うのは勘弁してほしいと云う心持ちではあるのだが、何度も繰り返す内、落下していると云う事実に対して安心感と云うか安定感と云うか、とにかくそういった感情を覚えていることに時折気付く。
まあ、これは麻痺とか適応と云う奴なのだろうとは思うのだが、ひょっとすると情が移ると云うこともあり得て、些か判断に困っている。気のせいだとは思うが、そうは云っても感じるものは感じるし、正直持て余しているのが現状である。自己分析めいたものをすることも出来るが、自己分析をする自分、を自己分析する自分、を自己分析する自分……と際限がなく続けることが出来、その度に出る結論も異ってくるとなれば最早やるだけ意味の無いこととしか思えない。

まあいずれにせよ、落下頻度が減っているのであればそれは結構なことであり、喜ぶべきことである。──頭ではそう考えているし、事実そうなのだろう。頻度が減ってきた、と云ったが正確にはここ数ヶ月間いちども落下しておらず、おそらくこれは自己最長記録を更新していると考えてよいだろう。だからもう殆んど落下は終わったものと考えても差し支えないのだが、そこは落下のこと、長期間おいて油断したころにヒューーッ、と云うこともありえて一概に判断は出来ない。


このように書いていると、恰も落下を渇望しているように見えるが、そう云うことはない。と云うことに表面上はしている。落下するなんて社会通念上も良いものではなく、ましてや世の受験生や就活生などと云う人種にあっては言及すら忌避するレベルの概念だ。そんなものを渇望するのは尋常な人間のすることではない。それでぜんたい君は尋常な人間であるのか、と問われてはいと答える自信はないが、とにかく自分が最近めっきり訪れなくなった落下を無意識下では渇望しているなどと云うことを、誰しも考えたいとは思わないものだ。


だからまあ──この現状でよいのだろう。落下の方は私のことをすっかり忘れてしまっているようだし──まあその陰で別のひとが散々落下されているのだと云う事実については世の中には犠牲と云うものは付き物だと云うことにして──私の方としてもあの忌々しい落下のことをこのまま忘れてしまって何も問題はないし、寧ろ積極的にそうすべきですらある。


しかし──暫くの間は、落下することを考えているのだろう。それがきっと、人間と云うものだ。