まみ めも

つむじまがりといわれます

沖で待つ

市民の日というはたらく親にはありがたくない日が制定されてしまい、ついたちは市内の公立小中学校が休み、土曜授業の振替休日まで気をきかせて用意してくれ、こどもたちは六連休。小学生が何人か泊まりにきて、翌日は家で仕事するかたわらで卓球で盛り上がってなかなかのものだった。

おくれて連休にはいり、ふくちゃんは遠征で朝早くにでていき、朝の用事がない日があったので残留組はロイヤルホストでモーニング。そのあと食パンとレタスを買い、サンドイッチをつくり、公園でサンドイッチを食べて蟻の巣をながめて帰ってきた。せいちゃんが誕生日だったので、幼なじみが泊まりにきた。今回も張り切ってカレーを仕込んでいた。昼も夜もビール。せいちゃんは友だちと夜を徹してゲーム。

卜。

勤労感謝の日

沖で待つ

仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。そんな同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすべく、私は彼の部屋にしのびこむ。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く表題作のほか、「勤労感謝の日」を収録。

仕事を通じて信頼とか友情とかはぐくんだことがないことに気がついた。

52ヘルツのクジラたち

ゴールデンウイークや夏休みがあけたときに、いつも、どんなバカンスを?と聞かれるくらいに日焼けてしまうのだけれど、だいたいどこにもいっていなくて、海のない県の半径3キロメートル圏内にいる。今年も学校のグラウンドとサイゼリヤと近くの伊勢丹くらいにしか用がない。カレンダー通りの休みをあざ笑うように、十連休のやど氏と、市民の日と土曜授業の振替休日で六連休のこどもたち。あしたはのびのびになっていたふくちゃんのお誕生日会。早起きしてがんばって仕事を早仕舞いしてケーキを作りたい気持ちはあるが、気持ちとは裏腹なものなので、どうなるのかはわからない。

エフちゃん本。

自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会う時、新たな魂の物語が生まれる。

52ヘルツは、チューバのいちばん低い音よりも少しだけ高い音らしい。ウィキペディアできける。え、チューバってもっと低くないっけ、と思ったけど自分の耳にはまったく自信がないのでよくわからない。

奪われた人生

げんちゃんのお迎えをしていたら中学校から電話がかかり、せいちゃんが盛大にこけて痛がっているというのでとりあえずそのなりで中学校にいく。保健室で応急処置をされて、いつ病院にいくか、どうやって病院にいくか、やっている病院はどこか、とやっているうちに病院の受付が次々に終わっていき、やっと一件だけ七時まで受け入れてくれるところがみつかった。このところ頻尿のげんちゃんは保健室にいるあいだに三回トイレにいった。財布もなにももたなかったので、家にもどり保険証と財布をもち、風呂をわかし、残りのこどもたちに留守をまかせて病院へ自転車で向かう。せいちゃんは顧問の先生に付き添ってもらいタクシーで先に病院いり。手首と足首と肘が痛むというのでそれぞれレントゲンを撮り、無愛想な先生が左手首の骨折を告げた。遅くなったので、夜はハムをのせたインスタントラーメン。次の日は歩いて学校までいくせいちゃんのために重たい鞄を学校に届け、午後は授業参観があり、24時間で学校を三往復。

翌朝会社にいってみたら午後になって保育園から電話がかかり、げんちゃんの頻尿がひどくまともに部屋で過ごしていないという。はやめにあがって駅に向かうところで小学校から電話があり今度はふみちゃんが学校で泣いてしまったとの連絡。お迎えにいくとげんちゃんはトイレから離れられずにぽたぽたと泣いており、だっこでなんとか連れて帰ったけれど家でも五分おきくらいでトイレにいく。次の朝に小児科にいき、心因性のものだろうけれどもあした尿検査をしようというので保育園は休みになり、昼はふたりで回転寿司にいった。店でもひとつつまんではトイレにいくので埒があかない。そのあとの買い物もままならずいく先々のトイレを踏破している。

そんな一週間だったけれどふくちゃんがお誕生日で、十二歳になった。夜はかつ丼

卜。

1991年6月のあの運命の日から、いかに私の人生が変わったか…。11歳で誘拐、18年間監禁され、2人の娘をもうけさせられた女性の数奇にして戦慄、全米を涙に包んだ感動の手記。

奪われたけれど自分の人生をあきらめなかった。こんな人生もあるのだという驚きに満ちていた。

夜果つるところ

妙な時間に目が覚めて眠れなくなって朝まで。ふとんのなかでぼんやりしていたら、となりのげんちゃんが寝返りをうって、ぶっぶー、とそれだけの寝言をいった。今週は窓をうすくあけて仕事をした。肌寒いようなあたたかいようなはざまの季節。風向きがよい感じになると、玄関先から桜の花びらが舞いこんでくる。表の遊歩道を通って園児たちが連れ立って散歩にでかける声が聴こえてくると、たまらなくなって階段をあがり二階の窓辺からのぞいたりした。行きも帰りもやってしまった。遊歩道わきで春を過ごすのは今年を入れてあと二回になる。

卜。

山間の遊郭で暮らす「私」は、ある時館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりで…。「鈍色幻視行」の作中作家・飯合梓によって執筆された幻想譚。

作中作家とかそんなメタな設定をいま知った。うっとりするようなお話で、鈍色幻視行もたいへんに読みたい。

だいたい夫が先に死ぬ

天気のよかった日曜日、声をかけたらたくさん人があつまって、べ沼の公園でお花見をした。汗をかくくらい暑くてビールがうまい。知り合いに髪もみじかくしてとことん軽くしてもらって、さっぱりした。

卜。

「シン・「地球の歩き方」」「「同志少女」の敵は誰?」「有紗ちゃんとジェルソミーナ」…。新旧・話題作を通して、世界中にバラバラに存在してるものたちの深い関係を探る。

ふみちゃんに「だいたいおっとがさきにしぬって本よんでるの?」と聞かれた。夫って読めるんだ。そうだよ、だいたい夫が先に死にます。死ぬのを待てないかもしれないけど。

流れる星をつかまえに

春なので、好きなあの子を誘って墨田川を眺めながら乾杯した。両国はでかい建物がたくさんあってわくわくする。べろんべろんに酔っぱらって次の日は使いものにならんかった。ただでさえ使いものにならないのに。

週末はブルーシートをひろげて近くの公園で花見。こぼれそうな花と、永遠のようなブルーシートと、よっぱらい。

卜。

家族仲がしっくりいかず、生き方に迷う主婦。16歳になる直前まで自分が在日韓国人だと知らなかった姉妹。ゲイであることに葛藤する男子高生。血の繋がった子どもを持てなかった母親。卒業式の日にプロムを開催すべく奮闘するモーレツ女子高生たち――

ままならない日常に悩み惑う人たちの踏み出す一歩が、あなたの背中をそっと押してくれる。

『余命一年、男をかう』で大注目の著者が贈る、明日もがんばる元気をくれる連作短編集。

それぞれの痛みが切々とつながる。だれかの気持ちを踏みにじっていないか不安になる。

バッテリーIII

げんちゃんはオンとオフの切り替えがはげしく、園からの帰り道は走るかだっこの二択だった。荷物が重くて、ちょっと待ってと声をかけるとだっこをしなければならず、その二択は母にはオンとオンでしかない。このごろはキャプ翼にはまって、休みの日に校庭のわきでボールをけっている。ふくちゃんが最高学年になるのでくじ引きをやったら一番でかい役をまっさきにひいてしまい、監督とキャプテンと保護者代表が家のなかにそろってしまった。

通勤で王子駅に電車がとまって、車内から公園の斜面のつぼみのピンク色がみえるくらいまで春になっている。

エフ本。

整列後、マウンドへと走る。雲のわずかなすきまから、光がおりてくる。マウンドの数歩手前で、巧は足を止めた。一歩一歩を確かめてマウンドを踏む。スパイクの下の感触を味わう。世界の中心がここにある。シリーズ第3弾。

剛速球投手の巧(たくみ)への暴力で休部だった野球部の活動が9月に再開。監督の戸村先生は3年部員の最後に、強豪横手中との試合を考える。巧と捕手の剛(ごう)は1年だがチームの中核として横手中へ立ち向かう。巧の弟清波(せいは)も野球に夢中だった。

一気にIからIIIまで読んでしまった。コロナでいけなかった中学の参観日で、先生がクラスの動画をみせてくれたらしく、友だちがその動画の動画を送ってくれた。お調子者の思春期がわらっていた。家とはちがう顔をしている。