超夜更かしだった僕が朝型人間になるために実行した大切なこと10 | No Second Life
1. 「残業しないオーラ」を出しまくるundefined夜更かしだった頃の僕はとにかく残業が多かった。
遅い日は終電まで、早い時でも8時過ぎまではオフィスでぐだぐだ仕事をしていた。
たまに早く仕事が終わっても、どうしていいか分からず結局同僚とだべって過ごしたりしていた。
上司や別部門の先輩から頼まれた仕事は全部受けていた。
上司から見れば、絶対に断られないのだから頼みやすかったし可愛かっただろう。
でも、それだけだった。
夕方に頼まれた無理な仕事を残業してこなしても、何かが改善されることはなかった。
僕はただ「何でも頼める便利なヤツ」と思われていたに過ぎなかった。
早寝早起きを実践するには、とにかくオフィスを早く出ることが絶対条件だ。
もちろん突発的なトラブルがあった時などに遅くなるのは仕方がない。
だが、残業が常態化していて、毎日夜遅いのがデフォルトになっているなら問題だ。
毎日21時まで残業していては、22時からの睡眠ゴールデンタイムに就寝など、できるわけがない。
職場環境が劣悪な場合もあるだろう。その場合どうしても自分だけ帰ることが許されないことも多いと思う。
そういった立場の場合は、長い目で見た時に、本当に自分がその職場に身を置き続けるべきかどうか考える必要があるだろう。
だが、もしあなたの部署に、いつも定時になるとさっさと一人だけ帰ってしまう、「空気を読まない人」がいるならば話は別だ。
その人に出来てあなたにできないことはないのだ。あなたは「残業する」という選択を自らしているにすぎない。
僕の場合も後者だった。僕は自分からすすんで残業ばかりしているくせに、「残業しないと仕事が終わらない」と思い込んでいたのだ。
で、実行したのが、今までの「いつでも何でもやります」という「便利屋」を止めることだった。
夕方に無理な仕事を振られたら断る。なぜ明日の朝までなのかを質問する。
明日の午後までならできるという代替案を出すなどをして、抵抗を開始したのだ。
あと、それまでは同僚とダラダラだべっていたのを止めた。
ランチも毎日みなでぞろぞろと出かけて1時間丸ごと使って外食していたのをやめて、自分のデスクでお弁当を食べるようにした。
仕事中も無駄話はしないようにした。「同僚は同僚であってお友達ではない」と態度に出すようにした。
これは最初はとても勇気がいることで、実際露骨に同僚や上司からイヤな顔をされたり説教されたこともあった。
だが、何回かちょっとイヤな思いをした後は、「あいつには夕方頼んでもダメだ」と認識されるようになり、無茶ぶりはこなくなった。
もちろんただの偏屈になってはダメで、業務時間中は集中力を最大にして必死で仕事をして成果を出すように注力した。
成果が出ていれば上司は文句を言わない。「可愛くないヤツだ」とは思われただろうが、オフィスを早く出る権利をゲットできたことに比べれば、大した問題ではなかった。
2. 仕事飲みに行かない夜更かし時代の僕は多いときには週に4回くらい上司や同僚と飲みに行っていた。
直属の上司がバツイチで奥さんがおらず、一人で寂しいため部下を毎日飲みに誘っていたからだ。
上司が奢ってくれるので若手は喜んでついていく。
だが、ほぼ同じメンバーで週に3回も4回も飲みに行っても、まったく意味はない。
上司は早く帰るのだが、若手は勢いがついていて、二次会に流れてしまい、結局終電で帰ることになり、翌朝はまたギリギリになる。
この上司が退職したのをきっかけに、僕は同僚と飲みに行くのを止めた。
送別会や会社オフィシャルの忘年会などは別として、日常生活に会社飲みを入れなくしたのだ。
飲みに行くのは社外の人に限定し、しかも回数を絞った。
それによって帰宅時間が安定し、眠る時間を自分がコントロールできるようになった。
今でも飲みに行くことは大好きだが、回数のコントロールは大切にしている。
生活のリズムが崩れるほどの回数飲みに行くことは浪費であると認識しよう。
3. テレビと距離を置く僕はいまテレビをまったく観ない。
でも以前は毎日必ずテレビを観ていた。
会社から帰宅するとまず部屋のテレビを点けるパターンだった。
でも、自分の生活を見直して「やりたいことをやる」と決めてから、自然とテレビとの距離が生まれていった。
毎晩つけっぱなしだったテレビがいつの間にか「ついているとうるさくて読書ができない」と思うようになり。
ブログを書くにも「邪魔」と感じるようになり。
いつの間にかまったく観ない生活になった。
テレビは大いなる「時間泥棒」だ。
全然観ないというのは極端かもしれないが、観る番組を決めたり、放映時間に自分の生活を合わせるのではなく、自分の空き時間に録画再生で観るようにするなど、減らす工夫をすると良いだろう。
テレビを観ていた時間に生み出される自分の時間は膨大だ。
是非試してみて欲しい。
4. 夜は蛍光灯をつけず部屋を暗くする夜更かししていた頃は自分の部屋の天井に埋め込まれている照明を何の疑問も持たずに使っていた。
その照明が蛍光灯だったので、夜部屋にいる時は蛍光灯がついていた。
だが、これをやめてスタンドの白熱球だけに変えた(今はLED)。
当然部屋は暗い。
でも、夜に部屋が暗くて困ることは何もない。
むしろ夜に部屋を暗くしていると、身体がリラックスモードに入って心地良い。
さらに、白熱球の暖かく柔らかい光を間接照明にしていると、心に癒し効果があるように感じる。
夜に自室で蛍光灯をつけっぱなしにしている人は是非試してみてもらいたい。
スタンドは高価なものである必要はまったくない。
夜は暗いもの。そう割り切って、アロマを炊いたり静かに音楽を鳴らしたりして、夜はクールダウンの時間にしよう。
5. 入浴剤を入れてゆったりお風呂に入る夜更かし時代の僕はお風呂に入っていなかった。
朝のシャワーだけ。湯船には入っていなかった。
だが、生活を朝型に変えて行くにしたがって、夜にお風呂にのんびりつかりたくなった。
今では真夏でも必ずお風呂につかる。そしてお風呂では本を読んでいることが多い。
何種類も入浴剤を買ってきて、その日の気分で適当に投入して入る。
朝シャワーには血行促進と覚醒効果があるが、夜のお風呂はリラックス効果が大きい。
湯船の中でふくらはぎや肩を自分でマッサージすると効果が大きい。
ホカホカに温まったら、なるべくさっさと布団に移動。
冬場は特に暖かくて最高の気分で眠れる。
僕の朝型ライフにお風呂は欠かせない。一日でも入らないと欲求不満になるくらいお風呂好きになった。
6. 朝にすることを決めてから眠る「早寝早起き」という言葉だけが独り歩きするとうまくいかない。
大切なのは、何のために早起きをするかを決めておくことだ。
僕の場合、朝にランニングをすること。そしてブログを書くことがサラリーマン時代の目的だった。
目的なく早起きすれば、また眠くなって布団に逆戻りしてしまう。
だから、早く起きた時間で何をするかを前の晩に決めて眠るようにしよう。
朝は出勤までの時間が限られるので、ダラダラすることはできない。
集中して取り組めるので、短い時間で大きな成果が得られるようになる。
7. 朝に一番大事なこと・楽しいことをする朝起きた後は誰でも眠いものだ。
でも一度起きて目が覚めたあとは、脳が一番フレッシュで元気な時間帯となる。
この時間帯に、いま自分が一番やりたいこと、やるべきことをしよう。
僕は超メタボ体型から脱却することと、ブロガーとして独立することが最大の夢だったので、ランニングをしてブログを書く時間にした。
早朝はメールも来ないしTwitterも静か。家族も寝ていて世界に自分だけという状態になれる。
まだ仕事にも行っていないから身体も疲れていないし頭も冴えている。
その日一番の状態の自分の身体と脳を、会社や他人のために使ってしまうのはあまりにももったいない。
疲れて眠い身体と脳にむち打って夜中に読書をしたりブログを書くよりも、たっぷり眠って成長ホルモンに満たされた身体で自分が一番やりたいことをする。
ごくごく自然なことだし、心も身体も最高に喜ぶことだと思う。
8. 朝に運動をする(太陽を浴びる)僕の場合はランニングという日課があったわけだが、そうでない人も、せっかく早起きをしたら、5分でも10分でも散歩をしてみて欲しい。
ちょこっと走れる人は短い距離走ってもいい。
冒頭に書いた「幸せホルモン」セロトニンは、早朝に太陽を浴びることで分泌されるのだ。
だから、せっかく早起きをしたのに暗い部屋でじっとしていてはもったいない。
起きたらまず5分散歩。
試してみて欲しい。僕にとっては早朝ランは人生を変えるぐらい効果絶大だった。
9. 朝ご飯を食べ早く出勤する夜更かし時代の僕は晩ごはんを食べる時間も遅くて不規則だったこともあり、朝食は食べていなかった。
朝を食べないと、昼と夜にその分のカロリーを補おうとするので、一食のボリュームが多くなり、脂っこいものが欲しくなる。
だが本来夜は、もう寝てしまうだけなのだから、高カロリーの食事は必要ないのだ。
本当は、これから一日活動する朝にこそしっかりと食事をして、エネルギーを充填しないとパワーが出ないのだ。
晩ごはんを少し軽くしてみると分かるのだが、人間おなかがいっぱいだと熟睡できないのだ。
それも当然、胃にたくさん食べ物が入っていると身体は一生懸命食べ物を消化するせいで、十分な熟睡モードに入れない。
晩ごはんを軽めにして早く眠ると、朝起きるともうおなかが空いている。
おなかが空いて目覚める爽快感は素晴らしい。朝ご飯が美味しくて一日が楽しくなる。
そしてしっかりエネルギーを充填したら、今までよりも30分早くオフィスに乗り込もう。
出勤を早くすることは良いことだらけだ。
遅刻するリスクがないので精神的に安定する(ハラハラしない)。
電車もバスも空いている。
オフィスに人が少ないのできっちり自分で計画を立ててから仕事を始められる(到着していきなり仕事を振られたりすることがない)。
今までダラダラ残業でカバーしていた仕事を翌朝に持っていくだけで、処理スピードの違いに驚くことになった。
そして顧客や同僚よりも早く出勤していると、メールでも電話でも先制攻撃を仕掛けられるのも大きい。
受身にならず主体的に仕事が進められると、いつしか仕事が自分のペースで回り出すようになる。
この快感は、一度手にしたら二度と手放したくないものになるはずだ。
10. ちょっとした贅沢を用意する早起き習慣を始めてしばらくは、週に1回だけ、朝にスタバに寄って朝食を食べるようにしていた。
スタバのサンドイッチは結構高い。コーヒーとサンドイッチで700円近くかかる。
当時僕は親の借金を身代わり返済していたのでお金がなくて、お昼ごはんは自分でお弁当を作って持っていっていた。
だから本当は朝食に700円というのは、かなり贅沢なことだった。
でも、マクドナルドではなくスタバで、しかも7時オープンのお店に開店と同時に入り、ジャンクではない朝食を食べ新聞を読む。
これを自分への「早起きへのご褒美」として許可していた。
朝一番のスタバには、早起きで「仕事がバリバリできそう」な男女が静かに自分の時間を過ごしている。
そんな中に自分自身を置くことで、自分もすごく頑張っているような気分になれたし、実際頑張っているんだと実感できて嬉しかった。
早寝早起きは慣れてしまえば当たり前の習慣になるのだが、最初は眠くて大変なこともある。
だからこそ、頑張っている自分に「ちょっとしたご褒美」作戦は、僕にはとても有効だったし、楽しかった。
もう「ネットで繋がる」ってのは幻想かも知れない
ということで、微妙にブログ名を変更しての、こんばんはです。
放置しすぎだと思う方もいましょうが、もともとここの更新はこれくらいがデフォでしてw
というか、何度かいってますが「引用したい!」というインスピレーション(twitterだと「RTしたい!」になるんですかねぇ)がないとこの日記動きません。
逆に言えば、140字のRetweetですまされない時に起動するのがこの日記の前提だったりします。
というわけで本題。
例えば、海外ドラマなんかだと、そういうネタの入れ方が上手だったりする。
専門用語でもいいし、ありがちな状況、というのでもいい。
わかりやすく言えば、簡単な「あるあるネタ」を、ちょろちょろっと入れればよいのだ。
ちょっとした台詞1つ、ちょっとした仕草1つで、上手い小ネタを入れれば
Twitterユーザーを味方に付けることができただろう。
(中略)こんなことは、仮に脚本家が、Twitterについて勉強不足であっても
誰かブレーンが付けば、簡単にできることのように思う。
問題は、そういう意識がプロとして足りないのでは? と思うことだ。Twitterの面白さや、その世界をパッと理解するのは難しいだろうから
ドラマの脚本の依頼があってからでは間に合わないかもしれない。
だけど、そういう意識が大切なんじゃないかと思う。Twitterに限らず、わざわざ、ファンがいるところ
それが生活の一部になっている人がいるもの、を借りてくるのだから
ある種の礼儀とか、挨拶、マナーみたいなものと言ってもいいかもしれない。
emo blog「素直になれなくて」2010/04/16
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2010_04_post_495.html
うん、これ大事だ。大事。
逆も(ネット→他業界)しかりなんですけど、案外コレに気づいてない業者さん多いw
閑話休題。なんか久しぶりなので文章が書けない。
そういえば、おいらも一年半くらい見てませんね、ドラマ。
多分、ここんとこのドラマとかの低落ってこの「素材を借りることに対する礼儀」の欠落がスタッフ・キャストともにあるんじゃないかと思うんですよね。
ひどいのになると「作品のキャラや世界観に酔っぱらってる」学芸会状態の作品も…
(特に漫画原作物のやつが…)
原因を追っていくと、借りてるのじゃなくて「盗んで自分の個性にすり替える」演技をしてる駄目なひと(キャストだけじゃなく演出・脚本とかの意味で)が結構いて、これでメシを食おうとするとこにある気がしないようなするような。
それを更に追うと、「借りる」レベルになるほどの自分が育成されてない、そんな未成熟な人材の問題に帰納したり。
ブレインの不在をこの書き手さんは指摘していますが、ブレインという名の圧力業者がいるのかなと思ってみたり。
当て書きで話を書くということは、「そのネタを話に当てろ」というブレインがいるわけで(笑)
作品よりもそのネタが大事。てかネタに縋って儲けたい、という時代なんでしょうか。
その昔、ナタデココがブームになったとき
「ナタデココが入ったカレー」というのを食べたことがある。それは......ただの、ナタデココが入ったカレーだった。
emo blog「素直になれなくて」2010/04/16
http://blog.neoteny.com/eno/archives/2010_04_post_495.html
ナタデココを入れただけでは、ナタデココを売りに商売することは出来ないのに、それをわかってないひとのいかに多いことか。
流行という蜘蛛の糸に縋っても、自分が救われるとは限らないという話です。
まあ、ドラマ界だけの話じゃないんですけどね。
tiwtterが辛いと思う5つのきっかけ
実は今年でtwitter4年目(2007年春開始)と言うことで、サイト4年限界説がちらついてるんですが何でだろうと最近の空気をふまえつらつらと。
1.ちょっと油断すると、「新学年5月」の孤立状態に陥る
2.ニュースのデマ発生率が昔に比べて多くなった
3.連携サービスの増加で、日本のspamが多くなった
4.興味外のRTなど見たくもないポストがTLに流れてくる
5.親しい人が変貌して付き合いにくくなった
で、共通すると「何かに裏切られた」という感情が生まれたときに辛いと思うんですよね。
それがニュースポストだったり、TLそのものだったりフォロワーだったり、いろいろ対象は違えど、裏切られたと思った時、しかも、簡単にリムーブできない時に辛い、止めようかと感じるのでは無いかと。
なんか最近萎えてきたなあ…と思うとき
2や3、4なんかは特に最近の流れで台頭してきた萎えるクラスタ(w。
刺激的な記事だと、「え!本当なの!」とついRTしたが、実はデマだったとなると萎えますよね。
人数が多くなると、同時にニュースを見る人が沢山いて、正に伝言ゲームで色んなルートで情報が伝達するわけです。その流れで思い込みが発動すると情報がゆがむのは社会心理学でも良くある話です。デマでなくても、いつの間にか情報に歪みが起きたりってのはもっとあるはずです。
一方去年や今年にかけて楽天・アマゾンなどの商業サイトと連携サービスが多くなり、それを利用したアフィリアカウントががっと多くなりました。
中には個性ある魅力的なアカウント(個人的には@yahoo_shoppingとか)もありますが、多くはスクリプトで作っただけやろ、な杓子定規なアカウントで、もう新しくフォロワー増やしたくないわと萎える要素になります。
そして、twitterを大きく変えたと言えるRT(Retweet)。個人的にはいい!と言えるpostをTLのみんなに見せてあげたいという普通に純粋な使い方をしてますが、「面白い流れを見せたい」とか「この記事に対するコメントを全員に見せたい」とか思ったよりも広義な使われ方をされています。
ところが、問題がありまして、これはリアルだろうとほかのサービスだろうと言えるのですが、内輪だから面白いと感覚の麻痺した外に通じない物を「自分のTLでみんな楽しんでいるから!」と無自覚に投げられると、内輪受け好きと萎えられる場合があります。
そして、萎えが蓄積されると段々、twitterが信頼できなくなり、距離を置きたくなるわけです。
信頼のダウンは、萎えの蓄積からくるんだよね。
TLは時間を裏切らないが、時間はTLを裏切るときがある
対して1とか5というのは、「始めた頃は結構頻繁に@くれたのに、急に冷たくなった」経験とか、「twitterで友人が壊れてしまった」とか、入学したときは仲良かったのにGW明けたらなぜか距離が開いてしまっって気軽に話せなくなったという、時間が関係を変えてしまった系の話。
twitterに関して良く言われることに「ゆるい繋がり」ってうたい文句があるんですが、それは関係性ギチギチのmixi等のSNSに比べての比較論で、決して絶対的に「縁なんかそんなにない、一期一会だ」と言ってるわけじゃない。
その辺を少し勘違いしてる人がtwitter絶対主義のように「嫌になったらリムーブすればいいじゃない」と言ってますが、そんなにシンプルにできたら苦労しない。リムーブはストレスが溜まったときの垢落としなんだけど、簡単に切るような人間は…と思う人も割といるわけで。
コレは個人的事例ですが、リムーブを決断するときって初めと今と人格が変わっちまったなあ、おかしくなったなあ、と距離を置く!と時間を少しおいてから実行する場合が多いです。
つまり、時の流れがTLやfollowerを変えてしまうということが結構頻発してきた、それも段々加速しつつある、と。
それだけ、twitterが認知されてるというということでもあるんですが、ぼちぼち「ゆるい繋がり」の言葉の意味を再考する時期に来てると思います。
「質の高い」に関して頭悪く考える
私自身が実践している、自分自身に対して「質の高い」フォロワーを
増やすために意識していることを、チップスとして紹介したいと思います。質の高いTwitterのフォロワーを増やすために意識すべきこと@株式会社 EC studio 社長ブログ
http://blog.ecstudio.jp/ec_studio_blog/090929twitter.html
なんつーか「釣りの質が高い」感じのブログ記事が流行ってるらしいので、風邪持ちの頭悪い感じで「質の高さ」を考えてみる。決して、「ネタが鴨しょってやってきたw」とニヤニヤしてるわけじゃない(反語表現)
個人的には「マジで質の高いフォロワーは、割とpostの質が低い」データ持ってるので、内容には全く共感できないんですけどね。
そもそも、「質の高い」問題ってのはtwitterに限ったことでなく、最終的には「個人的視野の問題を解決できない」という批判から逃れることができないんで、ネット上で言うのは非常にかっこ悪い。まあ、逆に言えば、「(客観的というラベルの)かっこ悪さから自分を解放する」ことが有名になる第一歩でもあるんだけどね。
だいたい、有名ブロガーとかって半分あるいはそれ以上に嫌われてる(とネット上に書かれている)わけで。
それは「超」がつくレベルになると、みんな見てるから「なんか言及したくなる」率が高くなって、いちゃもんが多くなる訳よ。逆に言えば、いちゃもんが多いフォロワーやブロガーってのは、「読者に愛されてる」のよ、実は。無視よりも批判のほうがありがたい、と割とみんな思ってるはず。このレベルだと。
時々閉鎖したり、プロテクトする人ってのは、批判というマイナスの「言葉」に耐えられない有名になっちゃ生きていけない人たちなわけ。
念のために言うと、ネットで有名にならなくても生きてはいける。
マスコミの規定する「有名」と違って、現実とは少し離れてるので、逃げればすむ。
(除く犯罪系。ネット上でばれた犯罪は逃げられないよ!)
別にネットで有名にならなくても、オフとかの人脈が広がれば、本人的には幸せ、かなと思う。それが、「質」だとしたら、個人差の世界なんで規格標準化なんて、上位にいる神でもない限り無理もいいところ。
で、ネット上で「質が高い」って何よ、というと、結局「品格」と「有益」のバランスに行き着く。
前者が低い人はどっか陰で叩かれ続け、後者が低い人はあんまり捕獲されず認めてくれない。
どっちかのゲージが高ければ、大抵RSSには入れてくれるはず。
どっちがやりやすいかは個人の気質の問題。どっちも得意な人もいれば、苦手な人もいるんでなんともいえないけど。
結論:RSSに入れてくれれば、ある意味質高いんじゃねーか?
フォローされても、将来的にクライアントで無視されてくよりはよっぽど質が高い気がするんですが。(自己紹介乙でごめんよ!)
twitterの使い方によるけど、件の社長は人脈拡張系ってわけじゃなさそうなんで。
(おまけ)質の低いフォロワーをふやすたった一つの方法。
ちんちんこねこね
http://d.hatena.ne.jp/worstgirl/
なんか卑猥なネコの@worstmanさんに捕獲されるとみるみる質のゲージが下がりまくって、質の大革命(大富豪的な意味で)を経験できるよ(^_^)b!
9/29 17:03 追加事項(絶賛風邪悪化中)
質の価値のひっくり返った例 (ネタバレのためタイトル自粛)@まこぴとかアニメとか http://d.hatena.ne.jp/makoPi/20090929/1254201719