東日本大震災

仕事
まじめに書くの飽きた!(゚д゚)
被災時で一番問題になったのが、被災地以外は通常通り時間が進んでいると言うこと。
つまり、被災地で物が作れないと他の正常な工場が動かない。
これが一番厄介で工場の復旧は突貫工事となった。
かなり酷かった。特にガスが来ない為、寒い寒いとにかく寒い。コート着て仕事したヨー(゚д゚)
あとは水道管が破裂して二階が浸水してたり、猛毒の液体が壁一面にぶちまけられてたり。
1㌧以上ある機会が1メートルぐらいスライドしてたり等‥。中々笑える状況でした(゚д゚@)
余談ですが、地震の時海外に行ってた人が3日目には既に職場にいてびびりました。
地震発生⇒飛行機1日遅れの便で帰国⇒車を借りて強行軍 そんなにがんばんなくていいのよ・・・(゚д゚)
正直1週間ぐらい安静にしておこうと思いましたが・・・。
上司「おう、さっさと出勤して復旧工事手伝え」」

ですよねー(゚д゚)
ガソリンがピンチだったので、チャリで来た(゚д゚)

東日本大震災

東日本大震災から5年が経過したので、つらつらとその後について書き起こしておこうと思う。
まず、過去に書き起こした記事は震災1週間後の時になる。
なので時系列的にはこんな感じになったはず。
震災発生(断水・停電・ガス停止)⇒3〜4日後に電気復旧⇒1週間後ぐらいにネット復旧⇒10日後?ぐらいに水復旧⇒2週間〜20日ぐらいにガス復旧
と言っても我が家は井戸水あったので水の復旧はまったく意識してなかったけどね(゚д゚)
ネット復旧後、下記の文を書いたのでその頃になる。
本当は一週間分くらい書くつもりだったが、その頃から忙しくなり今に至る。
そんな訳でキーワードを若干絞って書いていこう。
ガソリンスタンド
以前の記事でガソリンスタンドは10日経っても混乱行列が止まらないと書いたが、2週間過ぎたあたりから混乱は徐々に収まっていった。
それまでは自転車移動を主として非常に健康的な生活を送っていたので、また楽な生活に戻れるのでうれしかったです ( ´_ゝ`)
当時の給油は2時間待ちぐらいが当たり前になってました。車道を一部封鎖してまで実施されるこの状況は些か閉口しましたが、田舎には死活問題だからね。しかたないね。
ちなみに私が混乱状態の時給油したのは一回のみで、ほとんど並びませんでした。ちゃっかり整理券を会社から貰えたのが理由です。
日ごろの行いが素晴らしいからですね。
。。。。。。。
ガソリンの供給も安定したので、一番気になっていた沿岸部の状況を数名で確認しました。
・・・・最低限の道だけが確保されてて瓦礫残骸瓦礫残骸瓦礫残骸瓦礫・・・・
瓦礫の上で何かを探す人達。
親戚の家は跡形もありませんでした。
(゚д゚;)正直舐めてた。不謹慎ですみません。

東日本大震災

発生から三日目月曜日
いつもなら会社に出勤して、仕事が始まる日です。
会社側からは何の連絡も無かったので、早速自転車で会社に向かいました。
ちなみに非常事態だと言うことで遅刻上等で向かいました( ´_ゝ`)
この時点で、停電は直っておらず、どの信号も真っ暗闇のままだったのですが・・・。
・・・・・・
ん・・・・?自動販売機が動いている・・・・・??
何基準なのか分かりませんが、信号5個分ぐらいの地域の電気が戻っていました。
しかし、先に進むとある地点からはまた停電・・・。
色々と見て回りましたが、特に目立った施設も無い所です。
一体、電気は何を優先して直しているのでしょうね。
・・・・・・
会社に着くと、予想通り多くの人々が集まっていました。
久々の皆との再会です・・・・・・。
と言いたかったのですが、同じ事務所の方々には何名かあったのですが、私のチームメンバーとは会えませんでした・・・。
まぁ、一人は山住まいでもう一人は海外飛んでたので心配してませんでしたが( ´_ゝ`)
結局、電気・水道普通の現状では仕事にならないという事で、一部の業者さんと現場責任者を残して、他メンバーは全員自宅待機となりました。
インフラの整備のみならず、建屋の安全確認、復旧作業手順に確認、優先順位の確保。
やるべきことは山積みです。
でも、それ以上に皆自分自信の生活で精一杯な状況。
当然と言えば当然ですが、焦りが無いと言えば嘘になります。
・・・・・・
余談ですが、会社にも少しですが備蓄食料やお菓子があり、会社に残っていた一部の方々はそれを食べ繋いで生活していたみたいです。
また、他の事業所等からも支援物資の名目で届けてくれた物もあったそうです。
私が直接恩恵に会った訳じゃありませんが、ありがたいことです。

東日本大震災

日曜日
昨日に引き続き、自転車で物資確保に努めてました。
近場の酒屋さんに入荷状況を聞いてみましたが、ジュース等は手に入るが食料品はほとんど手に入らなかったそうです。
但し、たまごはまた入荷されてた( ´_ゝ`)
近所の怪しげなスーパーは、昨日市場に行ったそうですが閉まってたそうです。
・・・・・
そらそーだ(;´_ゝ`)
2日目にこっそりと開いていた、ガソリンスタンドも人が殺到して前日で品切れ
更に販売している店が減っている印象を受けました。
品物の入荷もままならず、停電も継続中。
当然の結果ですね











近所の炭火焼の焼肉店開いてたけどね( ´_ゝ`)
停電なのにどういう原理だ?と思いましたが、考えてみれば炭さえあれば焼ける訳で、
入り口からもくもくと煙が出てくるのは中々シュールな光景でした。
(排気が動かないので、入り口全開で営業してた)
意外とこの手のお店は多く、ラーメン屋でおにぎりを販売していたり、カレー限定で出しているお店があったりしました。
理由は単純で、地域的にプロパンガスが多かったのが要因でしょうね。
ご飯や煮炊きに困らない家庭も結構ありました。(我が家も含む)
・・・・・・
一度出かけた意外は終始、家でのんびりしていました。
ちなみに、お風呂には当然入ってません。せいぜいお湯で体を拭くぐらい。
それでも贅沢な暮らしをしているなぁと感じました。
食うには、困っていませんでした。
緊急時に強いのは農家の特権でしょうね。(最悪米だけあれば・・・。)
この頃から、開かないガソリンスタンドに並ぶ車が更に酷くなっていきました。
2車線の片側を占有するのみならず、1車線を完全に封鎖している所もありました。
一種のパニックですね。
(十日間過ぎた現在でも封鎖は進行中です。)
目の前に交番があるのですが、どうにかできないもんかねぇ・・・・。

東日本大震災

地震後2日目
起床後、すぐ自分の部屋を捜索し、単3の懐中電灯を見つけました。
非常事態に備えて、ペンケースに入れていたのが幸いしました。
災害用の物品は分かり易いところに
これは鉄則だと思います。
理想は夜中に地震が起きて家内がめちゃくちゃになってもすぐに探せし出せるのが良いです。
また、電池の手に入れ易さは単3>>単2>単1となります。
自宅に乾電池を常時備蓄しているなら兎も角、もし新たに懐中電灯を購入しようとしているのならば、単三の懐中電灯を買っておくのも一つだと思います。
単三乾電池はラジオとも共有できるので、無駄がありません。
他に単1懐中電灯もありましたが、こちらは内部に入っている乾電池しか手元に無く、毎日電池残量を心配しながら使用し続けていました。
・・・・・・・
朝ごはんも早々に、会社へ向かいました。
土曜日もあってか、交通量は少なかったですが・・・・。
何だこのガソリンスタンドの行列は(゜д゜;)
・・・皆さんもご存知の通り、この時からガソリンスタンドへの大行列が始まります。
実際には地震後11日にも車が殺到していたと思います。
しかしながら、電気が来ないと給油できないガソリンスタンドも多く、ほとんどのお店は開店休業状態でした。
もしそれでも給油してもらいたい場合は、昔からある古く地元に密着したガソリンスタンドが狙い目です。
そういったガソリンスタンドは地元住民率が高く、非常時にも柔軟に対応してくれます。
反対に最近多いセルフ式ガソリンスタンドは店仕舞してしまう場合が多いです。(店員が少なく、そういった対応ができない為だと思われます。)
・・・・・
信号が使用できなくても、なんとか道路が使用できることは前日に体感済でしたので、スピードを落して余裕を持って会社に向かいました。
(但し、11日帰宅時に何度が事故りそうになったことをここに記載しておきます。)
会社はもぬけの空でした・・・・・。
ってことは無く、警備員数名と近場の人達が数名。
また、帰れなくなった出張者が会社に居ました。
事情を話すと、会社担当者の方が親指を立てて一言
「ナイス判断」
久しぶりに褒められた(゜д゜*)
私のみならず、各地で足止めを食らって、深夜に戻ってきた人達が大勢居たそうです。
家に帰ったのは私だけだったらしいけどな( ´_ゝ`)
外観上、会社は何事も無い様に見えましたが、一歩内部に入ってしまえば、呆然とする様な光景が広がっていました。
全く役に立たなかった耐震工具も何点か( ´_ゝ`)
迂闊に手を出して二次災害になるのも嫌なので、昨日受け取った荷物だけ置いて帰宅しました。
もちろん自分の車で。
携帯電話の電池が切れそうで困っていましたが、車に携帯電話の充電器があったので、非常に助かりました。
また、地デジ対応のナビも私達にとってはありがたい情報源でした。
この時から、電気が復旧するまで午前20分と午後20分の自動車でのテレビ鑑賞は貴重な日課となります。
・・・・・
家への帰宅後、まず私が最初に起こした行動は、物資の確保です。
特に欲しかったのは食料と乾電池です。
車はガソリンが貴重品になってしまったので、自転車で近場から回っていきました。
探索結果は以下の通り。(向かった順番に記載)
・近所個人経営の酒屋さん⇒缶詰・マッチ・お菓子・飲料水を獲得!
・近所個人経営の怪しげなスーパー⇒カップ麺(2個)・お菓子・飲料水・野菜を獲得!
・近所コンビニ⇒販売していたが、行列ができていたので断念
って何このダンジョンRPG(゜д゜;)
お菓子が多いのは仕様です( ´_ゝ`)
尚、酒屋さんにはたまごも売っていました。
しかし、翌日には食料品関連はほぼ全て完売していました。
そりゃもう、根こそぎです。残ってたのはベビースターラーメンぐらい(;´д`)
乾電池やラーメン・水関連は即売状態だったみたいです。(私が買ったカップラーメンは賞味期限が略)
逆にしばらく経っても手に入る物は下記の通りです。
・コーヒー缶(まぁ、買う人は少ないわな)
・ジュース(お茶等も入荷し易い為、意外と残ってる)
・たばこ(但し、補充が利かない為、徐々に品薄になっていく)←21日現在も品薄

買出しが一段落した後は町の様子見がてら、自転車にて会社再度向いました。
大手スーパーの前には長い行列ができていました。
電気店の前には非常時に使えそうな物は全て完売しましたの看板が立てられ、店は閉まっていました。
コンビニは三者三様です。一人ずつ店内に入れて販売を継続するお店もあれば、閉店している店もありました。
幸運にも、丁度店員さんが居たコンビニ(閉店していたが)を見つけたので交渉してみたら単3乾電池を売ってくれました。(10本獲得!)
印象的だったのは店員さん達の会話です。
店長らしき人「今、来てもお給料なんて払えないけど良いの?」
バイトらしき人「困った時はお互い様です。」
その後、夕方までお店を開いてたみたいです。(一人ずつ入れる方式にて)
頼りになるお店ですね。(○ーソンでした)
・・・・・・
街を回って感じたことは物資の確保するならば、
近所のお店の方が大手スーパー(ホームセンター)より断然有利だと言うことです。
実際、大手が軒並み売り切れの商品でも地元のお店には普通に残っている商品は数多くありました。
競争率が低いことも要因の一つとしてあったのでしょう。
・・・・・・
会社は何の収穫もありませんでした・・・。
本来なら休日出勤の予定だったんですけどね・・・。
会社のあちこちで会う顔見知りのお兄さんが居たので少し話をしていました。
曰く
・自分も土曜出勤予定だったが他のメンバーが出ていないか確認しにきた
・メンバーとは連絡が付かない
・電話の電波状況が悪いが、避難所の近くでは携帯のメールが繋がり易い
・東京に出張中の連中は無事、但し帰る手段が無い
仙台市体育館近く等では普通にメールのやり取りはできたそうです。
優先順位とかあるんじゃないか等、色々と話しましたが、私の感覚だと発電機等が動いている箇所近くだと非常に入り易い感じがしました。
実は13日以降、私の住んでいる地域ではアンテナすら立たなくなりました。
これは、恐らく電話基地局のバッテリーが底を付いたと思われます。
そこで、あちこち携帯電話難民となって放浪しました。
結果、近場で一番入り易かったのが・・・・・・・
高速道路ICの近く( ´_ゝ`)
考えられる要因は一点、発電機が動いていました。
確証なんてありませんが、停電復旧後、急に電話が繋がり始めたのも考えるとあながち間違いでは無いのかなと。
・・・・・・
会社は自宅より沿岸分寄りだったのですが、道中で地割れが多数見られました。
特に橋周辺は非常に危険です。
橋は堅く固定されて位置の変化が無いのですが周囲が沈下した為、大きな段差になっている箇所がいくつも見られました。
その為、高速で車で突っ込むとガスッって車底を擦る車が居ました。
(まぁ、そもそも速度出し過ぎ無い限りは起こらないはずなんですが・・・。)
・・・・・・
夜は明るいうちにご飯を食べて、すぐに眠りました。
大体我が家では9時前には布団に潜っていました。
夜は当然、台所にも居間にも蝋燭の火だけが頼りです。
蛍光灯の明るさに慣れてしまっている昨今では、正直、文字も読めないのが実情です。
ただ、家内捜索で大量の仏壇用の蝋燭が見つかったので蝋燭には困りませんでした。
あれ程、捨てる場所に困っていた謎の蝋燭が役に立つ日が来るとは(゜д゜)