静寂ラストライブ

新年が明けてしまった。だからといって特別な行事に心躍らせるわけでもなく、正月だろうが淡々と日々過ごしている。

昨年末、灰野敬二さんの静寂ラストライブに行った。ドラムの一楽さんが腰の病気が悪化させてしまったことで、このユニットは最後のライブを迎えてしまった。

ボクは数年前に静寂が都内での(恐らく)初ライブを観ている。その時の会場の雰囲気がとてもぴりぴりしていたこと、そして楽曲の構造がドラマチックだなぁと感じたことを覚えている。その後の静寂のライブは観ることができなかった。多忙だったり、ボクが海外の音楽イベントに足を運んでしまってたからだ。特に、一昨年の大震災のとき、確か静寂は高円寺Highでライブを予定していたと思うけど、その時もボクはベルリンのイベントに行っていた。

そして数年経ち、静寂のラストライブ。実直に記す。面白いとは言えなかった。静寂について記事を読んだりして知識を得ているとは、ボクの場合とても言えない。それでも確か、ブルーズを意識したユニットとして静寂を捉えている。メンバーの人選には慎重であるはずの灰野敬二のユニットであるにもかかわらず、ボクにはこの人選が効を奏しているとは考えにくい。

ライブ最中にとても気になったのは、リズムの反復があまりに執拗であることだ。腰の激しい痛みにもかかわらず3時間もの間パワーヒッティングをやめなかった一楽さんには拍手を送りたい。これは誰も異論はあるまい。公演後惜しみない賞賛の拍手を送ったのはボクだけではない。だが、その反復の執拗さはブルーズの持ち味も灰野敬二の持ち味も決して活かすことはなかったように思う。

また、これは亀川千代加入後の不失者にも当てはまることだが、ベースがあまりにも平坦すぎて楽曲の起伏が全く作れていないことも今回の静寂を拝見して気がかりになったことだ。つまり、リズムもベースも楽曲にうまく作用しなかったとしかボクには言いようがない。

さらに付け加えれば、3時間の公演の後半はごくごくオーソドックスなロック以外の何ものでもない。また、灰野さんのドキュメンタリー映画を拝見してよく理解できたのだが、灰野さんのルサンチマンはいささか過剰気味だ。はっきり言わせてもらう。後半に突入してすぐに、もうお腹一杯になった。嫌気がさしたというのが本音だ。

ボク自身、灰野さんのライブ会場には心をわくわくさせながら行く人間だ。今だってその気持ちは持っている。まだ未読だが、灰野さんの新刊だって読むのをとても楽しみにしている。灰野さんは手放しで賞賛できる数少ない日本人のミュージシャンだったが、現在のボクにとってはそういうミュージシャンではなくなってしまった。灰野さん批判のために考えなおす時が来たように思った。

懐かしいばかりに

坂本龍一NHK教育で講師をつとめた番組は毎回拝見していたのだけど、その中で、高野寛コーネリアス、清水貴弘、細野晴臣などがYMOの楽曲を演奏しているのを観て感激してしまった。この感激は坂本龍一とは関係なく、高野寛がボーカルを務めていたことに大きく関係している。

ボクの高校や大学生活の決して少なくない部分は高野寛のCDを聴くことに費やされた。今ではまったく想像できないくらいボクはポップスが大好きだったのだけど、NHK教育関連で思い出した高野寛の出演番組のなかでどうしても忘れられないものがあった。それをYouTubeで見ることができて、当時とおなじ鳥肌ものの嬉しさを感じてしまった。

ポップ音楽の純粋な喜びをもたらしてくれるクリップ。「夢の中で会えるでしょう」がそもそもキングトーンに提供された楽曲だとは知らなかった。それと同時に、ある時期から、おそらく2000年以降くらいから職人芸を思わせてくれる楽曲をつくれるミュージシャンが極端に、というより全く生みだせなくなってる状況がここ日本にはあるように思う。おおざっぱな言い方だけれど、高野寛の周辺には田島貴男のようなどっから聴いてもミュージシャンシップの高い人びとが大勢いたように思う。またまた同時に、ポップミュージックの歴史に意識的なミュージシャンも皆無ではなかろうかとも思う。この場合の歴史がどの程度の範囲で想定するのかは各人によってばらつくのは致し方ないとしても、適当にやってれば良いという言い分は、ミュージシャンがどの世代や性別に関係なく通用するはずがない(という考え方自体、ボクのジェンダーと関わっているような気がしないでもないけれど)。2000年以降にデビューしたミュージシャンやバンドの多くが長く持たないことも無関係ではないと思う。音楽産業も低迷から抜け出せないのも宜なるかなという感じだ。

ゲッチングのストリーミング

今週一杯は、ベルリンでTransmediale系のイベントで目白押しで、ボクも行こうと思ったけど、震災の頃にもベルリンにいたわけだし、この夏の音楽旅行を盛大にするってことで、ベルリン行きは取りやめた。

タイトル通り、ゲッチングのライブがストリーミングされるそうで、現在日曜日の朝4時45分ごろといったところですが、あと15分もするとライブ開始ってことのようだ。

あまりゲッチングにのめり込んだ覚えはないが、まぁ見てみるとしよう。どうも↓のリンクで閲覧可能のようだ。

http://www.transmediale.de/en/tm2k12

Charlemagne Palestine初来日

風邪気味で微熱もでていたので体のコンディションは決して良くないし、しかも寒さもなかなかきついものがあったけど、パレシュタインのコンサートに行ってきました。

開演の20分前に入場しましたが、その時にはすでにパレシュタインはピアノのおいてある自分のスペースにお出ましで、片手に持つビデオカメラを客席に向けた状態のまま、とてもグルービーな感じで体を揺らしておられました。

その際、バックグラウンドに流れる音源に耳を澄ましていると、どうも日本のアダルトビデオからのサンプリングだったみたいで、女の子の喘ぎ声がずーっと会場に響きわたってました。

パレシュタインさん、なかなかお茶目というか、破天荒というか。はたまたじつはダメおじさんなのかもしれないと思った。

本人のアナウンスを待つまでもなく、それが彼の初来日だったのだが、それを"virgin”という言葉で表現。うーむ、ますますセクシュアルなテーマが横溢しはじめた。

で、いよいよ演奏開始。二度、三度などだけの単純な構成が待っているのだと予想していたけれど、それは良い意味で裏切られて、もっと複雑な和音で、しかも錯綜するリズムでもって構築されているので、生で聴いてみると(どうせエフェクトの力が大きく物を言っているコンサートではあるが)4,500円というチケットの値段はぼったくりではないなと判断するものの、やはりセクシュアルなテーマがあるな、と。

つまり、右手と左手で交互に鍵盤をアタックすることで発せられる音は、まさにセクシュアルな行為そのものを連想させてはいないだろうか。公演中の照明もずっと血のような赤で固定されており、バージンがバージンでなくなるその瞬間にボクは居合わせてしまったような気分だ。

で、コンサートのbefore/afterでパレシュタイン評価が変わったかどうか――変わらなかった。

無限に左右の手で一定のリズムを刻むのはしんどいことで、それなりの訓練も要したこととわかってはいるものの、その割には作品としてのインパクトに欠ける。ピアニストとしてもっと凄まじいヤツがいるだろうと考えたくなるし、実際いるだろうと思う。この30年以上、スタイルに変遷があったということもあるわけでもなさそうだし、音楽の根底を揺さぶってしまうようなパワー自体はまったく感じられなかった。どちらかというと、いわゆるアメリカのミニマリストという流れにうまく乗って来れただけラッキーなミュージシャンという風にボクには映った。

Daphne Oramの記事+パレシュタイン来日

イギリスのエレクトロミュージックの草分け的存在のDaphne OramについてBBCが記事をリリースしている。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/click_online/9671950.stm

大陸よりも10年くらい立ちおくれてのスタートだったこと、しかも、OramもかかわっていたBBCのRadiophonic Workshopの機材がけっして満足なものではなかったこと、実験的手法からは距離をおいていたこと、そして何よりも、あくまでもドラマなどの効果音を制作する場としての性格が強かったことが影響して、イギリスのエレクトロミュージックの存在感は弱い。Oramが開発した、その名もOramicsは、それまで停滞していたイギリスのエレクトロミュージックの礎となっていったのは間違いないだろう。

この数年、Oramへの関心は高まるばかりで、彼女がロンドン大学のゴールドスミスという、左翼的で実験的手法を歓迎する芸大のイメージが強いカレッジでリサーチしていたことも有名な話だが(しかもこのカレッジはボクも英文学を学んだ場所!)、このカレッジでも彼女が残した音源をアーカイブ化するプロジェクトがあると聞く。また、ロンドン市内の博物館でOram展が開催されていたこともその流れにあるのは間違いない。

Oramの音源がLPでリリースされると知ったのは最近の話だが、アナログで聴くのとデジタルで聴くのとどちらが良いのだろうか。いずれにせよ、ぜひ入手したい。

そして、Charlemagne Palestineの来日が決定! ボクはミニマリズムに関してはあまり深く広くカバーできていないが、こんなチャンスは滅多にないので、ぜひ駆けつけたい。

メニエール病克服に向けて

メニエール病の病状のことをあまり気にせず生活できるようになった。音楽を聴くのも今はへっちゃら。Iancu Dumitrescuの"Ouranos II"という1997年の作品を聴いているのだが、もう怒濤の爆発音炸裂で思わず笑っちゃいます。マエストロはとても人当たりのよい穏やかな方だけど、音楽的にここまでchaoticな作風になると、ギャップという言葉さえまったく役立たずになります。

ところで、音楽的には絶好調!と行きたいところですが、二月か三月にバリ島でガムランの修行に出ようという計画はどうもおじゃんになりそう。そこで代案を作るべく、いつものように『ワイヤー』誌の最新号でイベントのスケジュールをチェックしてみた。

びっくり。これって、EU圏の経済的危機がもろに反映されてるじゃん。

いつもなら、雑誌の4−5頁をぎっしりと欧米で開催されるイベントのスケジュールでもって埋められているのに、最新号ではたったの2頁だけ!いや〜どこの国でもイベントが開催しにくい状況になっていってるのね。日本でも不況+震災でもってイベントの開催がままならなくなってしまったのと似たような現象が、海の向こうでも起こっているのだな。

海外の興行数に関しては、たとえサブプライム問題の発覚後であっても、特に指摘するような変化は見られなかった。それが最新号では、半数に激減! 『ワイヤー』を購読して数年と経過するが、この目減り感は初めてだ。ユーロ圏の経済破綻はこれほどに深刻なのだ。

そんな中、唯一見つけたのが来年2012年の1月下旬から2月初旬にベルリンで開催されるCTMだな。Catherine Christer HennixとかHildur Gudnadottirなどの参加予定で、私の愛人(?)Eliane Radigueもかかわるらしい。なにせ今回のテーマが"Spectral"だってことなので、ボクにはぴったり。

その他、イギリス、フランス、イタリア、ベルギーなどで開催されるであろうイベントのサイトもあれこれとチェックしたが、日程や参加ミュージシャンに不満を感じることが多く、あんまり行きたくねぇなぁと思う。

まぁだから、Dumitrescuさんにこの冬の公演スケジュールを予め聞き出しておけば、計画も立てやすいものよ、と気づいた。