南都週刊2012年第6期 「香港,还好吗?」より

何かを読んで面白いと思った時には大抵忙しくて書き込めないので、時期を外した感じになってしまうことが多いのですが、自分用のメモを兼ねて残しておきたい。2月に上海に行った時に買いこんで来た中国の時事週刊誌から、印象に残った記事の紹介です。
 今年初め、中国本土(内地)からの観光客のマナーの悪さを撮った映像がネットで流れたのをきっかけに、中国人観光客をイナゴにたとえた歌「蝗蟲天下」が流行するなどして、ネット上で嫌中感情が吹き荒れる騒動がありました。その事件に対する内地側の反応として、『南都週刊』2012年第6期(2月20日)の特集「香港,还好吗?」から、華璐「我们没有不同(僕たちは何も違わない)」の内容を以下に要約しました。大意が取りやすいように、かなり意訳してます。
 原文はこちらから[〈http://nbweekly.com/news/special/201202/29041.aspx#comtsAnchor〉:title]。

華璐「我们没有不同(僕たちは何も違わない)」(『南都週刊』2012年第6期(2月20日)より、大意要約)
「(広州と九龍を結ぶ)ブルーライン(東鉄線)には乗りたくないよ。差別するつもりはないんだけど、車内に荷物をたくさん抱えた標準中国語でやかましく話す観光客だらけでいやになる」。標準的な中環(セントラル=地名)の男性が語っている。心なしか地下鉄で「車内での飲食はご遠慮ください」というアナウンスが増えたような気がする。中国内地の家族連れのマナーの悪さを写した映像*1Facebookで流れ、香港で生活する内地出身の知人たちは冗談めかして、「イナゴの歌」を歌われないように、最近は外では英語を話すようにしていると言っている。香港のメディアには珍しく、内地と香港の矛盾のニュースが2ヶ月もトップニュースを飾り続けており、三人の特区長官候補も「双非孕婦」(訳注:両親とも香港出身でないが、香港市民権を獲得するために香港で出産しようとする妊婦)対策について記者の詰問を受けている。広東、香港の双方の政府は昨年双方の自家用車乗り入れの開放について合意したが、香港では反対運動が起こり、3月に開放されるのは香港人珠江デルタに乗り入れることだけで、広東省民の乗り入れについては時期未定となっている。
◎「西紅柿」と「番茄」
 96年に香港に初めて旅行した時は、一家で上環でアフタヌーンティーを食べるのも贅沢だった。一家の海洋公園の入場料は、母親の給料の半月分以上だった。当時は香港人の大部分が標準中国語を話せず、エレベーターでは英語で、右側に立つように注意されたりした。内地からの観光客もびくびくしていて、そこらにゴミを捨てたり痰を吐いたりなどとてもできなかった。香港人には優越感があり、同年齢の子からよくからかわれた。同じ広東語でも、香港人からすれば違いが分かり、香港の文房具屋で店員にボールペン("鋼筆")と言っても出て来なかったことがある(香港人は"水筆"と呼ぶ)。

◎郷に入っても郷に従わず
 2003年がひとつの転換点で、SARSによる香港観光業の低迷により、国が内地居民の香港への自由旅行を解禁した。税関を通過する度に、内地同胞の購買力には驚かされる。しかし、財布が膨らむと、一部の内地の観光客は香港のルールを守らなくなった。私も銅鑼湾の高級化粧品売場で、内地観光客が店員が値引きしないのを罵っているのを見かけた。
 お客様は神様で、香港のブランド店の店員は標準中国語で応対したが、一部の店員は恭しく応対しつつも、密かに軽蔑していただろう。『明報』の評論でも言っていたが、香港人は内地の客が雇用機会をもたらすことを頭では分かっていても、感情的には内地客の地位の上昇と香港人消費者の地位の低下を面白く思っていない。ちょっと前まで香港人は、「いざとなったら仕事を辞めて内地に行くさ」、と言っていたが、内地人が香港で不動産を買い、香港ドル安で内地で老後を過ごす金もなくなるとは、当時は思いもよらなかったろう。
 
◎狭隘な社会でないことを望む 
 香港人の学生には、裕福な内地からの留学生が奨学金や宿舎などの資源を占有していることへの不満が高まっている。巷に広がった"イナゴ"ポスターにも類似の見方が示され、粉ミルクや病院のベッドが内地人に奪われているとしている。
 香港人は自らのものを“よそ者”に奪われていると考えだしているが、私の周りの友人たちは、香港人であろうと内地人であろうと、香港住民は納税者であり、香港政府は彼らの需要を優先的に考えるべきだと考えている。香港人の友人たちも、“イナゴ論”には賛成しないと言ってくれている。
 香港中文大学の蔡子強が、“イナゴ”などという侮蔑的表現で内地同胞を形容しないよう呼びかけたところ、妊婦や労働者だという読者から批判を受けた。彼は、出産用のベッドが足りないのは内地から大量に妊婦が押し寄せたせいだとメディアはけしかけているが、これは(香港)政府の医療産業発展計画がもたらした結果だと反論した。
 香港大学の民主の壁の"イナゴ"ポスターの下には、学生たちが次々と学籍番号を書いて同意を示した。これに対し、匿名の内地人学生が、公開書簡を貼り出した。「君たちが不平を言おうが政府を批判しようが構わない。しかし、同じ中国の内地人をイナゴと侮辱することは許せない。それは孔××が香港人を犬と呼ぶのを許せないのと同じことだ。僕が香港に来たのは多元的で包容力のある社会で物事を大きな視野から考えたかったからで、この香港が狭隘な社会になって欲しくない」。

 著者は香港留学中の広州人メディア関係者とのこと。 「イナゴ」騒動について日本語で紹介しているものとして、下記のサイトがある〈http://sankei.jp.msn.com/world/news/120212/chn12021212010002-n1.htm〉。日本でこういうのを面白がって紹介するのは例によってこの新聞、という感じだが、中華圏同士の近親憎悪みたいのにかこつけて実は婉曲的に自らの嫌中感情を表明しているような嫌な紹介の仕方だというのが正直な感想です。
 これに対し、中国でのメディアなどの公的な反応は、北京大学教授で札付きの左派系(日本の感覚では右翼)の孔慶東氏が香港人を犬呼ばわりした以外(文中の「孔××」。その後孔氏は薄煕来騒動に巻き込まれて大変みたいです)、どちらかというと平静という印象ですが、特に上記の記事は、細部には色々ツッコミどころがあるものの、様々な次元で内地人、香港人の双方が抱えている矛盾した感情を、日常的な分かりやすい事例から表現していて、好感が持てた。内地から香港への流入人口といっても、実際には短期滞在者と長期滞在者、階層、世代などにより、状況は様々であろう(香港側も同様)。上記文章に見られるような、短期滞在者の心ない振る舞いと香港人差別意識のはざまで傷ついている内地人留学生もいることは想像に難くない。その辺の機微については今後注目していきたい。

*1:原文だと親が子どもに車内でうんちをさせたとあるが、実際話題になったのは、内地人の親が子どもに車内で飲食させていて、それを香港人が注意して口論になった映像だと思われる〈http://www.rtbot.net/%E5%85%A7%E5%9C%B0%E9%81%8A%E5%AE%A2〉。

三澤真美恵『「帝国」 と 「祖国」 のはざま―植民地期台湾映画人の交渉と越境―』

日本から持ち越した仕事が幾つかあるが、なかでも締め切りをはるか昔に過ぎている三澤真美恵さんの『「帝国」 と 「祖国」 のはざま―植民地期台湾映画人の交渉と越境―』の書評の仕事、いい加減にやらないといけない。実証面、理論面とも非常に緻密な構成で、個人的には学ぶところが大きかった。

しかし、逆に完成度が高い本というのはツッコミがしづらく、書評としては何を書いたら良いか悩んでしまう。 
 とはいえ、引き受けた以上は何かを言わないといけない。以下、考えをまとめるための下書き。

三澤さんの本の基本的な構図をまとめると、植民地下の台湾で、台湾人が映画という「近代」を追求しようとしても、様々な抑圧により挫折せざるを得なかった。そこで本書で扱われる劉吶鷗、何非光らは中国に「越境」することでこの限界を超えようとしたが、結局は中国ナショナリズムに完全に同一化することもできず、悲劇的な運命をたどらざるを得なかった。この構図は本書の中で繰り返し説明されているが、ここでいう「近代」とたいう概念については最初の方でごく抽象的な定義がなされているだけだ。

 しかし、植民地下台湾の「近代」については、台湾文学研究の分野ではやや異なった角度からに言及されているようだ。例えば陳芳明『殖民地摩登: 現代性與臺灣史觀』(2004)では、植民地下の台湾にもたらされた「近代化」は、日本人により強制されたもので、抑圧的な側面を持ってたとしている。頼和、呂赫若といった文学者は植民地下の近代性に批判的な視点を持っていた、そしてそれは、彼らをして台湾社会の伝統や土着的なものに目を向けさせたという。

 被植民者による主体的な近代追求に対する抑圧(三澤)と、植民者の立場からの近代の強制(陳)は、必ずしも矛盾するものではないと思われる(そして厳密に両者の境界をどのように引くかは難しい)。しかし結果として、「祖国」への越境という道を選択した劉吶鷗、何非光は映画という20世紀的メディアにより普遍的な近代を追求し、台湾に留まった作家たちが活字という19世紀的なメディアを通じ、土着的なものへ回帰した。という対比的な構図が引ければ面白いかな、などと漠然と思っている。

とはいえ、事例が少なすぎてちょっと強引な気もする。じっくり練り上げるにはもはやあまりに締め切りを過ぎているので、少しトーンダウンして穏当なところに落とすかな。いずれにせよ、数日中には仕上げたい。

去年参加したワークショップですが、記録用に。

Comparative Studies on Asia: Colonialism and Modernity
NUS Southeast Asian Studies Department (SEAD)-Kanagawa University Joint Workshop 2011

23-24 November 2011
Venue: Malay Studies Conference Room (AS7 0413 Level 4)

MURAI, Hiroshi

“Cold War and Reorganization of the Overseas Chinese Communities: In the Case of the Chinese New Villages in Malaysia”

「碑文なき記念碑が語るマレーシアの抗日の記憶をめぐる抗争」

「碑文なき記念碑が語るマレーシアの抗日の記憶をめぐる抗争」(『非文字資料研究』26(2011年)、pp.14-15 → http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/pdf/NL26.pdf
 多民族国家であるマレーシアでは、マレー人を中心とするブミプトラが全人口の66%を占めるが、中国からの移民の子孫である華人も26%を占めている。隣国のシンガポールがやはり多くの華人人口を抱えながら(76%)、周辺国に配慮した英語中心政策によって中国語(華語)の公式な使用が抑えられてきたのとは対照的に、マレーシアの華人コミュニティにおいては、ある種の自治が認められ、中国語による教育や、中国語のマスメディアが受容されている。
 こうした中国語の通用性に助けられ、筆者はここ数年、マレーシア農村部における華人コミュニティの現代史に関するオーラル・ヒストリーの調査に携わっている。調査は主として、第二次大戦後を対象としているが、日本人である筆者が聞き取りを行う際、現地の人々から温かい協力を受けることが多い一方で、しばしば、1941年12月〜1945年8月の日本軍による占領で肉親を殺されたり、迫害されたという老人に出会う。また、そうした直接的な経験がない世代からも、日本の戦争責任や歴史認識について厳しい質問を投げかけられる機会がある。元々中国現代史を専門とする筆者にとって、中国本土においても同様の経験をすることは多く、これに対してどのように応答するべきか、いまだにはっきりとした答えを出せていない難しい問題だ。
 それはそれとして、一方で、マレーシアにおける日本占領の記憶は、そこで用いられるボキャブラリーなど、一見中国本土におけるものと似ているようにも見えるが、中国本土とは相当に異なる、戦後のマレーシア社会の独自のコンテクストが背景として刻み込まれている。ある記念碑の事例からこれを考えてみたい。
(下略)

シンポジウム 311以後の日本から中国を語る

神奈川大学国語学科主催シンポジウム

311以後の日本から中国を語る

開催趣旨
急激な経済成長を続けてきた中国は、今、大きな転換点を迎えようとしているように見えます。しかし、ここ日本において中国を語る際、その社会矛盾 の噴出や制度上のきしみを対岸の火事として高見の見物を決め込むことはできないでしょう。「日本」という場自体もまた、大きくゆらぎ、構造変動の まっただ中にあるからです。では、この現代日本という場から中国社会について語る時、どのような可能性と問題点があるのでしょうか。
 本シンポジウムでは、マクロな構造分析とシステムに翻弄される人々への共感、理論と実証、現状分析と歴史研究をつなぐ斬新な切り口で中国を語 る、今、最も先端的な中国研究者・梶谷懐さんを基調報告者としてお招きします。また、梶谷さんの近著を手がかりに、意欲的なフィールドワークを行 う3人の気鋭の研究者から問題提起を行なって頂き、上記の問題について、考えていきたいと思います。

日時: 2012年2月10日(金)14:00〜17:30
会場: 神奈川大学横浜キャ ンパス 23号館205
     横浜市神奈川区六角橋3-27-1(東急東横線白楽駅」から徒歩13分)

プログラム
第一部 14:00〜14:55
14:00 開催趣旨説明
14:05 基調報告
  梶谷懐「東アジアにおける「公共性」の可能性―「中国特殊論」を超えて―」
梶谷懐氏プロフィール
神戸大学大学院経済学研究科准教授。2001年、神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了、2000年、神戸学院大学経済学部講師(2004年、 同助教授)などを経て、2010年より現職。著書に『現代中国の財政金融システム―グローバル化と中央-地方関係の経済学―』(名古屋大学出版 会)、『「壁と卵」の現代中国論―リスク社会化する超大国とどう向き合うか―』(人文書院)など。ハンドル名「梶ピエール」のブロガーとしても知 られる〈http://d.hatena.ne.jp /kaikaji/〉。

第二部 15:00〜16:20

報告 梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論―リスク社会化する超大国とどう向き合うか―』(人文書院、2011年)をめぐって
1.阿古智子
 早稲田大学国際教養学部准教授。現代中国の社会変動が主な研究テーマ。
 著書に『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告―』(新潮社)など。
2.大澤肇氏
人間文化研究機構地域研究推進センター研究員、(財)東洋文庫研究員。専門は中国近現代社会史、史料情報論。編著書に『新史料からみる中国現代 史』(共編、東方書店)など。
3.水谷尚子
中央大学兼任講師。専門は近現代中国史、近現代新疆史、オーラル・ヒストリー。著作に『中国を追われたウイグル人――亡命者が語る政治弾圧』(文 藝春秋)、『「反日」以前――中国対日工作者たちの回想』(文藝春秋)など。

第三部 16:30〜17:30
16:30 梶谷氏から書評報告への応答
16:45 総括討論
17:25 閉会の辞

司会 村井寛志 (神奈川大学国語学部准教授)

参加無料、申込不要

主催 神奈川大学国語学
共催 中国公民社会研究会、神奈川大学経済学部グローバリゼーション研究会
企画協力 麻生晴一郎氏、本田親史氏