如来から与えられる救いのはたらきは、本願を受け容れる信心が開けたとき、即座に私の上に届き完成します。
〜〜〜
しかし届いたみ教えが私を育て導き、私どもの日常生活を正していかれるには時間がかかります。いいかえれば如来のみ教えが私どもの生活の上に反映し、その「しるし」が現われるのには、個人差もあり、時間の経過も必要なのです。それを聖人は「やうやうすこしづつ」と言われたのです。〜親鸞聖人の教え・問答集 (梯 實圓著)より
少しずつですが物の考え方、捉え方が変わってきました。(kosizu)
今年も はやお盆も終わり、振り返ればいろいろなことがありました。
いずれのことも念仏のご縁としていきたいです。
毎日ああだこうだと生きることに苦楽するのは以前も今も変わりませんが、深いところで後生の問題が解決されているという安堵感に包まれています。
本当の意味で腹の据わった生き方というのは他力信心から生まれてくるのだと思います。