ゲイとファッション

mxoxnxixcxa2006-07-08

 コメント欄に何かあったので眺めてみました。えっと何故に私ごときに白羽の矢がと、少しくからかわれているのかとも思いつつ、僭越ながらあなたの質問について考えてみたところ、おねいさんは「芸術系の作家は、煙草を吸わなければいけませんか?」という質問を思い出しました。
 答えはこうです。人それぞれよ。コミュニケーションの1ツールではあるけども。だって喫煙者は隅に追いやられていますしね。喫煙の場合はね。でもあなたの質問は「何故デザイナーにゲイが多いのか、成功者となるにはゲイでなくてはならないか」。本来は私なんかは門外漢なので、ふーんあっそ程度に読んでください。
 確かに、ファッションにあまり興味がない人でも知っていそうな大御所たち、トム・フォード、カール・ラガーフェルド、ジョンガリゴルチエ、マックイーンとかケンゾーでもいいし殺されたヴェルサーチとか、みんなゲイ。マーク・ジェイコブスだってアルマーニだってイヴ・サンローランだってドルチェ&ガッバーナだってゲイ。あらまあゲイ花盛り。
 もう、もう、ゲイになるっきゃないのか!と考えるのは、しかし浅はかではないでしょうか。何もゲイだから成功したんじゃないと思うよ。どの職種でもいえると思いますが、重要なのは才能と努力と行動力と自己プレゼン能力と運。このどれが欠けても駄目なんじゃないかと、青二才の私はぬかしてみます。
 しかしながら、ファッションデザインが向いているというのはあると思います。例えばノンケ男子の場合、女子に着せたい服、来て欲しくない服、こうであって欲しい女子、こうであって欲しくない女子像というのがあると思います。簡単に言えば「オレ好みの女像」が、ゲイにはないというのが大きいかも知れないですね。ゆえに女体を完全に物体としてみることが出来るというか。物体美としてどういう服を着せれば美しいかという発想が持てるのは、限定された女像という固定概念がないわけだから、イメージを豊かに広げられるのかもしれないと思います。だから逆に、彼らのデザインするメンズプレタポルテが、時としてオシャレ過ぎてノンケ男子にはとても着こなせないなぁ…というのがたまにあるのかもしれません。またデザイナー自身が、自分が女子だったなら着てみたい服というのもあるのかもしれませんが、これは全部私の想像です。
 でもでも、ファッションデザインというのは布に対する哲学的アプローチであったりもするので、一概には言えませんと思います。イッセイやヨウジの服は、着る人間がどうこういうではなくて、布の持つ可能性の探求だったりもするわけで、だから何が言いたいかというと、あるジャンルを一括りに考えるのは損ですよというのと、ゲイの全てがそういった流行やお洒落に興味があって、そういったものに対する感性が優れているとか総括もすべきではないと思います。ノンケはみんなダサくて流行に鈍いと言うのと同じくらいにおかしなことだと思いますが、なにぶん私は門外漢なので、どうだろう、あなたの聞きたいことの良き返答者になれたんでしょうか。
 要は自分次第だと思いますが、私自身がまだ何者にもなれていないわけなので、あまり真に受けないでください一意見でした。でもまあ仮に、誰か有名デザイナーのアシスタントになれたとして、アシスタント兼ラバーとなって、後ろ盾をもって独立できるか…と考えるならば、私は知りませんがそういう近道に恵まれたとしても、結局ものをいうのは上記の5条件なんだと思いました。
 ちなみにレズビアンはどうなんでしょうか。けっこう洒落っ気に無頓着な人が多い気がするのは何故なのでしょうか。ゲイの感性が仮に女性的な細やかさに裏打ちされたものなのだとしたら、男性的な荒削り感なのでしょうか。私は男子非へテロとファッションについて考えたので、女子非へテロについて、誰か教えてくれませんか。