『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』

『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』

『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』(編:小平麻衣子・井原あや・尾崎名津子・徳永夏子/慶應義塾大学出版会)

電子版もあります。

 

公式情報

慶應義塾大学出版会 | サンリオ出版大全 | 小平麻衣子 井原あや 尾崎名津子 徳永夏子

https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766429404/

www.keio-up.co.jp

 

自著を語る『サンリオ出版大全』(サイト「日本の古本屋」内)
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13375

www.kosho.or.jp

 

 この本が出たことはすばらしいことだけれど、いろいろと注意が必要な本であることは言っておきたいと思ってこの記事を書きます。


よい点

 サンリオはキャラクターそのもの、もしくは企業研究みたいな観点で話題になることが多く、そのなかに出版社としての意義がはあまり触れられてきませんでした。

 定番は文庫化もされたこれ。公式情報的内容です。

・『サンリオの奇跡』(上前淳一郎/PHP研究所1979/角川文庫1982)

 ↑の後の時代をフォローするのがこれ。

・『サンリオ物語』(西沢正史/サンリオ/1990)

 

 総花的につかむのはこの2冊かと思います。その後も企業研究的に取り上げられるのは現在も続いています。

 キャラクターについては深入りするとめんどうなのでさくさく行きます。

 

 なので、最初に書いたようにこの本が出たこと自体が最大のよい点です。注も多く、しかもそれが見やすいのも特記すべきことでしょう。一般書の体裁に近い気がします。

 

 

よろしくないところ

 「一般書」と書きましたが、執筆者は研究者です。版元も大学の出版会ですから論集として出したのかもしれません。もし、これが学術書のつもりであるのならちょっと弱いというのが私の印象です。なぜそう思うのか。重箱の隅で申し訳ないのですがー。

 

 私の場合、どうしてもまんが関係の「マンガ雑誌『リリカ』の挑戦」(村松まりあ)(p.273-303)に目が行きます。他のジャンルはそこまで知らないので、欠点があってもよくわからないというのもあり。
 なので、話が「リリカ」の章に集中してしまうのですが、他の論に欠点がないという話ではないし、この論がこの本のなかで特によろしくない、劣っているということではないです。偏った話で申し訳ない。


 長い引用をします。

『リリカ』が創刊された一九七〇年代中頃、少女マンガは「少女」に限らない多くの読者を獲得するようになっていたが、そこには大きく二つの潮流があったと指摘されている。第一の潮流は、大島弓子竹宮惠子萩尾望都など「二十四年組」と呼ばれるマンガ家たちによる作品群である。『別冊少女コミック』を中心に活躍した彼女たちの作品は、マンガ評論の中で、その「文学性」が評価されてきた。それに対して、第二の潮流としてあったのが、田淵由美子や陸奥A子らによる「乙女ちっくまんが」と呼ばれる作品群である。『りぼん』を中心に展開されたこれらの作品は、「等身大の少女」を描いたエンターテイメント性の強いラブコメ作品が主流をなしていた。(18)
 こうした状況の中で、創刊当初の『リリカ』はそこに集まったマンガ家の顔ぶれからは、後者の流れに近い雑誌であったといえよう。
p.283
※「田渕」が正だが、「田淵」ママ。

 

 (18)はたそがれ時に見つけたもの』(大塚英志筑摩書房
 ううーん、となるのは大塚さんの言説が1980年代の知見であることです(本が出たのは1990年代に入ってから)。この本がすぐに出てくる場所にないので、この引用が内容をうまく引用しているかどうかは置いておきます。
 これをこのまま2020年代の本に引用するのはどうなのか。このあたりの言説が30年間変化のないものと思われているのなら心外です……。

 

 樹村みのり市川みさこ山岸凉子、大矢ちき等は、『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家たちであるが、同時に『りぼん』誌上でも人気を博した面々である。(19)
p.284

 

 (19)は芸術新潮」2014年2月号掲載「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」(インタビュー・松苗あけみ/聞き手・藤本由香里)。

 もっと「?」が飛ぶのがこちら。専門に即して山岸凉子さんについて言えば、「リリカ」創刊号と第2号の2号にわたって掲載された「落窪物語」一作のみである。「『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家」であるかというと疑問を持つ方は多いのではないか(いやらしい書き方で申し訳ない)。創刊にあたっての有名まんが家枠であったので、この人選がそのころの「リリカ」にとって意味があったくらいならばそうだと思うが、「長きにわたって」は事実としてありえない。ありえなくても断言したい時というのはあるけれど、ちょっと無理があるのではないか。
 これは、まんがについて知識が足りなくても「リリカ」について知っていれば書かない記述だ。何も「リリカ」全号隅々まで精読しろと言っているのではない。ネット上にある目次を見るだけでわかることを確認してほしいという話です。

 

サイト「目次屋仮店舗」(まんぱら内)
「リリカ」総目次が製作者の許諾を得て転載されています。
https://manpara.sakura.ne.jp/lyrica/mokujiya-top.htm
https://manpara.sakura.ne.jp/

 

 「りぼん」サイドからみると、樹村みのり山岸凉子、大矢ちきは決してこの時代を代表する作家ではない。
 いわゆる「24年組」に「文学性」があり、それが「リリカ」の「教養」と比すべきあるいは親和性のあるものだったとして、このラインナップでは説得させることはできないと思います。

 

 次の指摘。

 乙女ちっくとサンリオのむすびつきを直截にふろく文化に結び付けている部分も「?」でした。インテリアにおけるカントリー調*1、アイビーといった流行について触れずに結びつけるのは無理があるのではないだろうか。

 

 さらに指摘。

 主に小学館で活躍した市川みさこを「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」に入れるのもどうかと思う。
 「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」からとして注の中で「『りぼん』で活躍していたマンガ家のうち、カラーイラストが得意だった者たちが『リリカ』に移っていった」(P.296)とまとめているが、「カラーイラストが得意だった者」と「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」は内容が異なる。おそらく根拠となる知見があるのかと思うが、この不正確さはひっかかるところとなる。

 またこのような記述。

 

睦月とみというペンネームは、『リリカ』誌上においてのみ用いられたものである。
p.285

 

 「睦月とみ」名義は小学館などにも使用されている。よく知らなくても、ちょっと検索してネットで西さんのリストを見ればいいだけの話です。

 

サイト「矢代まさこ漫画館」(ばくのお宿」内/西みつのりさん)
https://yashiro-fan.nishimitsu.com/
https://nishimitsu.com/index.htm

 

 この数節後に、睦月とみ作品の分析になっていくのだけれど、論旨には「『リリカ』誌上においてのみ用いられた」という内容は関係しないように読める。そもそもこの情報は不要なのではないかというのが私の感想です。


 内容がどうという以前にうかつな記述が多いという印象になってしまうのは損だと思います。*2


ミニ情報

 これはいい点悪い点でなく、ミニ情報として。

 「サンリオSF文庫の小説世界」(加藤優)(p.330-353)で「山野の推薦でサンリオが版権を押さえた作品は二〇〇冊を超え(9)」(p.332)とありますが。

 (9)とは『サンリオSF文庫総解説』(編集:牧眞司大森望本の雑誌社掲載の「サンリオSF文庫の伝説 山野浩一インタビュー」(聞き手・大森望)のこと。おそらくここを根拠としています。

 当時、二百冊の翻訳権を押さえたという噂もありましたが。
 最終的にはそのくらいになっていたと思います。ディック全部とかレム全部とか、ケイト・ウィルヘルム全部とか、全版権を押さえた作家が何人かいたし、一巻から十巻まであるものは。全部まとめて取らなきゃいけない。そういう形で、実際にすぐには出せないものまで含めると、二百冊くらいになったんじゃないかな。
 創刊辞典で?
 いや、最初から二百冊はちょっと(笑)。翻訳者もそんなに集められるわけじゃないし、僕自身の中で出したいって思うものがそんなにたくさんある訳じゃないから。
p.13

 

 このような本がありまして。

・『サンリオ闘争の記録』(全国一般南部支部サンリオ分会/マルジュ社/1984


 おもしろい読み物かというとそうではないのですが、いろいろと見どころがあります。タイトルの通り、労働争議の記録集です。
 最初から200点の訳がない、訳者も確保できないなどど、山野さんのおっしゃることは大変現実的です。

 この本のなかの情報として以下のようなものがあります。

十月十六日号で日本特集をしたアメリカの業界誌「パブリッシャーズ・ウィークリー」に大きくとりあげられたほどである。その記事はサンリオの出版外活動を紹介したあと、ある翻訳エージェントからわずか六ヵ月の間にSFや映画化ものを中心として三〇〇点の権利をとったと驚きをこめて報じている。

※1978年のこととしての記述
p.22

 

 SF以外を含めた翻訳権を300点押さえていた、と。大森さんが200冊としたのはこうした報道からの記憶でしょうか。

 

ロードショー映画の原作本、時の話題的なキワモノ、SFブームのなかでのSF文庫など、三百点を超える版権を買い、年間百五十点もの刊行を予定していた(朝日新聞一九七八年六月十二日付参照)
p.68

 

 なんと1年に150点刊行の計画であったようです。月10冊以上の刊行となります。そのために、委託の編集者が劣悪な環境で勤務を強いられ、労働争議に至ったという訳です。

 

 ちなみに「リリカ」についてこんな記述も。

「売上げがあがらなくちゃ責任をとってもらう。高橋健さんもあれも結局リリカの責任をとってやめさせたんだからね。本人はやめたと言っているが……」
(辻社長の発言)
p.59

 

 以下、文中に出した本やサイトとご参考。

*1:『本と女の子 おもいでの1960-1970年代』(近代ナリコ河出書房新社)で内藤ルネは自分が提案して流行したものとして語っている。この記事は、1972年創刊の雑誌「私の部屋」の仕掛人としてのインタビュー。

*2:海外進出を見据えてフルカラー左とじの雑誌として創刊されたことについて触れられていないのはとても違和感があるのですが、内容のまちがいではないのでツッコまないでおきます(左とじAB判であることは触れられているが「「まったくかわったマンガ雑誌」として売り出すため」(p.274)と「いちご新聞」からの引用を使用した説明を付している)。

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8-11札幌まとめ

 2024年3月8日から11日までの札幌旅行の記事のリンク集です。

 

展示と周辺情報

(公式サイト)『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展  -大和和紀山岸凉子 札幌同期二人展-

https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html

www.city.sapporo.jp

 公式のお知らせページです。この旅行はこれが目的でした。

 

あさきゆめみし』×『日出処の天子』展出展原画リスト(山岸分のみ)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240314/1710419876

mtblanc.hatenablog.com

 独自に作成した展示品リストです。トークイベントは「ダ・ヴィンチ」に掲載予定なので、割愛。


togetter「『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展 まとめ」

https://togetter.com/li/2329098

togetter.com

 これだけ関心を持つ人がいます、というのを可視化したかったので1つのまとめとなっています。見づらいと思いますが、トークイベントについての投稿されている方がいらっしゃるので、記事が待ちきれない方は辿ってみてください。


8-11日記(主に展示周辺)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240315/1710511200

mtblanc.hatenablog.com

 グッズを買うまでの様子など。

 

8-11日記(主に食べ物)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240313/1710255730 

mtblanc.hatenablog.com

 食べたものの記録。


古本関連

8-11日記(主に本屋)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240316/1710592264

mtblanc.hatenablog.com

 まわった本屋さんの記録です(新刊本屋含む)。

 

佐々木倫子さんの生年問題と漫研FIRE(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240317/1710653759

mtblanc.hatenablog.com

 入手した1970年代~1980年代の札幌の同人誌についてです。

 

北星学園八十年誌稿(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240319/1710850219

mtblanc.hatenablog.com

 大和和紀さんの卒業された学校の年史から、つらつらと連想したことなど。


上砂川市井史(札幌収穫)

https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240320/1710946380

mtblanc.hatenablog.com

 山岸凉子さんとは関係ないけれど、出身地周辺のことが感じ取れる本でした。

 

 


 

  この記事をもって、札幌旅行の記事は終わりとします(公式情報も日々というほどの頻度ではないけれど、更新され続けているので何かあったら記事の修正をする可能性があります)。

上砂川市井史(札幌収穫)

 札幌収穫その3は『上砂川市井史』(木村誠一/上砂川郷土史研究会/1957)です。

 

『上砂川市井史』(木村誠一/上砂川郷土史研究会/1957)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2991993

dl.ndl.go.jp

 NDL蔵書があり、ネットで読むことができます。

 

 こちらは(おそらく在野の)郷土史研究家の著作物です。上砂川の歴史の本です。山岸度という意味では低い本です。
 前住民の話から始まり、基本的なことは公式本とそう変わらない記述が多いですが、ときどき「おや?」という俗っぽい文章が混ざります。タイトルが市井史とありますとおりです。


公式本について

 まず、公式本ってなんだという話をしておきます。
 下記の記事で紹介しましたとおり、上砂川町は公式の町史が2回刊行されています。


・記事「[小ネタ]山岸先生の出身は上砂川町なのか?」
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20211130/1638278804

・『上砂川町史』(上砂川町上砂川町史編纂委員会/1959)
(こちらはNDL蔵書はないので、NDLサーチのページをリンクしておきます。)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000796174852096

・『新上砂川町史』(上砂川町上砂川町史編纂委員会/1988)
https://id.ndl.go.jp/bib/000001917908


 新のほうでは山岸先生の項目もあり、ファンが持っていてもよい本でしょう。ただし、NDL蔵書があるので、そこまでコレクターとしての重要度は高くないです。


上砂川市井史について

 「おや?」となったのは「第十一章 鶉部落風物誌」の章。現在の上砂川町はいくつかの町や集落の合併です。鶉は今も地名としては残っているあたりのことでしょうか(上砂川中流とある)。
 風物誌の最初が火事で「六」が怪談なのです。郷土史の本に出てくる怪談。この方は、戦前から文献のない地域のことを聞き込みをおこなっていらしたとのことで、そういう話が出ることも多かったのでしょう。誰の証言であるかしっかり付記されています。
 開拓時代には怪談がないと断定。北海道のキツネは最初は人を化かすことがなかったとし、化かすようになったのは「たかだか、百二十年くらい前から」とまとめている。
 「狐狸、大蛇、鉄橋付近の怪談」は「発生と同時に夭折したかたち」とまとめています。
 そのあとに怪談ではなく、「キツネ火」「大蛇」「鉄橋附近のはなし」として目撃談が書き起こされている。
 キツネ火は「神社の山に出る」とされています(大正時代の話)。これって、2019年のトークイベントで駐車場を提供してくださった神社のことでしょうか。大蛇と鉄橋附近のはなしは別の場所で、鉄橋はバスで通ったかもしれない地域の話というのがなんとかわかるくらい。

 「もしかしてそうした話を山岸先生も耳にしたかもしれない」という程度のことではありますが、昭和20年代から30年代にかけて山岸先生が親しんだ土地の怪異(のようなもの)の話を具体的に読むことができるのは、興がそそられるものです。

 歴史の本かと思ったら、怪談の話があったというちょっとしたおどろきとともに、この本の購入を決めました。

 

 書影です。なんのこっちゃという写真ですみません。この本、図書館の廃棄本でよれよれなのです。NDL蔵書と色がちがうのは、グラシン紙もありますが、ボール紙で補強されているためです。

 廃棄は1980年。旧蔵の「北海道砂川南高等学校」は2004年に他校と統合され、現在は北海道砂川高等学校という名称なんだそう。廃棄は、統合より昔です。ボロボロになったから廃棄されたのか、公式本があるから廃棄されたのか。
 そして廃棄処分のあと、古本屋で私に買われるまでの間にも所有者がいたはず。砂川市内からどこかをさまよった後、札幌の古本屋へゆき、発行から67年後に関東へたどり着いたということになります。

 そういうところを含め、ボロいけれど私にとっては、なかなか楽める本であると思います。


余談

 他にも買った本もありますが、まんが関係はこれくらい。収穫報告はここまでとします。
 札幌にいるあいだに開催された即売会で、おつかいをお願いしていた同人誌は通販ありましたが、すぐに売り切れたようです。本当にありがとうございました。



北星学園八十年誌稿(札幌収穫)

北星学園八十年誌稿」(編集発行:北星学園/1967)

山岸ファン的北星学園

 大和和紀さんが中学から短大まで通われた母校です、また、山岸凉子さんの作品「学園ムフフ」の制服のモデルになったことで、(一部の)山岸ファンには有名。この作品のせいで、山岸先生は北星と思っている人もいたくらい。
 「モデル」というからには、実際とは違う訳です。うしろの襟の特徴的な星はそのままと言っていいと思いますが、本物は胸当てがなく、スカーフ留めに星がいます。

 で、今回の展示で気づいたんですけど「手塚先生との思い出」の大和さんも同じのを着せていたのでした。

 

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1768193230578016312

 

 つまり、「モデル」ではなく「これ」が北星の制服と思っていらした可能性が。

 

購入に至った決め手

 こういうのは買いだすとキリがないものです。場所もとります。NDL所蔵があれば年史類は割とデジコレで読めますから、買わなくてもいいものも多いです。
 八十年誌稿を買った決め手は、判型が小さいことと、1967年刊行なところです。大和和紀さんの卒業されたのが1968年3月、つまり1967年度です。在学中の刊行ということになり、通われていた時のリアルタイム情報にかなり近いということに。
 もちろん在学中の学生の話などは掲載されませんが、生徒数や在職中の職員の名簿なども。名簿といっても実名はたいして重要でなく、本国の宣教師が何人くらいいたのか、クラスはいくつかなんかの情報とあわせて規模感がつかめます。

 この八十年誌稿は、写真類はあまり充実していませんが(モノクロの写真ページがあるけれど、明瞭な印刷ではありません)、歴史ある学園ですので年史も複数回刊行されています。また、年史とは別に写真集も出ているようです。北海道のお土産にと買いましたが、ガチで大和先生の通われた当時のことを調べるのであれば、図書館でいろいろ見たほうがよさそうです。

 

北星学園の校舎

 昭和5年築のものが、昭和38年12月に火災で焼失。大和さんが高校生のときということになります。この本によると長期かつ大規模な増築・移転計画が進行している時期です。大和さんがお使いになっていたのは、すでにできていた新校舎のはず。不便はなかったと推察されますが、おそらく印象に残っている事件なのではないでしょうか。

 

北星学園があるのなら

 旭丘高等学校があってもいいんじゃない? と思われるでしょう。私もそう思います。旭丘も年史が複数あり、私が持っているのは山岸先生卒業からだいぶ時間の経った1977刊行の10年史。こちらは通販で購入したもの。

 ここでもうおわかりでしょう。

北星 1967年に80年年史
旭丘 1968年に10年年史

 つまり、山岸先生がいらしたころの旭丘は開校から10年に満たない新しい高校だったということ。北星は明治時代開校の下も上もあるプロテスタント系の高校で、旭丘は無宗教(市立)の新しい高校ということになります。開校までの経緯もまったくちがっていて北星は長老派の宣教師たちがひらいた女子のための教育機関*1、旭丘は戦後の市民運動によって成立した共学です。
 身近に卒業生がいなくても、こうした本によって、なんとなくイメージの違いがつかめるのではないでしょうか。


参考

北星学園八十年誌稿』(1967)
 国会図書館と道立図書館に所蔵あります。デジコレログインでネット上で読むことができます。NDL、道立の両方あたりに他の関連本も。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9581753

dl.ndl.go.jp

 こんな本です。背表紙以外は文字がないので、他を写しても何の本だかわかりません(背景は「LOOK-IN」)。

 

『札幌旭丘高等学校 十年史』(1968)
(所蔵は道立ですが、固定URLでないようなのでと道立トップとNDLサーチのリンクを貼ります。)

https://www.library.pref.hokkaido.jp/
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I01111009510010932

ndlsearch.ndl.go.jp

 

常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』
 「学園ムフフ」は『常世長鳴鳥 山岸凉子スペシャルセレクション』に入っています。新刊で買えます。

 

ムック「マンガのDNA」
 また、「学園ムフフ」と同じ制服を着ている大和和紀さんが登場する「手塚先生との思い出」掲載の「マンガのDNA 手塚治虫文化賞20周年記念MOOK」もまだ買えます。ぜひ。

 

 


*1:当時の日本の教育は男子むけのものしかなかったので、それを補うためにミッション系の女子校が設立される流れがありました。

佐々木倫子さんの生年問題と漫研FIRE(札幌収穫)

(たくさん人名が出てくるのでチェックが面倒なため、敬称はついたりつかなかったりです。)

 

 札幌収穫のうちのひとつがまんだらけにあった同人誌。表紙の絵がなかなか達者で、主催は札幌の方。10冊ほどありました。1冊あたりは安いものです。旅の土産にいいのでは、ということでまとめて購入。ペラ1枚の展示会パンフ的なものから80ページ超えているものまでいろいろ。

 

 帰ってから宅配で届きました。早速開封です。同一タイトルではないのですが、同じ漫研の作品集、連絡誌的な会報がまじっています。「LOOK-IN」が作品集で「ハロー・ファイヤーズ」が会報的な冊子。
 他のサークル合同で札幌で4日間にわたって即売会を開催したり、展示を開いたりと活動的。東京の協力者を募集して、支部を作りコミケに出展もしたようです。

 入手したなかで1番古いのが1978年の「LOOK-IN 13」です。米トに5号の所蔵があり、坂田さんが寄稿されているようですが、13になると有名な方のお名前は見当たらず。乾式コピのホチキス製本。今となっては製本テープがベッタリとなってしまっています。
 1番新しいのが「ハロー・ファイヤーズ」で1982年10月。印刷は大友出版。

 

 で、内容は当時の女性むけ創作同人誌らしく、萩尾さんの影響?みたいなリボンタイの少年たちの話があったり、バンドマン同士があれこれしているのがあったり。

 キム如月さんという方が、当時の少女まんがとしてはこってりめなんですがものすごく絵が上手い。顔の描き方みたいなページではあおりの描き方なんかの見本を描かれているのが立体的。美大にいらしたか、それ系の教室に通っていらしたのではないだろうか。「レモンソング」という作品集があるそうです。読んでみたい。

 

 今の視線で見てポイントとなるのは2点かな(1ページのコミケレポートも興味深いですがとりあえず除外)。


「少女マンガ教室より インタビュー」(Jun)

 「ハロー・ファイヤーズ 1981年8,9合併号」は、主催のJITOさんがご結婚されたということで、お祝い記事でいっぱい。その後にJunさんの「少女マンガ教室より インタビュー」という記事が。説明文ないのでよくわかりませんが、白泉社のまんが教室に出られた方なのでしょう。萩尾望都美内すずえ木原敏江山田ミネコ魔夜峰央和田慎二まつざきあけみ、酒井美和といった方々の一問一答が。メモからの書き起こしと思われます。画材についてが多いです。美内さんのところで、「Q ガラスの仮面はいつ終わりますか?」「来年あたりですね」というのがあるのが味わい深い。

中央が「ハロー・ファイヤーズ 1981年8,9合併号」。


会員リスト

 「ハロー・ファイヤーズ」は会員リストが掲載されている場合があります。その中に「佐々木倫子」という名前を発見。
 会員住所録は当時の同人誌あるあるで、「へー」てなものですが、この会報、生年月日が書かれている号があるのです。こうした文脈の情報なんで、「公表されている情報」にはならないと思いますので書きませんが、掲載されている「佐々木倫子」さんの生年にどうも違和感がある。佐々木倫子さんはインタビューなどの露出の少ない方で、そもそも生年って公表されてましたっけ? というのがあり。

 検索してみたところ、ネット情報は下記のような状況。

 

(1)1959年10月7日
佐々木倫子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%80%AB%E5%AD%90
(2)1961年10月7日
佐々木倫子 | ダ・ヴィンチWeb
https://ddnavi.com/person/2878/
(3)10月7日(生年なし)
佐々木倫子のプロフィール - コミックナタリー
https://natalie.mu/comic/artist/1974
(4)(生年月日なし。読みがなのみ)
佐々木, 倫子 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00173660

 

 ……生年のあるwikiダ・ヴィンチWebで違うんです?
 wikiに出典情報なく、この1959年と1961年の根拠は不明です。

 ちなみに「ハロー・ファイヤーズ」掲載の生年は1959年でも1961年でもありません。どこ情報?……と、謎が深まったのでした。


 調べてからこの記事を書こうと思ったけれど、私にはそこまでの情熱がないので1959年と1961年の根拠をご存じの方がいらしたら教えてください。

 

 

2024/03/18追記の余談

 この記事の投稿お知らせの投稿をしたところ、センシティブにひっかかりまして。

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1769334395566211084

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1769335628670579040

 

 リアルでもないイラスト(実在の人物の被害はゼロであることは確定的)で、性描写もなく、エロくもないと思うんですが、「半裸」がひっかかる以上は仕方ないかな、と。

 当該号を中心にこんなカンジっていうのを伝えたいだけなので、下の写真に差し替えます。

 

 

8-11日記(主に本屋)

 北海道へ行くからには、道立図書館にも行きたかったです。しかし、仕事とのかねあいで金から月の日程がズラせず。雪の公園の中を行くのも大変そう……ということで今回はあきらめ。

 

 

2024年3月8日(金) 空港書店

 成田の新刊本屋・Fa-So-La BOOKS

 

2024年3月9日(土) すすきの2軒

 札幌まんだらけ

 ブックオフ札幌南2条店も行ったけれど、写真撮ってなかったので、上砂川町トークのついでに寄った時の前回の写真を。あのときは雨でした。


2024年3月10日(日) 休養日

 この日は私は展示へ行った以外はほぼホテルで寝てました。
 同行者は別行動で、雪の中、市電に乗って漫画林円錐書店ビーバーズブックスホビーオフ札幌中の島店などへ行ったようです。


2024年3月11日(月) 古書店めぐりの日

 日曜休みの古本屋さんが多いため、この日を古本屋まわりに割り当てました(道立図書館は月曜休館)。9日のトークがズラせず、1日展示、1日フリーとすると道立図書館に日曜行くか、月曜に古本屋行くかの二択になるのです。がんばればすべて行けたかもしれないけれど、体力にも、慣れない土地での行動にも自信がないので、無理しない方向で行きました。

 地下鉄に乗ろうとしたら、いきなりこれです。北海道らしい?

 

 札幌から地下鉄で2駅で道に避けてある雪の高さが違う。

 

 札幌(前エントリと同じ写真)と北大近辺。高さが違うのがおわかりになりますでしょうか。

 

 まずは弘南堂。札幌といえばーの古書店で、幅広いジャンルの本があります。郷土コーナー以外は中央線の手堅い古書店っぽいかな。こういう古書店に通いたい。

 

 北十二条書店。ここはやわらかめ。猫さんは寝てました。前回は店内をシュタッと移動していたのですが。

 

 南洋堂。ここも幅広いジャンルの本があります。専門は自然科学系とのことですが、入口近辺は軽く読めるものがあります。まんがもありました。2階はお声がけくださいとあったので声をかけたところ、今日は閉めている、とのことでした。2階は何が置いてあるのかしら。*1

 

 いったん札幌まで戻って昼食。南洋堂から3ブロック程度で道庁です。

 

 からさわ薬局

 

 旧道庁のハリボテ(改修中だそうです)。

 

 道庁近くにあったデコポスト。


 再度地下鉄に乗って移動。BOOK.LAB.へ。オシャレ書店。入ってすぐの均一棚が見ごたえあり。


 北天堂書店。SF・ミステリが強い。貸本小説が普通に棚に差してありました。私は守備範囲外なので、おとなしく自費出版本などのチェックを。

 

 移動中にみかけた中古車販売の店。松本零士さんのヤマト絵です。色あせており、かなり昔の提携の痕跡と思われます。

 

 途中で力つきてタクシーで書肆吉成へ。ここも郷土コーナーが広い。均一台が外向きのガラス戸のなかで、雪国っぽい。

 

 吉成から札幌へバスを使うことに。バス停近くの新刊書店・ダイヤ書房。なかなか規模が大きく、カフェ併設でした。

 

 新千歳の文教堂書店。シマエナガがいました。ここにたどり着く前の書店にも寄りましたが、写真撮り忘れ。


 展示とトークがメインといいつつ、意外とまわれたのでした。

 

 


*1:検索してみたら、公式サイトに答えが書かれていました。昆虫を中心とした自然科学書があり、5月までお休み中とのこと。http://www.nanyodoshoten.com/ 

8-11日記(主に展示周辺)

 この記事の説明。

 

 この展示へ行ってきたときの話です。

(公式のお知らせページ)
あさきゆめみし』×『日出処の天子』展  -大和和紀山岸凉子 札幌同期二人展-
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html

www.city.sapporo.jp

 

 展示内容はこちらの記事参照。

あさきゆめみし』×『日出処の天子』展出展原画リスト(山岸分のみ)
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240314/1710419876

mtblanc.hatenablog.com

 

 食べ物はこちら。

8-11日記(主に食べ物)
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20240313/1710255730

mtblanc.hatenablog.com

 

2024年3月8日(金)

 この日の関東は朝に雪が降ったくらいの気候で、最高気温8.9度とそんなに暖かくなく。それでも札幌はマイナスの世界です。私はとても寒がりで、関東にいても年の半分は寒いと思っている私です。3月札幌に行く前から震えていました。

 夕方の飛行機に乗って、札幌までついたらこれです。

 道は地面が露出するくらいしっかり雪かきされているところから、踏みしめられて3~5cmくらいの厚さになっているところまでいろいろ。積もったばかりの雪は、いわゆるパウダースノーで、踏むと片栗粉みたいな音がする。雪用の靴は、踏みしめられたところは効果がありましたが、いったん水になってから凍ったところでは無力でした。

 

2024年3月9日(土)

(時間はだいたいの時間で、記憶によるものです。ズレがあると思います。)

08:00すぎ

 起床。

 入場特典の絵葉書が、トークイベントのついている初日だけ別でした。なので、初日と2日目のチケットを押さえてました。この日はグッズとトークイベントを満喫するのに全フリすることを決め、展示は2日目にゆっくり見るという作戦です。

09:00前

 事前に入場時にグッズ販売の整理券を配布するとネット上で告知されていました。

 前日に劇場の会場の様子を見に行った方から「中に人はいるようだったけれど、何の掲示物もなくて「本当にここで?」という状態だった」みたいな情報がありました。上砂川町のときは、ネット上にはほぼ情報ありませんでしたが、現地に着いたらしっかりとした掲示があり、そういう方法をとることもあり得ると思っていました、
 整理券について、現地に行けばもう少し情報あるかと思っていましたが、そういうことはなく。

 開場まで外に並ばせると列整理に人員を割かねばならないし、並ばせている間にトラブルが発生する可能性もあるので、リスクがあります。なので、事前に配布を始めるのもあり得るのではないかと思って、9時前に様子を見に行きました。早めに配布があるなら、近隣で食事をとっていったんホテルへ戻ってもよいと思っていました。このためにホテルは劇場から徒歩10分以内の場所から選んでいたのでした。

 到着すると、事前情報どおり何もない状態。そんな状態だったけれど、すでに列ができていたので、そのまま最後尾につきました。

 後にスペースで判明したところによると、先頭は関東からいらした方で、6時からとのことです。*1

 そっかー、マイナスワールドで並ばせるかーと思っていましたが、並んでいる間にしゃべった方が「道民にとっては3月は暖かいから問題ないと思っているのでは」と推察されていました。早朝からグッズのために並ぶのは「わかっている」人たちですから、対策も万全でしょう。関東の真夏の行列よりは病人発生のリスクは低いのかもしれないです。この辺はどこまで想定されていたのか気になるところですが……。

 私は電熱の服を着ていきました。

 関東で使うときははっきり暖かい感覚がありますが、札幌だとぽかぽかするというより、熱が逃げないというか冷気が来ない、くらいのものです。線が這ってないところはうっすら冷える(これは関東でもそう)ので、カイロを貼って対策。万全といってもいいくらいの備えで、私は問題なく最後まで並ぶことができました。同行者は地面からの冷えに苦しんだようです。私は靴(雪用とあるスニーカー)がよかったのか、足が冷えることはありませんでした。

09:00頃

 スタッフさんが次々といらして、ディレクターの方も。
 ポスターが内側から貼られ始めて、記念写真を撮る人多数。

 さらに花も到着。萩尾先生からおふたりにということが判明して、キャーキャー言ってしまう。

 様子を見にいらしたディレクターさんが反射するでしょうとおっしゃって、希望者にポスターを貸して撮影させてくださる。私も撮りましたが、今思えばテンションおかしかった。並んでいる方が退屈でしょうと、この後もディレクターさんがちょいちょいいらっしゃいました。

11:00前

 すこし早く開場。

 入ってすぐに撮影コーナー。中に入るのもよし、そのままとってよしのデザインです。

 入場と共にグッズ購入の用紙が配布されます。物販は11:15からなので、その少し前に列形成が始まると予測されました。それまでに記入しておいてということでしょう。

 まだまっさらなお品書き。これは後日「SOLD OUT」札が貼られてゆきます。

 この日は見本コーナーだった場所。2日目からは読書コーナーに変わります。

 コメントコーナーの肉筆サイン。

 こういうのは、この場ならではうれしいものです。終了後の行先は気になるところですが……(イヤなマニアっぽい発言)。

 

 グッズ販売とは別の場所に設置されているガチャが1人10回までという情報があり。グッズ販売はそこまで興味がないという同行者にあらかじめ、まずガチャへ行ってまわしてほしいとお願いしていました。この日は両替機の設置はなく、その場の窓口みたいなところで両替する式。3000円分してもらったそうです。私はあらかじめ10回分用意していたので、それを使用。
 私は山岸グッズが一揃いあればいいので、記入は簡単です(お土産用に絵葉書は複数購入)。余裕で列形成に間に合いました。列ができても、前の人の会計が終わらないと順番は来ない訳で、そこから動けない状態でさらに待ちます。並びながらも書けますので、割と書く時間に余裕がありました。
 はっきりわかりませんが、会計が終わったのが30分後くらいでしょうか。ほしいものは全部買えました。

12:00

 いよいよ展示へ。と、いっても人がいっぱいです。ゆっくり見るのは明日にして、だいたいの様子だけ眺めました。

 おふたりの特集本を出されている平凡社さんの広告ポスター。この展示用に作成したものでしょうか。

 劇場っぽいトイレ案内。

 ロビー外の花は最終的に4つに。

12:40

 トークまでに近隣で食事をし、ホテルに荷物を置くことに。近くの宿にしたのでこういうことができます。
 歩いていたら、劇場裏でディレクターさんに遭遇。チラシを配布している場所を知りたいと質問し、図書・情報館を案内していただく。その際、キャプのミスと思われる箇所をお伝え。

 図書・情報館へ行き、チラシを入手しましたがほぼ最後の在庫だったらしく、次の日には消えていました。
 食事をしてからホテルへ。並びを終えた今となっては、重装備すぎて暑いので服を減らしました。荷物を置いて、身軽になって戻りました。

 書き忘れましたが、再入場可能かどうかは事前に確認しています。

 

追記:再入場可能だったのはこの日だけのようです。

https://twitter.com/idisim/status/1768804600801530112

 

13:45

 トーク会場へ。

 イベントの前後30分はグッズ販売を止めていることもあり、すごい人です。知り合いがいるなーと思いつつ、話しかけに行くような時間もないのでそのままおとなしく席にいました。

15:40

 トーク終了。即離脱してまんだらけブックオフへ。まんだらけと同じ建物内のガチャコーナーで明日のガチャ用に両替。
 ブックオフの向かいのダイソーでグッズ収納のためのファイルや賞状入れを買いました。ダイソーのポスターケースを買うつもりで入店したのですが、トランクに入らないサイズだったのです。「何かないかなー」とウロウロし、賞状入れを発見。長さが足りませんが、工作用の厚紙で延長できるだろうと判断。書類ケースと共に購入。

 こんなです。

↑を裏返すと↓に。

 工作の成果。ポスターの長さに厚紙を切り、筒に入れます。さらに内側にポスターを入れるだけ。紫が賞状入れで、間の灰色が厚紙です。

 途中で撮ったテレビ塔同人誌即売会が開催できるように見えませんが、ここで文学フリマが開催されたことも。

 

 またもホテルに戻って、荷物を置いてから食事へ。まんが愛好のみなさまとの宴会でした。食事を終えたら雪でした。

 

2024年3月10日(日)

 昨日の雪でグンと北国度があがっていました。

 網にできているのでつららと呼べるかどうかわからないけれど、つららっぽいの。

 劇場裏側へつづく道。奥の右側が劇場。


 展示2日目。夜のほうがすいているだろうという予測をし、夕方に出発。展示品のメモなど取りました。根性があれば、コメントもメモしたかったけれど、電池切れ。


 モノクロは最初のセリフをメモしていくのですが、擬音やセリフなしのページはメモに苦労しました。カラーは知名度高い絵が多いこともあって、簡単。「第1回」「第2回」「レコード」みたいなカンジ。関係ないけど、スペースでディレクターさんが「キャッキャッウフフ」と呼んでいらっしゃる「LaLa」1982年2月号ふろくカレンダーの絵は、私はパロディ元から「紅白梅図」と呼んでます。


 グッズ販売はロビーに移り、品切も多数。人が少ないので平和な雰囲気です。この日から新設された読書コーナーは盛況。
 ロビーに移ったガチャをまわしました。遅い時刻だったせいか、からっぽの台やもう10個も入ってなさそうな台も。中が多そうなのを選んでまわしました。
 山岸キャラ3種を2セットにしたかったので、揃ったところで打ち止めに。

 なぜか大和キャラのほうが多く出てしまいました。バランスよく出てくれれば、それもよかったのですが、末摘花は1個なのに紫の上と二公子が圧倒的多数。山岸キャラでは王子が2個で、他がもう少し出てます。私のところに来なかったぶん、どこかで王子がたくさん出たと思われます。


2024年3月11日(月)

 この日は古本屋めぐり。日曜やっていないところが多いので、最終日にするしかなかったのです。

 行きは、電熱服用に充電池を複数持っていました。そうしたら飛行機に乗るとき重量オーバーしており、同行者の荷物に一部入れてもらいました。同行者の荷物が軽くてよかったです。事前に送ればよかったです。

 帰りは反省し、この日の朝にホテルからほとんどの荷物を発送しました。グッズを安全に自宅に運びたいのが最大の目的です。工作用に購入したカッターを送りたかったのもあります。
 しかし、古本屋の買い物でまたも荷物が重くなり、空港でハラハラすることになったのでした。

 ちなみに行きと帰りの航空会社でけっこう運用が違いまして。

 機内持ち込みは、荷物1+荷物2(身に着ける小バッグ類)+上着等というところは変わらず。行きは「荷物1」が7kgまで。帰りは3つの合計が7kg程度、というようなカンジ。もちろん両社とも「7kg」は変わらないんですが、私が行った時点での運用に差があったということで、常にこれ、ではないと思います。

 帰りの航空会社の保安検査は「くるぶしが見えない靴はぬいでエックス線にかける」という運用でした。用意されたサンダルに履き替えてゲートをくぐります。行きの航空会社はそのまま通れました。

 

 と、いうようなことをふまえて、荷物の扱いとスケジュールは計画的にするべきでした。
 発送費5000円弱でしたが、段ボール+トランクそのままの2つ送ったのでこの金額です。いくら地下道が発達しているとはいえ、雪道をカートをひいてゆくのは大変に決まっています。多少かかっても送ったのは後悔していません。しかし、発送物が1つになるようにしていれば、もう少し安かったと思います。そこは反省。


 古本屋を満喫して、夜の飛行機で関東へ。

 

 雪のない世界へ無事に戻りました。

 

 


*1:このスペースはショミーさん @shomuraAya がホストで、展示ディレクターの方を迎えて3/13に行われたものですが、残念ながら30日後に削除されるそう。リンクだけ貼っておきます。→ https://twitter.com/shomuraAya/status/1767883335970562541

『あさきゆめみし』×『日出処の天子』展出展原画リスト(山岸分のみ)

 この展示のリストです。

(公式のお知らせページ)
あさきゆめみし』×『日出処の天子』展  -大和和紀山岸凉子 札幌同期二人展-
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html

www.city.sapporo.jp

 原画以外に肉筆掲示物があったり、パネル掲示の絵や作品があったりするのですが割愛。
 原画コーナーの出展物のみのリストです。

 

 このリストは公式のものでなく、現地で私がとった該当ページのメモと記憶で構成したものです。まちがっている可能性があります。*1また、展示は会期中に手を加えられることもありますので、変更ある可能性があります。ご了承ください。

 

 ページ数は現時点最新版であるKADOKAWA版(通称完全版)によります。電子書籍もあります。

https://kadobun.jp/special/yamagishi-ryoko/

kadobun.jp

 

【1】挨拶、年譜など

 おふたりが描かれた札幌にまつわるエッセイまんがを全頁パネル展示。まんがを含め、写真撮影可能コーナーです。「札幌・北海道の記憶」という地図つきの思い出の場所についてのコメント、代表作各4作紹介するパネルもここ。
 エッセイまんがとは、この2作です。

山岸凉子「手塚先生との思い出」(手塚治虫文化賞20周年記念MOOK「マンガのDNA」(2016))
大和和紀「大通り公園で子どもしてた頃」(「mimi Carnival」1992年7月号(文芸別冊のリストより))

 ここで紹介されている4作は「アラベスク」「白眼子」「天人唐草」「舞姫 テレプシコーラ」でした。

【2】モノクロ原画

 「太陽の地図帖」よりの人物相関図パネル、原画コメントなど。

什器1

(1)モノクロ/完全版1巻p.9
(2)モノクロ/完全版1巻p.18
(3)モノクロ/完全版1巻p.52
(4)モノクロ/完全版1巻p.257
(5)モノクロ/完全版1巻p.258
(6)モノクロ/完全版1巻p.268
(7)モノクロ/完全版1巻p.269
(8)モノクロ/完全版2巻p.73
(9)モノクロ/完全版2巻p.74
(10)モノクロ/完全版2巻p.190
(11)モノクロ/完全版2巻p.191

什器2

(12)モノクロ/完全版2巻p.192
(13)モノクロ/完全版2巻p.193
(14)モノクロ/完全版3巻p.46
(15)モノクロ/完全版3巻p.84
(16)モノクロ/完全版3巻p.151
(17)モノクロ/完全版3巻p.188
(18)モノクロ/完全版4巻p.148
(19)モノクロ/完全版4巻p.149
(20)モノクロ/完全版4巻p.236
(21)モノクロ/完全版4巻p.252
(22)モノクロ/完全版4巻p.288
(23)モノクロ/完全版4巻p.320
(24)モノクロ/完全版4巻p.323

什器3

(25)モノクロ/完全版5巻p.116
(26)モノクロ/完全版5巻p.117
(27)モノクロ/完全版5巻p.297
(28)モノクロ/完全版5巻p.324
(29)モノクロ/完全版5巻p.325
(30)モノクロ/完全版6巻p.4
(31)モノクロ/完全版6巻p.124
(32)モノクロ/完全版6巻p.250

什器4

(33)モノクロ/完全版6巻p.275
(34)モノクロ/完全版6巻p.286
(35)モノクロ/完全版6巻p.290
(36)モノクロ/完全版7巻p.80
(37)モノクロ/完全版7巻p.88
(38)モノクロ/完全版7巻p.89
(39)モノクロ/完全版7巻p.95
(40)モノクロ/完全版7巻p.167
(41)モノクロ/完全版7巻p.194
(42)モノクロ/完全版7巻p.195

【3】カラー原画

 ここは入り口からの遠景写真のみ可。

壁1

(43)カラー/完全版1巻p.4~5
(44)カラー/完全版1巻p.55(1巻表紙)
(45)カラー/完全版1巻p.139
(46)カラー/完全版1巻p.179
(47)カラー/完全版1巻p.303
(48)カラー/完全版1巻p.304~305
(49)カラー/完全版2巻p.202~203
(50)カラー/完全版2巻p.287(6巻表紙)
(51)カラー/完全版3巻口絵
(52)カラー/完全版3巻p.110~111(2巻口絵)
(53)カラー/完全版3巻p.67

壁2

(54)カラー/完全版4巻口絵
(55)カラー/完全版5巻口絵
(56)カラー/完全版5巻p.129
(57)カラー/完全版5巻p.172~173
(58)カラー/完全版5巻表紙
(59)カラー/完全版6巻口絵
(60)カラー/完全版7巻p.21(4巻表紙)
(61)カラー/完全版7巻p.63(3巻表紙)
(62)カラー/完全版7巻p.145(2巻表紙)
(63)カラー/完全版7巻口絵
(64)カラー/完全版7巻p.275(7巻表紙)

壁3

(65)カラー/完全版1巻口絵


【4】無料コーナー

 読書コーナー、物販、寄せ書き、北海道のまんが家パネルなど。物販は丸善雄松堂。萩尾先生からのお花はロビーの外。ロビーの中にはスタンドの花がありました。
 寄せ書きコーナーはふせんとノートがあり、肉筆の掲示物があります。

 ちなみにお花は下記から。

萩尾望都(2つ)
・弥生美術館
クリエイティブオフィスキュー 伊藤亜由美(社長)
講談社Kiss編集部
平凡社 別冊太陽『太陽の地図帖』編集部一同
・一ノ関親戚一同(こちらのみ大和和紀さん単独)

1番右と1番左が萩尾先生からの花です。

ロビー側の花。この奥が展示会場です。

 

クリエイティブオフィスキュー」というのが何かわからなかったのですが、検索して判明。
https://twitter.com/pooh_nina/status/1753335869954723999

 大泉洋さんのリサイタルでお花を贈られたというので、お返しにいただいたようです。北海道の絆。

 

 アンケートを出すと「白い恋人」がもらえます(白い恋人パークだけに)。

 

みどころ

 モノクロはストーリーがある程度追えるようなセレクトをされたとのこと。「日出処の天子」はいろいろな側面を持つ作品ですが、この山岸抜粋ストーリーは、かなり王子と毛人のラブストーリーに寄せたものと言えるかと思います。見る方は「ストーリーを追えるようにページを抜き出す」というお題で「自分だったらどこを入れる/入れない」を考えながら見るとよろしいのではないかと思います。

 カラーは比較的かっちり描きこまれたものが出ています(シオンがちょっとラフかな)。完全版で表紙と口絵になっている絵は全部あります。有名な絵はほぼ出ていると言ってよろしいかと。逆に言うと予告カットなどの小さい絵は出ていません。こちらは今後に期待します。

 

 

 


*1:すいている時間(夕方以降)に入館し、メモは可との確認を取ってから作業を始めております。

山岸年譜のこと

 ↓みたいなことをポストしました。

https://twitter.com/mtblanc_a/status/1766467848720036061

 

 この写真はこの展示のものです(写真OKスペースです)。

 

(公式のお知らせページ)
あさきゆめみし』×『日出処の天子』展  -大和和紀山岸凉子 札幌同期二人展-
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/shomu/popculture/asakiyumemisi-hiidurutokoro.html

www.city.sapporo.jp

 

 私は過去に山岸凉子さんの年譜を2回作ってまして。

 

1回目。

山岸凉子『日出処の天子』古代飛鳥への旅 (別冊太陽 太陽の地図帖)

 

2回目。

山岸凉子画集:光

 


 もちろん元になったのは根葉梅花さんの作成された年譜です(私も少々協力しています)。

根葉梅花さんのサイト「山岸凉子のカテゴライズの夜は更けて…」
http://kategories.com/yamagishi/


 1回目*1の太陽の地図帖(2016)の年譜は、「日出処の天子」がテーマですので、山岸先生全般を扱いつつ、「日出処の天子」の事項を可能な範囲で入れ込んだものです。なので、「日出処の天子」が何回単行本になったのか、なんていうのも数えればわかるようになっています。

 2回目の画集(2016)は画業全般を扱う内容で、太陽の地図帖を元にしつつ、トリビアルなところを抜いたものです。展示の導入で使うのだったら、画集版の年譜のほうがよいのではないかと思います。

 

 なんでポストでブラッシュアップ版云々とブツブツ言っていたのかというと、年譜はその時々でベストと思われる内容でまとめていますが、こういうものって古くなるんです。
 あとから判明するまちがいというものもあります。両方の年譜ともに本人チェックが入っていますが、ご本人の記憶のアレで、その時点では間違いではなかったが2つの年譜でちがう内容となっている部分があります。

 

 他にも現在は調査が進んだ新しい知見があります。たとえば出身地。年譜といえば絶対出てきますよね。

 

[小ネタ]山岸先生の出身は上砂川町なのか? - 備忘録(白峰彩子) 
https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20211130/1638278804 

mtblanc.hatenablog.com

 

 こちらの記事でネタにしましたとおり、「上砂川町」は今はそうだけれど、当時も正しかったものではない可能性が高いものです。広い意味でご地元の活躍が増えてゆくにつれて、確定させる機会が訪れるような気がするので、お聞きになった方はぜひ答を教えてください。

 他にも固有名詞関係で、「まちがってはいないけれど、正しくはない」というものがあります。

 よくあるワナがデビュー作の「レフトアンドライト」。こちらも年譜には必ず出てくる固有名詞です。
 初出で確認すると扉と目次他で「レフトアンドライト」と「ライトアンドレフト」が混在しているのです。*2

 


 発表したものですので、読んだ方が抜粋使用したりするのはかまいません。私も根葉さんの年譜から足してゆくところから始めています。
 初出にあたったからといって正しいと確認できるものではないのです。そういった知見が日々集積しておりますので、年譜を使う方はご注意ください。

 また、ポストしましたとおり、年譜を作る媒体・展示などありましたらご相談ください。目的や分量にあわせて作成できます。作成された年譜のチェックもできます。

 元となる年譜を(私だけの力ではないとはいえ)作成できたのはうれしいのですし、加工するなという気持もありません。なんというか、不正確なものが流通しないようにしたいので、まずはご相談いただければと思います。

 よろしくお願いいたします。

 

 


*1:ヤマダトモコさんの紹介で作成しました。大変ありがたい機会でした。

*2:年譜にはまず登場しない作品ですが、「春には青い芽が」の表記も同様の問題があります。→Otome continue - 備忘録(白峰彩子) https://mtblanc.hatenablog.com/entry/20110513/p1