Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

クリティカルワークショップ「近代芸術の教え」@東京アートミュージアム

講師:林道郎松浦寿夫岡崎乾二郎

■日時:1月31日(土)16:00〜18:00
■参加費:300円
■会場:東京アートミュージアム
(展覧会「Phirosophiae naturalis principia artificiosa-自然哲学としての芸術原理-」に関連したシンポジウム)
クリティカルワークショップ「近代芸術の教え」

http://kenjirookazaki.com/info/jp/2009/01/post-8.html
http://kenjirookazaki.com/岡崎乾二郎 | Kenjiro Okazaki)
本日開催。


◇ INTRODUCTION ----- TOKYO ART MUSEUM (東京アートミュージアム) - Plaza Gallery

1月17日(土)–6月21日(日) 火・水曜休館(祝日は開館)
Philosophiae naturalis principia artificiosa
–自然哲学としての芸術原理–
●関連イベント:クリティカルワークショップ 「近代芸術の教え」
日時:1月31日(土)16:00–18:00
参加費:300円(兼入場券) ※当日入場券をお持ちの上、ミュージアム入口にお集り下さい。
パネリスト:林道郎(1959年生まれ。上智大学教授、美術批評家、1999年コロンビア大学大学院博士学位取得)、松浦寿夫(出品作家)、岡崎乾二郎(出品作家)

http://www.plaza-gallery.com/introduction-04.html
http://www.plaza-gallery.com/

ICC開館10周年記念セッション・シリーズ Vol.2 連続シンポジウム「メディア・テクノロジーと生成する〈知〉」「インターフェイスの可能性:創造の接面を探る」 - HIVE - NTT ICC open archive

岡崎乾二郎 × 郡司ペギオ-幸夫 × 矢内原美邦 × 四方幸子(司会/ICC学芸員
http://hive.ntticc.or.jp/contents/symposia/20070609/
2007年6月にICCで開催されたシンポジウムですが、
「HIVE」に映像がアップされています。
作り手にとっては、とても示唆に富んだ議論だと思います。

レビューハウス☆ドリームナイト@UPLINK FACTORY

お題:100円ショップで商品5つ購入し、それらをすべて用いて作品を制作してください。


凄いアイディア、凄い作品大募集。当日はオーディション通過作品を(1)制作者によるプレゼン→(2)豪華ゲストによる講評&ディスカッション→(3)全員参加のオークションという三つのステージ=三つの価値基準からてんやわんやの徹底分析。材料費500円の可能性を骨までしゃぶりつくします。批評誌Review Houseが始動させる、ブレーン・ストーミング・オブ・アートのためのイベント。


日時:2/15(日)18:30開場/19:00開演
料金:¥1,500(1ドリンク付)*メール予約できます
★作品エントリー/ご予約/お問合せ
dream@reviewhousemag.com
(エントリー〆切は2/10)

http://www.uplink.co.jp/factory/log/002915.php


◇ レビューハウス☆ドリームナイト開催!! - ブロググビグビ

レビューハウスで始めてのイベントを開催します。出版記念パーティ的なものではなく、雑誌ではできないことをプロジェクトとして始動させたい、実験的かつ実践的なイベントです。


お題のもとに作品を公募し、「プレゼン」→「ディスカッション(批評)」→「オークション」という3つのステージ=3つの価値基準から作品を徹底分析します。オーディエンスとしての参加ももちろん大歓迎ですが、制作者としての参加も心待ちにしています。作家としての活動をしていない人、高校生、専門学校生、大学生など若くて勢いのいい学生さんのエントリーも大歓迎です。びっくりさせてください!

http://assaito.blogzine.jp/assaito/2009/02/post_06ef.html
コメンテーターに伊藤ガビンさんの出演が決定したようです。


◇ 100円ショップの製品でアート作品を制作し、批評する『レビューハウス☆ドリームナイト』開催 -art-designニュース:CINRA.NET
http://www.cinra.net/news/2009/01/23/104104.php


◇ Review House Magazine
http://www.reviewhousemag.com/

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>>>冷戦について
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080511#p2


※過去のレビューハウス関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%a5%ec%a5%d3%a5%e5%a1%bc%a5%cf%a5%a6%a5%b9

ANTINOMIE展@GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE(近畿大学四谷ギャラリー 2003年)

http://correlative.org/exhibition/antinomie/
http://correlative.org/exhibition/antinomie/list.html
柄谷行人さんによるカントの朗読を聴くこともできます。
オープニングイベントには浅田彰さんも参加したようです(http://www.kindai.ac.jp/news_event/2005/11/21.html)。


◇ 「ANTINOMIE展」カタログ / antinomie展 カタログ完全再録
http://correlative.org/publishing/antinomie.html
http://correlative.org/publishing/annual01.html

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◇ 2003/09/23 (Tue) - omolo.com/news/data

「批評空間とかって目は通すけど、結構わからなかったり知らないことも多いので、なんのこと?っておもったりもしますが、なきゃないで困る。しかし、柄谷とか、岡崎さんとかって、やっぱ権威になるの?僕の中では、あぁ面白いオッさんだなぁと思うけど、なんか気になった話題とか少し出したら、もう血眼で反論されたり、激しく同意とか、全くわからんとか、なんかあぁゆう態度が、よーわからん。 」

「批評空間とかって目は通すけど、結構わからなかったり知らないことも多いので、なんのこと?っておもったりもしますが、なきゃないで困る。しかし、柄谷とか、岡崎さんとかって、やっぱ権威になるの?僕の中では、あぁ面白いオッさんだなぁと思うけど、なんか気になった話題とか面白かった話を軽く誰かに少し出したら、もう血眼で反論されたり、激しく同意とか、全くわからんとか、なんかあぁゆう態度が、よーわからん。 」


 ああ、主語が抜けてましたね、本人に突っ込まれましたよ、ヒィーーー。なんか、勢いで書くと主語が抜けてしまって、日本語って難しい。
で、行きましたよ。ANTINOMIE展。感想面白かった。

http://omolo.com/news/data/2003/09/23.html
山内崇嗣さんの当時の日記より。


◇ TRANSITION DREAM (映画・読書・その他、32) / 偽日記アーカイブ(2003/09)

03/09/28(日)
●昨日、岡崎乾二郎にお会いした時、最初に言われたのが、(ANTINOMIE展についての)ぼくの日記の解釈が間違っていると言うことで、「一つだけ言いたかったのは、規定的判断力と反省的判断力があって、芸術においてアンチノミーは反省的判断にしか起こらないということだ」ということだった。岡崎氏は、この展覧会のためのテキストで次のように書いていた。《アンチノミーが発生するとすれば、経験が与える自然のきわめて多種多様な変異--特殊を、いまだ与えられていない法則、概念のもとに包摂しなければならない(いまだ含まれていなかった述語--属性を概念につけ加える)反省的判断力においてである。》つまりアンチノミーとは、ぼくがジシェクを引き合いにだして書いたような、表象体系のどこにもその解決を描き込む事の出来ない矛盾(それによって要請される「人間」)といったようなもの(無時間的な構造)のことではなく、例えば、芸術作品が、「私の得る特殊な感覚」であるしかないにも関わらず、それが同時に「普遍的な経験」であることを要請される時、それは具体的な時間の進行のなかでの格律として働くべきもので、「あなたが得る感覚を普遍的なものであるように経験すべし」「あなたのいかなる特殊な感覚をも万人の同意を得るべく他者と議論すべし」というようなものとして与えられるものだ、と。つまり、「普遍的な法則を示さなければならない」と同時に「いまだ捉えられたことのない感覚の自由な戯れでなければならない」というアンチノミーは、矛盾としてあるのではなく、上記のような格律としてみれば共立し得る(共立させるべし、という格律である)、と。だから、《芸術(KUNST)はそもそも名詞ではないし、ゆえに概念でも対象でもなかった。それはデューラーが言った通り、認識のための手引き、格律としてのみ働く技術=理論であって、認識が曳き出される、その過程でだけ仮象として存在するにすぎない。》つまり「芸術」とは、上記のような格律が「働いている場」でこそはじめて可能になる、ある種の「認識」のことなのだ、と。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yo.32.html#Anchor1796213

03/09/27(土)
●四谷にある東京コミュニティカレッジで講演があって、その後ギャラリーで学生たちとディスカッションする予定なので覗きにこないかと浅田氏からお誘いを受けたので、観客として話を聞くつもりでのこのこと出掛けて言ったら、岡崎氏に、強引に学生たちの前に出させられてしまった。19日の日記で批判的なことを書いているので、下手をするとこれは吊し上げをくうのかとビビッたのだけど、それどころか、浅田氏も岡崎氏も、ぼくがまともに受け答えも出来ないところを丁寧にフォローして下さり、恐らく内輪の学生たちとの場だからこその、岡崎氏のぶっちゃけトークなども聞くことが出来て、結局ぼくは前に偉そうに座っているだけで、たんに一人の観客として、石岡氏も含めた三人と学生たちの話を面白がって聞いているだけに終わったのでした。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/ni.a.7.html
古谷利裕さん(id:furuyatoshihiro)の当時の日記より。

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080903#p18)

YouTube - NAM代表くじ引き選出

第一次NAM代表くじ引き選出
2002年6月29日@早稲田奉仕園

http://jp.youtube.com/watch?v=0nYpvESUM7c


>>>例のNAM崩壊関連

◇ 55 葦の日誌 04/4/26 柄谷行人の犯罪 - 葦書房
http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/ashinonissi-55.htm


◇ 京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開 - Qプロジェクトサイト
http://www.q-project.org/modules/tinyd2/index.php?id=1
lets_thinkメーリングリストの公開形式とリンクについて 文責:鎌田哲哉 - Qプロジェクトサイト
http://www.q-project.org/modules/tinyd2/index.php?id=10

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080312#p7


◇ 重力 - web重力
http://www.juryoku.org/webju.html


鎌田哲哉 - Wikipedia

現在は妻の森谷めぐみ(劇作家、岡山大学職員)と共に「Q-NAM問題」を特集する『重力03』を編集作業中。『フリーターズフリーVol.1』(2007)に掲載された『重力03』の広告によれば「「活動」の不在──『NAM原理』・『トランスクリティーク』批判」を発表予定。浅田彰は、鎌田哲哉が文章を書き始めたころ、彼を、領域を横断する怒りの批評家(浅田彰)と評した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E7%94%B0%E5%93%B2%E5%93%89

立ち位置が問われる村上春樹氏(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090127#p9)関連・その後

村上春樹氏 エルサレム賞受賞 - 無造作な雲

無論、大江の文化勲章拒否がノーベル賞受賞と合わせての、関係者各位にいい顔を見せつつ自分の権威化を最大に実現してみせる大江の見事な"処世術"であるという点について、政治的だというのだ。大江作品にとって政治とは、自己のプライドを最大限に満足させる甘い蜜として、きわめて都合良くフィクショナイズされているという意味で、二重に政治的だ。


村上春樹もまた、政治的磁場から逃れられない生々しい現実を、ただ小説家としての自己の存在を成り立たせるためにきれいにフィルタリングしている、という意味で、二重に政治的だ。

文学における政治は、大江のような特権意識丸出しの差別主義者の専売特許ではない。いやむしろ村上春樹のようなカマトト風味政治を味付けして二重三重にくるんで差し出す人気作家こそ、政治的だという認識を見誤ってはならない。

http://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20090126/p1
カート・ヴォネガットならどうする? なんてことを考えてみるのも。。。
あと、蓮實重彦さんが、「ハルキ的なるもの」を「結婚詐欺師の手口」と評していたことを思い出しました。


村上春樹氏 エルサレム賞受賞−村上春樹という問題 - 無造作な雲

そういった意味で、戦後サヨクの罪は重いといわざるを得ない。真に批判されるべきは、村上春樹ではなく、社会変革をお題目に掲げながら、自己のプライドや党派性によってその理想自身を裏切り続けてきた、戦後日本の“左翼的なるもの”なのかもしれない。


まぁ、そういうった政治的絶望につけこんで、村上春樹はのしあがってきたという意味では、やはり作者と読者のただれた蜜月関係も無視はできないというべきかもしれないが。

http://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20090130/p1


◇ 個別論と一般論、具体論と抽象論のすれ違い、問題のレイヤーの違いについて - ビジネスから1000000光年
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090129/1233234655


◇ 「"村上春樹"的なるもの」について - Ohnoblog 2

その下の60年代後半から70年代世代になると、そうしたぐじぐじした迷いや葛藤があまり見られない印象だ。この世代の青春期に重なる80年代は、相対主義という名の無邪気な「人それぞれでいいよね」主義が蔓延していった時代であり、「"村上春樹"的なるもの」は、たしかにそういう気分と親和性が高い。


もちろんその現象は、私の世代にも20代にも見られるものだろう。ただ、村上春樹の小説が「新鮮」なものとして受け止められ、読者が飛躍的に増えていった80年代に多感な時期を過ごした人の中に、より「”村上春樹”風ニヒリズム」は浸透しやすかったということは言えるかもしれない。


当時の村上春樹の描く小説の風景には、80年代に爆発的にヒットしたウォークマンで好みの音楽を聴きながら眺める街の風景のような感じがあった(この指摘は誰かが既にしているかと思う)。巻き込まれ型で出来事に関わらざるを得なくなっていく人物がよく描かれたが、その小説の受容レベルにおいては、自分は風景に取込まれることも関わっていくこともなく、ただ透明な膜を通してそれを眺め「やれやれ」とか溜息をつきながら通過していく、そんなメンタリティが共有されているようにも感じた。これはなかなか「気分の良いもの」だったのではないかと思う。

村上春樹は非常に注意深いやり方で「コミットメント」している作家だと思う。彼のテーマである「暴力」にはおそらく、わかりやすい権力の暴力も戦争の暴力も左翼の暴力も宗教の暴力もテロの暴力も、ありとあらゆる「暴力」が含まれるだろう。それに押し潰される多くの人々と、「キャッチャー」としての役割を果たそうとする人。閉塞感とほんのわずかの希望。


誤解を怖れずに言えば、これはある意味「世界最強の世界観」である。だからこそ支持を得やすいのかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090130/1233310687


◇ えええいぇるされむくろにくる

ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。

どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治の世界だな。ハアレツの編集員とか... 、

ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。

イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。

http://anond.hatelabo.jp/20090130040254


エルサレム賞に関してもう少し - 逃・逃避日記

色々と並べたのだけど、結局のところは「よくわからない」ということに尽きる。ただ、ソンタグの下記の発言は重い。ボイコットを呼び掛ける人は、この発言の意味するところについて、良く考えておくべきだろう。

文学の叡智とは、たんなる意見をもつこととは正反対のことです。ヘンリー・ジェームズは「なにかについて、これが最後の言葉だというようなものはない」と言ったことがあります。尋ねられて意見を述べるということは、それが適切な意見だとしても、小説家や詩人がやっている最善の仕事、省察を深め、複雑さを感受するという仕事を安っぽいものにしてしまいます。

わたしたちに意見を述べさせるのは、有名人や政治家たちに任せておきましょう。作家であることと、公的な意見を述べる声であることの両方を遂行することに意味があるとすれは、作家は自分の意見や判断を作り上げることは重大な責任を伴うものだということを肝に銘ずるべきでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3


村上春樹さんのエルサレム賞受賞 - A Prisoner in the Cave

 mojimoji さん紹介のスーザン・ソンタグのスピーチの件は、全く知らなかったが、指揮者、ピアニストのダニエル・バレンボイムエドワード・サイードの盟友である)が「ウルフ賞」を2004年に受賞した時に、イスラエルの右派政治家が出席しているその場で、イスラエルの独立宣言を引きながら、占領政策を批判している。

 その様子は、下記ドキュメンタリーで見ることができる。イスラエルの政治家はバレンボイムのスピーチに拍手せず、ウルフ財団の人はかんかんに怒っていたけれど、私はこの映像を見て、バレンボイムがますます好きになった。

http://d.hatena.ne.jp/eirene/20090126/1232943237


YouTube - Ovation TV | Knowledge is the Beginning

A Film by Paul Smaczny, Knowledge is the Beginning is the story of the West-Eastern Divan Orchestra where young Arabs and Jews perform side by side. The film illustrates how prejudices are overcome during rehearsals, concerts and after-concert celebrations. It also demonstrates the problems that crop up occasionally and how music can help people from different points of view find common ground. For Daniel Barenboim, founder of the ensemble, the orchestra is a symbol for what could be achieved in the Middle East.

This clip shows Mr. Barenboim accepting an award from the Wolf Foundation.

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>>>村上春樹に会いに行く - aiaiときどきブログ - プレジデント
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081022#p9

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>>>Twitterツイッター/トゥイッター)の村上春樹
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080205#p4


>>>村上春樹Ⓐも存在するんでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080806#p2


>>>何となく連想で。。。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071013#p4

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>>>So it goes...?

「そういうものだ」は
「そういうものだ」から始めるための言葉であって
「そういうものだ」にとどまるための言葉ではないと思うので
「そういうものだ」を
「そういうものだ」と表層で理解し
「そういうものだ」という斜に構えたスタイルとしてたやすく消費してしまう
「そういうものだ」信奉者? 村上春樹からの素朴な遡行? には軽い抵抗感を覚えてしまいます。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070414#p2

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YouTube - 文化人の語学力2 村上春樹

フランツ・カフカ賞受賞時のスピーチ。
来世牧童になるために「それは政治ではなく、人としてどうなのか?ということだろう」(http://d.hatena.ne.jp/manuka/20090129/1233228969)経由。

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070414#p3) ※リンク切れ削除ほか少し修正

■KV外挿
◇『スローターハウス5』の一場面を思い出す映像
YouTube - Speeding Hurts - RSF - Crash Boy

YouTube - Speeding Hurts - RSF - Crash Woman


カート・ヴォネガット(ジュニア)『スローターハウス5』(訳:伊藤典夫 ハヤカワ文庫)より

 負傷者と死者をいっぱい乗せた穴だらけの爆撃機が、イギリスの飛行場からうしろむきにつぎつぎと飛びたってゆく。フランス上空に来ると、ドイツの戦闘機が数機うしろむきにおそいかかり、爆撃機と搭乗員から、銃弾や金属の破片を吸いとる。同じことが地上に横たわる破壊された爆撃機にも行なわれ、救われた米軍機は編隊に加わるためうしろむきに着陸する。
 編隊はうしろむきのまま、炎につつまれたドイツの都市上空にやってくる。弾倉のドアがあき、世にもふしぎな磁力が地上に放射される。火炎はみるみる小さくなり、何個所かにまとめられて、円筒形のスチール容器に密封される。容器は空にのぼり、爆撃機の腹に呑みこまれて、きちんと止め金におさまる。地上のドイツ軍もまた、世にもふしぎな装置を保有している。それは、たくさんの長いスチールのチューブである。ドイツ軍はそれを用いて、爆撃機や搭乗員から破片を吸いとってゆく。しかしアメリカ軍のほうには、まだ数人の負傷者が残っており、爆撃機のなかにも修理を必要とするものが何機か見える。ところがフランスまで来ると、ドイツの戦闘機がふたたび現われ、人も機体も新品同様に修復してしまう。


 編隊が基地へ帰ると、スチールの円筒は止め金からはずされ、アメリカ合衆国へ船で運ばれる。そこでは工場が昼夜を分かたず操業しており、円筒を解体し、危険な中身を各種の鉱物に分離してしまう。感動的なのは、その作業にたずさわる人びとの大半が女性であることだ。鉱物はそれぞれ遠隔地にいる専門家のところへ輸送される。彼らの仕事は、それらが二度とふたたび人びとを傷つけないように、だれにも見つからない地中深く産めてしまうことである。
 アメリカ人の飛行士たちは制服をぬぎ、ハイスクールの生徒となる。そして、とビリー・ピルグリムは思った。ヒトラーもまた赤んぼうになってしまうのだ。そんな場面は映画にはない。ビリーは外挿しているのである。だれもかれもが赤んぼうになり、全人類がひとりの例外もなく、生物学的に協力しあいながら、やがて二人の完全な人間アダムとイブをつくりだすのだ、とビリーは思った。

http://www.bk1.co.jp/product/136276
http://www.amazon.co.jp/dp/415010302X


スローターハウス5 - Wikipedia

スローターハウス5』(- ファイブ、Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death)は、1969年に出版されたカート・ヴォネガットの小説。時間旅行を筋立ての道具とするとともに、ヴォネガットがその余波を目撃した第二次世界大戦でのドレスデン爆撃を出発点として、SF小説の要素と人間の条件の分析とを希有な観点から結びつけた作品である。

この本が出版された時には、ドレスデン爆撃はまだ広く知られておらず、退役兵や歴史学者によって語られることもほとんどなかった。この本は、爆撃の認知度を高め、大戦中の連合国によって正当化された都市空爆の再評価へとつながった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B95


◇「終末は近づいている」byカート・ヴォネガット - 暗いニュースリンク
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/11/post.html


Kurt Vonnegut(1922 - ) - PAPERBACK GUIDE

 一度の死者数では、広島原爆の犠牲者数をも凌駕する悲惨をまのあたりにし、そうした愚行を許す人間の本性に絶望したヴォネガットは、絶対的なもの(たとえば神)にすがることでなく、また声高に非難することでも憎悪することでもなく、かなしみとペシミズムを軽妙な文体に潜ませた作品群(とりわけ初期の作品)を発表しますが、処女長編から17年を経て、ようやくにして書かれたヴォネガット自身のドレスデンでの体験を核とした本作品が、彼にとって最も重要な作品であることは間違いないと思います。そもそもこのドレスデン体験がヴォネガットの作家としての原点であったこと、この体験を経なかったなら彼は作家とはならず、したがって彼の全作品は書かれなかったのではないか、そうした思いさえ抱かされます。

http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/pbVonnegut.htm


◇ さよなら、ヴォネガット - イルコモンズのふた。
http://illcomm.exblog.jp/5146445/
◇「その他いろいろ」はつづく - イルコモンズのふた。
http://illcomm.exblog.jp/5155687/
さすが小田マサノリさん。
YouTubeへのリンクほか、かなり充実してます。